零に溺れて
何も、感じなくなった。
それから、どれだけ経っただろう
暗く、弾かれた光の輪が遺るこの場所に来てからどれほどの時が過ぎたのだろう。
最初は聞こえていた声、誰のものだっただろう。
わたしはあの洞に落ちてきた。
この孔に落ちていた。
歩いてきた道が見えなくなったのはいつだろう。
脚の感覚を思い出せなくなる、手を伸ばしても何も掴めない。
違う、足とはなんだったのだろう。
手とは、なんだったのだろう。
静かだ。
何も感じない。
あの、静寂の後にあったはずの静寂すら、感じることはない
聞えていたはずの、自身の拍動すらも
聞く。とはなんだろう
見る、とはなんだろう
ただ、薄くなっていくのを感じる
何がかはわからない、ただ、消えていくのを感じるのだ
感じるとは……それは、なんだったのだろう
「────」
女
それが立っていた。
刀を携えている
「────か」
口が開いている、私には、もう聞えない
「
すまない、私には届かない
私には、導けない
わたしを導くことは、もうできない。
「……」
彼女は口を閉ざした。
代わりに、目が開かれる。
鞘、光が差す
その色がわからない、私には、何も……
「人として、貴方を終わらせよう」
強い声だ、人のそれを聴いたのはいつぶりだろうか
ようやく、この長い放浪の後に。
私は消えることができる。
死ぬことができる
……おかしい
死ぬのならば、生きていなければならない
いつ、私は可死となった?
「せめて、最後の言葉を……」
何も見えない、ただ、天を仰ぎ見る
無いはずの喉から、声が
「ぁ……あぁ……」
「宙が、蒼い」
たった一つの色が、そこに在った
//
「演算子にエラー……?」
「IXからの無作為な投射です、継続しましょう」
『お待ちください、あの影から通常のそれとは違う人格が検出されています。提案:対象の"非"存在を具象化』
「もう……! 実験中止、サルベージするわよ」
「よろしいのですか? あれはもう命ではありません」
「正気? 人を人たらしめているのは、器じゃなくて心だよ」
『対象は人間の形をとどめています』
「影法師一つに実験を止められるのは不本意だけど、仕方ない」
『作業はこちらで進めてあります、問題は処遇ですが』
「こっちで受け取るわ、ステーションの隔離区画なら影響は少ない」
『わかりました』
『──────自滅者、仮称"9号"をステーション・ヘルタへ移送します』
//
「それで、また一人研究対象が増えたってワケ、予算の増加も仕方がないでしょ?」
ヘルタは人形を介して、明るい髪色の少女に説明した。
「はぁ……その人は労働力と考えていいわけですか? ミス・ヘルタ」
少女、アスターはしかめっ面をしながらコフィンに眠る男を見ていた。
「それはまだ不明かな」
ヘルタは、男の心臓に取り付けられた機械を眺める
「珍しいですね、貴方にわからないことがあるだなんて」
「わからないことを探しているのが私、知っているでしょう?」
嫌味っぽく返すアスターに、ヘルタは嬉しそうに語る。
「それで、"彼"が新しい不可知ですか?」
「……とにかく、其の中に足を踏み入れて戻ってきた……意志を持って。それはまだ研究しがいのある事柄だと思わない?」
追撃から逃れるために、ヘルタは男に話を戻した。
液体で満たされたガラスの棺、その中に浮いている、金の髪を持つ男を。
「意思……今の姿では想像できませんが」
「
「こっち側?」
アスターが問いかける。ヘルタは、珍しくどこかを見つめて、答えることにした。
「……もし、自らを灰にするほどの虚無感を味わったのなら……そのまま消え去ったほうが楽かもしれないよ?」
「そういうものですか」
「とにかく。これを人として保存すること、お願いね」
「わかりました……。それと、以前から計画している模擬宇宙の……」
アスターが手元を操作してデータパッドを押し付けようと──
「オート返信モード起動中、こんにちはこんにちは、私はヘルタ。自動で──」
「うわ……もう、アーラン? 彼を新しい部屋に収容して」
「はい、お嬢様」
//
「……どこだ、ここは」
「誰だ、私は」
「……どうして」
「感じている?」