「よっこいしょ!」
少し離れた所で、ウオッカのトレーナーが柵を乗り越えてウイニングサークルの方に歩いていくのが見える。
...まただ。またあの再加速。
アレを意識的に制御出来るようになったとしても、それだけでは彼女に勝ち続ける事など不可能だろう。
まして、スカーレットと比肩する彼女のことだ、同じ様にどこかで領域に至っても何らおかしくはない。
相変わらず、手強い相手だ。
...もっとも、今日わかったのはマイナスなことだけではない。
あのウオッカの息のあがり方、ゴール後にターフに大の字になったこと。限界ギリギリまで力を使い果たしたのだろう。
無論スカーレットの側も似たようなものだが、とりあえずは射程に入った。
走りの完成さえ間に合えば、桜花賞はスカーレットに分がある。
..........まあ、なによりも。
差し当たって最初の問題は。
2連敗を、スカーレットがどう捉えるかだ。
「どうだ...スカーレット...!俺の...勝ちだ...!」
ウオッカが腕を伸ばし、人差し指を立ててみせる。
「勝者なら勝者らしく、地べたに倒れてないで胸張ってなさいよ。」
「...正直見誤ってたぜ、お前の強さ。」
腕がこちらに向けられる。
引き上げろ、そういう意味らしい。
「なによ。人を持ち上げるなんてらしくない。
明日は雪かしら。」
引き上げると、ウオッカは体重をこちらに預けてくる。
「それでもまだまだ俺には勝てなかったけどな。
少し肩貸してくれ。」
「...アタシが善人で良かったわねー、アンタ今突き飛ばされても文句は言えなかったわよ。
華を持たすのは今日だけ、桜花賞ではこうは行かせないわ。絶対に。」
「おう、かかってこいよ。次もまた軽くちぎってやるぜ。」
人にもたれかかったままの癖に、よくもそんな強がりを。
「ふーん?立ってられない程出し尽くしておいて軽く、ねぇ?
これ以上アタシが強くなったらもう追い付けなさそうだけど?」
「バカ言え、そん時はお前より強くなるだけだっての。
それじゃ、勝者の俺はウイニングサークルに行かなきゃだからな。
優等生サマはウイニングライブまでに二着の振り付けでも覚えとけよ。
...肩、ありがとうな。」
珍しく素直なお礼を残し、ウオッカはウイニングサークルの方に歩いていく。
そのしばらく後ろをウオッカのトレーナーが歩いていく。
「あの、ウオッカのトレーナーさん。」
「お、スカーレットちゃん。君のトレーナーなら地下通路の方に行ってると思うぞ。」
「いえ、そうでは無くて、ウオッカの走りなんですが───」
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地下通路の先、ターフ側からこちらに歩いてくるスカーレットの姿が見える。
「...お疲れさま。」
「疲れたわ。まず控え室に戻りましょう。」
酷く無機質な声が響く。
下を向き、その表情は伺い知れない。
...検討はつくが。
「...そうだね。取材は避けていこう、裏道の方抜けていくよ。」
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後ろ手に鍵を閉める。
これでレース前みたいな邪魔は入らない。
「..........スカーレット。
ウイニングライブまでの時間的に、化粧の時間を引いても十分な時間がある。」
スーツのベストと上着をハンガーにかける。
「...ワイシャツ、汚れるわよ。」
「替えはあるよ。」
「そう。」
スカーレットはフラりとこちらに歩を進め、肩に顔を埋めてくる。
僅かに漏れるのは鳴き声と鼻をすする音。
その頭に手を伸ばし、撫でる。
「よく耐えた。」
気持ちは、痛いほど良く解る。
『一番』に執着するスカーレットなら、辛さは自分が過去に味わった物と比較にならないだろう。
..........スカーレットの素質は十分だった。
少し最後の加速は遅かったが、それでも勝ち目は十二分にあった。
ならなぜ負けたか。
考えるまでもない。
自分の力不足だ。
僕がスカーレットの素質を活かしきれなかったからだ。
僕のせいだ。
僕が、泣かせた。
人を泣かせる辛さは、いつになっても慣れるものじゃない。故意的でなければ尚更だ。
...それでもきっと、その日が来ればもっと辛い想いをしなければならない。自分も、スカーレットも。
覚悟だけ、決めておかなければ。
しばらく頭を撫でていると、顔を埋めたままスカーレットが声を出す。
「...ねえ。アタシも?」
唐突な疑問。何の話かが見えてこない。
「..........何がだ?」
「替えがあるの?」
替え......ワイシャツみたいに?
お互い目標のために利用し合う関係、
...やっぱり、二連続の敗戦はかなり心に来ているらしい。
きっと、姉さんなら嘘でも無いと断言するんだろうな。...でも。
「仮にあったとして、ここまで来て乗り換えると思うか?
手間とリスクに釣り合わない。」
解答が不満だったのか、頭を押し付ける力が強まって、壁まで数歩後退る。
「...バカね、そこは嘘でも『無い』って言うところよ。」
「噓か本当かわからない気休めよりは、幾分か良いだろ。」
少なくとも、あの頃の自分にはその方が良かった。
「...それで?居るの?アタシの替わり。」
「こっちは契約前から君一人に目標を固定してたんだよ。
使える時間を殆ど君との契約に向けて使ってた時点で判るだろう。」
...本音を言えば、万が一の予備として今年以降デビューの子には目を付けている子はいる。
とはいえ、それでは目的達成が一年以上遅れてしまう。あくまでもスカーレットとの契約を維持出来なくなった時の保険だ。
「...そうね。」
スカーレットは目の辺りを肩にグリグリと押し付け、顔を離す。
「..........落ち着いたわ。ありがとう。」
「ならよかった。」
スカーレットはステージ衣装の入ったバッグを手に取る。
シャワーに行こうと思える程度には回復したらしい。
その間にワイシャツは着替えてしまうか。
「トレーナー、明日学園に帰ったらすぐにトレーニングにしましょう。」
「スカーレット。レース後は「負荷が溜まってることはわかってる。
でも負荷の少ないトレーニングは、アンタの得意分野でしょう?メニューを組んでおいて頂戴。」
......。
「...納期半日以内、睡眠時間込みとかとんだブラック企業だな。
一応、やりはするけど。」
含んだ目線を向けると、スカーレットからジトっとした目線が返ってくる。
「何か言いたいことでもあるの?」
「明日の帰りにしよう。
少し頭を冷やしてからの方がいい。」