【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百九話 帰国

12月23日(土)

夕方――スイス・チューリヒ空港

 

 地下協会をはじめとして、EP社の方からも正式にソフィアの総帥就任と小狼の最高顧問就任が発表されてから約三日が経った。

 つい先日まで幹部が正体不明の男に殺され続けていた中でのニュースに、世界中は一体何が起こったのかと関心を寄せていたが、EP社からは犯人は前総帥と幹部に恨みを持つ人間だったため、彼らは責任をとって退陣したと答えたきり取材には応じなかった。

 けれど、裏世界の事情にも通じている人間にすれば、仮面舞踏会の小狼が久遠の安寧に単独で戦争を仕掛けたのはあまりに有名だった事で、名切りの鬼が一人で裏界最大組織を陥落させたと瞬く間に情報は駆け巡った。

 出来る限り久遠の安寧の力を削いで湊が死んでくれる事に期待していた国聯も、このニュースには驚きを隠せず、考え得る中でも最悪の事態が現実になったと悲観している者も多い。

 とはいえ、湊の関係者にすれば色々と訊きたい事はあるが、相手が無事で良かったと一先ず安心した事は確かだ。

 湊からは二十二日の昼頃に一度「スイスに寄ってから日本に帰る」とチドリやヒストリアに連絡があり、その後は何を送っても返信はなかったが、ヒストリアはアメリカにいた父親にも連絡を入れて、そこから傍にいたナタリアから蠍の心臓にも連絡がいったことにより、チューリヒ空港の要人用ゲート近くのロビーには湊の知り合いとプラスアルファが集まっていた。

 集まっているのはヒストリアに水色のワンピースを着せられ機能停止したまま車椅子に座るアイギス、それを押すヒストリアたち一家と湊の経過を気にしていた医者のシャロン、アドルフ経由で連絡を聞いたナタリアと私兵たちに、国聯事務総長のボリスと護衛としてヴォルフの街で湊に救われた国聯軍の兵士たちの一部とかなりの人数に上っていた。

 ベレスフォード家と蠍の心臓については理解出来るが、どうして湊を殺そうとしたボリスと国聯軍の兵士がここにいるかというと、ボリスが久遠の安寧を下した少年と是非会ってみたいとアドルフとナタリアに話したからだ。

 小狼名義とはいえEP社という世界的グループ企業で役職を得た湊は既に一仕事屋ではない。

 今回のような大事件を起こしたら国聯も動くかもしれないが、そうでなければそう簡単に手出しされる事はないのでどうか安心して欲しいと言ったボリスを、どこかおっとりとしたアドルフが結局連れてきてしまった。

 今まで影で生きてきた者にとって姿を見られること自体大きな問題なのだが、その事をナタリアが言えるはずもなく、それぞれがグループごとに分かれながら、全員が大人しく久遠の安寧の自家用機が来るのを待っていた。

 そうして、詳細な到着時刻を知らされていなかったことで待つ事二時間。決して小さくはない久遠の安寧の自家用機が着陸してきたことで、一同はタラップを使って降りてくる人影がロビーに入ってくるのを待った。

 

『……っ!?』

 

 エスカレーターを上がってフロアに到着し、ゲートを潜ってロビーに現れた湊の姿を見て、彼を知る者たちは言葉を失う。

 右目を失った事まではヒストリアたちは知っていたが、さらに右腕がなくなっているだけでなく、髪と身長が一気に伸びて顔付きから残っていた幼さが消えていた。

 湊の斜め後ろを従者のようについてゆくソフィアに関しても驚きだが、変わり果てた姿で近付いてくる湊に、レベッカは茫然としながら声をかけた。

 

「ア、アンタ、その眼と腕……」

「……流石に建物一つを倒壊させて殺しに来るとは思ってなくてな。右腕はそのときに瓦礫の下敷きになった。右眼はヴォルフを去った後に雪山で熊に襲われて抉られた。まぁ、そっちはヒストリアたちも知ってる」

「ふふっ、この三日ほどで随分と背が伸びましたのね。お顔付きもより美しくなられたようで、お話しするだけで照れてしまいますわ」

 

 二人が話しているところへ、車椅子を押したヒストリアがやってくる。

 彼女も湊の腕がなくなったことを気にしていない訳ではないだろうが、本人がどうでも良さげにしているため、あえて触れずに見た目の変化についてのみ感想を述べたのだろう。

 大人たちは彼女らよりも複雑な表情を浮かべて話しかけて来ないが、医者であるシャロンは患者がさらに容体を悪化させているのを見て、どこか呆れ気味に声をかけてくる。

 

「あんた、右眼だけじゃなく利き腕まで失って今後はどうやっておまんま食べていくんだい? てか、EP社に就職したんだっけ?」

「俺は両利きだ。それに生涯年収くらい既に持ってるから金の心配はない」

「あっそぉ。んー、でも必要なら機械義手つくってあげようか? そのお嬢さんとお揃いので良ければさぁ」

 

 そういうシャロンの視線は機能停止したアイギスに向いている。元々、シャロンは義肢製作を行っていたので、アイギスの腕を修理したことで彼女の高性能は腕部パーツを作れても不思議ではない。

 別に片腕がなくとも構わないと思っていた湊も、あればそれにこした事はないので、EP社の技術を利用しつつ製作を依頼する事にした。

 

「作れるのなら頼む。必要な施設や機材があればEP社に用意させる事も出来るから、俺の連絡先を教えておこう」

「ていうか、あんたのとこに行ってやろうかぁ? そっちの医療と軍事の技術ってすごいらしいじゃない。開発資金もたっぷりなら今非常勤だし雇われてやってもいいわよぉ」

「……ソフィア、こいつの事は知ってるか?」

「シャロン・J(ユング)・オブライエン。インドの血も混ざっているようですが、ドイツ系アメリカ人の医療技術開発者ですわね。元々は神経内科の分野で優れた功績を残していたはずですが、外科医や義肢製作者としても知られています。本人の奔放な性格で医学界から異端児扱いは受けていますが、能力を考えれば雇って損はないかと」

 

 功績を残し、高い技術を持っておきながら、何故か非常勤でいることに疑問を覚えたが、本人が奔放な性格をしているのならあり得るかと湊も納得する。

 企業経営も行ってきたソフィアも業界の著名人として相手を知っているようなので、雇うこと自体はなんら反対する気はない。

 ただし、湊がソフィアから話しを聞いている間に、白衣のポケットからメジャーを取り出し腕の採寸を測るのは如何なものかと、湊は訝しむ視線を相手に向けて口を開く。

 

「……雇うのはいいが採寸は先に一声かけろ」

「はいはーい。ああ、うちの研究室に助手が一人いるからそいつも連れて行っていいかしらぁ?」

「ああ、詳細はまた後で伝えるが、先に言っておくと勤務地は東京だ。助手にもそう伝えておけ」

「りょうかーい。んじゃ、採寸も出来たし神経接続部をちょいと作らないといけないけど、来月中には出来るから待っててねぇ」

 

 言うだけ言ってシャロンは離れてすぐに電話で話し始めた。きっと助手とやらに義手製作や新しい就職先について伝えているのだろう。

 一ヶ月で神経と繋ぐ部分まで作れる技術は驚きだが、駄目でも大して気にするつもりはないので、湊は近付いてきていたナタリアの方へ向き直った。

 

「随分と酷い姿になったわね。復讐は完遂出来たのかしら? そちらのお嬢さんを連れている時点で、私たちにはボウヤの考えていることが分からなくなったわ」

「……痛み分けってところだ。代償は払ったが得る物もあった。俺はイリスともあんたとも別の道をゆくと決めたんだ」

 

 青年の話す二人とは別の道がどのような道なのかは分からない。湊の精神の在り方は幼少期から一般とは逸脱していたのだから、当然、今回も同じように悪い方向にシフトしている可能性がある。

 けれど、本人も言った通り、海外での活動は湊に多くの物を与え、また失わせてきた。

 本人が平和な世界にいさせたいと思った少女を戦場へと駆り出す原因を作ったこともあれば、少女に刀と銃を向けて戦いもした。

 いくら無茶をする人間でも、再び大切な少女を人同士が殺し合う戦場には向かわせないため、今後は暴走とも取れる行動は自粛するに違いない。

 ナタリアは相手がただ無茶はしないと言っても信じないが、湊がアイギスらを大切に思っていることは認めているので、少女らに免じてここは信用しておく事にした。

 

「……そう。なら、せいぜい今後は周りに心配かけないように気を付けることね。貴方が窮地に立てば、貴方以外が代償を払ってでも助けようとするんだから」

「ああ。それで、何故ここに国聯の人間が?」

「事務総長が貴方に会いたかったらしいわ。他の兵士はその護衛よ」

 

 最初から国聯軍の兵士がいることが気にかかっていた。今さら相手が自分を殺せる訳がないとは思っていたが、それでもいる理由は気になる。

 ここ二、三日は久遠の安寧の本拠地で食事と睡眠も取っていたため、湊はペルソナを除く能力は十全に使えるまで回復している。

 余計な動きを見せればすぐ対処できるよう構えながら、ナタリアに紹介されて歩み寄ってきた男を湊は高くなった視点から見下ろした。

 

「はじめまして、ミスター小狼。私はボリス・ヴィクトロヴィチ・アスモロフ。今回は君に兵士の命を救ってもらった礼を言いに来たんだ。命を狙ったというのに助けてくれてどうもありがとう」

「……助けたのはついでだ。次に狙ってくれば全員殺す。命令を下したお前らごとな」

「ははっ、こちらとしても君と敵対しない事を祈っているよ」

 

 ボリスは楽しそうに湊を見ながら笑っている。離れた位置に待機している兵士らは湊に向けて敬礼しており、きっと助けたことに対する感謝のつもりなのだろう。

 けれど、こんな者らに付き合っていても時間の無駄でしかない。話しを早々に切り上げた湊は、ヒストリアからアイギスの乗る車椅子を受け取って、補給が済み次第ここを発つ事に決める。

 

「ヒストリア、アイギスを連れて来てくれてありがとう」

「これくらいお安い御用ですわ。それと、こちらを小狼様にお渡ししようと思っていたんです。どうか受け取ってくださいまし」

 

 笑顔のヒストリアが小さなハンドバッグから何かを取り出し渡してくる。

 それはネックレスのようだが、一体何で出来ているのかと観察したところで、ようやく素材が熊の爪であることに気付けた。

 天然石の群青色ビーズとデザインメタルビーズを規則的に並べて通し、ビーズの列と交互になるようによく磨かれ紐を通せるよう加工された黒い爪が五つとも配置されている。

 良家のお嬢様がお守りアクセサリーのために熊爪を入手するとは思えないので、これはきっと湊が殺した熊の爪で出来ているのだろう。

 しかし、どうして両手分ではなく片手分しか爪がないのかが気になる。差し出されたネックレスを受け取りつつ、湊は相手に尋ねた。

 

「片手分しか取らなかったのか?」

「いいえ。右手の分を小狼様に、左手の分をアイギス様にお渡ししましたの」

 

 説明するヒストリアはアイギスの着ているワンピースの襟元を僅かに広げて、服の中に仕舞っていた同じデザインのネックレスを出した。

 サイズ以外に違いがあるとすれば湊の方が群青色の石であるのに対し、アイギスの方は黄色の石を通してあるところくらいか。

 色が異なることにも意味があるのだろうと湊が推測していると、ヒストリアはアイギスのネックレスを仕舞って襟元を整えながら笑顔で話してくる。

 

「小狼様の物にはラピスラズリを、アイギス様の物にはアンバーを通させていただきました。どうかお二人を守ってくださるようにと」

「……そうか。一応、貰っておこう。俺はこのまま日本に戻る。機会があればまた会おう」

「はい。どうかお元気で」

 

 嬉しそうにしている作った本人に見られながら、受け取ったネックレスを首にかけて、アイギスに倣って湊も服の中に仕舞う。

 他にここでやらなければならない事はないので、湊は左手で車椅子を押しながらソフィアに声をかけた。

 

「出発の用意は出来ているか?」

「もう間もなく終わる頃かと。行き先は屋久島で宜しいのですね?」

「ああ、屋久島に寄ってから東京の空港に向かう」

 

 このままアイギスを自分の手元に置いておく事も考えた。久遠の安寧の技術を持ってすれば、アイギスのメンテナンス装置を作るくらいは出来る。

 しかし、桐条の最高機密であるアイギスを傍に置いておくのは危険だ。充電したところで彼女はタイマーの設定された二〇〇九年まできっと目覚めない。

 ならば、湊はその間にアイギスと桐条の関係を断ち切れる何かを作ろうと思った。

 迎えに行くのはそれからでもいい。それまでは彼女には戦いのない屋久島で眠っていて貰いたい。

 そう考えて、湊は英恵から聞いていた桐条武治のプライベート携帯へ、日本時間の明日にアイギスを連れてゆくので屋久島の研究所前で待っているようにとメールを送った。

 パソコンなどに送っていれば悪戯として迷惑メールフィルターに弾かれるだろうが、プライベート携帯ならば無事届くと睨んでいた。

 案の定、相手からは君は誰だと問われつつも了承の意を受け取れたので、湊は名を明かさぬまま屋久島の研究所に向かい、ボディの修理のみするよう命じてアイギスを引き渡すつもりでいる。

 相手に会ったときに冷静さを保っていられるかという心配はあるが、補給が終わったという連絡が来たため、湊は集まった者たちに別れを告げながらロビーを離れ、車椅子ごとアイギスを飛行機に乗せると、すぐに出発して屋久島へと向かうのだった。

 

 

12月24(日)

――屋久島

 

 数日前に匿名のメールを受けた桐条は、相手の指定した日付の朝には屋久島に到着していた。

 メールのアドレスには覚えがなく、どこから送信されたものかを調べようかとも思ったが、相手はアイギスの名前と屋久島の研究所について知っている。

 桐条のプライベート携帯に連絡する事が出来、アイギスや屋久島の研究所という機密事項を知っている者などグループ内部を除けば心当たりなど全くない。

 しかし、桐条は不思議な予感を感じていたことで、あえて相手について探ろうとはせず、自分を護衛しようとしていたSPも研究員も全員下がらせ、一人研究所の入り口に近い場所で相手を待っていた。

 

(……彼はここについても知っていたか。アイギスから聞いたのか、それとも独自に調べたのかは分からない。けれど、もしも彼が来るのならグループの者を会わせる事は出来ない)

 

 冷たい風を受けながら佇む桐条の頭を過ぎるのは、今から六年前に起こったエルゴ研の生き残りほぼ全員が殺された凄惨な事件。

 当時小学二年生でしかなかった少年が、ペルソナを使わずに鋭利な刃物で百人以上を一夜で殺したのだ。

 今の相手の力は不明だが、娘と同じ学校で日常生活を送っている以上、自分たちが一度は奪ってしまった彼の日常を壊したくはない。

 故に、桐条は殺される可能性があるからではなく、グループの目が少年に向き過ぎないようにするため、彼と他の者とが接触しないように自分一人で待っていた。

 相手が来る正確な時間は知らされていない。空港に平時と異なる飛行機がくれば分かりやすいが、そんな分かりやすい手段で来るのかも分からないので、桐条はただ相手が来る事を信じて待っているしかない。

 すると、相手を待ち始めて昼を過ぎた頃、その人物は車椅子に座るアイギスと共に他の者の知る姿と大きく異なる見た目となって桐条の前に現れた。

 

(い、一体何があったというのだ!? 彼は本当に百鬼八雲君なのか?)

 

 腰よりも長く伸びた艶やかな縹色の髪、母親である百鬼菖蒲によく似た老若男女問わず魅了する美しい顔立ち、一度研究所で姿を消してから再び現れたときには既に変化していた金色の瞳、それらは学校に通う彼の様子を監視させていたグループの人間からの報告で桐条も把握していた。

 実際のところ湊は一度髪を肩辺りの長さで切っているのだが、その間の姿を桐条やグループの人間は見ていないので、以前とほぼ変わらぬ長さであることで桐条が何も不思議に思わぬのも無理はない。

 しかし、夏に一度帰国したときから十センチ以上も伸びた身長や、どことなく線が細くなり幼さの抜けた顔もそうだが、前髪で隠されていようと右眼に付けられた黒い眼帯に、風で揺れる中身のない右袖がそれら以上に注意を引いている。

 そんな変わり果てた青年に左腕一本で押される車椅子に座っているアイギスも、目を閉じたまま一切動いていないことから、壊れてしまったのか電源が付かない状態になっているのだろう。

 自分たちが姿を見失っていた間に二人に何が起こったのか。そんな疑問を感じつつも、相手が近付いて来るのを見ながら、桐条は混乱する頭をどうにか話せるレベルまで落ち着かせることしか出来なかった。

 やってきた青年は三メートルほどの距離を開けたところで立ち止まり、一切の感情が消えた酷く冷たい瞳で桐条を見つめながら口を開いて来る。

 

「……エネルギーが切れて待機モードになってる。ボディに細かい損傷はあるが大きな破損はない。お前らはそれを直すだけでいい。彼女の記憶は彼女だけのモノだ。お前らが見る必要はないし。身に付けている物も彼女が次に目覚めるまでしっかり保管しておけ」

 

 それだけ言うなり青年は背を向けて去って行こうとする。

 相手がメモリの解析を拒むのであれば、贖罪の意味も込めて言う通りにするのはなんら問題ない。

 下手をすれば桐条グループの人間を殺されるかも知れないのだ。リスクを考えれば相手の要求を素直に呑んだ方がいいに決まっている。

 だが、嘗ての姿を知っている相手のあまりの変わり様に、桐条は去ろうとする青年を思わず呼び止めていた。

 

「ま、待ってくれ八雲君! 君に、君たちに一体何があったんだ?」

「……両親の死の原因を作った一人であるお前が気易くその名で俺を呼ぶな。アイギスに余計な事をしてみろ。お前や研究員だけじゃなく、その家族と友人も全て殺してやる」

 

 呼び止められ振り返った青年の左目が金色から蒼へと変化する。そこに宿るのは測り知れないほどの憎悪。

 睨まれた桐条は蛇のように纏わりつくどす黒い殺意に呑まれ、動く事はおろか呼吸も出来ずただ苦しさと恐怖から額に脂汗を滲ませる。

 これが伝説となった鬼の末裔の力なのか。生物としての格の違いを本能で理解した。

 そうして、興味を失ったかのように相手の視線が外されると、桐条はようやく動けるようになり、全身からどっと汗を噴き出しながら荒い呼吸で地面に膝をついた。

 

「っ……はぁ、はぁ……はぁ」

 

 あのまま殺意に当てられていれば窒息するよりも先に心を壊されていただろう。

 静養する妻の元へ何度も訪れてくれた優しい少年を、これほどの化け物にまで成長させてしまったのは、心と力の制御法を教えるはずの母親を奪ったことが原因に違いない。

 鬼の本来の役目は守護者だ。大切な者たちを守るため、己を殺して敵を屠る。

 けれど、湊は力を持っていなかったが故に守ることも敵を殺すことも出来なかった。

 結果、少年は己を殺して誰よりも貪欲に力を求め、大切な者だけでなく大切な者にとっての世界を守ることに固執し、それを脅かそうとする敵を一切の容赦なく滅ぼすという、極端な愛憎の感情によって動くシステムに近い存在になってしまった。

 七年前の事故で多くの家族を不幸にした事で、グループの犯した罪に対する贖罪に努めてきたが、これほどまでに嘗ての人格が壊れ、心を狂わせてしまった被害者を目にしたことで、自分はまだ何一つ償えていないと思い知らされる。

 

「……すまないっ」

 

 去ってゆく背中に向け、桐条は絞り出す様にただ一言漏らす。

 彼を救う術はない。相手は既に手を血で染めてしまったのだ。取り返しがつく筈がない。

 ムーンライトブリッジで発見した時点で養子にして英恵に預けておけば、お互いにもっと別の未来もあっただろう。

 しかし、初の自然適合型天然覚醒者として発見されてしまった以上、影時間を消しシャドウの脅威から人々を守るため、桐条には私情を挟んで相手を保護する事が出来なかった。

 力に目覚めた以上、遅かれ早かれ相手は影時間の戦いに巻き込まれる。ならば、妻と娘の情が相手に移り戦わせぬよう働きかけてくる前に、最初から死んだ事にして会わせなければいい。

 半年間眠り続けていた少年を調べる事で判明した事はいくつもある。それが人工ペルソナ使いを生み出すことに繋がった事も否定できない。

 七年前の事故は桐条グループの罪だが、それ以降に行った数々の実験は己の罪だ。

 いま生きる者の中で最たる被害者である青年へ、桐条はただ謝ることしか出来ないのだった。

 

 

――桔梗組本部

 

 湊から帰ってくるという連絡が来た事で、チドリと桜は桔梗組本部に戻って少年の帰宅を待っていた。

 イリスが死んでからは一度も連絡が取れなかったのだ。それを相手から再び連絡してきたということは、彼の中では既に連絡を取ってもいい状態になったという事だろう。

 何時の便で帰ってくるだとか、迎えは必要かなどを尋ねたが、今日帰ってくる以外に連絡はなかったので、チドリたちは諦めて家で待っている訳だが、昼を過ぎて時刻は既に三時ごろになっている。

 このまま夜まで帰って来ないのだろうかと考えていたとき、玄関の扉がガラガラと開く音が聞こえてきた。

 他の者が「帰って来た」と口を開くよりも速く反応していたチドリが席を立って玄関へと走ってゆく。

 その様子に桜たちは苦笑するも、早く相手に会いたいのは同じ気持ちだと後を追って相手の姿を確認したとき、あまりに変わってしまったその姿に息を呑んだ。

 少女も同じように驚いているはずだが、驚きを呑み込んで冷静に振る舞いつつ青年に声をかける。

 

「……八雲、その眼と腕はどうしたの?」

「なくなった。眼は攻撃を避け損なって抉られて、腕は瓦礫の下敷きになって潰れた」

 

 言葉を返すと湊は靴をアンクレットに変えて自室へと向かって歩き出す。

 失った右眼と右腕以外にも聞きたい事はある。けれど、相手が勝手に進んでいってしまうので、後を追いながら続けて話しかけるしかない。

 

「ねえ、敵だったやつらが仮面舞踏会の傘下に入るってどういう事?」

「そのままの意味だ。今後、久遠の安寧の人間には俺の駒として働いて貰う」

「そういう意味じゃない! 仮面舞踏会は私と八雲の二人のチームだって言ってたじゃない!」

 

 廊下を進み部屋の前についたところで、チドリは湊の左腕を掴んで止めた。

 腕を掴まれたことで湊は振り返ったが、湊を見つめるチドリの瞳には怒りの色が混じっている。

 後ろをぞろぞろと付いて行くのもあれかと桜以外は応接間の方に戻っていたが、チドリの後ろで二人の会話を心配そうに見ていた桜も湊に話しかけてきた。

 

「うちに来たときにみーくんも話していたでしょう? 実力を付けるまでちーちゃんにお仕事はさせないって言ったときに、仮面舞踏会は二人のチームだって」

「……ああ、そんな事も言ったかもしれないな。でも、もう過去のことだろ?」

 

 言って湊は掴まれていた腕を振り解き部屋へと入る。埃が溜まらないように掃除はされていたようだが、元々それほど物が置かれていた訳でもないので、部屋は綺麗なものだった。

 部屋に入るなり湊は机に向かい。器用に片手で引き出しを開けては中から必要な物を取り出してマフラーに仕舞っている。

 引き出しの中から物を取り出し終わったかと思えば、今度はクローゼットから学校の制服を取り、本棚からは教科書類を取り出して、次々と部屋から物をなくしているのを目にしていた桜は、その様子に違和感を覚えて思わず尋ねた。

 

「み、みーくん? そんなに色々とマフラーにしまってどうしたの?」

「……この家を出ていく。だから必要な物を取りに戻ってきた」

「え、ちょっと待って。出ていくって、急にどうして?」

 

 無事とは言い難いがようやく帰って来たというのに、戻ってすぐにこの家を出てゆくとはどういう事なのか。

 突然の事態に桜も思考が追いつかず、仮面舞踏会の事でショックを受けて固まっていたチドリも再起動を果たして相手に詰め寄る。

 

「仮面舞踏会のことは百歩譲っていいとしても、出ていくってどういう事? 敵を倒して帰って来たんじゃなかったの? ちゃんと説明して」

「……ここにいる必要がなくなった。だから出ていく」

「説明になってない! どうしている必要がなくなったのかを話しなさいよ!」

 

 湊がどこか自分たちの手の届かない場所に行ってしまう不安は以前から抱いていた。

 しかし、本当にここから離れていくことはないと信じていたのに、相手は戻ってくるなり別れを告げてきた。

 ずっと一緒に暮らしていた家族に対し、納得させるだけの説明もなしに出ていくなど認められない。

 おろおろと狼狽える桜と違い、チドリは真剣な表情で湊に説明を求める。

 すると、尋ねられた湊はどこか面倒そうな冷めた表情で淡々と返してきた。

 

「俺がここに居たのはチドリを桐条や外部の敵から守るためだ。だが、俺が一年離れていても問題がなかったことで必要ない事が証明された。敵がくれば勿論守るが、傍にいる必要がないなら一緒にいなくても構わないだろ?」

「本気で言ってるの? 守るとか、必要だとか、そんな義務感だけで一緒に暮らしてきたの?」

 

 相手の言葉がナイフのように深く胸に突き刺さり、チドリは怒りよりも悲しさが心に広がってゆくのを感じる。

 湊が自分を守るために一緒にいてくれている事は分かっていた。しかし、そんな義務感だけの冷たい繋がりではなく、幼馴染や家族としての繋がりもしっかりと存在すると信じていた。

 施設からエルゴ研に移されて家族の愛情を知らずに育ったチドリにとって、湊は勿論のこと桜や鵜飼のことも一緒に暮らしている中で家族だと思うようになっていた。

 表情や言葉には出さないが、いまの暮らしに幸せを感じているし、そんな温かい繋がりをくれた者たちに感謝もしている。

 けれど、ずっと隣にいた相手は自分とは違う気持ちを胸に、これまでの日々を過ごしていたというのだろうか。

 静かに尋ねチドリが答えを待っていると、準備を終えて部屋を出ようとしていた湊は嘲るように口元を歪め言葉を発した。

 

「当たり前だろ。そんな理由がなければ、メリットもないのに俺がお前らと一緒にいるはずないじゃないか」

『……っ!?』

 

 言い終わるなり湊は部屋を出てゆくが、あまりの言葉にチドリだけでなく桜も絶句する。

 信じられない。信じたくない。あの優しかった少年の言葉としてはあまりに違和感だらけで、受け止められないという個人的感情よりも前に不自然さを覚えてしまう。

 だが、確かに親しい者と一緒にいるときでも湊は常にどこか孤独さを抱えていた。

 その原因がいまの言葉の通りであるとするなら、自分たちは家族と共にいるつもりでも、湊にすれば義務感のみで他人に付き合っていたことになる。

 仕事の関係よりももっとドライで、それこそ情を抱く以前の問題だ。

 答えを聞いたばかりだが、すぐには信じられない。チドリと桜は玄関に向かっていた湊を追いかけ、今度は湊が帰って来た時点で感じていた疑問についてチドリは質問をぶつけた。

 

「八雲。貴方、ペルソナはどうしたの? 今の八雲からはペルソナの気配を一切感じない。気配が消えるほどまだ消耗した状態なの?」

「……いや、体力とかは回復してる。ただ、倒壊した建物の瓦礫を消すときに力を使い過ぎたせいで能力を失った。だから、俺はもうペルソナ使いじゃない」

 

 玄関でアンクレットをブーツに戻しながら、湊は何でもないことのように力を失ったと答える。

 しかし、それを聞いたチドリは今まで以上に驚いた様子を見せる。

 湊は力を得るために海外に行っていたはずだ。大切な人を失い。戦うための力を一つ失ったというのに、どうしてそんなにも他人事のように淡々と答えられるのかが分からない。

 何より、ペルソナという心の力をどうやれば失えるのか、力を使い過ぎて能力を失うという部分も含めてチドリは尋ね返す。

 

「そんな、ペルソナは心の力なのよ? それを使い過ぎたから失うなんてっ」

「今まで“絆”を基にした正の力を使ってきたが、俺はそのとき“孤独”を基にした負の力を使った。そして気付いたんだ。枷を外して孤独でいた方が俺は強いって。だから、“絆”はもういらない。俺は独りで再び力を手に入れる」

 

 だが、聞かれた湊は玄関の扉を開けて外に出ながら、独り言のように言葉を紡ぎ出す。

 その言葉に不穏さを感じたチドリは裸足のまま段差を下りて、玄関を出て数歩進んだところで振り返った湊に手を伸ばした。

 

「待って!!」

「今までありがとう。世話になった」

 

 伸ばした手が湊に触れると思った瞬間、湊の姿が消えチドリの手は空を切った。

 前のめりに倒れそうになるのを踏ん張って耐え、チドリはすぐに湊の気配をペルソナで探そうとする。

 けれど、家の周囲はおろか、巌戸台の方まで知覚を伸ばそうとも湊の気配は捉えられなかった。

 悔しそうに拳を握りしめたチドリは、そのまま石畳みの上に座り込み、地面を一度強く殴りつけた。

 

「嘘吐きっ、いなくならないって言ったくせにっ!」

 

 エルゴ研で再会した日の夜、彼はいなくならないと少女に約束した。

 その言葉を信じていたからこそ強くなるために海外へ行く事も許可したというのに、相手は少女の信頼を裏切り去って行ってしまった。

 力を取り戻すためにどこかへゆくのならそう言えばいい。だが、湊は不必要な嘘は吐かない。

 ならば、去るまでに話した事は全て彼の本心から出た言葉なのだろう。

 自分たちは相手の事を何も理解していなかった。相手も自分たちの事を何も理解していなかった。

 その事が心に重くのしかかり、いつまでも座ったままでいるチドリを心配して桜が出てきても、チドリはしばらくその場から動かずにいたのだった。

 

 

 

 


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