十和田は早めの昼食からトレーナー室へ戻る道中、階段の踊場でダイワスカーレットを複数人のトレーナーが囲っているのを見つけて、足を止めた。
昼休み開始の鐘も鳴ったばかりだというのに、気の毒なことだ。
様子を伺っていると、彼らは互いに牽制するように数秒見合い...やがて彼らの序列が決まったのか、一人が口を開いた。
「選抜レースは惜しい結果だったが...
君にも、GⅠを狙う器があるよ!」
「...『にも』?」
ダイワスカーレットの返しに、一人目のトレーナーは言葉を詰まらせる。
すかさず二人目が口を開く。
「僕にはプランがあるんだ!
最初からあんなに飛ばさず、脚を溜めよう。
そうしたら、ウオッカのように勝つことも──」
「『のように』......ですか?」
「貴女の脚でも──」
前のトレーナーの言葉が詰まるが早いか、次から次へとトレーナー達が口を開き、ダイワスカーレットの返しに言葉を詰まらせていく。
終いには取り囲んでいたトレーナー陣に沈黙が走る。
数秒の後、一人、また一人とトレーナーが逃げるように立ち去っていく。
あっという間に、その場に自分と彼女の二人が残される。
当然、彼女の視線はこちらに向けられる。
予定外だけど、まあ丁度良いか。
「...どうも、お話するのは二日ぶりですね。」
「本日は...いいや、アンタはどんな売り文句を持ってきたの?」
彼女の言葉遣いが敬語からぶっきらぼうな口調に変わる。
なるほど、こっちが素か。
取り繕うのをやめたのは、一度本心の叫びを聞かれたからだろう。
「お気になさらず。
今日はまだスカウトしに来たわけではないので。」
したところで、今の自分では先程のトレーナー達の仲間入りだろう。
こちらが引き下がったのがつまらないのか、彼女は口先を少し尖らせる。
「...呑気なのは良いことでしょうけど、早くしないと他の人と契約を結ぶかもしれないわよ?
それとも、アンタがもう他の子と契約したとか?」
それが出来るなら気が楽なのだが。
「いえ、しばらくはスカウトではなく観察に重点を置いてみることにしました。」
あの子は、自分の走りをわかってくれる人に見てもらいたがっていた。
あの言葉を考えれば、ダイワスカーレットも似たような思いはあるはず。
「…っ!」
ダイワスカーレットの目が僅かに見開かれ、すぐにこちらを睨むように細められる。
「あ、当てつけの類いではありませんよ?
私自身、あの様な事を言われるのは三度とごめんなだけなのです。」
よりにもよって同じ言葉ならなおさらだ。
「...さて、そういう訳で、現在のトレーニングメニューを教えていただきたいのですが可能でしょうか?」
「観察するんでしょ?
見てればいいじゃないの。」
ダイワスカーレットが首を捻る。
「いえ、ここ一週間と少し...今日の朝練までを見ていたところ、メニューに多数の相違点が見受けられました。
最初は基本メニューと曜日毎のメニューの組み合わせだと考えていましたが、どうやらそうではなさそうです。
こうなると観察記録から推察するよりも直接伺った方が正確であると判断いたしました。」
ダイワスカーレットは目を丸くする。
「いつから見てたのよ。一週間と少しって選抜レースより前じゃない。
...え?本当に?」
「ええ。選抜レースの2日前、ウオッカさんとの並走を見た時から気に留めておりました。」
ダイワスカーレットの表情に小さく恐怖の色が混じる。
「アンタ、四六時中付きまとってるわけ?」
「いえ、トレーニングの間だけです。
ですから夜間のトレーニングは選抜レースの日に偶然お会いしなければ気づかなかったでしょうね。」
「...偶然、なのよね?本当に。」
流石にそこを疑われるとは思わなかった。
「練習中でもない中学生をつけ回すほど、人の道を踏み外してはいませんよ。」
「練習中だけでも大概よ。気づかなかったのが怖くなるくらい。
...まあいいわ。これ。」
彼女はひどく大きなため息をついて、少女趣味な装飾が施された手帳を差し出してくる。
ずいぶんあっさりと見せるものだ。
無用心と捉えるべきか、とりあえずは信用されていると捉えるべきか。
......今はいい、一旦置いておこう。
「...失礼します。」
手に取り開くと、すぐにトレーニングの内容を示したタイムテーブルが書かれている。
...残念ながらあの子のメニューとは別物だ。
よく練られている。
新入生が自分で持ち込む物としては十二分の物だ。
方向性も内容も、彼女の実力に適している。
負荷の相対的評価指標の数値付きだ。元々優秀な指導者がいると見るだけでもよくわかる。
この様子だと...数値の基準は3ハロン走か。慣れた単位だ。計算しやすくて助かる。
...ただ、選抜レースより後のトレーニング量とは明らかに一致していない。
「...残りは後のページに?」
ダイワスカーレットが頷く。
手帳のページをめくっていくと、しばらく白いページが続いていた。
そしてしばらくの後、注釈が大量に付いたトレーニングメニューの計画案がいくつも姿を表す。
優秀な指導者がいるのは前提で、その上彼女自身も最低限トレーニングメニューを組めるだけの勉強をしているようだ。
成程、これでは並大抵のトレーナーで妥協はできないだろう。
さらに十数ページめくった後に、何度も書き直された追加メニューが記されている。
確かに伸ばしたい能力に合わせたトレーニングメニューこそ組まれているが、この回数となると継続してやるには負荷を無視するわけにはいかないだろう。
ああ、やっぱり負荷の指標もこの数値だとかなり危険な値だ。
まして、先程のメニューに追加してこれとなると、どれだけ足が頑丈であろうと──
「─じきに折れるぞ、これ。」
「わかってるわよ、そんなの。
それでも、アタシはこうするしかないの。」
口をついた言葉に、ダイワスカーレットが真剣な眼差しを向けてくる。
当然といえば当然か。これだけメニューの取捨選択がしっかりしていて、その事が解っていない筈がない。
それでも引けないのは、やはり誰かに誉めてほしい、認めてほしい一心か。
「...そうですか。
しかしながら、ご存知の事と存じますが、過度なトレーニングはその効率を下げ、怪我の可能性を大きく高める行為であるということ、お忘れなきように。」
言いつつ、ノートを彼女に返す。
「大きなお世話よ。
知りたいことはわかったでしょう?
......で、アタシの方からも聞かせてもらって良いかしら。」
問い返されるとは意外だ。だいぶ興味はもってもらえたらしい。
「どうぞ。」
「...話を聞いてる感じ、初めて見た時点でアタシ一人に目標を定めてるんでしょ?
そこの理由だけ、聞かせてくれないかしら。」
スカーレットから顔を反らして、深いため息をつく。
...仕方ない。
さわりだけでも、話しておくか。
「...貴女に退けない理由があるように、私にも退きたくない理由があるのです。」
ダイワスカーレットと意識的に目を合わせる。視線を反らさず、一直線に。
「貴女のその才能は目を見張るものがあります。
貴女ならば、私の夢にさえ打ち勝っていただける。
貴女ならば、私の望みを果たしてくれる。
私は貴女をそれほどまでに高く評価しているのです。」
「...なら、別にウオッカの方でも良かったじゃない。選抜レースでもアイツが勝ったんだし、丁度良いと思うけど。」
「私は貴女に可能性を見た...と言っても納得出来ませんよね。
...そうですね、納得出来そうな理由を探すのであれば......私の得意とする分野は前方脚質です。彼女と組んでも彼女の能力を十全には発揮させられないでしょう。
それでは、きっと私の夢には打ち勝てない。」
「...そう。変な奴ね、アンタ。」
ダイワスカーレットはあきれたようにため息をつくと、手帳をポケットに納める。
「また会いましょ、変なトレーナーさん。」
彼女はこちらに手を振って、階段を下っていく。
...とりあえず、可能性はまだあるようだ。
それに。
あの手帳の内容は概ね覚えた。
顔はもう覚えられている。距離もある程度は接近できている。印象もさほど悪くはなさそうだ。
となれば、あとやるべきことは内容を改良して彼女に自分の有用性を示す事だろう。
まず手につけられるのはオーバーワークの改善。
最低限の負荷でできる限りの効率を求めるトレーニング方式は自分の得意とするところだ。
...さて。やりますか。
十和田は小さく息を吸い、階段を上っていった。