トレーナー室にノックの音が響く。
作業の手を止め引き戸の磨りガラスを見ると、覚えのある薄紫のシルエットか浮かんでいる。
「十和田トレーナー、マックイーンですわ。
アルダンさんからのお使いで参りました。」
「どうぞ。」
ドアの向こうから聞こえた声に応じると、マックイーンが大きなダンボールの載った台車を押して入ってくる。
「アルダンさんからのお使いとなると、勝負服ですか?」
「えっ!?」
心当たりを挙げると、トレーニングの動画を見ていたスカーレットが驚きながら振り向く。
「ええ、ご用意しましたわ。」
応接用のテーブルに移したダンボールを撫でながら、マックイーンは続ける。
「合宿の際に得られたデータと、学園に提出されていたデザイン要望書を元に、我が目白家の誇る技術を詰めたフラッグシップモデルが一つですわ。」
「...本当はここまでの物は、目白家のウマ娘だけにしか渡せない代物なのですよ。」
マックイーンがすこし目線を鋭くしながらこちらを見てくる。
わかっている。これは立場を使ったごり押しだ。
「ですから相応の対価はお支払しますよ。
請求書はいつも通り姉さんの方に。」
「当然です。
...まあ、それだけでは済まないそうですが。」
マックイーンの言葉に背筋に冷たいものが走る。
何か、嫌な予感がする。
「...ちょっと待って、幾つか訊きたいのだけど。
まず代金って学園から出るんじゃないの?」
ウキウキで段ボールに手をかけていたスカーレットがこちらを向く。
「そりゃ、正規の手順の学園経由で注文したらの話だな。
製造は癒着...もとい協賛してる企業の中から選ぶ形になるんだけど、今回はそれ以外のところに個人で注文してるから、費用の一部援助が限界だね。」
田舎の出の子が粗悪品を掴まない為の保護策ではあるけれど、こうして信頼できる注文先のある立場だと少し不便だ。
もっともそういう選手は大抵名家の出で、専属の開発部門を有しているものなのだから、一部でも援助されるだけマシなのだろうけど。
「もう一つ、何で請求書をお姉さんに?」
「...実家と絶縁してるからね、本来僕の方に入る遺産は姉さんが管理運用してるの。
姉さんはその本来相続する分を僕が使うって事には特に文句はないそうだから、そこから出すって話。」
遠慮なく使える潤沢な財源、という点においては生みの親にも感謝しなければなるまい。
「...ああ...だから契約の時お金は要らないみたいな内容だった訳ね。」
とりあえず疑問は解決したからか、スカーレットは開封を再開する。
「...わぁ..........!」
そして出てきた赤い勝負服を眺め..........思い切り抱き締める。
その横から仕様書を取り、内容物の確認をする。
「...うん、レース用ライブ用共に欠品無し。付属品も記載数を確認。
確かに受領致しました。」
「確かにお届け致しましたわ。
それでは、失礼致します。」
「お疲れ様でした。」
マックイーンを見送り、スカーレットに向き直る。
「僕は少し出てるから、着替えるならどうぞ。」
「いいの!?」
スカーレットが目を輝かせながら食いぎみに反応する。
「着てみたいでしょ?こっちも到着の連絡とかしないとだから電話してくるよ。
一応鍵は持ってくけど、ノックした時に着替えが済んでたらそっちから鍵を開けてくれ。」
「わかったわ。《/font》」
「それじゃ、後程。」
トレーナー室から出て、鍵を閉める。
「さて...気が重いなぁ..........」
マックイーンの言葉がまだ頭に残っている。
それだけでは済まない。つまり、依頼先のアルダンさんから金銭以外の何らかの要求があるわけだ。
仕方ないこととはいえ、到底まともな条件とも思えない。
逃がしてくれるような相手ではないし、腹をくくるしかないのだろうけど、如何せん何をされるかわかったものではない。
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戸を叩く。
「...戻ったよ、終わった?」
磨りガラスの向こうで赤い人影が揺れる。
「終わったわ、鍵は開いてるから入ってきていいわよ。」
戸を開けると、勝負服姿のスカーレットが鏡の前で次々とポーズを決めている。
絹糸刺繍で模様の入った緋色の生地の服にコルセット、肩章に腕章、飾り尾。
軍服と貴族服とドレスを足して3で割ったって感じか。
「銘は...
いいね、儀礼用の剣と盾を持ったらそれはそれで映えそう。」
「あら、デザイン知らなかったの?」
「うん。僕もさっき初めて知った。」
応接用のソファーに腰を下ろす。
「こういうのは...アルダンさんの方が得意だからね、この前の合宿で君のトレーニングついでに要望書と採寸データ渡して丸投げした。
合宿はそれの為のデータ取りも兼ねてだったから。」
「道理でフィットサイズな訳ね。
...でもそのわりに、走るには少し硬い感じがするわ。」
「仕様書の内容物リストに書いてあったでしょ?
それはライブとかファンミとか宣材写真で使う
...こっちの。」
内容物の図解リストのページを開いて差し出す。
「あ、本当だ。」
「興奮するのは結構だが...いや、仕方ないか。
...ん?」
ダンボールの中に残っていたもう一冊の冊子が目に止まり、それを開く。
「..........うわ、流石はアルダンさんだ。」
「どうしたの?」
「仕様書に別冊があったから覗いてみたんだ。
靴の設計仕様書だ。わざわざこれだけ別ってことは...ああやっぱり、印刷日が2日前だ。」
...ギリギリの修正な辺り、この前のレースを見て同じ結論に達して急いで作り直させたのだろうな。
中身をパラパラと斜め読みする。
...設計は逃げ寄り、それでいて基礎能力をよりバランスよく発揮しやすくしてある。
急いで、のわりに堅実に調整を重ねたであろう設計なのは、流石は目白家の技術部だ。
後でしっかり目を通すことにして、スカーレットに視線を戻す。
「...それで、それ着て走ってみたいか?」
「いいの!?」
食い気味の返事が帰ってくる。
「さっきアルダンさんにお礼の電話をしてたら、走ってみての調整も必要だろうから明日例の地下で走らないか、って。」《/font》
勝負服を着ての身体能力がウオッカやナガイヨルの陣営に漏れるのは避けたいし、ましてや報道陣が定期的にいて囲まれかねないから学内は避けたい。
そう考えれば実際こちらとしても都合がいい。
..........アルダンさんが凄くウキウキでこの話をしてこなければ、完璧だったのだが。
「行くわ!絶対行く!予定開けておきなさい!!」
スカーレットに肩を掴まれ揺すられる。
「了解。返事して時間を擦り合わせて連絡する。」
気が、重い。
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「..........で、これはどういうことでしょうか?」
トレーナーがアルダンさんを睨み付ける。
トレーナーが身にまとっているのは白と緑の燕尾服。頭にはわざわざ黒いウマ耳カチューシャがつけられている。
後ろで結んでいた黒い長髪をほどき、ウマ娘と言われれば信じてしまいそうですらある。
「ちょっと奮発して貴方用の衣装を作ってみました。
基本設計は私がドロワの時に着た衣装を元に、青葉の体に合わせつつ、レースを走るための設計に変更。本当に走るスカーレットさんの物には盛り込めないような、ついこの開発見された発光放熱素材等、未だ実験段階の最新技術まで取り込んであります。
...これは技術実証ついでの私の趣味なので、代金は請求しませんよ。」
着いて早々にトレーナーが使用人に連れ去られ、自分はアルダンさんに連れられ勝負服に着替えて戻ってきたらこれだ。
しばらく前に話題になった脳波で動くタイプらしく、トレーナーの頭の上でカチューシャのウマ耳は後ろに倒れ伏している。
対して、アルダンさんは上機嫌とばかりの満面の笑顔。
「当然です。されたらただの押し売りですよ。
しかも走らない人間にレース用衣服の押し売りとか何の嫌がらせだって話で。
...第一、何でぴったりサイズなんですか。採寸に応じた覚えはありませんが?」
トレーナーの目線がさらに鋭くなる。
「ええ、寝てる間に済ませるようお願いしておきました。後は
「ああ、通りで。...じゃないんですよ。」
「あ、心配されなくてもスカーレットさんにはやっておりませんよ。失礼ですし、その時のお薬が検査で引っ掛かったら問題ですもの。」
トレーナーが大きなため息を吐き、額をおさえる。
「..........頭痛くなってきた...。」
「まあ良いじゃないの、トレーナー。
似合ってるわよ。」
「半笑いで言うな、普通に傷つくぞ。」
嘘じゃないのに。
まあ、見てて面白いのも本当だけれど。
「実際、似合っておりますよ。眼福です。」
「そりゃどうも。
美的センスが悪くなられたようで。」
トレーナーが一際大きなため息をつく。
「...それじゃスカーレット、ウォーミングアップ始めててくれ。
僕は着替えてくる。」
踵を返したトレーナーの腕を、アルダンさんが素早く掴む。
トレーナーが振りほどこうと数度腕を振るが、強めに鷲掴んだその手は剥がれない。
「ダメですよ?帰るまではその服で居てください。」
アルダンさんの笑顔が、何故かひどく恐ろしいものに見えた。
「断れば?」
「貴方の誕生日の話や、その前の日の話など致しましょうか?」
トレーナーがついには片手で頭を抱える。
「...わかりましたよ。着てますから。
ほらスカーレット、ウォーミングアップから始めるぞ。」