荒野を、2体の魔族が歩いている。
アドラーとカプリコ。
種族さえも異なる両者は、ただ、主従であるという理由でのみ同行していた。
◇
「果てを覗いて参りなんし」
ネ=リからの命は、簡潔にして冷酷であった。
「カプリコはお主に預けんした故、如何様にもしやんせ」
ほほほ、と笑った氏族長は、それ以上付け加える素振りを見せなかった。
代わって引き継いだのは、壁の指揮官、バルナー。
「氏族長殿は言葉が足りぬが……キヒヒ、ま、それも良い修行かね。アドラー殿、残念ながらゲチスとフィーディーは渡せぬぞ? 秘蔵っ子故な。キヒ」
「……では、俺とカプリコで向かいます」
静かに返答したアドラーに、ネ=リは僅かに首を傾ける。
続きを、と言っているようだった。
「どちらかが死んでも、どちらかはそれを伝えに戻れるでしょう」
「……キヒ、氏族長殿、良いのでは?」
「バルナー、まるで妾が悪役のような物言いではないかえ? これは、如何にしやんしたものか……ほほほ、まぁ、ここはお主の顔を立てんしょう」
宿将の助け舟に、氏族長はこれ見よがしに首を振る。
あからさまな芝居ではあったが、その露骨ささえ、今の自分への評価ということだろう。
一瞬脇道へ逸れた思考に、アドラーは目を閉じる。
「それで、いつ出れば?」
「好きにしやんし」
「では……カプリコ、行くぞ」
「はい」
即座に踵を返した青年の背後で、2つの笑い声が響いた。
◇
「アドラー様」
「何だ」
「怖くは、ないのですか」
道なき道を行く半ばで、カプリコが唐突に口を開いた。
その内容に、アドラーは視線を傍らへ流す。
「怖い?」
「ネ=リ様は、死ねと仰っておいででした」
否定はできない。
果てを覗くこと、即ち、ナハテの本拠地へと侵入すること。
無数のナハテだけならまだしも、あの異質な人形までもがいるとなれば……捕捉された場合、逃げ切れる保証はない。
それでも、と青年は鼻を鳴らす。
「死ね、と直接言っていたわけではない。結果として死ぬことと、死を命じることは、別だ」
「……はい」
「少なくとも、貴様には生き残って貰わねば困る。そのために同行させたのだ」
カプリコの足が止まる。
少し遅れて、アドラーも止まった。
「私は、怖いです」
「――恐れを知らぬ戦士ほど、恐ろしくないものはない」
青年は振り返り、従者の目を見た。
「かつて、偉大な戦士が俺に語った言葉だ。その意味で、お前には才能があるのかもしれんな」
「……私は、ただ、臆病なのです」
力なく、タルトゥーラの従者は目を逸らす。
「は。それで足が止まるなら、それまでのことだ。何が変わるわけでもない」
踵を返したアドラーの背に、カプリコは声をかけた。
「アドラー様は、何を恐れるのですか?」
青年の自嘲するような笑い声が一瞬漏れ、歩き始める。
「……わかれば、苦労はしていない」
その声に、カプリコは不思議そうに首を傾げ……やがて、ゆっくりとアドラーの後を追い始めた。
◇
イオタに向かう船上。
光は、甲板で日没を眺めていた。
「……少し、冷えてきたかな」
そう呟いて振り返ると、常と変わらぬ距離にティスがいる。
瞑目してじっと佇む彼女は、いつも少年の側にいた。
――それは、これからも?
きゅっと唇を引き結んだ光に、ティスは目を開く。
「船室で、お茶をご用意いたします」
「……うん、ありがとう」
多少は、返答に自然さが戻ってきていた。
ライトの声が脳裏に蘇る。
――大事なことは、大事な人にこそ、聞けない。
「……だから、聞かなくちゃ」
「……」
小さな決意の呟きが聞こえたのかどうか、侍女は微かに目を伏せた。
◇
ジャスミンのような香りの茶が、カップの中で湯気を立てている。
この香りは、嫌いではない。
少しだけ思考が落ち着くようで、光は知らず入っていた肩の力を抜いた。
船室には、今は少年とティスの2人しかいなかった。
「……ティス」
「はい」
「話を、聞いてくれる?」
「……はい」
背後に立つ彼女へと、光は訥々と話し始める。
「……これは夢だって、最初はずっと思ってた。長い、長い夢なんだって。……それが、あの時、近道をして……」
そこで、少年はゆっくりと茶に口をつけた。
あの子のことも、チャプレットさんに聞かなくちゃ。
心中で呟きながら、続ける。
「現実だと思ってからも、カイセイのことは……何かふわっとしてたよ。ずっと……俺なんかが、なんでここにいるんだろうって……」
「……」
黙ったままのティスだが、光は気にしない。
聞いてくれている、という確信があった。
「それでも、こんな俺でもさ……心配してくれたり、褒めてくれたり……優しくしてくれる人が、たくさんいて……。だから、頑張ってカッコつけようとして……ゴーズも、撃った。ティスに、助けてもらったから」
長いため息。
「……ずっと、助けてくれてるんだよな。それは……俺がマスター、適性者だから?」
「……」
返答が、ない。
一拍をおいて、光は振り返る。
その目に映った彼女の瞳の色を、何と表現するべきだっただろうか。
「……天都光様、貴方が、マスターだからです」
ティスが光の名を呼ぶ。
それは、3度目だ。
ただ……出会いの日の後とするなら、これが初めてだった。
単なるイエス・ノーではないその答え方に、少年は微かに頬を緩める。
「……ごめん。卑怯な質問、だよな。でもさ……やっぱり……怖いんだ」
姿勢を戻して、光はカップを手に取る。
茶の表面に映る自身の顔に、少年は苦笑した。
「俺は、元の時代に……帰れる?」
「……」
いいえ、という即答は無かった。
光は、吐き出した息が震えているのに気づいた。
しばしの間。
「いわゆるタイムマシン、と呼ばれる装置は、少なくともひとつ、現存しています」
ゆっくりと、ティスの声が紡がれる。
「また、私でも把握できない領域が、点在しております。その中に同様の装置や設備が存在する可能性は、否定できません」
「その、ティスが知っている場所は?」
恐る恐る光は立ち上がり、侍女に向き直る。
彼女は、まっすぐに少年を見つめている。
「ラ・トラン海上にある島です。無人島で、航路はありません。最も近い港から、直線距離で約6000キロ先です」
「6000キロ……」
パッと距離感を掴めない数字だったが、酷く遠いことはわかる。
「はは……」
それでも、光は笑った。
「……やっと、目的地が見えた」
安堵したような、疲れたような……いくつもの感情が混ざったその笑みに、紅玉の瞳が揺れる。
一歩だけ、ティスは進み出た。
「マスター」
そして、自ら呼びかける。
そんな彼女から、少年は苦しそうに顔を逸らした。
「……こんな、情けないんだ……俺は……。ティスからも、みんなからも、たくさん気を使ってもらって……助けてもらって……なのに、ずっと、帰りたいって……」
それでもさ。
消え入るような声が、光の唇から漏れる。
「助けてくれる……?」
「……もちろんです。お助けいたします。私が、必ず」
くしゃりと、少年の表情が歪む。
溢れた雫を、侍女の指が静かに拭った。