A.貴方にとって差異はあってないようなものです、『今その瞬間』だけが貴方のリアルです。
────俺の思い違いでなければ、キリトはきっとクラインに対して何も出来なかった事を悔いているのだろう。
いや、後悔の念が全く湧かない方がどちらと言えば可笑しいのだ。彼は本来『剣士キリト』などではなく、ただの一般家庭のゲーマー『桐ケ谷和人』なのだから。どうして仲良くなれた友人────或いはなれそうだった相手をデスゲームの蟲毒に一人置いていくことに胸を痛めない筈がない。
「待たせたな、オウル。お前の分のポーションだ」
「あぁ、ありがとう。クエストはもう受注したよ、ネペントの胚珠はクエスト中なら《花付き》さえ倒せば、複数個落ちるのはベータ時代に確認済みだ」
クエストを受注するのにはNPCの割と長い話を聞かなくてはならない、なので役割分担としてキリトには俺の使わない素材と雀の涙程のコルを渡して買い物に出てってもらっていた。渡されたポーションはメニューウインドウのストレージに半分、もう半分はポーチに入れておく。
「二人掛かりでネペントを倒していって胚珠を二個ゲット。そしてクエストを受けると同時にクリアって事だな」
「そういう事…………パーティーは組むか? 俺が持ち逃げする可能性や、経験値が等分されるデメリットもあるが」
《スモールソード》の消耗度を確認して、買ったばかりの皮のジャケットの着心地を肩を回して確かめる。剣はまだまだ大丈夫だろう、腐食液が当たらない事が前提だが。ジャケットも防御力は無いよりはマシ程度であるが、さりとて盾は俺の戦闘スタイルに合わない────キリトも同様なのか、ハーフコートを着ているだけで主な装備は剣のみだ。
「いや、信じてるよ。オウルはそんな事はしないって…………第一、そんな事を言い出したらオウルこそ俺に素材とコルを預けたじゃないか」
「二人仲良くポーションと初期防具代で素寒貧になる程度のコルだがな」
お互いに軽口を叩き合い、怪奇植物としか言い表せないmobがいる夜の森へと踏み出す。十三歳という若いこの少年は、いつ日か英雄となるだろう。対する俺は────壊れかけの非人間、精々序盤のお助けNPC程度の働きはするとしよう。俺より少し背が低く、幼さがまだ残る中性的な少年を見てそう思った。
♢
「お────らぁ!」
デスゲームの開始が宣言されて、恐らくもうすぐ三十分が経つだろう。目の前にいる《リトルネペント》の茎を《ホリゾンタル》で斬り飛ばしながら、盾無し剣士キリトこと俺はそんな事を考えていた。決して《リトルネペント》が脅威ではないから調子乗っている訳ではない────オウルとの狩りが想像以上に効率的で、俺の精神的疲労は無視出来る程度のものだからだ。
「三時の方向、敵二体────俺がやる、キリトは息を整えろ」
「分かった」
無論、《索敵》スキルで周囲の警戒を怠らずに俺は木に背を預けて、脳の奥に溜まった疲労を大きな溜息に変えて排出する。視界の先、十メートル弱程ではオウルが《リトルネペント》と戦っていた。セオリー通りの安全策ならどちらかが盾を持ちタゲを取る、そしてもう一方がその隙に斬り込むというのが本来の戦い方だろう。
しかしながら、俺もオウルもベータテスター。そして自惚れでなければ上から数えた方が早い実力者である。はっきり言って《リトルネペント》は予備動作と触手攻撃と腐食液を見切れば、ステータスの数値は兎も角として強敵ではない。触手の直撃を避ける、腐食液は前方三十度の範囲、これを避けてソードスキルを弱点に当てる────これで、俺もオウルもLV3に上がった。
(二人で《はじまりの街》に出る時、俺は今日中に5まで上げるって言ったけど…………これなら《アニールブレード》を手に入れた後に次の街に直行すれば6────いや、LV7でも目指せるな)
────パーティーを組めば経験値が等分される懸念、当然それは俺も考えていた。
例えば経験値100のmobがいたとして、二人で倒せば50になる。本当は戦闘貢献度でバラつきが出るが一人で独占出来ないのには変わらない。だが当然二人で狩りを行えば一人の狩りよりも効率は二倍である、ましてや二人ともベータテスター。経験値が等分化されるデメリットを補って、なお余りあるメリットがあった。現に敵を倒す速度たるや尋常ではない────いや、より正確に言い直そう。
(────オウルの戦い方が、常軌を逸している)
別に振った剣から衝撃波やビームを出してる訳では無い、やっている事は単純明快。相手の攻撃をギリギリで避ける、同時に攻撃を差し込む────これだけだ。
だが、言うは易く行うは難し。偶に被弾してもよく、一対一なら俺にも出来ない事は無い。だが複数体に囲まれて死角からも攻撃が飛んできて、それら全てに対処しなくてはならないとなると、もうお手上げだ。
俺の視線の先では鞭のように伸びてくる触手を、全速力で走りながら上体を僅かに反らしてやり過ごし、走ったその勢いを剣に載せて弱点の茎に当てるオウルがいた。攻撃を当てられたネペントの対面にもネペントはいる、そのネペントが喉から何かを迫り上がらせる────腐食液だ。
背後から攻撃が飛んでくる事を大声で教えようかと迷い、それを止めた。何故なら見ていない筈の攻撃予兆を感じたのか、既に横に飛び退き範囲外に脱している。ネペントの腐食液に掛かったのは同じネペントだった。二匹のネペントが向き合い並んでいる、俺だったら飛び退いた勢いを足でブレーキを掛けて止まってから、体勢を立て直して《ホリゾンタル》で二匹纏めて斬るが────オウルは“ブレーキを掛けて体勢を立て直す”という当たり前過ぎる手間を嫌った。
飛び退いた先の大木にくるりと足から着地し、三角跳びの要領でネペントに向かって跳んでいく。超低空飛行で地面と平行になっている状態は凡そ数秒あるかないか────その隙に
「────ん、まだ無駄が多いな」
「どこが? マジでどこが? 教えて?」
────コイツの理想が高すぎてついて行けるか、不安だ。
本来、縦斬りの《バーチカル》を寝る際に横になる様な体勢で纏めて斬る。これを聞いて同じ事が出来る奴が今のSAOにどれだけいるのだろう、少なくとも今の俺は無理だ。お互いにソードスキルをブーストさせて一撃でmobを倒し、小休憩を挟んでるお陰で剣の耐久値はまだまだ余裕がありポーションに至っては一つも使っていない。
「どうだ? キリトは胚珠は手に入ったか?」
「《花付き》は疎か、《実付き》すら見てないよ…………もっともっと通常のネペントを狩らないと」
自身と敵の強さによってmobのアイコンの色合いが変わるのだが、最初はかなり赤い色合いだったネペントを表す光点はピンク色に変わっている。欲を言えばもう少し経験値効率が良い場所に向かいたいのだが、生憎俺もオウルも胚珠はドロップしていない。
俺達の目的は《花付き》と呼ばれるネペント、これが落とすアイテムがクエストのクリア条件。しかし同時に《実付き》と呼ばれるネペントもおり、コイツは名前の通り頭に実が付いている。そしてその実を壊せば最後、数十体のネペントに囲まれる事になる。ベータ時代に《スタン》からタコ殴りにされ、臨時のパーティーメンバー全員仲良く死んだ事がある────実の破壊だけは絶対に、避けなくてはならない。
「…………オウルはリアルラック、自信あるか?」
「さてねぇ…………ある意味では、とんでもない確率の下に
言いたいことは理解できる────この世界、SAOを入れる事はゲーマーにとっては超が三つは付く幸運な筈だったのだ。それがこんな事になるとは誰も思わなかったに違いない────もしもデスゲームになると理解していたら、俺は絶対にログインしなかった。
(────って何考えてんだが、馬鹿馬鹿しい。当然の事過ぎる…………)
「…………────そこに誰かいるのか?」
「は…………?」
唐突にオウルが森の奥、厳密には《ホルンカ》がある方向の闇に向けて言った。しかし俺は素早くマップを確認するが《索敵》に反応は無い、熟練度が足りていないのか? いや、だとすれば────。
「────す、凄いね。まさか気付かれるとは…………」
「…………何か企んでるなら、止めた方が懸命だぞ?」
珍しく────という程の付き合いの長さでは無いが────オウルが棘を隠さない物言いをする。剣にこそ手をやっていないが、闇から現れたプレイヤーが怪しい挙動をすれば即座に抜く事は間違いない。見た感じ相手は俺とそう年齢が大差ないように思える少年だった。ぱっと見て違う点があるとすれば、彼は盾を装備しているので俺達に比べて防御力に傾注しているという事くらいだ。
「ち────違う違う! 僕はコペル! ベータテスターで僕もクエストを受けたんだ! でも戦闘音が聞こえたから、一人ならクエストを協力してもらおうと思って!」
あらぬ疑いを掛けられた事に対して焦ったのか、コペルと名乗った少年は両手を挙げて────ホールドアップで弁明する。クエストにはパーティーで受けてクリア出来るものと、キーアイテムなどを集めてクリア出来るものがある。
今回の《アニールブレード》はキーアイテムである胚珠を手に入れなればクリア出来ない、だからこそ俺とオウルは二人で乱獲していたのだ。通常のネペントを狩っていけば早く《花付き》が湧出する事に期待して────彼もそうなのだろう、デスゲームでソロは一つのミスが死に直結するのだから。
「成程な…………どうする? キリト?」
「え?」
なんで俺に聞くのか? と自問し、今の俺は『ソロ』ではなくオウルと『コンビ』なのだからパーティーメンバーとの意見の摺り合わせは当然だろと、自答する。うーん、と喉を少し唸らせながら考える。
三人のテスターで力を合わせればネペントなど脅威ではない、森の広さとネペントの再湧出時間を考えれば三人でもリソースは枯れないだろう。しかし、俺もオウルもLV3。そろそろネペントでは経験値が物足りなくなってきた所で、これ以上パーティーメンバーを増やすのは効率が悪くなる。オウルという相方がいるからか、俺の思考は効率厨として煮詰まってゆく。それをまさか察したわけではあるまいが────
「あー…………もしかして経験値配分と胚珠の持ち逃げを危惧しているなら、パーティーは組まなくていいよ。ただ僕はまだLVが1だからさ、ちょっと手伝って欲しかったんだ…………」
────と、コペルは萎れたように言うではないか。流石に少し排他的な考えをし過ぎたと思い直し。意を決して俺はオウルに提案する。だが、もしもオウルが反対したら彼には申し訳ないが手伝いは諦めてもらおう。
「────手伝おう、《花付き》は一体ずつしか現れないとは限らないし。三人で戦えば案外すぐに胚珠が集まるかもしれない」
「そうか…………ならコペル。
俺に決定権を委ねてくれたのだから当然かもしれないが、オウルは何も反論せずにコペルの手伝いを受け入れた────間抜けにも、さっき感じた違和感を、この時の俺はすっかり忘れていた。
♢
────三人でネペントを狩り続ける事、そろそろ一時間経とうとしていた頃。
「…………出ないね」
「だな…………もしかしたら出現率が下方修正されたか?」
「────もうメンドクサイから森に火を放とうぜ」
「「おいバカやめろ」」
打ち合わせなしで二人の声がハモリ、見事に俺の案は却下される。しかし月明かりがあるとはいえ、やはり森の中は視界が利かない────俺、
レベリングも兼ねたこのクエスト、コペル君(本名かは不明)も先程めでたくLV2に上がった。見た感じ戦闘センスは中々悪くない、しかし同じベータテスターでキリトという例を見ているからか。正直物足りないというのが本音である、いや多分キリトが上澄みも上澄みなんだろうけど。
「────おい、コペル! オウル! あれ! あれ!」
そんなやや緊張感が欠けた事を考えているとキリトが小声で叫んだ。案外、器用な事をするね君。身を屈めながら指をさす方向を見てみると────《花付き》と《実付き》が一体ずつそこにいた。しかも最悪な事に二体の距離はかなり近い、視覚が無いこの手のmobは感知範囲が広い、つまり一方を攻撃すればもう一方に間違いなく気付かれる。
「…………オウル、どうする?」
「どうするもこうするも、この《花付き》が出現するのにもう百体以上狩ったぞ? 逃がしたくないだろ、しかもまだ一体目だ」
「────なら、僕が《実付き》のタゲを取る。盾で防御に徹するから《花付き》を速攻で仕留めてくれ」
俺という存在がいるからか、キリトが少し指示待ちというか慎重に動こうとする傾向が見える。対する俺の考えは多少のリスクは承知の上、逃がすつもりは毛頭ない。《はじまりの街》でキリトが言ったようにリソースの奪い合いがSAOの本質、今後の為にも俺もキリトもこんな所で足踏みはしていられない────だから、
「────分かった、ならコペル。
「あぁ、オウルはステータス配分どうしてる?」
「今の所は敏捷に八割方振ってる」
「なら俺が触手を斬り捨てる、その後にお前の方が速いなら斬り込んでくれ」
SAOのステータス配分はかなり単純明快、ダメージやら装備重量に関係する《筋力》と回避や移動に関わる《敏捷》。キリトも敏捷寄りの配分だろうが俺よりは筋力に振っているのだろう、これこそ俺達が盾を持たない理由。出来る限り身軽になって、プレイヤースキルでパリィと回避で『ずっと俺のターン!』をするため────デスゲームと化した今のSAOでこの戦法は、ハッキリ言って某死に急ぎ野郎と近似値である。
「へぇ、強気じゃん? 慣れた?」
「ネペントはいい加減飽きたよ、スローに見えてきた」
────これだ、レベルではなく本人の脳神経が経験値を蓄積する事によるブラッシュアップ。
恐らく、キリトの反射速度は脳のVR適性とこれが組み合わさって生じるもの。これがいつか《二刀流》を修得し────コペルや俺の様な凡人とは一線を画す才能。
「────いくぞ」
静かにキリトが呟き、俺達は一気に駆け出す。手前に《花付き》、奥に《実付き》、走る速度はレベル差と盾装備もありコペルが一番遅い。しかし、こちらに気付いた《花付き》の触手を二本とも斬り捨てたキリトに対して注意が向き、コペルは《花付き》のすぐ隣を素通り出来る。多少は通常種よりもステータスが上かもしれないが、二人掛かりなら失敗することの方が難しい────
「────受け取れキリト! コペル! こっちは終わったぞ!」
「うわっと! いいのか? オウル────え?」
パシャンと水溜りを勢い良く踏み抜いた効果音と共にポリゴンが爆散し、目的のキーアイテム胚珠がドロップする。俺は迷わずそれをキリトに投げ渡し、コペルの方を見やると────奴は、明らかにこちらを一瞥してから、《実付き》に対して
「は? …………いや、いや駄目だろ…………それ…………」
「────おいおい、覚悟キメんの早過ぎんだろ」
豆鉄砲食らった鳩みたいな面しているキリトに、『あー成程、そーゆー事ね』と半ば呆れている俺は、実が破裂するまで残り0.5秒の間に惚けているキリトの背中を叩き正気に戻させる────不覚、本当は直前で止めに入りたかったが、あそこまで躊躇わないとは。
「────しっかりしろ! 《MPK》だ! あの野郎
「────!? 背中は任せた!」
動揺、疑問、逡巡、思考を終わらせてキリトは全神経を戦闘に切り替える。取り合えず俺はコペルに放置プレイをされた《実付き》を速攻で斬り捨てる。あまり効いてなかったとはいえ、《バーチカル》のお陰で通常の斬撃で倒せた。そんなコペルはというと既に《隠蔽》で茂みの中に隠れている────どうしたものか、と思ったが一応警告しておく。
「おーい、別に殺さないから出て来た方がいいぞー?」
やはりと言うべきか、コペルが隠れている茂みからは何の反応も返ってこない。俺もキリト同様に《索敵》を取得しているのだが、敵を表すピンク色の光点が現時点でざっと四十弱────いやいや集まり良すぎでしょ、君ら。暇なん?
「コペルお前《隠蔽》使うの初めてだろ? それな、スキル説明には書いていないけど────
説明に大した時間はかけてないのだが、もうそこかしこにネペントが集まって来ている。通す筋は通したと、俺はキリトの背後数メートルに陣取り正面四体のネペントを相手取る。対人戦にせよ対mob戦にせよ複数の相手をする際に一番気を付ける事は、直撃を続けて貰う事だ。体勢が崩れるならまだ良い方で、最悪の場合は状態異常の《スタン》になる可能性が高い。三秒拘束される比較的易しい状態異常だが────この状況でそれは、正しく
距離を詰める俺に対して前面のネペントが側頭部を狙った触手の振り回し────技の起発時点で三秒後にそれが俺の右側頭部に当たる事を事前に察知し、膝を抜き股関節をスムーズに曲げて避けると同時に躰道でいう斜上蹴りを茎部分にぶち当てる────《体術》スキルの補正は無いのでHPは大して減らないが、狙いはそこではない。
しかし、俺が近づいた事によって条件が満ちたのだろう。残りのネペント達が迫り、俺を囲み腐食液を吐き出そうとする。全方位に避ける隙間は無い、蹴り足を引き戻す勢いと同時に独楽の様に《ホリゾンタル》で一気に刈り取る────斜上蹴りの勢いによって威力が増した水平斬りは四体同時に仕留めた。
「────手ぇ貸そうか? キリト?」
「────まだまだ! オウルこそ危なくなったら言えよ!」
俺の心配など余計なお世話だと言わんばかりに、頼もしい返事と共に二体のネペントが視界の隅で倒される。俺がいたお陰か、キリトの疲労はそこまで溜まっていないようだ。加えてネペントの動きに対して自身の動きを最適化していき、徐々に掠る事すら少なくなっていく。キリトの心配は無いだろう、問題は────。
「うわぁぁああああああ!?」
「パニクり過ぎだ、メダパニでも食らったか?」
木を背に正面からネペント二体に追い込まれたコペルを助けるべく、《ソニックリープ》で茎を二枚抜きする。《ホリゾンタル》は距離を稼げないし、何よりもクールタイムが終わってない。助けられたコペルは怯えと驚きが綯い交ぜになった顔で俺を見てくる。
「なっ…………なんで────」
「あれ? ────死にたかったのか?」
「────ッ!?」
「そんな顔すんなって、俺は別に許してないけど目の前で死なれるのは…………少なくとも、うちの相方はいい気分じゃないだろうからな」
直接的な“死”の言葉に────コペルはもしかしたら、俺からの報復を恐れたのかもしれない。それほど顔は恐怖に引き攣っていた、SAOは感情表現が滅茶苦茶オーバーに作られているがここまで恐怖を表した顔は俺も初めてみた。しかし、そんなやり取りの中もキリトは必死になって戦い、ネペント達はまだまだ集まっている。
「おら手伝え、まだまだ来るぞ」
「あ────ああ!」
流石に持ち直したのだろう、僅かに恐怖の色が残っているがアバターの操作には支障がないようだ。右手の剣を固く握り、左手の盾を前に構える。スタンダードな盾持ち片手剣士としてのフォーム。対する俺はのらりくらりと柳の様に、緩く脱力し踵から踏み出しネペントに瞬時に駆けだす。
「よし、じゃあ────
射貫かんと迫る六本の触手をするりと掻い潜り、弱点だけを攻撃していく。それからは最早戦いというのも烏滸がましい、三人のベータテスターに集まるそばからネペントは刈り取られてゆく────どちらが化け物か、分かったもんじゃないな。
♢
「はぁ…………はぁ…………」
────今の所ではあるが、ここまで緊張感がある戦いは間違いなくベータ時代にも無かった。これ以上の死闘は更新したくないと心の中で悪態をつきながら、剣を背に収める。
ネペントを狩りつくし、索敵範囲内には俺とオウルとコペル以外に反応は無い。流石にmobのリソースが枯れたのだろう、それも一時の事だろうが少なくともあと十分は余裕がある筈だ。ピークを越えた集中力は、俺に鈍い頭痛として対価を支払わせた…………時刻は二十時、あれだけ濃密な混戦は二十分も無かったらしい。
「オウル…………胚珠は?」
「ドロップしたよ、しかも二個。戦い方と人数揃えたら結構良い狩場かもな」
「…………絶対に駄目だ、死者が出るぞ」
「分かってるよ」
怪我の功名とか不幸中の幸いと言えば良いのか、目的の物は手に入れた様だ。本来なら仮想の肉体に必要がない筈の息を必死に整えながら、オウルの視線を追えばそこにはコペルがいた。見た限り彼もかなり憔悴している、四つん這いの状態で俺以上に息を荒げている────それはきっと、ネペントとの戦いだけが理由ではないだろう。
「い、生きてる…………し、信じられない…………」
「あぁ、無事で何より────だッ!」
「ッ!?」
オウルは全く疲れてる様子を見せず、全く険しい空気を纏わず、寧ろ労う様な優しさを含んだ声で彼に近づき────コペルの剣を明後日の方向に蹴り飛ばした。
「何を────!?」
「────まぁ待てよ」
握りが緩くなっていたのだろう、地面を滑っていく剣は数メートル以上離れていく。勿論、コペルは反射的に追いかけようとするが肩を掴んだ────オウルに縫い付けられた様に止まる、いや固まるといった方が正しいか。傍から見ている俺すら緊張感が伝わり、金縛りにあったように動けない。
「教科書に載せたいくらい丁寧な《MPK》だな、最初キリトの《索敵》に引っ掛からない時に怪しんだが…………やってくれたな、オイ。攻撃しなくていいって釘を刺したのに、ソードスキルまで使う徹底ぶり、偶然じゃあすまされないぞ?」
コペルは背後に立つオウルに振り返れない。ギチリと、仮想の肉体に爪が食い込むほど掴まれているその姿は、捕食者に抵抗する手段を持たない哀れな獲物そのもの。まさか、オウルは、コペルを────それ以上思考を進める事を無意識に忌避しながらも、俺の手は少しずつ背中の剣に近づく。
「…………コペル」
「…………」
オウルは静かに呟き、コペルの肩から手を放して────
「────
────ドロップした胚珠の一つを彼の前に投げ捨てた。
「…………え」
「『え』じゃねえよ。それが欲しかったんだろ? 未遂とはいえ、
「────ッ!?」
所謂ヤンキー座りで這い蹲るコペルに囁く、その言葉に何も感じない程コペルも人の心が無いわけでは無いらしい。開いた瞳孔に僅かに震える手足、明らかに動揺している。俺はそれを見て────何も出来ない、コペルを助ける事も、オウルを止める事も、俺には何の主義も主張も無い。
「ぶっちゃけた話、俺は外部から助けが来るとは思ってない。
────でも、俺達の行動が外部にモニタリングされてないとも思ってない。どうせ茅場はワイン片手に鑑賞してるだろうし。もしかしたら、茅場の悪ふざけでアニメみたいに俺達の行動がお茶の間に流されたりしてな」
────良かったな、人殺しに成らずに済んで。
オウルはそこで話を終えて、森の外────クエストを受けた村に向けて歩き始めた。追いかけようと数歩進んで、ふと思い出し振り返ると、そこにはコペルがまだ這い蹲っている。放置したままでいいのかと思うが、彼もベータテスターだしネペントに囲まれる事が無ければ、無事に脱出出来るだろうと俺はオウルを追いかける。
「なぁ、オウル…………お前さ、もしかして気付いていたのか?」
「怪しんではいたよ…………いざという時は、殴ってでも止めるつもりだった。予想外だったのは全く躊躇せず実行した事かな」
言葉足らずの俺の疑問、その真意を余す事無く掬い切ったのだろう。聞かれてない事まで丁寧に返された、それに知らず知らずのうちに巻き込まれた形になるが、俺は不思議と怒りや恨みのような感情は湧き上がらなかった。
「…………怒ってないんだな」
「あぁ…………寧ろ、これでやっと認識できたよ。
────俺は、今、本当に命を懸けて
ここはゲームの世界、決して現実ではない。しかし、ただの一般家庭の子供に過ぎない俺が命の危機など感じた事など無い、逆説的に生の実感など考えた事も無かった。皮肉な事に仮想の世界に来て────《死ねば、死ぬ》という当たり前過ぎる現実をやっと直視出来た。
そこからは村に戻るまで、俺もオウルもずっと無言だった。月明かりに照らされる牧歌的な複数の木造家屋、如何にもRPG序盤にありそうな村には数人のプレイヤーがいた。恐らくベータテスターだろう、俺とオウルと同じくMMORPGとデスゲームが両立する世界で何が起こるのか危惧して、急いでここまで来たといった所か。
コペルの事もあり、とても彼らとコミュニケーションを取る気にはならない。何故か後ろめたい物を感じながらクエストを受けた家まで向かう、胚珠は二個ある。これでオウルの分も《アニールブレード》が手に入る。クエストを受けたオウルが先に家に入って、暫くして目的の赤鞘の剣を背中に装備して出て来た。
「なんか、随分苦労したよな…………ベータの時はもっとあっさり終わったよ」
「そうだな…………それとキリト、今夜はこの村で休もう」
え? と疑問が零れる。確かに疲れが無いわけではない。しかし、二人でなら次の村まで走ればすぐに着けるし、道中のmobもネペントの大群に比べれば大した事は無い。クエストの経験値が入れば二人ともLV5に上がるだろうが、他のプレイヤーがいる事を考えればもう少し狩りをした方がいいのはオウルも理解している筈────何故?
「俺も疲れたし夜はやっぱり危険だし、ベータと何もかも同じとは限らんし。
────ほら、さっさとクリアしてこい」
「わ、分かった。分かったから押すなよ」
その割には疲れを全く声にも表情にも出してないが、本当に疲れているのならよくそこまでアバターの表情を操作出来るものだ。感心しながら俺もクエストを受ける。
若奥さんの娘さんが病気がちというベータと変わらない話を聞いて、『でしたら、これをどうぞ』と胚珠を差し出す。本来ならば任せてくださいと家を飛び出し、ネペントを狩りに行くのが正攻法だが、こういうやり方もシステムには想定されている。満面の笑みを浮かべて胚珠を受け取った若奥さんは、お礼に《アニールブレード》を渡してくれた。
クエストクリアにレベルアップ、本来なら諸手を挙げて喜ぶべきなのだろうが緊張の糸が切れたのか、俺はどかっと椅子に座り、そのまま呆然としていた。今頃はパーティーを組んでいるオウルが、痺れを切らして宿を取ってくれてたら助かるのだが…………ボンヤリとそんな事を考えながら若奥さんを眺めていたら、ベータの時には入れなかった扉の奥に消えていく。少し考えてから、俺は何となく後を追ってみた。
────扉の先には痩せた少女がベッドに臥せっていた。背を支えられながらゆっくりと起き上がり、奥さんが持ってきたカップの中をこくこくと、か弱く嚥下する…………。
所詮これはゲームのイベント、クエストのありがちな背景に過ぎない。少女の病状は快復する事は無く、また《アニールブレード》目的のプレイヤーが来れば、また同じ事が起こる────
「────どうしたの、おにいちゃん? どこかいたいの?」
「くっ…………う…………ぅあああっ………………」
────だという事は理解しているのに。俺は自分の喉から迫り上がる声と、締め付けるような胸の痛みが抑えられなかった。先の光景に昔、妹の直葉を看病してやった事をふと思い出してしまった。
普段はぶっきらぼうで、素直さなんてまるで見せない癖に、四苦八苦しながら作った俺の下手くそな生姜湯を飲んで…………会いたい、会いたい、会いたい、叫びたくなる程に今すぐに家族に会いたい!
普段は何とも思わず、碌に会話もせず、俺は言葉少なく交流もしないゲーム中毒者だった…………だというのに、その声に直葉を思い出して少女のベットにしがみつく様に項垂れてしまった。俺が家族に会えるのは、一体いつになるのだろう? いや、もう会えないかも知れない?
(そんなの嫌だ! 直葉に会いたい! おふくろに会いたい! 親父に会いたい!
…………でも無理だ! ここは《異世界》だから! 《リアル》じゃないから!)
俺は────
~その頃オウルは~
オウル「仲間がクエスト受けてる途中だから、後にしてくれ」
ベータテスター達「んだよ、早くしろや」
家の前で門番中。