「戻ったよ。」
控え室でほどいた髪を鋤いていると、遅れてトレーナーが戻ってくる。
「お帰りなさい。どうだった?」
「概ね予想通り。
思ったより調子が乱れてる子もいたけど、展開に対する影響は少ない。」
「それじゃ、いつも通り最終ミーティングを始めましょう。」
化粧台の隅に置いていた手帳に手を伸ばすと、トレーナーに手で制される。
驚いてトレーナーの方を見ると、いつもの笑顔が無い。
「その前に一つ確認。真剣に。
脚、問題ない?」
「え?」
トレーナーの言葉に足首や膝をを曲げたり伸ばしたり回してみる。
...いつも通りだ。
「...特にはないけれど.......。
どうかしたの?」
トレーナーは天井を見上げて少し何か考えると、小さく息を吐く。
こちら向きに戻ってきた顔はいつもの顔だ。
「いや、それなら多分僕の気のせいだ。
少し僕も神経質になってるのかもしれない。」
「なら、いいけど。」
「ごめんね、変なことを言って。
さて、切り替えていつも通り最終ミーティングと行こう。」
トレーナーが小さく咳払いする。
「以前言った通りGⅠだから全員に気を付けるのが正しい選択。でもそうもいかない...っていうのが本来のところなんだけど。
恐ろしいことに君とウオッカのタイムや上がりに匹敵するウマ娘は非常に少ない。
届かない子を見るにしても、多くがジュベナイルフィリーズで崩れていたりローテーションから望み薄な子が多い。
見たところ警戒対象は多く見ても精々5人。
一人が2枠3番のカタマリボウガン。
タイムも上がりも突出したものが無いから警戒対象の中でも一番危険度は低いけど、曲がりなりにも1600を5戦してきて1位が2回の2位が2回、3位が1回の掲示板を外したことがないウマ娘だ。気を付けるには十分。
次が4枠7番のイクサキューヴ。
ジュベナイルフィリーズで5着。その際のタイムはチューリップ賞の時の君と0.1秒差だ。
作戦はレースによりまちまちだが、ジュベナイルの時の様子から見るに本命は差し或いは追込。
上がりのタイムは離れてはいる以上大丈夫だとは思うが、ナガイヨルのようなブラフを抱えてる可能性もあるから気をつけて。
次が…
..........そして、言わずもがなの
既に研究しつくしてるから割愛するぞ。」
トレーナーの顔に複雑なものが混じる。
「...どうかしたの?」
「なにが?」
「今、凄く嫌な顔をしてたから。」
トレーナーの目が一瞬見開かれ、それから一段と嫌そうな顔になる。
「...下らないことなんだ、すっごく。
気にしなくて良い。」
「何よ。そういわれると気になるじゃないの。」
「...んー。」
トレーナーは短く考え込んだ末、ようやくと口を開いた。
「...
青いローブデコルテタイプの。」
トレーナーからすれば破談になった元婚約者がウェディングドレスを着ている、なんならその上迫ってくる可能性がある状態だ。
「...ごめん。聞いたの後悔してるわ、今。」
「...いや、いい。
以前話はちゃんとしたからわかってくれてる筈だ。筈なんだ。
...筈なんだけどなぁ.......。」
トレーナーが天を仰ぎ、ため息と共に戻ってくる。
「..........さて、話題を変える、というか戻そうか。
今回は逃げウマ娘の数も多く、何より大外枠だからおそらく最初にハナはとれない。
だから先団の前寄り、3,4位の位置につけるつもりで。」
タブレットを叩き、展開予想をまとめた動画を呼び出す。
「3コーナーに入る辺りから加速開始。
直線が長い分、後方脚質は最後に確実伸びてくる。それがあの二人なら尚更。
だから逃げのこっちは早めのスパートを切って、後方に巻き返されないだけの猶予と速度を持つこと。
他の逃げウマ娘も同様の手段を取るだろうから、4コーナー通過でハナを取れなくても焦ることはない。自分のベースを維持しつつ落ちついていこう。
...ウオッカについては、どれだけの猶予を持たせても間違いなく追い付いてくる筈。
コースは前回と同じで大外から飛んでくると見ていいかな。
対処についても基本は同様。
練習通り、斜行範囲外から前を塞ぎ大きく外に出させて末脚を鈍らせる。
トップスピードはともかく、末脚の加速力は向こうの方が上だ。
スパートをかけながらでも十分潰せるし、そう何度もトップスピードまでの加速を繰り返せるものじゃない。
出しきらせれば、あとはこっちのものだ。
ツキヨナガイヨルは3枠6番の内より。
差しだと他の逃げの脱落に巻き込まれてバ群に沈む可能性が高いが、他ではそもそも勝負にならない可能性の方が高いから差しで来る筈。
そしてそうなれば、どう転んでも抜け出すのに手間取って君たちには届かない。
警戒はするけど、こちらから仕掛けることはないよ。」
「わかったわ。」
スカーレットはツインテールを纏めると、いつもつけているティアラを手に取る。
「最初のティアラを頂くのもアタシ。
一番を取るのもアタシ。
桜の女王の座を勝ち獲るのもアタシ。」
自分に言い聞かせるように彼女は呟くと、ゆっくり、覚悟を決めるように額にティアラを乗せる。
「...準備は出来たみたいだね。
それじゃ、行こうか。
We'll be─」
「「─"ST".」」
「...アーリヤヤクタエスト、ってやつかな。
どうなるかわからねぇ。けど─やるぜ、トレーナー。」
「桜花賞出走。ダービーに出るならあり得ない選択だ。
出走登録自体はしてある。
桜花賞に出るなら登録を取り消す他無いが、逆に今からでも桜花賞を回避するなら皐月賞に出て、優先権を持ってダービーに行ける。
「この扉が分水嶺、って訳だ。」
控え室の扉に手を掛けたまま、ウオッカが立ち止まる。
その手が、僅かに震えている。
「...怖いか?」
「バカ言えよ、GⅠも二度目だぜ?」
強がりだ。
それでも、その姿勢こそが彼女にふさわしい。
「良く言うよ、ジュベナイルフィリーズの時は震えてただろ?」
「もうあの時の俺とは違うんだよ。考え方からな。
玉砕覚悟なんて舐めたマネはしねぇ。
強気に突っ込んで、全力で勝ちに行く!
目指したもん全部、勝ち取ってやる!」
スッとその手から震えが引く。
「...その方が格好良いだろ?相棒。」
「そうだな、ウオッカ。」
ウオッカはドアノブに手をかけ直す。
「─行くぞ、スカーレット。
お前がどれ程のもんか、見せてみろ。
俺がどれ程のもんか、見せてやる!」
エンジンがかかる様に言葉に熱がこもりだし、次第に叫びへと成長していく。
そこには最早、先ほどまでの少女は居ない。
居るのは、その頭上にGⅠの冠を─それもレースレコードで─頂いた、まさしく女王。
「勝負だ──ダイワスカーレットォ!」
扉が、開かれた。
=========
「「あ。」」
地下通路でスカーレットの背中を見送り踵を返すと、青いウェディングドレスの少女と目が合う。
「...なんでしょうか、その目は。」
なんだ、と言われても。
「元許嫁がウェディングドレスを着ている姿を見る目ですが。」
それも、着ている当人に婚姻の予定などは無い元許嫁を。
「ご安心ください。強引に迫るような真似はいたしませんよ。
これは覚悟です。私の。」
「覚悟?」
「貴方になら詳しくお話ししたいところですが、語れば日が暮れてしまいます。
それとも、ここで引き留めて脱落させるおつもりと言うのなら、喜んでその手に乗って差し上げますが。」
貴方の担当が私に敵わないと言うのなら、と言わんばかりに少女は微笑む。
「結構。どうしても伝えたいというのなら、レース後にメールででもどうぞ。
もっとも、出来る精神状態で居られれば、ですが。」
彼女に怨みや憎しみや妬みなんかは大して無いが、それでも危険因子と長話はごめんだ。
それに、スカーレットの舞台にそんなくだらない手出しは不要。
「...後悔しますわよ?」
「そうですね。貴女が。」
「あらあら、随分な自信ですこと。
貴方の夢...義姉様の成績を越えるには逃がせませんものね。」
...余計なことを。辺りに誰もいなくてよかった。
いや、いないからこそこういうことを言うタイプか、彼女は。
「そう仰る貴女こそ随分と自信をもっておいでで。
それ程の自信でしたら、先月は大層よい成績を修められたのでしょうね。」
今日の対戦相手で、しかも先月は同じレースに出たのだから知らない訳もない。
大人げないかなと、少しだけ自嘲する。
「先月までの私と同じと思ったら、痛い目を見ますわよ?」
「それはこちらも同じことです。
...ですがまあ、そこまで言うのでしたら。」
小さく咳払いして、少女に視線を合わせる。
「楽しみにしているよ、君の勝利を。」
出来るものなら、とは敢えて言うまい。
「..........酷い人。」
少女はそれだけ口から絞り出すと、そっぽを向いて歩を進めだす。
精神状態は万全。この至近距離で見て、身体も特に気になるマイナス要素も無かった。
対するスカーレットは、私の考えすぎや見間違いで無ければ、右足に違和感を抱えている様子。
実力は少なくともウオッカとは均衡、他は僅かに上回っている筈だけれどその差が...
...やめよう。既に自分が手出しできる状況にない。
担当を疑うフェーズは終わりだ。後は、信じることしかできまい。
「...頼むぞ。」
=========
「薄雲が広がって参りました花曇りの阪神競馬場です。
さあ、やって参りましたトリプルティアラをかけた第一戦。
今年もまた、悲しみを重ねて第67回の桜花賞です。
桜の栄冠を手にし、女王の座に続く階段を駆け上がるのはどのウマ娘か。
実況は私信濃で、解説はジョージアさんでお送りいたします。よろしくお願いします。
さて本日はチューリップ賞で火花を散らしたウオッカとダイワスカーレットが、そしてツキヨナガイヨルやイクサキューヴや…と、そうそたる面子がここにいます。
他にも事故を乗り越え、片眼と引き換えに8ヶ月越しに戦線に舞い戻ってきましたニキトチャールズまでもが出走しています。
さてジョージアさん、この有力ウマ娘の群雄割拠の中、ウオッカがちょっと抜けた感じの人気になってますね。」
「ジュベナイルフィリーズからこちらまで1600mのローテーションで、1分33秒台の安定したタイムで全勝していますからね。最有力といってもおかしくはない存在だと思いますね。
とは言え今年の芝の有力馬の大半がこの舞台に集っております。
さらに二番人気の…や三番人気のダイワスカーレットも過去ウオッカに先着を許しているとは言え着差もありませんから。
やはり、やってみなければわかりませんね。皆が皆、虎視眈々としているとおもいます。」
「...花曇りの空にファンファーレが溶け込んでいきます。第67回の桜花賞です。
場内760本の桜、現在は7分咲きと言ったところでしょうか。
果たして勝ち時計はどうなるか。」
「...今15番の子がカメラにアピールしていきましたね。
さて。07世代ウマ娘戦線を彩る主役が入り乱れる今年初の大舞台です。
いやぁ、このレースは見ものですね。」
「そうですね。
...ゲートインはあと一人、大外18番ダイワスカーレット。
大きく息を吸って軽く勢いをつけてゲートに飛び込んで行きました。
さあ67回の桜花賞、今年の桜花賞。
花に酔うもよし、ウマ娘に酔うもよし。
いざ──スタートォ!」