ぐわんぐわんと、頭の中をかき回されているようだった。
アドラーは気を失っていたことに気づき、素早く起き上がろうとしたが、手足がいうことを聞かない。
「こ……こは……」
仰向けのままで、辛うじて言葉を発する。
あの瞬間、転移陣が起動したことだけはわかった。
その後だ。
転移に伴うあの不快感が、以前のものよりも強烈に襲ってきた。
それが無理やりな転移の起動による、いわゆる過負荷だと、転移魔法の使い手ならば察しただろう。
当然、アドラーはそれを知らない。
同様の理由で行き先が大きくズレていたことも、今は知りようがなかった。
「……」
千々に乱れた五感を、何とか手繰り寄せる。
どうやら、ここはどこかの林か森らしい。
背中の感触からして、下草の類に寝転がっているようだ。
ひとまず、即座の危険はないものと思えた。
「……また、生き延びたか」
青年はそのまま空を仰いだ。
そう、空が見える。
あのナハテの生産施設、そしてアルケーの虎口からは、逃れられたのだ。
見上げた青空が、渦を巻くように歪む。めまいが、まだ続いていた。
目を閉じ、息を整える。
魔力の流れを意識し、丹田から隅々まで届けるようなイメージ。
徐々に吐き気が収まり、感覚が戻り始める。
あれから、果たしてどの程度の時間が経ったのか。
あの人形はどうなったか。
ナハテどもは。
……カプリコは。
確かめる術すらない思考を、アドラーは瞬時に打ち切る。
――何かが、近づいてきていた。
ゆっくりと、だが、確実に近づいてくる気配が、ひとつ。
気を抜きすぎだ、と心中で己を罵る。
それの魔力は薄いが、安心の理由にはならない。
青年自身、万全には程遠いのだ。場合によっては、不覚を取ることも十分にありえた。
可能な限り息を潜め、気配の方向へ集中する。
「……ど、どなたか、いらっしゃるのですか?」
現れたのは、人間の女。
(……いや、違う?)
アドラーは訝しむ。
目を閉じたままの彼女は、辺りを見渡すように首を振り、手の杖でトントンと地面を叩く。
微弱な魔力が走ったのを、青年は感じ取る。
「ああ、やはり倒れて……。大丈夫ですか? ……どうしましょう、気絶してらっしゃるのかしら」
オロオロとした様子で、その女性は杖で探りながら近づいてくる。
アドラーは、口を開いた。
「何者だ」
「あ……お気づきでしたか? 物音がして、それがどうやらお人のようでしたので、様子を見に参りました」
青年の誰何に、彼女はホッとしたように胸に手を当て、続けた。
「私、ルーティアと申します。ちょうど、近くに木の実を取りに来ておりました。お怪我はございませんか?」
「……アドラーだ。怪我はない。だから、放っておけ。すぐ、消える」
ふらつきながら、青年は身体を起こす。
ルーティアと名乗った女性は、そこで少しだけ眉を顰めた。
「失礼ですが、尋常な体調とは思えません。ご無理をなさっては」
「くどいぞ。放っておけ」
「……そう、ですね。立ち入ったことを申しました。ご容赦ください」
深々と頭を下げると、ルーティアはゆっくりと、もと来た道を戻っていく。
その姿が木立の合間に消えるのを見届けてから、アドラーは勢いを付けて立ち上がった。
「……」
既視感、とでもいうべきか。
彼女の魔力は、人間のものとは異なっていた。
そして、魔族のそれとも、違う。
強いて近いものを挙げるならば、自分自身の……。
「まさか」
その想像を、一笑に付す。
まだまだ、本調子には遠い。
「さて、まずは、ここがどこかを確かめるべきか。……帰したのは、早計だったな」
自嘲するように肩を竦め、アドラーは歩き始める。
数歩のところで、小さな悲鳴が耳に届いた。
青年は思わず足を止め、そうした自分に舌打ちをしてからため息をつく。
そして、踵を返した。
◇
数体のゴブリンが、ルーティアを囲んでいた。
襲いかかるでもなく、どちらかといえば、死なない程度に痛めつけてやろうというような様子だ。
その目を、アドラーは飽きるほどに見てきている。
「何をしている」
「ゲッ!? ……ギャギャギャ! マザリモノ、フエタ、ギャギャ!」
1体のゴブリンが振り返り、下卑た笑みを浮かべる。周りの仲間も、釣られて笑い始めた。
青年は目を細め、手に炎を宿す。
途端にゴブリン達は怯えたように後ずさる。
「ゲゲ……マザリモノ……」
それでも、不満を隠そうともしないのは、魔族でも随一の知能の低さ故か。
その他の種族から、雑兵として使い潰される対象。
そんな最底辺からさえ、侮蔑されるもの。
くっとアドラーは笑い、手近な1体へと声を掛ける。
「貴様らに無駄な時間を使うつもりはない。消えろ。二度は言わん」
「……ゲゲゲ!」
数が上回っている、というだけで、ゴブリン達は自信を取り戻したらしい。
粗末な棍棒や剣をこれ見よがしに構え、青年を半包囲するように動き出す。
生意気なやつを痛めつけてやろう。
ありありと表情に浮かんだそれを、アドラーは無視する。
次の瞬間、青年はコマ落としのようにゴブリンたちをすり抜けた。
嘲るような表情を浮かべたまま、最下級の魔族の首が次々と落ち、燃え上がる。
「さて」
炎が爆ぜる音を背に、青年はルーティアへ向き直った。
杖を守るように掻き抱いたまま、彼女は蒼白の表情で唇を引き結んでいる。
その口が、ようやく開いた。
「あの、お怪我はございませんか?」
「……ない。お前はどうだ。ルーティア……だったか」
「おかげさまで……。ですが、このゴブリン達は……」
「ああ、殺した。俺の忠告を無視し、のみならず敵意を向けたからな」
その答えに、ルーティアはぐっと声をつまらせたようだった。
やがて、杖を頼りに立ち上がると、一礼する。
「……ありがとうございます」
「礼は良い。聞きたいことがあった、そのついでだ」
ぶっきらぼうに、アドラーは続ける。
「ここはどこだ? 見たところ森のようだが……」
「は、はい。ここは、アケオスの森と言いまして、ビョードル様が治める地域です」
「ビョードル……あの、親分気取りのホブゴブリンだな」
青年は微かに舌打ちをする。
ラヴァスロウムとは、人間側が
ここにナハテが湧いた、という話は聞かない。であれば。
(……転移事故。運が良かった、というべきか?)
もし、あの転移陣が「上物」の生産施設へと繋がっていたならば。
あるいは、事故での転移先が海や、身動きも取れぬ場所だったならば。
もしも、の可能性を思い浮かべたところで、アドラーは目を閉じる。
考える意味はない。
「あの、アドラー……さん?」
「……何だ」
「よろしければ、家で少しお休みになられませんか? その……私も、お聞きしたいことが、ありまして」
おずおずと切り出したルーティアに、青年は少しだけ沈黙する。
そして若干の間を置き、ああ、と答えた。