【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百十四話 エリザベスの企み

影時間――深層モナド・2F

 

 どこか冷たく不気味な雰囲気の廊下を、少女が一人赤髪を揺らしながら駆け抜ける。

 壁や天井に靴音を反響させ、いまはまだ敵が傍にいないことを感知しながらチドリは目的の物を目指していた。

 

(相手の言ってたアイテムが入っているのは金色の宝箱。開けてみるまで中身が分からないのは面倒ね)

 

 先ほどまでいた地下一階には金色の宝箱がなかったので素通りしてきたが、このフロアには金色の宝箱があるようなので、敵と遭遇しないような道を選びながら進んでゆく。

 だが、通常の宝箱と金色の宝箱の区別はついても、その中身がなんであるかは実際に開けてみなければ分からない。

 目的の宝玉でなければタイムロスにしかならず、敵が迫ってくることを考えると即座に離れなければならないが、次のフロアに続く階段への通路を塞がれてしまえば一巻の終わりだ。

 視線の先に煌めく金色の宝箱を捉えながら、速度を緩めず接近したチドリは逃走経路について考えながら重い箱の蓋を開けた。

 

(……ハズレっ)

 

 中に入っていたのは一振りの大太刀だった。この前も似たような物を見つけたが、状況が切迫しているだけあって、チドリは箱の中身に思わず舌打ちをする。

 けれど、中身が湊の好きな刀剣類であったことで、チドリはそれを乱暴に掴むと走りながら背負っていた刀袋に入れてその場を離脱した。

 索敵によれば敵がそれなりに近くまで来ている。相手の姿を確認していないので攻撃が効くかどうかも分からないが、危険な物には近付かないに限る。

 チドリは比較的安全な道を選んで次のフロアへ続く階段へと急いだ。

 

――高級別荘地・桐条別宅

 

 湊が屋敷に訪れてから約三週間が経った。

 滞在中、相手の記憶と精神が幼稚園児のころまで退行しているため、英恵は見張る意味も込めて湊を自分と同じ寝室に寝かせていた。

 いつ何があってもいいようにと簡易補整機の指輪を身に付けて、影時間にも対処できるようにしている。

 しかし、湊は九時ごろに寝付くとそのまま朝まで寝続けるので、英恵も相手が眠って一時間もすれば自分も就寝していた。

 けれど、その日、何やら眩い光を感じた英恵は、一体何事だと少し慌てて目を覚まし起き上がった。

 

「……八雲君?」

 

 光の発生源に視線を送ると、空中に浮かぶ鍵を眺めている私服の湊が部屋の真ん中に立っていた。

 黒いマフラーは部屋にある椅子の背もたれにかかったままだが、寝かし付けた時点ではパジャマを着ていたというのに、いつの間に着替えたというのか。

 そんな疑問を頭に浮かべつつ、それよりも空中に浮いて青白い光を発している鍵が気になり、英恵は寝巻の上にストールを羽織りベッドに手を突き立ち上がると湊の元まで近付く。

 

「八雲君、一体どうしたの? その鍵は何?」

「わかんない。でも、何かがくる」

 

 鍵を見つめながら湊は答えるも、その場からは一歩も動かず。視線も鍵から離していない。

 相手は何かの到来を感じ取っているようだが、英恵はその現実ではあり得ない光景から、もしや湊に引き寄せられてシャドウが現れるのではないかと考えてしまう。

 今の湊に戦う力はない。腕と目を片方ずつ失った状態でも英恵よりは強いだろうが、ペルソナ能力を失って適性持ちになった時点で、他の適性持ちと同じようにシャドウにダメージを与えられなくなっている可能性があるのだ。

 湊の元まで近付いた英恵は、後ろから湊に触れるとそのまま引っ張り鍵から距離を取らせた。

 すると、湊が鍵から距離を取るなり光の強さが増し出す。

 初めは暗い部屋の中で鍵を中心に周辺が光っている程度だったが、強さを増した事で今では部屋中を照らすほどになっている。

 あまりの強さに目を開けていられない英恵は、手をかざすことでなんとか薄目で鍵を見ようとした。

 けれど、英恵が見ようとしている間に輝きは頂点に達し、白い光が部屋中を包んだ。

 

「一体何が……っ!?」

 

 光が治まったことでようやく目を開けられるようになり、英恵は少々眩んでいた目で鍵のあった方を見つめて驚愕する。

 直前までそこには光る鍵が浮いていただけだったというのに、光が治まってみると沈黙する鍵を手に持った女性が一人立っていたのだ。

 分厚い本と鍵を手に持ち、青いスカートと帽子を身に付けた銀髪の女性は、自分が見られている事に気付くなり頭を下げて礼をしてくる。

 

「夜分遅くに失礼致します」

「貴女は誰? どこから現れたの?」

 

 相手は丁寧な仕草で挨拶をしてきたが、得体のしれない人間であることに代わりはない。

 英恵は湊を守る様に傍に引き寄せつつ相手に素性を尋ねた。

 尋ねられた相手は英恵の態度を特に気にしていないのか、下げていた頭を元の高さに戻すと涼やかな声で質問に答えてくる。

 

「私はエリザベスと申します。ペルソナや影時間などの事柄に関して八雲様に影ながらご協力させていただいておりました」

 

 突然現れたエリザベスは言って手に持っていた鍵を湊に投げて渡す。片腕の湊はそれを苦も無くキャッチすると、鍵は青い光になって消えていった。

 それらの光景から察すれば、確かに相手は湊を狙う賊ではなく影時間などの超常に関わる筋の人間のように思える。

 しかし、今の湊は適性を持つだけの準一般人だ。以前どのような付き合いをしていたかは分からないが、精神的に幼くなっている湊に相手が何をしようとしているのか不明なため、英恵は今の距離を保ちながら会話を続ける。

 

「エリザベスさんは一体何の用があってここへ来たのかしら?」

「本日は、八雲様の力を少々御貸し頂きたくお願いに上がりました」

「この子は力を失いました。もう戦うことは出来ません」

 

 相手と湊の関係を聞いた時点で考えていた予感が見事に当たる。

 今の湊はペルソナを失ったことで戦闘力だけでなく、治療や索敵に関する力も失っている。

 具体的に何の力を借りようと思っていたのかは分からないが、記憶も含めて退行していることもあって、今の湊に助力を願う事はほぼ出来ない。

 だが、結局相手のいう力はそのまま戦闘力だろうと当たりを付け、湊を再び戦いに巻き込みたくない英恵は相手の願いを拒んだ。

 

「なるほど。ですが、このままではチドリ様が死ぬことになりますが宜しいですか?」

 

 すると、エリザベスは涼しい顔をしながらとんでもない事を言ってくる。

 相手の表情からは嘘をついているようには思えない。ならば、本当にチドリの身に危険が迫っている可能性はある。

 チドリは湊にとってとても大切な人だ。彼女を失えば湊の精神にも多大な影響があるだろう。

 空間を超え数ヶ月前に聞こえた絶望に満ちた湊の叫びは、イリスという母親代わりの女性を亡くしたことが原因だという。

 湊にとって母親とは特別な意味を持つが、今現在、最も大切に思っている少女を失えば湊の心は今度こそ完全に砕け散ってしまう。

 今回のような退行などで済むはずもなく、自ら命を絶つ可能性すらあると英恵は危機感を覚えた。

 しかし、いくらチドリに危険が迫っていたとしても、湊を再び戦いに向かわせたくはない。もう一度戦えるようになったとしても、今回の湊の変化を見てしまえば、やがて心が摩耗して精神の死を迎える未来しか見えないのだ。

 故に、英恵は湊を守るため、相手の言葉が真実である証拠はないと反論した。

 

「貴女の言葉が真実であると証明する事は出来ますか? この子を戦いに巻き込むための虚言ではないと誓えますか?」

「私の言葉が嘘かどうかは八雲様が一番理解されていると思います。チドリ様の危機を察知しておられるはずですから」

 

 言われて湊の方を向いてみれば、湊は先ほど光になって消えたはずの鍵を胸の前で握り締めて難しい顔をしている。

 その顔からは困惑や不安といった感情を読み取る事が出来るが、もっとも占める割合が強いのは焦りのように思える。

 まさか、本当にこの場にいながらチドリの危機を察知しているとでもいうのだろうか。様子のおかしい相手に英恵が声をかけようとしたその時、

 

「――――失礼します」

 

 パンッ、と甲高い音が部屋に響いた。

 突然の事に思考が停止し、一瞬何が起こったのか分からなかったが、いつの間にか移動していたエリザベスが湊の目の前で右手を振り抜いたポーズで立っていたことで、相手が湊の頬を張ったのだと理解する。

 

「なっ!? 貴女は一体何をっ」

 

 とても大切な可愛い息子の顔を赤の他人が叩くなど許せる訳がない。頭に血が上るのを感じ英恵が思わず怒鳴りかけたところで、叩いた張本人が薄い笑みを浮かべた顔で口を開いた。

 

「目は覚めましたか?」

「……ああ、あまり良い目覚めではないがな」

 

 青年の口から発された声から幼さが完全に消えている事に英恵は気付く。

 声も口調も、百鬼八雲ではなく有里湊になってからの物だ。

 

「少々手荒い方法になった事はお詫びします。ですが、時間が押しているのでご勘弁を」

「全部お前のせいだろうに」

 

 言って湊が上腕しかない右腕を横に突き出すと、そこに蠢く影が集まり黒い右腕を形成した。

 力を失っていたはずの青年が、どうして異能を再び扱えるようになっているのか分からない。

 だが、英恵は青年が再び戦いに赴くつもりだと察して、反射的に相手の左腕を掴んでいた。

 

「だ、駄目。せっかく戦いから離れられたのに、貴方はもう戦わなくていいのっ」

「……世話をしてもらっていた間の記憶はある。守ってくれてありがとう」

 

 自分の腕を掴む英恵の手に、湊は黒い手を重ね優しい笑みを浮かべ感謝を述べる。

 一歩間違えれば裏世界の住人に殺されていたかもしれず。桐条グループの人間に保護されて大人の言う事に素直に従い適性を詳しく検査されていた可能性だってあった。

 前者は論外であり、後者も力を隠している以上は後々面倒に巻き込まれていたかもしれないので、そんな物とは無関係な平穏を過ごせたのは尽力してくれた英恵のおかげである。

 身体への負担も大きい簡易補整機の指輪をつけ、影時間でも自分の身を案じて傍にいてくれた相手を湊は抱きしめた。

 

「大丈夫。俺は心が壊れていたんじゃない。肉体と共に精神にも最適化を施されていただけなんだ。目覚めるのが遅れたのは、多分、おばさんと一緒にいるのが心地良かったからだと思う。本当にありがとう。チドリを助けたら、ちゃんと話しにくるから待ってて欲しい」

 

 言い終わると身体を離し、湊は左手に持っていた鍵に淡い光を纏わせ十字を切った。

 英恵の目からは何も見えないが、湊とエリザベスには何かが見えているようで、鍵を空中で回すとまるで扉を開くように空中で手を動かしている。

 すると、今まで目の前にいたはずの二人の姿が突然消えていなくなってしまった。瞬きをしている間に消えたのではなく、本当に一瞬の内に消えてしまったのだ。

 どういう理屈かは分からないが、それでも相手が何をしに向かったのかは分かっている。

 胸中はとても複雑だが、一度決めたら誰に言われても止めない子だ。この頑固さは母親譲りだと考えつつ、英恵は深く息を吐き出すとベッドに腰掛けぽつりと溢す。

 

「……ばか」

 

 親の心配も知らず、女の子を助けるために去って行った息子に対する愚痴は、誰もいない影時間の部屋に静かに響いて消えていった。

 

 

――深層モナド・4F

 

 チドリは走っていた。背後からはガチャガチャと硬い鎧同士が擦れる音が追いかけてきており、その距離は徐々に近づいて来ている。

 一つ上のフロアまでは上手く敵との遭遇を避けて探索出来ていたのだ。

 しかし、このフロアに降りてきた場所に運悪く鎧武者のシャドウがいたことで、チドリは逃走を余儀なくされた。

 自分の武器である鎖付きの斧は走るのに邪魔だからと、敵にぶつけるように同フロア途中の通路で捨ててきた。

 もっとも、敵はそれを避けていたので何の時間稼ぎにもならなかったが、それでも同年代では湊とマリア以外に負けた事のない健脚により、何とか追いつかれずに済んでいる。

 

(刀を構えたままのくせに何て速さなのよっ)

 

 十字路を鋭いコーナーリングで右に曲がりつつ内心で愚痴を吐くチドリ。

 鎧武者は刀を両手で握ったまま走っている。湊のような存在自体が世界のバグである者以外、そんな状態では高速で走る事など出来ない。

 相手はシャドウなので人間とは違うのかもしれないが、骨格は同じようなものなので、武器を構えずに走力を優先して追って来られれば追いつかれているだろう。

 それを思えばこの状況はむしろ喜ぶべきかもしれないが、追いつかれないよう曲がりながら逃げているせいで、チドリは他の敵への警戒が疎かになっていた。

 全身の毛が逆立つような悪寒を感じ、チドリは前方に視線を向けるとそれは突如現れた。

 

(戦車型シャドウっ!?)

 

 チドリの走っている通路の先に、戦車“洗礼の砲座”が砲身を向けた状態で現れる。

 この通路に合流する通路を偶然徘徊していたのだろうが、現れるタイミングは最悪であるとしか言いようがない。

 後ろからは鎧武者が迫っており、前方には戦車がいる場所まで横道が存在しない。

 最低でも戦車が放つであろう砲弾をどうにかする必要がある上に、それをどうにかしても追いついた鎧武者の攻撃を躱さなければならないだろう。

 覚悟を決めれば戦車の一撃くらいは耐えられるかと考えるが、爆発で吹き飛んだところを鎧武者に切りつけられる未来しか浮かばなかった。

 

(なら、戦車の攻撃をギリギリで躱すことで鎧武者にぶつけさせる)

 

 通路は幸いなことにそれなりの幅がある。大きさのある戦車の脇をすり抜けるのは難しそうだが、その敵の放った砲弾ならば上手くやれば躱すことも出来るかもしれない。

 重要なのはタイミングだ。躱すのが早ければ照準を調整されて直撃する。遅ければそもそも躱しきれない。

 こういったタイミング合わせはチドリよりも攻撃の予兆を感知する湊の方が得意だが、今はどうかその力を貸して欲しいと心の中で祈った。

 背後から鎧武者の接近を感じつつ、速度を落とさず視線だけはしっかりと敵の砲身に固定してチドリはタイミングを計る。

 砲身に光が集まり奥が熱で赤くなり始めた。発射は間もなくだと思われるが、その瞬間の爆音に怯む訳にはいかない。

 砲弾に注意しつつも音に対する心の準備も終えたところで砲身の光が最高潮に達し、チドリは斜め前方に向かって転がる様に飛び込んだ。

 直後、床や壁まで振動するほどの爆音が響き、先ほどまでチドリがいた場所を真っ赤な砲弾が通り過ぎていった。

 

(これで……!!)

 

 飛び込んだ地点で受け身を取りながら、チドリは砲弾の向かった先に視線を向ける。

 そこにはチドリを追ってきていた鎧武者がおり、今にも砲弾と接触すると思われた。

 だが、

 

(回避したっ!?)

 

 鎧武者のシャドウは兜の奥の赤い目が光ったかと思えば砲弾を寸前で回避した。

 今まで逃げる事に集中し、ろくにアナライズも出来ていないチドリは知らないが、鎧武者のシャドウである剛毅“天神の武者”は「真・貫通見切り」という貫通属性の攻撃を回避し易くなるスキルを有していた。

 敵はさらに打撃と斬撃に対する回避スキルを持っており、チドリが斧をぶつけるように投げ捨てたときも同じスキルの効果で回避出来たのだ。

 しかし、敵がどのようなスキルを持っているかという情報よりも、一切のダメージを受けずに迫ってきている事実の方がチドリにとって今は重要だった。

 受け身の状態からすぐに立ち上がり駆け出すが間に合わない。戦車は次弾の準備体勢に入り、鎧武者は後方七メートルほどまで追いついていた。

 まだ湊を治すアイテムを手に入れていないというのに、自分はこんなところで終わるのか。

 まだ何も相手に返せていない。エルゴ研で命を救われてから今日まで自分が彼に何をしてやったというのか。

 この命は彼に救われた。ならば、こんなところで死ぬことは出来ない。この命は彼のために使わねばならないのだ。

 諦めかけていた心を奮い立たせ、チドリは右手で背中から刀を抜きながら、左手で引き抜いた召喚器を頭にあてると引き金を引いた。

 

「メーディア、砲弾にアギラオ!」

《ルルゥ!》

 

 現れるなりメーディアは火球を前方に向けて放ち、遅れて発射された砲弾にぶつけて誘爆させる。

 その成果を音と空気の振動で感じつつ、召喚器をガンベルトに素早く戻したチドリは両手で刀を構え振り返った。

 敵はあと五メートル、刀を持っている者にすれば二歩で十分に射程圏内に入る距離だ。

 

(力も速度も相手が上。なら、狙えるのは理解の外の一撃っ)

 

 助走を付けなければ非力な自分が強力なシャドウを仕留める事など出来ない。チドリは一歩踏み込むとその場で天井に向け跳躍した。

 接近してきた敵は射程に収めた空中のチドリを斬り付けようと、鋭い振りで刀を切り上げてくる。

 天井付近まで飛び上がり落下を始めていたチドリは、刀の来る方に自身の持つ刀を構え、お互いの刀が接触する瞬間になんと相手の刀を軸に横回転し受け流した。

 自身の斬撃を受けても敵が刀を振り抜けると信じた上で、タイミングを計り身体を倒すセンスがなければ出来ない芸当だ。

 とはいえ、ほとんど捨て身の策だったために太ももを僅かに切られ、長かった髪も肩甲骨辺りの長さになってしまった。

 それでも被害は想定よりも軽微。敵が切り上げた体勢になっているこのチャンスを逃す訳にはいかないと、赤い髪が宙を舞うのも構わず着地したチドリは立ち上がる勢いも乗せた刺突を敵の頭部に向けて放った。

 

「はぁっ!!」

 

 風斬り音をさせるほどの速度で真っ直ぐに繰り出された刺突は、兜に守られていない敵の顔面を捉える。

 先ほど赤い目が光っていた場所を直撃し、流石の相手も堪らなかったのか後方に吹き飛びながら、黒い靄を傷口より出していた。

 しかし、今の自身に出せる最高の一撃で殺しきれなかった。その事実にチドリは表情を苦渋に歪ませ、間に合うかと思いつつ追撃のため敵に向かって駆ける。

 相手はまだ起き上がっていない。これならばギリギリで同じ場所に斬撃を与えることが出来る。刀の柄を握り直したチドリがそう考え構えたとき、背後から絶望を知らせる爆音が響いた。

 

(マズイっ)

 

 忘れているつもりはなかった。敵は二体いて自分はまだまだ危険な戦闘区域にいると分かっていた。

 ならば、どうしてチドリは戦車が発射体勢に移っている事に気付けなかったのか。

 それは、先ほどの第一射と第二射のインターバルが、そのまま相手の連射可能速度だと思ったのだ。

 何せ一直線の道だ。撃てば基本的には当たるのだから、敵がまさか連射タイミングをずらしてくるとは思わない。

 追撃は諦めることになるが防御か回避に動くべきか。ほぼ一瞬の内にチドリは思考する。

 

――――止まるな、前の敵だけを見ろ

 

 だが、そのとき心の中で湊の声が聞こえた気がした。彼女はいまさら間に合わない事に気付いていた。発射前や発射の瞬間ならばまだ躱すことも出来るが、流石に放たれ背後から迫る攻撃を避けられるとは思わなかった。

 だからこそ、チドリは内より聞こえた声に従い。せめてこの目の前のシャドウだけでも倒してみせると地面を強く蹴る。

 鎧武者は地面に左手を突き立ち上がるモーションに入っていた。こちらが攻撃する前に牽制を放ってくる可能性を考慮し、狙うのは先の先を取れる最速の一撃。

 自分の走る動きに合わせて腕を振るタイミングを計る。止まって振れば敵の攻撃を受けるだろう。

 先の先を取るのなら動きながら振り始め、敵と交わる瞬間には寝かせて構えた刃の切っ先を振り抜かねばならない。

 

「はぁぁっ!!」

 

 立ち上がるために手をついていた敵の左側へ大きく踏み込んだ一歩が地につくまでに、振り始めていた刀が敵の頭部を捉える。

 固い兜に当たり弾かれそうになるが、ここで振り抜けなければ立ち上がりかけた敵の反撃を受けるのは確実だ。

 ここで仕留める。チドリはその想いで、踏み込んだ足を予定よりも外側に落とし、後ろに残していた足を踏み込んだ方へと僅かに捻ることで、テニスのバックハンドのように腰の回転を加えた。

 腰の回転がさらに加わった事で止まりかけていた刀に威力が上乗せされ、先ほど突きを当てた箇所をなぞる様に切っ先が通り、敵はそのまま仰向けに倒れると黒い靄となって消えて行った。

 

(……やった)

 

 強敵とは言え、たった一体のシャドウを倒しただけだが、何も出来ずに死ぬよりは何倍も良い。

 最後に一仕事終えたチドリは、心の中に不思議な充足感が広がるのを感じながら、自分を屠る砲弾の到着を待った。

 しかし、あと数メートルで砲弾がぶつかるというとき、ダンジョンを激しい揺れが襲った。

 

「な、何なの?」

 

 激しい揺れに耐えきれず、地面へと倒れながら振り返ったチドリは信じられないものを見た。

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 本来、タルタロスは階段を使うか転送装置を使わなければ移動が出来ない。ずっとそう考えていたし、それが当たり前だと他の者も思っているだろう。

 だが、チドリはこの日、床や天井を打ち抜くというデタラメな移動法があることを知った。

 このフロアの天井を崩落させながら雄叫びを上げて現れた湊は、フロアを打ち抜いたであろう黒い右腕を着地直前に砲弾に向けた。

 

「――――アザゼル!!」

 

 そして、『XX・審判』のカードを具現化するなり握り砕き、赤い光と渦巻く黒い欠片の中心から仮面を付けた逞しい体躯の青い天使が現れる。

 迫っていた砲弾がその天使を直撃し轟音と爆発が巻き起こる。けれど、それらの煙が晴れたときには、両腕を身体の前で交差し防御姿勢を取っていた天使が無傷で佇んでいた。

 

「殺せ」

 

 敵の攻撃を防いだ直後、凍てつくような冷めたい視線を相手に向けていた湊は静かに命ずる。

 その命を全うするため防御姿勢を解くと、青い天使は戦車に向けて右手をかざし力の集束を始めた。

 力が集束するにつれて輝きが増し、少し離れた場所に座りこんでいるチドリですら、周囲の空気が張り詰めてゆくのを感じる。

 そして、目を焼くほど眩い光が通路を照らしたとき、

 

「アザゼル、メギドラオン!」

 

 青年の声に呼応して集束していた力は解放された。

 極光の奔流が通路を埋め尽くし、天井や床をその熱量によって融解させてゆく。進路上にいた戦車を呑み込んでも攻撃は止まらず、通路の最奥にでも到達したのか、今度は攻撃の当たった衝撃でフロア全体が揺れ始めた。

 以前見たタナトスと無の銃を融合したウィオラケウスの一撃でも、ここまでの力は持っていなかった。

 ならば、これが絆を捨てた湊の実力なのかと、圧倒的な力を見せた青年の背中がチドリにはとても遠く感じられた。

 少しすると攻撃も徐々に弱まり。完全に消えたときには床や天井が融解したことで、その一帯を熱気と焦げ付いたような臭いが包む。

 攻撃の余波である揺れも消えたことで立ち上がったチドリは、刀を袋の中にある鞘に仕舞いながら、背を向けている青年に歩み寄った。

 

「……元に戻ったの?」

「ああ。少し時間はかかったけど、力も取り戻した」

 

 光になって消えてゆくアザゼルを見ながらそう話す湊は、近付いてきたチドリの方を見ようとしない。

 ペルソナ能力と元の人格も取り戻したというのに見ないということは、やはり相手は自分から離れて行ったのかと、心に悲しみが広がり胸に痛みが走る。

 相手の行動に暗い表情で俯いていたとき、落としていたチドリの視線に自分の方へ向いた彼のブーツが映った。

 

「……え?」

 

 直後、チドリは優しい感触に包まれていた。

 咄嗟の事で何が起こったのか分からなかったが、顔を僅かにあげると自分の目の前に彼の胸元が見える。

 立った状態でこんな風に見るのは初めてだが、今の自分たちの身長差だとこうなってしまうのかと何とも不思議な気分になった。

 そして、そんなどうでもいい思考が頭を過ぎってから、チドリはようやく自分が湊に抱きしめられている事を理解する。

 離れて行ったと思っていた相手が今度は自分から寄って来た。随分と自分勝手なものだと怒りたい気持ちもあるが、それよりも今はこの懐かしい感触に身を委ねていたい。

 チドリは目を閉じてその場で深く息を吸い込むと、自分も彼と同じように相手の背中に手を回して抱き返した。

 

「……嘘吐き」

 

 ぽつりと呟き、深く息を吸い込むと湊の匂いがした。自分でやっていて変態かと思ってしまうが、リラックス出来てしまうのだからしょうがない。

 自分を包む感触から優しさを感じ、ここにいるのは自分の知っている家族として共に暮らしていたときの湊だと理解する。

 強く、強く、手を回し、どこにも行かぬようしっかりと相手の存在を確かめながら、顔をうずめてチドリは再度口を開く。

 

「どこにも行かないって言ったくせに出て行った」

「ごめん。でも、もう大丈夫だから」

 

 海外に行く前は湊の目線の高さと自分の身長がほぼ同じくらいだった。だが、今では相手の肩の方が僅かに高い位置にあり、身長差ですっぽりと相手の胸に納まる形になってしまった。

 失ったはずの右腕の感触が存在する事や、得体の知れないペルソナの気配を多数感じる事など、チドリは湊に訊きたい事が沢山あった。

 だが、懐かしい相手の匂いに包まれた事で心は安らぎで満たされ、そんな事は全て後で聞けばいいと思ってしまう。

 しばらくの間チドリはそうして味覚以外の五感で相手の存在を確かめ、ようやく少しは落ち着いたのか顔を上げて相手を見た。

 そこにあったのはどこか影を背負いながらも優しい笑顔。短くなったチドリの髪を左手で梳きながら、最後に二回ほど頭の上にぽんぽんと手を置くと湊は抱擁を解き身体を離した。

 チドリとしてはもう少し今のままでいて欲しかったが、身体を離した湊は新たなカードを具現化して握りつぶす。

 

「バアル・ペオル、チドリに治療を」

 

 新たに呼び出したカードは『XI・運命』。

 そして、アザゼルと同じ赤い光と黒い欠片に包まれ現れたのは、肩や背中の出た闇色のドレスを着た湊に似た雰囲気を持つ黒髪の美女、もとい、どう見ても鈴鹿御前だった。

 

《ふん、その程度ならば唾でもつけておけば治るだろうに》

「……ペルソナが喋った」

《喋って悪いか。八雲から離れろ、小娘が》

 

 不機嫌そうな顔をしながらも、二人の前に現れた鈴鹿御前は回復魔法でチドリを治療する。鎧武者に切られて出来た太ももの傷はそれにより痕も残らず綺麗に治った。

 未だに血は付いているが傷が完全に癒えたのならシャワーで洗えば綺麗になる。

 よって、カグヤ以外にもこれだけ強力な回復スキルを持ったペルソナを所持していたのかと所持ペルソナについて驚きながら、チドリがバアル・ペオルと名を変えた洋装の鈴鹿御前と湊を交互に見ていれば、事情を察したらしい湊が苦笑を浮かべて答えてきた。

 

「こいつはバアル・ペオル。まぁ、普段は鈴鹿御前という名前だが、呼び出した時期によって能力と共に名と服装が変わると思ってくれたらいい」

「なんで話せるの?」

「自我を持っているからな。生前名は百鬼紫乃、俺の遠い祖母だ」

《やめろ、老婆のように言うな》

 

 湊と同じ輝くような金色の瞳を細めて鈴鹿御前は睨んでくる。

 見た目は確かに二十代中盤という若々しい美女のものだが、実年齢は生年から数えれば七百歳近い。加えて祖母というのも間違いではないのだが、本人はその響きが気に入らなかったようで、そんな呼び方はするなとさらに不機嫌になった。

 

「遠い祖母……確かに似てるけど、幽霊なの?」

《貴様のような小娘に話す事などありはせぬ。帰るぞ、八雲。影時間が終われば山姥どもが復活する。次の十六夜まで奴らがいるかと思うと気が滅入る》

「山姥って誰?」

 

 地面につきそうなほど長い艶髪に、同じ女であっても傍で見れば照れてしまうほどの色香と凛々しさを感じさせる美貌、さらに相手は高いヒールを履いているがそれを含まずとも一六〇台後半はあると思われる長身など、湊との共通点は複数確認出来た。

 だからこそ、相手が湊の先祖だと言われれば素直に納得できたのだが、どういう訳か苛々しているようなので、知らない言葉を発した本人ではなく湊に尋ねれば、湊は答える前に新しい『XV・悪魔』のカードを呼び出して握り砕いた。

 

「こい、ベリアル」

 

 新たに赤と黒の召喚光から呼び出されたペルソナは、炎の車輪をしたチャリオッツに乗った鎧の天使。

 表情等は兜で見えないが、今度のペルソナは自我持ちではないのか何も話しかけてこない。

 そんな事を思いつつ、敵もいない状態で何故ペルソナを呼んだのかチドリが疑問に思っていると、立ったままならば三、四人は乗れそうなチャリオッツに鈴鹿御前が乗り込んだ。

 湊もそれに続くようにチドリをエスコートしてきたので、どうやら移動の足として召喚したようだった。

 三人が乗り込むとチャリオッツは僅かに浮かび上がりダンジョン内を進んでゆく。

 途中でチドリが投げ捨てた鎖付きの斧を回収しつつ、通路の先に敵が現れてもベリアルが炎の槍を投げつけ殺してしまい。必死に走って逃げながら先を目指していた自分は何だったのかと思ってしまう。

 しかし、今はそれよりもずっと知りたい事があったので、それらを訊いても良いのか相手に尋ねてみた。

 

「何も話してくれないの?」

「……色々と傷付けたし。迷惑もかけ過ぎた。いまさら話しても以前の関係には戻れないと思う」

「じゃあ、家族じゃないってのは本気だったの?」

「……半分は本気だった。けど、チドリたちが悪いんじゃない。単純に俺が家族になる事を怖がっていたんだ。俺が大切に想った人は傍にいると危険に巻き込まれたり、死んでしまう。だから、突き放せば死なずに済むと思った。力も失っていたし、守りきる自信がなかったんだ」

 

 半分でも本気だったと言われたときには胸に痛みが走ったが、どこか泣きそうな表情で語られた後の言葉にチドリは思わず呆れてしまった。

 どれだけ見た目や雰囲気が変わっても、相手の本質は自分の知る優しい彼のままで、青年は他の者を守ろうとして自分が悪者になることを選んだのだ。

 辛いのなら最初から相談すればいいのに、変なところで不器用でこんな誰も救われない方法しか思い付かなかったのだろう。

 話しを傍で聞いている鈴鹿御前も進路に視線を向けたまま溜め息を吐いているので、これは名切りの人間だからという訳ではなく、単純に百鬼八雲という個人の性格によるものらしい。

 身内も呆れるほどとはどれだけ人との接し方に不器用なのだと、チドリは改めて相手が普通からはずれていると思った。

 

「はぁ……不安なら最初から言えばいいじゃない。わざわざ人に嫌われようとして何がしたいのよ」

「君たちを安全な場所にいさせたかった」

『……はぁ』

 

 湊の言葉を聞き、チドリと鈴鹿御前の溜め息が重なる。

 相手の言葉に嘘は無く、本気で言っているからこそ質が悪いのだが、他人の事を考え過ぎていて一周回って馬鹿なのだろうとチドリは思う事にした。

 

「八雲、今回の事も含めて海外で貴方の身に何が起こったのか。それから今後はどうしようと思っているのか。それを皆に話して。理解されないとか、自分だけが分かっていればいいとか考えず。とりあえず、正直に話して」

「……特に面白い事なんてないぞ」

「私も含めて他の人は貴方の事を知りたいの。知っていれば知恵を貸す事も出来るし、悩みを共有出来るかもしれない」

「別に共有しようと思ってない」

「駄目。話さないと絶対に許さない。だけど、話したら少し許すかもしれない」

 

 湊の左腕を掴んでチドリはジッと睨みつける。湊にすれば恨まれたままでも問題ないかもしれないが、それでも許される可能性があると聞けば少しは心も揺らぐだろう。

 というのも、許す許さないというのは、結局は相手の心の問題だ。加害者がここにいる外道のように許されなくても別にいいと思っていても、被害者は何かしら心の整理をつけて相手を許せた方が楽だったりすることもある。

 なので、被害者の負担を減らすという意味で、湊はこの提案に惹かれるはずだとチドリは読んでいた。

 すると、同乗者の鈴鹿御前も湊の対人関係は良好であった方がいいと考えているのか、ここではチドリの側について援護してくる。

 

《八雲、面倒だから話しておけ。別に聞かせたところで何が減る訳でもなし。どうせ此奴らも知ればそこで満足するじゃろう》

「……話した分だけ時間が減るだろ?」

《……まぁな》

「減る物もあるんじゃないか」

 

 だが、何も減らないと訳ではないと湊も反論する。本人にすれば周囲と時の流れをずらせば大したロスでもないのだが、力を使う本人以外はそういった事に気付き辛かった。

 時流操作に考えのいかない二人は、この男はやはり変なところで頑固で扱いづらい、と少々面倒に思いつつ次の作戦を考える。

 揃って腕を組んでいる光景を興味なさげに見ていた湊は、転送装置が見えてきた事で話しを一度切り上げるべく口を開いた。

 

「……悩みを共有しようと思っていないと言っただけで、別に話さないとは言ってないんだけどな」

『っ!?』

 

 そんな予想の斜め上を行く発言に二人は唖然としながら、転送装置に到着したことでチャリオッツから降りると、湊は鈴鹿御前とベリアルを消してしまい。起動した転送装置でエントランスへ戻ると桔梗組へと帰っていった。

 

 

 


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