大きなステージ直前におしっこしたくなった東條希のμ's全員を巻き込んだ騒動です。
複数のスクールアイドルが集まる一大スクールアイドルイベント。
ステージ裏は慌ただしかった。
スタッフの掛け声、ライトの眩しさ、そして観客の歓声がかすかに響いてくる。
「……やばいなぁ」
ステージ裏の片隅で東條希は、脚を組み替えながら小さく呟いた。
ここまで来る途中、衣装の直しだのリハの最終確認だのと、誰かしらに呼び止められてしまい、トイレに行けなかった。
気付けば、ライブ開始まであと二分。
「希?」
隣にいた絢瀬絵里が心配そうに顔をのぞき込む。
「ちょっとな……お手洗い、全然行けへんかって」
「えっ!? いま?」
希は苦笑する余裕もなく、ぎゅっと太ももを押さえた。
「我慢できない?」
絵里は真剣に考え込み、すぐに訊く。
希は小さく首を振った。
「無理や……このままステージ上がったら、絶対に事故ってまう」
一瞬、空気が張りつめる。
μ'sのメンバーが集まり、どうしようと慌てて顔を見合わせた。
「ええっ、どうしよう……」
ことりは口元に手を当てて小声を漏らす。
「スタッフに言って時間をもらうしか……」
と真姫は言いかけて、観客のざわめきが近付いていることに気づく。
もう引き返す余裕はなかった。
「……あっ!」
ぽんと手を打ったのは高坂穂乃果だった。
「ほら、あれだよ希ちゃん!」
彼女が指差したのは、ステージ裏の隅に置かれたゴミ箱。
「ちょっ、穂乃果!? な、何言ってるのよ!」
真姫が声をひそめる
でも穂乃果の顔は真剣だった。
「今はもう、それしかないよ! 大丈夫、みんなで隠せば誰にも見られないって!」
希は目を丸くして固まった。さすがにためらう。
だが、腹の奥で波のように押し寄せる切迫感に、もう選んでいる余裕はなかった。
「……お願い、みんな」
震える声で希がそう告げると、にこが顔を赤くしながら立ち上がって言う。
「しょうがないわねっ!」
瞬間、μ'sの輪が形作られる。
皆が背中を寄せ合い、まるで人の壁のように希を守る。
希はゴミ箱を跨いでしゃがみ込み、意を決して衣装のスカートを持ち上げた。耳の奥で観客の歓声が一段と高まり、同時に息を殺す仲間の気配が伝わる。
「……っ」
安堵と恥ずかしさとが入り混じる声が、希の喉からもれた。
数十秒。静かなはずなのに、皆にはその一瞬が途方もなく長く感じられた。
「早くしなさいよ!」
にこは顔を真っ赤にして小声で言う。
花陽は祈るように手を胸にあてていた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ!」
穂乃果はただ笑っている。
「ほら、落ち着いて。大丈夫よ、希」
絵里もそっと希に囁く。
「もうすぐ終わるよ! 頑張れー!」
星空凛は背後から元気づける。
やがて――全てが終わる。
希はふうっと大きく息を吐き、素早く身なりを整えて立ち上がった。
「……助かったわぁ。ほんま、みんなのおかげや」
その顔は赤く染まっていたが、同時に笑みを浮かべていた。
「もう、ほんとドキドキしたんだから!」
絵里が肩を軽く叩く。
「でも間に合ったよね、よかったぁ!」
穂乃果は満面の笑顔。
次の瞬間、スタッフの「μ's、出番です!」の声が響く。
「行こっか」
希は仲間を見渡し、にっこりと笑った。
「うちら、最高のステージにしよう」
ライブは熱気と歓声の中、無事に幕を閉じた。
汗をかきながらステージ裏へ戻ったμ'sは、観客の拍手を背に息を切らしていた。
「はぁ……すごかったね!」
ことりが胸に手をあてて微笑む。
「本当に……夢みたい……!」
と花陽も目を潤ませる。
その中で、希は肩で大きく息をしていた。
ステージの上では、あの切羽詰まった気持ちを感じさせる余裕などなかったが、思い返すと全身が熱くなる。
「ふふ、よかったね、希ちゃん」
隣から小声で囁いたのは穂乃果だった。わざとらしくウインクしてみせる。
「……! ほ、穂乃果ちゃんっ、からかわんといてぇ!」
大きな声をだしてしまった希は慌てて手で口を押さえたが、穂乃果の笑顔に釣られて周囲のメンバーもクスクス笑い始める。
「そうねぇ、ステージ前にあんな大冒険するなんて、μ'sでも希だけだと思うわ」
にこが腰に手を当ててニヤリと笑う。
「……にこっちまで! ほんま、かんにんしてよぉ……」
「でも結果的には、あなたらしいというか……ね」
絵里は苦笑しつつも、腕を組んで頬を赤らめた。
「わ、私は……あのとき本当に心臓止まるかと思ったんだから!」
真姫がそっぽを向きながらも小さく言い、その耳は赤く染まっていた。
「……はぁ、もう……みんな、絶対これから先、ネタにせんといてや?」
希が真剣な顔で言うと、穂乃果は元気に返した。
「えー!一生忘れない思い出だよ!」
「そ、そういうことじゃないんやけどなぁ……」
希は思わず天を仰ぐが、肩に置かれたことりの優しい手に、ふっと笑顔がこぼれた。
「でも……ほんとに助かったわ。あのとき、みんながおらんかったら、今ごろ……」
言葉を濁すと、花陽が励ますようにいう。
「だ、大丈夫! μ'sは、みんなで支え合うんだから!
「……本当に、無事でよかったわ」
絵里も肩越しににっこり笑い、手を軽く握った。
そこに凛が明るく声をかけ、両手をぱんぱんと叩きながら元気に言った。
「でも、なんとか間に合ってよかったにゃ♪」
希は思わず肩を揺らして笑う。
「さあ、次はご褒美タイムだよ!」
穂乃果が笑う。
「そうだよ、希ちゃん、今日のライブは頑張ったにゃ!」凛もと目を輝かせた。
希は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
それは恥ずかしい秘密でありながら、同時にμ'sの絆を改めて確かめられた瞬間でもあった。
彼女たちの笑い声は、まだ観客の余韻が残るホールに、いつまでも明るく響いていた。
μ’sの笑い声がようやく落ち着いたころ、ふいに別のスクールアイドルグループの声が響いた。
「ちょっと、なにこれ……!?」
「ゴミ箱から、すっごい匂いするんだけど!」
「えっ、まさか……お、おしっこ? 誰よ、こんなとこでしたの!」
瞬間、μ’s全員がぴたりと固まった。
希の背筋を冷たいものが走り、他のメンバーも一斉に顔を見合わせる。
「や、やば……」
希が額に汗を浮かべながら小声で漏らす。
「どうしよう……!」
ことりは半泣き顔。
「ひゃぁ……」
花陽は情けない声をあげて、にこの袖をぎゅっと掴んだ。
「落ち着いて……!」
絵里も眉をひそめ、手で口元を押さえながら小声で言う。
「にゃはは、なんとかなるにゃ」
凛は少し笑いをこらえつつもじもじする希を励ます。
一方、海未は顔を真っ赤にして口を引き結び、真姫は額に手を当ててため息をついた。
「……なんとか処理せな、後で絶対バレるやん……!」
希が切羽詰まった顔で言うと、真姫が即座に遮る。
「ダメよ。そんなことしたら逆に目立つわ。誰かに見られたら終わりよ」
その冷静な言葉に、にこも頷いて手を振って言う。
「そうそう! 真姫の言う通り!」
ところが次の瞬間――にこは胸を張り、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それにねぇ、大人気アイドルグループμ’sの東條希のおしっこなんだから、掃除する人だって逆に喜ぶわよ!」
「……はぁ!?」
全員の声がそろって裏返った。
「にこちゃん……っ、なに言ってるのよぉ!」
動揺した希は関西弁が消し飛び、顔を真っ赤にしてわたわたと手を振る。
「えぇぇぇっ!」
ことりと花陽は同時に叫ぶ。
「じょ、冗談だよね!?」
穂乃果はにこを揺さぶる。
「にゃっ……!」
凛も小さく叫び、耳まで赤くなる。
絵里は眉をひそめ、真剣な目でにこを睨む。
極めつけは、海未だった。眉を寄せ、真剣な顔つきでにこを見つめる。
「……にこ。あなた、まさか……尿を男性に売ったりしていませんよね?」
「ちょ、ちょっと! してないわよっ!」
にこは耳まで真っ赤にしながら両手をぶんぶん振る。
「い、今のは冗談よ! 冗談! 誰がそんなことするってのよー!」
「にこちゃん必死だぁ」
全力で否定する姿に、穂乃果は呟く。
ことりと花陽は顔を見合わせてクスクス笑う。
「自業自得ね」
真姫は冷たく突き放す。
希は恥ずかしさで顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「もう、なんて子にゃ……」
凛は頭を抱えつつも笑いをこらえ、小声で呟いた。
「……まったく、あなたたちは……」
絵里はため息混じりに苦笑した。
「ちょっと! なんでみんな信じないのよ!」
にこが叫ぶが、笑いと冷や汗の入り混じった空気の中、誰も本気で追及はしなかった。
「……本当に、していないのですよね?」
ただ一人、海未だけがとまだ疑いの目を向けていた。
「だからしてないってばぁ!」
にこは必死に叫び返していた。
そんな風にμ'sが会話している間も、別のスクールアイドルグループの騒ぎは収まる気配がなく、ついに彼女たちが足音高くこちらへ近付いてきた。
「ちょっと、μ'sの皆さん!」
声をかけられ、μ’sの全員が一斉に振り返る。
そこには、さっきまでゴミ箱を覗いて騒いでいた3人組のスクールアイドルが立っていた。
眉をひそめ、あきらかに怪訝そうな顔。
「なんか……ゴミ箱から怪しい匂いがするんですけど。何か知ってません?」
「ステージ裏で変なことされたら困るんですけどね」
――空気が凍った。
希は喉を鳴らし、額にじっとり汗をにじませた。
にこは「あ、あはは……」と乾いた笑いでごまかそうとするが、すでに怪しまれているのは明白だった。
「ど、どうするの……」
ことりが希の袖を小さくつまむ。
「う、うまくごまかせるかな……」
花陽は目を潤ませながら小声。
「落ち着いて対応しないと……」
絵里は眉を寄せて冷静にアドバイス。
「ふふ、なんとかなるにゃ……」
凛は腕を組み、少しニヤリと笑って希を励ます。
「ごまかすしかないわね」
真姫は小声で言う。
海未は険しい顔で沈黙を守る。
その時、希が一歩前へ出た。
「……あのなぁ、実は――」
と言いかけたとき、真姫がすっと前に出た。
「それ、多分スポーツドリンクよ」
「えっ?」
不思議そうに首をかしげる別グループの子たちに、真姫は落ち着いた顔で続けた。
「ほら、私たち、リハーサルの後に水分補給したでしょ? で、ペットボトルに残ってたのを捨てたのよ。蓋閉め忘れて中で漏れただけ。匂いが気になるなら……糖分入ってるからよ」
すらすらと出てくる説明に、μ’sメンバーは「おぉ……!」と心の中で感嘆する。
だが――。
「なるほど……でも色は無色透明じゃなかった?」
鋭い突っ込みに、希の顔から血の気が引く。
「そ、それはなぁ……」
「……あ、あははは!」
突然、にこが大声で笑った。
「それね、希が占いのためにブレンドしてた“特製ハーブ水”なの! だからちょっと色も匂いも独特なのよ! ね、希?」
「えっ!? う、うち!?」
急に振られて目を白黒させる希だったが、すぐに察して
「そ、そうやねん! 今日のライブ成功するようにって、自分で作ったんよぉ!」
と強引に乗っかる。
「へぇ……」
疑いの眼差しを向けながらも、相手グループは「まぁいいけど」と引き下がっていった。
去っていく背中を見送り、μ’sはどっとその場に座り込む。
「……あっぶなぁぁぁ!」
穂乃果が頭を抱える。
「心臓に悪すぎる……」
真姫は深くため息。
「にこ、適当なこと言いすぎです……」
海未が鋭い目で睨む。
「はぁー、もうにゃ……なんとかうまくいってよかったにゃ」
凛は苦笑しながら肩をぽんと叩く。
「……落ち着いたみたいでよかったわ」
絵里も小さく息をつき、手で額の汗をぬぐいながら安堵の表情。
希はまだ赤い顔を押さえながらも、苦笑して頷く。
「ほんま、みんなのおかげや……」
「次はもっと計画的に行動しましょうね」
絵里は微笑みつつ、少し叱咤混じりに言うが、その声には優しさが溢れている。
「次は早めにトイレ行った方がいいにゃ」
凛も冗談交じりにアドバイス。
に
「まぁ、とにかく無事でよかったわね、希!」
にこも希の肩を叩く。
「ほんと、もう二度とこんな危険なことしないでね」
真姫は釘を刺す。
「ふふ、これもライブの思い出にしよ!」
穂乃果は明るく笑う。
こうして、μ’sはライブ直後の慌ただしさとドキドキの事件を乗り越え、再び和やかな空気に包まれながら、ゴミ箱も含めてステージ裏の片付けを始めた。
全員の笑顔が、緊張の余韻をやわらげ、ホールの熱気の中でも確かな安心感をもたらしていた