短編1 少年は如何にして銃を取ったか
魔力の影響を受けて凶暴化した獣を、魔獣、という。
◇
ある日。
目的地へは、街道を歩けば夕方には着くだろう。
ただ、近道もあるという。
狩人が主に使う、森を抜ける道。それを使えば、多少早く着ける。
問題は、その森は時折獣が出る、ということだ。場合によっては、魔獣さえも。
これが街道ならば、巡回の兵士がいるため、出会うことはまずない。
そのリスクと、多少の時間を天秤にかけ……光は近道を選んだ。
彼がティスと呼ぶ美貌の侍女、ティ・シフォンがいれば全く危険などはないのだと。
ノーリスクでリターンがあるのだと、そう思っていた。
◇
不運、というべきだったのだろうか。
道中で、光は魔獣に出会った。
とはいえ当初、少年はむしろ多少の高揚感すら抱いていた。
それは例えばゲームにおいて、敵とエンカウントしたかのような。
程なく、ティスが事も無げに魔獣を「排除」する。
勝利のファンファーレが鳴ったかのような爽快感を、常ならば覚えていただろう。
――だが、その日は違った。
きゅっきゅという鳴き声に続き、草むらから小さな魔獣……ではなく、ただの獣の子供が現れた。
それは、倒れ伏した魔獣に近づき、か細く鳴き続ける。
親子なのだ。
いや、親子だった、のだ。
親が魔獣へと変貌してもなお、健気に後を追っていた。
その他に生きる道がなかったにせよ、その姿は、光へ唐突に現実を叩きつけた。
命を奪うこと。その意味。
思わず近づく少年を、獣の子供は威嚇する。
小さな体を、毛を逆立てて膨らまし……普段ならば、微笑ましくすら見える姿。
しかし、それがこの子の精一杯の抵抗なのだ。
怖い、と光は思った。
この子供の親を奪ったのは、自分だ。
今日、この道を進むことを決めたのは自分だったからだ。
街道を外れた、ちょっとしたショートカット。
時々獣が出る。運が悪ければ、魔獣も。
それを知りながら、光は決めたのだ。「ティスがいれば、危険はない」と。
その結果が、目の前にある。
自分が「多少の時間」を惜しまなければ、少なくとも、この魔獣とは出会わなかった。
……もちろん、光がこの道を選ばずとも、獣は魔獣と化していただろう。
そして、多くの命を危険に晒したはずだ。
あるいは、この目の前の「我が子」でさえ、手にかけたかもしれない。
そんなタラレバが浮かぶ余裕は、少年にはなかった。
ただただ、自分の選択が「この子の親」を殺したのだ、という自覚だけが膨れ上がっていく。
◇
「う……」
不意に、すえた臭いが鼻をついた。
地面に流れ出た、血の臭い。
ぐるりと胃が反転するような感覚。
不快感と灼熱感が喉を逆流し、口からこぼれ出た。
液体の落下音とともに、光は膝から崩れ落ちる。
服のあちこちに吐瀉物が染みを作り、溢れた涙が視界を埋めた。
その背を静かにティスがさすり、もう片手を少年の口元に添えると、何事かを呟く。
掌から湧き出た清水が、静かに光の汚れを拭い去る。
されるがまま、少年は獣の子供を見つめ続けた。
動かぬ2人を前に、幼獣は戸惑ったように威嚇を止め、きゅっきゅっと鳴きながら亡骸へ近づく。
首筋に額をこすりつけ、鳴き、またこすりつける。
そのうちに、疲れたようにうずくまると、身を寄せながら目を閉じた。
「……ああ」
その声が自らの口から出たものだと、光はどこか他人事のように感じる。
恐る恐る、這いつくばったまま、少年は獣へと近づき始めた。
その後を、何も言わずティスが続く。
獣の子が目を開け、小さく唸る。
伸ばしかけた腕を、光はビクリと止めた。
僅かの間があり、徐に、おずおずともう一度。
その手に、小さな牙が突き立つ。
響いた激痛に、反射的に手を引こうとして、少年は歯を食いしばった。
傍らの侍女が、微かに目を伏せる。
やがて、細く流れる血を感じたか、幼獣はびっくりしたように口を離した。
ぱちくりと瞬きをし、興味深そうに赤い線へと鼻を近づる。
ついで、差し出されたままの指先に、すんすんと息がかかる。
いつの間にか逆立った毛は収まり、一度低く唸った後、子供は目を閉じた。
◇
あれから、数日が過ぎた。
光の視線の先、窓の向こうでは、あの時の獣の子供が庭を走り回っている。光が滞在している屋敷の庭だ。
その首には首輪と、そこから伸びるリードがあった。
リードは、庭に置かれた小屋の入口にある杭へと繋がっている。
と、部屋の扉が開かれた。
「やれやれ、キャグの子など、どうすれば拾ってこれるのかね」
そう言って入ってきたのは、まだ若さの残る男性。
「すみません、チャプレットさん……」
光が謝罪する。
その背後では、ティスも一礼をしていた。
アーサー・チャプレット。チャプレット商会の次期会長、いわゆる若旦那だ。
光のパトロンであり、ある契約を結んだ取引相手でもある。
そんな紳士は、少年の謝罪に軽く笑った。
「いや、構わん。珍しい獣だ、というだけのこと」
キャグ。
大きな耳が特徴の肉食獣で、基本的には森の奥に生息し、滅多に人里には出てこない。
人に慣れないわけではなく、エルフのある部族は、キャグをパートナーとすることもあるという。
「それにしても、魔獣討伐の報酬代わりに飼ってほしい、とはな。安すぎるくらいだが、本当に良いのか?」
「……はい」
「そうかね」
白い包帯が巻かれた手で頭をかくと、光はもう一度、すみません、と頭を下げた。
――あの後、光は出発地の街へと引き返していた。
その腕に、キャグの子を抱いて。
向かった先、アーサーの屋敷で、少年はその子の保護を願い出たのだ。
「であれば、小生はその報酬を粛々と支払うのみよ。ちょうど、番犬もほしいところであった」
若旦那は芝居がかった様子で腕を組むと、光に頷いて見せる。
「明日出発だったかね?」
「はい。……今度は、ちゃんと街道を行く予定です」
「うむ。それが良かろう。馬車の手配はいるかね?」
「……お願いします」
承った。
そう言って、男は部屋を辞した。
その背を見送り、光はため息をつく。アーサーには、世話になってばかりだった。
翻って、彼との縁を作ってくれたメルヴィル博士にも。
「……そうだ」
ふと、光はティスへ向き直った。
「これ……返すよ」
少年が侍女に差し出したのは、ショートソード。
美しい鞘に納められたそれは、先の旅路で、少年の腰に佩かれていた。護身用として。
「よろしいのですか?」
恭しくそれを受け取りながら、ティスが問うた。
いや、問うというよりも、単なる確認なのだろう。
「……この間、嫌と言うほど思い知ったよ。俺には、無理だ。きっと……いや、多分、絶対……耐えられない」
何に、とは口に出せなかった。
「それにさ」
光は、無理に明るい声を出す。
「護身用って言ったってさ、ティスが守ってくれるだろ?」
「はい」
躊躇なく、ティスが応じる。
「お命じいただければ、如何様にも」
「……」
空元気は、続かなかった。
力なくベッドに近づくと、そのまま腰掛ける。
その耳に、きゅっきゅという鳴き声が入ってくる。
少年は、しばらく項垂れたままだった。
「……俺の、命令なん……だ、よな……」
ぽつりと、言葉が漏れる。
ティスは何も言わない。
瞑目したまま静かに控えるその様子は、まるで自分の非を咎めるようだと、光には思えた。
「でもさ、ティス……」
「はい」
震えながら、少年は顔を上げる。
「直接は……重いんだ……」
「……はい」
すがるような声に、美しい侍女は、僅かな間をもって応じた。
「……ゲームとかさ、アニメとかじゃ……こんな……」
小さな繰り言が続く。
いつしか顔を覆った少年の声はくぐもり、やがて、すすり泣きへと変わった。
その姿を、ティスは静かに見つめていた。
◇
一夜明けて、光はアーサーに見送られて馬車に乗り込んだ。
庭から聞こえる鳴き声には、小さく顔を背けて。
乗合馬車ではあったが、時間帯のせいか、実質貸し切りだった。
ガラガラと車輪の音が響き、石畳の感触が独特の乗り心地を伝える。
最初は不快なだけだったその揺れにも、少しずつ慣れてきていた。
ぼんやりと、窓の外を流れる景色を眺めながら、光は口を開く。
「ティス」
「はい」
斜向かいに座った侍女は、馬車の音の中でも不思議とよく通る声で応えた。
「……銃って、作れる?」
「可能です」
淀みのない返答に、少年は小さく笑う。
「……作ってもらえる?」
「……」
返事はない。
おや、と光はティスに視線を向けた。
その目が、静かに少年を見つめている。
「……よろしいのですか?」
「ん、まぁ……よくないんだけどさ」
光は、包帯を巻いた手に目を落とした。
「でも……頼んだくせに、なんだろう……そう、全部に、無責任じゃあさ……」
ぽつぽつと、馬車の音に紛れるような声で、少年は続ける。
「せめて、その……ティスに頼む時くらいは……」
長いため息。
軽く手を握り、光はまたティスの方を向く。
変わらず、彼女は少年を見つめている。
「最後の引き金は……とか、カッコつけだけど、それくらいの気持ちは、持ちたい……なんて」
そう言って、光はもう一度小さく笑った。
ひどく寂しげな微笑み。
その表情に、侍女の紅玉の瞳が微かに揺れた。
「……承知しました、マスター」
「……うん、ありがとう」
恭しく礼をしたティスに、光は感謝を伝えると、視線を窓の外へと戻した。
ガタガタと、馬車は進んでいく。
それは、穏やかな快晴の日だった。