【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百七話 後篇 久遠の安寧-復讐-

夜――喫茶店“フェルメール”

 

 ナタリアから湊がすぐにでも攻め込む可能性があると聞き、それを五代が桜たちにも伝えたことで、店の事務所には五代の他、チドリ、桜、渡瀬、ロゼッタ、栗原が集まっていた。

 桐条英恵や水智恵も情報を知りたがっていたが、残念ながら彼女たちは湊との繋がりを隠すためそれぞれの屋敷から出られず、テレビ電話を使うことも出来ないので、桜の方からメールで速報を伝えることになっている。

 そして、湊と思われる所属不明機がスイスから飛び立ち、いくつもの国の領空を通過して、バーラエナにあるアラブの富豪が建てたと“公的には”言われている大豪邸に攻撃を開始したという情報までが五代たちに伝わっていた。

 傍にいた情報屋仲間にそれは久遠の安寧の本拠地で、小狼が攻め込んだと伝えれば、瞬く間に情報は拡散したようで、小狼に懸けられていた懸賞金が解除された事と共に地下協会の人間が利用する情報掲示板は大きく盛り上がっている。

 

「続報、来ました。戦闘機の破壊は確認出来ず、反対に屋敷から火の手が上がっているそうです。どうやら侵入に成功したようだ」

「八雲の状態について、攫って行ったヒストリアとかいう女から連絡はないの?」

「済まないけど連絡先を誰も交換してないんだ。小狼君の保護に関しても、ベレスフォード侯爵とナタリアさんが偶然出会って聞けただけだしね」

 

 五代が新たに来た情報を読みあげると、いらついた様子のチドリが現在の湊の状態について尋ねた。

 湊が無事なのは嬉しいが、国聯軍やアイギスらを敵の攻撃から守るため神の力を使ってしまったとなれば、その後の消耗具合はかなりのもののはずだ。

 保護してから治療を施したにしろ、たった二、三日で回復するレベルでは当然ない。

 懸賞金が解除されてから早期に決着を付ける事が求められたにせよ、無理をして限界を迎えてしまえば元も子もないのだ。

 

「もう、二時間が経ちますね。このままだと影時間に……」

 

 そんな大切な少年のことで不安そうにしているチドリの肩に手を回しながら、桜は時計を見て戦闘開始から既に二時間が経過し、さらには零時を迎えそうだと思わず声に漏らす。

 平時なら影時間は少年やチドリに適性に応じた補整を付与してくれるが、現在の湊にとって能力が上がるというのはその分だけ力を引き出されてしまうという事。

 力を使い過ぎれば人格のフォーマットは進み、また生命力も枯渇して死んでしまうかもしれない。

 さらに、今日は新月だ。満月よりも付与される力が落ちるというのに、力だけ無駄に引き出されるという悪条件が重なっている。

 普段ならば有利になることが、疲弊した今の湊にとっては逆に能力を制限させる鎖となっていた。

 他の者たちも桜の言葉を聞いて、影時間に入った場合の湊の身を案じていると、ノートパソコンを操作していた五代が皆の方に画面を向けてきた。

 

「現場近くに向かってくれた友人からの中継が繋がりました。映像は荒いですがリアルタイムです」

「敷地内が燃えてるわね。小狼君はいまどこらへんに?」

「それは分からないが、この崩れている辺りから侵入したと思われているよ」

 

 かなり離れた場所から撮影しているのだろう。途轍もなく広い敷地全体がなんとか見渡せる状態で映っているが、画面手前側の庭園とそこに近い屋敷の一部が崩れて燃えていた。

 庭園の方は大規模な爆発があったようで、地面が抉れてそこを中心に円形に燃えた後が広がっている。

 これも湊の仕業だとすれば、庭園への攻撃を陽動にして、相手の注意を逸らしたところへ戦闘機のミサイルでも撃ちこんでそこから侵入したのだろう。

 海外で湊がどんな事を体験してきたのか一部しか知らない者にとっては、湊が戦闘機を操縦できるという事も驚きだが、戦闘機の破片らしき物は見つからないので、相手の姿が見えないことから既に内部にいるという情報を真実だと思えた。

 しかし、そうして、何かちょっとした情報でも得られないかと一同が画面を注視したとき、最も近い場所にあった屋敷の一部が、炎を上げながら轟音を響かせ倒壊した。

 

『っ!?』

 

 内部で何かが爆発して倒壊したのかと考えたが、建物の瓦礫がそのまま真下に落下しているように見える。

 他の隣接する別の棟は何事もなく無事な様子なので、今の倒壊は意図的に引き起こされたものだと推測できた。

 しかし、この状況で意図的に屋敷の一部を壊す必要性が理解出来ない。いや、本当は理由など最初から分かってはいるのだ。

 けれど、少年の無事を祈っている者として、脳がその事実を認める事を拒否していた。

 

「あ、あぁ……っ」

 

 そのとき、映像を見ていたチドリに異変が起きる。顔面を蒼白にさせ、爪が食い込むほど強く自らの腕を掴んで抱きしめている。

 少女の突然の変化に心配して桜が声をかけようとするが、その前に少女は絞り出す様に呟いた。

 

「……八雲が…………八雲の反応が、消えていく……」

 

 他の者には何が起こっているのか分からない。

 だが、少年と契約によって繋がっているチドリには、契約を通じて相手との繋がりが弱まってゆく事が感じ取れていた。

 神に存在を消されていったときとは感覚が異なる。例えるなら、ロウソクの火が消えかかっているような、ゆっくりとだが確実に消滅に向かっている感じだ。

 チドリはこの感覚に似た物を知っていた。エルゴ研時代、死にゆく被験体たちから徐々に力が抜けて、動かなくなったとき何かが確実に失われたと理解出来たあのときの感覚にそっくりだ。

 あの当時は何が失われたのかはっきりと分からなかった。だが、今ならば分かってしまう。

 あのとき被験体から失われた物、それは命。

 

「駄目っ、死なないで! おねがい、八雲―――――」

 

 そうして、世界は緑色に塗り潰された。

 

 

***

 

《湊君っ!!》

 

 建物が倒壊し、瓦礫と共に地下へと落とされた湊は、シャドウの王の呼び掛けによって目を覚ました。

 気を失う前は影時間ではなかったので、空気の変化からいまが影時間であると気付いた湊は、自分がどれだけ気を失っていたのかと思いつつ身体を起こそうとした。

 しかし、僅かに身体を動かしただけで腹部や足などに激痛が走る。また、どういう訳だか右腕が全く動かなかった。

 一度動くのを諦め、自分の置かれた状況を理解しようと、暗闇の中、目だけ動かして辺りを見渡すとファルロスが話しかけてきた。

 

《良かった。目を覚ましたんだね》

「……なん、とかな。だが、だいぶ酷い状態のようだ」

 

 痛みに耐えつつ自分の状態を確認した湊は、どうして自分がろくに動けなかったのかを理解する。

 まず、今いるのは先ほど居た場所の地下に位置する空間だ。そして、湊は大小様々な瓦礫に囲まれ、運良く大きな瓦礫同士が支え合って出来たスペースにいた事で潰されずに済んだようだ。

 もっとも、左足の骨は折れており、太い鉄骨のような物が心臓のギリギリ真下である鳩尾から背中にかけて貫通している。

 さらに、全く動かないと思っていた右腕は、上腕の辺りから大きな瓦礫の下敷きになって潰れてしまっている。

 一応、まだ薄皮一枚程度で繋がっているような気もするが、蘇生もろくに出来ない状態では足の骨折も治せないので、組織がぐちゃぐちゃに潰れて千切れかけている腕をくっつけるなど出来るはずもなかった。

 

「……治療してくれていたのか」

《ごめん、細かい傷と腹部の出血を抑えるくらいが限界で、これ以上はいまの君の生命力では無理だ》

 

 ペルソナを呼んで治療しようにも、ここは人が一人いるだけで精一杯という狭い空間なため、呼び出す事など出来ない。

 また、仮に呼び出して治療したところで、数百トンに達する量の瓦礫をどかすことなど不可能だ。

 スキルの威力の関係上、上部をどけた途端にその周りから雪崩れ込んできて生き埋めになって今度こそ死んでしまう。

 相手を殺すと言って大勢に迷惑をかけたにしては、なんとも間抜けな最期だと湊は自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「なぁ、ファルロス。俺が死んだらすぐに封印が解けてニュクスが降臨するのか?」

《諦めちゃ駄目だ! まだ、まだ何か生き延びる方法があるかもしれないっ》

 

 そんな事を言われても、ペルソナも使えないのでは出来る事など限られている。

 腹に刺さった鉄骨なら死の線を切って分割すれば抜けるだろうが、抜けば傷を塞げないので失血で死が早まってしまう。

 これで自分にどうしろというのだと思いつつ、ぼんやりと傍の瓦礫を見つめていると、ファルロスが再び声をかけてきた。

 

《湊君、君は生きなきゃ駄目だ。ここから抜け出して、敵を倒して、アイギスさんと一緒に日本に帰るんだろ!》

「っ!?」

 

 その言葉で湊の瞳に力が戻ってくる。

 そうだ、自分は大切な少女と共に帰ると約束した。敵を倒して、全部終わらせて日本に帰ると。

 足が折れているからどうした。腕が千切れているからどうした。自分はまだ生きている。そして、殺すと決めた相手もまだ平然と生き残っているではないか。

 湊は身体を僅かに起こすと、残った左手で鉄骨の線をなぞり分割して引き抜く。

 

「うぐっ……はぁ、はぁ」

 

 鉄骨を抜いたことで傷口が拡がり、そこから血が抜けていく感覚を感じながら湊は口を開く。

 

「ファルロス、肉体をそのままエネルギーに変換する事は出来るか?」

《肉体をエネルギーに? 分からない。生命力への変換というなら、少し異なってるから難しいかもしれない》

「もう治療はいらない……。治せないなら、治るまで待てばいいんだ。その間に必要な分のエネルギーを肉体の方から補えるかが知りたい」

《っ!?》

 

 ファルロスやペルソナで治療出来ないなら、誰もいない今身体が元々持つ治癒力に頼るしかない。

 確かにそれはそうだが、いくら回復の速い湊でも、生命力も減っていてファルロスの力が使えない状態では完治に何ヶ月かかるか分からない。

 聡明な少年がそれを分かっていない筈はないので、相手の真意は何だと考えこみ、少年の真意に気付いてしまったファルロスは驚愕しながらも、相手に本当にやるのかと確認を取った。

 

《本気で成功すると思っているのかい? 下手をすれば、失敗してそのまま君は死ぬよ?》

「待っていても死ぬだけだ。なら、俺は自らの時計の針を進めて生き残る方に賭ける」

 

 湊の考えた作戦は、自分の肉体の時を加速させて失血で死ぬよりも速く傷を塞ぐというものだ。

 しかし、時を加速させれば成長する身体は栄養を欲するので、ラクダがコブに蓄えた栄養を徐々に消費するように、湊は筋肉などを消費して補おうと考えた。

 聞いたファルロスも、一応は相手の言っている事の意味は理解出来ている。確かに、時を加速させる部位に気を付ければ、出血する速度よりも速く傷口は治ってゆく。

 けれど、いまの状態でそれほど緻密なコントロールが可能なのか。また、身体中の筋肉から栄養を貰ったところで完治するのに足りるかも分からない。

 なにより、湊だからこそ抱える一番の問題点が残っていた。

 

《時を加速するということは、それだけ君の身体は歳を取るということだ。何度も無理な蘇生や治癒を施しているから、君の寿命は飛騨さんが言ってたよりも短くなっているかもしれない。それでも、寿命を削ってでもやるのかい?》

「……ああ。足りないっていうなら、この薄皮一枚で繋がっている右腕を全部使ってもいい。だから、サポートは任せた」

 

 再び瞳に力が戻った湊は、生きるためにこんな馬鹿げた作戦を本気で成功させようと思っている。

 ここで待っていても死しか待っていないので、僅かにでも助かる可能性があるのならファルロスもそれに賭けたい。

 そう考えれば、少年に対する返事は決まっていた。

 

《はぁ、しょうがないね。いいよ。やってみよう》

「ああ、ありがとう」

《気にしないで。それじゃあ、右腕と身体全体から数パーセントずつ筋肉を貰うよ。腕はもう千切っても大丈夫。君の肉体だからこの距離なら十分エネルギー変換出来るんだ。身体が熱くなったら、湊君は時の加速を始めて》

 

 言われて湊はブチブチと音をさせながら瓦礫から右腕を引き抜く。切断面から腹部と同じように熱い血液が流れ出るが、今は時の加速に意識を集中させる。

 すると、身体と千切れた腕が淡い白光を纏って熱を帯び始める。エネルギー変換が始まったことで、言われた通り湊も左眼を濁った金色に変えて時の加速を始めた。

 変化はすぐに現れ、時の加速に応じて傷が塞がり、湊の背丈や髪が伸び始める。

 

(……ああ、これだけじゃ駄目だ。傷が塞がっても、ここから出られなければ意味がない)

 

 傷口が熱を帯びて細胞分裂を繰り返し塞がってゆくのを感じながら、湊は続けてここからの脱出法に意識を向ける。

 

(馬鹿な餓鬼が暴走して、大勢に迷惑をかけながら助けて貰って、そのくせ約束の一つも守れないようじゃ合わせる顔がない)

 

 肉体の成長に合わせて、その風貌も影のある少年の物から、憂いを帯びた麗人と見紛うばかりの美しさを持つ青年の物へと変わってゆく。

 

(俺は、帰るんだ。アイギスと一緒に……)

 

 千切れて上腕までとなった右腕を、天井のあった方向へと向ける。

 歯を食いしばり、失った右腕で何かを掴もうとしながら、心を怒りと殺意という負の感情で満たしてゆく。

 

(ペルソナを呼ぶだけの力が残ってないからどうした。絆を捨てて、大切な人たちを傷付けて、それでも敵を殺すと決めたんだろうがっ)

 

 残っている力と肉体を削って得たエネルギーで時を加速させ治療している訳だが、それではただ延命されるだけで自分の状況はほとんど何も変わらない。

 ここに来るまでに、力を得るために育んだものを捨てておきながら、ただ弱くなったのでは何の意味もない。

 あの決断にはちゃんと意味があった。絆という支えを失ったことで、孤独という自分だけで立って歩く力を得たのだ。

 

(心を怒りで、憎しみで、殺意で満たせ。俺はまだ何も成し遂げちゃいない。あと少しなんだ、もう少しで相手に届くところまで来たんだっ)

 

 かつてペルソナを呼び出す際に見せていた光とは対極な、赤い光と黒い欠片が渦巻き、何もないはずの右腕の先で黒い炎が揺らめき出す。

 無い腕を懸命に伸ばしながら遥か先を掴もうとする湊のまわりで、光は輝きを増し続け黒い欠片は何かを形作ろうと螺旋を描き舞っている。

 そして、赤い光が地下の空間全てを照らすほど強まったとき、心を負の感情で満たし湊は叫んだ。

 

「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 瞬間、黒い炎が波紋のように燃え拡がり、湊の腕の切断面から銀色の双角と瞳を持つ蛇神が現れた。

 

《グオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――ッ!!》

 

 その咆哮に大気と大地が振動し、周囲の瓦礫を触れる前に塵へと変え、空間が歪ませながら現れた蛇神は大口を開けながら地上を目指し昇ってゆく。

 何百トンという瓦礫が積み重なろうが関係ない。蛇神の呼気と共に漏れる黒い炎が雪崩れ込んでくる瓦礫を融解させ、まるでそこが侵してはならない神域であるかのように、湊を中心とした半径数十メートル圏内の空間からは円柱状に全ての物が消滅していた。

 力の管理者たちに言われても、自分の心の深い部分へ意識を向けても、ずっと見つける事が出来なかった。

 それも当然だ。何せ、相手は最深部にある心の境界線のその先、負の感情の眠る場所にいたのだから。

 地上に到達し、天まで昇ってゆこうとする蛇神を消しながら、相手の発生させた影で出来た黒い炎で右腕を形作り、拳を何度か握って調子を確かめた青年は、地下から遥か頭上に広がる空を見上げ、どん底から這い上がるのも悪くないと哂った。

 

 

***

 

 東棟倒壊の衝撃も治まり、北棟の地下二階にある自室に従者のヘルマンと共にいたソフィアは、“神々の黄昏”と本人たちは呼んでいる影時間に入った事で、面倒なタイミングで来てくれたものだと心の中で湊に対する愚痴の言葉を吐いていた。

 相手は先ほどの倒壊に巻き込まれて死んだからいいかもしれないが、自分たちは基地にダメージを負った事で、普段以上に不便なまま影時間が明けるまでの一時間を過ごさねばならない。

 影時間でエレベーターが止まっているため、普段過ごしている地上部の私室へ階段で昇ってゆく気のないソフィアはここで過ごすはめになる。

 また、適性を持っているのはソフィアとヘルマンだけなので、誰かを遣いにやって何かを持ってこさせる事も出来ず。

 最期まで人をイラつかせてばかりの人間だったと、ソフィアは湊の評価をかなり下の方まで下げたのだった。

 そうして、気を取り直したソフィアは、電気は使えないが影時間になる前に淹れた紅茶はあるため、いまはこれで我慢しようとヘルマンにお茶を注ぐよう命じようとした。

 だが、口を開きかけたそのとき、轟音と共に激しい震動がソフィアたちを襲った。

 

「きゃあっ!?」

「お嬢様!!」

 

 椅子から倒れて落ちそうになるソフィアをヘルマンが支えて助ける。紅茶の入ったポットとティーカップは床に落ちて割れてしまったが、それよりも二人は今の衝撃の正体に意識を向けていた。

 いまは影時間だ。だからこそ、適性を持たない人間は棺のオブジェと化して動く事が出来ない。

 また、全ての電子機器が使えなくなるため、東棟を倒壊させたときのような衝撃が起こる要素などないはず。

 だからこそ、先ほどの揺れは、適性だけでなくソフィアと同じく守護天使(ペルソナ)をその身に宿している者しか起こしえない。

 揺れが治まり自分で立てるようになったソフィアは、椅子から立ち上がり扉の方へと向き直る。その間に、ヘルマンは警戒した様子で拳銃を構え、いつでも主を守れるよう傍に控えた。

 

「……やっぱり、小狼も力を持っていたみたいね」

「お気を付けください、ソフィア様。やつは力を持った上に、生身で仙道様に勝てるほどの腕前を持つ者にございます」

 

 他に音を立てる物がないので、耳を澄ますと何かが大きな音を立てつつ近付いて来るのが分かる。

 さらに、ソフィアは千里眼の力で相手の居場所を察知する事が出来た。相手の状態を把握しようと能力の知覚を伸ばし、どこまで近づいているかを探る。

 まだ北棟には来ていない。では、東棟に隣接する南棟にいるのだろう。

 そうして、能力の知覚をさらに伸ばしたところで、隔壁のシャッターを黒い腕で殴りつけて破壊している相手を見つけた。

 だが、その姿に違和感を覚えたソフィアは思わず呟く。

 

「どういう事? 髪と身長が急激に伸びているわ。それに、あの黒い右腕は一体……」

 

 司令部で見ていた監視カメラの映像は、ソフィアが命じた事でこの部屋でも見られるようになっている。

 相手が来た時点でソフィアも少しは注意していたので、カメラの映像はずっと見ていたのだが、以前はなかった眼帯を右目に付けていたことはともかく、髪は肩に届く程度で身長は一七〇センチほどのはずだった。

 それがいま確認した湊は、腰よりも長い髪を垂らし、身長はどう見ても一八〇センチを超えている。極めつけは一撃で隔壁をひしゃげさせて吹き飛ばす黒い右腕だ。

 見えている手首より先から判断するに、左腕は以前と同じ人間の肌の色をしている。

 だというのに、右腕は上腕辺りで袖が破れ、そこから先には時折揺らめく漆黒の腕が生えていた。

 服がところどころ血で汚れているので、もしや、倒壊に巻き込まれた際に右腕を失って能力で補っているのだろうか。

 そう推測を立てたソフィアは、音が近づいてきた事でヘルマンにも相手の異常を伝えておく事にした。

 

「ヘルマン。相手の様子がおかしいわ。髪と身長が急激に伸びているの。それに能力らしきものを使った右腕を持っているわ」

「……ソフィア様、もしものときは奥の扉からお逃げくださいませ」

「その必要はないわ。だって、わたくしのアパテーが負けるはずがないもの」

 

 己の能力に絶対の自信を持ちながら、アンティークドールのような美しい顔を冷笑で歪め、ソフィアはヘルマンと共にやってくる者を出迎える事にした。

 音が徐々に大きくなり、もう傍まで迫っていると思ったところで、二人の見ていた扉が音を立てて木っ端微塵に吹き飛んだ。

 破壊された扉の破片から主を守る様にヘルマンは前に立ち、筋肉を消費したことで以前よりも線の細くなった青年へと変貌を遂げていた湊と二十メートルほどの距離で対峙する。

 相手の放つ冷たい殺気に空気が張り詰めてゆく中、距離を開け向かい合う者たちの中で最初に口を開いたのはソフィアだった。

 

「随分と行儀の悪い登場の仕方ね。この“神々の黄昏”に入る資格を持っていると言っても、やはり、極東の島国から来た人間には期待するだけ無駄だったかしら」

「……お前はただでは殺さない。惨めさと絶望を感じながら死んでゆけ」

「っ……アパテー、ガルダイン!」

 

 ソフィアの頭上に現れたアパテーは、水晶玉を光らせ収束した暴風を湊に差し向ける。

 車だろうと容易く吹き飛ばす威力を有した攻撃だ。いくら能力者だろうと直撃すれば無事では済まない。

 それを、湊はその場に立ったまま黒い腕を横に薙ぐだけで、何事もなかったかのように霧散させた。

 これには多くの人間をこの技で屠ってきた本人も、それを傍で見てきた従者も驚きを隠せない。

 けれど、アパテーの持つスキルは疾風属性だけではない。四属性に限って言えば弱点である氷結属性を除いた三属性を扱う事が出来るのだ。

 

「今度はマハジオンガよ!」

 

 故に、驚きこそしたけれど、今度は広範囲に放つ事でガードもさせないと、ソフィアは電撃スキルを放ってくる。

 先ほどまで座っていたテーブルや絨毯などを焦がしながら、正面だけでなく上や左右からも迫りくる電撃は、今度こそ直撃を果たした。

 先ほどの攻撃を防がれたのは相手が疾風属性に強かっただけ。二度目の攻撃が当たったソフィアは無言で喰らい続けている相手を見つめて、ようやく満足気な笑みを浮かべた。

 

「……お前、本気で俺に勝てると思ってたのか?」

 

 だが、強力な攻撃を喰らいながらも効いた様子はとくになく、湊はどこか呆れた瞳でソフィアを見返した。

 さらに、再び右手を僅かに上げて横に薙ぐと、マハジオンガも消え去ってしまう。

 ソフィアがその事態に忌々しげに表情を歪めていると、続けて湊はソフィアとヘルマンを見つめたまま右腕の肘を曲げて後ろに引いた。

 何をするのかは分からない。けれど、本能が危険だと告げている。かつては特殊部隊にいたヘルマンは、主を横に押し退けながら盾になるよう飛び出した。

 

「お逃げください、お嬢様っ!!」

「――――死ね」

 

 呟き右腕を突き出しながら一歩踏み出すと同時、黒い腕が炎のように揺らめき肥大化しながら巨人の腕と化し、二十メートル離れていたヘルマンを殴りつけた。

 その速度と威力により、ヘルマンは頭部と胴体を弾けさせ、四肢と血液を撒き散らせながら吹き飛んでゆく。

 横に突き飛ばされたソフィアは、飛び散った血を顔に浴びながら、目の前の光景に目を見開き顔面を蒼白にしていた。

 

「な、そんな、い、いやっ……こんな、いやあっ?!」

 

 化け物の力を目の当たりにしたソフィアは、恐怖を感じて部屋の奥の扉から逃げ出した。

 背後で扉が吹き飛ぶ音が聞こえるが関係ない。逃げなければ殺されると、ようやく自分が相手にしていた存在の力を理解したことで、ソフィアは死にたくないと暗い廊下を全力で走り続ける。

 

(ア、アパテーの力が効かない相手にどうやって対抗するっていうのよっ)

 

 長い廊下を進み奥のエレベーターに辿り着いたソフィアは、上階に向かうボタンを連打しても反応がないことで、いまが影時間である事を思い出し、少し先にある階段で上階を目指そうと再び駆け出す。

 今まで影時間に活動している者は極稀に見かけたが、ペルソナを持っている人間とは出会った事がなかった。

 しかし、ペルソナは心の強さがペルソナ自体の強さにも大きく影響する。その点に関していえば美貌も才能も権力も持っていたソフィアは、他のペルソナ使いよりも己に自信を持っていた事で、シャドウとすら戦った事がなかったというのに美鶴たちだけでなくチドリやタカヤたちをも上回っていた。

 もっとも、初めて出会った記念すべきペルソナ使いが、その彼らの力を足し合わせても一撃で屠れる化け物であった事は、同情すべき点であり彼女にとって唯一の不幸だったとしか言いようがない。

 

(い、嫌よ。死にたくないっ、こんなところで死にたくないっ)

 

 階段を駆け上がり地下から地上フロアへと移動してゆく。今は千里眼を使って相手の居場所を探っている余裕はないが、階段を上っている途中で下から固い靴音が聞こえてきたため、相手も同じ階段を上り始めた事を理解する。

 走り辛い靴とドレスに苛つきながら、こんな事なら運動もしっかりしておくんだったと、ソフィアは面倒くさがって身体を鍛えて来なかった事を後悔する。

 けれど、ようやく一階に辿りついたことで、すぐさま廊下へと駆けこもうとしたとき、言いようのない悪寒が走り、ソフィアは受け身も考えずに前方に飛んだ。

 すると、彼女が上って来た階段を破壊しながら、黒い火柱が立ち上ってきていた。

 それを見たソフィアは痛みを我慢して立ち上がると、先ほどよりも必死に駆けて逃げ出そうとする。

 どうみてもあれは変化した相手の黒い腕だ。物質を掴んだり殴ったり出来るだけでなく、見た目通りに炎として燃やす力まで有しているとなれば、一直線の廊下に相手も来たとき逃げようがなくなる。

 身体が酸素を求めて激しく呼吸が乱れ、脇腹の辺りが痛み、足の筋肉が張ってくるが、それでもソフィアは死にたくないと必死に走り続けた。

 けれど、湊の持つ力はペルソナだけではない。廊下を走っている途中で“パンッ”と小さな破裂音が聞こえたかと思えば、ソフィアは左肩に激痛を感じて倒れ込んだ。

 

「あぐぅっ!?」

 

 倒れたソフィアは身体の至るところをぶつけながら床を転がり、痛みで涙と脂汗を滲ませながら、先ほどの激痛を感じた箇所に手を当てた。

 触れたとき最初に感じたのは温かい何かで濡れている事だった。それからすぐにそれが自分の血であり、先ほどの破裂音は銃声で自分が撃たれた事を理解する。

 

(痛い、痛い、痛いっ。嫌だ、まだ死にたくないっ)

 

 痛みと血によって自らの死をより具体的に想像してしまい。ソフィアは死にたくないと無事な右腕で匍匐前進するように倒れながら前に進む。

 豪華なドレスは何度も転倒した事でボロボロになり、自慢だった銀髪も先ほどこけた際に左肩の傷口から出た血で汚れたのか部分的に赤く染まっている。

 普段の彼女がいまの自分の姿を見れば汚いと冷笑を浮かべて罵るだろうが、死の恐怖に怯えるソフィアには自分の姿など気にしている余裕はなかった。

 

「……いい格好だな、ソフィア・ミカエラ・ヴォルケンシュタイン」

「っ!? あ、ああ……っ」

 

 そして、ついにソフィアは追いつかれてしまった。背後から声と靴音が聞こえ、ソフィアは目に涙を溜めて嫌だと首を横に振りながら上体だけ振り返る。

 肉体を成長させる際、湊はエネルギー源として筋肉を使ったといっても、ほとんどは千切れた右腕で賄われ、身体の方は付け過ぎていた筋肉を正常値に近いレベルまで削った程度に過ぎない。

 加えて、正常値に戻ったのは量だけの話であり、血に目覚めたことで質が変化した湊にすれば、量が減った状態でも血に目覚める以前よりも遥かに運動性能は上がっていた。

 それだけの運動性能を有し、さらに背丈が伸びて歩幅も広くなっていた湊にすれば、ろくに運動もしていなかった少女が全力で駆けたところで追いつくのは容易かった。

 ようやく追いついた湊が見たのは、床に這いつくばりドレスと髪を汚してみすぼらしくなった相手の姿だった。

 ただ殺すだけでは済まさないと言っていた湊は、振り返った相手の顔に恐怖が浮かんでいたことで、望んでいた通りになったと酷く冷たい眼で見下ろし哂う。

 

「さて、四肢の骨を順番に折ってやろうか。それとも爪を剥ぐのが先か?」

「い、いやっ。御免なさい、お願いします、何でもしますから殺さないでっ」

「断る」

 

 相手の言葉を切って捨てた湊は、未だに逃げ出そうとずりずりと下がってゆく相手に駆け寄るなり、ブーツの爪先を相手の脇腹に叩きこんで、鈍い音をさせながら少女を蹴り飛ばした。

 蹴られ床を転がった少女は、勢いが止まるなり血の混じった吐瀉物を口から吐いている。

 

「おぐっ、ごほっ……おえっ」

 

 撃たれた肩と蹴り折られた脇腹の痛みで目に涙を溜めて、ドレスが自分の吐瀉物で汚れても、ソフィアは死にたくないと顔をあげて湊に懇願してきた。

 

「お、お願いしますっ。貴方に忠誠を誓います、奴隷として扱って貰って構いません、ですから、どうか殺さないでっ」

「……同じように、人としての尊厳を捨ててでも生きたかったやつは他にもいただろうな」

 

 言いながら湊は冷たい瞳のままゆっくりと近づいてゆく。

 相手が近付いてきた事でソフィアは身体をビクリと揺らしたが、今度は逃げるのではなく、反対に身体を引き摺りながら湊に近付き。立ち止まった湊の靴に顔を近付けると、そのまま舌を出して舐め始めた。

 あれだけ傲慢だった人間が、完全にプライドを捨てて隷属を誓いながら相手の靴を舐めるなど、彼女の以前の姿を知っている者なら驚くだろう。

 けれど、湊は感情の消えた顔のまま、靴を舐めていた相手の顔を蹴りあげた。

 

「うぐっ……」

「俺もお前も造られた存在のくせに殺し過ぎたんだ。望んだ通りの最期なんて迎えられるはずがない」

 

 鼻血を出して仰向けに倒れる相手に近付き、しゃがんだ湊は黒い腕で相手の首を掴んで起こす。

 腕の状態にしていれば、ミックスレイドの影と同じ物で作られたこの腕に炎としての熱はない。

 掴み起こし、恐怖に顔を歪めた相手に顔を近付けながら、湊は徐々に力を込めつつ言葉を続ける。

 

「悪戯に殺されてきた人間の気持ちが少しは理解出来たか? 誰も助けてくれない状況に絶望しているか? 自分が選ばれた存在ではないと気付けたか? 教えておこう。お前の命に特別な価値などない」

 

 窓からさす影時間の光に照らされ、恐怖と絶望に染まる相手を見ながら湊は復讐の終わりを感じる。

 イリスを殺した人間を絶対に許さないと憎しみに動かされここまで来たのだ。

 馬鹿な事を続けた自分をイリスならば叱るだろう。それでも、湊は自分から母親を奪った相手を、悪戯に人々を殺してきた者を、自分と同じ殺人鬼をこのままにしておくつもりはなかった。

 徐々に強まる力で、自らが死に近づいている事を理解し恐怖しながら死んでゆけ。そう思って湊は腕に力を込め続ける。

 

「……死にたく、ない…………誰も、わたくしを見てくれなかったのに……まだ、死にたくない…………」

 

 すると、この状況でソフィアは泣きながら小さく声を漏らした。

 相手の過去を知らない湊は何を言っているのかは分からない。アイギスのおかげで切り替えが出来るようになったというのに、こんな人間の心を今さら読む気もない。

 だというのに、血に染まり赤くなった長い髪を見ていると、湊は相手を殺すことに躊躇いを覚え始めていた。

 こんな少女を知っている。消えてしまった記憶の中に、アイギスと同じように大切な少女が確かにいた。

 けれど、その少女とこの少女は別人だ。こいつはイリスを殺した。身勝手な我儘で大勢の人間を不幸にした。生かしておく訳にはいかない。

 そうして、決心が鈍る前にひと思いに殺してしまおうと手に力を籠めかけたとき、

 

「お願いします……八雲、様…………殺さないで……」

 

 ソフィアは偶然にも記憶にあった湊の本当の名を呼んだ。

 

「っ……チド、リ……」

 

 赤い髪の少女に名を呼ばれたことで、湊はまるで霧が晴れたように失っていた全ての記憶を思い出した。両親の顔も、アイギスと始めて出会ったときのことも、チドリと過ごしてきた毎日も、全てが蘇ってきたのだ。

 だが、記憶が蘇ってきたことで、今のソフィアの姿が泣きながら死にたくないと言っていた被験体たちや、大切な少女の姿を想起させ、湊の手を完全に止めてしまっていた。

 

「くっ……なん、で…………っ」

 

 こいつを許す事は出来ない。今でも殺したいくらいに憎んでいる。

 だというのに、力を籠めようとしても湊の身体は言う事を聞いてくれなかった。

 ここまで来たのに、どうしても救えなかった人間の姿が重なってしまい殺す事が出来ない。

 思考と感情を分けて人を殺せるようになった湊にとって、こんな経験は初めてだった。

 殺せない悔しさと自分に対する怒りに表情を歪ませた湊は、固まった身体を無理矢理に動かすために叫んだ。

 

「……くっそぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 叫んで身体が僅かに動くようになった途端、湊は相手の首を掴んでいた右手を離す。解放されたソフィアは背中を床にぶつけ咳き込みながらも、首を掴まれていた事で絶たれていた空気を求めるよう深い呼吸を繰り返している。

 しかし、殺せなくなったからと言って相手に対して何も出来ない訳ではない。蛇神を召喚した余力なのか召喚に必要なエネルギーを僅かに得ていた湊は、ペルソナ状態のカグヤを呼び出し相手を治療するなり、左手で相手の顔を掴む様に口を押さえ、残った右手でドレスの胸元を掴んで力任せに引き裂いた。

 

「んんんんーっ!?」

 

 治療を受け痛みから解放された事で心の余裕が生まれた直後、口を塞がれ服を破られたことでソフィアは驚きと恐怖から声を上げようとする。

 けれど、ただでさえ力で負けている上に、体力を消耗している以上、いまのソフィアに抵抗する術はない。

 

「生まれてきた事を後悔させてやると言っただろう」

「あぐぅっ」

 

 抵抗しようと暴れる相手の頬を、口を押さえていた手で殴りつけて黙らせる。

 生まれてきた事を後悔させてやると言ったのだ。殺せないなら同等かそれ以上の苦痛と恥辱を与えてやればいい。

 そう考えた湊は、相手が暴れたり声をあげたりする度に殴りつけては黙らせ、影時間が終わる直前まで、何度も何度も、相手が一切の抵抗を見せなくなってもその身体を蹂躙し続けたのだった。

 

 

 

 


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