「よろしかったのですか?」
ラヴァスロウムの王城。
ネ=リが退室した後で、宰相アデシュが魔王クナッズに尋ねた。
「……煮ても焼いても食えぬ、とはあやつのことだな」
直接は答えず、疲れたようにクナッズは息をついた。
ナハテとの戦線を一手に担うタルトゥーラ、その氏族長が凡才である謂れなどあるわけもないが……。
その心中を推し量ったか、アデシュは話題を少しずらす。
「にしても、アル=ゲディエとは。ゴーズ殿も思い切りましたな」
クナッズは低く笑った。
「奴め、苦労するのは私だと思って気楽に言ってくれた……。長く後継者のなかった名だ」
「それを推したのが、かのベル=セルクとあれば尚更、ですか。何か、この2つに関係があるのでしょうか」
「さて……それこそ、バーディター殿ならご存知かもしれんがな」
その答えに、宰相は片眉を上げた。
「陛下でもご存知ないことが?」
「ははは。……そんなことばかりさ」
魔王は目を閉じ、玉座に深く腰掛けた。
「ベル=セルクは、しばらく空位だろう。オーガの氏族長も、誰になるやら……」
自嘲するような笑いが、謁見の間に溶けた。
◇
アドラーは眉を顰めた。
定刻。
だというのに、地平線を埋め尽くすはずの群れが現れない。
訝しげに、地の果てを見やる青年の視界に、何かが映る。
第六感がけたたましく警鐘を鳴らした。
ゆらゆらと、何かが近づいてきていた。
「ナハテ……か?」
「……カプリコには、わかりません」
カチカチと、カプリコが爪を鳴らす。
ゆらゆらと、何かが近づいている。
ようやく像を結び始めた何かは、ゆっくりと歩く人間のように見えた。
少なくとも、昨日までのナハテのような、歪な四肢ではない。
ゆらゆらと、人型の何かが近づいてくる。
「……これも定例、だとでもいうのか」
足下の壁は、平静を保ったままだ。
ちらりとそれを見やり、アドラーは首を振る。
何であろうと、あれは敵だ。
ならば、迎え撃つ。
青年は一度呼吸を整えると、ゆっくりと迫る人型の何かを睨み、跳んだ。
奇妙な敵だった。
のっぺりとした衣装を纏い、男とも女ともつかぬ顔をし――それこそ、人形、と形容するしかないような無機質さ。
だが、ナハテとは段違いに、全てが速いのだ。
「カプリコ、離れていろ!」
ゆら、と動きの起こりが見えるかどうかという瞬間には、突っ込んでくる。
それを掌底でいなしながら、青年はその手応えに舌打ちをした。堅い。
「四肢が武器は変わらずか……!」
それとわかる得物を携えずとも、脅威度は変わらない。
どころか、動きの精度・速度を考えれば、比較にもならない。
踏み込みをズラされながらも重心は揺らがず、人形は腰ごと回転するように手刀で切りつけてきた。
掌底でいなす。
更に回転する。
もう一度掌底。
回転が加速する。
加速。加速。加速。
一陣のつむじ風が巻き起こる。
「大道、芸を!」
回転ノコギリの如き手刀を、それでも尽くいなしながら、アドラーは鋭く息を吐く。
地響きを伴った踏み込みと共に、つむじ風の僅かな切れ目へと青年が肘を叩き込んだ。
鈍い音をあげて吹き飛んだ人形は、空中でもがくように体勢を立て直しつつ、何事かを呟いたように見えた。
直後に走った閃光をアドラーが避けられたのは、半ば偶然に近い。
「
それでも、青年は不敵に笑う。
一転して間合いを取り始めた人形を前に、アドラーの手にもまた炎が宿る。
「木偶にしては上等だが、相手が悪かったな」
かつて相対した勇者に比べれば、何ほどのこともない。
青年は皮肉げに笑うと、飛来した魔法の弾丸を炎でかき消した。
◇
「まずは及第点、といったところでありんすなぁ」
戦いを終えたアドラーを迎えたのは、ネ=リだった。
「ご覧になっていたので?」
「ほほほ。小童に万一があらば、壁に被害が出るとも限りんせん」
言葉とは裏腹に、女傑はニヤニヤと笑っている。
負ける、とは思っていなかった。
が、楽な相手ではなかったこともまた、事実だった。
それを見透かされたようで、青年は黙って目を閉じる。
「本日は中の下、といったところでしょうかな?」
そこへ、バルナーが現れた。
アドラーの眉根が僅かに寄る。
「そうさな、精々がその程度のもの。上物であったなら小童では……ほほほ、運の良いことよ」
「キヒヒ。最近、そちらはとんと見かけませんな。在庫切れなら助かりますが」
ひとしきり、上位の2体が笑い合う。
得体の知れなさ、という点では、かつての上官とも比較にならぬ氏族。
あるいは、これこそが魔性の種族の所以なのか。
浮かんだ思考に青年は拳を握りしめ、目を開いた。
その目を、ネ=リが覗き込んでいる。
「さて、小童。いよいよ、役に立ってもらう時が参りんしたえ?」
「……は」
頭を下げたアドラーを見下ろす化生の表情は、ねっとりと歪んでいた。