「イオタに、一応まだ使えるポータルがあるよ」
言いたいことは言い終えた、とばかりに男は切り出した。
「来たけりゃおいで。僕ぁ、今日はもう疲れちゃった」
言い返す気力もないままの光を気にするでもなく、男が指を鳴らす。
少年の周囲の空間が歪み……目の前に、ハモニカの3人の姿が現れた。
「……どうしたヒカル、真っ青だぞ」
光を見て、ジェイクが歩み寄る。
「ありゃ、転移酔いかな? ダメな人、割といるからねぇ」
「この間は平気そうだったのに……大丈夫?」
イネスとニナも、心配そうな表情だった。
それに辛うじて、大丈夫です、と少年は答える。
――あの男の部屋で過ごした時間は、決して短くなかった。
だが、この反応を見る限り、ここでは転移に伴う僅かな到着のズレに飲み込まれる程度だった、らしい。
それが、なお不可解さを増すようで、光は震えながらため息をついた。
◇
『ホントに大丈夫? キツかったらラーベルミント飲みなさいねぇ』
『あんまり心配かけさせないでよね! ちゃんと休みなさいよ?』
『長旅の疲れが出ちまったのかな。……遠慮せず、いつでも訪ねてこいよ。みんな、歓迎する』
乗船間際まで気を使ってくれた3人に見送られ、光は船室に入っていた。
船着き場で迎えてくれたフィオやメルヴィル博士、アーサーの心配にも、一言二言しか返せていない。
それを申し訳ないと思う余裕も、今の少年にはなかった。
あの男の言葉が、耳から離れないのだ。
未来。
……未来って何だよ。
力なく寄りかかった椅子の背もたれが、情けない音を立てた。
かくんと見上げた天井は、船の歴史を刻むように古ぼけている。
「……ティス」
「はい」
光の呼びかけに、いつものとおりティスが応える。
――知ってたのか。
確かにそう問おうと口を開いた少年だったが、それは声にはならなかった。
知っては、いたのだろう。
自分が、聞かなかっただけなのだ。
躊躇いながら口を閉じた彼に、侍女はそっと目を伏せる。
しばしの沈黙。
それを破ったのは、出港を告げる鐘の音だ。
カランカランと鳴り響くそれが、やけにうるさく感じる。
その耳障りさが、あの男を連想させた。
「……あの人は、誰?」
「O兵装を作成した時代の人間です」
淀みのない答えに、やっぱり知ってるんだ、と光は呟く。
「ティスは、AMGなの?」
「はい。正確には、そのカスタムモデルです」
何が正確なんだろう。少年はぼんやりと思う。
「……何で、俺なんだ……」
「……私が起動したのは、マスターがレガ湖上空に出現した直後でした」
問いともつかぬ呟きに、侍女が僅かな間を挟んで応じた。
光は、ティスの顔を見る。
紅玉の瞳が、少年を見つめている。
「起動条件は、計画の適性者が出現することです」
「俺が、適性者だって……?」
「……はい」
微かな逡巡と、是の返事。
何だよそれ。
深々と光はため息をつく。
わからないことばかりだった。
そして、今はこれ以上そんなことを増やしたくなかった。
適性、計画、未来。
それが何故、「過去」の自分に関わりがあるというのだろうか。
あの男は、恐らく修志たちを「呼んだ」という。
計画とやらは、自分を呼んだらしい。
未来の人間は、少なくとも時間を多少は操れるほどの……魔法のような科学技術を持っていた、ということになる。
そのくせに、「過去」の人間を呼び寄せているというのか?
「そんなの、自分らだけで勝手にやってくれよ……」
あの男の、軽薄な笑い声が頭に響いた気がした。
◇
ぼんやりと、光は甲板の手すりに身体を預けていた。
航海日和だと、周囲の船員たちが和やかに会話をしている。
その言葉通り心地よい風が頬を掠めていく中でも、少年はじっと遠くを見つめて動かない。
フィオが、そんな光と、その後ろで佇むティスとを交互に見やり、呼びかけるべきかと僅かに首を傾げた。
「少しは顔色が戻ったようだの、ヒカル」
そこへ、ライトが声をかけた。
「……ご心配、おかけしちゃって……」
ゆっくりと振り返った光は、笑みを浮かべる。
明らかに、無理をしているとわかる表情だった。
やれやれ、と博士は肩を竦める。
「何か飲もうと思っとったんだが、一人では味気ないのよ。付き合ってくれんか?」
「……はい」
誘いを無碍にもできず、光は頷いた。
ライトの船室で、2人は黙ってグラスを見つめていた。
ティスとフィオは、扉の外で待っている。
汗をかいたグラスの底が丸く濡れる頃、光は細長い息を吐いた。
「……メルヴィル博士」
「なんだね?」
「その……本当は、聞かなきゃダメだとわかってることを、その人に聞けないって……やっぱり、ダメ……ですよね……」
「ふぅむ……」
問われた博士は、そこでグラスを手に取ると、周りの水滴を指で拭ってから口元へ運ぶ。
それを傾ける直前で僅かに留め、唇を湿らせる程度を含んだ。
何かを考えるような沈黙。
「それを確かめることは、ヒカルにとって大事なこと、かね?」
「……はい」
ライトの確認に、光は小さな声で答えた。
「そうなると、難しかろうの」
博士は、穏やかに告げる。
聞くべきだ、と返ってくるものだと思っていたのだろう。
少年は、そこでようやく彼の顔を見た。
「自分にとって大事なことを、人に聞く。確かめなければ、と思っていることを。そう、本来なら、すぐにでも聞くべきだが……聞けない」
ライトは一度言葉を区切り、光の目を見る。
常の無邪気さではなく、そこには人生の先達としての表情があった。
「それは、聞くべき人が、君にとって同じくらい大事な存在だからよ」
「大事な……」
ライトは瞑目する。
何かを思い出しているように、少年には見えた。
「そんな人に、自分にとって大事なことを聞く。それは、心の最も柔らかいところを、差し出すようなものだ。そういう時がな、一番、怖い」
そう言って目を開いた博士は、どこか懐かしそうに笑う。
「大事なことは、大事な人にこそ、聞けない。人間、そんなものよ」
だからこそ、とライトは続けた。
「聞かぬは一生の恥、などという格言があるわけだな。……聞けない者の方が、多いのだ」
聞き覚えのある言い回しだった。
できない人が多いからこそ言葉として残るのだ、と博士は言う。
それが励ましなのだということは、少年にもわかった。
「……ありがとうございます」
聞くべきだ、とも、聞かなくてもよい、ともライトは言わなかった。
それが、何故か光の心を少しだけ軽くする。
カラン、とグラスの氷が音を立てた。