十和田は展望台の柵に足をかけて股関節を伸ばす。
眼下に広がるは府中の町並み。
夜風が体に涼しい。軽く体を動かしながら考え事をするなら丁度いい気温だ。
「..........どうするかな。」
ダイワスカーレットに契約を断られたというだけ、なら予想通りでいい方だ。
彼女のトレーナーがまだ決まっていない分、状況はより厄介になったと言えよう。
彼女が決心するまで交渉するチャンスは増える一方、決定が遅くなるほど他の選択肢も狭まる。
いよいよ今年は契約なしで見送ることが現実的になってきた。
その時は他のトレーナーの補助に回る羽目になるか。
彼は一つため息を漏らすと柵に肘をつき、眼下の風景─その先のトレセン学園─を眺める。
ふと、ターフで走っているウマ娘にその目が止まる。
顔は見えないがあの走り方は...多分ツキヨナガイヨルか。
彼女も不幸なことだ。ダイワスカーレットやウオッカがいなければ彼女が注目の的だっただろうに。
観察していると、彼女が黒い人影─おそらくはスーツの女性─に近づく。
あの青髪の人は...元トレセン学園卒のトレーナーか。研修の時話題になっていたのを覚えている。
...噂が正しければ才能差を技術で埋めるのが得意分野だったか。
確か、本名は西野──
十和田の右足に巻き付けられていた[[rb:それ > ・・]]が無意識に蠢く。
彼がとっさに思考を打ち消し耳を澄ますと、近づいてくる足音が聞こえてくる。
...距離があっても足音が聞こえてる時点で、少なくとも姉さんの側の人間では無さそうだが、一応警戒しておくに越したことはないだろう。
近づいてくる足音に顔を向けると、何度も見た影がこちらに近づいてきている。
ダイワスカーレットだ。
彼女は東屋手前で足を止めると、テーブルに置かれたボトルをあおる。
テーブルにボトルを戻した彼女と目が合う。
「貴方は選抜レースの時の...」
既に私服に着替えているのにわかる辺り、覚えていてもらえたらしい。あれだけ人数がいたのに覚えてもらえているなら好印象な方か。
軽い会釈で返す。
「こんなところまで出向いて頂いて恐縮ですが、私は...「ああ、別にスカウトしに来たわけではありませんのでお気になさらず。
こんな時間に、というのは失礼になりますし。」
断りの言葉を並べようとする彼女に首を振る。
「...ごめんなさい、早とちりしてしまって。」
ダイワスカーレットは軽く頭を下げる。
「いえいえ、あの選抜レースの結果では契約を求めるトレーナーに追いかけ回されていたでしょうから。そう思ってしまってもしかたないことです。」
彼女はフォローに軽く礼を言い、汗を拭い始めた。
さて、せっかくの機会だ。今のうちに契約の為に色々と聞いておこうか。
「...と、そういえばですが、選抜レースでのスカウトを全て断ったとお聞きしました。
踏み込んだ質問で申し訳ないのですが、理由を教えていただくことは可能でしょうか。
もし他人に言うのは憚られる様な内容でしたら、あるいは単に答えるのが面倒であれば、聞かなかったことにしていただければ幸いです。」
「...今は、そんなことを考える以前の段階なんです。
不甲斐ない自分を叩き直すのに忙しいので。」
不甲斐ない、か。
あの子と同じ、あくまでも『一番』が大事なのだというタイプなのだろう。
それがGⅠにしろ、選抜レースにしろ。
...ずっと、気になっていたことがある。
同じ『一番』を大事にする彼女ならば、その答えを知っていようか。
「少しお聞かせ頂きたいことが。
内容が内容ですので、黙殺していただいても構いません。
一着でなかった事をそれほどまでに重く考える理由、お聞かせ頂いてもよいですか?
世界一を決める競争や重賞等、人生で一度あるかないかの舞台で一着を取れずに、ならわかるのです。
ですが選抜レースで、人生に幾度となくあるような舞台でそこまで重く考えている、というのは私にはよくわからなくて。」
ダイワスカーレットは一瞬固まると、言葉を選ぶように言い淀み、小さく言葉を連ねる。
「...自分にとって、一着かそうでないかは非常に大きな違いなんです。
一着は何度も語られる。称賛だってる。
でも二着はすぐに忘れられてしまいます。
それに、かけられる言葉も称賛よりも同情の声ばかり。
...一着と二着には、天と地ほどの差があります。
実際の距離が、例えどれほど近かったとしても。
だから、私は一着を求めるんです。」
本音は[[rb:それ > 認められたい]]か。
「...なるほど。」
きっと、彼女は僕と似ている。
「...なるほど。」
目の前の若いトレーナーは少し悲しげな笑みを浮かべる。
..........余計なところまで見透かされているみたいで、あの人にそっくりで嫌な感じだ。
「...一つだけ、トレーナー側の視点からものを言わせて頂きます。
貴女は別に不甲斐なくなどありません。
むしろ立派な実力をもっておられます。
貴女をスカウトせんとするトレーナーの数こそその証左。」
不甲斐なくない?
私が?
私の何を知ってそんなことを言う?
目の前の相手が、昔のトレーナーと重なる。
脳内で、ぐるぐるとあの人の言葉が残響する。
うるさい
うるさいうるさい
───うるさい! 結局、わかってないくせに! アタシのことなんて何も知らないくせに! アタシは──っ!」
声に出ていたことに気づき、慌てて口を塞ぐ。
目の前のトレーナーさんは酷く驚いたような表情を浮かべ...それから、傷ついたような弱々しい笑みを浮かべる。
酷いことを言ってしまった。
気まずい時間が流れる。
居たたまれなくなったのか、ダイワスカーレットは小さく言葉を吐き捨てる。
「...すみません、あなたに言った訳じゃないんです。
ですから、気にしないでください。
失礼します。」
ダイワスカーレットは一礼すると、逃げるように走り去っていった。
その背中を見送って、展望台の柵に両肘をつく。
「..........。」
やはり、彼女と自分は似ているのだろう。
しかも──。
彼女は僕に誰かを重ねた。
彼女の物言いを聞くに、彼女に近しい人物であろう誰かと。
ろくでもない言い方をすれば、つけ込む隙はあるというわけだ。
自分としては好都合だ。
..........それにしても。
「何も知らない、か。」