「人をお招きしたことがなく、粗相があるでしょうが……」
ルーティアに案内されたのは、ギリギリ建物と呼べそうな小屋だった。
元は浅い洞窟、というよりは岩陰だったのだろう場所を、木々と葉っぱ、そして土を撫でつけた壁で囲ってある。
「……」
彼女が一人で作れるはずがない。
そして、中の広さも、独居にはやや広すぎる。
アドラーは目を細めたが、特に追求はしなかった。
その間に湯を沸かしたルーティアが、何かの葉を煎じた器にそれを注ぐ。
薬湯の類か、と青年は匂いで当たりをつけた。
「これくらいしか、お出しできるものがなくて」
恥ずかしげに彼女が器を差し出す。
黙ってそれを受け取り、口をつける。苦みと、僅かなスパイスの香りを感じる。
魔香草。
「で」
アドラーは勧められた椅子――切り株を磨いたようなものだった――を断り、入り口近くの壁に背をつけた。
「聞きたいこととは?」
窓の少ない屋内は、薄暗い。
俯いたルーティアの表情は、伺い辛かった。
「……アドラーさんは、いえ、アドラーさんも……ハーフなのですか?」
「そうだ」
即答に、彼女は顔を上げた。
アドラーは内心で嘆息する。やはりか。
「で、では!」
勢い込み、ルーティアは腰を浮かせる。
「サリオンという名を、ご存知ですか!?」
「……いや、知らんな。誰だ」
記憶にはない。
少なくとも、面識のある氏族ではないはずだった。もっとも、彼女から氏族の名が出ることもないだろうが……。
その返答に、ルーティアは力が抜けたように座り込む。
「そう、ですか。魔族の軍属とお見受けしましたので……もしや、と思ったのです」
「……」
アドラーは黙ったまま腕を組んだ。
その沈黙を催促と取ったか、彼女は徐に続ける。
「弟、なのです。私と違い、健康で……軍属となり、母と私に楽な暮らしをさせるのだと、数年前に家を出ました」
道理で。
青年はもう一度屋内を見やる。
「お聞かせください。軍では、ハーフは……どのような、扱いなのでしょう?」
「……指揮官による、としか言えんな」
嘘ではなかった。
だが、現実的とも言えない。
100の内で、99は、従魔と変わらぬ消耗品扱いだろう。
そしてその従魔からも、仲間とはみなされない。
アドラーの返答に何かを察したか、ルーティアは寂しげな笑みを浮かべた。
「そう、なのですね」
人間の血が混じった、というだけの理由で、排斥される。
果たして、だけ、と言えるのか?
人間の血とは、魔族にとって、それだけで敵対に値するのではないか?
青年は、思考を打ち切るべく咄嗟に口を開く。
「……配属は、どの方面だ」
引きずられ過ぎた。
転移事故の後遺症なのか、魔力と共に思考も不安定なようだった。
アドラーは小さく舌打ちする。
それには気づかなかったか、目の前の女性は記憶を辿るように、指をこめかみへ当てた。
「確か……ウプアット、と」
「――は」
青年が笑う。
ルーティアは、不思議そうに首を傾げた。
◇
「俺は、ウプアットにいた」
アドラーの返答に、ルーティアは言葉を失う。
居心地の悪い沈黙が降りた。
「……そして、軍を率い、敗走した。ラヴァスロウムに戻ったのは、俺一人だ」
「それ、は……」
「お前の弟は、生きているまい。殺したのは、俺だ」
――その責任、どう取る?
クナッズの声が蘇る。
青年は目を閉じた。
「……軍を率いるほどの方が、何故、こちらに?」
予想した反応ではなかったことに、アドラーは僅かに苛立つ。
「敗北したことで、左遷させられたのさ。サリオンを殺した無能を咎められた、ということだ」
「……」
ルーティアは、それには何も応えない。
ややあって、彼女は口を開いた。
「……弟は、せめて、戦場には立てたのでしょうか」
ウプアットの軍勢は、ゴーズの統制下にあった。
その規律を考えれば、ハーフだからと私刑にあった挙げ句、倉庫の片隅に転がされた……などということはないだろう。
アドラー自身が、その証拠だった。
「軍勢の中には、いたはずだ」
その答えに、小さなため息が漏れる。
そうですか。
瞑目したままの彼女は、そこで青年へと顔を向ける。
「軍務に臨んで死んだならば、それは、お役目の一つではありましょう。……どうか、いたずらに恨みを抱かせないでください」
「貴様……」
気丈な内容とは裏腹に、声の震えが、内心を如実に表していた。
青年は、それがやけに癇に障る。
ぎりと奥歯を噛み締め、ルーティアへと歩み寄る。
ビクリと身を竦めた彼女の目の前の卓に、アドラーはその手の器を置いた。
「物分り良くやり過ごすのが、貴様の処世術か?」
「……サリオンが家を出て、程なく母が死にました。元々、身体は強くなく、弟を思う心労が重なった結果でしょう」
訥々と、ルーティアが語る。
「サリオンからの連絡も、母の死を伝える術もなく、一人となった私には……ここまでの時間は、余りに長過ぎました」
もう、疲れたのです。
それは、沈み込むような声だった。
「仇を討とう、とは思わないのか? 目の前の男は、貴様の弟を」
「やめて!」
悲鳴がアドラーの言葉を遮った。
何をやっているのだ、俺は。
心中で、青年は己の無様さに憤る。
「……アドラーさん、貴方の魔力は、まるで全てを焼き尽くすように感じます。色は、私と似ているのに……熱が、違いすぎるのです」
「……」
「貴方ほどの魔力ならば、ハーフであっても相応のお立場のはず……。その下心は、お詫びします。だから、お願いです。それ以上は、言わないでください。……私には、その熱は、耐えられません……」
震えながらも、ルーティアは立ち上がる。
そしてもう一度、お願いします、と深々と頭を下げた。
「……立ち入りすぎたな」
アドラーは、そう言うとゆっくり踵を返す。
「サリオン、その名は覚えておこう。俺が、生きている間はな」
「……アドラーさん」
「そうだ、ビョードルの根城はどの辺りだ?」
扉の手前で、青年は振り返った。
ルーティアは首を傾げる。
「それでしたら、家を出て正面へ進んで……沢に当たりますから、それを上流側に向かえば、いずれ着くはずです」
「そうか」
「何か、ご用件が?」
「……縄張りを通り過ぎるからな。筋は通さないと、面倒なのさ。俺のようなものは、特に」
返事を待たず、アドラーは扉をくぐり、閉めた。
◇
誰しもが、戦えるわけではない。
特に、女の魔族であれば。
ルーティアはハーフではあるが、タルトゥーラのような種族こそが例外なのだと、改めてアドラーは思い出した。
「……混ざりもの、か」
魔族。
多種多様な種族を「同族」足らしめるのは、人間を敵とする、というただ一点。
その「敵」が異なるだけの存在を、青年は最近まで相手取っていたはずだった。
変化し続けるナハテ。
名もなき大多数の雑兵と、アルケー。
それは、名もなき大多数の従魔と、名を持つ氏族とを有する魔族とも、妙に符合するとさえ思えた。
嫌悪感が沸き立つ。
偶然、と切り捨てることを、本能が拒否しているかのようだ。
ザッと足音を立て、青年は歩みを止める。
「古来、魔族とは強さをこそ身上とする
かつての教えを口にする。
それは、魔族の平等さを示すもののはずだった。
ナハテが、持ち得るとは思えないもの。
だが。
「……強さのみを指標とするならば、そこに、種族の別は……ない」
畢竟、人間とでさえも。
アドラーは、重々しいため息をついた。
であるならば、魔族と人間が手を取り合った時代はあったのか?
両者は、神話の時代から争っていた、というのに?
「……」
グッと、拳を額に押し付ける。
ミシミシと、指の骨が鳴る。
ゴーズからの教えが、いくつも去来した。
そんな言葉だけで、あのベル=セルクは成り立っていたのか?
……やがて、腕がだらんと下げられる。
じくじくと痛む額を気にも留めず、アドラーは空を仰いだ。
戦うこと。己の芯にあるそれは、物心ついた頃からの日常でもあった。
そして、強さを証明することが、教えの実現であると信じた。
故に、戦い続けた。
「兵……」
青年は目を閉じる。
その身に流れる魔族の血と、人間の血。
自身を苦しめ続け、同時に、生を繋げる理由ともなったもの。
混血。
強さによって、それを上書きできるわけではない。
「……継承しても、か」
ふっと、アドラーは笑い、目を開いた。
「このザマで、閣下の仇を取るというのか?」
呟きは、木々のざわめきに紛れていく。
姿勢を戻し、青年は沢へと歩き始めた。
定まらぬ足元を、転移事故の後遺症と決めつけながら。