side:Logos・アスカロン・アーミヤ
美麗なバンシーの正装が汚れる事も厭わず、衣装に勝るとも劣らない美貌の青年――Logosは寂れた鉄の階段に腰を下ろしていた。
感情の一片すらない表情の裏で、混乱が頭を軋ませる。全身も強かに打ち据えられた傷の痛みが響き、本来なら歴戦の勇士すら涙を滲ませる痛手も余人に悟らせない静謐さを保っていた。
唯一、その内心を表すのは一点。
骨筆を執る手がほんの微かに震えていた。
動揺だった。
死んだ筈の戦友が敵陣にて蘇り、対立するだけではない。
生前を知るLogosの記憶以上の猛威を振るった。
記憶の喪失だけならばまだしも、容赦なく敵の命を刈り取ろうとする姿勢、目にも留まらない速度の殺傷、どれもが既知の情報と異なりすぎている。
まだ、信じられないでいた。
命に対して、最も向き合っている一人だったから。
「ここにいたか」
背後に音もなく立つ気配にLogosは振り返る。
フードの奥から睨め下ろすアスカロンの眼差しがあった。
「ヤツはもう敵だ。弁解の余地は無い」
「理解している。……うぬやアーミヤも、大事無いのか?」
「受けた手傷に問題は無い。次は確実に始末する……アーミヤは倒れた直後とあって記憶も曖昧だ。これからかもしれない」
「……我とは異なり、うぬから憤怒を感じる」
「……当然だ」
「何故」
アスカロンが唇を噛む。
珍しく感情的な部分を見せた彼女の姿は、Logosにとって久しい。
以前は、テレジアを喪った直後の事だ。
バベルの残党がロドス本艦ごとバンシーの河谷にて匿われていた時に、テレジアの弟子だった自分と魔王の盾としての立場があったLycoris、そして密命を帯びてテレジアの懐刀を全うせんとしたアスカロンが顔を合わせる機会があった。
アスカロンは誰かを糾弾したりはしない。
変わらずテレジアの遺志を遂行しようとする。
それでも感情が整理できていたわけではない。親代わりにして希望の象徴、暗澹たる大地を照らして道標を皆に示す光そのものを失ったのだから、そうそう立ち直れないのも当然。
ようやく一息つき、熾火を車座になって三人で囲う場で失った痛みを胸裏から吐露したアスカロンに。
『そなたも、Logosも。……艦に乗り続ける理由を探すが良かろう』
『うぬは、ナハツェーラーの下へ帰還せぬのか』
Logosの言葉を、Lycorisは鼻で笑う。
『我には使命がある。殿下の遺志の行く末を……果たして我が光明は真に穢れたのか、裏切りと断じた我の解釈が誤謬か否か見定めねばならぬ。何より、我自身もまだ大師父に誓った大言壮語の証明が済んておらぬ故――この怒りと疑念と愛を以て、我が航路の指針とする』
『愛……』
『裏切りとは、何だLycoris。殿下がおまえを裏切ったと言いたいのか?』
『それは殿下の遺志次第だ』
『っ、おまえは――』
恩人への侮辱と受け取って居合腰になりかけたアスカロンの首を、Lycorisの手が――レイクァトムの手が掌握する。
そのまま長身を立ち上がらせ、アスカロンを宙に持ち上げる。
放たれた威圧感は、仲間へと向ける質量ではなかった。
『倣う背中と別れ、依りかかる主も喪った今、問われるべき時が来たのだ。……アスカロンよ、いつまで他人を指針にしている?』
『…………!?』
『これがテレシスの自慢だと? 嗤わせてくれるなよ、この体たらくで我が見た曇りなき剣の何を受け継いでいる? ……よくよく考えよ』
アスカロンを地面に落とし、咳込む彼女を他所にLycorisの顔がLogosへと向いた。
『Logos。そなたは?』
『我も艦に。ただ、いま一度信念を新たにするに当たって、河谷に残り同族達と……この故郷と向き合わねばならぬ』
『……そなたらしいな。本来我もそうすべきだが、出来ぬ……アスカロンの事を言えた口ではないな』
Lycorisが二人に背を向けて歩き出す。
『何処へ行く』
『アーミヤの下へ。我は河谷から厭悪された身、長い外出は好まれぬ……おかしいな、そろそろLogosへの求婚事件の熱りも冷めて歓迎ムードの筈だったのだが。仕方無いので、我が光アーミヤに笑顔を咲かせる日課に勤しむとしよう』
『ふ、我の方からも言っておこう』
『ハァンッッ!? そなた、鼻で笑いながら言いよったな。要らぬわ。慈悲でバンシーにニコニコされても我の幼児退行の呪いで受けたあの瑕疵が癒せると思うなよキィイイイイイッッッ!!』
一頻り奇声を上げて怒りに悶えていたLycorisは、未だ沈黙するアスカロンへ。
『アスカロン。誰より色濃く血と死で塗れたそなたと我だからこそ、ロドスなる組織の理念とは向き合わなければならぬ。努、足を止めず考え続けるのだぞ』
最後にそう告げて立ち去ろうとしたLycorisに通信が入る。
『うむ、こちらオペレーターLycoris。……うむ、今ちょうどアーミヤの下へ馳せ参じ……え、検診? 受けないと会わせない? 冗談も休み休み言え、我の何処が不健康に見え……え、主に思考回路? ちょ、それただの悪口……え、女性に会わせない? ふ、その程度……ぇクロージャにも!? 如何に士爵とて職権濫用が過ぎるぞ。我が愛を阻もうとは、そなたは我との戦を好むのだな……良かろう!! なれば全霊を以て相手をしハーイ、こちらLycorisですアーミヤ。……私も受けるから、一緒に頑張ろう? ……ハーイ、頑張ります!! では、また後でな――くっ、おぬぅおるェ士爵ゥゥウ……!!』
通話が切れる。
その場に暫しの沈黙、しかしLogosが小さく噴き出してLycorisが羞恥心に首を振り始める。
『……うぬもまた艦に乗るならば、例外ではない。殿下の厚意で今まで免れていたが、皆平等だ』
『ぬがああああ!! 詳細なデータで己の腐敗の具合が知れてしまうの恥ずかスィイイイイイッッ!!』
『――ロドスの理念と向き合うのだろう?』
静かな憤懣を湛えるアスカロンの瞳に、Lycorisの肩が縮こまる。よもや言って一分も経たない内に返されるとは思いもよらず、みるみる先の会話で放っていた威厳は消え失せていく。
その後、トボトボ帰るLycorisの背中にアスカロンも何かを決めたような表情をしていた。
「アスカロン。うぬは何に怒る?」
ヴィクトリアの曇天の下、懐かしい記憶から意識を上げたLogosは再びアスカロンを見やる。
アスカロンは自身の顔に感情を見られたと悟って、ふいと逸らす。フードの奥に隠れてしまった表情からは何も察する事は叶わないが、欄干を握る手はぎしぎしと鳴っていた。
影としてあるべく感情を排して任務に当たる彼女でも、今回の件は中々に堪えているのだ。
「私に覚悟を問うたLycorisが、それを踏み躙る行いをしている事だ。――記憶を失ったからとて、それだけは看過できない」
「……ふ。我もうぬも大概よな」
「何か可笑しかったか?」
「我もうぬもLycorisに未練があり余る」
アスカロンの反応を見て、Logosは自覚する。
認めたくなかったのだ。
誇り高く、自他の齎す死への恐怖に抗った男が敵として、生前に貫き徹そうとしていた信念を忘れ、反する行いに手を染める事で自身の中にあるLycorisを、レイクァトムへの憧れが歪めて露と消えてしまう事を。
そして、テレジア殿下を守ろうと肩を並べて互いの苦労を共有したアスカロンは、Lycorisに対する人一倍の想念を抱えている。
自分とは異なり、師に認められた逸材でもある。強さも志も、何もかもを比較してあのアスカロンをして密かにコンプレックスを抱いていた。
同時に――尊敬し、慕っていた。
これはScoutからエリートオペレーター達に共有された情報だが、アスカロンは任務から帰投する度によくLycorisの様子を何の用が無くとも確かめに行く。
Lycorisを案ずるLogos、アスカロンはよく鉢合わせて気まずくなったものだ。
そして、堂々と話しかけるRaidianやAce、Scoutを見てコソコソと盗み見るだけの自分の状況に複雑な気分となる。
そして、その都度気配を察知したLycorisに口説いているかのような紛らわしい言葉遣いで話しかけられ、満更でもない反応をしつつ誤魔化すように打擲を加える。
『アスカロン、土産でそなたに贈りたい服があってな。我一人のセンスだと不安なのでブレイズと共に選んだゾ☆』
『……露出が多いような気がするが、おまえの趣味か』
『スーッ……いや、アレ……おかしいな……買ったやつと違う……ブレイズ……?』
『趣味か』
『趣味じゃないけど似合う、そなたならイケる!!――ゲファッッ!?』
後に、Lycorisは語っている。
『うむ、我って結構アスカロンに嫌われておるな。……が、あのおみ足で蹴られるのが楽しみでつい』
殺されていないのが奇跡である。
尤も、アスカロンにその気はない。むしろ微かに喜んでいるのだから、そんな相手を失くした上で敵となって惜しく思うのも無理はないのだ。
「未練、ではない」
「……そうか。そういう事にしておこう……我は言い訳もつかぬ程のモノがある」
思い出すのは、Lycorisの一撃。
こちらを見もせず、槍の一振りで打ち払われた光景が瞼の裏に焼き付いている。
その後も、LycorisはLogosを一度も立ち向かうべき敵として眼中に入れていない。反逆者、前に舞い込んだ虫が如くに脅威度では軽視されている。
テレジアに託されてから、鍛え上げたつもりだった。
Lycorisを戦場から遠ざけるべく、追いついて、追い抜く為にひたすら練り上げた。
最期の衰弱しきったLycorisを前に追いつけると慢心し、いざ力を取り戻した彼と対峙して彼我の差を突き付けられて胸中に燃え上がる物がある。
『アエファニル。――レイクァトムを、見ていてあげて』
記憶の底から蘇る恩師の声。
『弔鐘の王庭の主ではなく、エリートオペレーターとして在るそなたを尊敬している』
焼き付いた戦友からの称賛。
Logosは深く息を吐いて、曇天を睨む。
「エリートオペレーターとして非難されるべきだが、我は一つ決めている」
「何だ」
アスカロンも聞く前から察していた。
作戦に支障を来すような独断行動はエリートオペレーターとしては最も忌避されるべき愚行である。
それを承知の上で、Lycorisへの未練を優先しての選択。
「Lycorisは……レイクァトムの相手は、我だけがする」
決然と告げたLogosの言葉の後、見計らったようにアスカロン達の下へとアーミヤが現れる。
顔色は未だ良くないが、立ち直っている事を二人は察した。
「アーミヤ」
「大丈夫です。……Lycorisさんの事は、Logosさんにお任せします。代わりに、戦う前に私が彼へこれを」
アーミヤが懐から差し出したのは、布で包まれた物。
Logosは受け取り、包みを開いて目を見開く。
そこにあったのは、ただの金属片。
少し歪んで、しかし滲んでくる剣呑な気配にその正体を理解した。
この鋼に染み込んだ血と死。
即ち――武器の欠片であると。
師の教えと職能から得物の手入れを欠かさないアスカロンは、布に包まれている時点で武器の破片と見抜き、且つアーミヤがこの状況下でLogosに託す理由からも何の武器か、誰の武器かも理解した。
「アーミヤ。まさか」
「はい。――遺品整理室にあった、Lycorisさんの槍の欠片です。ここには、バベルに入る以前から……ロドスにいる時、最後までLycorisさんと共に歩んだ記憶が宿っています」
「まさか」
「私のアーツで撃ち込みます。……私がこれまで何日もかけて武器から読み取った、Lycorisさんの記憶の全て」
「それでは、また指輪を……」
「ケルシー先生は許さないでしょう。でも、私にも彼を見捨てる理由がありません」
アーミヤが金属片に指を這わせる。
「絶対に、取り戻します」
おまけ『IF:8章の後で帰還していたら――その1』
side:Lycoris
うむ、おはよう皆の諸君。
我はレイクァトム改めLycoris、ロドスに名を列ねるオペレーターの一にして、クロージャの伴侶(予定)として日々愛に溺れる男。
猛烈なウェンディゴの槍撃やタルラの猛火を退け、歩けなくなる後遺症から車椅子生活を強いられた身なれど、無事にロドスへと帰還した。
いやー、我ってば愛されてるぅ。
帰還するや敬遠されていると思っていたオペレーター達にすら感涙と抱擁で迎えられた。
しかも、最も信じ難い事に……我が姫の方から我へと飛び込んで来るではないか。
この身体では避けようもないし、もはや体に力は残っていない始末。……戦場を諦めて、ようやく大切な者と触れ合えるとは皮肉である。
士爵から強制された入念な検査を経て、前線から引退。
若干焦げた隻腕のヒゲ面――Aceと共に訓練指導官を担いつつ、再びオペレーターとして働いている。
より多忙になったアーミヤの支援こそしたいが、ロドスに戻った以上は致し方無し。
それに、何故か皆が以前よりも親切。
平生一言二言を交わせば呆れるオペレーターも、不気味に思うほど笑顔で応じてくれる……大丈夫か?
まあ、思う事は色々あるが、今のところ困った事は……困った事は…………いや、あるな。
特に、我が愛しの姫だ。
以前と様子が異なる。
まず、帰還直後に我と限りなく似た外見をした機械人形が我の声で話しかけてきたかと思えば、即破壊された。「本物がいるから」と笑顔で力作らしき人形を鉄屑に変える姫の勇ましき背にはぶるっと震えたな。
「レイ君。考え事してる?」
「うお、姫の尊顔が近……」
物思いに耽っていれば、いつしか急接近していた我が姫の顔が視界全体を占有していた。
口付けの直前も斯くやと言わんばかりの距離感に呼吸が興奮で乱れる。
「否、そろそろ子供たちの読み聞かせの時間かと思うてな」
「……そっか。じゃあ、電源切るね」
「う、うむ」
姫が自身の首にしたチョーカーのスイッチを押す。
そして、次に我の車椅子に何やら設定を施し始めた。
うむ……うむ……。
「なあ、姫よ。これは必要か?」
「ん? 聞こえなーい」
「……クロージャ、これは必要か?」
「当たり前じゃん。こうでもしないと、Raidianの所から帰って来ないでしょ?」
そう。
困り事とは、まさにこれだ。
我の首には、姫とお揃いのチョーカーが付いている。姫が直々に贈ってくれた至宝……だったのたが。
これには、ある機能が搭載されている。
随時位置情報を姫へ送信するだけでなく、そこから距離を測定し、同期している姫のチョーカーにある効果をもたらす。
授けられた折に説明を受けたが、あの瞬間に受けた衝撃が未だに忘れられん。
『おお、姫から贈り物! 感無量、我は明日土に還ろうと後悔は無い――』
『ふーん、別に嬉しくて死んでもいいけど知らないよ?』
『ん、知らない?』
『それさ、あたしが付けてるのとレイ君のやつの距離、あと心拍を常に測定してんの。で、一定以上の距離が離れたりレイ君の心拍が検知されなくなるとね――』
『ほう、どうなるのだ?』
姫は満面の笑みで。
『爆発して、あたしの首が吹き飛ぶの』
『――…………………………………………え?』
『距離は部屋一つ分くらいかな』
『ちょ、ちょちょちょちょ!?』
以降、我は職務を理由にしたやむを得ぬ事情に限りチョーカーが解除されるが、それ以外はひたすら姫の傍に居らねば姫の首が爆散する脅威に晒されている。
姫が常に我を侍るとかご褒美でしかないが、誤って少し離れてしまえば首が吹き飛ぶゾ♡とか脅迫されるとは思いもしなかったのである。
よもや己が身を人質にしようとは……天才過ぎる。
しかも、仮にチョーカーを解除されても予定時刻となれば姫の作品たるこの車椅子が勝手に帰還ルートを爆走する。
……うむ、徹底した管理!
お陰で、アーミヤやMedic、子供との会話中にその場から強制離脱させられたりと色々あった。……しかし、ワケあって仕事が早く終わり、制限時間までの余暇をRaidianとの食事中で満たしていた時には何故か予定より速く車椅子が発進し始めたのも中々に恐ろしかったな。
「じゃあ、いってらっしゃいレイ君。ちゃんと帰って来るんだよ?」
「ふ、我が愛を疑っておるのか?」
「え、うん」
「そんなキッパリ?」
「あたしを心配させないでね、って話」
ニコッと愛おしい笑顔で我を籠絡する姫に、もうハイ以外の返事が有り得ようか!?
我は従順な犬のごとく首を縦に振り、未だ拙い車椅子捌きで発進した。
「チョーカー一つにビクビクしなくても……一緒にいて、って言ってるだけなのに」