暮石は、クラス内で孤立していた。
鳥飼が退学の上に警察へ自首をしたと聞いたときは、大きな衝撃と困惑が走った。
その理由を詳しく知ったのは、学校の裏掲示板サイトからだった。
鳥飼が赤石を暴行したことが鮮明に撮られた動画がアップロードされており、赤石が修了式に言っていたことの方が事実だったと確定した。
その鳥飼については掲示板で相当に批判されていたが、その中にこんなコメントがあった。
「暮石は、このことを本当に知らなかったのか? 鳥飼の幼馴染らしいんだけど」
あたかも暮石も鳥飼とグルになって赤石に濡れ衣を着せたことを疑うような、内容だった。
「確かに」
「暮石ちゃんが最初に言い出したんだよね」
「展開ができ過ぎてない?」
議論はこのコメントを皮切りに暮石へと波及し、暮石も鳥飼の共犯の嫌疑を、周囲から掛けられるようになった。
同じクラスの女子達は暮石を無視。原作において妙な噂の立っていた新井がそうされたように、暮石との接触を避け、聞こえよがしに暮石の噂をするようになった。
皮切りになったコメントは、宮城が書き込んだものだった。
宮城は赤石のような、復讐をしてもしょうがないし被害者がこれ以上増えても意味がないなどと思えるような、器の大きい人間ではなかった。
一応凶悪犯罪はやらない方向で、使えるものは何でも使って対象へ目に物を見せるのが宮城の性格だった。
鳥飼が要求を飲んだ際に「暮石が鳥飼と共謀したと言って回ることはしない」という条件を宮城は約束していたが、このコメントを書き込んだ件についてはその条件に違反していないと宮城は認識している。
宮城の書いたコメントは単に、暮石はそのことを知らなかったのか
直接共謀したなどと明言しておらず、あくまでも文脈と語意から読み手が「暮石も共犯だったのでは」と勘繰っただけの話であり、そんなのは宮城の知ったことではなかった。
第一これは、鳥飼が二年の修了式の際に、櫻井を追及する赤石へ使った論法でもあった。
基本的には一切の非がなかった赤石をあたかも悪い事をしているように周りへ印象づけるという、鳥飼がやってた手法だった。
その方法を参考にされ、今度は鳥飼にとって大事な暮石が、苦しめられるだけのことだった。
それに無実の赤石に疑いを掛けて性犯罪をしたかのような印象を大衆へ広めた張本人は、他ならぬ暮石だ。
暮石自身も同じように周りから無実の罪で蔑まれる体験をしてみればいい、と宮城は思っていた。
暮石はクラスメイト達からあらぬ疑いを掛けられ、孤立することとなった。
クラスメイト達がそもそも暮石と関わろうともしなくなったため、暮石に弁明のチャンスが訪れることは、無かった。
時間は戻り、放課後。
赤石のいるクラスの教室に入った暮石は、赤石の元へ近付いた。
「あれ、暮石さん?」
「暮石さんって、あの?」
「鳥飼さんと一緒に、赤石へ冤罪かけたんだっけ……」
今や噂の的になっている暮石の姿は、教室に残っていた生徒達に注目を浴びていた。
それにも構わず暮石は赤石に、話しかけた。
「手紙、読んでくれたんだよね?」
「ああ」
「何で、空き教室に来てくれなかったの?」
手紙の呼び出しを無視した赤石を、暮石は問い詰めた。
「俺がやめるように言ったんだよ」
「え……?」
暮石が、赤石に代わって返答した宮城を振り向く。
「宮城……」
「悪い、赤石。ここは俺に任せてくれないか」
宮城は、赤石を見ていなかった。
赤石の最大の敵である、暮石を見据えていた。
「……まあ、いいが」
赤石は、趨勢を見守ることにした。
「え、何? 何言ってるの、宮城君?」
「何もクソもねえよ、裏切り者」
宮城の口から今まで聞いたことのない罵声が出てきて、暮石はビク、とした。
二年で交流のあった間、宮城はずっと暮石に対して平静を保っていた。
「今になって赤石に何の用があるんだ」
「え、それは……」
暮石は赤石をちらりと見る。
「赤石君のことを疑って怒っちゃったのを、謝ろうと思って」
「赤石が謝罪を受ければ、それでいいのか?」
「えっと……できれば、仲直りしたいなー、て」
「何で謝るのが今になったんだ」
「え、だって動画が……」
ハ、と宮城が一笑に付す。
「じゃあ証拠の動画が上がんなかったらお前は赤石に謝罪することなく卒業でサヨナラしてた、てことか」
「それは……」
「自分から真相を確かめることもせず、赤石よりも鳥飼の方を信じ続けて赤石に冤罪を被せたまま、終わりにするつもりだった、てのか」
「そ、そんなこと……」
「ふざけんなよ、お前」
宮城の頭が、沸騰する。
「お前のやったことは明確な裏切り行為だ。赤石と何度も遊びに行って、赤石と何度も話をして、赤石がどういう性格なのかよくわかっていたはずのお前は、鳥飼ともども率先して赤石を窮地に追い込み、赤石を信じることなく苦境に叩き落とした。それを当事者からでもない、どっかの第三者が公開したような証拠で傍から真相を知ってから、謝るから水に流して仲直りしましょう、だと? まかり通るわけねえだろアホンダラ。誰が見ても決定的な証拠を見てから初めてこっちを信用するようなバカと誰が親しくしたいんだよ。それまでは他の奴らと同じように自分を悪党と見て貶めてきたクズと誰が寄りを戻すんだよ。てめぇが同じ立場ならどうすんのか考えてみろや」
なあ、と宮城は周りのクラスメイト達も見回す。
「皆はどうする。今まで仲良くしてきた相手がある日突然自分を犯罪者だと疑って、決定的な証拠が上がってから手のひら返すような人と、仲良くしたいか?」
暮石に対するのとは打って変わった優しい口調で、宮城はクラスメイト達に確認する。
「確かに……」
「それはちょっと……」
「三葉ちゃん、ちょっと変だよね」
「私なら、そんな調子いいことしないかな……」
クラスメイト達は、宮城に同調する。
修了式といい後の卒業式といい裏掲示板といい、本当に付和雷同するしか能のない連中なのかと宮城は閉口する思いもあったが、今は都合が良かった。
そして、暮石に非難の目が向けられる。
「で、でも! 私だって、あかねに嘘をつかれてたわけで」
「赤石の方を疑って鳥飼の方を最後まで信じてたんだよな。ならもう赤石には関わらないのが礼儀なんじゃねーの」
「そ、そんなことないでしょ⁉ 自分に非があったのを謝ることの、何がいけないの⁉」
「あー、そういえば一つ確認しておきたいことがあるんだった」
宮城が唐突に、話題を変えた。
暮石にペースを握らせてはいけない。
奴もなかなかに弁が立ち、作中でも弁論に長けた赤石を言い負かすほどの
周囲を自分の意見に同調させるのも得意な相手だけに、宮城はさっさと論点を切り替えることにした。
「話逸らさないで! 私の質問に答え……」
「お前、ひょっとして赤石のことが好きなのか?」
「な⁉」
暮石が、言葉を失う。
赤石も、お前何言ってんだ、と言いたげに宮城を見る。
無論、宮城は知っている。
卒業旅行で赤石に告白した際、強烈に押しに押しまくったアプローチを敢行して交際に結びつけた、暮石の執念深い赤石への好意を、知っている。
原作で示した、暮石の、赤石に告白した好意が嘘だとは到底思えない。
「何言い出すの!」
「いや何、ちょっとした推理だよ。お前が赤石に恋をしてて、あの日に鳥飼を犯そうとしているように見えた赤石を目撃した。そういう状況なら、自分のことを選ばなかった赤石を憎むこともあるんじゃないか、て思ってな」
「!」
何でそのことを。
今頃暮石の頭の中はそんなことを考えてるだろう。
まさか宮城が転生者で、この世界が宮城の愛読していた作品の世界に酷似しているからなんて結論には、まず辿り着くまい。
暮石が宮城と同じく転生者であり、何らかの理由をもって原作と同じ展開を辿っていたというオチでもない限り、暮石にわかる由はない。
仮に宮城の口からそう説明されても信じないであろう。
「え?」
「まさか三葉ちゃん、赤石のこと……」
「いや、あるんじゃない? 去年赤石のこと庇ってたことあったし……」
クラスメイト達が、ひそひそと会話する。
こんな事件の正体が、痴話喧嘩の延長だと知れれば、外部はさぞかし面白がるだろう。
「……」
暮石にも周りの声がかすかに聞こえるようで、顔を赤くしていた。
宮城にすれば、この場で暮石が赤石への恋愛感情を肯定しても否定しても、どちらでも構わなかった。
肯定するなら今言った宮城の推理が裏付けられ、暮石が意図的に赤石を攻撃したことが明白になるから良し。
「ち、違うよ! 赤石君に恋してるなんてあるわけないじゃん!」
そして、恋愛感情を否定してくれるならなお良しという考えだった。
その言質を、取りたかった。
宮城は、心のうちで歓喜した。
原作における暮石は赤石へ修了式の件で謝罪し、必死に赤石への復縁を迫った際に赤石への好意を周囲の誰にも明かさなかった。
赤石との交際が始まったときにも周囲には秘密にするなど、赤石への好意をとにかく他人へ隠す傾向が強かった。
理由は、宮城が読み進めていた段階では原作でも明記されていなかったため不詳である。
しかし理由はともあれここまで赤石への好意を周囲に隠したがっているのであれば、人目のある状況では暮石は嘘を吐いてでも赤石への好意を隠す可能性が高いと宮城は踏んでいた。
元々暮石は自分の発言に責任を取らず、虚言の多い人物だ。
そのことを鑑みても嘘で乗り切ることは大いに考えられる話だった。
恐らくこの場では嘘で乗り切って、日を改めて本心を告白すれば問題ないとでも暮石は計算したのだろう。
赤石君は自分から仲良い女の一人にも告白できないのに愛を欲しがる、チョロい男だから、と。
しかしこのときの暮石は知らなかった。
赤石は、嘘が大嫌いなのだ。
もしも今の状況を経た上で暮石が赤石へ告白しようものなら、赤石はまず間違いなく暮石を信じることができず、どんなに暮石が迫って来ても袖にするであろう。
つまりこの先どういう未来を迎えようとも、暮石と赤石が結ばれる可能性はほぼなくなったということである。
もしも暮石が赤石の嘘を嫌う性格を知っていたなら、この場で赤石への恋愛感情を肯定していただろう。
原作において暮石がそのことを知るのは高校卒業後、赤石と交際してからになる。
赤石が暮石にそのことを説明する数話前に、暮石が赤石の前で平然と嘘を吐く描写があったことを踏まえても、それは明らかだった。
もっとも、
所詮、赤石を死ぬほど苦しめようとして半年以上も関わりを
宮城はこの世界に来て初めて、暮石に感謝をした。
息を
どうしようもない人間でいてくれて、ありがとう。
暮石が赤石を孤独にさせてくれたおかげで、八谷は赤石との交流を取り戻せた。
暮石が赤石に紹介してくれたおかげで、上麦と赤石は親友と言っていいぐらいに仲良くなれた。
暮石が赤石を陥れてくれたおかげで、船頭は赤石との関係をより強固にできた。
もう用済みだから、消えろ。
赤石達の前から、永遠に。
「おおそうか。いやー俺の推理は外れてたわけだな」
「……」
何も言わない暮石に対し、宮城は考える。
この後どうやって暮石を追い込もうか。
次に話す言葉を考えているうちに、宮城の肩が赤石に叩かれる。
「赤石……」
「もういい、宮城」
赤石が、暮石に向き直る。
「赤石君……」
暮石の顔が、わずかに明るくなる。
赤石が暮石を許すという、期待があったのだろうか。
「暮石、俺にもう関わるな。消えろ」
そんな暮石の期待は、見るも無残に打ち砕かれた。
「あ、赤石君……」
暮石は、ここでふと赤石の隣の宮城が、視界に入った。
「ひっ⁉」
そして、宮城の顔に恐れをなした。
宮城は至って、無表情だった。
憤怒や憎悪に満ちた表情、というわけではない。
どこまでも能面的な、何を考えているか捉えどころの無い表情だった。
しかし、暮石には、何かとんでもなく嫌な予感が、した。
これ以上関われば命を取られるかのような、嫌な予感が。
実際このときの宮城は、とある思念に入っていた。
これでもし失敗したら、暮石を本当に抹殺するしかないんじゃないか、と。
赤石に顔向けできないし、櫻井や鳥飼と同類になってしまうが、それでも仕方ないんじゃないか、と。
先程暮石へ溜めに溜めた怒りを発した余韻というべきか、宮城は暮石への猛烈な殺意を復活させていた。
ややもすれば今すぐここで行動に移してもおかしくないなと、宮城はどこか他人事のように思っていた。
「……!」
暮石は、恐れをなして逃げ出した。
赤石と寄りを戻そうとした場で、宮城から受けた恐怖を前に尻尾を巻いて逃げていった。
皮肉なことに原作において、バスの中で鉢合った不良に立ち向かう赤石達を尻目に、何もできず怯えていた頃の暮石の姿を、彷彿とさせるようだった。
宮城にすれば意図していない脅しであり、赤石と結ばれる希望がなくなったからとっとと消えたのだろうか、それにしても原作より随分あっさりと引いたものだな、と暮石を訝しんだ。
「……お疲れ」
「互いにな」
宮城と、赤石は、拳を突き合わせた。
宮城は、暮石と赤石の関係の破壊に、成功した。