「え……と」
目の前で微笑む祭司に、光は困惑した。
名前、言ったっけ?
疑問はあれど、名指しで誘われた以上は返事をしないのも失礼だろう。
それに、フィオの銘のこともあるし、余り印象は悪くしたくなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて、少しだけ……。その、人を待たせてるので」
こうなるなら、メルヴィル博士にも来てもらえば良かったかな。
心中でライトに謝りながら、少年は頭を下げた。
「ありがとうございます。それでは、ご案内します」
祭司もまた頭を下げると、先導するよう歩き出す。
その後を追い始めながらちらとフィオを見ると、彼女も若干困惑しているようだった。
そりゃそうだよな、と思いながら、光はティスに軽く質問した。
「……ティス、あの人、男の人で良いのかな?」
少し前に見かけた時もそうだったが、性別がわからない。
声も中性的と言うか、背の高さだけならば男性とも思えなくもないが。
最近、それが笑い話になったこともあり、少年は自分の目を信用していなかった。
「いいえ」
ティスが光の耳元に口を寄せ、その耳にだけ届く声で答えた。
やっぱり、と苦笑しかけた少年は、続く声にぎょっとする。
「人ではありません」
「……え?」
「あれは、AMA――Artificial Materialized Angel――そのメッセンジャーモデルです。男女の別はありません」
咄嗟に振り向いた光を、侍女が見つめている。
「えー、えむえー?」
「AMGの普及版ですが、用途や目的は異なります。O兵装と同時代の遺産です」
その説明に、少年は息を呑む。
あの男の軽薄な顔がちらついた。
……そのAMAが、自分を名指しで呼ぶ。
裏を感じないわけにはいかなかった。
「ついて行って、大丈夫かな?」
「マスターの身に、危険は及びません」
その返答に、光はゴクリと唾を飲み込む。
自分の身には、危険はない。
そう、身には。
「……何か、気になることが?」
フィオが心配そうに訊ねる。
「うん……。でも、それを確かめないと」
ありがとう。
そう言って笑う少年に、少女はしっかりと頷いた。
主が決めたならば、と。
その視線の先で、祭司が僅かに速度を緩め、振り返る。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、すいません。ちょっと、確認を」
止まっていた足を、光はもう一度動かし始めた。
◇
応接室、というよりは、執務室のような部屋だった。
「あまり人を招きませんので、片付いていないのはご容赦を」
朗らかに笑う祭司は、テキパキと茶器の準備を始める。
言葉の割に、その動作はやけに手慣れて見えた。
程なく用意された茶は、懐かしい香りと色の、いわゆる緑茶のようだった。
「これは……」
「日本の勇者の方々には、こちらの方が評判が良いもので」
「え?」
今、この人は何と言った?
光の反応に、祭司は笑顔を浮かべたまま、ああ、と何か納得したように頷く。
「もしや、詳しいご説明はまだでしたか?」
「え? あの……は、い」
「やはり、そうですか」
一転して大きくため息をつくその反応は、AMA、人工の存在とは思えない。
「トゥーズを出立の折、私のマスターとお会いした、ということは伺っておりました。その際に、色々と話した、と」
「……あの人が、マスター?」
「ええ。申し遅れました。私、マルアハと申します。今は、祭司も務めておりますが」
そう名乗った祭司に、光は目を白黒させる。
思っていた以上に、情報量が多すぎる。
「……祭司様は、勇者殿と繋がりが?」
言葉に詰まった少年へ、フィオが助け舟を出した。
そして、内心で納得する。
出港直後の光の不審な様子、その原因は恐らく、件のマスターだと。
マスター。その呼び名に、引っ掛かりも覚えた。
マルアハは頷く。
「この地に現れる勇者殿は、まずマスターとお話しされ、その後、私の元へとお越しになります」
「それは……」
少女が絶句する。
この世界の時代時代に現れる勇者。
それすらも司る祭司、いや、その上に立つ、マスターという存在とは?
光が、ようやく気を取り直した。
「……修志と、湊さんにも会ったことが?」
カイセイにおける、今代の勇者2人。そして修志は、一応、光の友人と呼べなくもなかった。
「はい。これまでで最高の勇者と、そう見ておりますよ」
にこりと笑って答えるマルアハに、少年は微かに疑念を抱く。
反応は、確かに人間のようではある。
しかし、それは、何か、模倣のようだった。
曖昧さがない、というべきか。
「えっと……それで、俺に声をかけたのは、何故です?」
「はい。イオタにいらっしゃると伺いまして、マスターから『機会があれば適当に説明しておいて』と」
「な……」
何だそれは。
思わず、光は拳に力を入れた。
その反応を気に留めた様子もなく、マルアハは困ったような表情で頬に手を当てた。
「それにしても、ヒカル殿のご様子では、ほぼ何も説明なさっていないようですね。相変わらず、困ったことで」
「……修志たちは、なんて説明を受けたんです?」
「長くなりますので、要点だけ申し上げますね。この世界の人間は、魔物の脅威に晒されている。必要な力は与えるので、君たちで助けてやってくれ。君たちには、その適性がある」
「適性……」
また、それか。
恐らく、自分とは違うそれのせいで、修志たちは「呼ばれた」のだろう。
光はそう考え、一度目を閉じた。
「適性って、何です?」
「マナ適性ですね。この世界の人間は例外なく持っています。勇者殿は、元々ある適性へ、マスターが更に手を加えるのです」
あの男が、修志たちの適性に手を加えた。
(……そりゃ、神様、なんて呼びたくもなるか)
光は、したくもない納得をしてしまった。
「ヒカル殿には、皆無のようです。非常に珍しい、いえ、観測したのは初めてです」
「……」
感心したような言葉に、少年は何とも言えない顔をした。
どう反応すれば良いというのか。
「それにしても、ここでどこまで話すべきか、は私が判断できる域を超えますね」
やれやれ、とマルアハは大げさに肩を竦めた。
「よろしければ、ポータルまでご案内します。そこで、直接お話されてはいかがですか?」
思わぬ提案だった。
目を見張った光は、一度深呼吸をする。
「……お願いします」
「では、日程は後ほどお伝えします」
にこりと、マルアハは微笑んだ。
◇
宿への帰り道。
少しだけ、重い沈黙が流れていた。
「……どう、説明すれば良いのか、わからなくて」
ぽつりと、光が口に出す。
「黙ってて、ごめん」
「……はい。我が主の謝罪は、確かに受け取りました」
フィオが穏やかに答える。
「……どこか遠いところから、とは察していました。そこは、とても離れたところだろうと」
例えば、極稀にある、転移事故。
そういった類に巻き込まれたのではないか……と。
ある意味では、その想像に対する確認ではあった。
「勇者殿とも、親しくなさっておりましたからネ。ニホン……ですか?」
「うん。……遠いところだよ」
勇者。
どこかから現れる、この世界における人間側の切り札。
殆どの場合で、来歴は不明。
遍歴の騎士が自身の過去を語らず、周りもそれをよしとして追求しない構図は、当然勇者にも当てはまった。
その大らかさが、これまでは光を助けていた。
なし崩しとはいえ、それに甘えられなくなったのは、きっと、悪いことではないはずだ。
少年は、そう思おうとする。
「私も、聞いたことがない国の名前デス。……世界は広いですネ」
ふふ、とフィオが笑った。
少しでも、空気を軽くしようとしてくれているのだろう。
「フィオ……俺は、だから、その……帰り道を、探してるんだ」
「はい」
「フィオの名前とか、銘とか……色々、受け取ってるくせに……俺は……か、帰りたがって……」
怖かった。
情けなかった。
それでも……言わなければと思った。
「我が主」
その声を、正面から受け取れず、光は顔を背ける。
そんな少年の前に、ひょこりと少女が回り込んだ。
「帰り道の案内は、ご入用ですか?」
「……うん、お願いします」
泣き笑いする光の手を、フィオがそっと握る。
そんなやり取りを静かに見守っていたティスの、その紅玉の瞳が僅かに揺れていた。