【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百二十話 結果発表

2月16日(金)

放課後――月光館学園・職員室前廊下

 

 先週の土曜日に約束した勝負の日がやってきた。

 約束の日まで静かな日常が続くかと思われたが、湊の方はバレンタインというイベントがあったことで、余計な騒動を避けるために一昨日は教室一つを貸しきって急遽イベント会が行われた。

 バレンタインのプレゼントを直接受け取って貰える上に、握手まで出来るということで中等部の生徒だけでなく高等部や初等部の生徒まで訪れていたが、イベント自体はプリンス・ミナトのメンバーが上手く捌いてくれたので、湊は座ってプレゼントを受け取り握手するだけという流れ作業で済んでいる。

 訪れた生徒の中には男子も若干混ざっていたが、ファンクラブ会長の雪広繭子に聞けば男子の会員もそれなりにいるらしいので、プリミナの人間としてはむしろ想定内の出来事だったらしい。

 イベントの終了時には、手伝ってくれたお礼に湊から運営スタッフのプリミナメンバーに小分けのチョコクッキーが配られ、さらに湊の制服が不要になったら譲って貰えないかと言っていた繭子には、先週の土曜日に着てからクリーニングに出し忘れていた制服が贈呈された。

 初めはクリーニングに出すのを忘れていた事で改めて渡そうとしたのだが、繭子は何故か目を血走らせながらそのままが良いと言ってきたので、不思議に思いながらも要望通り譲ったという裏話もある。

 また、隠れて制服を譲ってくれるように言っていた事で、他のメンバーからブーイングがありオークションか裁断して配布すべきという声も上がった。

 けれど、制服の入った紙袋を抱えた繭子は陸上部もびっくりのスプリントを見せ、どうやら家まで逃げ切ったことで制服は現在も彼女の元にあるようだ。

 余談だが、プリンス・ミナトと同規模の勢力を誇っている真田のファンクラブ“真田王国”の方はというと、真田がボクサーで減量等々に気を遣っていることもあり、これといってイベントは行われなかったようである。

 そうして、そのような騒がしいイベントをこなしつつ、約束の日、約束の時間を迎えた訳だが、掲示板に貼られた順位を見たゆかりとチドリは冷めた目を、美紀と風花は眉尻を下げて困った表情をして、隣に居た煙管を咥えている男を見つめた。

 

「す、すごいね。授業も受けてないのに全教科満点って」

「そうですね。ただ、正直色々と自信をなくします」

「どんだけチートな頭脳してんのよ君は」

「……バグキャラ」

 

 女子たちから何を言われようと湊はどこ吹く風と気にせず表を眺め続ける。

 期末テストは全部で十教科あり。そして、約二四〇人いる第二学年の順位は上から順に全教科満点の湊、九八六点のチドリ、九八一点の美紀という風に並んでいた。

 チドリと美紀はほぼ同じ実力なので、今回はチドリの方が高い順位に着いていても本人らは大して気にしていない。

 けれど、授業も受けていなかった人間が満点トップを取るのは流石にどうなのだと、美紀や風花ですら若干呆れた顔をしていた。

 ちなみに、風花の順位は十三位、ゆかりの順位は七十一位であったりする訳だが、部活メンバーがそんな風に眺めていると、突然後ろから驚きの声が上がった。

 

「う、嘘だっ、ありえない!」

 

 急に何だと振り返れば、後ろには驚愕で顔を若干青くしている木戸が立っていた。

 彼の視線は第二学年の順位表に向けられており、どうやら書かれている結果を受け止められていないらしい。

 だが、書かれている事は全て真実だ。湊は別室受験だったが、試験監督は二メートルほどの距離を開けた場所に座り、筆記具は全て学校に用意して貰っていたので不正のしようがない。

 書かれた結果はまぎれもなく本人の実力であるため、相手を見ていた湊は薄い笑みを浮かべて話しかけた。

 

「三十三位の木戸じゃないか。どうしたんだ。そんなに顔を青褪めさせて」

「ど、どうしたんだじゃないです! 一体どんな不正を使ったんですか?! 明らかにおかしいです。どうせテスト前に問題用紙を盗み見たりしていたんでしょう!」

「ほぉ、よく分かったな。実はここに入学する前にこっそりと高等部までの学習内容を盗み見ていたんだ。他のやつよりも先に見ていたからな。勉強する時間は十分にあったぞ」

「期間と範囲はすごいけど、それって普通に予習だよね……」

 

 一方的な言いがかりでしかないが、湊の順位はカンニングによる不正なものだと木戸は怒鳴ってくる。

 それに対し、相手の発言を認めた湊に一同は驚きかけるも、最後まで聞いた風花は思わず突っ込みを入れていた。傍にいるゆかりや美紀も、湊がそんなにも早くから勉強していると知って思わず苦笑いを浮かべている。

 ただ、木戸が本当に何の情報も知らないようなので、誤解を解く意味も込めてゆかりは事情を説明してやることにした。

 

「あー、あのさ。君は知らなかったみたいだけど、有里君が最下位だったっていうのはついこの前まで海外留学しててテストを受けてなかったからなんだよね。学校にまともに来てなかったのも同じ理由だし」

「それに加えて、彼は入学テストからずっと満点しか取っていません。私が学年主席になっていたのも、単純に彼が不在だったからであって、本当は有里君が私たちの学年主席なんです」

「そ、そんな……」

 

 ろくに相手の事も調べずに勝負を持ちかけたのは本当だったようで、木戸は愕然としながら肩を落としている。

 彼も決して悪い順位ではないのだ。優秀というには些か中途半端ではあるが、それなりに上の順位であることに変わりはない。

 だが、今回は相手が悪かった。見た目の派手さから不良だと決めつけていたことで、木戸は湊とチドリの学力を低いと誤認した。

 勝負を受けたのはテストが終わってからなので、どちらにせよ順位や結果は変わらなかっただろうが、それでも見た目に惑わされずに情報を集めていれば勝負など持ちかけなかったはずである。

 ゆかりと美紀から齎された情報を、事前に入手していればこんな事にはならなかった。木戸がそう落ち込んでいると、その正面に立っていた湊が誰が見ても営業スマイルだと分かる爽やかな表情で声を掛ける。

 

「まぁ、大したことじゃないから気にしなくていいさ。それよりすごいじゃないか。約二四〇人中三十三位なんて木戸はとても優秀なんだな」

「……そうね。私もどういった勉強の仕方をすればそんな順位になれるのか是非教えて貰いたいわ」

 

 湊が相手を褒めるとチドリも真顔のままそれに乗っかって会話に参加する。言葉通りの意味ならば褒めているように聞こえるのだが、そこに彼らの順位の方が上だという情報が加われば、途端に意味が正反対に変わる。

 意訳すれば、どうすればそんな悪い点数を取れるのか、と丁寧な口調でチドリは尋ねている訳だ。

 しかし、周囲からは純粋に木戸を褒めているようにしか聞こえないので質が悪い。

 

「なっ、どんな嫌味ですか! お二人の方が明らかに上の順位なのに!」

 

 二人の言葉の本当の意味も理解している木戸は当然怒ったように言い返した。

 怒って睨んで来ても、相手はチドリよりも背が低いので欠片も怖くないが、すぐ感情的になる事に肩を竦めて湊は余裕を感じさせる口調で言葉を返す。

 

「俺もチドリも他の生徒に悪影響を及ぼす不出来な生徒だからな。生徒会に所属する模範生に是非ともご教授願いたいだけだ」

 

 勿論、湊は嫌味として相手の言葉を混じらせる事を忘れない。

 言う度に相手の目がつり上がってゆくけれど、最初に二人をそう評価したのは木戸自身だ。よって、評価の訂正という自分の非を認めるのが癪だった木戸は、怒気を含んだ声で湊の質問にすぐ答えた。

 

「勉強なんて普通にしかしてませんよ! 宿題がてら復習して、終われば翌日の授業の教科書を見て予習するくらいで、あとはテスト前に提出課題をこなしてノートの内容確認をしながら勉強するくらいです!」

「そうすれば貴方みたいな順位になれるのね。私は宿題と部活メンバーで集まったときに勉強するくらいしかしていなかったから、今後は参考にさせて貰うわ」

「しなくていいですよ! 本当になんなんですかあんたらはっ」

 

 それだけやってて自分にも勝てないのか。そう言いたげに小馬鹿にしたような薄い笑みを浮かべるチドリに木戸は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。

 だが、チドリがこんな風に饒舌に話すことなど珍しい。しかも、その内容が相手を煽るものなので、他人などどうでもいいと思っていそうな普段の彼女を知っている部活メンバーは、チドリの意外な一面に驚くしかない。

 もっとも、チドリにも逆鱗とも言える怒るポイントがある事を思い出せば、今の彼女の状態にも納得がいった。

 そう、彼女は見ず知らずの他人が偏見のみで湊を馬鹿にしたことに怒っているのだ。湊が綺麗だと言ってくれた髪についても因縁を付けられたので、その分も纏めて返してやろうと意気込んでいたことも加わり言葉は余計に鋭さを増す。

 勝負に至るまでの経緯を見ていた部活メンバーは、当然悪かったのは木戸の方だと思っている。

 ただ、学内で最も敵に回したくない二人から遠回しにネチネチと口撃を受けている姿をみれば、一八〇センチ越えの男と風花並みに背の低い下級生という絵面もあって、どうにも木戸の味方をしてやりたい気持ちが芽生え始めていた。

 他の者がそんな風に考えている間も湊たちは言葉を続ける。

 

「ああ、そういえば、勝負のことは気にしなくていい。お互いにベストを尽くしたんだからな。上司共々無能かもしれないが、努力することに意味があるんだからどんな結果でも胸を張るといい」

「よかったわね。心の中では節穴って呼ばせて貰うけど、勝負自体は湊の情けで無効になったみたいだから気にしなくていいわ」

「思いっきり貶してるでしょうがっ」

 

 営業スマイルではあるが、さらっと貶しつつ周辺に光のエフェクトを幻視するほど綺麗な笑みを浮かべて湊が頑張った木戸を称えれば、続けてチドリが辛辣な言葉で相手の心を抉りにかかる。

 色々ときつい事を言ってくる事もある人間だとは思っていたが、二人揃うと威力は加算ではなく乗算だったかと、よく湊にいじられていたゆかりはゲンナリしつつ木戸に同情的な視線を送った。

 だが、部活メンバーの他にテストの順位を見に来た他の者が見ていたとしても、それらをただの背景として気にせず、湊は役者ばりの演技で本当に不思議がっているように見せながら木戸に質問をしている。

 

「貶してる? 意味がよく分からないな。済まないな不出来な生徒にも分かる様に言ってくれないか?」

「三十三位さんの言葉は難しくてあまり理解できないの。もう一度分かる様に言ってもらえる?」

「もういい加減にしてくださいよ!」

 

 本当に嫌なら逃げ出せばいいのだが、真面目な性格とプライドの高さが邪魔をして、彼は話が一区切りするまで去るつもりはないようだ。

 顔を真っ赤にして肩を震わせ拳を固く握りしめていることで、相手の限界が近いのは一目瞭然であり。魔王と魔女のコンビがあまりに一方的に少年を攻めていることで、今まで介入出来ていなかった美紀たちも流石にそろそろやめてやれと止めようとした。

 しかし、それより速く魔女の口から容赦のない指摘が入る。

 

「……貴方もしかして泣きそうになってる? これだけ大勢の前で泣けるってすごいわね。流石は三十三位だわ」

「だが、泣く理由が分からないな。ああ、そうか。テストの結果を不甲斐なく思っているんだな。三十三位でも慢心せずに上を目指すとは流石だ」

 

 その言葉が止めとなり木戸の目から涙がボロボロと零れ落ちる。涙を袖で拭い、鼻をすすりながら、それでも木戸は相手に言葉を返した。

 

「本当にいい加減にしてくださいよぉ! なにか恨みでもあるんですかぁっ!?」

「恨み? そんなのないわよ。だって、歯牙にもかけてないもの」

「ああ、路傍の石にそんな感情を抱く訳がない」

 

 少年が頑張って言い返してもこれである。何を馬鹿なと言いたげな表情をしながら、二人は本当に興味なさげな目で相手を見ており、必死に自分を奮い立たせて言い返していた木戸は、もう何が何だか分からないと袖で目を覆い、ついに何も言えなくなってしまう。

 少年は規則を破っている上級生を正義感から注意しただけだ。その後は生意気な年頃ということで、少々喧嘩を売る形になってしまったが、元を辿れば規則を破っている湊らにも非はある。

 だというのに、ここまで相手の心を折りにかかるとは酷過ぎではないか、と風花がチドリの袖を後ろから掴み、ゆかりが湊の背中を軽く叩いて、両者の間に入る形で美紀が口を挟んだ。

 

「あの、お二人とも流石に可哀想なので止めてあげた方が……」

「ふむ、どうやらお前は周囲から可哀想な人間に見えるらしい。よかったな同情して貰えるのもお前の人徳や人柄あってのことだぞ」

 

 だが、女子らに止められても湊は追撃を放った。今度のそれは彼のプライドまで粉々に破壊し、木戸は目を袖で覆って泣きながらその場にしゃがみ込んでしまう。

 今まで一緒になって口撃を加えていたチドリは湊がそうした事を何も責めようとしないが、最早これは弱い者いじめだとして、ゆかりや美紀だけでなく風花ですら怒ったように湊へ厳しい視線を送る。

 そんな視線を受けても本人はつまらなそうに木戸を眺めているが、人の集まる場所でこんな事をしていれば当然目立ってしまう。生徒らも湊たちを囲うように立っているので、騒ぎの中心は見つけやすく、そこにある女生徒が現れた。

 

「貴方たち、一体何を騒いでいるのかしら?」

「副会長ぉっ、この人たちをどうにかしてください!」

 

 人ごみを抜けて現れたのは、どこかツンとした冷たい雰囲気をした長い黒髪のスタイルの良い女子だった。

 知り合いの声を聞いて顔を上げた木戸から副会長と呼ばれた彼女の名は、高千穂 楓(たかちほ かえで)。2-Aに所属する生徒会副会長である。

 やってきた彼女は片手を腰に当てた状態で一同を見渡すと、知り合いであり生徒会の後輩でもある木戸が泣いている事に気付いて、彼にハンカチを渡しながら立たせるために手を貸す。

 

「なんで貴方は泣いてるの? というか、有里君じゃない。木戸君と知り合いだったの?」

「……いや、先週の土曜日に彼がテストの順位で勝負を挑んで来てな。まぁ、結果はご覧の通りで悔し泣きしてしまったらしい」

「そうなの? 木戸君も随分と無謀な事をするわね。というか、貴方って初等部から上がってきたのに有里君の事を知らなかったのかしら?」

 

 同じクラスになった事はないが、湊の同級生である彼女は湊の事を当然知っていたようで、よくこんな相手に勝負を挑んだなと若干呆れ気味に淡々とした口調で問いかけた。

 すると、自分の味方になってくれる人物が来た事で僅かに立ち直った木戸は、借りたハンカチで涙を拭きながら正直に答える。

 

「ぐすっ……知りませんよ、こんな人。テストの順位にだって一度も名前出てなかったですし。校内では一度も見てませんでしたから」

「一応、彼は中等部の広告塔になっているのだけれどね。出資者の娘である会長よりも、一般枠の生徒の方が宣伝にも使い易いから」

「だからって優遇し過ぎですよ。こんなにアクセサリーとかカラコンとか付けて……」

「有里君の眼も、吉野さんの髪も天然よ? この学校だとその話しも有名なのだけど、あんまり噂とかは聞いたりしないタイプだったのね」

 

 アクセサリーについては擁護出来ないが、彼らの眼や髪の色は完全に自前である。味方であり信頼している先輩がそういえば信じない訳にはいかず、湊らの説明を完全に適当な嘘だと思っていた木戸は驚いた表情をしていた。

 生徒の声を聞くべき生徒会役員でありながら、そんな校内でもそれなりに有名な話しも知らなかった後輩に嘆息する楓。

 しかし、彼女はすぐに思考を切り替えると、湊の方に向き直って不敵な微笑で話しかけてきた。

 

「それより、復学していきなり一位ってすごいわね。おかげでまた四位になってしまったわ」

「チドリや真田とそれほど差はないだろ。とりあえず、その二人に追いつけるように頑張ればいいさ」

 

 生徒会の副会長を務める楓だが、彼女は木戸よりも遥かに成績優秀な生徒で、湊もいる状態なら常に四位につけており、美紀やチドリに僅かに及ばないながらも徐々に差を縮めてきている。

 美紀のように完全に努力の人間なので、尊敬している美鶴と同じようにテストで満点しか取らないくせに不良にしか見えない湊を最初は嫌っていたが、真面目に授業を受けて部活も頑張っていると知ってからは、同じように教師からの評判がいいチドリも含めて偏見を持たずに接する事が出来るようになったという過去がある。

 木戸も喧嘩を売る前にリサーチしていればこんな事にはならなかったはずだが、その少年を放置しながら楓は湊の言葉にくすりと笑って答える。

 

「ええ、その内追いつくつもりだから、貴方も今の地位を維持しておくといいわ。それじゃあ、私は部活があるから行くわね。また今度留学中の話を聞かせて頂戴。私も少し興味があるから色々と参考にしたいから」

「……ああ、アジアと中東とヨーロッパ辺りの話しになるが、それでよければ教えよう」

「十分よ。それじゃあ、他の方もまた。木戸君は貸したハンカチは今度返してくれればいいわ」

 

 それだけ言うと順位を確認しに来ていた楓は去って行った。

 後には泣きやんだ木戸と部活メンバーが残るも、既に彼に対する興味を失っていた湊はチドリを連れてその場を離れてゆく。

 一緒にいたゆかりらは彼に何も言わないのかと考えたけれど、今日の湊とチドリは少年の心に一生もののトラウマを植え付けかねないので、これ以上の被害が出ないのであればと黙っている事にした。

 ポツンと独りになった木戸は、二年の順位表に視線を向けると改めて湊とチドリの名前を記憶する。そして、二度のあの二人を忘れないと心に誓いながら、ムスッとしたどこか拗ねた表情で鞄を取りに教室へと戻ってゆくのだった。

 

 

夜――中央区・マンション“テラ・エメリタ”

 

 木戸との勝負を終えた後、部活が休みだったことで湊は久しぶりに眞宵堂のバイトを行った。

 海外で手に入れてきた骨董品を栗原に渡す用もあったので、それを兼ねてのバイトだったが、商品の整理などもあったことにより、帰るのが十時を過ぎる頃になってしまった。

 最寄り駅までの迎えや夕食の準備がされているチドリと違い。一人暮らしの湊は全て自分でやらなければならない。

 家事自体は慣れているので問題ないが、遅く帰って来た日は自分のことだからと、つい食事などの手を抜きたくなってくる。

 そもそも、湊は筋肉などにエネルギーを蓄えているため、常人と違って軽い食事だけで一週間以上持たせることが出来るのだ。

 よって、食事の準備が面倒だった湊は、夕食は食べなくてもいいかと結論付け。パソコンに届いていた仕事のことを考えながらエレベーターを降りたとき、最奥にある自分の部屋の扉まで続く廊下の途中に人が倒れているのが目に入った。

 今は二月の中旬で、その時期の都内は夜には五度を下回る。おまけにここはマンションの最上フロアである十二階なので、地上よりも風が強く余計に寒く感じてしまう。

 どのような理由で倒れているのかは分からないが、下手をすれば凍死しかねないので、自分の部屋までの通り道であることもあり、湊は倒れている人間の元まで向かった。

 

(……女か)

 

 近付いた湊は相手が月光館学園の制服を着た女子だと気付く。バッヂの色から判断するに中等部一年生のようだが、身長は高めで首の下辺りには豊かな双丘があるので一年生には見えない。

 だが、残念ながら湊は引越しの挨拶も含めてご近所付き合いなどしていないので、この隣の部屋の扉の前でリュックを枕に丸くなって寝ている少女が家人かどうかも分からなかった。

 とはいえ、家人であろうとなかろうと、このまま放置すれば明日の朝にはコールドスリープを超えて永眠してしまうのは目に見えている。故に、色々と面倒だと思いつつも、相手の肩を揺らして声を掛けた。

 

「おい、起きろ。こんなところで寝たら凍死するぞ」

「ふぇ……? えっとぉ……おかまいなくぅ…………すぅ……すぅ」

「寝るな、莫迦! 寝るなら家の中にしろ!」

「んんぅ……ズズーっ……頭痛い」

 

 声をかければすぐに起きるかと思いきや、少女は再び夢の世界に旅立とうとしたので、湊は名前も知らぬ少女の頭に躊躇いなく手刀を落とす。

 寝呆けている相手でも、流石に頭部に攻撃を受ければ意識が覚醒したのか、もぞもぞと身体を起こして伸びをしたかと思えば、鼻をすすってガタガタと身体を震わせながら頭痛を訴えてきた。

 エルゴ研時代から飛騨の持っている医学書を読んでいた湊にすれば、アナライズも駆使して大概の患者の病名を看破する事が出来る。

 しかし、いまこの場に置いては、その様な医学の専門知識など全くの不要で、単純に一般常識さえ持っていれば少女の病名を言い当てることが出来た。

 そう、その病名とは、

 

「……風邪だ。この時期に制服とコートだけで寝ていれば誰だってそうなる。お前はこの家の人間か? どうしてここで寝ていた?」

「えっとぉ、学校に鍵を忘れちゃって。でも、気付いたときには学校しまってたんだけど、パパもママも家にいないから、学校が開くまでここで寝てようかなって思ったの。でね、起きたら頭が痛いしクラクラもして変だなぁって」

「だから、それは風邪だ。両親はどこに行ってるんだ?」

「アメリカでゲーム作ってるよぉ」

 

 少女の両親の居場所を聞いたとき、湊も頭が痛くなるような感覚を覚える。別に彼女の親の職業を否定する気はないが、仕事で海外に行くのなら娘も連れていけば良かったのではないかと思ってしまう。

 こんな真冬に家の前だろうと野宿しようとする娘だ。喋り方も少し間延びしてゆっくりなため、一人で置いてゆくには色々と危ない印象を持つ。

 彼女の親も彼女に似てゆっくりしていて気付かなかった可能性もあるが、どちらにせよ風邪を引いて熱まで出している人間を放置する訳にもいかない。

 鍵がなくともピッキングスキルで開けてやれるが、今の彼女に自分で色々する気力はないと思われるので、湊は相手を抱き上げると自分の部屋に運び込むことにした。

 

「寝床を提供してやる。だから野宿はやめろ」

「んー、でもぉ、知らない人の家には行っちゃいけないってママが言ってたからぁ」

「お前の家の隣に住む有里湊だ。文句があれば訪ねてくればいい」

「えっとね。わたしは羽入(はにゅう) かすみって言うんだよ? 湊君の家ってお隣なの? えへへ、すごい偶然だねぇ」

 

 何にもすごくないし偶然でもない。部屋に向かう途中に相手が倒れていたのだ。幅二メートルほどの廊下でゆかりよりも少し背の高い女子が寝ていれば嫌でも目に入る。

 抱き上げた感覚だと発育はとても良いが太っている訳ではなく、むしろ、軽い部類に入るとすら思う。二―ソックスが僅かに食い込んだ白い太腿には健康的な色気を感じ、顔もぽやっとした性格通りにどこか気の抜けた愛嬌というか可愛らしさがある。

 正常な男子であれば、相手が風邪で弱っているのをいい事に、部屋に連れ込めばいやらしい事をしていたのだろう。

 だが、湊はその正常からずれた存在だ。枕にされていたリュックと共に相手を抱き上げれば、そのまま自分の部屋の扉を開けて、少女を自宅へと招き入れる。

 玄関では靴を脱がし、とりあえずリビングのソファーまで連れて行って寝かせると、一度離れてどこからか持ってきたタオルケットをかけてやった。

 ずっと外にいた彼女にはそれだけで幸せなのか、嬉しそうな顔で何やらヌクヌクしている。

 

「わぁ、あったかいねー」

「……少し待ってろ。風呂にお湯を張ってくる。溜まったら入って身体を芯からあっためてこい」

「えっとね。タオルもパジャマも下着もないよ?」

「タオルとパジャマ代わりの物は貸してやる。下着はお前が風呂に入っている間に洗って乾かしておくから、それを付けろ」

「んー、でもなぜか頭がぼーっとして一人じゃ入れないかなーって」

 

 確かに相手は話す事は出来ているが自分では動けていない。この状態で風呂にいれれば、様子を見に行ったときに下手をすれば浴槽に浮かんでいるかもしれない。

 人を殺める事は問題なく出来るが、流石に何の罪もない少女を監督不行き届きで殺す気はない。

 今の湊は読心能力を常にオフにしている訳だが、それでも動物の声は副音声のように意味を理解出来るし、周囲の人間が自分に対して好意と悪意のどちらを向けているかは自然と理解出来てしまう。

 その能力に当てはめれば、この少女は幼い子どものように純粋で、知り合ったばかりだというのに湊を完全に信頼して好意を向けてきている。性質は異性に対する物ではなく、友人などに向けるようなライクの方だが、それでも自分を頼ってきた善性存在を理由もなく突き離すなど、甘過ぎるくらいに優しい青年に出来るはずもなかった。

 

「……はぁ、とりあえず待っておけ」

 

 一度深い溜め息を吐くと湊は少女から離れてゆく。荷物などマフラーに入れているので持ち歩いていないが、コートなどいくつか部屋に置いて来たい物はあった。

 よって、それらを部屋に置いて彼女に貸すためのパジャマなどを用意すれば、時流操作で外からは一瞬のうちに溜まったように見せながらお湯を張り。自分も濡れてもいい服装に着替えてから、かすみの元に戻ってきた。

 

「それじゃあ風呂にいくぞ」

 

 言いながらソファーで寝ている少女の背中と膝の裏に手を入れて抱き上げる。彼女は未だにコートを着たままだが、どうせ脱衣所で裸になるのだから一度に脱がせても問題はない。

 リビングから移動し、脱衣所では寄りかかる様に立たせた状態で次々と服を脱がせ、その際に相手がまったく恥ずかしそうにしていない事を不思議に思いつつ、相手を風呂場のバスチェアに座らせればシャワーでお湯をかけてやる。

 

「ふふー、あったかいよぉ」

「……自分で身体を洗う気はあるか? それとも俺が身体に触れても問題ないか?」

「洗ってくれるの? ありがとー」

 

 質問に答えていないが意味はきちんと伝わっていたようなので、湊はスポンジでボディシャンプーを泡立てると、ふんわりとした柔らかい泡で少女の白い肌を傷付けぬように洗う。

 雫が珠のように肌の上を滑るほどの瑞々しさと張りをした肌だ。湊も少女以上にきめ細かな若い肌をしているが、相手が女子であればそれは高級なガラス細工のように丁寧に扱わねばならない。

 

「えへへ、くすぐったいよぉ」

「……前も自分で洗わなくていいのか?」

「いいよぉ。あのね、おっぱいは谷間とかに汗をかくから綺麗にしなきゃいけないんだって」

「……洗う前にわざわざ言うなよ。というか、お前は男に触られることを気にしろ」

 

 右手で出しっ放しになっているシャワーを持ち、左手のスポンジで少女の鎖骨や胸を撫でるように洗う。

 相手は年下だがその戦力はチドリやゆかりよりも圧倒的だ。小玉スイカやメロンとでも言えばいいのか、掌から僅かにこぼれそうになるほどの質量を持った胸が、彼女がくすぐったさに身を捩る度に揺れている。

 とはいえ、湊はイリスと普通に風呂に入っていたので、相手が見られたり触られて嫌がるのではないかと気を遣いはすれど、見慣れている事もあって全く欲情などしていなかった。

 男性や思春期男子としてはむしろ不健全だが、残念なことに湊は身体は男でも遺伝子上は両性であるため、順平や友近が泣いて羨ましがるような桃色イベントも、単純な病人の介護として認識されていた。

 そうして、胸などのデリケートな部分も全て洗い終え、再び相手を抱き上げると大きな浴槽にゆっくりと座らせる。

 湊は服を着ているので入らないが、相手がバスタブの縁に置いた腕に頭を乗せて惚けた顔で何やら言っている。

 

「じゅわ~ってするねぇ」

「……入浴剤はいれてないがな」

「身体の内側がぽかぽかするよぉ。湊君も一緒に入ろう?」

 

 入浴剤も入れていないのにじゅわっとすると言われて何の事かと思ったが、彼女の言葉選びが特殊なだけでじんわりとお湯の温かさが沁みてくるという意味らしい。

 上機嫌にお風呂に入っている相手はほとんど動いていないので、このまま放っておいても溺れたりはすまい。

 身体が冷えていたので風呂に入れたが、風邪を引いている人間に長風呂は禁物だ。風呂というのは血管が収縮して血流がよくなることもあって、本人が思っているよりもかなりの体力を消耗する。故に、十五分ほどお湯に浸かればあがらせた方が良いだろう。

 

「やらないといけない事があるので遠慮させてもらう。しばらく大人しくお湯に浸かっててくれ。寝室の準備やお前の服を洗濯してくる」

「そっかぁ。うん、いってらっしゃーい」

 

 彼女が一人で入浴出来ていればその間に準備が進められたが、身体を洗ってやっていたことで準備は何も出来ていない。

 相手に大人しくしているように言いつけ、湊は風呂場を出ると寝室に加湿器と暖房を入れ、再び脱衣所に戻って来れば彼女の衣類を下着だけ別にして、二回に分けて洗濯した。

 

***

 

 少女の身体を十分に温めたことで、あがらせて身体を拭き、髪もドライヤーで乾かすとショーツにバスローブだけ着させて寝室へと運んだ。

 他の衣類は先にベッド横のナイトテーブルに畳んでおいており、バスローブを着た相手はキングサイズのベッドを見て感動したように声を漏らす。

 

「わぁ、王様のベッドだぁ。えっとね、パパとママが言ってたけどわたしもお姫様なんだよ? 湊君もどこかの国の王子様?」

「……血筋的には神だな。学校では皇子と呼ばれているが」

「一緒だねー。あのね、ママが言ってたけどお姫様は王子様としか結婚しちゃ駄目なんだって。だから、パパは駄目なんだよ?」

「……お前の母親は父親の夢を一つ壊したな。きっと言って貰いたかっただろうに」

 

 父親の夢の一つとして娘に「お父さんと結婚する」「パパのお嫁さんになる」と言ってもらうというのがある。

 全ての父親がそう考えている訳ではないが、娘を姫と呼んで溺愛している両親のようなので、きっと相手の父親は言ってもらえる事を夢見ていたに違いない。

 そんな事を考えながら、言葉の意味が理解出来ないらしく首を傾げている相手をそのままベッドに運び、湊は相手の着ているバスローブの帯を解くと脱がせてベッドにうつぶせる様に指示を出す。

 

「風邪を治してやる。シーツの上にタオルを敷いているから、そこにうつぶせで寝転がれ」

「湊君はお医者さんなの?」

「まぁ、大概のことはできるよ」

 

 素直に指示を聞いて相手が寝転がれば、湊はナイトテーブルに置いていた器具を取り出した。そこにあったのは鍼灸治療用の鍼だった。

 本来ならばちゃんとした資格を持っていなければ違法だが、この男は相手が誰にも話さないと分かっているので、手っ取り早く鍼で治してしまおうと思ったのだ。

 風邪で意識が朦朧としていながらも、湊が何をするのか興味深そうに見ていたかすみは、その手にあるのが鍼だと分かって驚いたように目を大きく開く。

 

「針? チクチクして危ないよ?」

「まぁ、少し痛いかもしれないが上手くやる。風邪の症状を緩和するのなんて鍼治療じゃ一般的なんだぞ」

「そうなの? お薬とどっちがすごい?」

「体質によるな。ただ、相性がよければ三十分もせずに楽になるさ」

 

 言いながら湊は相手の背中を触診してどこに鍼を刺すかを探ってゆく。胸が大きいせいで肩こりもあるようなので、そちらもついでに治してやるかと考えつつ、湊は鍼を取り出すと慎重に刺し始めた。

 刺す瞬間はやはり刺激を感じるようだが、何本も刺している内にびくびくしていた相手の身体から緊張が抜けていた。

 重ねて腕を枕代わりにしていた相手の顔は緩みきっており。時折なにやら声を漏らしている。

 

「ふぁ……んふふー…………うーん」

「……どうした?」

 

 身体さえ動かしていなければ、別に相手が歌っていようと手元を狂わせたりはしないが、ずっと声を漏らしていると何かあったのかと思ってしまう。

 アナライズと長年の勘で治療が上手く行っている事は確認しているけれど、何か自分の気付かない事があるのなら言って欲しい。

 そう思って湊が尋ねれば、かすみは涎を垂らすほど蕩けた顔で答えてきた。

 

「きもちぃ……身体のふらふらも頭が痛いのも治ってきたよぉ。湊君は王子様なのにお医者さんにもなれるんだねー」

「まぁ、一般向けの職業は学生だがな。俺は月光館学園に通う二年生だ」

「そうなの? じゃあ、一緒にいけるね」

 

 家は隣で通う学校は同じ。湊の所属する部活に朝練はないので、相手も朝練に出ないのであれば一緒に学校に行く事は出来る。

 しかし、満面の笑みを向けてきているこのポヤポヤとしたのと一緒に行くのは、主に精神的な意味で疲れそうだと内心で遠慮した。ただし、それを口に出せば相手が傷付くような気がしたので、誘われたときに理由を付けて断ると決めるだけに留めておく。

 湊はその後も治療を進め、処置してしばらくしてから相手をパジャマに着替えさせると、スポーツドリンクを飲ませて寝かしつけた。

 鍼治療は相性が良ければ確かに症状を緩和させるなど効果があるが、やはり体力が落ちている状態では睡眠も必要なのだ。

 相手がしっかりと眠ったことを確認した湊は、治療に使った器具を片付け、シーツの上に敷いていたタオルとバスローブを洗濯機に放り込むべく部屋を後にした。

 

 

2月17日(土)

早朝――湊自宅

 

 一晩ぐっすりと寝た羽入かすみは湊のベッドで目を覚ました。起き抜けでぼーっとする頭で辺りを見渡し、自分の部屋でないことに気付くが、特に気にしたりはしないのか不思議そうに首をかしげつつベッドからモゾモゾと抜け出す。

 ベッドの横のナイトテーブルには自分の携帯とブラ・キャミソール・ニーソックスが畳んで置かれ、制服とコートはハンガーにかけられて吊るされており、リュックはベッドの脇にそのまま置かれていた。

 けれど、携帯で時刻を確認すればまだ五時半にもなっていない早さなので、いつも七時以降に着替えているかすみは、携帯の近くに置かれていた誰の物か分からないフリースをパジャマの上に着させて貰うと、トテトテと歩いて部屋を出た。

 ここは自分の家ではないが、こちらの方が少し広いだけで家の作りは大体同じであった。部屋を出たかすみはトイレを借りて用をたし。ちゃんと手を洗って出てくるとリビングに向かう。

 冬の五時台ともなればカーテンの外は真っ暗だ。しかし、廊下からでもリビングから明かりが洩れていることが分かったので、誰かしらいるのだろうとリビングと廊下を隔てる扉を開けてそろそろと中に入った。

 

「……起きたのか。体調はどうだ?」

 

 中に入るとそこには湊がいた。いつもはゆかりなどにアレンジされ結っている髪をシンプルなポニーテールにして、ソファーで英文が書かれた書類を眺めながらノートパソコンで作業していたらしい相手は、かすみにも向かいのソファーに座る様に手で示し、身体の調子を尋ねてくる。

 

「えっとね、お腹は空いたけど元気だよ?」

「そういえば、お前は夕食を食べていなかったのか。外食はしなかったのか?」

「昨日はね。レトルトカレーを食べようと思ってたから、外食はしなかったんだ」

 

 その日の夕食をこれと決めていたので、かすみは他の物を食べようと考えていなかった。

 別に絶対に決めた物しか食べない訳ではないが、夕食について考える前から扉の前で寝ていたことですっかり食べるのを忘れていたらしい。

 夕食を食べる前から寝ていたとすれば、少なくとも三時間以上はあそこにいたことになるが、よくその間に不審者に襲われたり近所の人間に会ったりしなかったなと湊は純粋に驚く。

 そうして、見ていた書類をファイルに仕舞うと、パソコンを閉じてから席を立ち、かすみをその場に残したまま湊はキッチンに向かう。

 このマンションは建ってからまだ新しい部類に入るが、部屋の広さに十分過ぎるほどの余裕があるためカウンターキッチンではなくキッチンで一部屋とってある。

 カウンターキッチンは料理の配膳がしやすくお洒落で人気は高いのだが、収納等で不便な部分もあるので、料理をする湊はキッチンはキッチンとして一部屋取っている方が好みだった。

 ソファーにかすみを残してキッチンに消えていた湊は、一度戻ってくるとコップとスポーツドリンクを彼女の前に置いてゆく。身体を冷やすといけないので室温保存のものだが、喉が渇いていたかすみは笑顔で礼を言ってこくこくと喉を小さく鳴らしながら飲んでいる。

 相手が大人しく待っている間に、時流操作も使いつつパパッと料理を作ってしまえば、ダイニングの方に移動するよう手招きし、テーブルの席についた彼女の前に料理を並べた。

 

「うわぁ、おそばと稲荷寿司だ。食べていいの?」

「……ああ、お茶も持ってくるから食べていろ」

「えへへ、いただきまーす」

 

 お箸を手に持ったかすみは手を合わせて礼をすると、ざるに盛られた蕎麦を湯気のたっている汁につけて口へと運ぶ。

 どうして温かい汁と蕎麦が分かれているか不思議に思ったが、たっぷりネギと鶏肉らしきものが入った汁につけたそばを味わったかすみは、そんな事はどうでもいいと思うほどの幸せを感じた。

 

「これ美味しぃ。このお肉はなぁに?」

「それは鴨肉だ。鴨南蛮や鴨せいろと言われたりする蕎麦で、冬に脂ののった鴨肉を使うといい出汁が出て上手く作れる」

 

 説明を受けたかすみは早速旬の鴨肉を頬張っていた。醤油ベースの少し甘いつゆとよく絡んだ柔らかい鴨肉は、噛む度にジューシーな肉汁とつゆが溢れだし、蕎麦だけでは少しボリュームが足りないかと思っていた彼女の意識を一八〇度変える。

 これだけで十分ご飯のおかずになりそうな鴨肉だが、一緒に入っている細く切られた長ネギや三つ葉と一緒に食べれば、口の中をさっぱりとさせて味の変化で飽きるのを防いでいた。

 

「ふふーん、こっちの稲荷寿司も美味しそぉ」

 

 山型ではなく俵型に包まれた稲荷寿司を箸で掴み、二口に分けて食べてゆく。蕎麦の汁も少し甘いものだったが、こちらの方が甘さは強いので差別化は図られている。

 ほんのりと温かい酢飯の爽やかな口当たりの中に、何やら別の風味と食感が混じっている事で何かが混ぜられている事に気付く。

 かじった部分を見てみると、雑穀らしき物が混じっているようなので、雑穀米で作った酢飯なのだろう。

 かすみは料理に関しては素人だが、テレビで雑穀米は身体にいいと聞いていたので、蕎麦にたっぷりとネギが入っている事も含めて風邪に良いメニューなのだろうと思った。

 

「これって風邪の人に作ってあげるの?」

「別に風邪でなくても作るぞ。最初は洋風の雑炊というかクッパのような物を作ろうかと考えていたんだ。ただ、体調が良さそうなので肉でボリュームを出せるこちらにした」

「クッパ? 亀の料理?」

「ん? いや、韓国料理の雑炊みたいなものだ。というか、亀なんて簡単に手に入らないだろ」

 

 ゲームをよくするかすみはクッパと聞いて有名ゲームの敵キャラを思い浮かべた。けれど、ゲームをしない湊は意味が分からなかったようで、それ自体が料理名だと教えてやる。

 ちなみに、亀の肉は中々手に入らないとは言ったが、桜や鵜飼らの行く顔馴染みの高級料亭で和食を教わった湊は、スッポン料理も普通に作る事が出来る。

 ただし、血の処理が面倒なのと臭いが残るので自宅でする気はさらさらなかった。

 そんな事はまったく知らないかすみは敵キャラと同じ名前の料理名に興味を抱きながら、湊が作ってくれた料理に舌鼓を打つ。

 相手は中々の健啖家らしく、たった一夜だけだったとしても風邪が治ったばかりで食べれないと思っていた湊は、途中で席を立って追加のつゆに蕎麦と稲荷寿司を持ってきた。

 新たに追加されたそれらを食べているかすみを見ながら、湊は彼女にこの後の事について説明しておく。

 

「食べたらもう少し寝ておけ。朝食にサンドウィッチを持たせてやるから、そっちは学校で食べるといい」

「お昼のお弁当は?」

「……お前、意外と図々しいな。まぁいい。起きるまでに鍵は取りに行ってやるから、一度家に寄って今日の授業に必要な物を持っていけ」

 

 そういいながらも、実は既に学校に侵入して鍵は取って来てある。彼女のクラスはリュックに入っていたノートの名前欄で容易に確認できたので、ピッキングやスニーキングミッションが得意な湊には造作もないことだった。

 鍵を学校に行ったときに持って帰ろうと思っていたかすみは、今日の授業に必要な物に関して頭からすっぽり抜けていたようで、言われて思い出したことでウンウンと頷いて答える。

 それを見た湊は心など読まずともこいつは忘れていたなと看破し、食べ終わってもう一眠りしに行った相手を見送ると、食器を片付けて朝食のサンドウィッチと昼の弁当に水筒まで用意しておいた。

 プリンス・ミナトのメンバーでなくとも羨むような品々だが、かすみも木戸と同じように湊について知らない人間だったようで、送り出されてから学校で食べるときには、美味しいなと思って自分の席で一人ぱくついていたのだった。

 

 

 

 




湊の異能解説:其の二

・機械の支配権強奪
 心臓を包む様に内蔵している十字型の黄昏の羽根“エールクロイツ”の力によって、機械に積んだ黄昏の羽根と同じ役目を果たすことが出来る。
 湊はさらに自分の力を上乗せすることで効果範囲を広げることにより、影時間外だろうと一部のシャドウのように機械その物を操れる。
 しかし、機械その物を動かしているだけなので、データの改竄やハッキング等は出来ない。


・霊視
 幽霊を視ることが出来る能力。九頭龍家の血筋であれば二級三爪守護龍憑き以上ならば標準で備えている。一般人でもこの力を持っている者はいて、湊のまわりでは桜・佐久間・紅花がかなり強いレベルで所持している。


・読心
 高次の精神を持つ全ての生物が発しているイメージを読み取る力。人間は言葉に頼った為に、イメージを読み取る力が退化しているが、名切りは紀元前から現代まで力を伝えており、血に目覚めた湊も使えるようになった。
 アイギスはこれによって動物の言葉を理解しているが、湊の場合、受信する能力が強すぎて相手の思考だけでなく記憶まで読めてしまう。記憶を読むときには当時相手が抱いた感情も含めて読み取れるので、まさに相手の人生の追体験する事が出来る。
 最初は本人の意思に関係なく常時発動している能力だったが、アイギスが口移しでエネルギーの譲渡を行ったことにより能力が混ざり安定し。現在ではオンオフを切り替えることが出来るようになっている。


・影時間の展開
 エールクロイツにエネルギーを送ることで発動可能になった能力。
 基点はあくまでエールクロイツだが、効果範囲は自在に変えられるため、都市一つを覆うほど広範囲に展開することも出来れば、自分の体表面までの極狭い範囲だけ展開する事で現実世界でも影時間状態で活動する事もできる。


・時流操作
 影時間の展開と同時期に目覚めた時の流れを操作する能力。
 こちらも基点となるエールクロイツにエネルギーを送ることで、限定空間内の時の流れを外界と変えることが出来る。
 戦闘時ならば、空間内の時間を加速させる事で外界より速く動くことや、逆にエールクロイツと敵の放った攻撃といった対象までの空間内だけ時の流れを減速させる事でほとんど停止させ、相手の虚を突くなどといった使い方も出来る。
 しかし、エールクロイツは湊の心臓を包んでいるので、エールクロイツと対象までの空間内だけ時の流れを変えるときは、心臓以外の部位は普通の時の流れにいるため発動中ずっと心臓に負担をかけることになってしまう。

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