トゥーズ王国首都、ヨーカ。
戴冠式と、その後の祭典も合わせて3日ほど、光はここでの滞在を延ばしていた。
シャナンからイオタへの定期便は週に1本だが、ヨーカからなら隔日で運行されている。
それは、少年にとっては格好の言い訳だった。
懐かしい人たちとの交流を楽しむために滞在を延ばしても、影響は少ないのだ、と。
流石に、女王となったロンドとは限られた時間のみではあったが……。
それでも、できる限りの歓待をしてくれるハモニカの面々の厚意を、光はありがたく受け取っていた。
そして、そんな心地よい時間も、いよいよ終わる日だった。
「すいません、最後まで甘えちゃって……」
出立に際して、光は照れくさそうに謝った。
気にするな、というようにジェイクが笑う。
「何、戴冠式だのパレードだのじゃ、俺等みたいな下っ端はまだまだ暇なのさ」
「そーそー。堅苦しいのはアレク団長とか、ジル副団長に任せりゃ良いのよ」
「い、良いんですかね……」
イネスが呑気に頭の後ろで腕を組むと、ニナは多少心苦しそうに目をキョロキョロとさせた。
そんな様子に、少年はもう一度頭を下げる。
近衛騎士、という職務を十分に理解しているわけでもないが、それでも、決して暇を持て余す仕事ではないはずだ。
そんな中で、自分を優先してくれるということに、光はくすぐったい気持ちになる。
「ま、それで今日の船に乗り遅れてもつまらんからな。俺達も港の巡回がある。ついでだよ」
そう言って、ジェイクは転移陣の部屋の扉を開ける。
相変わらず機能性だけに特化した室内で、近衛騎士の3人がまず転移した。
そして、光が続こうとした時。
するりとティスがその先に回り、恭しく手を差し出す。
「ティス?」
「どうぞ、お手を」
疑問符を浮かべながらも、少年はその手を取る。
侍女は僅かに指先に力を込めると、瞑目しながらゆっくりと引き寄せ、ぴたりと寄り添って転移陣へと乗った。
◇
「……あ、あれ?」
前回味わった転移の感覚が通り過ぎると、目の前は見慣れぬ景色が広がっていた。
光は思わず辺りを見回し、その手を取っていたティスの存在を確認すると息をつく。
そこは、妙に雑然とした空間だった。
科学実験室とコンピュータ室を足して混ぜ合わせたような、あるいは、漫画に出てくる、偏屈な研究者の自室のような。
「招いたお客と、招かれざるお客だなぁ」
間延びした声が響く。
ゴソゴソと音がして、視界の中の塊が動くと、どうやら椅子だったらしいそれに誰かが座っていた。
「ようこそ、天都光くん。ついでにAMGの、あー、ティ・シフォンくん?」
ボサボサの頭髪に、軽薄な笑みを浮かべながら、その人物は立ち上がる。
ティスが静かに光の前に立った。
「おいおい、自己紹介くらいさせたまえよ。僕ぁ……そうだなぁ……君のお友達の言葉を借りるなら、神ってところかな」
へらへらと笑いながら、その男は名乗る。
光は思い切り怪訝な顔をした。
友達、その表現に少年は同郷である勇者、
「それって……修志のことですか? いや、それより神、神様? あなたが?」
「あっはっは。まさかまさか。そう呼ばれたってだけでね。自分の名前なんか、もう随分使ってないから、丁度いいやって」
要領を得ない会話だった。
「あの……ここ、どこですか?」
「ここは僕の部屋だよ。ポータルを使ったでしょ? だからちょちょっと行き先を変えたんだ」
「な、なんで……」
「興味本位。君、呼んでないのにこの世界に来たもんだからさ、たまに見てたんだよね。だから、直接話してみようかなってさ」
呼ぶ。
光の頭を、その単語がぐるぐると駆け巡った。
何かをつらつらと話している男の言葉は、耳には入らなかった。
「あ、あの!」
「――んー?」
セリフを中断された男は、多少憮然とした顔をする。
それでも、少年は続ける。
「ここは、この世界は何なんですか? 地球に帰れるんですか!?」
「……ほー?」
男は、何故か興味深そうにティスへと視線を向けた。
◇
神、と名乗った男の部屋は、しばらく沈黙に包まれた。
不安げに男を見る光。
面白そうにティスを見る男。
瞑目したまま光の前に立つティス。
その均衡を破ったのは、男だった。
「地球に帰る……帰る、ねぇ……」
ティスから視線を外した男は、そう言ってへらへらと笑った。
「光くん、君、そこのAMGに何も聞かなかったんだ」
「……どういうことですか?」
「だって、聞いてればね、そんな質問は出ないんだよ」
少年は湧き上がる苛立ちを必死で飲み込む。
何でもかんでも知っているような顔をして、何も教えるつもりがないようだった。
「……AMGって、ティスのことなんですか?」
「うん? それも知らないの? ……君、何でこの世界にきたの?」
――俺が知りたいよ!
実際にそう叫んでも、誰も咎めなかっただろうが、光はこらえた。
「教えて、ください」
「ふぅん……。詰めが甘いというか何というか、計画の奴らも随分杜撰だな。さもありなん、って感じだけど」
まぁいいや、とため息をつきながら、彼は続ける。
「Artificial Materialized God、あるいはGoddess。でぇ……ティ・シフォンだっけ? だとするとモデルは……エウメニデスだ! 当たってるだろ?」
「……」
どうだ、と指さした男に、ティスは応えない。
「やれやれ。どいつもこいつも、主人以外には塩対応だな」
呆れたような男に、光もまたぽかんとした顔をしている。
神を自称した男が、ティスのことを女神と呼んだ。
それもアーティフィシャル、確か、人工の、という意味。
「しっかし、AMGなんて見るのは僕も久々だ。それも、だいぶ手が入ってるねぇ。物好きがいたもんだよ」
少年の様子を伺うこともなく、男は片手を顎に当てる。
何を納得しているのか、幾度か頷くと、彼は思い出したように口を開いた。
「ああ、で、何だっけ? 地球に帰れるかだっけ?」
「え? あ、はい」
男はそこで乾いた笑いを漏らす。
「はは。地球に帰る必要なんかないだろ? 光くん、君がするべき質問はね、『地球に』帰る、じゃないんだよ」
「……な、にを?」
光の背筋がぞわぞわと泡立つ。
聞き流してきた単語が、頭の中に一つ一つ浮かんでくる。
ソリッドステート、ネメシス、アーティフィシャル、ゴッデス――英単語。
そして、男がさらりという「地球」。
「ほー? 思ったよりは勘がいいのかな?」
ふらり、とよろけた少年を、ティスがそっと支えた。
反射的に握り返した手が、思わず震える。紅玉の瞳が微かに揺れた。
男は、ニヤニヤ笑っている。
「不思議に思わなかった? 何で異世界なのに言葉が通じるんだろう? 食べ物が食べられるんだろう? ――呼吸ができるんだろう?」
目の前がチカチカする。
彼のセリフが、どこか遠くで聞こえるようだった。
「ま、君の場合、言葉についてはそこのAMGが翻訳フィールド張ってんだけどね。適性無しってのはキツいよ。よく生きてるね」
おっと、とそこで男は首を振る。
「いやいや、話を戻そう。……と言っても、もうわかってるだろ?」
悄然と、光は顔を上げる。
「未来へようこそ、先輩」
けら、と男は笑った。