【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百話 神降ろし

夜――ドイツ・ヴォルフ

 

 桜とチドリとの話しを終えたアイギスは、蠍の心臓と五代の情報屋仲間の力により、湊が久遠の安寧の策によってドイツのヴォルフの街に誘いこまれた事を知った。

 彼女たちが得た仕事屋向けの情報では、湊を誘き寄せた上で、時間差で仕事屋たちに情報を流す事で相手を包囲するという話しだった。

 雪の降る寒い街では湊は普段以上に力を発揮できないはず。ここは街同士を繋ぐ道路が十分に整備されている事で、車を使えば簡単に向かえる特徴を持っているため、大勢の仕事屋がくれば長期戦は必至。

 さらに、莫大な金を使って街の人間を避難させた事で、仕事屋たちだけでは湊を仕留められないと判断すれば、街一つを空爆で焼き払うつもりでいるらしいとの情報まで入ってきている。

 その、街一つを焼き払うというのが久遠の安寧の部隊が行うのか、それとも遂に動き出したという情報のある国聯軍なのかは未だ不明だ。

 しかし、どちらの軍が出てくるにせよ。ここで少年を押さえておかねば、確実に間に合わなくなるとして、彼女たちは蠍の心臓の所有する車を利用し街へ訪れていた。

 

「これは……っ」

 

 到着した車から降りたアイギスは、目の前に広がる光景に目を疑った。

 今いるのは住宅地の固まるエリアとは反対側の、工場や研究所の並ぶエリアにほど近い丘の上だ。

 湊がいると思われる場所まではまだ距離があるが、それでもこれ以上車で接近するのは危険だと、車から降りてその光景を目撃した者たちは理解した。

 数キロ離れたここでさえも、足に力を込めていなければ真っ直ぐ立っていられないほどの強風が吹き荒れ、降った雪を捲き上げながら上空で渦巻く暗雲、時折、雷のような紫電の閃光が走り、それは遠く離れた場所から別の仕事屋チームが撃ち込んだと思われるロケット弾を破壊している。

 さらに、それらの中心では背中から光の触手にも似た何かを天に伸ばす極光に包まれた人型の物が存在しており。その人型が居る周辺の建物は完全に崩壊してしまっていた。

 

「あれは一体何なの? まさか、あのふざけた何かがボウヤだなんて言わないでしょうね」

 

 以前、湊の力の一部を見ていたナタリアも、流石に天候に影響を及ぼすほどの力を見て、これがたった一人の少年によって起こされた事態だとは信じられず。否定の言葉を求めて、誰にでもなく問いかけた。

 

「そんなっ、契約は、時間はまだ残っている筈なのに、どうしてっ」

 

 だが、ナタリアの問いに誰も答えられずにいると、アイギスが悲痛に表情を歪めて地面に座り込んだ。

 他の者では何が起こっているのか分からないが、契約者である彼女だけは何かに気付けたのかと、五代が彼女の傍に駆け寄り状況を尋ねる。

 

「アイギスさんっ、小狼君はどうなったんですか!?」

「……八雲さんは、何かに呑まれています。でも、これはっ」

「お願いです、しっかりしてください! 今、彼を助ける事が出来るのは貴女しかいないんですよ!」

 

 何かに怯えるように身体を震わせながら、目の前の光景と少年の身に起きた事態に動揺しているアイギス。

 しかし、いま現状を最も理解出来ている相手が正気に戻らなければ、彼を救うどころか他の者が対処に動く事も出来ない。

 少女の肩に手を置き、五代がしっかりしろと声を荒げれば、ようやく自分の目的を思い出したのか少女の瞳に力が戻ってくる。

 どうにか正気を取り戻したアイギスは、地面に手を突いて立ち上がると、瞳に強い光を宿し他の者たちへと向き直った。

 

「すみません、状況を説明します。現在、八雲さんは心が怒りに占められ。その感情を呼び代にペルソナに似た別の何かを召喚してしまっているであります。ですが、こんな規模の力を人が扱い切れる訳がないんです」

 

 湊に近づいた事により契約で繋がったパスを通じて情報が送られてきているのか、アイギスは対シャドウ兵器としての観点と合わせて相手の現状をおおよそ把握していた。

 いま、眼下の街に顕現しているのは、ペルソナやシャドウに近いがそれよりも高次の存在である“ナニか”だ。それを喚んでいるのは湊の怒りであり、その核には当然湊がいる。

 

「わたしには対象のおおよその適性値を計測する機能が搭載されています。改修される際にそちらは最新の物に交換されていたようですが、あそこにいる存在の数値は最低でも“10,000,000sp”。これは力を集めるだとか、限界を超えるとか、そういう規模で出せる数値ではないんです」

 

 この機能は云わば簡易適性測定器だ。人間の適性を測るよりも、ペルソナやシャドウを視ることで相手の適性値から強さを測定するためにある。

 機能停止以前よりも遥かに高性能化したそれによれば、喚び出されている存在の数値は最低でも一千万。周囲に特異な力場を発生させているようで、それ以上は接近しなければ詳細に測る事は出来ない。

 もっとも、より詳細な数値を計測したところで、一千万という馬鹿げた数値の時点で真っ当な挑み方をしても勝ち目がないことは明白だ。

 

「桜さんの話では八雲さんの人格のフォーマットが完了してから、空になった器に神の人格をインストールするという事でした。わたしには神という存在は分かりませんが、これが神の力だというのなら、あそこに八雲さんの意思が残っていて良いはずがないんです」

「良いはずがないって、小狼の意思が残っていたらどうなるの?」

「異なる規格の信号でコントロールしようとする訳ですから、当然、コントロールしきれず力は暴走します」

 

 ペルソナについて詳しい説明を受けていないレベッカにも分かるよう、アイギスは原因と結果のみを簡潔に告げた。

 あそこにはまだ湊の意思が存在している。怒りを呼び代にしているのだから、湊が核となっている以上、力の行使は湊が主導して行う筈だ。

 けれど、意識を怒りで満たされ、それを発動ギミックに不完全に神の力を引き出しているせいで、コントロール出来る力の規模を完全に超えて漏れ出した余波が天候や周囲に影響を及ぼしてしまっている。

 今はまだこの程度で済んでいるが、湊にさらに変化が起こればこの小康状態は一気に崩れる可能性すらあった。

 

「ナタリアさんに見せて頂いたハンズィール平野での映像で八雲さんが使用していた力は、数値にしておよそ二万といったところでしょうか。コントロールしたことでそれだけの数値があの規模で抑えられた訳ですから、その五百倍以上の力が一切セーブされることなく解放されれば、ドイツ国土の三分の一以上が焦土と化してもおかしくありません」

 

 蠍の心臓の湊捕獲作戦の映像を見たときにはアイギスも驚いたが、湊の適性は既に既存のペルソナ使いでは遥かに及ばないレベルに達していた。

 チドリから聞いた話では、何度も死ぬような目に遭い。実際に何度か死んで蘇生された事で跳ね上がったとの事だが、死に近づくことで適性が上がるなどという情報は桐条にはなかった。

 これが“ワイルド”という複数のペルソナを持つ能力者だけに当て嵌まる話しなのか、それとも全てのペルソナ使いに当て嵌まる事なのかは分からない。

 それでも、暴走しかけている強大な神の力は、流石の湊でも受け止めきる事は出来ないらしく。このままでは世界規模の大災害に発展する恐れがあった。

 

「また、それは全てが炎のように大地の上を拡がったと仮定しての話しですから、爆弾の爆発のように地下や上空にも力が及ぶと考えれば、気流等にも大きな影響を及ぼし地球規模で何かしら甚大な被害を出すものかと」

「気流って、風って言うか雲の流れくらいにしか影響ないんじゃないの?」

「極単純に言えばそうですが、爆発で土砂や灰が巻き上がり気流に乗って世界中の空を覆う可能性もあるんです。そうなれば、当然太陽光は地上へ降り注ぎませんから、赤道直下の国々でさえも大寒波に見舞われ。作物は育たなくなり、餌を失った動物は死に絶えてゆきます」

 

 これはよく仮説として話されている、富士山が噴火した場合における環境への影響の話しと似たようなものだ。

 富士山の場合は噴火した際に出た火山灰が百キロメートル以上まで飛ぶと言われている。火山灰にはガラス繊維が含まれているため、人間は全身を覆うように服を身に付ける必要があり、太陽光を遮られる事で農作物は光合成が出来なくなり枯れ始める。

 また降灰が見られた場合、国によってはたとえ少量であってもその空域は飛行禁止となるため、空の便に多大な影響が出るだろう。地上も降り注いだ灰と土砂を撤去しなければ通行できなくなる可能性もあるので、陸路であっても交通の麻痺は避けられない。

 川や湖も同じように灰に覆われて、水質の変化に適応できない水生生物たちは死ぬと予想されている。

 そして、これはあくまで火山などの話であり、それよりも大規模な爆発の可能性もあり得る力が暴走すれば、その被害は周辺地域に留まらないとアイギスは冷静に話す。

 当然、聞いていた他の者たちは彼女のように冷静ではいられず、中でもレベッカは本当に訓練を受けた軍人なのかと思うほど取り乱していた。

 

「そ、それじゃあ、人間だって絶滅するじゃない!」

「かなり高確率でそうなるとの計算結果が出ていますね。まぁ、そちらは今考えなくとも構わないのですが、それよりもこのまま行くと高密度に圧縮されたエネルギーによりプラズマが発生し、そのまま八雲さんも融かされ消滅するかもしれません。人類の滅亡よりも、そちらの方が事態は重大かと」

 

 レベッカの言葉を流して街の方を見るアイギスの視線を追えば、確かに湊の上空で稀に眩い光の球のような物が発生しては弾けている。

 あれが発生したプラズマだとすれば、そもそも人間では接近すら危ういのではないだろうか。

 話しを聞いていたナタリアはそんな事を考えつつ、人類の絶滅を別に構わないと言ってのけた人型ロボットの少女へ、ロボット三原則にも引っ掛かりそうな意見を持ってもよいのかと本人に尋ねた。

 

「……貴女にとってボウヤが大切なのは分かるけど。人類の絶滅を構わないというのはロボット三原則的にどうなのかしら。貴女、世界とボウヤを天秤にかけてもまだボウヤを取るの?」

「SF小説の設定の話しをされても困ります。それに質問の意図を理解しかねます。八雲さんの命はこの星よりも重いです。その事実が存在する以上、星を犠牲にしてでも八雲さんを守るのは当然であります」

 

 湊の命は星よりも重い。これが大前提であるため、星を多少犠牲にしたとて湊を救うのは当然である。そういって力強く頷く少女に、ナタリアは軽い立ちくらみを覚えて頭が痛くなった。

 人の話しを聞かない所と、どこの常識だとつっこみたくなる謎の理論にデジャヴュを感じ、とある少年の姿がそこに重なる。

 他の者も同じように思っているのか、危機的状況にもかかわらず、一同を縛っていた緊張感は僅かに薄れていた。

 

「ごめんなさい。ボウヤの命が星より重いと言う話しがまず初耳だわ。そして、それがさも常識のように語られても、多分、それは貴女だけの常識よ」

「では覚えておいてください。あの方が死ねば世界は滅びると。何故だか分かりませんが、それが事実である事だけは分かるんです」

 

 ムーンライトブリッジでの記憶はメモリの損傷で部分的に失われている。

 そのため、どうして自分がこんな事を思うのかは分からないが、アイギスは個人的感情とは別に少年の死は避けねばならないという確信があった。

 

「だから、止めてみせます。例え相手が神であろうと八雲さんを渡したりしません。あの方の身柄はわたしが貰い受けます」

 

 力強く拳を握りしめ少女は宣言する。絶対に少年を救って見せると。

 その姿と言葉にナタリアは思わず笑みを漏らした。笑っていられる状況ではない事は分かっている。

 それでも、二人なら大丈夫かもしれないという不思議な安心感があった。

 最初から少年を救うのは少女の役目だったが、今なら完全に任せる事が出来る。ナタリアは戦場に向かおうとする少女に声を掛けた。

 

「わかったわ。あそこに向かうまでの援護は必要かしら?」

「いえ、皆さんは出来る限り何もしないでください。今は小康状態を保っていますが、いつ力が暴発して攻撃され」

 

 途中で言葉を遮るように背後で大気を震わす轟音が響く。

 一同が咄嗟に目をやると、少年に向けて放たれたロケット弾やミサイルがレーザーのような一撃で全て撃墜されていた。

 攻撃の発射口は核である少年にほど近い場所だった。そこから斜め上空に向けて放たれ、遠くの雲が消え去っているのが確認出来た。

 それを見たアイギスは、先ほど途中まで言いかけていた言葉を改めてナタリア達に伝える。

 

「……予測を遥かに超えた威力ですね。放たれたのが空に向けてで良かったです。しかし、ご覧の通り。自動迎撃と思われる攻撃であの威力です。援護射撃の発射台である皆さんを直接狙ってくる可能性もありますから、皆さんは緊急時に逃げる用意をしておくことをオススメします――――ペルソナ、レイズアップ!」

 

 一同から離れた場所で召喚シークエンスに移ったアイギスの周囲に、青白い光と共に水色の欠片が回り始める。

 彼女の頭上に顕現したのはアテナを模して作られた青銅色の女神像。顔と兜が分かれて展開したかと思えば、そこから回転する破城槍が現れた。

 禍々しい湊の力を見ていた者にとっては、ただ普通に召喚されただけだというのに、その姿がどこか神々しい物に感じた。

 そんな感想を抱いている目の前で、アイギスは呼び出したペルソナの背中に飛び乗り掴まると、まっすぐ湊の居る場所を見つめ命じる。

 

「パラディオン、八雲さんの元まで飛ぶであります!」

 

 吹き荒れる暴風を切り裂き、少女を乗せたペルソナは少年を目指し飛び立つ。神を降ろし人から堕ちようとしている者の元へと辿り着くために。

 

***

 

 茨木童子によって無理矢理に神を喚ばれた湊は、現在、その心を怒りに支配され荒神と化していた。

 背中から生えた翼ともつかぬ光の触手が、再び湊の怒りを体現するかのように振るわれ、飛来するミサイル群を全て叩き落とす。

 

【満たせ、満たせ、満たせ】

『殺すっ、邪魔する者は全てェッ!!』

 

 銀色に変化した瞳を空に向け、五月蝿い羽虫を払うかのように手を横に薙ぐ。

 先ほどまでは湊の知覚に引っ掛かる物を触手で叩き落とし迎撃していたが、ここでようやく自分の力の方向性を定める術を覚えたのか、湊は力を収束させるとそれをレーザーの如く空に向けて放った。

 大気が鳴動し、射線上にあった物を全て蒸発させ、無謀にも挑もうとしていた者たちの戦意を根こそぎ刈り取る。

 カグヤの浄玻璃鏡を使わずとも無限に拡がってゆく知覚で万物の気を感じ取っていた湊は、戦意の削がれた敵が逃げてゆくのを感じながら、未だにこの地を離れぬ者たちの存在にも気付いていた。

 

【満たせ、器を、全て満たせ】

『消えろ、消えろ、消えろォォォォッ!!』

 

 邪魔をする者を屠るため、触手が鞭のように大地を打ち叩き街を破壊してゆく。

 その間も湊の心に何かが語りかけ、さらなる怒りを呼び起こし尽きる事の無いエネルギーを無限に生み出し続ける。

 本来ならば神の力を濃く受け継いだ始祖の子ども同士を結び付ければ、それだけで神の器を生む事は可能だった。

 けれど、茨木童子はより良き物をと願い。知識を蓄え、技術を磨き、人を超えた肉体を得る事を目指した。

 そしてその長い旅の中で、彼女はある一つの発見を得た。

 それは人の持つ精神の力の有用性だ。

 人は心が壊れぬ限り無限に感情を生み出し続ける。強弱や正負はあれど、それでも人は何らかの感情を生み出し続ける。

 茨木童子は自分と妹だけでなく、真正の神であった母の力も回復はすれども一度に保有できる量は有限であると知っていたため、その枷を外す手段として彼女は生きた人間の魂を無限炉として活用する事を思い付いた。

 魂の無限炉への改竄の実現を目指し、血を媒介にして感情を植え付け、より強大な心の力を生み出す様に細工した事も一度や二度ではない。

 その甲斐もあって、名切りはシャドウの王を超える力を持つ業を宿せるほどに成長した。

 まさか、ようやく生まれた器の資格を持つ者が名切りの業と対等な心の力を持つとは思わなかったが、少年はペルソナに目覚める事でより心の力を生み出し易くなってくれた。

 さらに、少年の心の力はペルソナを扱ってきた事でエネルギーに変換され易くなっており。この事実には計画を企てていた本人ですら、あまりに出来過ぎだと笑いが止まらなかった。

 

【感情を力へ、己の全てを捧げよ】

『あああああァァァァァァァッ!!』

 

 心が怒りで満たされてゆく。怒りは憎しみとなり、憎しみは殺意へと変わる。

 際限なく膨れ上がる感情は力に変わり、少年の怒りに呼応するように天へと放たれる。

 エネルギーに変換されただけの純粋な力の塊が、眩い光を発しながら遥か上空で球体となり緩やかに回転を始めた。

 この力が解き放たれればこの地は焦土と化す。だが、心を支配されている少年は感情という力をただ生み出し続けることしか出来ない。

 集められた力は密度を増し、強力なプラズマを発生させながら、周辺に特殊な力場を生み出して少年の分解を始めた。

 今の湊は己にペルソナを降ろしているようなシンクロ状態にあり、人間の身でありながらペルソナたちのように不安定な存在でもある。黄昏の羽根のように云わば情報と物質両方の性質を持っているのだ。

 儀式の完了まではまだ時間が掛かりそうだったが、茨木童子は動揺して心が不安定になっていた湊を見て、意識が完全に呑まれて人格を失い一気に神降ろしが進むと考えたらしく、慣らしと称して神の一部を湊に降ろしてしまった。

 けれど、名切りの業を宿したまま、それに匹敵する心の力を有している者が、そう簡単に意識を呑まれるはずがなかった。

 感情に心を支配され自我を失いかけてはいるが、少年が人格を保ち続けることで儀式は失敗し、集められた力によって意識よりも先に肉体が消滅しようとしていた。

 

『滅べっ、滅べぇぇぇぇぇぇぇっ!!』

 

 感情という無尽蔵のエネルギーを生み出す装置となった少年は、自分の肉体の消滅が始まっても力の生成を止めない。

 上空に集められた力は、既にドイツの国土の半分を焦土に変える程に高まり。少年の消滅と共に解き放たれようとしていた。

 

「――――八雲さんっ!!」

 

 だが、そこへペルソナの背に乗った一人の少女が現れた。

 敵を排除しようと暴れる光の触手を空中で回避し、人間ならば地面に縫い付けられ即座に意識を失うような重力を受けつつも、それらに耐え続けこんな危険な場所までやってきたらしい。

 今の湊はすぐにでも臨界に達しようとしている原子炉のようなものだ。そんな危険な物へ近付いてくるなど自殺行為としか思えない。

 

「八雲さん! お願いします、正気を取り戻してください!」

『邪魔を、するなァァァァァァっ!!』

 

 少年の意識を取り戻させようと声を掛ける少女を、少年が放った無数の触手が捕えようと動き出す。

 一つ一つの威力が鉄筋入りの建物を一撃で粉砕させるほどだ。僅かに掠っただけでも大破は免れない。

 しかし、少女はそれらの軌道を予測し、一つは空中で急制動をかけながらやり過ごし、続けて迫った物はスキルの発動で加速して回避する。

 全てが湊の完全な制御下にあるならともかく、小さな敵を捕えようと単調な動きで大振りに振るわれるだけでは、弾丸すら見切るアイギスにとって避けるのは容易いらしい。

 触手を避けきったアイギスは、少年の上空を迂回するように飛びながら呼び続ける。

 

「貴方の帰りを待っている人がいるんです! そんな物に負けないでください!」

『黙れェっ!!』

「黙りません! 八雲さんの身体を奪おうとしている方に告げます。即刻、八雲さんの身体から出て行ってください!」

 

 言いながらアイギスは空中で腕のガトリングを湊に向けて撃ち放つ。

 特殊な力場が発生しているため弾丸は当たる前に地面に落ちるが、少年の銀色の瞳はしっかりとアイギスの姿を捉えた。

 彼女の狙いは相手にダメージを負わせる事ではなく、最初から湊に己の姿をもっと明確に認識させる事だった。

 現在の少年の瞳は銀色になっているが、これは自分の知る物でも、他の者たちが知る物でも、魔眼と呼ばれる物でもない事は分かっている。

 ならば、少年は未だに自分の人格を完全に失っていないが、何かしらの干渉をして肉体の支配権を奪おうとしている存在も同時にそこにいるのだろう。

 

「パラディオン、一度離れてっ」

 

 話しでは相手は神という事だが、たとえ神だろうと他人の家に土足で上がり込む様な無礼な輩に、礼儀を尽くした真っ当な対応をする気はない。

 何より自分は心を与えられた機械。人類の創造主である神に真っ向から喧嘩を売る存在なのだ。

 故に、彼女は少年の肉体を奪い返すため、覚悟を決めて少年と共に神に挑む。

 

「パラディオン、最大速力で電光石火であります!」

 

 そうして、アイギスは一度距離を取ったかと思えば、突如ペルソナを急加速させて少年に真っ直ぐ特攻をかける。

 到達するまでに触手に打たれることや、ミサイルを迎撃したレーザーに撃墜される事も考えない。いや、もはや考える必要がないのだ。

 

「はぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 少女はただ真っ直ぐ、誰よりも速く彼の元を目指す。

 閃光と共に風を切り裂き、音と景色を置き去りして、自分を見つめる左だけ“蒼い瞳”の少年の元へただひたすらに真っ直ぐに進む。

 少年まで残り十メートル、アイギスはペルソナを消し、慣性のみで少年に向かって飛んだ。

 

「八雲さんっ!!」

『――――アイギスっ!!』

 

 少女の呼び掛けが遂に少年に届く。両腕を広げ文字通り飛んできた少女を、両目とも蒼くなった少年はしっかりと受け止めた。

 だが、少年が自我を完全に取り戻した事で、上空に集まっていた膨大なエネルギーが少年の手を離れ解放されようとしていた。

 球体に近かった力の塊は、制御下にあったときよりも既に三倍ほどまで膨れ上がっている。

 

「八雲さん、このままではっ」

「大丈夫だ、君を死なせたりはしない――――タナトス!」

 

 アイギスから身体を離すと湊は外套から抜き身の仇桜を取り出し、タナトスを呼んで力の塊に向けて一人飛び上がった。

 湊が何をするつもりか分からないが、少しでもショックを与えれば力は全て解放されてしまう。

 だが、今は少年以外に頼れる者がいないことで、アイギスは全速力で球体へ向かっている少年がどうか無事でありますようにと天に祈った。

 そして、間に合えと全速力で球体へ向かった少年は、その手に持った一振りの刀で“神の力”を――――斬った。

 

「はぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 下段から斬り上げ降り抜かれた刀は、今まさに解放されようとしていた“神の力”を切り裂く。

 街の外から双眼鏡を使って眺めていた者たちも、少年の奇行に目を見開き死を覚悟するが、何と切り裂かれた力の塊は、そのまま力を失い霧散した。

 これには少年の無事を祈っていた少女も信じられず、仕事を終えてゆっくりと降りてくる少年をただ茫然と見上げている。

 ペルソナと共に降下し、ようやく少年が地面へ降り立ったときには、少女は相手に一体何をしたのか尋ねた。

 

「あの、先ほどのは一体?」

「いくら神が引き出した力といっても、膨大なだけでエネルギーの塊である事に変わりはない。なら、死者の魂すら殺せる俺の眼なら力その物を殺す事も可能という訳だ」

 

 言って少年はゆっくり歩き出しながら刀を外套へしまう。

 彼が行った事は実に単純で、昔、孤児院の火事で炎を切り裂いたように、上空で解き放たれようとしていたエネルギーの死の線を切って殺しただけだ。

 殺されたエネルギーは力その物を失うため、後には何も残らず、ただ余波の風を受けて巻き上がっていた瓦礫等が落ちてくるのみ。

 しかし、力を発生させていた中心部という台風の目ともいうべき地点にはそんな事は関係ないので、瓦礫となった研究所跡から道路に出ると、湊は振り返りついて来ていた少女へ向き直った。

 

「……それで、どうして君がここにいる?」

「わたしは三ヶ月ほど前に貴方の危機を感じて、それでどうやってかお救いしなければと」

「……誰に連れて来てもらったんだ?」

「最初は屋久島でセスナを奪って中国まで飛びました。それからは徒歩でインドまで行きましたが、途中からヒッチハイクを行い車に乗せてもらうなどして進み。ルーマニアに着いた頃に脳波リンクによる通信を使って水智恵さんという方が、同じ目的の方たちのいる所まで案内すると言って蠍の心臓の方たちに会わせてくれたんです」

 

 そこまで聞いた時点で後の事は想像出来たのか、湊は複雑そうな難しい表情を浮かべて溜め息を吐いている。

 そもそも、セスナを奪って海を渡ること自体かなり危険な行為だ。通常ならば不審な飛行機だとして領海内に入った時点で軍に撃墜されている。

 運よくそれをクリアして大陸に渡れたようだが、その後も今着ている目立つ戦闘服で歩いていたとすれば、不審な人物として警察に職務質問を受けてもおかしくない。

 見た目は西洋系だが、当然パスポートも何も持っていないため、密入国者として警察に保護されればロボットであることもばれていただろう。

 自分の危機を感じたのが三ヶ月ほど前というからには、イリスの死によって心が壊れたのを契約かコミュニティを通じて察知したのだと思われる。

 それで身を案じてわざわざ来てくれた事には感謝するが、流石に無謀過ぎると湊は相手の行動を諌めずにはいられなかった。

 

「無茶し過ぎだ。辿り着く前に事故や事件に遭ったらどうする」

「それはお互い様です。八雲さんも相当の無茶をしていると聞き及んでいるであります。今回もわたしが間に合い、八雲さんの眼の力で無事に済みましたが、一歩間違えれば地球規模の大災害になっているところでした」

 

 それは全くの正論であり、少年がしてきた無茶のレベルを考えれば、彼だけは他者を責める資格がないほどだ。

 真剣な顔で相手に図星を突かれ、全く反論の余地がないことで不利と判断したのか、少年は少し間を置くと話しを逸らすために別の話題に移った。

 

「……まぁいい。俺に会う目的は達成したんだろう。なら、直ぐに日本へ帰るんだ。パスポートの準備や飛行機の手配はしてやる」

「八雲さんもご一緒してくださるのですか?」

「俺はまだ帰らない。そもそも帰るつもりがない」

「なら駄目です。わたしは八雲さんがご一緒してくださらない限り帰りません」

 

 相手の反論を予期してなかったのか、湊は再び瞳を普段より僅かに大きく開いて驚きを見せる。

 しかし、相手が自分も一緒でなければ帰らないと言ったところで、彼は自分の目的はまだまだ達成まで遠い事を知っている。

 その間中ずっと連れ回す事など出来ないため、表情を冷たい物に変えて少女に言葉を返した。

 

「……ここは戦場だぞ。君みたいな女の子がいていい場所じゃない」

「わたしは対シャドウ用に生み出された兵器です。戦場での運用がメインに考えられていますので、そういった気遣いは無用であります」

「……っ」

 

 アイギスが自分を兵器だといったとき、拳を強く握り締めて湊の表情が一瞬怒りに歪む。

 相手の言った事は事実だ。それはどうあっても変えられない現実でもある。

 だが、少年が抱いた願いはそれを否定し、兵器として生み出された少女がただの少女として世界に存在を認められる事だった。

 だからこそ、彼女自身の口からそれを聞いた湊は、気を抜けばすぐに消えてゆく記憶に改めて己の願いを深く刻みつけ。これだけは絶対に忘れないと誓いを立てる。

 自らの願いを再確認したことで、湊はもう一度少女に平和な日本へ帰る様に告げる。

 

「……アイギス、言う事を聞いてくれ」

「命令によります」

「日本に帰れ」

「貴方と一緒ならば」

「一人で帰れ」

「それは嫌です」

『…………』

 

 両者の意見は正反対なので、どちらかが譲らなければ当然こうなる。

 お互いに相手の事を考えている事で余計に頑固になっているため、自分の意見を曲げる気も譲る気もないのだろう。

 そうして、一メートルほど離れた位置でお互いに真顔で見つめあって沈黙が続いていると、精神的に大人である湊の方が先に折れ、ちょっとした譲歩を見せた。

 

「……なら、日本までは一緒に行ってやる。そこからは一人だ」

「またこちらに戻ってくるつもりであれば、わたしは再び八雲さんの元を目指します」

 

 僅かな譲歩を見せたかと思えば、湊の案はアイギスが譲らないと決めている部分にまるで変更のないものであった。

 よって、湊がそう来るのであれば、自分もまた再び湊を目指すと宣言する。

 すると、これでは話しが終わらないとして、湊は別の切り口から攻め始めた。

 

「どうして俺にこだわるんだ?」

「わたしの一番の大切は、貴方の傍にいることですから」

 

 言いながらアイギスは一歩詰めて湊の胸に手を当て、下から見上げるように湊の瞳を見つめる。

 彼女自身の瞳の色とどこか似ているが、死を視る少年の瞳はここではない別の場所を見ているようで、視線を交わしていていながらアイギスはどこか寂しさを感じた。

 チドリからこの眼は自分と共に戦ってから目覚めた物だと聞いている。ならば、彼が死を知ったのはあの日の戦いでのはずだ。

 しかし、アイギスにはあの日の戦いに関する記憶がほとんど残っていない。少年を変える切っ掛けになったというのに、どうして自分はその大切な事を覚えていないのかと自責の念に駆られる。

 

「……どうしても言う事を聞いてくれないのか」

「はい。わたしは貴方を日本へ連れ帰るために来ましたから」

 

 だがそれでも、せめて今からでも少年のために自分は生きたい。そう決めて、アイギスは彼のためにも絶対に譲れないと湊の要求を拒否した。

 その言葉に少年はどこか寂しそうな顔をして、胸に置かれていたアイギスの手を離させると距離を取った。

 

「これ以上話し合っても無駄だな」

「そうですね。お互いの望みが真っ向から対立しているため、双方に譲る気がないのなら話しは平行線かと」

 

 会話をしながら両者はお互いに武器を構えだす。少年は両手に対照的な色合いの銃を、少女は袖を捲って弾倉を真新しい物に取り換える。

 

「俺は自分の望みを通させてもらう」

「消耗している状態でわたしに勝てるのですか?」

 

 アイギスが心配する通り、今の湊は誰が見ても分かるほど消耗している。

 元々、この三ヶ月ろくに休まずに戦い続けていたのだ。そこへさらに神の器にされかけ、感情をエネルギーとして放出し続けていたとなれば、普通なら病院へ搬送されているところだ。

 けれど、そんな消耗している状態でも我を通すためなら意地でも戦うのが湊だ。

 相手に問われた湊は質問には答えず、反対に聞いた自分こそ戦えるのかと問い返した。

 

「君こそ人間相手に戦えるのか?」

「こうならずに済めば良いと考えていました。ですが、心のどこかでこうなる予感はありました」

「……そうか」

 

 その答えを聞いてなるほどと思う。相手も何の策も無しに自分に会いに来たわけではないらしい。

 頑固な部分があることには先ほどのやり取りで既に気付いていた。ならば、最終的には力づくで連れ帰ることも考えていたのだろう。

 今の湊はアイギスとチドリが大切だという想いはしっかりと覚えている。だが、両者と初めてあったときの記憶は既に失っているため、相手の戦い方はまるで分からない。

 さらに、自分のペルソナや通信越し以外で読心能力が効かない相手は初めてだが、それでも湊は自分の方が使える戦術の幅が広いことは確信していた。

 

「ルールは簡単だ。勝った方が相手を従わせる。ただそれだけだ」

「一生涯の隷属ですね。了解であります」

「……拡大解釈しないでくれ。願いは一つだけだ」

 

 相手を守るためにそれを阻む本人を倒す。

 お互いに自分の行動が矛盾を孕んでいる事は分かっているが、それでも最早やめる気はない。

 

「では、一生涯の隷属を誓えと命令するのは?」

「君は俺に隷属して欲しいのか?」

「いえ、一緒に居ていただければそれで満足です」

「なら、別の願いを考えておくんだな」

「分かりました。負けたときは、言い訳も恨みっこも無しでお願いします」

「ああ、当然だ」

 

 軽口を叩くようにルールを確認し合い両者は準備を済ませる。

 二人の間には敵意も殺意もない。そこにはただ純粋な相手への想いがあるだけだ。

 

アイギス(八雲さん)

 

 それでも、少年と少女は相手を守りたいからこそ決意を固める。

 

俺は(わたしは)

 

 戦いを前にした真剣な表情の仮面(かお)の裏に、今にも泣き出しそうな本当の顔を隠して。

 

君を(貴方を)

 

 そして、二人は重なる様にその言葉を口にした。

 

倒す!(倒します!)

 

 絶対に引けない。引く事の出来ない戦いが始まる。

 

 

 




補足説明
 アイギスが計測した一千万という適性値は、湊の生み出した感情を神がエネルギー変換し、それを適性値として見ればいくらになるかを表しただけであり、現在の湊がそれほどの適性値を有しているという訳ではない。
 湊の適性値が一千万以下だというのにそれ以上の力を生み出せる理由は、本来『適性値→ペルソナorスキル』であるところを、『感情→適性値→スキル』という風に、初めから感情をエネルギーの元である適性値に変換する機構が取り入れられているからである。
 他のペルソナ使いらも小規模ながら同じような事はしており、感情の昂りで力が増幅するというのがそれにあたる。しかし、人間では変換効率が悪いために、感情で無限に適性値を得る事が出来ない。

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