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「ワァアアアアアアーーーーッ!!」
ターフを揺るがすような歓声に、思考を埋め尽くされる。
その中に自分の名前が紛れていることに気づけたのは、それだけ自分の名前を叫ぶ者が多かったからか。
一つ一つ文字に起こすことなど到底出来ないような、無秩序な感情の発露が、一つの音の塊となりレース場を沈める。
「あああああああっ、ダッセぇぇぇっ!!」
その塊を切り裂くように、ウオッカの叫びが届く。
視線の先には、掲示板。
一番、上。
そっか、アタシ、勝ったんだ。
胸の内に沸き上がる熱を噛み締める。
「...おめでとな。
認めるぜ、今日のところは完敗だ。」
こちらに歩いてきたウオッカに声をかけられる。
「珍しいじゃない、アンタが素直に敗けを認めるなんて。」
「...なんつうかさ、負けたのに、妙にスッキリしちまってんだ。訳わかんねえことにさ。
ま、そんなことは置いといて。
...お祝いに、良いこと教えてやるよ。」
「なによ。」
耳打ちをしようとするようなウオッカの動きに、身を近づけると。
「ほらよっと、」
ウオッカの小さな掛け声と共に、いきなり突き飛ばされる。
ウオッカと歓声の音圧に押し倒される様に、大の字でターフに倒れる。
「──ちょっと!?なに...すん......の、よ。」
視界を埋め尽くす空。聴覚を埋め尽くす歓声。
一面覆い尽くすような青灰色の隙間から覗く、深く清んだ遥か彼方の深青色。
言葉の呈を成さないほどに入り交じる思い思いの叫びから覗く、自分への歓声。
ああ、そうか。これが。
私の求めていたもの。
「一番...。」
一番の景色。
「良いだろ。
今日は生憎薄曇りだが、快晴ならもっとすげえんだぜ?」
ああ、それはきっと。
きっと、何よりも素敵なんだろう。
「...凄いだろ、GⅠ勝利の景色は。
でもな、残念ながらお前がそれを見る機会はもう来ねぇ。
次は俺が勝つからな。」
「あら、それはそれは次も楽しみね。
樫の舞台で、アンタをまたボコボコにしてやるんだから。」
「おう!ぜってー逃げんなよ!
あばよ、ライバル!」
ウオッカは踵を返し、後ろ手を振って地下通路の入り口へ歩いていく。
「なによ、格好つけちゃって。」
ウィナーズサークルに向かうべく身を起こす。
.........。
でも、まあ。
「...ライバル、か。」
ウイナーズサークルの中で、スカーレットが四方八方へ手を振っている。
その両腕にはトロフィーが、両肩にはレイが載っている。
花咲くような笑顔に胸の奥がチクりと痛み、慌てて視線を反らす。
...とりあえず──自分の手ではないとは言え、まず桜の冠は手中に収めた。
次は樫、ウオッカが以前の取材通りダービーに出るとするなら、次に脅威となりうるのは...とか考えるのは祝いの場においては不粋か。
今は、勝利の美酒に酔うのが勝者の特権だ。
とはいえ、ウィナーズサークルでのアピールあるいはスピーチ、ウイニングライブや合間合間の取材といった勝者の責務を果たすことも必要ではある。
...そしてそれらの一部はトレーナーの肩にもかかるわけだが、それは自分には都合が悪い。
既に知ってる姉さんなんかはともかく、目的を果たす前にそれ以外の親戚に見つかることは避けたい。
「さてと。」
観客席にごった返す人の群れを抜け、建物の廊下に出る。このタイミングなら人はそう居ないから好都合。
後ろに結んでいる髪をほどき、肺の息を吐き出す。
スカーレット相手ならともかく、見ず知らずの他人に対して、『自分にどことなく似た誰か』に成り済ますならこの程度で十分だ。
わざと回避したのではなく、堂々と通路を移動していたのに、偶然、たまたま、奇跡的にマスコミもスタッフも誰も気づかなかった。
ただそれだけの話。始末書を書くことにもなるまい。
...さて、問題は、だ。
最後のスカーレットの仕掛け。二度目の
以前の話からゾーンとおぼしきものに入った以上、本人からしたら半ば無意識に使ったものだろうけど、やってること自体は
力をかける足を左右交互にすることで負荷を分散する元技と違い、二回だけかつ力をかけるタイミングの時間差が大きかったとはいえ片足だけで放ったことから、右足だけに力がかかりすぎていた筈。
まして、壊れたそばから薬によってダメージを回復しているドレトノートと違い、スカーレットの負荷はそのままだ。
様子から見て今の時点で問題は出ていないだろうけど、一応ウィニングライブ後に検査してもらおう。かかりつけに予約の連絡を入れておかねば。
あと、今後あれを使わないように厳重注意も必要かな。
...もし、万が一の事があれば、その時は。
いや、よそう。
関係者用通路のロックに、職員証をかざした。
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「お疲れ様でした。」
トレーナーの声が聞こえると同時、唐突に抱き締められる。
我に返ると、いつの間にか控え室まで戻ってきてしまっていたらしい。
「西野、トレーナー。
...不甲斐ない私で、申し訳ありません。
まずはウイニングライブの振り付けの確認を...。」
トレーナーの腕が、私のそれより低い肩に顔を引き寄せる。
剥がれないようにしっかり貼り付けた筈の自分が剥がれてしまう予感に、理性が警鐘を鳴らす。
「良いんですよ。
誰も見ていません。誰も聞いていません。誰にも言いません。
包み隠さなくて、良いんですよ?」
こみあげた雫が、頬を伝い肩に落ちる。
「辛ければ泣いて良いんです。苦しければ叫んで良いんです。
吐き出してしまいましょう。」
「私は...っ」
控え室まで戻ってきたウオッカが、椅子に身を投げる。
「お疲れさま、ウオッカ。」
その体に保冷剤を張り付けていく。
しばらく言葉にならない声...いや、音を発していたウオッカだったが、やがて明確に声をあげる。
「わりい、トレーナー。勝てなくて。」
「仕方ないでしょ、俺もあの最後の加速は予想外だったしねぇ。
まさかあんな切り札をまだ隠し持ってたなんて。」
実際そうだ。少なくとも偵察して得た情報では、あの技の存在は知れなかった。
「だな。一番にこだわるアイツが前回使わなかった以上、この一ヶ月の間に覚えたものを土壇場で使って来たんだろうが、それにしては練習の時アイツはあれの特訓なんてしてなかったとおもうんだけどなぁ。」
「加速後の体制の不安定さから、今はそうとしか見れないかな。付け焼き刃かぶっつけ本番の仕込みではある筈。
さて。
で、どうする?」
「決まってんだろ。
敵の必殺技にはもっと強えぇ必殺技をぶつけてぶち破るのがお約束ってもんだ。」
「あの切り札じゃなくて、ダービーの話。
君の夢と、ダイワスカーレットとの再戦。どっちを選ぶか。」
「──あっ!」
頭から抜け落ちるのも無理はない。
それだけ当人たちからすれば白熱した勝負だったはずだから。
「...トレーナー、俺、どうすれば良いんだろうな。
アイツにリベンジしたい、ってのもあるけど、それ以上に、アイツとまた走りてぇ。それだけのものをアイツは見せてくれたから。
けど。ダービーは俺の夢だ。ずっと昔から。」
どちらを選んでも、等しく後悔は残る。
そして、今日と違い、今度こそは両方を選ぶことは出来ない。
「...少し、考えさせてくれ。
いや、一緒に考えてくれねぇか?」
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「あーっ、つっかれたー!」
控え室の扉が閉じるが早いか、スカーレットが溶けるように椅子に沈みこむ。
「お疲れ様、スカーレット。」
「アンタねぇ!何で写真撮影の時しか姿現さないのよ!終わったらまた居なくなるし!
お陰でアタシばっかり取材に追い回されて大変だったのよ?!」
「ちょっと野暮用。」
本当は写真撮影こそ一番避けたい事だけど、そうすると理事長補佐が飛んでくる。
そして最悪減給だ。
「そんなことよりも、まず足の方違和感とかあったりしない?」
「すぐそうやって話反らすんだから、まったく...。」
スカーレットはため息をついて、足首をぐるぐると回す。
「..........特には無いわね。出走前も言ってたけど、なにか気になることでもあるの?」
「出走前とは別件、あれは多分神経質になってただけ。あるいは嫌な予感か。
今のは、最後の加速の件についてが主。」
タブレットでウマチューブを起動すると、やはりというかもう先程のレース映像が上がっている。
「ここの部分なんだけど。」
「うわ、なにこの加速。本当に私?加工とかされてない?」
当該部分を見せると、スカーレットが露骨に引く。
「僕が見たまんまだよ。」
「覚えてないわ。
...これ、危ないわね。」
「気づいた?」
「アンタの心配も納得だわ。
ただ、走った前後は特に何も無かったわね。
有ったとしても多分アドレナリンが出てて、気づかない内に痛みが引いたとかかしら。」
痛みが引いているならまだ良い。致命的な状態ではない可能性の方が高い。
「なら良いんだ。一応ウイニングライブ後に検査だけしておこう。
あと一応言っておくと、
「当たり前よ。 」
「なら良いんだ。さて。」
スカーレットに背を向け、鞄の中身を漁りながら頭を回す。
...とはいえ、これまでの様子から見てスカーレットのゾーンは言ってみれば無我型とか忘我型とかそんな感じの、その瞬間で取れる選択肢で求める目標に近いものに反射的に突撃していくタイプと見える。
制御できない現状のままなら、今回のように無意識に二回目を使ってそのままというのも全然ありうる。まして、今回の件で二回目が意識的にも無意識的にも選択肢に入りうるからリスクはマシマシだ。
これまでのままならゾーンを放置していてもまだ良かったが、これ以上は危うい。
樫に出てからの休養期間にそこを改善...いや、樫で最悪の場合が起きたらどうする?...でも、樫の舞台は。
...後で考えよう。これは自分の一存決めるような事ではない。
それよりも今は。
鞄の奥から長方形の小包─特注の万年筆を取りだし、差し出す。
「桜花賞制覇おめでとう、スカーレット。」
「ありがとう。
そういうアンタこそ、これで重賞トレーナー...それもGⅠトレーナーね。おめでとう。
お返しが無くて悪いのだけれど。」
「...既に身に余る光栄だよ。君が勝っただけで僕は十二分に満足だ。
殆ど君のお陰だしね。」
そうだ。満足だ。それだけでも。
「よく言うわよ、アンタの考えたトレーニングメニューが基礎を成している事は当然として、アンタのお陰で出会えた人も居るし、その人から学べた技術もあるし。
これで自分のお陰じゃないなんて言ったら、真実の口に噛まれるどころか一飲みにされるわよ、アンタ。」
「...君がそこまで言うなら、そういうものとして受け止めておくよ。」
謙遜でも何でもない事実だ。
今日の勝利なんて特に、あの再加速を咄嗟に出してなければ負けていた。何度も似たような事はあったから、なおのこと自分の実力の程度が伺える。
結局のところ......
...なんて、そんな冷静な分析は今はお呼びじゃないか。
そもそも、その為に組んだのだし。
「アンタが担当で良かったわ。」
差し出された手を握る。
「こちらこそ。」
今はただ、自分も勝利に酔っていよう。