【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

108 / 504
第四章 -Recess-
第百八話 得た物、失った物


深夜――喫茶店“フェルメール”

 

 画面の向こうで敵の本拠地の一部が倒壊するのが見えた。それからすぐに影時間に入ったため、チドリは湊の命が消えてゆく気配を感じ取っていた事で、唯一適性を持っていた栗原に宥められながら不安な時間を過ごした。

 しかし、影時間が明け、他の者たちの象徴化が解けてパソコンの画面が回復すると、チドリと栗原の目には信じられない光景が飛びこんでくる。

 建物が倒壊したのは影時間の直前だ。ならば、映像には影時間の前と同じ光景が広がっていなければおかしい。

 けれど、影時間が明けたそこにあったのは巨大な穴。建物が倒壊して出来た瓦礫のほとんどが消え、代わりに角度の問題から深さは不明だが、大きな縦穴らしきものが出来ていたのだ。

 それを見たチドリと栗原は一目で湊の仕業と気付き、続報を待っている間に他の者たちに事情を説明した。

 

「建物が崩れたとき、確かに八雲の命が消えていくのを感じたけど、今はそれがなくなってる。で、映像が回復したら瓦礫が消えて穴が出来てたの。どう考えても八雲がやったとしか思えない」

「なら、みーくんは無事なのね?」

「そう考えていいと思う。むしろ、消えかかってた契約の反応も戻ってるから、もしかすると体調とかも回復してるのかもしれない」

 

 チドリの言葉を聞いた一同は揃って安堵の息を吐く。

 湊の人格がヒストリアの屋敷で目覚めてから回復傾向にあった事を湊本人は自覚している。

 しかし、他の者が神降ろしのことを知っていると湊は分かっていなかったので、誰にも話さなかったこともあり、他の者はいまも人格のフォーマットが進んでいると思っていた。

 それを、契約で繋がったパスの状態からチドリが回復を感じ取ったため、神降ろしが止まったのなら最大の懸念材料が一つ減ったと他の者が安心するのも当然であった。

 それからは特に映像等にも動きがなく、向こうで一体何が起こっているか一同が少々の不安を感じながら何時間も待っていたとき、地下協会の組合員として五代が使っているパソコンにメールが届いた。

 いま情報屋や仕事屋たちは、今まで知られていなかった久遠の安寧の本拠地に小狼が攻め込んだらしい、という情報で盛り上がっている。

 そんなタイミングで何の連絡が来たのかと、他の者に断りをいれて内容を確認した五代は、驚愕に目を見開き声を上げた。

 

「なっ、これは、一体どうしてっ!?」

「ジャン、何があったの? どこからの連絡?」

 

 急に一人で驚いている五代に、ロゼッタが落ちつけという意味も込めて声をかける。

 仕事用のデスクトップパソコンに連絡が来たのだから、少なくとも仕事関連の相手から来た情報である事は確かだ。

 だが、情報屋をしている五代だからこそ、付き合いが広くて他の者では相手が情報屋なのか普通の知人なのかも判断がつかない。

 ロゼッタに声をかけられた事で五代も冷静さを取り戻し。混乱していた事を謝りつつ質問に答えた。

 

「ごめん。連絡は地下協会からだった。でも、組合員というより仕事屋全体に対する報告として発表しているようだ」

「その内容は?」

「久遠の安寧のトップが現トップの娘であるソフィア・ミカエラ・ヴォルケンシュタインに替わるらしい。さらに、組織再編として久遠の安寧は仮面舞踏会の傘下に入るとも」

『っ!?』

 

 五代の口から齎された情報に一同は言葉を失う。

 裏界最大規模を誇る組織のトップが入れ替わることも大ニュースだが、それ以上に、その最大組織が他の組織の傘下に入るという情報に普通の仕事屋たちは驚きを隠せないだろう。

 しかし、ここにいる者たちは、復讐に走っていた少年がどのような心変わりをして敵を支配下に収めたのかが分からなかった。

 仮面舞踏会は小狼と名乗っている湊と、仕事はしていないが小猫名義のチドリの二人のチームであり組織だったはず。

 それが突然、最大組織を傘下に収めて新たな最大組織へと変貌した。何の話しも聞いていないチドリや他の者たちが混乱するのも無理はない。

 同名の別組織ではないかと五代も内容を改めて確認したが、久遠の安寧を傘下にした新生“仮面舞踏会”の盟主として小狼の名が書かれている。組織名と個人名が共に合致した以上、認め難くとも事実として受け止める他なかった。

 

 

――久遠の安寧・本拠地

 

 久遠の安寧のトップ交代の報が地下協会から世界中に届く数時間前、影時間が明けた直後、司令部にいたルーカスは部下たちに被害状況を確認させていた。

 東棟をまるまる倒壊させて相手を瓦礫ごと地下へ閉じ込めたのだ。まさか相手が生きているとは思わず、影時間の記憶補正によって瓦礫類が消えていることにも違和感を覚えぬまま、あがってくる報告に頭を抱えていた。

 今回の被害は庭園に設置した迎撃装置に、東棟まるまる一つ。さらに他の棟の隔壁シャッターがいくつも壊れていたが、東棟倒壊で逃げ場を失った空気が圧力をかけて破壊してしまったのだろうと思われた。

 それ以外にも地下のソフィアの部屋や非常階段にも破壊の痕跡があるのだが、影時間の補正効果かその点にはあまり意識が向かず、ルーカスは本拠地が世界にばれたことも含めてどのように動くか考えていた。

 迎撃装置が壊れたと言っても半数以上は生きており、兵士たちも十分な数が内外に残っている。

 どこかの国や組織が襲ってきたとしても、今回の湊のように準備期間も設けず単機で強襲するでもなければ、ルーカスたちも防衛のための布陣を敷くため、ここを守りきり相手を撤退に追い込むくらいは出来る。

 ならば、今は基地の修繕を第一に考えるべきかと思ったところで、娘のソフィアだけが使える館内放送用のコードが通信に割り込んできたと画面に表示された。

 ソフィアには表示されてから数秒間は通信を繋ぐためのラグだとして話せないと伝えているが、実際は相手が何か突飛な行動を取ったときにこちらで通信を切れるよう、対応出来る時間を設けてあるだけだ。

 今は忙しいので相手がまた何か思い付きの行動を取るのなら、それは後にして欲しいと考えるルーカスだが、機嫌を悪くしたソフィアを宥めるのは非常に時間が掛かるため、しょうがなく放送させる事にした。

 すると、画面に割り込みが表示されて六秒ほど経ってから、館内全てのスピーカーから娘のソフィアの美しい声が聞こえてくる。

 

《館内にいる全ての者に告げます。この度の襲撃事件は収束しました。もうこれ以上の被害が出る事はありません。よって、今後の組織としての方針を話し合うため、幹部はシェルターに逃げている者も含めて今すぐ全員一階“福音の間”へと集まりなさい。他の者は引き続き被害状況の確認を行うように》

 

 福音の間とはパーティーなどで使われる事もある大きなホールとなった部屋だ。そこにはソフィアのみが座る事を許された玉座があり、幹部たちは女王の機嫌を損ねぬようにしながら余興で彼女を喜ばせてきた。

 自分の娘ながら我儘に育て過ぎたと思わなくもないが、今のソフィアは力を持っているせいで父親であるルーカスも下手に怒る事が出来ない。

 元はただのホールだったというのに、過去に異国の王族が使っていた玉座を手に入れて設置したのも、豪華なシャンデリアや絵画を置いたのも、全ては彼女の機嫌を損ねぬように必死に命令に従ったに過ぎない。

 今回の放送もそのときと同じく“命令”の意味が込められているのだろうとして、ルーカスは司令部を離れる事に不安を覚えながらも、部下たちに被害状況の確認を進めておくよう伝えて、ソフィアの言う通りにすぐ福音の間を目指す事にした。

 

***

 

 司令部から福音の間へと移動したルーカスや他の幹部は、部屋に到着するなり玉座に座っている人物を目にして驚愕する。

 本来ならば、そこには上質な黒いドレスに身を包んだソフィアが座っていなければならない。

 しかし、その少女は昼間とは異なる紫紺色のドレスに身を包んで、僅かに顔を強張らせながら玉座の横に立っていた。

 そして、彼女が座っているべき玉座には、冷たい瞳をした隻腕の青年が堂々と足を組んで座っている。

 相手はどう見てもここへ攻め込んできた人物だ。カメラの映像で見た姿と異なっている点があるとすれば、それはあったはずの右腕がなくなっていることだとか、髪や身長が異常に伸びていること。また、大人びてはいたが中性的で少年や少女と呼べそうな若干の幼さを残していたはずの顔が、視線を向けられただけで心拍数が上がるような、憂いを帯びた麗人ともいうべき大人の顔付きになっていることなどが挙げられる。

 後から来た者たちも同じように驚愕していることから、ルーカスは集団の中から二人の前へ進み出ると、どうして死んだはずの人間がここに我が物顔で座っているのかを尋ねた。

 

「ソフィア、一体どういう事だ。何故、この男がここにいる?」

「控えなさい。王の御前です」

「なっ、王だと?」

「全員が集まれば話しをします。それまでは下がっていなさい」

 

 玉座の置かれた壇上に上がってこようとするルーカスを、ソフィアは下がれと言って拒んだ。

 彼女の視線は父親に向けるものではなく、まるで親の仇を見るように酷く冷淡で敵意すら混じっているように感じる。

 機嫌が悪く構成員や女中を八つ当たりで殺したときですら、今のような態度を父親であるルーカスに取った事はなかった。

 何があって、自分こそが世界で最も優れた存在であると信じていたソフィアが、他者を王として崇めて自分が従者のように控えているのか分からない。

 けれど、今のソフィアを悪戯に刺激しない方が良いと判断した幹部たちは、全員が集れば説明があるのだからと大人しくしている事にした。

 それからさらに十分ほどしてからようやく幹部が全員集まった。途中で従者や女中が何人か入ってきて机と数枚の書類を置いて行ったが、それが何の紙であるか見えなかったルーカスは、湊に一礼してから一歩前に出て話し始めたソフィアに視線を注いだ。

 

「まず、わたくしは貴方がたの質問全てに親切に答えるつもりはありません。既にやるべき事は決まっていますから、貴方がたには言う通りにして頂きますわ」

 

 集まった幹部たちを見つめるソフィアの表情はどこか怯えていて、さらに瞳には何か鬼気迫るものが宿っている。

 自信家で怖い物など何もないとばかり生きてきたソフィアを知っているだけに、他の者の疑問は余計に膨らむばかりだ。

 

「では、お父様。お父様にはトップの座を明け渡して頂きます。久遠の安寧もEP社もどちらも今後はわたくしがトップを務めますわ。そのための書類も用意させましたから、いまこの場でサインをしてください。これだけの幹部が集まっていれば、承認も簡単でしょうから」

「そ、そんなこと出来るはずないだろう! ソフィア、何があったのかを言いなさい。その男に脅されているのか?」

「やるべき事は既に決まっていると言った筈ですわ。トップが交代次第、我々は仮面舞踏会の傘下に入ります。そして、盟主として小狼様をお迎えして、小狼様にはEP社の最高顧問に就任して頂くまでが現在決定していることです。組織としての表の顔はわたくしがこなし、小狼様が裏の顔として実質的な運営を行っていく。これが久遠の安寧の新たな体制です」

 

 ルーカスの質問を撥ね退け、ソフィアは壇上のすぐ前に置かれた机に書類を置いてサインするよう促してくる。

 だが、湊は組織を潰そうとして過去最大の被害を齎した人間だ。そんな男の傘下に入り、表の企業であるEP社の方にまで影響がいくとなれば素直に頷く事は出来ない。

 他の幹部たちも口には出さないが、顔にはありありと不満と疑念の色が浮かんでいる。

 そんな幹部の様子に加え、既に決定事項だと言ったにもかかわらず、中々父親が動こうとしないことでソフィアは苛立ちを見せているが、そのとき今まで黙っていた湊が口を開いてきた。

 

「……ソフィア、先に幹部共に承認書を書かせろ。必要なのはEP社の新たなトップをお前にすることと俺を最高顧問にするという幹部の承認だけだろ。ここに集まっている全員が承認すれば椅子にしがみ付いている無能の意見など関係なくなる」

「分かりました。では、他の方はこの承認書に署名をお願い致します。組織内の人事についてはわたくしと小狼様の事以外はそれほど変更はありませんから、どうぞご安心を」

 

 ルーカスに近い場所に置かれた物とは別の長机に、ソフィアは数枚の書類と万年筆を等間隔で並べていく。そこに書かれているのは、EP社及び関連企業の総帥としてソフィアを、オブザーバーである最高顧問に“小狼”を新たに迎え入れる事を認めるという内容だ。

 書類の上半分には上記の内容が書かれているが、下半分には数十名分の署名欄があり、ここに集まった幹部全員が書けるだけの枚数は用意してある。

 自分の父と同じように書き渋る者もいるかもしれないと思ったソフィアは、新体制ではトップが替わりオブザーバーが就くだけと伝える事で、お前たちの守りたい椅子は無事だから安心しろと言外に告げた。

 もっとも、現トップはルーカスであり、ルーカスとはそれなりに長い付き合いがあることで、金や権力に汚い者たちでも自分から動く事は出来ない。

 ここで真っ先に動いてしまえば後で何かあったとき、ヤツは強い者にすり寄ってゆく人間だ、などと勝手な事を言われかねない。例え全員がルーカスからソフィアに乗り換えるつもりであっても、完全には信用ならない者らに責める口実を与えたくはないのだ。

 そうして、ルーカスだけでなく幹部たちも動けずにいると、玉座に座っていた湊が立ち上がり一同の視界から消えた。

 突然姿が消えたことでルーカスたちは慌てるが、周囲を見渡す事で湊がいつの間にか入り口の扉の前に立っている事に気付いた。

 ソフィアが近くにいた事で今までは何も出来なかったが、この誰もいない位置ならば殺す事が出来る。同じように考えた幹部数名はスーツの内ポケットに手を入れ、拳銃を抜こうとした。

 だが、そのとき部屋にいる幹部全員が自分の首を何かの液体が垂れている事に気付く。いまの季節は冬で、部屋には暖房もついているが汗を掻くほどではない。

 ならば、これはなんだと嫌な予感がしながら触れてみれば、触った手には赤い血がしっかりと付いていた。

 自分の首から僅かとはいえ血が垂れていることに幹部たちは驚く。さらに周囲に目をやれば、自分だけでなく他の者たちも同じように首から一筋の血を垂らしていた。

 何が起こったのかは分からない。けれど、この原因を作ったのが全て湊である事だけは全員が理解出来た。

 自分たちの理解を超えた存在であり、佇むだけで目を奪われてしまう美貌を持ちながら、敵対する者には得体の知れない不気味さも同時に感じさせる青年は、酷くつまらなそうにしながら言葉を紡ぐ。

 

「……お前たちが俺とソフィアの側に付くこと自体にはそれほど抵抗がない事は分かっている。ただ後で責められる口実を作りたくなくて躊躇っているんだろう。だから、俺は一瞬で全員を殺せるだけの力を見せた上で、脅してお前らに署名をさせよう」

 

 そう言った湊は再び一瞬で姿を消すが、今度は玉座に近い場所に現れ、机の近くにいた幹部数名を指差して書類の前まで来るよう命じた。

 

「殺されたくなければ署名しろ。十秒待つので、その間に決断するといい。他の者も同じだ。殺されたくなければ列を作って待っていろ。署名が終われば通達が済むまで部屋の中で大人しく待機だ」

 

 一瞬で全員の首に傷をつけて回ったことから実力は本物だ。相手は命令に従わなければ文字通り一瞬で幹部らを殺す事が出来る。

 さらに、言う事を聞かなければ殺すとまで言った。ならば、指名を受けた者も列を作って待っていろと言われた者も、“殺されたくない”ので署名をしなければならない。

 

「……ルーカス殿、悪く思わないでください」

「我々も死にたくはないのです」

「今までも影の最高権力はソフィア様でした。それが公的にもなるだけで、これ以上の被害が出ないのであれば受け入れた方が得策でしょう」

 

 十秒などあっという間に過ぎてしまう。指名された者たちや後ろで列を作る者たちは、ルーカスに詫びや慰めの言葉をかけながら次々と署名をしてゆく。

 その間に玉座に戻った湊へソフィアが深々と頭を下げているが、手間をかけさせられた事など気にしていないと手で制して頭を上げさせている。

 元々、権力や金で繋がっているだけの幹部はまだしも、自らを神に選ばれた存在だと言っていた娘までもが相手を王として崇めている。

 自分が何十年もかけて積み上げてきた物が、たった一夜の内に奪われようとしている事に、ルーカスは怒りを超えて憎しみと殺意を抱いた。

 けれど、命懸けの特攻をしかけたところで、仙道を葬った化け物相手には一矢報いることすら出来ないのは分かっている。

 故に、黒い感情を胸の内に渦巻かせながらも、どこか諦観した様子でルーカスは目の前に置かれた書類にサインした。

 幹部らの署名が終わる前に自分の父親がサインしたことで、娘のソフィアは安堵の息を吐いている。

 いくら凡人程度の能力しか持たない者でも父親は父親だ。昔ほど大した思い入れはないが、まったく情がない訳でもない。

 あのままサインせずにいれば、幹部の承認を受けて強制的にトップの座から引き摺り降ろす事になっていた。

 ここで反論を許さず進めているのも結果的には同じ事ではあるが、ルーカスが娘のソフィアに代表を譲る意向を示さねば、公的には代表のリコールがあって降ろされただけになってしまう。

 組織がここまで大きくなったのは、ルーカスが様々なコネを駆使して奔走したからでもあるので、最後に余計な汚点を残して代表を辞めさせるのは流石に気の毒だった。

 無事にルーカスもサインしたことで、幹部たちも何の憂いもなく署名を続け、始めてから三十分ほどでようやく最後の一人まで書き終わった。

 書類をぱらぱらと捲って確認したソフィアも満足げに頷き、それらを束にすると従者を呼んで机と書類を回収させる。

 EP社及び関連企業の手続きだけでなく、メディアや地下協会に対する対応に関しても先に伝えていたのか、従者は回収前に再度の確認を取っただけで去って行った。

 手続きと発表が全て終わるまでは幹部たちはこの部屋から出る事は出来ない。

 そちらは署名に費やした三十分程度では済まないことは容易に想像できるので、幹部たちは時計を確認しつつ小さな声で話していた。

 小さい声ながらも、王の前で断りなく話していることでソフィアは眉を顰めて何かを言おうとしているが、その王自体が興味なさげに残った左手で器用に本を読んでいるので、本人が良いのであれば敢えて口を挟むまいとソフィアは湊の傍に控えておくことにした。

 そうして、従者が去ってから二時間後、ようやく全ての手続きが終わったと従者が一枚の書類を持って現れた。

 

「ソフィア様、小狼様、全ての手続きが終わりました。現在、メディアなどから問い合わせや取材の許可を求められていますが、そちらはどのように致しましょう」

 

 その書類は先ほどの承認書が正式に受理され、ソフィアがグループ全体の総帥に、“小狼”が最高顧問に就任すると決定した旨が書かれている。

 EP社は大きな組織ではあるが、経営方針などは全て久遠の安寧で決めていたので、表の会社だけに所属している幹部からも特に意見などは出ていないようだ。

 ならば、会見など面倒でしかないので、ソフィアは時間が出来ればいくつかの取材に応じるつもりではあるが、今現在は組織再編で忙しいので全て受け付けないと答えるように指示する。

 

「当分は無駄な事に時間を割いている暇はありません。発表した事が全てだと答えて断りなさい。EP社に関しては引き続き現在の業務を続けるよう通達を」

「かしこまりました。小狼様からは何かありますでしょうか?」

「……特にない」

「分かりました。では、失礼致します」

 

 丁寧な仕草で去ってゆく従者を見送りながら、幹部たちは湊とソフィアの次の行動に注意していた。

 既にこの子ども二人が久遠の安寧とEP社のトップになってしまったのだ。以前から逆らう事など出来なかったが、アパテーという異能を宿したソフィアを超える存在がさらに現れたことで、一同は下手な行動を取る事が出来ない。

 そもそも、ソフィアは千里眼とアパテーの魔法という力を示してはいたが、それ以外は特に何か特殊な力を持っている様子はなかったのだ。

 だというのに、湊は空間転位のような能力だけでなく、読心能力に物体を消失させる謎の能力まで持っている。

 宿る存在によって能力が異なるにしても、元々達人クラスの戦闘技能を有している湊がそれらを持てば、ここにいる人間たちはソフィアも含めて逆らう事など出来る筈もなかった。

 よって、全ての手続きが終わってからも相手の指示を待っていると、一同を代表するようにソフィアが湊に尋ねる。

 

「小狼様、この後はどう致しましょう? お休みになられるのであれば部屋を用意させますが?」

「……先にゴミ掃除だ。ソフィア、アパテーを使ってこいつらを全員殺せ」

『っ!?』

 

 青年が言葉を発した瞬間、幹部たちだけでなくソフィアも目を見開き驚愕する。

 彼は命を保障する代わりに署名しろと言っていた。ソフィアも同じように聞いていたので、何故、今になって青年が考えを変えたのかが分からない。

 突然の命令に理解が追いついていないソフィアは、困惑しながら相手の真意を尋ねる。

 

「しゃ、小狼様? この者たちが何か気に障る事を致しましたでしょうか?」

「いや、こいつらは要らないと思っただけだ。殺しても問題ないだろう?」

 

 凍てつくような冷たい瞳で返しながら、湊はさっさと殺せと促してくる。

 確かに湊にとっては不要かもしれないが、ソフィアにすればその中に父親も入っている。

 また、彼らの持つコネクションは馬鹿に出来ない。ただ殺すよりも使い潰してやった方が湊にとってもいいはずだ。

 動揺を完全に消せぬまま、それでもすぐに伝えねばならないと、ソフィアは玉座に座る相手に近付き改めて自分の考えを伝えた。

 

「小狼様、この者たちの持つコネクションは十分に利用出来ます。我々の主な産業は医療と軍事ですが、そのコネクションを利用すれば、その他の産業に進出する事も容易です」

「……だから生かしておくべきだと? なら、お前が死ぬか。こいつら程度の代わりも出来ないならわざわざ生かしてやった意味がない」

 

 自分が死ぬかと言われたとき、ソフィアは心臓が一瞬止まったかのような錯覚を覚えた。

 あれだけ恨んでいたというのに、湊は直前になってソフィアを殺さずに生かすことを選んだ。

 いつ相手の気分が変わって殺されるか分からないものの、駒としてだろうが、女としてだろうが、使える内は傍に置いてもらえる上に命を保障される。

 しかし、それでも父親を自らの手で殺すのは躊躇われた。なんでもすると言って、既に心だけでなく身体も湊には捧げた。それでもゲーム感覚の遊び半分で殺してきたことしかないソフィアにとって、自分と親しい者を殺すには覚悟が必要だった。

 だが、影時間に殺されかけたときの事を思い出し、さらに親しい者を殺めることを想像して顔を青くして震えるソフィアに、青年はよく通る声で静かに問いかけた。

 

「――――なぁ、ソフィア。お前は使える人間か?」

「わ、分かりました」

「や、やめろソフィア。やめてくれ?!」

 

 主の言葉によってソフィアの瞳に力が戻ってくる。身体はまだ震えているが、心は既に決まっているようで彼女の頭上で水色の欠片が回転を始めた。

 それを見たルーカスや幹部たちが怯えながら制止の声をかけるがもう遅い。逃げ出そうと扉に向かってゆく者も射程内に収め、ソフィアは声を張って命じた。

 

「アパテー、マハガルーラ!!」

 

 叫ぶような声で命令を受けて呼び出されたアパテーは、水晶を光らせ広範囲を疾風魔法で蹂躙してゆく。

 父親も、よく挨拶していた幹部の男も、自分の趣味に合うドレスの仕立屋を教えてくれた女も、絶叫を上げながら首や四肢をあらぬ方向に曲げながら血を吐いて倒れてゆく。

 

「うわぁぁぁぁっ!?」

「ソフィア様っ、ソフィアさまぁぁぁぁっ!!」

「嫌だっ、死にたくないっ」

 

 一度の攻撃では全員を殺せないと思えば、さらにガルダインで直線上にいる者を一纏めに壁に押し付け圧殺する。

 煌びやかな内装でこの屋敷の中でも最も上等だったホールは、全ての風が治まったときには見るも無惨な血の海になっていた。

 むせ返るほど濃密な死臭にソフィアは吐き気が込み上げてくる。けれど、王の御前でそのような醜態をさらす訳にはいかないと耐えていれば、表情一つ変えずに惨殺劇を見ていた湊が口を開いた。

 

「……よく父親を殺せたな。そこまで生き汚いと逆に尊敬するぞ。ああ、吐きたいなら勝手に吐いていい。別にお前の生理現象なんか制限した覚えはない」

 

 お前が殺せと言ったんだろうとソフィアは思わず相手を責めたくなる。

 自分は父親を殺したくなどなかった。母親の記憶など欠片もないが、父親は遺伝子操作を受けた成功体としてだけでなく、血の繋がった娘としても愛してくれていた。

 アパテーという力に目覚めてからはやや疎遠になっていたが、それでも親子らしい付き合いも一応はしていたのだ。

 だが、命令を受けたなら殺さなくてはならない。どう言われようと絶対に死にたくないから。

 湧き上がった怒りと殺意を静めてソフィアは笑みを繕い、相手の気遣いらしき物に礼を返す。

 

「い、いえ、大丈夫です。お気遣い感謝いたしますわ」

「そうか。従者たちにここの掃除をするよう言っておけ。それが済めば休んでいい」

「小狼様はどちらでお休みになられますか?」

「当分はここにいるから気にするな。俺がいても気にせず掃除をして構わない」

「分かりました。お部屋が必要ならばお申し付けください。不要ならばわたくしの部屋をご自由に使って頂いてかまいませんので」

 

 そう言って最後に失礼しますと告げるなりソフィアは部屋を出ていった。

 

***

 

 部屋の掃除に関して相手はしっかり伝えたらしく、ソフィアが出て五分も経たずにやってきた従者や女中たちは、部屋の惨状に顔を青くしながらも湊に一礼して掃除に励んでいた。

 死体の肉や骨に身に付けていた衣服に装飾品、集めたそれらを大きな容器に入れて運び出し。血をせっせとモップや高圧洗浄機を使って落としてゆく。

 途中で魔眼とナイフを使って血溜まりを消してやったが、それを含めても大勢で手分けしながらやったにしろ、数百人分の死体処理は三時間にも及んだ。

 けれど、従者たちの頑張りもあったことで、全てが終わったときには血の匂いもほとんどしない煌びやかで豪華なホールに戻っていた。

 誰もいなくなったホールで独り玉座に座りつつ、残った左腕を同じく残った左眼で見ながら湊は考えに耽る。

 

(……戦争には勝った。ただ復讐で終わるだけではなく、今まで俺が持っていなかった“権力”と“組織”を手に入れる事が出来た)

 

 個として最高の力を持ちながらも、湊が活躍するのは戦闘に関わる事ばかり。

 政治に経済など、テーブルについて話し合うものに関しては、そもそもテーブルにつく権利すら持っていなかったのだ。

 しかし、今回の件で湊は事実上トップだったソフィアを押さえた事により、彼女を利用しつつ組織だけでなく自分の社会的地位も獲得する事が出来た。

 マイナスをゼロに戻すための戦争だったが、終わってみればプラスと見る事も出来ると言うのは結果的に良かったと思うべきなのだろう。

 イリスの死は今でも悲しいし、殺したソフィアと殺される原因となった自分自身を赦す事は出来そうにない。

 それでも、血に目覚めたことで海外に行く前よりずっと強くなれた。神降ろしもどうにか回避することに成功して記憶も戻ってきた。旅の終わりとしては十分に及第点と言える。

 ただし、それらは肉体の欠損と“ペルソナ能力の消失”に目を瞑れば、の話しではあるが。

 

(影時間の終了と同時に黒い右腕が消えた。そして、自分の中にいたペルソナの存在を感じなくなった)

 

 影時間中に右腕になっていた影は影時間の終了と同時に消えてしまった。

 それだけでなく、タナトスやアベルなど自分で目覚めたペルソナだけでなく、茨木童子たち自我持ちのペルソナも含めて全てのペルソナの気配が自分の中から消えていた。

 ソフィアが風呂に入って着替えている間に召喚を試みたが結果は不発。どれだけやっても存在を感じ取ることすら出来なかった。

 

(飼い慣らしてもいない蛇神を無理矢理に引き出した代償か。あのときの召喚光は赤と黒、普段の水色と白とは対極だ。つまり、資格もない状態で呼び出したことで、正負のペルソナで対消滅を起こしてしまったんだろう)

 

 エネルギー残量の関係でペルソナをほとんど呼び出せない状態であったはずなのに、蛇神を呼び出してから影時間終了までは右腕とペルソナを使う事が出来ていた。

 あのエネルギーがどこから齎されたのか謎だったが、ペルソナ達が蛇神と共に消えてゆくまでの僅かな間に能力を使わせて貰えただけだったらしい。

 幸いなことに時流操作や魔眼に読心などは健在だが、適性だけ残って肝心なペルソナ能力を失ってしまうなど馬鹿にも程があると湊は自嘲的な笑みを漏らした。

 

(まぁ、アイギスのパラディオンは残ったから、彼女に返すまではパラディオンで戦えるか。自分の能力の特性と彼女に助けられたな)

 

 さらに幸運なことにアイギスのパラディオンは湊のペルソナではないため消滅せずに残っていた。そちらは自由に召喚とカード具現化が可能だと確かめているので、アイギスに返すまでは無能力にならずに済むと安堵の息を吐く。

 湊が失ったのは自分のペルソナではなくペルソナ能力。能力自体が消えたのでベルベットルームで再召喚して貰ってもペルソナは消えていってしまう。

 しかし、アベルの能力で奪ったペルソナは、ペルソナ使い以外でも召喚する事が出来る特性を得る。

 契約者の鍵の具現化や、エールクロイツの機械類を操るための力を纏うことは今でも出来るので、自分の中にありさえすればカードの具現化も可能と知り、湊はアイギスに小さく感謝した。

 そうして、独りよがりな願いと復讐のために暴走し大勢に迷惑をかけた青年は、戦いの果てに力を失ったことで自身の愚かさを嗤い。座る玉座の冷たさから空虚な想いを感じるのだった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。