side:アスカロン
「……時間切れ、ですか」
自救軍の面々と協力し、ロドスは着実に進めていた。
この混沌を極めるロンディニウムでも、幽かな希望を見出してロドスの信念を遂行できていた。
まだ状況は優勢とは程遠い。
だが、望みは絶たれていない。
覆し難い戦力差でも、アーミヤも私たちも折れていなかった。
眼前に聳えるのは、ブラッドブルードの大君。
規格外の効果範囲と汎用性を有する古の巫術でおよそ個人が為せるとは言い難い物量の攻撃を放ってくる。
それらをアーミヤ小隊、Logosの奮闘でどうにか捌いていた。
長く続けばすり潰されるが、こちらの目的は敵の討滅による勝利ではない。
この場からの速やかな撤退。
勝利条件が目前の大敵の打破でないだけ幾分救済的だ。
アーミヤは都市中に谺するサルカズの声に苛まれて倒れてしまっているが、それでも逃げ出すだけでも可能な筈だった。
なのに……。
「あれ、は……」
「何故、貴方がここに」
司令塔の上で、私は見えていた。
かつて同じ師に学んだ同朋と剣を交えていた瞬間、同じ場所にいる巨大な気配――ブラッドブルードを統べる古い王ドゥカレにすら覚えなかった寒気が背筋を駆け上がる。
それは、目の前のマンフレッドも同様だったようだ。
一人のサルカズが中天に佇んでいた。
襤褸の裾をはためかせ、長槍を手にしている。
顔を布で覆い隠した白髪のサルカズは、顎に手を当てて塔の戦況を優雅に俯瞰中だ。
「何をしに来たのですか?」
「殿下から様子を見て参れとの下命だ。気乗りせぬそなたが骨董品程度の価値しか無いとはいえ誇りも同義の血を必死に撒いて暴れる様が目に入ってな。相手は何者かを確かめるついでに誂おうと参上した次第……よもやロドスとはな」
アーミヤの背後にいたロドスの小隊に向けて、サルカズから威圧感が放たれる。
「つくづく無礼千万な口ですね。今手早く魔王を片付けます、その次は貴方で――」
「――魔王?」
ドゥカレから溢れた血潮の波濤が私たちに迫る。――が、それを横から滑り込んだ青黒い霧が阻んだ。
降りかかろうとした血が一瞬で腐臭と共に床に黒く貼り付くだけのカビとなった。
「何が――」
「っ、アーミヤ!」
一瞬の出来事だった。
「ううむ、コータス。コータス、か」
呑気な声がした。
謎の濃霧に血が防がれたかと思えば、肩口に激痛。
私の仕込み刃を振るう左腕と、腹部に鋭い刀傷が刻まれた。
何事かを反射的に理解したであろうLogosが背後で動いていたようだが、轟音と共に少し離れた場所まで床を抉りながら転がっている。
負傷、陣形の崩壊。
だが、マンフレッドやドゥカレからの追撃は無い。
未だ漂う、いや質量すら伴った壁のように立ち塞がる霧が敵味方問わず介入を阻んでいる。
私が振り返ると、アーミヤの前にサルカズが立っていた。
先刻まで中空にいた筈の長身が小柄な彼女を覆い隠している。
振り抜いた槍――恐らくLogosを殴り飛ばした――を床に突き立てたのは、肘から前腕が二つ発達した異形の様相。
外見から察するに、ナハツェーラーだ。
長引けばテレシスやナハツェーラーの大軍が現れると危惧していたが、まさかこれほど速く、その上単身とは。
アーミヤにも動きは無い。
「ぅ……」
「この長い耳介、儚い手足、澄んだ蒼穹が如き眼……」
ナハツェーラーが無遠慮に苦悶するアーミヤの顔を触る。
長身を横へかくりと折る不気味な所作で下から覗き込む。
すべてが恐怖を煽るようだった。
何よりも、この声。
私の本能が警鐘を鳴らすと同時に、場違いな懐かしかに震えている。
聞いた事がある、何処だ、何処で――。
「おお! これぞ我が夢見た光……? 否、それにしては忌々しき王冠の光輝が混じって……? そなた、一体――」
「『絡め取れ』」
Logosの呪文が閃く。
紡がれたバンシーの強固な呪文が床から伸びる光の鎖となってナハツェーラーの総身を縛った。
その間に、私も走ってナハツェーラーの背中に刃を振るう。
「――邪魔するでない、叛逆者ども。ついでにドゥカレ」
低く圧し潰すような声だった。
咄嗟に面前へと持ち上げた仕込みの刃から火花が散る。
私たちを包囲していた霧の一部が蠢き、瞬きの間に腕の形となるや床に突き立ててあった長槍を掴んで私を攻撃していたのだ。
同じ事ができる私だから分かる。
コイツのは――練度が桁違いだと。
同時に、こういった攻撃手段には見覚えがあった。
声と重なり、さっきから奇妙な懐かしさばかり湧くだけで朧だった記憶の輪郭がより鮮明化していく。
「そなたの名を申せ」
「わた、しは……」
「ゆっくりで良い、聞かせよ。殺すか否かはその後だ」
ドロリ、とLogosが未だ力を注いでいた光の鎖が形を崩す。
ナハツェーラーの体から湧いた霧が呪文を腐らせた。
呪文を腐らせる?――出鱈目な光景に、さしものLogosすら瞠目して一瞬動きを止め、しかし次なる呪文を放とうと構えている。
私も槍を仕込みの刃で滑らせるように横へ逸らしつつ踏み込む。
ナハツェーラーの興味がアーミヤへ注がれている。
最初の目視不可能な初撃といい、コイツは危険すぎる。ブラッドブルードの大君、聴罪師……何を差し置いても最もアーミヤへ近付けてはならない!
「やれやれ。――少し場を整えよう」
ナハツェーラーが指を鳴らす。
すると、躱した筈の長槍の穂先に戦場を囲んでいた霧が凝縮して巨大な大鎌を形成した。
一瞬で晴れた視界、阻まれていたドゥカレとマンフレッドが再始動する。
どちらを止めるべきか。
ナハツェーラーの行動は予測不能、少なくともアーミヤを今すぐ害する様子は無い……油断はできないが。Logosは骨筆を揮う先を、自由になったドゥカレへと定めていた。
考えは一致した。
私もマンフレッドの方へと体を方向転換し……しかし、視界の端に捉えたナハツェーラーの動作に血が凍る。
柄を掴んだ右の二手が目にも留まらない速度で閃いた。
「なっ……!?」
風が吹いたと感じた直後、城壁が崩壊した。
傾く足下と、滑るように動いて露わになる寸断された床の断面からナハツェーラーの攻撃が足元を切り裂いたのだと理解した。
それも……自身とアーミヤのみが残るように。
「ふむ。体調が悪そうだ……質問は連れ帰った後で聞くとし……あ」
「…………は?」
床が滑り落ちていく。
何故か、ナハツェーラーとアーミヤだけが空中へと放り出された。
「うむ!! 斬るとこ間違えたッッ!! ふははははは許せマンフレッドォオオオオオッッ!!」
落ちていくナハツェーラー。
ドゥカレも、マンフレッドも、私たちも……何故か示し合わせたように、一同呆れて見送るしかしなかった。
ただ一人、Logosを除いて。
「殿下のみならず、うぬ等は……」
「私も驚きましたよ。ネツァレムの酔狂かと思いましたが、よもやテレシスまでもが加担していましたから。この光景を見ると、そこまでする価値があったか疑問ですがね」
ドゥカレが肩を竦める。
Logosの骨筆を執る手が震えていた。
常に冷静沈着でスツール滑走大会の企画等といった奇行以外では、恐らく、私が知る中で初めて見せる体に現れる程の感情――怒りだ。
「マンフレッド、ヤツは何だ」
「君も薄々気付いてるんじゃないか、アスカロン」
「……何がだ」
マンフレッドの言葉に、我知らず返した声の語気は荒かった。
「君たちがもし我々を止めるのだとすれば、打倒すべきかつての仲間は殿下だけに留まらない」
「オマエたちは、どこまで」
「その批難は覚悟の上だ。それでも我々には果たすべき宿願がある……たとえ、墓を暴く行為であろうと」
毅然として剣を構えるマンフレッド。
私も仕込み刃を掲げるが、もう意識は目の前のヤツに向けられなかった。
今、アーミヤを抱えて落ちたナハツェーラー。
その正体を知ってしまった、気づいてしまったからには。
side:クロージャ
落下してくる一つの影。
アーミヤちゃん達が交戦していた筈の場所だけど、一体何があったのか。
理解できないままに、落ちる人影は途中で速度を緩めて羽のように軽く地面に着地した。
丁度良くあたし達の前に立ったのは、ナハツェーラー。
その腕に、アーミヤちゃんを抱えている。
見上げるような長身と、それを優に超える槍の武装。
一目で分かるのは、こいつが今まで退けて来たサルカズ達とは異なって将軍級の戦士であること。
でも、何故か不思議と警戒心が湧かなかった。
呆気に取られているあたしとドクターの前で、ナハツェーラーは後ろの塔を振り返った。
「ううむ、納得いかん。我以外が塔の頂に残らぬよう斬り払いたかったのだが……何か我だけ落ちた忸怩たる有り様。ふ、取り敢えずドゥカレは始末しよう」
その声に、耳がぴりぴりする。
聞いた事がある。
聞いた事がある。
聞いた事がある。
あたしもドクターも、固まった。
だって、特にあたしは、ここ何ヶ月も、ずっと、ずっと記録された音声で聞いて、映像で見て、思い出して、ずっと、ずっと。
「んんんん?」
ゆっくりとナハツェーラーがあたし達のいる正面に顔を戻した。
そして、ドクターの服に刺繍されたロドスの証を見て動きを止めた。
「そなた、ロドスの人間か」
「あ、ああ」
「そうかそうか。……それに、その風体は音に聞くロドスの指揮官だな? であれば、我の問いに答えられる資質があろう」
ドクターへと問いかけながらも、ナハツェーラーはアーミヤちゃんを離さない。ドクターはそれが気が気でなくて、交渉事にも一切隙を見せない彼らしくない動揺を見せていた。
いや、そんな事よりも……目の前の、ナハツェーラー……ううん、この人は……。
「――我が名はレイクァトム。枯朽の王庭の宗主が恥にして、両殿下の懐刀を務める者」
ドクターがこっちに振り返る。
「レイ君……なの?」
「む、何だブラッドブルード。姉上以外がその愛称で呼ぶな……否、割と悪くないな。マンフレッド、ナディーン辺りに甘い声で呼ばれるのも一興か?」
「れ、レイ君!」
「我は今このロドスの指揮官と話しておる。そなたの処遇は後だ、黙して待て」
聞けば聞くほど、記憶と合致する。
包帯や格好、右腕といい何もかも様子が異なるけど。
あたしがこの数月、何度も夢に見て、何度も代わりで慰めようとして、何度も会いたくて、何度も……!
安堵で膝から力が抜けた。
ドクターが咄嗟にあたしを支えてくれる。
あ、あはは。
夢、ではないんだよね。いつもの幻聴とか、あたしが自分で部品を寄せ集めて作り出した偽物じゃないんだよね?
『そなたがいる事がここにいる理由となろう』
レイ君。
『おお、愛しの我が姫よ。そなたへの愛こそが世界を彩るすべて……と称せば大袈裟と捉えて冗談に聞こえるやも知れんので具体的に九割八分としておこう!』
レイ君。
『名で呼ばないのか? …………そなたこそ、実は姫と呼ばれて面映ゆいのではないか? むふふふ、実に愛いではないかッッ!!』
レイ君!
気づいたら、あたしはドクターより前に出ていた。
レイ君は、少し警戒したように一歩後退った。
「まあいい。ロドスの指揮官、聞きたい事が」
「レイ君、よ、良かった、生きてたんだ。良かった、あたしずっと、もう会えないと思って、ごめんね、やっとさ、やっと答え出せたんだよ。レイ君。レイ君。そ、そうだ、プレゼント! ブレイズに預けてたってやつ、ホラ、今首につけてるよ、これ使ってるんだよ!」
「……だから、我の質問が先だと」
「あのね、あたしね、レイ君が――」
「黙れブラッドブルード。さも知人の如く我に対しておるが、そなたなど知らん」
…………。
知ら、ない?
今、何て?
言葉をゆっくり噛み砕いて、すると激しい頭痛と胸の痛みに襲われた。
冗談……レイ君は、たしかに平然と嘘もつくけど人を傷付けるような事は言わない。誰かを庇ったり、厳正なアーミヤちゃんとRaidianの添削に対して逃れようとする言い訳だったり、あたしへの見栄も。
いつだって、そんな、そんなこと。
「っ、クロージャ!!」
「え?」
ドクターの切迫した声にはっとした。
ずきずきと頭が痛む。
レイ君が拳を振りかぶっていた。
じくじくと胸が痛む。
「先刻から不快だぞ、反逆のブラッドブルード。先に消えておけ」
ぱっと、視界に血が散った。