side:クロージャ
ナハツェーラー達が空から影を落とす景色を背に、レイ君の手元から血飛沫が舞う。
「何故、我の巫術が発動する?」
激しい頭痛が収まった。
顔にかかった冷たい血の感触にスッと冷静になる。
拳を振り抜こうとしたレイ君の左腕が青黒い霧の槍に貫かれていた。この色の霧は、あたしもよく知るレイ君の巫術で発生した物だ。
でも、今はそれが本人を襲っている。
呆気に取られたのはあたしだけではなく、レイ君もだった。
レイ君が発動した巫術じゃない?
だったら、誰の――霧の発生源を視線で辿れば、あたしのチョーカーから溢れ出している事に気付いた。
「レイ、君……?」
「その品、よく見れば巫術が施されておるな。それも、いや間違いなく我が術……ブラッドブルード、そなた何者だ」
「クロージャ!」
ドクターがあたしの手を引いて後ろに下がる。
「む。逃すかぁだダダダダダ!?」
でも、その後退を許すまじとレイ君が一歩前に踏み込んで槍を構えようとしていた。
そこで、またも異常が起こる。
槍の長柄を掴んでいた二本の右前腕の片割れが勝手に動き、レイ君の髪を掴んでいた。情けない悲鳴を上げて、まるで一人芝居のように奇妙な体勢でレイ君が立ち止まる。
「く、また発作か。しかし、平時より苛烈ではないかッ!」
「Mon3tr!」
ドクターの声に応えて、遠くにいたMon3trが地面を低く這うように駆ける。
あの強靭なウェンディゴすら足留めした怪物。
接近する気配に唸るレイ君が槍の石突で地面を叩くと、無数の文字が刻まれた鋼の刃が生え始め、あと一歩だったMon3trは直下から火花と共に撃ち上げた。
更に宙に浮いたところへ、容赦なく回旋したレイ君の槍の穂先を叩き込まれ、黒い巨体は遠くの倉庫の壁面を突き破っていった。
折角の強力な助っ人はいなくなった。
再び、敵意を露わにしたレイ君がこっちを見る。
怖い。
レイ君から、初めてそんな感情を向けられた。
膝が笑っている。やっと会えた、会いたかった人を前にして心底から命の危機を感じていた。
怖い。
怖いのに、あたしの体は未だにレイ君に向かって手を伸ばしていた。
でも。
「む、この忌々しき気配は――!?」
レイ君とあたし達の間を鋭い光が裂いた。
レイ君の腕がまた血を噴く。
今度は、アーミヤちゃんを抱えていた左腕が切り落とされた。落ちる彼女を前に飛び出したドクターが地面に触れる前に受け止める。
「ドクター、クロージャさん無事ですか?」
「シャイニング!」
黒衣を靡かせながら、剣を振り抜いた姿勢でシャイニングちゃんがこちらへ呼びかけていた。
「聴罪師の匂い。なるほど、癇に触るわけだな」
「今の貴方は、我々にとって猛毒です。残念ですが、私が相手となります」
「吼えたな。たかが聴罪師一匹で我に企図しようなどと思い上がりも甚だしい」
レイ君の全身から伸びた枯枝をシャイニングちゃんが自分に到達する直前で素早く斬り落としていく。
しかし、圧倒的な物量に足が少しずつ後退していた。
片手間で彼女をいなしつつ、再びレイ君の面覆いの向こう側の視線がこっちに向けられる。切断された筈の左腕は傷口から溢れた霧がゆっくりと接合し、治癒した。
「ロドスの指揮官、コータス、そして謎のブラッドブルード……一絡げにしてくれよう。尋問は連れ帰った後で良い」
「……レイ君。ホントにあたしを憶えてないの?」
往生際が悪い、と自分でも思う。
でも、レイ君が襲って来るなんて現実を信じられなくて無駄な問いを投げてしまう。
様子だって、あたしのレイ君と違う。
なのに、希望を捨てきれないのは、二度と声も聞こえない、姿も見えない日常に戻りたくないからだ。
掲げられた槍を見据える。
そして――レイ君が手を止めた。
「……もしや、そなたか?」
「え?」
「我には、ここ数年の空白がある。……だが、苦労して掬い上げた断片には以前の己にとって重要と思しき物があった。――『約束』だ」
「……約束。それって」
あたしには思い当たる節がある。
それは、以前のレイ君と最後の別れ際にした話だ。
求婚の返答を帰還後に期待するという一方的な話だったけど、もしかしたらレイ君には記憶喪失後も重要な事柄として刻まれていたのかもしれない。
……まだ、取り戻せる?
期待が膨れ上がる。
あたしは思わず一歩前に踏み出て。
「もしかしてっ、あのプロポ――」
「『帰ったら大事な話がある』、と……最初は声のみだったが、次第に我の手を握る光景が浮かんだ。顔は朧気だが……もしや、そなたなのか?」
「……手を、握って?」
内臓がすっと空白と入れ替えられたような虚脱感だった。
そして、頭はスッと凍てついていくのに段々と血が沸騰するように熱くなる。
あたし、じゃない。
手を握った?
触ってくれた事も、触らせてくれた事も無いのに。
誰、誰とそんな約束したの?
あんなに、あんなに求めて来てたのに、記憶を失った後にも残る重要な情報があたしに由来してないの。あたしより、もっと大切なのがあったの? 一番って、何よりも大切って言ってたのに。
「……」
「そなたなのか?」
「……何で」
「……そうか。そなたではないのか。先刻の巫術といい、何やら我の中でそなたを前にすると沸々と不快感が湧く――」
レイ君の槍が再び動き出す。
「何であたしじゃないの――?」
「始末しろと、本能が告げる」
一筋の閃光が走ったように見えた。
あたしの肩から、ゆっくりと血が滲む……胸の前で二振りの鋼が交錯していた。
目標を、あたしを貫こうとしたレイ君の槍。
下から掬い上げるように弾いたシャイニングちゃんの剣。
シャイニングちゃんは血塗れで、体に細い枯枝が幾本か刺さっている状態だった。枯枝の槍衾を強引に突破して、こっちを助けようとしてくれたんだろう。
そのお陰で胴体の穿孔は免れたし、傷は深くない……のに。
「いたい……」
体ではないところに、ぽっかり穴が穿たれたみたいだった。
side:ドクター
クロージャがその場に膝から崩れ落ちた。
浅く斬り裂かれた肩の血を手で拭い取って、呆然と見下ろしている。
駄目だ。
話に聞き及んでいたLycoris――レイクァトムの為人。
クロージャを愛していた人物だからこそ、それを知っているクロージャだからこそ、傷付けられたという現実が何よりも酷に彼女の胸を穿ったのだ。
一人の心を砕いた死神は、槍を持ち上げてため息を一つ。
「仕損じたか。なればもう一度」
「二人とも逃げてください!」
シャイニングが剣を引き戻して、レイクァトムへと再び斬りかかる。
至近距離――長槍と剣ならば後者に優勢の旗が上がる。
それに、シャイニングは剣術の達人だ。
如何に歴戦のサルカズ勇士とはいえ、捌くのは困難だろう。
だからこそ。
「どこまでも我を侮って憚らんな、害虫」
シャイニングの剣を弾き、彼女の両肩から鮮血が飛び散った光景に驚かざるを得ない。
レイクァトムの手に、剣が握られていた。
針の如く細身の刀身が剣呑な艶に濡れている。
「ッ、仕込み……!」
シャイニングが瞬時に正体を悟る。
遅れて、私もその言葉の真意を察した。
レイクァトムの長柄が短くなっている……否、恐らくそこに仕込んであったのだろう。槍の柄に剣を呑み、槍撃を掻い潜って至近に参り込んだ敵を仕留める狡猾な罠だ。
しかし、単なる奸計。
機能としては不意打ち程度で、多少の練度があろうとシャイニング程の手練を初見で仕留められなければ、一蹴に能う脅威度には至らない……
「斯様な手合いは我が内懐にこそ勝機を得たりと傲慢になる」
体勢を立て直したシャイニングとレイクァトムの剣閃が交わる。
私の目には、二人の放った攻撃が鋼の光ばかりが残像として焼き付けられるばかり。どちらも、筆舌に尽くし難い業前をしている。
ただ、次第に優劣が現れ始めた。
シャイニングの黒衣が裂け、薄く全身に朱の線が滲み出す。
そして、間断なく空気を圧迫するように響いていた金属音が一際甲高く打ち鳴らされ、シャイニングの身体も後ろへ大きく仰け反る。
「今度こそ散れ、ブラッドブルード。我が嫌というほど受けた剣、その再現を以て葬ってくれる!」
「――Lycoris!!」
私が叫ぶが、間に合わない。
鋭い剣が走り――今度こそ過たず重傷を示す血飛沫。
「…………?」
クロージャは……無事だった。
そして、何故か私とアーミヤの前にレイクァトムが立っている。その肩から、血が迸っていた。
深々と彼の体を切り裂いた剣の切っ先が、私の鼻先に突き付けられている。
「……何をしている?」
「……わ、ワワレ、レレレ?」
レイクァトム越しに聞こえる冷たく重い声。
もう一つは、壊れた人形のようのレイクァトムの声。
私は、レイクァトムを切り裂いた剣の持ち主を見た。
薄く桃色に染まる短い髪には黒い一対の角、凛々しい面差しは目の前に立ち塞がって我々を殺めようとした剣を阻止する同朋を前にしても曇らず、歪まない名剣のような殺伐とした美しさがある。
しかし、その美貌に反して鋼の具足で身を包んだ将軍装束は、どのサルカズよりも戦場の血生臭さを感じさせた。
「……退け、レイクァトム」
「我、レレ、リコココッコールリスッ」
「……なるほど、ロドスの悪霊か。しぶとい」
何が起きているのか分からない。
理解不能な状況に動けない私は、後ろから肩を掴まれた。
振り返ると、ケルシーが立っている。
「ドクター、撤退しろ。私が足留めする」
「だが」
「レイクァトムを含め、この場を一任して欲しい。アーミヤは君にしか頼めない……このテレシスを相手には、それが最善だ」
ケルシーの言葉と共に、疲弊したMon3trが躍り出て鉤爪を振るう。
サルカズの戦士――テレシスは鮮やかに後ろへ素早く飛び退いて回避した。
躊躇う私を他所に、剣を引き抜かれたレイクァトムの肩口の傷が塞がっていく。
修復――どんなエラーでこうなったかは知れないが、間もなく状態も戻るのではないか。
レイクァトムの顔が、おもむろにクロージャの方へ向いた。
「ひひ、姫? ぇええ、ここっここ、我にマカセて、退くのダン?」
「レイ君……?」
「いいいいいいけ、戻ド、モドルッ……!」
「レイ君!!」
「あ、愛、シて……ル……」
「っ……」
「……む、意識が途切れ……イッタぁ!? 我の肩が斬れておるのだか!? この鋭い切り口……やはり貴様かテレシス!! 我何かした!?」
「正気に戻ったのなら、隣のブラッドブルード諸とも始末しろ」
「む。それは言われずと――も?」
恐らく状態異常から復帰したであろうレイクァトムがクロージャへと体を巡らせて――忽然と姿を消した彼女にきょとんとしている。
「逃げるよ、ドクター!!」
ドローンに繫げられた私とクロージャは、彼らから急速に遠退いていった。
鮮やかな逃走速度に唖然としつつ、私は隣のクロージャに礼を言おうとして……ぞっとした。
「ほら。やっぱり……そうだよ、レイ君は死んでない。取り戻せる、絶対。連れ帰らないと、絶対。絶対。絶対」
熱に浮かされたように微笑んで、ひたすら彼の名を呼んでいた。