報告書周りの手続きを終え、スーツケースをトレーナー室に運び込む。
「遅かったじゃない。」
一足先に部屋に荷物を放り、ジャージに着替えてきたらしいスカーレットが欠伸をする。
「スカーレット、新幹線の中で仮眠取らなくて良かったのか?今から少し休んできても良いよ。」
スカーレットは呆れたような顔でこちらを見返す。
「だから、ホテルで十分寝れたから良いって言ってるじゃない。何度目よ。
それより、昨日のライブ前にアンタが言いかけていた事を聞きたいのだけど。」
欠伸もそうだが、顔もどこかいつもとは違く見える。化粧だろうか?
「ゆっくり寝れたようには見えないけどなぁ。 」
「しつこいわよ。」
不満げな目線に睨みを返す。
「...1つは、僕個人としての意見は、やっぱり君には今日は体を休めてもらいたい。
以前から言ってはいるんだけど、君の足は一般的なウマ娘の足より少し脆い...というよりか、恐らくは君の体の高すぎる能力に体自体が耐えられていない...今はまだ耐えてはいるけどもいつそのバランスが崩れるかわからない状態と言うべきか。
少し、不安はあるんだ。そのバランスを見誤ったウマ娘は過去に何人もいたから。」
まして、走りきったとはいえ昨日のレース中にそのバランスが崩れてしまった子が居たとなればその不安も膨らむ。
「ついでに気分転換でもしてくれるとありがたい。」
「...それはトレーナーとしての指示とかじゃないのね。
ならアタシはやるわよ。
で?1つは、ってことは他にもあるんでしょう?」
スカーレットは面倒そうに伸びをすると、強引に話を変える。
「...トレーニング後のクールダウンやアイシングは忘れないようにね。
それと、特に今日は指示以上のことはやらないように。こっちはトレーナーとしての命令。悪いけどこれだけは従ってもらうよ。」
強く目線を送ると、スカーレットは『はいはい』とでも言わんばかりに目を伏せる。
「もう1つ、レース直後のウオッカの様子を見るに、今のウオッカには今の君と戦えば余力は完全に残らない。それこそ立つことすらままならない程に。
だから、勝ち目は十分にあると思うんだ。
無論、向こうも次までの一ヶ月で少しでも鍛えてくるだろうけど、それでも。」
「...。それで?」
「長期的な事を考えると最後のあの加速をモノに出来れば一番良いんだけど、ああなる条件の割り出しの手間を考えると時間的にはこれはオークスから秋華賞の間にやった方が良い。
そうなると、僕達が今一番やるべきことはタイムを0.1秒でも縮める事。」
スカーレットは顎に手を当て少し考え事をし、口を開く。
「...走りを完成させるのは大前提で、その上でトレーニングの方針をスピード寄りに調整ね。」
「理解が早くて助かるよ。
今後しばらくは自主練もその方向性で。」
「...最後に、今日休む気はやっぱり無い?」
「そろそろくどいわよ。
わかるでしょ?」
不甲斐ない自分を叩き直したい、とはスカウト前のスカーレットの台詞だが、恐らくはその時と似たような心中なのだろう。
「..........だよねぇ。
...今日のトレーニングメニューはLANEにまとめておいたから、後で確認しておいて。
僕からは以上。スカーレットからは何かある?」
「...特には無いわ。」
反応的には何かある。それでも相談する事ではない、といったところか。
「..........そっか。
じゃあ解散。」
「じゃ、行ってくるわ。」
スカーレットは短く言い残し、さっさとドアの向こう側へ消える。
ドアのすりガラス越しに見えるスカーレットの背中を見送ってから、LANEのマックイーンとのチャットを立ち上げる。
『マックイーンさん、少々頼まれて頂きたいのですが。
トレーニングを上がった頃に、スカーレットの様子を見に行って頂けませんか?声は掛けなくて結構ですから。
私の指示通りにトレーニングをしていれば、ジムの一階に居るはずです。』
あくまでも保険だ。
トレーニングメニュー以上のことはやらないように指示はしたが、追い詰められた時何をしでかすかわからない所がある以上、確認は要る。
しばらくすると既読が付き、マックイーンからの返事が返ってくる。
『トレーニング後に少々用事がありますので、申し訳ありませんが他の方にお願いしていただきたいです。』
そうか、今日の試合は先発が彼だったか。
...いつか交渉材料として使うため、早めに現地入りして幾つか仕入れてきて良かった。早速出番だ。
『今現在私の手元に球場限定のユタカ選手のグッズ、それも未開封品があるのですが。』
送信直後に既読が着き、瞬時に返信が返ってくる。
『承りましたわ。』
『ありがとうございます。
後日信用できるルートでお届けします。』
返信してLANEを閉じる。
タイミングからしてレースに負けたことに関係する精神的な内容なのは明白。
...契約の時に、ある程度理解者としての信頼は得ていたと思っていたのだが。
それでも何も言われなかった辺り、まだ足りなかったらしい。
心理的な抵抗感を下げるには親交を深めた方が良い。
「...少し色々動くか。」
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「...つまりなんだ?桜花賞に出たらダービーには出られない、って事か?」
ウオッカが顎に手を当てながら返す。
「いや、不可能じゃないけど普通はしないって話だ。」
クラシックとティアラ、二つの路線を跨いで出走するということは、クラシック三冠もトリプルティアラも諦める事に他ならない。
例え跨いで出走して全てに勝利したとしても、その功績はどうしてもクラシック三冠やトリプルティアラより見劣りする以上、その選択を選ぶ理由がない。
「...ダービーを諦めるか、アイツとの勝負を諦めるか、って訳だ。
...なあ、こういうのはどうだ?
クラシックとティアラ、6つのレース全部に出るってのは?」
無茶苦茶な案が飛び出してくる。
「桜花賞と皐月賞、オークスとダービー、秋華賞と菊花賞。
全部間隔が一週間ずつしかないから、それだと勝つのが難しい上に怪我のリスクまで跳ね上がってくるよ。」
「どうすっかなぁ~これ。」
きっと、正解なんてものはない。
二つの道はどちらも偉大なもので、それぞれの道に乗っているものは大切なものだ。
選べるはずもない。
ウオッカは天井を見上げてしばらく黙り込んで、決意したようにこちらに向き直る。
「トレーナー、1つ思い付いたんだが聞いてくれねぇか?
やっぱ俺には選べねえや。
アイツと、早くGⅠの舞台でやりあいてぇ。
でも、母ちゃんみたいにダービーで勝ちてえ。
だから...桜花賞に出て、そんでダービーに出る。
それしかねえと思うんだ。」
名誉よりも今やりたいことを全力で、か。
担当が決めたのなら、背中を押すのがトレーナーの仕事だ。
「...わかった。次は桜花賞にしよう。
でも、そこから先はその後に。」
「そうだな...んな軽い話でも無いもんな。」
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「...少し、不味いかもしれません。
こちらがシンザン記念時点のナガイヨルさんとダイワスカーレットさんのタイムと上がり3ハロン、こっちがウオッカさんも含めたチューリップ賞の記録です。
ナガイヨルさん自身の走破タイムはわずかに縮んでこそいますが、ダイワスカーレットさんとウオッカさんのそれは、その比ではない程縮んでいます。」
トレーナーさんから差し出された資料に目を通す。
一位との着差は約1秒、上がり3ハロンのタイム差も一秒。
「...上がりのスパートの調子が原因で1秒タイムが延びているのは明白です。
スパートの調子さえ取り戻せれば、十二分に射程に収まるかと。」
「今の時点ではそうでしょう。
ですが、タイムを見る限りダイワスカーレットさんやウオッカさんは本格化の上り坂に居ると見えます。ですが、それは貴女も同じことです。
となれば尚更、前の試合の記録に勝つのは通過地点でなければ勝ちはありません。
それに、先日クラシック路線からティアラ路線に変更したことでタキオンさんの支援も打ち切られてしまったことがこの問題を更に悪化させています。
『並ぶ』ではなくて、確実に勝てなければだめです。」
「...仰る通りです。」
「まあ、それもこれもスパートの調子を調子を取り戻すのが先決ですので、まずはそれから始末していきましょう。
明日からのメニューに私との併走を組み込みます。
場所は──
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ティロン
通知音にパソコンのLANEアブリを立ち上げると、マックイーンからの連絡が届いている。
『確認しました。
スカーレットさんは確かにおりました。
お言葉ですが、もう少し休養を進言されてはいかがですか?
両目の下に隈がありました。』
ああ、なるほど。昼間感じた違和感はやはり化粧で、隈を隠すためのものだった訳だ。
それがトレーニングで汗だくになって化粧がにじんで露呈したと。
『心配はごもっともですが、既に手は打ちました。
数日中には効力を発揮しますのでご安心を。』
返信すると、数秒遅れて連絡がくる。
『そういえばお伝えしそびれていたことに気付きました。
先日、お婆様が本邸にご隠居なされました。
これにともない、正式にアルダンさんが当主及び各最高責任者の席を引き継がれました。
ご用事の際はお気をつけて。』
..........。