【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百四話 雪原の戦い

12月17日(日)

――ドイツ・ルックスの森

 

 ヴォルフの街から北へ百キロ以上離れた場所。湊をヘリで追っていたアイギスたちは、大雪が降っていたことでヘリを途中で下ろすと、森の方へ何かが降りてゆくのを見たという周辺の村に住む者の言葉に従い深く雪の積もった森へとやってきていた。

 一歩進む度に足は膝辺りまで雪に沈み、これではまともに探す事も出来ないだろうと、移動中に湊の状態などをアイギスから聞いていたヒストリアも困った顔をしている。

 

「これでは小狼様を見つける前にワタクシたちが遭難してしまうかもしれませんわ。雪上車の準備や地元の方に案内していただく事は出来ないでしょうか?」

「ただいま村人に協力を要請して参ります。ですが、この辺りは狼や大型の熊が出没しますので、それらへの準備も含めますとお時間が少々かかるかと」

 

 ヒストリアの言葉を聞いて黒服が数名村へと駆けていったが、大雪という天候に加え、冬で腹を空かせている獣が出るため、協力を取り付けられても準備には時間がかかると年長の黒服の男性が説明する。

 そもそも、こんな大雪の森の中に侯爵家の一人娘を連れて歩くこと自体反対に違いない。

 けれど、それでは納得しない性格だと理解しているので、せめて、万全の準備が整うまで待っていて欲しいと言外に告げてきているのだ。

 腕を組んで片手を顎に当てていたヒストリアも、自分たちが遭難する危険性は当然理解しているため、相手の言葉に少々落ち込みながらも首肯した。

 

「しょうがありませんわね。準備もせずに入れば小狼様を見つけられても、お助けする事が出来ないかもしれませんから」

「では、ヒストリアさんたちは準備をしてから捜索に移ってください。雪山での活動に特別な装備を必要としないわたしは先に捜索を始めさせていただきます」

「まぁ……お一人で大丈夫ですか? 狼や熊が出るらしいんですよ?」

「わたしのボディは金属で出来ていますから、例え噛みつかれても問題ありません。それよりも、防寒具を持っていない八雲さんが心配であります。出来るだけ早くこのマフラーをお返ししなければなりません」

 

 言いながらアイギスは自分の首に巻かれた湊のトレードマークと化したマフラーに触れる。

 今の湊はヴォルフの戦いの直後と同じ格好をしているはずだ。ならば、薄手のトレーナーと長ズボンに編み上げブーツという薄着で、真冬の森の中を歩いているということになる。

 戦闘中は指部分のないシューティンググローブなども付けていたが、それもウィオラケウスの攻撃に呑まれた際に焼失した。

 故に、アイギスは一刻も早く湊に装備の入ったマフラーを返して保護しなければと、先行して捜索を始めるとヒストリアに告げる。

 

「……分かりましたわ。では、こちらの通信機をお持ちください。通信圏外であっても発信機として居場所を特定出来ますから、合流の際にも役に立ちますわ」

「了解であります。それでは、皆さんも捜索には十分にご注意を」

 

 受け取った通信機を戦闘前まで弾倉を収めていたベストのポケットに入れ、アイギスは敬礼すると雪の中を進み始めた。

 それを見送った者たちも一度近隣の村に戻ってから捜索に加わるつもりだ。

 いまの湊がどんな状態にあるかは分からないが、契約が解かれようと諦めるつもりのない少女は、瞳に強い光を宿し大切な少年の姿を探すのだった。

 

***

 

 アイギスたちよりも先に森に来ていた湊は、光が弱々しく消えかかった蒼い瞳を半分ほど閉じながら、力なく森の中を歩いていた。

 教会で名切りの血に目覚めてからというもの、魔眼を常に発動し続けてきた影響か、弱った今の湊は普段以上に世界に死の線が視えておりズキズキと頭の奥の方に痛みを感じている。

 吹雪いているというのに防寒具を一切身に付けていない寒々しい格好で、白い息を吐きながら、膝まで雪に埋まった足を懸命に動かし前へと進み続ける。

 

(寒い……ここは、どこだろう…………俺は、なんでこんな場所にいたんだ……)

 

 自分で力を振るう事を選び皆を救った少年は、その代償として直近の記憶まで失っていた。

 どうやって自分がここにきたのかも分からず、自分が何をしようとしていたのかも分からない。

 けれど、久遠の安寧という組織を潰さねばならないという事だけは不思議と覚えていた。

 相手は自分とその大切な者たちの敵、組織を実際に牛耳っているソフィアという遺伝子操作を受けて生まれた女を殺すのが自分に与えられた使命。

 ならば、それを果たすためにこの森を抜けて相手を殺しに行かねばならない。

 

(……女を殺す…………生かしておいては、いけない……自分の敵)

 

 倒れそうになりながらも、近くの木の幹に手を突いて身体を支えてなんとか踏ん張る。

 まだ完全に自我は消えていないが、瞳が虚ろになりかけていることを考えれば、自我の消滅よりも生命活動の停止の方が先に訪れるだろう。

 しかし、今の少年には自分の置かれた状況や自身の状態を正確に把握するだけの余裕は残っていなかった。

 ただ殺す女の元を目指すという意思のみで歩み続けていると、少し先の木の根元が赤くなっている事に気付く。

 森を進んでいる間、白い雪と木の幹の茶色しか見ていなかったので、他の色が随分と目立って感じられた。

 色の原因が何か分からず、少年がその理由を確かめるために近付けば、ようやくそれが獣の死骸とその血であると分かった。

 

(野犬……じゃない。これは、狼か?)

 

 無惨に食い散らかされ千切れた毛皮と骨になっていたことで分かりづらかったが、湊はそれが毛色から狼だと理解する。

 日本では既に絶滅している狼も、品種は異なるがドイツでは野生でまだ現存しているのだ。

 この狼は冬場で食べ物がないことで、飢えている家族や群れの者たちのために何か獲物を取ってこようと巣から出たのだろう。

 けれど、同じように腹を空かせた獣に出会い。力が及ばず反対に食べられてしまったという訳だ。

 

(雪がまだ積もっていない。なら、これの犯人はまだ近くにいるのか……)

 

 毛皮と周りの血の上にあまり雪が積もっていない事で、食べられてからあまり時間が経っていない事が分かる。

 相手が何かは分からないが、大人の狼をこうも無惨な姿に出来る事から、この一帯の王者的な存在なのかも知れない。

 弱っている湊は出会う前にこの場を離れようと動き始めて顔を上げたとき、少し離れた木々の間から己を見つめる相手の存在に気付いてしまった。

 

「なっ……熊が……どうして冬に起きて……」

 

 湊が驚くのも無理はない。普通、熊は冬になれば冬眠して出会う事は殆どないと思われているのだから。

 けれど、実際は上手く寝付けずに起きだしてくる個体や、寝ぼけたり空腹に耐えきれずに冬でも活動している個体もいる。

 今、湊の視線の先で毛皮を血に汚して座りこんでいる熊も、きっとそういった個体の中の一頭なのだろう。

 

「グオォォォッ!」

 

 深く雪の積もった森の中で熊に出会った湊が状況に混乱していると、相手も湊が気付いた事を察知したようで、しっかり四本足で地を蹴って駆け出してくる。

 熊には自分の獲物に対する独占欲のようなものがあり、それが食べ終わった後の残骸だろうと、他の者が近付けば自分の物を奪う敵として襲いかかってくるのだ。

 雪の中だというのに信じられない加速で駆けてきた相手は、狼の亡骸だった物の近くに立っていた湊へ牙を剥き出しにして突進を見舞ってくる。

 

「チィッ!?」

 

 乗用車でも吹き飛ばすような存在が相手だ。弱っている自分がまともぶつかられれば一溜まりもないと、湊は必死に横へ跳躍してなんとか逃れる。

 けれど、ここは膝辺りまで埋まってしまうほど雪が積もっている。少しブレーキをかければ、雪も勢いを殺す事に一役買って、咄嗟の回避による着地で雪に足を取られていた湊に、方向転換した熊が威嚇と共に立ち上がり両手を広げてきた。

 ただでさえ大型だというのに立ち上がって両手を広げれば、この銀世界でなくとも相手がこの一帯の王であると直感で分かるほどの迫力がある。

 種類は雄のヒグマ、体長約三メートル、重さは七百キロ級といったところか。わざわざ身体を大きく見せるため相手が立ち上がっている間に体勢を立て直していた湊は、腰のナイフを左手に持って構える。

 

(ハァ、ハァ……こんな相手にナイフ一本で勝てる訳ないだろ)

 

 ナイフを構えたのは武器がそれしかなかったからであり、こんな物を使ったところで現在の自分が相手と対等に戦えないのは分かっている。

 それでも、ただ食われるのは癪なので、手傷の二、三でも負わせてやろうと考えている間に、再び四足歩行になった相手が、吠えながら突進して向かってきた。

 

「ガァァァァウッ!」

「ぐあぁぁぁっ!?」

 

 今度の突進は距離が離れていなかったせいで避けきれず、ナイフを取り落とし吹き飛ばされる。

 ただの体当りがハンマーで殴られたかのような威力を有しており、湊は雪の上を転がりながら、あばらを数本圧し折られた事を口の中に滲む血の味と共に理解した。

 だが、この程度で相手が済ませるはずもなく、膝と手を突いて起き上がりかけていたところへ、熊は走る勢いを利用しながら前足の爪を振りおろしてきた。

 巨大な掌の一撃だけで背骨も容易く折れるというのに、鎌のように鋭い爪も加わり湊の背中が引き裂かれる。

 

「八雲さんっ!!」

「がっ!?」

 

 と思われたそこへ、横から飛びこんできたアイギスが湊諸共雪の上を転がった事で、熊の一撃は空を切り、積もっていた雪を僅かに抉るだけの結果となった。

 突然の乱入者に熊は白い息を吐き、涎を垂らして怒っているようだが、自分の大切な少年を殺されかけて怒っているのはアイギスも同じだ。

 骨折した状態で鋼鉄の乙女のタックルをまともに受けた少年は、体調も含めてあまり状態が思わしくないのか苦しそうに表情を歪めているが、まだもうしばらくは耐えられそうなので、今は我慢して貰いアイギスは先に敵の排除に挑む。

 

「どうか引いては貰えないでしょうか」

「グルル……」

「この方を食べようなどとは笑えない冗談であります。反対に貴方を熊鍋にして八雲さんに栄養を摂って貰う事にしましょう」

 

 相手が威嚇の唸り声を上げたことで、その意思を読み取ったアイギスは険しい表情のまま湊から僅かに離れて戦うための構えを取る。

 本当ならマシンガンで射殺して排除したいところだが、湊との戦闘に加えてウィオラケウスの一撃を放ったとき腕にだいぶ負荷をかけてしまったらしく、この土地の寒さも相まって腕の銃は使用不能になっていた。

 無理に使おうとすれば数発は撃てるかもしれないが、狙いも威力も想定を下回ることは確実で、下手をすれば暴発して腕が吹き飛んでしまうかもしれない。

 替えのパーツがない以上、ペルソナに関しても今の湊に言って分かるか不明なので、大きな隙を作るくらいなら、最初から機械のパワーと丈夫さを活かした白兵戦を挑むべきだと、アイギスは迫ってくる熊を冷静に見つめながら横っ跳びで回避し、受け身を取りながら立ち上がるなり方向転換しかけていた相手へ渾身のローキックを放つ。

 

「ハァッ!!」

「グォウ!!」

「……くっ」

 

 しかし、膝辺りまで雪に埋まっているせいで思ったほどの威力が出ず、多少のダメージは与えたようだが熊は怯みもしなかった。

 流石の桐条もこんな雪原での戦闘は想定していなかったに違いない。雪という環境を利用した作戦の立案も戦術シミュレーションも上手く機能していない事にアイギスは内心で苦い顔をする。

 そんな彼女から三メートルほどの距離で両手を広げ立ち上がった熊は、先ほどの湊と同じように雪に足を取られて上手く回避に移れていない彼女に向け、その大きな掌と爪を横薙ぎに振るった。

 人間とは比べ物にならないほどの量の筋肉から繰り出される一撃は、威力も速度も並みはずれている。

 だが、それ以上の速度を知っているアイギスは、思わず両腕による防御の姿勢を取っていた。

 ただでさえ過負荷で戦闘には耐えられない状態になっているというのに、熊の一撃など受けたら肩ごとパーツを持っていかれるかもしれない。

 それを理解しながらも、アイギスは直撃さえしなければ腕がなくなってもまだ戦えると、瞳に強い意志を宿したまま攻撃に備えた。

 しかし、少女も熊も忘れていた。この場にはまだもう一人居た事を。

 

「アイギスっ」

 

 熊の爪がアイギスに届こうとした刹那、アイギスは横から突き飛ばされ、熊は代わりに彼女を突き飛ばした事で躱し切れなかった少年の右目を爪先で抉っていた。

 ドロッとした肉片と血で爪の先を汚した熊は、さらにそこから今度は反対の左前脚を使って同じように連続で攻撃を放ってこようとする。

 

「グォウッ!!」

 

 対する抉られた右目から血を流した少年は、激痛に襲われているにもかかわらずそのまま右足を一歩出して踏ん張り、残った瞳で敵を睨みつけると、左手を腰のベルトのところで半握りの形にし、右手もその延長線上で同じような形にして構えた。

 突き飛ばされ雪に倒れ込む間にそれを目撃したアイギスは、右目を失ったというのに武器も持たず何をしようというのだと、少年の突然の行動に混乱しながらその一瞬の出来事を目撃した。

 

「――――ハァァァァァッ!!」

 

 熊の爪が再び湊を襲うと思ったとき、吠えた湊の身体が僅かに沈んでブレたかと思えば、次の瞬間、右手を振り抜いていた湊によって熊の左前脚が斬り飛ばされていた。

 湊の手には何も持たれていない。加えて、魔眼の力を使おうにも、熊の脚は湊の腕が完全に振り抜かれてから飛んでいる。魔眼の力を使ったのなら、飛ぶのと攻撃の完了はほぼ同時でなければならないはずだ。

 少年が何をしたのか分からず、アイギスがただ混乱していると、右手を振り抜いていた少年は一度右手を腰へ戻し、さらに敵に背を向けながら振り返る勢いも利用して、再び自身の右手のみで敵を斬り上げていた。

 

「――――ッ!!」

「グオ――――」

 

 今度は相手の右前脚の脇から首まで一気に斬っていた。それにより、熊は先ほどの左前脚だけでなく右前脚と頭部まで失い、血を噴き出しながら後ろに倒れ絶命する。

 重傷を負った直後、それも素手で大型の熊を切り殺すなど人間業とは思えない。

 けれど、とりあえずの脅威は去ったとアイギスが安堵しかけたとき、右手を振り抜いた姿で固まっていた少年が、ゆっくりと力を失い倒れた。

 

「八雲さんっ!?」

 

 慌てて少年に駆け寄り、アイギスは相手の容体と傷の状態を確認するため、相手を抱き起こすと上を向かせる。

 

「これはっ……」

 

 己を庇った際に負った傷を見てアイギスは機械でありながら息を呑む。再会したとき、死を見通す魔眼を輝かせていた右目は殆どなくなり、そこは血の噴き出す窪んだ穴になっていた。

 チドリの話しではどんな傷もすぐに治ってゆくとの事だったが、湊の右目は流血が僅かに治まってきた程度で、それ以上治る気配がない。

 転んで掌や膝を怪我しても大概は治るが、目などの怪我は完全には治らないのはよく聞く話だ。

 それと同じように、眼球を半分以上持って行かれたことで、その驚異的な再生力を持ってしても失った右目を治す事は出来なかったのだろう。

 

「そんなっ、八雲さん、どうしてわたしなんかを庇ってっ」

 

 大切な少年に取り返しのつかない怪我を負わせてしまった。守るはずが反対に守られ、敵の排除だって湊がいなければ自分には不可能だった。

 その事実が深く心に突き刺さり、アイギスは思考に多数のエラーを出しながら少年に尋ねた。

 けれど、少年は気を失っているのか何も答えない。

 それも当然で、湊は木に手を突きながらようやく歩いていられたのだ。一度や二度なら回避行動も取れたが、名切りの身体能力があって初めて使える不視ノ太刀を、人間よりも硬い筋肉の持ち主相手に二度も振るったとなれば、残っていた体力も全て使い果たしてもおかしくない。

 自身の腕の中で段々と冷たくなってゆく少年を見つめ、アイギスは必死に相手の意識を繋ぎ止めようと声を掛け続ける。

 

「駄目です! 八雲さん、貴方には待っている人がいるんです! お願いですから目を開けてください!」

 

 声をかけても反応はなく、体温の低下も止まらない。心臓はかろうじて動いているようだが、このままでは十分も持たずに死んでしまうだろう。

 大切な少年が自分を守ったせいで死ぬ。それを自覚したとき、アイギスの心には不思議な既視感があった。

 自分は前にも似たような事を体験している。そのときもアイギスは少年を助けて欲しいと天に願った。

 けれど、今この場には自分しかいない。ヒストリアたちがやってきたところで、命が尽きかけている少年を救えるとは思えない。そもそも彼女たちの到着を待っている間に湊は死んでしまうだろう。

 

――――少年の死の原因は何だ?

 

 混乱している思考系とは別に、心の奥から冷静な声が尋ねてくる。

 医療系のデータはほとんどインストールされていないので、専門的な事は分からないが、それでも熊との戦闘で負った怪我が直接の原因ではない事は理解出来る。

 

――――少年には生き永らえるだけの力が残っていないのか?

 

 怪我が直接の原因でないと考えると次の問いが投げかけられた。

 言われてみればそうかもしれないとアイギスも納得する。怪我は死を加速させただけで、その前から湊は死にかけていたのだ。

 今までの戦いで衰弱していたところへ、神の力の行使と激しい戦闘で限界は疾うにむかえていた。さらに先ほどの攻撃をした事で、意識を繋ぎ止めていた最後の糸も切れてしまったのだろう。

 ならば、アイギスは今の自分のすべきことはたった一つしかないと湊を抱き寄せる。

 

「……オルギアモード、発動」

 

 静かに呟いたアイギスのヘッドフォン型クラッチユニットが高速で回転を始める。自分もエネルギーはあまり残っていないが、それでもありったけを湊に譲れば彼の命を繋ぎ止める事が出来るかもしれない。

 彼の無事を最後まで確認出来ないのは心残りだが、大切な少年を自分の力で救えるのならそれは何よりも嬉しい事だと、気を失っている相手の顔を見て、アイギスは柔らかな笑みを浮かべた。

 

「八雲さん、貴方は死なせません」

 

 そして、アイギスは少年と唇を重ねた。

 パピヨンハートから生み出されるエネルギーが、オルギアモードと少年を死なせないという少女の想いにより増幅し、二人を淡い水色の光で包み込みながら少年へと譲渡されてゆく。

 お互いに宿るパピヨンハートとエールクロイツが共鳴し、譲渡されたエネルギーは生命力へと変換され、湊の顔に生気が戻ってきた。

 けれど、少年の命を繋ぎ止めるにはまだ足りない。自分に残っている全てを譲るため、アイギスは口付けをさらに深くする。

 

(わたしの力で出来るのはここまでであります。後はヒストリアさんが通信機の反応を追って見つけてくれるのを祈るしかありません)

 

 全てのエネルギーの譲渡を完了した事で、アイギスは身体が待機モードへの移行を開始した事を把握する。

 だが、生命力が回復した湊は先ほどよりも血色が良くなり、呼吸も安定している。これならば、オルギアモードで発熱している自分が湯たんぽの代わりになって、ヒストリアたちが来るまで湊も凍えなくて済むだろう。

 一先ず少年の無事を確認出来た事で安心したのか瞼が重くなってきた。倒れる際に少年を潰してしまわないよう気を付けながら少年の横に寝転がり、まだ動く手足で傍らの相手を抱き寄せると、アイギスは眠る様に機能を停止した。

 

『グルル……』

 

 二人のすぐ傍に狼の群れがやってきていた事にも気付かぬまま。

 

***

 

 アイギスが湊の捜索に向かってから遅れること三十分。ヒストリアは地元の人間の協力を得て、雪上車でアイギスの持っている通信機の反応を目指していた。

 村の男たちの話しによれば、この森には冬眠せずに冬の寒さで弱った獣を食べて越冬する“リーズィヒ”と呼ばれる巨大なヒグマがいるということで、過去に村人が数人犠牲になっていることもあり、いくら大切な人がいるとしても捜索はやめた方がいいと止められた。

 しかし、そんな事で諦められる訳もなく、ショットガンなどを大量に用意して渋々ながら二時間だけ捜索に出てくれる許可が下りた。

 そうして、ヒストリア・SP・村の男数名を乗せた雪上車が森の中を進んでいたとき、運転していた男が何かを発見したらしく声を上げた。

 

「お、おい、狼の死骸が転がってるぞ。こりゃ、リーズィヒの野郎が近くにいやがるんだ。お嬢さん、本当にあんたの知り合いはこっちにいるのか?」

「はい。反応はこの先ですわ」

「にしたって、リーズィヒに遭遇してたら今頃は腹ん中だぜ?」

「大丈夫、そう信じていればお二人は無事ですわ」

 

 熊に遭遇したくない男が先を進むのを諦めさせようとするも、ヒストリアは綺麗な翠玉色の瞳で見つめて彼らは無事だと優しく微笑んだ。

 どこにそんな保証があるのか分からないが、これは言っても聞きそうにない。そう考えて、諦めさせる事を諦めた男は再び森の中を進み始めた。

 ヒストリアも何か根拠があって無事だと言った訳ではない。ただ二人が既に死んでいる事を想像したくなかったので、その可能性から目を背けたに過ぎない。

 実際に貴族の生まれでもあるが、良家のお嬢様といった見た目をする彼女も、その内面は幼さを残す湊より一つ年下の少女だ。

 窓の外を見つめながら、膝の上では手を強く握り締めて不安な心をどうにか抑え冷静さを保つ。

 それからさらに進み通信機の反応の傍に来たところで、運転手の男が先ほどの比ではないほどの大声を上げた。

 

「なっ、狼の群れだ?! なんで、狼がこんな所に群れでいやがるんだ。それにあいつらの周りの雪が赤く染まってるぞ」

 

 その言葉を聞いたとき、ヒストリアは嫌な予感がして思わず止まっていた雪上車から飛び出していた。

 他の者たちの制止の声も聞かず、少し先にいる狼の群れの元へと近づいてゆく。

 男が言っていた通り十数頭の狼が赤く染まった雪の傍で固まり、彼女の持っていた探知機はその群れの中心を示していた。

 自分は間に合わなかったのか。絶望し膝を折りかけたとき、彼女の接近に気付いた一頭が吠えた。

 

「アオーンッ!」

 

 その声に反応し、今まで雪の上で寝そべっていた狼が起き上がり後ろに下がってゆく。

 自分たちを襲うつもりならば不自然としか言いようのない動きだ。不思議に思ったヒストリアが目を凝らすと、狼たちのいた場所にそれを発見した。

 

「っ!? 小狼様、アイギス様!」

 

 なんと、狼たちがいた場所には寄り添い合うように倒れている湊とアイギスがいた。

 どうして狼が彼らを囲っていたのかは分からない。けれど、この寒い雪の中で二人が凍死しないよう狼たちは温めてくれたらしいことは分かる。

 あまりの事態に驚きを隠せないが、ヒストリアがゆっくり近づいても狼たちは襲ってくる気配がなく、むしろ、二人を連れて行けとばかりに待ってくれているようにすら見えた。

 ヒストリアを追って雪上車から降りてきた男たちも困惑しているようだが、絶対に銃を向けないようヒストリアが手で制しながら二人の元へついたとき、湊に息がある事を確認していたヒストリアの所へ三匹の狼が何かを咥えて寄って来た。

 

「ワフッ」

「これは……熊の腕と頭部?」

 

 狼たちが持ってきたのはとても大きな熊の頭部と両前脚だった。それが何を意味するのか分からず、ヒストリアが首を傾げていると、後ろで見ていた事情を理解したらしい村の男が彼女に訳を話した。

 

「お嬢さん、そいつはさっき言っていたリーズィヒだ。多分だが、二人かどっちかがリーズィヒを殺して、こいつらは仲間の仇を討ってくれた相手に恩を感じて死なせないようにしてたんだろうさ」

「そうでしたの。……すみませんが、爪だけ取っておいて頂けますか? 他の部位は狼さんたちに全てお譲りします。お二人も助けて頂いた恩返しにそうすると思いますので」

「爪を? 確かにお守りにする事もあるが、まぁいいぜ。それじゃあ、お嬢さんは早いとこ二人を車に乗せてやりな。坊主の方は顔面血だらけにして重傷だぞ」

「……右目を失われてしまったようです。ですが、既に血は止まっている様子ですので、村に帰り次第ヘリで屋敷に向かいそちらで治療しますわ。オブライエン先生に屋敷へ来ていただくよう連絡を。狼さん、お二人を助けて頂きありがとうございました」

 

 狼が持ってきた頭部と両脚を見るに、鋭利な刃物で斬り飛ばしたようだ。アイギスは刃物類を持っていないと話していたので、右目を失うような重傷を負いながらも湊がやったに違いない。

 命の恩人が片目を失う怪我を負ったのはとても辛いが、それでも生きていてくれた事が何よりも嬉しい。

 村の男がナイフで熊の爪を全て取ると、ヒストリアは受け取ったそれをハンカチで包みコートのポケットにしまった。

 爪さえ取れば後は不要なので、狼たちにどうぞとさし出せば、持ってきた狼たちがしっかりと咥えて群れの元へと運んでいった。

 そうして、彼らに別れを告げるとヒストリアは二人を雪上車に運び、村に戻ればすぐに乗ってきたヘリで屋敷へと向かったのだった。

 

 

 


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