【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百五話 裏方の仕事

12月20日(水)

早朝――ベレスフォード家・屋敷

 

 スイス南部の長閑な田舎にベレスフォード家所有の屋敷の一つが建っていた。

 本家は今もイギリスにあるが、そこに運んでいては湊の体力が持たない。そう判断したヒストリアは、両親に電話で事情を説明した上で湊とアイギスをスイスの屋敷に運び、先に連絡して呼んでいた医者に湊の処置を任せた。

 そうして、医者の処置が終わってからも丸一日以上眠り続けていた湊は、いまようやく目を覚ましゆっくりと瞼を開けた。

 

(ここはどこだ? それに俺は……っ)

 

 目を覚ました湊は現状を把握しようと、自分の直近の記憶を思い出そうとしたことで、雪の降る森の中でアイギスと共に熊と戦った事を思い出した。

 あのとき、なんとか熊は殺したはずだが、大切な少女はいまどこにいるのだと慌てて身体を起こし辺りを見渡す。

 

「アイ、ギス……よかった。無事だったのか」

 

 すると、自身の寝かされていたベッドの傍に置かれた椅子に座る少女の姿を見つけ、深い安堵の息を吐いて胸を撫で下ろす。

 相手は今も目を瞑ったままだが、特に身体に損傷があるようには見えないので、自分がいつまでも寝ていた事でスリープモードになっているのだろうと考えた。

 あの日から何日経ったのか分からないが、湊は腕に付けられた点滴の針を引っこ抜くと、ベッドから抜け出してアイギスの元へと歩み寄る。

 起きるまで待たせてしまった謝罪と、熊に殺される直前に助けてくれた礼を言おうと相手の肩に手を置き。湊は彼女に話しかけようとしたところで、彼女の異変に気付いた。

 

「……アイギス? おい、どうしたんだ。目を開けてくれ、アイギス!」

 

 仮にスリープモードになっていようと、動作できる状態ならば内部機関の駆動による微細な振動を感じ取る事が出来る。

 しかし、肩に手を置いてもそれらを一切感じ取れなかった湊は、アイギスの身に何が起こったのか分からず、必死に声をかけ続けた。

 声をかけても、身体を揺らしても、エールクロイツの機械に干渉する能力を使おうとしても反応が全くない。

 自分が気を失ってからの間に何かがあったはずだが、それが分からない湊はただただ混乱した。

 と、そうやって湊が騒いでいたのが部屋の外にも聞こえていたのか、扉が開いて上質なドレスを着たヒストリアが二人の女性を連れて部屋に入ってきた。

 アイギスの事を気にしていても、部屋に他の者が入ってくれば流石にそちらに注意がゆくのか、湊もヒストリアたちへ視線を向け、目が合うなり口を開いた。

 

「ヒストリア! アイギスはどうしたんだ? 何度呼びかけても、直接干渉しようとしても全く反応がないんだっ」

「落ち着いてくださいまし。アイギス様はエネルギー切れになられただけですわ」

「エネルギー、切れ?」

 

 普段は見せないような狼狽える様子を見せる少年に、静かに近付きながらにっこりと微笑んでヒストリアは事情を話す。

 それを聞いた湊は頭がまだあまり働いていないのか、珍しく年齢相応の表情でキョトンとしている。

 ヒストリアも後ろにいる女性たちも、世界を敵にまわして生き残ってきた相手がそんな顔をするのが意外だったのか、楽しげにくすくすと笑いながら傍まで寄って来た。

 一人はヒストリアによく似た顔立ちの美しい金髪の女性。もう一人は浅黒い肌で目と鼻立ちがすっきりとした凛々しさも感じさせる美しい長身の女性だ。

 二人を見た湊は、前者はヒストリアの母親であることを知っているが、もう一人は誰か知らないので素性を探ろうと記憶や心を読もうと考えたとき、起きてからずっと読心能力が発動していないことに気付く。

 

「っ……読心能力が止まってる。発動は出来るけど、オンオフを切り替えられるようになってる」

「へぇ、他人の心を読めるって噂は本当だったんだねぇ。ま、私としては骨折が勝手に治っていった方が驚きだけど、あんだけ衰弱した状態から二日で目覚めて意識もはっきりしてるようで安心したよ」

 

 常時発動型だった読心能力が切り替え型になったことに驚いていると、長身女性の方が興味深げに湊の様子を観察している。

 湊が衰弱していた事を知っていて、起きてからの経過が良好であると安心している事から、きっとこの女性は湊の治療を行った医者に違いない。

 そう当たりをつけて話している相手を見ていれば、女性は自分が自己紹介していない事に気付いたようで挨拶をしてきた。

 

「ああ、私はシャロン・J・オブライエン。機械だとか薬だとか色々な研究もしてるけど、本業は医者だよ。お隣のドイツにいたんだけどヒストリアに呼ばれてね。死にかけだったあんたを治しに来たってわけ」

「……そうか、治療してくれてありがとう」

「怪我人や病人がいたら治すのが仕事だからねぇ。別にそこまで感謝されるほどじゃないさ」

 

 どこか飄々とした軽いノリで話すシャロンに、湊はこんな相手と会った事があるような不思議な懐かしさを感じた。

 もっとも、神降ろしで記憶が消えている事で、知っていたとしても思い出せないだろうと諦めかける。

 だが、湊はそこで自分が忘れていたはずのアイギスやヒストリアの事を、過去の出会いも含めて思い出している事実に気付きハッとした。

 

「それに私は点滴を投与して、折れたあばら付近にコルセットを巻いたくらいしかしてなくてさ。栄養を得たら勝手に骨はくっついたし、結局、その右目も治せなかったから別に私でなくても治療は出来たよ。ま、代わりにそっちの機械のお嬢さんの腕が壊れてたからバラして破損してる部品を交換して直しておいたから許してねぇ」

 

 湊の反応に気付かず話しを続けていたシャロンの言葉で、湊は自分の視界が半分しかない事にもようやく気付く。

 先ほどから自分の変化に気付いては驚いてばかりだが、起きて直ぐアイギスへ意識を割いていたからといって、流石に視界の右半分が欠けている事に気付かないとは鈍感にも程があった。

 自分は精神状態によってこんなにも視野が狭くなり易い人間だったのかと、太い帯と半月型の生地で目を覆う黒い眼帯に触れながら、湊は改めて相手に礼をいった。

 

「右目の事は気にしてない。弱って相手の攻撃を躱せなかった自分の責任だ。それより、アイギスの腕を直してくれてありがとう。正直、桐条の人間以外で直せた事に驚いてる」

「ああ、あれ桐条製なんだ。面白い設計だと思ったけど、私も医療用に義肢とか研究してるからねぇ。実験用に機械義肢とかも作った事あるから、バラして消耗してる部品の交換するくらいは簡単よ。ま、彼女の腕パーツの改修版なら材料集めればもう作れるけどさ」

 

 相手は別に自惚れで言っている訳ではないのだろう。機械系にもしっかりと精通していることで、アイギスの三連装アルビオレを素材の細かな違いはあれど再現できるらしい。

 アイギスは七年前に作れたので、科学の進歩により当時よりも強度や軽さの面で優れる素材がいくつも出来ている。

 それを使って作ったパーツは、ウエイトバランスの見直しが必要になる事を除けば彼女自身の強化にも繋がりそうであった。

 しかし、それを作れるからと言ってアイギスの存在を公表されては困る。心を持った機械が存在すると知られれば、世界中から彼女を研究しようとする者が押し寄せてくるはずなのだ。

 学者や研究者たちのくだらない目的にアイギスを巻き込ませたりはしない。そう思っている湊は、今の内に相手に釘を刺しておく事に決めた。

 

「出来れば彼女の事は黙っておいてくれると嬉しい。色々と表沙汰に出来ない事情を抱えているんだ」

「別に構わないよぉ。患者の情報は漏らさないのが信条だし。修理させて貰ったおかげで、色々と新しい義肢のアイデアも浮かんだしね。っていうか、ばらそうとしたら私を殺す気でしょ? 流石に逃げ切れる気がしないし。そんなの御免だからさぁ」

「……理解が早くて助かるよ。俺も殺したくて殺してる訳じゃないから」

「単純に敵だから殺してるんだろ。無関係な人間を巻き込まないって姿勢は、命を救う仕事をしている身としちゃ好感が持てるよ。裏の仕事をしてる連中はそこらの配慮が足りないやつが多いからさぁ」

 

 シャロンとてまともな方法で全てを救う事が出来るとは思っていない。そのために違法なことだろうと研究して、それにより人を救おうと考えたことがある。

 故に、人の命を奪い合うような事でも、それによって金を得るような仕事だろうと、納得は出来ないが理解は示せた。

 そんな者たちの中でも、ここ数ヶ月間の湊は命を狙ってくる者だろうと目的に関係がなければ命を取らずに来たと聞いている。

 また、巻き込まれそうになっている者を助け、わざわざ自分が不利な状況に追い込まれたことすらあったというではないか。

 自分の目的のために命を取り合うような馬鹿は嫌いだが、傍から見れば異常にしか映らないそういう考えは嫌いではなかった。

 笑ってそう話す相手に湊も苦笑で返し、自分にはまだ目的が残っていることもしっかり思い出した事で、エネルギー切れで動けない大切な少女を味方である少女に任せたいと頼む。

 

「……ヒストリア、俺が戻るまでアイギスをここに居させて貰ってもいいか?」

「それは構いませんが、久遠の安寧の元へゆくのなら少々お待ちください。お父様の持つ物流ネットワークで相手の本拠地は既に調べがついています。ですが、いま小狼様に懸っている懸賞金を外すよう働きかけてもいますので、それが済むまで待って頂きたいのです」

 

 少女の言葉に湊は驚き目を見開く。確かに貿易王と呼ばれるヒストリアの父親ならば、時間をかければ世界の物流の全てを把握するくらい出来るかもしれない。

 怪しいと思われる場所を探ってきた情報屋や蠍の心臓では出来なかった、搦め手による所在の特定をまさか彼女たちがしてくれていたとは思わず、湊は自分に味方してくれる者たちの持つ力へ素直に驚かされるのだった。

 

 

――アメリカ・国聯本部議会場

 

 湊がようやく目覚めヒストリアたちと話している頃、アメリカにある国聯本部の議会場では加盟国の代表や事務総長を務めるロシア人のボリス・ヴィクトロヴィチ・アスモロフ、さらには地下協会のトップについている老人ラドヴァン・ハマーが集まっていた。

 彼の話す議題は、先日の小狼討伐作戦やそれまでに各地で起こっていた諸々の戦闘行為についてであった。

 五十歳を超えていながら三十代後半にしか見えないボリスは、小狼討伐作戦時に国聯軍が久遠の安寧に襲われた件について話す。

 

「先日の小狼討伐作戦時、やはり彼は国聯軍の兵士には一切手を出して来ませんでした。ですが、国聯軍が進攻した際、同じタイミングで彼を狙っていたと思われる久遠の安寧所属の空襲部隊によって、兵士たちは彼と街諸共殺されかけました」

「それを不可思議な現象を起こした小狼に救われ、さらに空襲部隊も壊滅させてくれた……と。随分と信じ難い話しですな」

 

 それぞれの座る席についたパネルと大きなスクリーンに当時の映像や画像が表示され、まるで映画のようだとある国の代表は鼻で笑った。

 異能の存在など信じられない。最新のCG技術を使ったジョークであると言われれば素直に信じるが、いくら街の破壊が現実に起きていようと、いい年をした大人がこれをすんなりと信じるには常識が邪魔をした。

 話しを進めていたボリスとて皆と同じように全てを信じている訳ではないが、それでは話しが進まないので、国聯軍が久遠の安寧の攻撃に巻き込まれたところを湊に救われたという結果を中心に話しを進める。

 

「信じられないのは私も同じです。ですが、現場にいた兵士らは彼に助けられたと話していました。久遠の安寧に襲われ、討伐対象であった小狼に救われたのは事実です」

「では、アスモロフ事務総長はこの一件のみで、彼を討伐すべきではないとお考えにでもなったのですか?」

「彼が危険な存在なのは理解しています。ですが、彼の犯行はEP社ではなく久遠の安寧を狙っているというデータがあるのです」

 

 情報部に調べさせた被害者のリスト。それとさらにもう一枚、彼があるルートで手に入れた湊の持つ物と同じ久遠の安寧の幹部のリストを配られた者たちは、二枚のリストの照合率の高さに驚愕し、議会全体がざわついている。

 しかし、彼らの様子に構わず、ボリスは現場に居ながら襲われなかった者がいた件も交え、湊の狙いが久遠の安寧である証拠をさらに固めに掛かる。

 

「ブルガリアでEP社の兵器工場が襲われた事がありましたが、入り口の警備をしていた者の中に生存者がいました。兵器工場を護衛していた四千人を超える兵が一夜で皆殺しにされた事を踏まえれば、EP社の警備部門所属と話した生存者が見逃されている事は異様としか言えません。なにより、EP本社が一切狙われていないという事実がある以上、彼の狙いは久遠の安寧とその構成員と判断していいでしょう」

 

 彼の言葉にざわめきはさらに増す。EP社の人間が殺されるのと、久遠の安寧の人間が殺されるのとでは、国聯として取るべき立場が変わってくるのだ。

 大勢の人間が殺され、それを一人の男が為しているため湊自体の危険度は変わらない。今後も国聯においては危険度最高のSランク監視対象として扱われる。

 けれど、被害者が一般人ではなく裏の世界の人間ならば、お互いに殺し合ったとて組織間の抗争でしかないのだ。

 各国の政府や国聯の人間たちも裏の仕事屋たちが存在している事は知っている。毎日のように違法行為を行い、知らぬところで人が殺されている事も。

 裏界での仲介・情報屋として、最大規模を誇る“地下協会”のトップが、今日この場に呼ばれている事が何よりの証拠だ。

 そして、国聯としてはそういった組織間のいざこざは、一般人が巻き込まれない限りは基本的に静観する構えを取っている。

 なぜなら、国聯としては同士討ちや残った方の力が減ってくれた方がありがたいから。

 けれど、この場には秘密裏に取り引きをして久遠の安寧の恩恵を受けている国の人間もいる。その人間にすれば、現代に甦った鬼の討伐を狙う存在が減るのは避けたいのか、ボリスの主張に対して意見をぶつけてきた。

 

「仮に小狼の狙いがEP社ではなく久遠の安寧だったとしても、彼がその過程で市民に大きな恐怖と不安感を与えている事に変わりはない。すぐにでも部隊を編成し直して再度討伐に乗り出すべきだと私は思いますがね」

「……確かに恐怖や不安感を抱いている市民は多いでしょう。ですが、それは本当に彼が原因でしょうか?」

 

 意見をぶつけてきた相手へ向き直り、ボリスは正面から視線をぶつけて問い返す。

 ボリスの言葉の意味が理解出来ない男は、怪訝な表情を浮かべるとその意味を尋ねた。

 

「それはどういう意味ですかな?」

「彼は無差別な殺人鬼ではありません。先ほど言ったように特定の対象のみを殺し、それ以外は自分の命を狙ってきた者だろうと見逃しているのです」

「だからと言って、その事実を知らない市民は大量殺人犯としか思わないでしょう」

「はい、それは否定出来ません。ただ、彼に関する事件がこれほどまで大きくメディアに取り上げられたのは、彼を狙う仕事屋たちが周囲への影響も構わずに街中で戦闘を行ったためでもあります」

 

 湊の犯行は全てピンポイント攻撃だ。隠密行動で接近し、敵のいる施設は破壊する事もあるが、それ以外には被害を極力出さない。

 だというのに、メディアに取り上げられ戦闘中の様子まで中継されたのは、湊を狙って仕事屋たちが街中で銃火器を使ったからだ。

 

「手を出さなければ久遠の安寧以外は誰も傷付きません。そこへ余計な勢力が加わり、相手が反撃しないと理解したことでさらに増長した事で、これほどまでの事件になってしまったのです」

 

 そう、湊と久遠の安寧が衝突するなら、それほど大きく取り上げられる事はなかった。

 それがここまで大きくなってしまったのは、地下協会が久遠の安寧の依頼を受けて、箍の外れた無法者たちを焚きつけたからに他ならない。

 

「ハマー氏、依頼を受けて彼に懸賞金をかけたのは貴方がたの組織のはずだ。受けた依頼を仲介しただけとはいえ、貴方がたは仕事屋たちの出した被害に対して何の責任も取らない。このまま仕事屋たちが被害を拡大するのであれば、私は貴方がたをテロを幇助する危険組織として扱い対処するつもりでいる」

 

 ボリスは鋭い視線で老人を見つめ、はっきりと言い切る。

 今まで表舞台に上がらず、影ながら犯罪に手を貸し、市民に被害が出るような事も多くしてきた死肉に集るハイエナを、彼は国聯の代表として今度こそ逃がすつもりはなかった。

 老人の組織が今まで築いてきた情報網を駆使して得ている情報には、当然ここにいる者たちやその母国の公表できない情報も数多くある。

 しかし、仮に脅されてもボリスは直接的な軍事力を持たない彼らを、テロリストの元締めとして国聯軍を使い殲滅しに掛かる。

 相手の性格から下手な脅しが効かないと分かっている老人は、相手の言葉に表情を強張らせた。

 それを見てボリスは、各国の代表たちに国聯として取るべき方針を話す。

 

「私の得た情報によれば小狼は十四歳の少年らしいです。そう、今世界を騒がせている事件は、馬鹿な子どもが一人で裏界最大組織に喧嘩を売っているだけ。そんな事に兵や資金を使ってまで付き合う必要などないでしょう。裏の人間同士で勝手にやって貰えばいいんです」

 

 小狼の情報は本人たちが意図的に隠してきたので、地下協会でも国聯や各国の情報部でも中々得られなかったものだ。

 だというのに、年齢というかなり重要な情報をボリスが得ていたことで周囲は驚き、また、仙道弥勒を殺し、さらにたった一人で数千人を屠ってきた裏界最強のルーキーがまさか成人も迎えていない子どもだという情報に言葉を失った。

 裏界最大勢力を誇る組織と名切りの鬼の少年。これがぶつかったとて、普通は前者がなんの苦も無く勝利すると考えるだろう。

 故に、結果は分かりきっているというのなら、我々はそれをただ黙って見ておこうとボリスは締めにかかった。

 

「よって、私は小狼への対応レベルを警戒に落とし。被害が市民に及んだときに改めて動くべきだと考えます。そして、ハマー氏には今この場で地下協会がどう動くのかを決めて頂きたい。市民の安全のため、賢明な判断をよろしくお願いしますよ」

 

 依頼者に何の落ち度もない状態で一度受けた依頼を断るなど、裏の世界で生きている者として信用に関わる問題だ。

 さらに、今回の久遠の安寧が地下協会に払った金額は懸賞金と同額であり、受けた依頼をキャンセルして違約金まで上乗せして返すとなるとかなりの痛手となる。

 しかし、表の勢力である国聯にテロ幇助組織として認定されれば、今後の活動に支障が出るどころの話ではない。

 額に脂汗を滲ませ拳を握りしめた老人は、不敵な笑みを浮かべる男を忌々しく思いながらも、相手の要求を呑まざるを得ないのだった。

 

***

 

 国聯の湊に対する対応が警戒に落ち着き、地下協会が久遠の安寧の依頼をキャンセルし湊の懸賞金を撤回すると決めた後、解散して議会場を出たボリスは、同じ施設内に存在する小さな会議室に待たせていた人物に会いに向かった。

 落ち着いたデザインの木製の扉を開くと、その中にはシックなスーツに身を包んだナタリアが待っていた。

 彼女はボリスがやってきた事に気付くと、席を立って彼の元へと近づいて口を開く。

 

「議会はどうなりましたか?」

「彼の危険度はSランクから変動はありませんが、国聯としての対応は市民に被害が出ない限りは警戒に留めることに決まりました。また、地下協会もテロ幇助組織と認定されたくないらしく、久遠の安寧の依頼をキャンセルして、世界中に懸賞金を解除する旨をすぐに通達するとの事です」

 

 その言葉を聞いてナタリアは胸に手を当て安堵の息を漏らす。

 仮に湊が久遠の安寧を滅ぼしソフィアを討とうとも、一千万ドルの懸賞金を懸けられ国聯にも狙われたままでは、日本で平和に暮らすことは難しくなっていただろう。

 懸賞金がなくなっても、元一千万ドルの賞金首として腕試しに挑んでくる者もいるかもしれないが、久遠の安寧を滅ぼした後は湊も自衛のために狙ってきた者を殺すはず。

 手を出してこないからと増長してきた者らも、殺された者が出たと聞けば、名切りの鬼などという災厄に自ら進んで関わる者がいなくなる事は容易に想像がついた。

 ある一件から相手が自分に弱い事を知っていながらの卑怯な頼みだったが、頼んだ無茶を現実に変えてくれた相手へ、ナタリアは改めて礼を言った。

 

「無茶な頼みを聞いて頂き本当にありがとうございました」

「いえいえ。メドヴェージェヴァさんの頼みならどんな事でも、と言いたいところですが、今回は色々と政治的な判断も絡んでいますので、本当に気になさらないでください」

 

 苦笑しながら話すボリスがナタリアに弱い理由、それはナタリアの息子が護衛対象だった彼を庇って死亡したからだ。

 当時はまだ親の七光と影で言われていた若い政治家でしかなかったが、ナタリアの息子は彼に敬意を払って接し、親の政敵が差し向けた殺し屋から身を呈して守った。

 政治家同士のくだらない足の引っ張り合いに巻き込まれ、任務といえど未来ある若者だった息子を失った事で、ナタリアは政治家や権力者に恨みを持ち、祖国を離れて力ある者を殺せる自分の軍隊を作った。

 ナタリアがそうしている間、ボリスは自分を庇って死んだ者に報いるため、政治を学びコネクションを持ち、あんな悲劇を繰り返すまいと平和な世を作るために国聯の事務総長にまで上り詰めた。

 もっとも、軍隊を作ったナタリアは時を経て自分の行為に意味がない事に気付き。ボリスも地位を得たことで余計なしがらみに囚われる事になってしまったが、ナタリアが意を決して面会を求めてきたため、ボリスは彼女と会って話しを聞いたのだった。

 ナタリアと合流したボリスは、彼女を会議室から連れ出すと廊下を歩きながら施設の奥へと向かってゆく。

 

「我々も、一部の国を除いてですが、強大な力を持つ久遠の安寧を煩わしく思っていたのです。世界を動かす存在は少ないにこした事はありませんから」

「では、今回の件で手を引いたのは小狼に久遠の安寧を陥して貰うためだと?」

「というより、暴れるだけ暴れて力を削って貰おうと考えていると言った方が正しいですね。流石に、たった一人の少年が奴らに勝てるとは誰も思いませんから」

 

 相手は先進国とも戦えるだけの軍事力を持つ組織だ。医療と軍事の分野で世界シェア一位を誇っているのだから、自分たちで作った兵器を使えばそれくらいは出来るのだろう。

 各国の権力者ともコネクションを持ち、その者たちを裏から操ることで自分たちの力をさらに強めている。

 これをたった一人で相手して勝てという方が無理な話で、当然、ボリスも他の者と同じく湊が途中で力尽きると考えていた。

 

「地下協会も似たようなものです。彼らは情報を制することで力を持ち過ぎた。真っ向から潰そうにも握られた弱みで動けない者も多数います。ですから、今回は仕事屋たちを扇動したと理由を付けて、彼らに牽制させて貰ったのです」

「表にも影響力を持つ裏の人間は厄介ですからね。責める理由があれば利用しようと考えるのは何もおかしくありませんわ。まぁ、出来れば友人の息子を利用して欲しくはありませんでしたが」

 

 小さくナタリアが付け加えると、ボリスは苦笑して申し訳なさそうに「すみません」と謝ってくる。

 もっとも、ボリス側に別の思惑があろうとも望んでいた状況にはなったのだ。懸賞金が解除されたことで仕事屋たちからは狙われなくなり、国聯軍も湊を殺そうと出てくることはない。

 余計な茶々を入れてくる者たちが消えれば、湊も敵であるソフィアらとは随分戦い易くなるだろう。

 いままで逃げる事や市民を守ることに割いていた分も集中できるようになった事で、今後は久遠の安寧を滅ぼすためだけに力を使う事が出来る。

 本気の湊を止める事など人間には不可能。彼の力を間近で何度も見た事でそう思っているナタリアは、この戦いの結末はボリスたちの想像とは異なるだろうと睨んでいた。

 そうして、話しながら進んでいくと、二人は事務総長に与えられた執務室に到着した。

 民間軍事会社の社長という、一般人とも言い切れない立場の人間が入っても良いのかと悩んだが、扉を開けてボリスが入室を許可してきたので、ナタリアは言われた通り部屋の中へと入った。

 するとそこには、上品な空気を纏った一人の紳士がソファーに座って待っていた。整った顔立ちに、一目で上質な物だと分かる衣装、さらにコートの胸に刺繍された紋章によって、ナタリアは相手の正体に気付く。

 

「貴方は、アドルフ・ベレスフォード侯爵……」

「実は、メドヴェージェヴァさんに頼まれる前に、ベレスフォード侯爵からも同じ事を頼まれていたのです。国聯に対し十億ドルの寄付をするので、小狼に懸った懸賞金を解除し、手を引いて欲しいと」

「じゅ、十億ドルっ!? 自分の子どもでもないのに、どうしてそんなっ」

 

 国聯の通常予算は二年単位で設定されるが、十億ドルと言えば約四分の一にあたる金額だ。

 いくら莫大な資産を有していると言っても、流石に赤の他人のためにそれをポンと出せる感覚がナタリアには理解出来ない。

 ナタリアもイリスと湊本人のためにわざわざ国聯本部まで出向いてきたが、その上を行った人物が何を思ってそんな行動に出たのかが知りたかった。

 聞いた話しに驚愕してナタリアが相手を見つめていると、アドルフは穏やかな笑みを浮かべて答えてくる。

 

「小狼君は娘の命を救ってくれました。ですから、彼が窮地に立たされたなら、今度は我々が彼を救わねばと考えたのです。お金は失ってもまた稼げますが、彼を失えばそこでもう終わりですから」

「……小狼を失えば世界が滅びると言った者がいました。貴方たちも同じように考えていらっしゃるのですか?」

 

 一人の死によって世界が滅びるなどありえない。だが、相手の言葉が、死ねばもう会えなくなるという意味だけだとは思えず、ナタリアは考えるまま尋ねていた。

 隣で聞いているボリスは不思議そうな顔をしているが、尋ねられた紳士は変わらず穏やかな表情で返す。

 

「同じかどうかは分かりません。ですが、私たち家族は彼の優しさに救われました。助ける必要も送り届ける必要もなかったというのに、彼は私たちの元まで素性も知らない娘を連れてきてくれたんです」

 

 裏世界で生きている人間が、自分の素性や情報がばれるリスクを冒してまで人助けをするなど稀だ。

 相手の素性を聞いて利用できるなら利用し、まるで使えないと分かれば目撃者の口封じとして始末するのが普通である。

 けれど、もし気まぐれで誘拐されていたヒストリアを助けるのなら、攫った人間を皆殺しにして縛られていた手足を自由にしてやった時点で十分だった。

 十分だったはずなのに、湊はヒストリアに名前と元々いた場所を尋ねると、そのまま抱えて移動し、元々いたというホテルまで連れて行って両親に返したのである。

 口では、攫われるなど間抜けだとか、大切な子どもなら知らない場所では目を離すな、などと色々きつい事を言っていたが、それは平和脳であったヒストリアと両親を諌めていただけなので、言われた本人たちは湊に対して感謝しか感じなかった。

 

「確かに、彼は大勢を殺めてきた悪人かもしれない。いや、実際に悪人と呼ばれる人間なのでしょう。しかしそれでも、彼の持つ優しさによって救われる人間も大勢いるんです。私が彼のために使ったお金は、その未来のための投資でもあるんですよ」

 

 湊の犯してきた罪は知っている。その事に思わぬ事がないわけではない。

 それでも、貿易王と呼ばれ数多の人間を見てきたアドルフには、少年は信ずるに値する者だと映った。

 故に、アドルフはこの程度の金で少年の安全が買えるのならと、とても優しい声と表情で笑ったのだった。

 

 

夜――喫茶店“フェルメール”

 

 アイギスやナタリアと別れた後に帰国した五代は、日本時間の夜七時ごろ、フェルメール二階の事務所で連絡を待っていた。

 相手の話しによればそろそろ結果が決まってもいい時間のはず。そして、会員制である地下協会のサイトにある情報掲示板で、もう一つの情報の更新がないかを待っていたとき、携帯からメールの着信を知らせるメロディが流れた。

 

「来たっ」

 

 ずっと待っていた五代は慌てて携帯を手に取り、届いたメールを開きにかかる。送信者の名前はナタリア、件名は『おめでとう』となっている。

 これでは中身を見るまでもないと喜びに顔を歪め、しかし、それでも詳細を知らねばと中身に目を通してゆく。

 曰く、国聯は小狼への対応を警戒に落とす事に決定した、地下協会のラドヴァン・ハマーは久遠の安寧の依頼をキャンセルすることを約束した、ナタリアがボリスに頼む前に既にアドルフ・ベレスフォードが国聯に十億ドル寄付することで小狼から手を引くように要請していた、との事だ。

 湊とベレスフォード家の繋がりは五代も知っていたが、まさかそんな大金を使ってまで少年一人を守るとは思わなかったので、住む世界が違うと思わず苦笑いを浮かべる。

 けれど、メールにはまだ続きがあり、地下協会の情報掲示板の方でも小狼の懸賞金を解除すると発表された事を確認しつつ読み進めると、目を通し終わった五代は驚きから立ち上がっていた。

 

「ベレスフォード家が久遠の安寧の本拠地を見つけていた!? それに保護していた小狼君が意識のはっきりした状態で目覚めたらしいって、そんなっ」

 

 あれだけ弱っていた状態で神の力を明確に使ったのだ。湊の人格は既に失われる直前であると覚悟していただけに、どうして湊の意識がはっきり存在しているのかと五代は疑問を感じずにはいられなかった。

 しかし、問題はむしろそちらではない。あれだけ世界中で大勢が探していた久遠の安寧の本拠地が見つかったのだ。

 貿易王と呼ばれる物流のスペシャリストならば、物流から怪しい点を見つけ出して、久遠の安寧の本拠地を突きとめる事も可能だったのかもしれない。

 もっとも見つけられる可能性が高いと知りつつも、五代たち情報屋やナタリアたち蠍の心臓には欠けていたカードなので、それを持っている者が見つけられたのはなんら不思議ではない。

 しかし、敵の居場所が分かっている状態で湊が目覚めたのなら、事態は一気に動き出す。

 湊の性格を考えれば、相手が対処しようとする前に全てを終わらせにかかるに違いないので、決戦はいつ始まってもおかしくない状態だった。

 

「そ、そうだ。桜さん達に連絡しないとっ」

 

 桔梗組本部では情報を得るのが遅くなる。味方の中でもっとも情報が早く集まるのは五代のところだ。

 だからこそ、彼女たちに湊の情報をいち早く知らせるため、今からこの店に集まって欲しいと一斉に連絡を送るのだった。

 

 

 


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