【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百十話 それぞれの話し合い

夜――ホテル“クラルス東京”

 

 桔梗組本部を離れた湊は、港区周辺で土地の視察を行っていたソフィアと合流し、目黒区にある超高級ホテルのスイートルームにチェックインしていた。

 部屋に入ってすぐにそれぞれで入浴を済まし、少し落ち着いたところで部屋に食事を運ばせると、二人は同じテーブルで食事をしながら話しをしていた。

 もっとも、話しをしているといっても、基本的にソフィアが湊に視察をした際の事を報告するばかりで、その内容は実に事務的な物に偏っている。

 

「やはり、人工島のポートアイランドだけでなく巌戸台周辺も桐条の影響力が強いです。辰巳記念病院という桐条資本の病院もありますから、干渉を避けるのであれば少し距離を取った場所に建設した方がよろしいかと」

「港区内である方が望ましいが、湾岸部に近いところで押さえられそうな土地はピックアップしているのか?」

「中央区にやや近くなりますが、旧工業地帯と呼ばれる場所の中に工場を閉鎖したままの土地がいくつもありますので、まとめて買い上げれば十分な広さは確保できそうです」

 

 言いながらソフィアはテーブルの端に置いていたノートパソコンを操作し、開いた地図の中から巌戸台の中心部からは北に外れた場所にマーカーを付け、分かり易いよう縁で囲って見せる。

 そこまでして貰わなくとも湊は理解するだけの頭を持っているが、別に丁寧な仕事に文句をつけるほど天邪鬼ではないので、画面を見ながらコップの水に口を付けてから言葉を返した。

 

「旧工場地帯ということは、海から離れた西側の開発が中途半端に行われている範囲か」

「そうです。あの辺りは地盤があまり強くないようで、開発時には残ったままの工場を取り壊すだけでなく、安全面を考慮し地盤改良が必要となります。ですから、地盤が比較的マシな西側の開発ばかりが進み、湾岸部の方は買い手がついていないようです」

 

 説明の最中に地質データの入ったファイルを開き、ソフィアは地図と並べて表示する。

 旧工場地帯の工場は高度経済成長期などに作られた物がいくつもある訳だが、それらの建っている土地は、地震で液状化する恐れがあると表示されているような場所がほとんどだ。

 二人は現在、巌戸台周辺にEP社の研究施設などを作ろうとしているため、そんな土地では運用に支障をきたすと少々考え込む。

 元々、久遠の安寧と共にEP社を手に入れた湊が、海外ばかりに研究所があっては不便だからと、堂々と桐条グループの影響の強い土地の近くにEP社の研究施設などを作ろうと考えてこの計画は始まった。

 ソフィアは恐怖の対象である湊の考えに基本的に反対しないが、湊自身の命令で仕事に関わることで湊の考えや意見に疑問を覚えれば、素直に意図を尋ねるか論理的に反対して欲しいと言われている。

 というのも、いくら様々な知識を有している湊であっても、今まで関わって来なかった企業経営に関してははっきり言って素人だ。

 その点、ソフィアは積極的に久遠の安寧の業務に関わり、自分でもEP社の経営方針などに口を出していたので、土地の違いはあれど湊に対して適切なアドバイスをする事が出来る。

 彼女はここ数日で湊の習得の早さを理解しているため、幹部を数百人失ったことで人手が不足している今、湊にも仕事を覚えて貰った方が企業的に助かると考え、怯えつつも素直に湊の命令通りに意図の確認や反論などを行うようにしていた。

 そして、湊が日本にEP社の研究施設を作ると言い出したとき、初めは急に何を言っているのだと疑問を覚えたりもしたが、言われた通りに意図を尋ねて議論を重ねると、その計画は会社の利益に繋がるとソフィアも納得出来たため、ただ湊が帰国するだけでなく、今回のように別行動を取りつつも二人は施設建設に向けて行動していたのだった。

 

「地盤改良にはどれくらいの期間が必要なんだ?」

 

 旬の魚であるヒラメの身を箸でほぐして摘まみつつ尋ねる湊。

 今回の施設建設には殺した幹部たちが貯め込んでいた私財を使う予定なので、いくら経費が掛かろうとも組織の懐は痛まず、旧工場地帯の全てをまともな土地にしても良いとすら考えていた。

 実際のところ、そんな無駄なことをするなら研究費に回した方が良いので、流石に関係のない土地までは整備するつもりはないが、期間と範囲について自分よりも詳しいソフィアに見立てを尋ねることで、湊は彼女から知識を学ぼうとしていた。

 尋ねられたソフィアも、相手が純粋に知りたがって尋ねた他、得られる知識はなんでも得ようと考え尋ねていることは理解している。

 なので、相手に一般的な知識を伝えつつ、一般的からは外れたEP社の話しも一緒に伝えることで、自分たちの会社についても理解を深めて貰うことにした。

 

「地盤改良だけでしたら一ヶ月もかからないと思います。うちの人間を使えば期間はさらに短縮されますから、建設自体は一月の下旬頃からいけるかと」

「開発はかなり広範囲だぞ。病院、研究施設、それぞれの従業員に貸し出す社員寮も必要になる。研究施設は分野で建物を完全に分ける必要があるため、全体の完成には一年以上かかりそうだ」

「いえ、そこまではかかりません。業者の手配や手続きで本来なら時間が掛かるのですが、我々は全てグループ傘下の者を使えますし。そもそも、周辺に民家はありませんから、わざわざ説明会を開く必要もほぼありません」

 

 EP社を裏で動かしていた久遠の安寧は、大規模な工場を作る際に街一つを作ったこともあるような組織だ。

 国や地方自治体に対する手続きなど、それ専門に扱う部署を設けているため、建設予定地が決まりさえすればすぐにでも動く事が出来る。

 建築物のデザインや細かな設計などは、地盤改良を行っている間にこちらも分担して専門部署に任せれば良いので、大まかな方針や必要な施設の提案を除けば、湊やソフィアが関わるのは細かい部分の話し合いくらいしかない。

 EP社の専門部署をまとめたリストを新たに開きながら、ワインに口を付けてソフィアはさらに話しを続ける。

 

「一月の下旬から基礎工事が始まるとして、過去の工場建設などを参考に考えると工事は六月か七月には終了します。というのも、人数や資材を十分に確保出来るので、全てを平行して別チームに任せる事が出来るのです」

「なら、問題点は一斉に完成する各施設の責任者や従業員の確保か」

「はい。理事や代表はわたくしか小狼様が務めてもいいのですが、やはり規模を考えるとかなりの人間を雇用する必要があります。EP社から派遣するにも限度がありますから、完成が近付いてから募集をかける必要が出てくるかと」

 

 EP社の抱える人材は豊富だが、ヨーロッパが活動拠点だったので従業員に日本人はそこまで多くない。

 研究施設の方は外国人ばかりでもいいかも知れないが、病院の方はやはり患者が日本人であるため、患者の安心感を考えると医者も同じ日本人を中心に集めた方が良いのは確実だ。

 ソフィアがその事を説明してくると、湊はオマールエビのビスクをスプーンで混ぜながら考え込む。

 湊が最初に作ろうと考えたのは病院と義肢や兵器類を開発するための研究施設だ。

 病院は今後増えていくであろう影人間となった無気力症の人間を、大勢収容するための施設が必要だと考え。義肢や兵器類の研究施設は、純粋に自分の義手や戦闘補助に使えそうな物を開発するためである。

 しかし、それだけでは勿体ないので、研究施設には新薬や新たな医療器具の開発を行う部門を用意することになっている。

 従業員の社員寮を作るのは、ただでさえハードな仕事だというのに、通勤で体力を奪われるのも大変だろうという、湊の気紛れな思いやりから生まれたアイデアだ。

 ソフィアはそれを不思議そうにしていたが、職場と家が近ければ緊急時に応援を呼べるので、企業側としてもメリットがあるのなら構わないと最終的に認めている。

 もっとも、従業員の中には仕事帰りに飲みに行くのを楽しみにする人間もいるので、そういった人間からすれば家が近過ぎるのは問題かもしれないが、ここで話し合っている二人も別に強制で社員寮に住まわせようとは考えていない。そこらへんの事情は雇用が決まってから好きに本人が選べばいいのだ。

 スープを混ぜながら従業員の募集について考え込んでいた湊は、ようやく考えがまとまったのか顔をあげると、食事を続けて言葉を待っていたソフィアに話しかける。

 

「それぞれに必要な人数はおおよそ分かるか?」

「病院でしたら入院用ベッドの数を基準に看護師の必要数は大体分かります。ですが、日本はまだ外国人医師の受け入れがあまり進んでおりません。組織には日本の医師免許を持っている者もおりますが、早期開設を望むのなら医者と看護師はほぼ国内から集めると思ってください」

「……やはり制度の壁は面倒だな。まぁ、分かってはいたんだが」

 

 面倒くさそうに湊が溜め息を吐けば、向かいにいるソフィアは苦笑しながら再びワインに口を付けている。

 戦場や知り合いの中で無免許ながらも医療を行っていた湊にとっては、必要なのはお上が発行する紙ではなく本人の持つスキルだという考えがある。

 一流医大を卒業して大病院に勤務が決まった期待の若手よりも、紛争地域で長年無免許でも大勢の人間を治療してきた人間の方が、実績と経験等で圧倒的に勝る分だけ腕も信用し易いのだ。

 それだけに、制度の必要性は分かっていても、海外で多数の実績を持っている人間を即座に雇用出来ないのは面倒だとして、もう少し日本の外国人医師の雇用制度が緩和されないものかと現状を憂いた。

 

「……出来ないものは仕方ない。後で俺の方でも確認するので、EP社の人間で日本に勤務できる人間をピックアップしておいてくれ」

「それは病院だけでなく、他の開発部の方も含めてでしょうか?」

「ああ。国内で募集するときには俺も別室なりから面接の様子を窺う。この距離でライバル企業が土地開発を行うんだ。桐条グループが何も動かないはずないからな」

 

 湊としてはそれなりに大きく動いてくれた方が面白いと思っている。

 読心能力を使えば相手が産業スパイかどうかなど一発で分かるのだ。わざと雇用し泳がせておき、桐条グループか仲介人かに報告しようとしたところで、エールクロイツの機械を支配する能力を使って通信を妨害するのも楽しいだろう。

 証拠などいくらでも押さえられるのだから、それを使って桐条グループに対し抗議文を送れば、相手は嗅ぎつけてきたマスコミによって動きを封じられ、桐条自身もしばらく余計な動きを取れなくなるに違いない。

 相手の性格を考えれば、おおまかな動きのみを警戒して踏み込んではこないだろうが、彼のまわりの人間も同じように考えるとは限らない。

 臆病者にも種類があり、現状を崩す事を嫌がる者は行動を起こさないが、自分の地位や財という局所的な平和を求める者は、他を蹴落として椅子にしがみつこうとする傾向が強いので、湊やソフィアのような搦め手を得意とする者にとっては格好の獲物なのである。

 

「相手も長く生きて経験を積んでいるんだろうが、潜ってきた修羅場の数は僕たちの方が……」

 

 食事をしながら話していたかと思えば、急に湊が驚いた表情で言葉を止めた。

 今食べていたのは先ほどと同じヒラメなので、料理が原因で言葉を止めたとは考えづらいが、どこか難しい表情をしている相手を心配し、ソフィアは声をかける。

 

「どうかされましたか?」

「……いや、なんでもない。それより、細かい部分は後で詰めてゆくとして、土地の落札と手続きは早期に終わらせよう。それが済み次第、お前は一度大陸に戻って準備を進めてくれ」

「了解しました。あの医者の方には何か伝えておく事はおありですか?」

 

 ソフィアのいうあの医者とは、現在湊の義手を作ってくれているシャロンの事だ。

 アイギスの装備である三連装アルビオレの改良型をリサイズして湊用に作っているので、現段階で用意できる最高の義手が手に入るといってもいい。

 湊としては物を掴めて強度がそれなりにあれば十分ではあるが、相手がノリノリで作ろうとしていただけに、きっとマシンガンの機構も再現するつもりだと思われる。

 雪の降る森では疲弊していた事もあるが、武器がなくて熊相手に苦労した。それを踏まえて考えると、隠し武器としてはあっても困らないので、正式な設計図のコピーを相手に渡した方がいいと判断し、湊はマフラーに手を入れるとソフィアにUSBメモリを一つ投げて渡す。

 しかし、取り出す場面とゆっくり下手投げの仕草を見せてから投げたにもかかわらず、ソフィアはあたふたとお手玉して、USBメモリは床へと落ちた。

 落とした本人は申し訳なさそうな顔をして急いで拾っているが、一連の行動を見ていた湊は相手の運動性能に思わず溜め息をこぼす。

 

「もう少し運動しろ」

「……申し訳ありません」

「まぁいいが、それに設計図のコピーデータが入ってる。相手は既に構造を覚えたと言っていたが、あっても困らないだろうから渡しておいてくれ」

「かしこまりました」

 

 受け取ったものをソフィアは化粧ポーチに仕舞って食事を再開した。

 けれど、作業開始をなるべく急いでいることから食事を終えてからも話しは続けられ、影時間に入る前になってようやく二人の話しは切り上げられた。

 

 

――桔梗組本部

 

 湊とソフィアがホテルで食事をしている頃、遠く離れた桔梗組本部では大人たちが集まり話し合いをしていた。

 チドリは湊が去った後から部屋に籠もって出てこないが、彼の身を案じていた者たちに何も話さない訳にはいかないため、桜が来てくれるよう呼びかければ夜には栗原・五代・ロゼッタの三人がやってきた。

 そうして、大人だけでテーブルを囲んで話している訳だが、その内容は帰国した湊の変化と不可解な対応についてである。

 ついこの間まで海外に行っていて湊の姿を見ていた渡瀬と五代は、桜とチドリが見たという成長した湊の姿を聞いて違和感を覚えた。

 

「僕たちが見た彼は、中学校に入学したときより背丈が伸びたくらいの姿でした。どことなく他者を寄せ付けない雰囲気や常に目が蒼かった事などはありますが、それ以外に大きな変化はありません」

「それは私も確認していますので、急激な成長や髪が伸びた事に加え、右眼と右腕の欠損は我々の帰国後に起こった事は間違いないかと」

 

 湊の怪我の時期自体は大して重要ではない。それでも、本人がほとんど何も話さずに去って行ってしまったことで、大人たちは自分たちの持っている情報の中で彼の状態を予測するしかないのだ。

 帰って来た湊は右眼と右腕を失ったことをあまり気にしていないようだった。

 ならば、相手の性格から察すれば、本人は大怪我と呼べるレベルの怪我を本当に気にしていないのだろう。

 もっとも、本人が気にしていないといっても、周囲まで同じように考えられるかは別の話であり、デスの恩恵による治癒と蘇生で湊の安全を信じていた桜たちの表情は暗くなっている。

 

「……ファルロス君の力が働いてないってことは、みーくんの眼と腕は治らないんですよね?」

「シャドウの力については分かっていない事も多い。というか、分かっている事の方が少ないくらいだ。私も湊に聞くまで治癒や蘇生効果を得られるなんて知らなかったしね」

 

 尋ねられた栗原は緑茶の入った湯呑を手に持ちながら、静かに自分の知っている情報を相手に伝える。

 

「だが、湊の化け物じみた適性値を持ってしても治癒されていないって事は、まぁ、残念ながらそういう事なんだろう」

「……そうですか」

「ただ、可能性がゼロって訳でもないよ。湊はペルソナ能力自体を失ってしまったんだろ? なら、そっちの恩恵も失っているかもしれない。だとすれば、力を再び手に入れたら治る可能性も残っているさ」

 

 相手の状態が分からないだけに、栗原は自分でも気休めでしかないと知りつつ、あくまで可能性としてはゼロじゃないと桜を励ます。

 聡い桜は相手の言葉がなんの根拠もないものだと勘付きながらも、しかし、栗原の気遣いが嬉しかったのか小さな笑みを返して感謝の言葉を口にした。

 

「ありがとうございます。でも、ペルソナ能力の消失なんてあるものなんですね。わたしはてっきり生涯持ち続けるものだと思っていたのですが」

「私だけじゃなく研究員も全員そう思っているだろうさ。しかも、それが現状で最高の適性値を持つ人間に起こったんだから始末が悪い。どんなに強大な力を持っていたとしても突然か切っ掛けが必要かは不明にしろ、能力自体が消失し得ると証明されてしまったんだからね」

 

 青年が能力を消失したという事実は、影時間やシャドウに対する最強のカードを人類が失ってしまったことと同義だ。

 デスの封印が解けなかったのは不幸中の幸いだが、来たるべき戦いの時に青年を戦力として当てに出来なくなった。

 敵は姿も能力も多様で、その異なる性質に対応するためには、大勢のペルソナ使いを集めるか青年のワイルドのような力を持った者が必要になる。

 しかし、ペルソナ使いはそれほど多くはない上に、影時間を消すために戦っている桐条側のペルソナ使いの練度はそう高くはない。

 ベルベットルームの住人を除いて、栗原たちが把握している範囲では、桐条側にいるペルソナ使いは現在三人、被験体の生き残りであるストレガは六人、そして、そこに湊とチドリにアイギスを足した十二人が彼女らの知るペルソナ使いだ。

 ストレガに関してはたまに店に遊びにくるマリア以外は面識もないので詳しくないが、湊たちから得た情報を踏まえて順位付けすれば、桐条側の三人だけかなり出遅れている印象が拭えない。

 もっとも、美鶴は違うが、真田と荒垣は実際に今年に入って目覚めたばかりの新人である。美鶴も目覚めたのは湊に次いで二番目という古株だが、桐条宗家の御令嬢ということで危険な実戦訓練などはほとんど行われてこなかった。

 自分たちが生きるために命懸けの修羅場をいくつも潜り抜け、積極的にシャドウとも戦ってきた湊やタカヤらと普通の学生である者たちを比べるのも酷だろう。

 彼女たちとてまだまだ成長の伸び代は残っているのだ。今後もしっかりと鍛錬を続ければ、適性で勝る分だけストレガたちを上回る可能性は十分にあると栗原は考えていた。

 

「湊が力を失ったことで今後起こり得るのは、無気力症の拡大というか影人間の増加だね。今はあいつが留学前に依頼してたことでストレガの連中がシャドウを狩ってくれているけど、期限が過ぎれば誰も倒さなくなって無気力症が治らなくなる」

「それは拙いですね。彼が言った事態が動くまでまだ二年以上あるというのに」

 

 今でも小さくだが無気力症についてメディアで取り上げられるようになっている。

 報道では、悩みや環境の変化などのストレスが原因の精神病と見られているが、言葉も話せないレベルの患者は保護が必要になる。

 近場で最も大きな病院は桐条資本で建てられた辰巳記念病院だが、その病院のベッドの数にも限りがあるので、今から影人間が増え続ければ二年後には社会問題にまで発展しているかもしれない。

 湊はまさにそれを危惧して戦い続けてきた訳だが、相手を頼れない状況になったことで、大人たちは今さらながら自分たちがどれだけ彼に頼っていたのかを思い知らされた。

 湯呑を両手で包む様に持ちながら苦笑を浮かべたロゼッタは、暗くなる一同に向かって口を開く。

 

「小狼君ってしょっちゅう依頼をこなして飛び回ってたのに、毎日のように化け物狩りもしていたんでしょ? それで学校にも通って学年主席を取ってるんだから頭が下がるわよね」

「昔から頭は良かったよ。というか、頭が良かったからうちの主任も興味を持ったのさ。ま、それが原因で適性が目覚めてしまったから、本人と家族には悪い事をしたと思ってるけどね」

 

 あんな子どもが多い場所で研究していたのだ。誰かしら適性を得てしまってもおかしくなかった訳だが、幸か不幸か主任である岳羽詠一朗と面会していた湊の他には、美鶴という人工的に適性を得ていた父親や研究員らと面識を持っていた者くらいしか目覚めていない。

 さらに、その二人の片方がアイギスとデスの戦いの場にいて、デスの器となることで滅びを免れたのだから、人類にとっては幸運だったとはっきり言えるだろう。

 しかし、それはあくまで事情を知る者にとってであり、ほとんどの者はあの事故の日から今日まで何も知らずに日常を過ごしている。

 本人も事故を起こした桐条グループに対して憎しみを抱いてはいるが、自分が誰かを助けたとは思っていないようなので、相手が両親を失っていることもあり、周囲はその功績を褒めたりはしていなかった。

 だが、力を失ったことで戦いに関わらなくなるのであれば、今まで頑張ってきたことを褒められてもいいのではないかとロゼッタは個人的な感想を漏らす。

 

「ほとんど事情を知らない私から見ても、彼は十分に褒められるだけの事もしてると思うけど。小狼君って何となく人を救う事を義務っぽく捉えてる節があるわよね」

「みーくんは幼い頃から頭が良過ぎたことで、ご両親の死や知り合いが傷付く事を自分のせいだと思い込んでいます。それが強迫観念となり、歪な形でメサイアコンプレックスを抱えるようになったんだと思います」

 

 メサイアコンプレックスとは、簡単に言えば他者を救う事を己の義務のように見なし、救われた者を見る事で間接的に自分の幸せを感じて心を満たそうとする状態のことだ。

 本人は自分自身が精神的に追い込まれていることに気付くことなく、追い込まれれば追い込まれるほど他者を救って達成感や心の安寧を得ようとする。

 湊が達成感や心の安寧を求めて無自覚に人を救っているのかは分からないが、救う事を義務だと捉えていることは確かなので、桜もロゼッタの言葉を肯定しつつ話しを続ける。

 

「死を理解しているという事は、命がどういった物であるかも分かっているはず。甘いくらいに優しいあの子にとっては生きづらい世界だと思います。命の取捨選択も出来てはいますが、基本的に救える者は救うスタンスですから、この世界に生きる全ての者が彼の重荷であり枷になっています」

 

 背筋を伸ばし真剣な表情で話す桜は、その中でも最たる重荷は自分だろうと思っていた。

 湊にとって大切なのはチドリとアイギスだ。アイギスは桐条グループの方にいるようだが、チドリの傍にいて彼女の世界の一部となっている以上は、湊は桜のことも当然全力を出して守りにくる。

 英恵と大して変わらないレベルで身体が弱いというのに、チドリの母代わりや姉代わりだというだけで守られるのだ。普通の者より身体が弱い分だけ守るのも大変だろう。

 危ないことはして欲しくない。自分の安全を第一に考えて欲しい。そう考えて伝えたとしても、桜の身に危険が迫れば湊はチドリの世界を守るために命懸けで助けようとする。

 守られる存在であるため相手の窮地に助けにいけないことをチドリは悔しんでいたが、桜も彼女と同じくらい自分の置かれた立場に苦悩するしかなかった。

 

「ま、本人のいねぇところでぐだぐだ話しても無駄でしかねぇし。わしらが今後どんな方針で動くだとか、そういった建設的な話しをしようや」

 

 そんな娘の胸中を察して、他の者も同じように暗くなって話し合いが中断するのを避けるためか、今まで黙っていた鵜飼が湯呑に口を付けてから鋭い視線で言葉を発する。

 

「理由があるにしろ無いにしろ、坊主は嬢ちゃんや桜に家族じゃねぇつって出てったんだ。自分で守るって言ってた相手を泣かせておいて、冗談でしたじゃすまねえよな。きっちりけじめ付けねぇ限り、坊主にはこの家の敷居は跨がせねぇってのがわしの考えだ」

 

 情に厚い昔堅気な男である鵜飼は、口では色々言いつつも湊とチドリを孫のように可愛がっていた。

 子どもを産めない身体である桜にとって、二人は弟妹のようであり実の子どものようでもあった。

 そして、家族というものを知らずに育ったチドリも、そんな者たちの下で暮らすうちに自分たちを家族だと思うようになっていたのだ。

 今回の湊の言葉と行動はそれらを全て否定する行為であり、本当ならばぶん殴って二度と顔を見せるなと怒鳴りたいくらいだ。

 けれど、今までの湊の行動を考えると今回の件も何かしらの理由があることは容易に想像がつくし、悲しんでいる二人が相手に帰ってきて欲しいと思っているだけに勘当することも出来ない。

 故に、傷付けた本人が二人にしっかりと謝って、今回の行動の理由を話す事が帰ってくる最低条件だと鵜飼は決めていた。

 

「影時間だとかは元々桐条がやるべきことだし。わしらに出来るとすれば坊主の行方を捜しつつ、EP社の動きを今後見ていくくらいだろ。あとは、部屋に籠もってる嬢ちゃんのフォローくらいしか出来ねえしな」

「そうですね。僕ら男性陣だと難しいと思うので、小猫ちゃんのフォローは桜さんと栗原さんにお任せしていいですか?」

 

 湊が久遠の安寧を傘下に収め、EP社のオブザーバーに就任したことから、今後EP社が何か日本で動きを見せたとすれば湊の指示である可能性が高い。

 その事を理解している五代は鵜飼の話しに同意しつつ、家族で唯一の女性である桜と適性を持っている栗原にチドリのフォローを任せたいと話す。

 言われた二人も最初からそのつもりでいたので、五代に笑顔と首肯で返した。

 

「はい、大丈夫です」

「まぁ、影時間に一人でいたら何するか分からないしね。とりあえずは見張っておくよ」

 

 出来る事が限られている以上、現段階で決められる方針はこれくらいだ。

 夜も遅いので話しが終わった五代たちも帰ろうとすると、立ち上がりコートを着ていたロゼッタが苦笑気味に呟く。

 

「好きな子を泣かせちゃうなんて、小狼君も大人なんだか子どもなんだか分からないわね。まぁ、今も色々と抱え込んじゃってるんでしょうけど。誰も諌められないってのは大人としてはもどかしいわね」

 

 正しい意味で湊を諌められていたのはイリスだけだ。桜も英恵も湊と共に過ごす時間はあったが、正面から向き合う形での関わり合いの深さでは彼女に及ばない。

 それだけに、相手としっかりと向き合って間違いを正してやれないのは、大人としては悔しいと同時に相手に申し訳ない気持ちになった。

 どうにか因縁を終わらせ日本に帰って来たものの、湊の行動の変化を通じて、今後もイリスの死を引き摺ることになりそうだと一同は無言のまま感じ取るのだった。

 

 

 

 


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