翌朝。
光達5人は、玉座の間へ訪れていた。
清々しい朝日が差し込むそこには、物言わぬゴーズの巨躯が横たわっている。
その顔から胴体にかけては、いつの間にか清潔な布で覆われ、伺うことはできない。
「本来なら」
ロンドが口を開く。
「その体を清め、衣装を整えてから棺に収めるんだ」
「騎士の葬礼ね」
応じたナインに、ああ、と返し、仮面の騎士は進み出てゴーズの足下に立つ。
その後に続くように、フィオもまたロンドの傍らに立った。
「我々の流儀で弔われても、迷惑かもしれないが……」
澄んだ音を立てて、鞘から剣が引き抜かれる。
2人が、それぞれ捧げ持つように掲げた剣に、朝日が反射する。
その佇まいの荘厳さに、光は思わず息を呑んだ。
沈黙の時間が流れる。
しばらくして、ひゅん、と音を立てて剣が納められた。
姿勢を正したロンドとフィオが、柄を手で押さえたまましずしずと下がり、一礼。
「略式で申し訳ないけれど……」
仮面の騎士は顔を上げ、そこで傍らの少女へ視線を向けた。
「フィオ君も、ありがとう。古臭い儀礼なのに、よく知っていたね」
「いいえ……。昔取ったなんとやら、ですネ」
「あら、謙遜しなくて良いわ。見事な礼法よ」
ナインからも褒められ、面映そうにフィオは頬をかく。
と、今度は王女が進み出た。
「王族の葬礼だとね、略式でも冗長で、面倒なの。彼の者にはふさわしくないでしょう」
くすくすと笑い、王女はその指先に火を灯した。
「だから、助かったわ」
「……それは良かった」
ロンドの声に、ナインはもう一度くすくすと笑う。
悪戯めいた声の中でも、所作は美しく整ったままだ。
指先に燃える火が、徐々に大きく、白くなっていく。
この速度もまた、儀礼なのだろうか?
光はぼんやりと、その灯火を見つめていた。
その後ろに立つティスは、そこで僅かに視線を外へ送る。
天井と壁を失った玉座の間からは、都市外壁のいくつかの尖塔が目に入る。
そのうちの一つから、光を隠すよう音もなく進み出ると、侍女はまた目を閉じた。
◇
時は少し遡る。
未明の尾根を走る影があった。
アドラー。
勇者の追撃という虎口から辛うじて脱した青年は、独り「死の山」を駆けていた。
あの後、四散した魔族の軍勢がどうなったか、今となっては知る術もない。
人間たちの追撃に討ち取られたか、死の山で迷い果てるか、あるいは……。
アドラー自身でさえ、魔力溜まりを見逃して踏み入りかけ、慌てて迂回したことも一度ではない。
それでもなお、闇の中を半日足らずでウプアットまで踏破しつつあるのは、彼の実力の証明だった。
日が昇る。
ウプアットの王城が、自身の知る形を失っていることを、アドラーは見た。
「……まさか」
あり得ない。
あり得るはずがない。
ゴーズが、魔族でも最高峰の実力者が、自分の信頼する上官が、よもや倒れるなどとは。
必死で自らに言い聞かせる青年の胸の内で、僅かに残った理性が囁く。
確かにヨウゲツを穿つはずだった星が、マカリアへと墜ちた。
それはつまり、凶星を預かるゴーズが敗れたか、奪われたかの二択。
いずれの場合であっても、かの武人が生き恥を晒すはずがないのだ……と。
「閣下……!」
その思考から目を背け、アドラーは速度を上げる。
息が切れ、肺が焼き付く。
激しく脈打つ心臓は、果たして疾走の速さ故だろうか。
ウプアットの外壁が近づく。
逸る心を押さえ、青年は一旦様子を伺った。
気配はない。
そう、魔族のそれさえも。
それはつまり、この都市は既に、落ちていることを示していた。
少数精鋭による、奇襲。
アドラーの拳が、音が鳴るほどに握られる。
都市を陥落せしめ、ゴーズさえも一敗地に塗れさせる敵。
即ち、3人目の、勇者。
その時、きらりと王城から光が反射した。
すかさず青年は近場の尖塔に登り、そちらを伺う。多少遠いが、見えなくはない。
玉座の間だった。
戦いの激しさを物語るように、以前は確かに存在した天井と外壁が崩れ、ほぼ屋外となっている。
そこに、数人の人間と……倒れ伏す威容があった。
その姿を、見間違うはずがない。
「ぐぅ……」
口から、うめき声が漏れる。
食いしばった歯が、ミシミシと音を立てた。
アドラーの視線が、ある人物に注がれる。
勇者と同じ、黒髪をした少年。
あいつか。
青年は直感する。
ざわりと髪が揺らめく。
尖塔の窓枠を握りしめた手が、石細工のそれにヒビを入れる。
感情の昂りのまま、一歩を踏み出そうとした彼の目に、床に突き立っていた斧剣が映った。
――怒りを飼い慣らせ。
かつて、ゴーズがアドラーに語った言葉が甦る。
――感情を抑える必要はない。ただ、研ぎ澄ませ。そして見極めよ。その怒りを、無為に散らせぬために。
青年は俯く。
ガン、と音が鳴った。
その拳が、自らの額を強かに打ち付けていた。
「閣下をも打ち倒す敵……」
二度、三度と音が繰り返す。
「……今の俺では……勝てぬ……!」
一際大きな音。
ややあって、震えるように、深い溜息が零れた。
ぽた、と鮮血が地面を濡らす。
「……その顔、忘れぬ」
それは、地の底から這い出るような声だった。
顔を上げたアドラーの両頬を、額から流れ出た血が、まるで涙のように伝っている。
その視線の先で、少年を隠すように侍女が進み出る。
気づかれた。
青年は躊躇なく身を翻すと尖塔を飛び降り、そのままヨウゲツとは逆方向へ疾駆した。
ウプアットを越え、魔族の領域へと。
◇
「ティス?」
いつの間にか隣に立っていた侍女へ、光は不思議そうに声をかけた。
「少々、お風が当たりましたので」
「? ありがとう?」
風なんか吹いてたのかな、と思いながら、少年は視線を前に戻す。
大きくなった火がナインの指先から離れ、静かにゴーズの姿を包もうとしていた。
間近であるはずなのに、これだけの炎が音もなく、熱さえも感じない。
魔法の不思議さ、と言ってしまえばそれまでだったが、それでもこの静かな火は、ある種の敬意であるように光には思えた。
「……不思議なんです」
ぽつりと呟きが漏れる。
「一歩間違えば、ヨウゲツは滅んでました。その主犯は、確かにこの、ゴーズだった」
その名を呼ぶことに、まだ少しの抵抗があった。
忌まわしく思う、というわけではない。
自分に、その名を呼ぶ資格があるのか、という意味。
思えば、他の面々も、敢えて「名」を呼ぶことを避けている節があった。
「戦った相手が強大であればあるほど、相応の敬意は生まれるものだよ、少年」
ロンドは、光の疑問に先回りして答える。
「不思議と、憎めないものなのさ。命をかけて戦った相手、というのはね」
「恐ろしくもあり、腹立たしくもあります」
フィオが言葉を引き継いだ。
「底知れぬあの力に、劣等感さえ抱いています。それでも……」
少女はそこで、困ったように微笑む。
「……はい。私も、憎めませんネ」
「思うところがない、わけではないけれど」
炎を見つめながら、ナインが続ける。
「ああも見事に最期を飾られては、ね。何も言えないわ」
視線の先では、偉大な敵手がまるで炎に溶けていくように、しんしんと灰になっていく。
誰もが、無言でその行く末を見つめていた。
その中で、ふと、光はゴーズの言葉を思い出す。
「つわもの……か」
静寂に紛れるほどの小さな声は、ティスにしか届かなかった。
傍らの侍女が、そっと目を伏せる。
やがて炎が消えると、玉座の間から1人、また1人と去っていく。
後には、ただ斧剣だけが佇むのみだった。