光がトゥーズ王国首都、ヨーカでの滞在を延ばしていたうちの、ある日。
短いながらロンドの時間が取れたことで、少年はお茶の時間に招かれていた。
その部屋の入口を、フィオとイネス、ニナが警護している。
「そう言えば、フィオちゃんってさぁ」
軽く姿勢を崩しながら、イネスが口を開いた。
「はい?」
「ヒカルのこと、我が主って言うじゃない?」
「はい」
それが何か、とフィオは首を傾げる。
「やー、今どき古風よねって思ってさ。主君の名前を呼ばない、なーんて、ねぇニナ?」
「え!? あ、はい、そうですね?」
突然話を振られたニナが慌てた。
イネスが、途端に悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「おやぁ? 近衛騎士のニナが、まーさかその手の作法に詳しくないなんて、まーさかないよねぇ?」
「……あの、えっと……な、名前で呼んだらいけない、んですか……?」
どんどん語尾を萎ませていく後輩に、先輩騎士はけらけらと笑った。
「昔はね、えらーい人の名前を呼ぶのは失礼、みたいな時代があったのよ。だから肩書で呼んだりとか、関係で呼んだりとかね。ほらニナ、私を呼んでみ?」
「え、イネス先輩?」
「失礼な! 大先輩の名前を後輩ごときが呼ぶとは! なーんてね。お硬い時代があったって話」
はー、とニナが感心したように頷く。
そんなやり取りを見ながら、フィオも笑顔を浮かべていた。
「ということは、フィオさんが師事されたのは相当格式のある……?」
「いえいえ、古さだけが取り柄のところデス」
少女の謙遜を受けて、素直にもう一人の少女は頷く。
仕方ない後輩だ、という顔でイネスがそれを眺めていた。
「ま、その辺は追々の課題として」
「え」
「私らが、公の場で陛下のお名前を呼べないのと一緒よ。そういう場が、昔はもっと広かったってね」
「あ、なるほど」
飄々と語るイネスだったが、フィオはその見識にこっそりと感心していた。
この人はこの年で、いわゆる守破離の離を既に実践しているのだ。
もちろん、あのロンドが、実力だけを見ているわけはない、とは思っていたが。
「……イネスさんは、どちらの」
思わず問うてしまったフィオは、そこで慌てたように手で口を抑えた。
「お? 参ったなぁ、私の魅力にまた一人惹かれちゃったか……。んふふ、内緒」
しー、と人差し指を立てて、イネスはシナを作る。
それをニナがジト目で見つめている。
「イネス先輩、いっつもそれではぐらかしますよね」
「オホホ、ワタクシ、ミステリアスが信条なの」
「単にちゃらんぽらんなだけじゃ……」
「おっと、言うようになったねぇ。まだまだ陛下のこと、『団長!』って呼びそうになるクセにぃ」
「な、なんで知って……じゃなくて! それは今関係なくないですか!?」
姦しくはしゃぐ2人。
流石にそろそろ止めるべきか、とフィオが悩んだその時、部屋の扉が開いた。
「――騒ぎ過ぎだぞ、2人とも」
現れたアレクの冷ややかな声。
「す、すいません!」
「反省してまーす」
慌てて恐縮するニナと、今にも口笛でも吹きそうなイネス。
ため息をついた近衛騎士団長は、その後は続けずに扉を閉めた。
少しだけ、城内の微かなざわめきだけがその場に響く。
「――そう言えば、フィオちゃんってさぁ」
そして再び、イネスが口を開く。
穏やかな午後のひと時だった。