ラヴァスロウムの一画、人間の都市で言えばスラムのような雑然とした空間に設けられたあばら家。
魔族の青年、アドラーはそこで壁に背を預けて座り、瞑目していた。
過日の杖刑で受けた傷は、まだ幾らかの生々しさを残している。
「――誰だ」
目を閉じたまま、青年は誰何する。
ほぼ同時に、崩れかけた扉の陰から異形の魔族が姿を表した。
「ネ=リ様、ガ、呼ンデイル。アドラー、来イ。今スグ」
女性の上半身にクモの下半身を持つ、タルトゥーラ。
機械的とも言えるその振る舞いは、「氏族」とはみなされない大多数の下位階層、従魔であることの証だ。
アドラーは、呼び出した者の名前にあからさまに舌打ちをする。
そこでようやく目を開くと、青年は声の主を見た。小柄なタルトゥーラ、まだ少女――という表現が正しいかはともかく――だろう。
「……場所は」
「ツイテ、来イ」
立ち上がったアドラーを確認すると、少女はさっさと踵を返す。
その後ろを、青年は黙したまま追った。
◇
「ナハテ、というものを知っておるかや?」
アドラーの慇懃な礼には応えず、ネ=リは問うた。
「……閣下から、多少のことは」
「ほほほ、ならば話は早い。小童、お主はその対処に当たりなんし」
青年は顔を上げ、女傑の目を見た。
「妾も長年相手をしておるが、どこから湧くやら、ついぞ戦線は押し込めておらぬ。楔の一つでも打てるなら、ほほ、僥倖というものよ」
雅やかな笑いとは裏腹に、その口元は歪な三日月を描いている。
試金石、などと上等な思惑でないことを隠すつもりもないようだった。
「なぜ、俺を?」
ネ=リの目が細くなる。
「問える立場、とでも?」
「……」
アドラーは答えず、威を増した氏族長の視線を身動ぎせず受け止める。
謁見の間を固めるタルトゥーラの従者たちが、怯えたようにカチカチと爪を鳴らした。
「……ま、小童の癇癪に付き合うてやるも、年嵩の役目かえ」
不意に圧力が和らぐ。
ネ=リは自らの脚を支えに頬杖をつくと、一度目を閉じた。
「継承の儀」
アドラーが目を見開く。
「ゴーズが既に伺いを、と陛下から聞きんした。あの益荒男が、お主をそこまで評価しやんしたというなら……お膳立て程度、整えてやるのが義理というもの」
「閣下が……」
思わず下を向いた青年に、ネ=リがくつくつと喉を鳴らした。
「小童も、そろそろ
「……っ! ご配慮、ありがたく……」
湧き上がった怒りを寸前で噛み殺す。
嘲りに包まれてはいたが、その中身は、アドラーにとっても耳が痛いものだった。
死してなお、自分はゴーズの庇護下にいる。
それは、自らの未熟の、何よりの証明に思えた。
「――さて。となれば、早速向かいんしょう。小童、手を」
「は……」
指示通り、出された手を青年が粛々と取ると、途端に空間がぐにゃりと歪んだ。
「こ、れは」
「ほほ、ゴーズも転移はできんせんわいな」
一瞬で、目の前の光景が切り替わる。
ここまでのネ=リの言葉からすると、ここがナハテとの前線なのだろう。
見れば、足元に転移陣と思しき紋様が刻まれていた。
「流石の妾も、この距離で陣無しは無茶というもの。ともあれ……誰ぞ、あれ」
氏族長の呼びかけに、一体のタルトゥーラが即座に現れた。
アドラーを道案内したものと、そう外見に差はない、少女のような個体。
「御前、ニ」
「小童、このものをお主の従僕といたしんす。そうさな……『カプリコ』」
「……はイ」
「お主はアドラーに従え。如何なる命にも逆らってはなりんせん」
「ゴ命令、カプリコが確かに承りマした」
青年は内心で唸った。
ただの従魔が「名」を受けるだけで、意思のようなものが芽生えたように感じられる。
タルトゥーラの種族から、氏族へと変貌する端緒。
魔族内の数多の種族に共通するその特徴と、それに拭えぬ違和感を覚えている自分。
そんな葛藤を見透かしたように、ネ=リは意味深な笑みを浮かべる。
「では、妾は戻りんすが……その前に、伝えておきんしょう。小童、お主の継承する名を、の」
「俺の……」
「アル=ゲディエ。精々励みなんし、ほほほ」
笑い声は、歪んだ空間へと溶けていった。
◇
地名さえ判然としない荒野。
そこが、ナハテに対する魔族の前線だ。
タルトゥーラによって築かれた長大な壁は、絶え間なく従魔の群れが巡回して補修している。
その様子を、壁上からアドラーは観察していた。
この地で、既に幾らかの時間が過ぎている。
「……やはり、貴様らのみで維持しているのか、ここは」
「はい」
その問いに、傍らのカプリコが答えた。
「我らは他種族を嫌う、のです」
「ふん」
青年は鼻を鳴らす。
外見に違わず、タルトゥーラにはいわゆる雌しか存在しない。
性別が極端に偏った種族というのは、魔族には珍しくない。かつてアドラーが指揮したトロルなどは雄だけの種族だ。
その一方で、戦場に立つことができる「雌型」種族は片手で数えられる程だった。
ある意味で、性別による格差がまかり通る構造ともいえたが……タルトゥーラが他種族を嫌うのも、それが一因ではあるのだろう。
「……」
そんな多種多様な種族を「魔族」と一括りに認識している。
人間との混血さえ可能とする種族が、人間だけは敵視する。
その意味を薄っすらと考えかけたところで、本能的にアドラーの身体が動いた。
直後、耳をつんざくような風切り音と、爆裂音とが連続する。
「――来たか」
灼熱の土煙が視界を塞ぐ中で、青年が腕を振るうと、周囲の粉塵が吹き飛んだ。
開けた視線の先では、地平線を埋め尽くすような群れの塊が、じわじわと荒野を侵食している。
壁から、従魔達がカチカチと爪を鳴らし、隊伍を組んで出撃していく。
それを見送りながら、アドラーは視線を近づいてくる群れへと向けた。
「昨日までと形が違うな」
「はい。不定期に変わる、のです」
「ゴーレムの類か?」
「カプリコには、わかりません」
青年は舌打ちをする。
彼が相対するナハテ。
金属とも陶器ともつかぬ質感の、いわゆる人形とでもいうべきもの。その四肢は、いずれも差異はあれど凶器になっている。
明らかに、自然に発生した生物ではない。
アドラーは拳を握りしめる。
タルトゥーラは自らの爪を武器とする。ここに、青年が使える得物などは無かった。
それでも彼は不敵に笑うと、軽やかに跳躍する。
その後ろを、カプリコは無言で追った。
◇
アドラーのすぐ脇を砲弾が掠める。
火砲。
硬く、重い弾丸を高速で射出する兵器。
魔法とは異なり、取り回しも悪く見えるが、威力はバカにならない。
「だが、使い手が木偶ではな」
砲口から射線を読み切ると、青年は舞うように間合いを詰め、炎を纏わせた掌をナハテの顔面に打ち付ける。
その頭部が見る間に溶け、そのまま肩口にかけてねじ切られた。
「カプリコ、火砲持ちを優先しろ。他は従魔どもで抑えられる」
「はい」
指示を受けたカプリコも、敵陣を縫うように駆け、砲を持つナハテの頭を刈り取っていく。
火力はともかくとして、一体一体の能力はそこまで高くない。
次々と敵の急所を貫きながら、アドラーは周囲をさっと見渡す。
局所的には優勢。
だが、荒野を埋め尽くさんばかりの敵は、限りがないとも思えた。
これが続けば、流石に押し切られるところだったが……。
「……時間か」
潮が引くように、ナハテの群れが後退し始める。
この敵は、優勢、劣勢に関わらず、一定時間で退いていく。
退却だけではない。攻め寄せて来る時間さえ、一定であった。
追うべきか、と僅かに青年は思案する。
足元で、ナハテの骸が急速に朽ちていく。
「……バルナー殿のところへ戻るぞ」
「はい」
戦線を指揮する氏族の名を告げ、アドラーは踵を返した。