【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百一話 少年の戦力分析

――ドイツ・ヴォルフ

 

 当たれば片腕の自由を奪われるであろう、迫りくる正確無比な弾丸。それをアイギスは曲げた左腕を僅かに上げ、身体を捻るという最小限の動きだけで回避していた。

 

(八雲さんの射撃の正確さはわたし以上……なるほど、確かに狙いが分かっていればブレがない分だけ避けるのも容易いですね)

 

 相手の弾道を見ればアイカメラによって着弾点は予測できる。しかし、本来ならば反応する前に弾丸がアイギスへと到達する筈だった。

 それを彼女はチドリからの助言によって最初から狙われるであろう部位を絞り込み、そのポイントを狙ってくればこういった回避行動を取ると予め決めていた。

 ほとんどすり抜けるように弾を回避したアイギスは、そのまま距離を詰めながらお返しとばかりに右手のガトリングで湊の胴体を狙う。

 けれど、相手はそれを瓦礫群の上を駆けまわりながら全て避けた。山を張って回避したアイギスも大した物だが、平坦な場所から敢えて足場の悪い場所へ移動することで、瓦礫を使った立体的な回避運動を取る湊もそれに匹敵する妙技である。

 戦闘が始まってからというもの、いくら攻撃しても攻撃を回避されてばかりで、お互いにどうやって状況を変えるべきかと焦れて来ていた。

 だが、ここで攻めを急いては隙を突かれ、一気に不利な状況へ持ちこまれてしまうだろう事をアイギスは理解していた。

 故に、相手に攻撃を放ちながら、彼女はチドリの言葉を思い出していた。

 

 

――オーストリア・ミーティングルーム奥の個室

 

《改めて説明するけど、八雲の最大の脅威はその飛行能力。だけど、戦闘が始まればきっと飛ぶ事は殆どないと思う》

 

 画面越しに真剣な表情で話すチドリは、アイギスに湊の戦い方の癖や相手が取ると考えられる戦法を説明する。

 彼の脅威は自由に飛べる事だが、それは回避や移動のために使うのが主なので、下手に攻撃してアイギスを傷付けられないとなれば、湊はもっと確実な手段を取ってくると見られた。

 

《飛ばないとなれば射撃か格闘になるけど、基本的には射撃で来るでしょうね》

「ペルソナは使われないのですか?」

《ええ、今の八雲は疲弊してる。そこで大技になるペルソナを使えば消耗も激しいし、何より精密射撃みたいに与えるダメージをコントロール出来ないから下手に使えないのよ》

 

 アイギスの持つ最大のアドバンテージは湊が彼女を傷付けられない事だ。攻撃の威力はセーブされ、さらに言えば人間でいう急所を直接狙うようなこともない。

 戦いとなれば湊も本気で来るだろうが、それでも全力は出せない。疲弊した弱った状態で全力を出してこないとなれば、アイギスが注意するべき点も限られてくる。

 

《八雲の射撃はかなり正確よ。話しによると二キロの狙撃も余裕らしいわ。だから、狙いが分かれば逆に躱す事は容易なはず。注意するのは肩や腕、それから膝より下ね》

「わたしの身体はチタン製です。普通の銃で撃たれても損傷は軽微かと」

《八雲は貴女を兵器ではなく女の子として認識しているの。さっきから言ってる傷付けられないって話しは、身体に傷が残らないようにって意味もあるのよ。だから、貴女は八雲の銃口から狙いを予測して身体を捻って躱せばいい》

 

 湊は相手が女子であれば男子が相手であるよりも対応が優しくなる。これは男女差別ではなく、単純に弱者に手を差し伸べるのは当然だと思っているからこその行動だ。

 女子よりも弱い男子も中にはいるが、その場合は相手が不利な状況とみれば湊も助けたりするので基本的に吊り合いは取れている。

 そしてまた、逆にあまりに酷い行動を取っている女子がいれば、湊は平然と顔面をグーで殴ったりするので、罰を与える面でも吊り合いは取れていた。

 そんな湊だからこそ、大切に想っている少女が相手ならば、普段以上に優しい、甘いと言っても良い行動を取ってくるはず。

 戦いの中で湊が甘さを見せるなど稀だ。最後の結末に甘さが混じることはあっても、戦闘が終わるまでは湊は戦闘機械となる。

 だからこそ、チドリは折角相手が見せてくれた甘さを存分に突いてやれば良いと話す。なにせ、戦闘中にそんな物を見せる方が悪いとは本人の言葉なのだから。

 けれど、戦闘に慣れている相手が、攻撃が当たらないと分かってからも同じ行動を続けるとは思えない。

 相手の戦い方は知らないが、アイギスは一般的な話としてその点を尋ねた。

 

「ですが、わたしに狙いが読まれていると分かれば対処されるのでは?」

《そうなった場合、八雲は貴方の頭部や胴体を狙ってくる。もしもそこを狙ってきたら下手に動かないで。それは自分は急所も狙えるんだぞって脅してきてるだけで当たらないから》

「……すごいですね。八雲さんの思考パターンから相手の戦法を予測するなど、相手をよく理解しておられないと出来ない芸当であります」

《まぁ、伊達に七年も一緒に暮らしてないからね》

 

 相手を普通の少女だと思っていたアイギスは、彼女の立てた対処法を聞いて素直に感心させられる。

 本来ならば戦闘中はイレギュラーな事態が多々起こるので、当初に立てた作戦通りにはいかない事もよくある。

 だが、相手は湊の戦闘技量や思考パターンから取る行動を予測し、行動を縛り過ぎない範囲で的確な助言をしていた。

 アイギス自身も湊を傷付けるのを躊躇っているので、相手の攻撃を躱すという防御面の作戦を第一に教えて貰えた事もありがたい。

 話している相手も湊に傷付いて欲しくない気持ちは同じはずだ。共通の目的を持ち、気持ちが一緒ならば目指すべき結果も同じになる。

 今のアイギスにとって、チドリはまさに最高のパートナーだった。

 

「チドリさん、八雲さんのペルソナについても教えて頂きたいであります。わたしへの攻撃が通じないとなれば、戦局を変えるための切り札として使うはずでしょうから」

《……そうね。八雲が冷静な状態でペルソナを使ってくるとすれば、それは貴女にとって最悪なタイミングと考えるのが普通。いえ、最悪な状況にするために使うというべきかしら?》

「八雲さんのオルフェウスはアギ系の魔法スキルを使えます。対して、わたしのパラディオンは補助を除けば基本的に物理スキルしか使えません」

 

 過去の湊のペルソナは魔法スキルを使用できた。対して、アイギス自身のペルソナは接近しての物理攻撃がメインだ。

 耐久性にはそれなりに自信があるものの、やはり強力な魔法スキルを放たれれば戦況は一変するだろう。

 相手のペルソナがどれだけ強くなっているか気になったアイギスが尋ねると、彼女の予想に反して画面の向こうの少女はその質問に対し怪訝な顔をしていた。

 

《オルフェウス? 悪いけど、私はそのペルソナを知らないわ》

「八雲さんがペルソナを使った場面を見た事がないのですか?」

《あるわよ。でも、八雲が一番使ってるのはタナトスっていう黒い死神なの。他にも四神とか人間にしか見えないペルソナも持ってるから、オルフェウスは既に使わなくなったペルソナじゃないの?》

 

 その言葉を聞いて、今度は反対にアイギスが疑問符を浮かべる事になった。

 ペルソナが変化するのは構わない。事例はないが心の変化で、同じように心の化身であるペルソナも変化する可能性はある。

 しかし、今のチドリの言葉によれば湊はペルソナを複数所持しているように聞こえた。本当にそんな事があり得るのかとアイギスは疑問を禁じ得ない。

 

「既に使わなくなった? すみません、八雲さんのペルソナは一体ではないのですか?」

《……そういう事ね。質問の答えはイエスよ。八雲は“ワイルド”っていうペルソナを自由に付け替える能力を持ってるの。武器みたいに多数所持して、状況によって使い分けると考えてくれればいい》

 

 相手が炎を使うなら火炎耐性のペルソナを、氷結が弱点なら氷結魔法を使えるペルソナに状況ごとに使い分ける。

 湊はこの能力を“ワイルド”と呼んでいたとチドリは続ける。

 

《加えて、八雲は“同時召喚”のスキルも持ってるの。一度に多数のペルソナを呼び出して、それぞれを扱えるっていうワイルドの奥義ね。まぁ、エリザベスとかの話しだと八雲しか使えないらしいけど》

「ワイルドに同時召喚……やはり、八雲さんは恐ろしいほどの可能性を秘めておられたのですね。ペルソナは心の力、名切りの力にあの方自身の力も加わるとなると、正直勝てる気がしません」

《それでも勝って貰わないと困るのよ。第一、まだ最凶のペルソナの話しをしてないわ》

 

 相手との戦力差に顔を俯かせ弱気になるアイギス。

 湊と戦えるのは彼女しかいない。自分もそっちに行けるなら加勢するが、湊のためにそれは出来ないチドリは、相手を叱咤しながら彼の所持するペルソナはこれだけではないと告げた。

 

「最凶のペルソナ? 最も強いではなく、最も凶悪なのですか?」

《ええ。ペルソナの名前は審判“アベル”。翠玉の鎧を着た騎士型のペルソナよ》

 

 言ってチドリが画面から一度消えたかと思えば、スケッチブックを持って再び現れた。

 彼女はスケッチブックのページをいくらか捲ると、曰く最凶のペルソナであるアベルが緻密なタッチで描かれていた。

 

《殆ど使った姿を見たことはないけど、アベルには固有スキル“楔の剣”があるの。その能力は斬った対象のペルソナや適性の切り離し。相手がペルソナ使いならペルソナを、適性持ちなら適性を奪われてしまう》

「ペルソナや適性を奪う? そんな、それらは相手の精神の一部とも言えるものなのですよ。切り離して奪えるはずが……」

《それが出来るから最凶なのよ。まぁ、ペルソナを奪われたペルソナ使いが、もう一度楔の剣で斬られても適性までは奪えないみたいだけど。それでもペルソナを持っている事で得られていた耐性とかは失うわ》

 

 説明しながらチドリはアベルの手にある赤い光を宿した剣を指差す。形状は少し古い時代の西洋剣だが、描かれている赤い光が実際に存在するなら見分けることは可能だろう。

 ペルソナ使いはペルソナまでしか奪われないという話しだが、最大の切り札であるペルソナを奪われれば敗北は必至。

 さらにチドリは湊がペルソナの部分展開も可能と話して来たため、咄嗟に剣だけ出されて斬られてしまう可能性もあった。

 仮に奪われても最後の瞬間まで諦めるつもりはないが、奪われた力はそのままになるのかが気になる。少し考え込んでいたアイギスは顔を上げると真剣な表情で尋ねた。

 

「それらは奪われたらもう還って来ないのですか?」

《適性は無理ね。八雲の力として吸収されてしまうから、そうなれば適性を分け与えられないように返す事も出来ない。一般人になった相手は影時間に関わる記憶も失うし。頑張ればもう一度適性を得る事も可能かもしれないけど詳細は不明ね》

「では、ペルソナは?」

《ペルソナは八雲が返してくれれば大丈夫よ。持ち主本人がペルソナの宿るカードを砕けばいいの。奪われてる間は八雲や他の人が砕いても使えてしまうけど、持ち主以外が砕いたときはペルソナが消えれば再び八雲の中に戻るから問題はないし》

 

 アベルの能力で奪われたペルソナはカード化する。カードの具現化自体は湊にして貰う必要があるが、元の持ち主が壊せば持ち主の中に戻る。

 また、他者がそれを壊せば、湊だけでなく適性を持たぬ者でも呼び出す事が出来るのだ。

 湊や持ち主以外が呼び出しても、他のペルソナと同じように役目を終われば一時的な所有者である湊の中にカードは再び戻る。

 よって、アイギスが相手なら奪われても後で返して貰える筈なので、その点は気にしなくていいとチドリは話す。

 

「八雲さんや他の方が使用している際のエネルギー源や、ダメージのフィードバック先はどうなるのですか?」

《前提としてペルソナは持ち主の物でないときは八雲の物という事になるから、奪われている間は他の者が召喚しても八雲がエネルギーを消費するし。ダメージも肩代わりすることになってた》

「チドリさんは実際に見た事があるのですか?」

《能力の説明は何度か聞いたけど。実演して貰うためにマリアっていう知り合いのペルソナ使いと一緒にタルタロスで試したわ。アベルの能力は本人とエリザベスたちを除けば、私とマリアと貴女しか知らない。だから、八雲の安全のためにもこの情報は桐条に与えないで》

 

 対ペルソナ使いの能力でこれほど凶悪なものはない。湊は桐条グループを憎んでいるので、この能力を持った彼が復讐に走る恐れがあると気付かれれば、相手は美鶴たちのペルソナを奪われないよう湊の排除を検討するだろう。

 チドリに言われずとも、アベルの能力を聞いた時点でその可能性を考慮していたアイギスは、しっかりと頷いて宣誓するように胸に手を当てた。

 

「了解しました。八雲さんの情報と共に最上級のプロテクトを組みます。プロテクトが破られれば、その情報が自動で消去されるよう罠も仕掛けますのでご安心を」

 

 その言葉にチドリも安堵の息をそっと漏らしている。

 ただでさえ少年は色々な勢力から狙われる立場にあるのだ。今回は彼の人徳で仲間が奔走した事で救える希望が出てきたが、こうも運良く物事が進むのは稀だ。

 今の湊を救う事が出来たとしても、まだ久遠の安寧や懸賞金の問題が残っている。

 そこにさらに桐条グループまで加わるとなれば、流石に仲間の力だけでは彼を守りきれないだろう。

 むしろ、相手が憎しみの対象であることで、理性の箍が外れペルソナを使用して敵を屠りに往くかもしれない。

 少年を危険から守りたい気持ちは当然あるが、それと同じだけ少女たちは彼が心を捨てて人を殺めるのも止めて欲しかった。だからこそ、湊が狙われる可能性の排除を二人は当然のこととして実行するのだった。

 アイギスは話しをして自分と相手は湊に関することにおいて、基本的に同じ思考を有していると不思議な繋がりを感じながら、さらに彼の事を聞くため他に気を付けるべき事はないか尋ねる。

 

「八雲さんの戦力について他に特記事項はありませんか?」

《……あるわよ。アベルは対ペルソナ使い最凶だけど、八雲はそれをさらに強化したような“直死の魔眼”っていう眼を持ってるの。万物の持つ存在の綻びを切ることで、八雲は対象に概念的な死を与える事が出来る》

「概念的な死?」

 

 機械であるアイギスにとって死は生物に齎される現象だ。体温が消えてゆき、心臓の鼓動が止まり、いずれは肉体の腐敗が始まる。

 対して概念的といえば、死後の世界など宗教や哲学の分野の話しだろうかと推測した。

 けれど、それを対象に“与える”という意味が理解出来ない。何よりアベルの力を強化したような能力という話しで、学術的な死の意味など考えたところで何の意味もない。

 結局、理解の外にある異能とやらの概要すら分からず聞き返すと、チドリは今まで通りの淡々とした口調で詳細について伝えてきた。

 

《そう。生物は言うに及ばず、無機物だっていつかは朽ちるでしょ。八雲はその存在が生まれた瞬間から内包している死が視えるの。死の線って言って赤く光る疵みたいに視えるって話しだけど、それに指やナイフを通せば死を発現させられて治ることも直すことも出来なくなる。まぁ、簡単に言えば防御と回復不可みたいな感じ》

 

 上位の龍はその瞳に不思議な力を備えていたという。その伝承の通り、九頭龍では一級以上の者はそれぞれ異なる異能を持った魔眼を発現させる。

 通常は血に目覚めてから魔眼も目覚め、徐々に能力の扱い方を覚えてゆくが、湊の場合は名切りの特性によって戦いを体験した事で肉体自体は覚醒を始めていた。

 それにより、肉体の変化である魔眼も先に目覚め、死を体験した上にデスを身に宿した事で、死を視る能力を持った魔眼を発現させたという訳だった。

 チドリはその能力を防御と回復不可と説明したが、それらはあくまで湊が敵に対して力を使った場合の話しだ。

 実際は、霊体や炎など存在するが実体のないものでも殺せてしまう。本人は試した事はないが、室内の空気を殺して真空にすることも出来れば、それが理解出来る物なら、記憶や感情、ペルソナに適性すらも殺せる可能性だってあった。

 チドリが対象を万物といった時点でその可能性に気付きつつあったアイギスは、先ほどよりも表情を強張らせて言葉を返す。

 

「そんなにも強力な能力なら、アベルよりも死の線を切られる可能性の方が高いのでは?」

《死の線の使い方には、対象に治せない傷を与える事と、一撃で存在に死を与える二種類がある。普段、八雲がシャドウを切るのに使っているのは前者よ。存在を消去するんじゃなくて、相手にダメージを与えまくって倒してるの》

 

 だが、チドリも魔眼ならばペルソナを殺せる可能性があることに気付いていた。

 湊はタルタロスで魔眼を使ってシャドウをよく殺している。シャドウは人から抜け出てしまった心の一部なので、殺せばそれっきりの能力で倒してしまえばシャドウは戻らず、持ち主は一生影人間になるとチドリも考えていた。

 しかし、それを本人に尋ねたところ、シャドウを切っているのはダメージを蓄積させるためだと彼は話していた。

 ペルソナはダメージを受け過ぎると存在を維持できなくなり、そのまま消えて持ち主の中に戻ってしまう。湊がシャドウに対して行っているのは、つまりこれと同じ事だ。

 

《それと同じように、ペルソナに使われても完全に存在の死を発現させられなければ、再召喚したら元通りになって消えた時点では精神力の消費だけで済んでしまう。八雲自身、ペルソナっていう相手の心の一部を殺して相手を廃人にする気はないでしょうから、また呼び出されるリスクを考えて対ペルソナはアベル優先でくるはずよ》

「……話しを聞くと、さらに突破口が見つからなくなります。わたしに勝てるのでしょうか?」

 

 湊のバトルセンスは初めて会った時点でずば抜けていた。さまざまな戦略や戦術論をインストールされているアイギスでさえ、相手の一瞬の閃きには驚かされてばかりだった。

 それが七年も懸けてさらに磨き鍛え抜かれてきたとなれば、正面から挑んでも勝てるとは思えないと弱気になるのも無理はない。

 勝てなければ終わり。少年を救う事は出来なくなり、もう二度と会えなくなる。

 己の肩に掛かったあまりの重圧に、恐怖に呑まれ逃げ出したいと思ったところで、それを責められる者はいないだろう。

 けれど、今の彼女は一人だが孤独ではなかった。同じ目的を持った最強の助っ人が付いている。

 

《だから、貴女には舌戦でも挑んでもらうの。相手の得意分野で挑んでも負けるんだから、こっちは相手の苦手な女の我儘で挑めば良い。相手も自分勝手なことばっかりしてるんだし。何か言われても“馬鹿”って言ってやればいいわ》

「そんな、八雲さんを罵倒なんて出来ません」

《違うわ。これは罵倒じゃなくて本音をぶつけてるの。八雲に言いたい事とか色々あるんでしょ? 下手に遠慮してたら今の八雲には届かないわよ。一方的に思ってること伝えまくる。これが八雲戦の鍵よ》

 

 そういって不敵に口元を歪めて笑うチドリにつられ、アイギスも自分にも出来るかもしれないという自信が湧いてきた。

 情緒面が未熟なので頭の良い湊を言葉で言い負かす事は難しい。それでも自分が伝えたい事を一方的に告げるのなら十分出来る。

 2009年の目覚めを待つ中で少年と共にいる夢を見ていた。少年を目指す旅路の中で新たに芽生えた感情があった。彼の傍にいたい。彼に傍にいて欲しい。そんな風に会って話したい事は沢山あるのだ。

 ならば、助言の通りにこれを伝えよう。話しを聞いてもらうのではなく、一方的に告げるだけでも良いのだから。

 

 

――ドイツ・ヴォルフ

 

 チドリに言われた事を思い出したアイギスは、ここで正面から撃ち合う“正攻法な戦い方”を変更する。

 両手の銃は実弾を込めたまま、距離をとって市街地の方へと走り出す。

 それを怪訝そうな顔をして湊は見つめていたが、逃げられて見失えば余計にペルソナの索敵能力を使って探す必要が出るので、相手の誘いに乗る形ではあるが素直に後を追ってゆく。

 湊が追ってきている事を集音マイクで感知しながら、アイギスはさらに走り続け、跳び上がって上へ行けそうな雑居ビルを発見した事で、真っ直ぐそこへ向かい雨樋や窓枠を足場に四階の高さにある屋上へ着地した。

 着地してすぐに振り返ってみれば、湊はアイギスの動きを警戒して道路脇の街灯の傍から見上げてきている。

 ここで湊に先に動かれては終わりだ。アイギスはまだ何を話すか決めていなかったが、本来必要のない息を大きく吸い込む動作をして、相手よりも先に言葉のジャブを打ち込む事にした。

 

「すぅー……わたしは八雲さんと再び会えて嬉しかったであります!!」

「…………は?」

 

 予想だにしていなかった突然の言葉を聞いたとき、戦闘状態に切り替わっていたはずの湊が思わずの素の反応を見せる。

 それも当然で、戦ってる最中に再会を喜ばれても何と返せば正解なのか分かる者などいるはずがないだろう。

 だが、アイギスは相手が見せた大きな隙を見逃さず、屋上から飛び降りつつ空中で湊に向けて銃弾の雨を降らす。

 

「……チィッ!」

 

 もっとも、状態が普段の湊に戻ったところで、相手の戦闘力が対シャドウ兵器とタメを張れる程である事に変わりはない。

 相手の言葉に隙を見せたことで、苦々しげな表情を浮かべながら湊は大通りから狭い路地へと後退して弾丸の雨を全て回避する。

 けれど、アイギスの口撃はまだ続く。地面に降り立ち、路地を通って逃走する湊を追いながら、アイギスはその背中に言葉をぶつける。

 

「わたしは、わたしの一番の大切があなたの傍にいることだと告げました! 今度は八雲さんの目的や願いを教えてください!」

「戦闘中に、話す事じゃないだろう!」

 

 路地の途中にあった大きなバケツを蹴って湊が跳び上がる。先ほどのアイギスと同じように、壁や窓枠を蹴って建物の屋上や屋根まで出るつもりのようだ。

 それを見てアイギスもすかさず続く。

 

「話す前に戦いになったから今話しているんです。戦闘中が嫌なら、戦闘を一時中断してわたしとお話ししてください」

「する訳ないだろう。こっちは遊びでやってる訳じゃないんだっ」

「わたしも大真面目であります!」

 

 それぞれ路地を挟んで別々の屋根の上に着地すると、湊はカラブローネをアイギスの足に向けて、アイギスはベストに付けていた手榴弾を湊に向けて放つ。

 お互いに攻撃をしながら屋根の上を転がって回避行動に移っていたため、攻撃はそれぞれが元いた場所を虚しく通過する結果となった。

 アイギスが投げた手榴弾が破片で攻撃するタイプなら、余波で飛んだ破片によって多少の怪我を負わせられたかもしれないが、彼女は湊の怪我を考えて爆風でダメージを与えるタイプを選択していた。

 けれど、今回はその選択が功を奏し、爆風で屋根に積もっていた雪が動き、転がって回避運動を取っていた湊の上に被さる様に雪崩れ込んでゆく。

 爆風で飛んだ雪が当たったところで痛みなどないが、相手に読心能力が効かない上に索敵能力もオフにしていたことで、視界を雪によって遮られたのは現在の湊にとって地味に痛手であった。

 

「さぁ、八雲さんがこんな戦いを続ける理由を教えてください!」

 

 視界が遮られた一瞬を狙ってアイギスが湊に飛びかかる。

 湊の前から雪がなくなったときには、既にアイギスがあと三メートルほどの距離まで迫っていた。

 腕や身体を掴まれて力比べになれば、血に目覚めて人の限界を超えた湊でも勝てるかどうか分からない。

 そうして、湊が選んだのは瞳を濁った金色に変え、異なる時流に乗ってその場を離脱することだった。

 

「っ!? そんな……わたしのアイカメラで追い切れないなんて……」

 

 目の前で人が消えるという信じられない現象。実際は湊だけが周囲よりも速く動けただけだが、アイギスは己のアイカメラから湊の姿がブレて消えた事しか確認出来なかった事で、相手の敏捷性は既に生物の域を超えていると認識した。

 だが、まだ相手を追いかけ回す必要がある。幸いなことに湊が移動したであろう足跡が雪の上に残っている。

 相手の逃走の痕跡を発見したアイギスは、すぐに追跡するためその先に視線を送った。

 

「……っ!? 八雲さん!」

 

 足跡の先に視線を送ったアイギスは驚愕し、思わず倒れている相手に駆け寄ろうと屋根を飛び降りる。

 異なる時流に乗ってアイギスから逃れた湊は、そのまま屋根の下の大通りに降りて危機を脱する事が出来た。

 けれど、戦闘前に自分の持つ力以上のエネルギーを感情から無理矢理に引き出された事で、今の湊は立っているのもやっとというくらいに消耗していたのだ。

 そこへさらにほぼ一瞬とはいえ力を消費する時流操作を使えば、限界が早まり立っていられなくなるのも無理はない。

 着地して少ししたところで足元がふらつき、路肩に止められていた車に背を預ける形で苦しそうな呼吸を繰り返す相手と、アイギスはそれ以上戦う気にはなれなかった。

 心配した顔で少年の傍に駆け寄り、相手の左手を両手で包みこむ様に握りながらアイギスは声を掛ける。

 

「やめましょう、八雲さん。今の貴方の状態では」

「……確かに時流操作を一瞬使っただけで倒れるとは思ってなかったよ。だけど、自分の消耗具合を改めて理解したなら、今度はそれを踏まえて上手くやるさ」

「わたしが、こんな苦しそうな貴方を戦わせると思っているのですか?」

「勝敗は決してない。それに、俺が消耗しているのは始まる前から分かっていた事だ。戦わせたくないなら、今すぐにでも俺の意識を刈り取ればいい」

 

 顔色は悪く、呼吸も苦しそうだが、少年の瞳は蒼いまま闘志を失っていない。

 彼をよく知る者たちには彼の頑固さは有名なので、闘志を失っていないのなら、まだこの状態からでも戦って勝つつもりなのだろう。

 しかし、戦いをやめさせるためにと、弱った湊に暴力を振るって気絶させるのも罪悪感から憚られる。

 そうして、アイギスが困った顔で考え込んでいたとき、急に湊が身体を僅かに起こして口元に嘲るような笑みを浮かべてきた。

 

「さて、問題だ。君が握っていない方の手には、どうして拳銃が握られているんでしょうか?」

「拳銃?」

 

 言われてみれば、確かに湊の右手には白銀のフレームに青い縁取りがされた銃が握られている。

 先ほどまで倒れていたとはいえ、銃を握っている理由など戦いを諦めていなかったからではないかと考えるが、湊が邪悪さすら感じる笑みで口元を歪めている理由が気に掛かる。

 何か見落としているのかもしれないと顔を上げたとき、アイギスは自分たちが何の傍に居るのかに気付いてしまった。

 

「……ッ!? 駄目ですっ、八雲さん!」

「正解。この拳銃で車のガソリンタンクを撃ち抜くためでした」

 

 咄嗟にアイギスが銃を奪おうとするも間に合わず、湊は手首を返す様に右腕を振りあげ、そのまま車に向けて引き金を引いた。

 空気を震わすほど強烈な銃声と共に銃口から飛び出した弾丸は、容易く車の装甲を貫通し、そのまま内部を突き破りながらガソリンタンクを直撃した。

 その直後、一瞬眩い光が見えたと思ったときには、アイギスは湊共々、爆発に巻き込まれたのだった。

 

 

 


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