【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百二十一話 美鶴たちの中等部卒業

3月22日(木)

朝――巌戸台分寮

 

 その日、桐条美鶴は少しばかり早めに起きて学校に行く準備をしていた。

 今日は平日だが中等部の卒業式だ。都内の学校ではほとんどが同じ日に行っているので、別に平日に行われる事は珍しくもないのだろう。

 忙しいはずの父も、静養している母も来てくれると言っていた。行方不明だった有里湊も片目を怪我していたが、五体満足で復学していたので、憂いの消えた今の彼女はとても充実していた。

 

(はぁ……とはいえ、卒業するとなると少し寂しい気持ちになるな)

 

 中等部を卒業しても、四月にはお隣の高等部に入学する。説明ガイダンスや入学前の学力テストなどで来週も同じ通学路を歩く事になるので、校舎が変わる事や同級生が増えること以外それほど変化はないだろう。

 それでも、三年間通っていた校舎から去るというのはしんみりとした気分になる。

 生徒会は来年も立候補すると役員の後輩全員が言っていたので心配していない。

 もっとも、能力がある者が役員になるべきだと他薦でも候補者になるシステムなので、来年度の生徒会長は自分の後輩ではなく他薦で立たされる湊になる可能性は大いにある。

 どういう訳か一年生の木戸庶務が彼を嫌っていたので、来年も立候補するつもりならば通れば部下になってしまうのだが、その辺りは本人らの判断で自由に任せるつもりだ。

 

(適性者候補は今のところは有里と吉野しかいない。彼らの周辺で数値が高まってきている動きはあるが、今の有里の数値が分からないので、その辺りも来月の健康診断で分かるだろう)

 

 湊とチドリの勧誘はチドリとの約束によって出来ない。高等部になれば再チャレンジしてもいいかもしれないが、根が真面目な美鶴は相手の許しが出ない限りは、高等部になろうが社会人になろうが勧誘するつもりはなかった。

 それでも仮に勧誘するときが来るとすれば、あまりにシャドウの被害が深刻化し、自分たちだけでは手に負えなくなってしまったときがその時だろう。

 桐条グループも必死に研究を続けてどうにか影時間を消せないか探っているが、いまのところは何の糸口も掴めていない。

 つい先日、久しぶりにタルタロスを見に行ったとき、いつの間に増えたのか白銀の扉が階段の横に現れていた。

 真田と荒垣も一緒にいたので、二人にも協力してもらい調べてみたが、扉は全く開く気配もなく冷たく佇んでいた。

 しかし、心の奥深くに眠る本能のようなものが警笛を鳴らし、この扉は危険だと直感で知らせていた。

 他の二人も同じように感じていたらしく、どこへ続いているのかは不明だが、とりあえず今の自分たちの実力では扉が開いても行くべきではないと判断し、それ以降はタルタロスを見に行った日に調べる以外は何もしていない。

 今後もまた扉が増えてゆく可能性もあるが、それが何に起因するのか分からなければ法則も掴めず、毎日確認しに行くしか調べる方法はない。

 普通ならば監視カメラをセットすれば済む話であっても、影時間のこととなると調査機材に黄昏の羽根を積んだり、頻繁に回収しにいけないこともあって長寿命バッテリーを用意する必要がある。

 美鶴たちの行けない日は、桐条グループの人間が行ってくれるのならバッテリーは気にせず済むが、街中にはイレギュラーシャドウが出ることもあるので、戦う力を持たぬ者らにそんな危険を冒すような真似はさせられない。

 やはり、高等部に入ってから新しい仲間を探してタルタロスを攻略する必要があると考えながら、美鶴は湯気のたっている温かな紅茶に口を付けた。

 

「……フゥ、上手く淹れられたな」

 

 これは先日、幼馴染で宗家ではお傍御用を勤めている斉川菊乃に教えて貰った茶葉だが、スッと引くような後味で、朝や作業をしているときに飲むと頭が冴えるような気がするので、自分の中ではちょっとしたブームとなっている。

 年末年始に宗家に戻った際に、自分が何やら悩みを抱えていると思った菊乃は、紅茶党の美鶴の事を考えてこの茶葉を探して来てくれたらしい。

 仲間が二人も増えたことで影時間の活動も充実しつつあるというのに、自分をよく知る者には胸中に抱える今後への不安を簡単に見抜かれてしまう。

 仮に自分がこのまま特別課外活動部のリーダーとして仲間を纏めるとすれば、そんな風では仲間にまで不安が伝染してしまいそうだ。このままではいけないと、今日が丁度一つの区切りであるため、美鶴は本心を隠す術を身につけ、もっと皆を纏められる強さを手に入れようと思った。

 

 

昼――月光館学園・中等部

 

 卒業式を無事に終え、卒業証書や卒業アルバムの入った鞄を持った真田と荒垣は、美鶴から今日は両親と過ごすと聞いていたことで、特に声をかけたりもせずに校舎から出てきた。

 校舎から校門までの道は生徒と保護者で溢れているが、自分たちの知り合いは一人とても目立つ髪色の少女が混じっていることで見つけやすかった。

 長かった髪を急にばっさり切っていたことには驚いたものだが、少しすれば自然と慣れていった。

 もっとも、少女の家族である青年の変化には未だに慣れない。今までは身長差で見下せていたのが、反対に相手に見下されるようになったのは非常に腹立たしいものがあるのだ。

 一体何センチになったのだと尋ねれば、煙管など吹かして一八三センチだと答えた。他の女子も詳しくは知らなかったようで、一八〇越えはスペック高いと言いながら楽しげにはしゃいでいたため、その中に妹がいたこともあり真田はまだ止まっていない身長を伸ばす努力を密かに始めていた。

 ついでに言えば、荒垣も湊に見下されるのが癇に障ったのか、最近では身長を伸ばすためのレシピを研究し自炊している。

 二人ともまだまだ成長期で背は伸びるので、今から意識的に取り組めば夢の一八〇台に届く可能性は十分にあった。

 とはいえ、今日はその青年は来ていないようで、在校生として卒業式に出席していた面々の元に向かった二人を、彼と教師を除く美術工芸部のメンバーたちが迎えてくれた。

 

「先輩、卒業おめでとうございます」

「おう。つっても、四月からは隣の敷地に移るだけだけどな。通学路も何も変わりゃしねえ」

 

 ゆかりから祝いの言葉を言われた荒垣は、隣の高等部に移るだけなので、駅から少し近くなる以外は通学路も殆ど変わらないと嘆息する。

 ここにいるのは半年だけ初等部に通っていた湊を除き、全員が中等部から入学して高等部に進学する予定の者ばかりだ。

 湊のように一年間ほど留学するでもしなければ、小学校と同じ期間の六年も同じ通学路で通う事になる。

 それで今さら新鮮さを感じろというのも無理な話で、校舎が変わり装飾品等の校則が緩む以外に変化はほとんどないと、折り返しでしかない中等部の卒業自体にもあまり感動しないのはしょうがないのかもしれない。

 

「……これ、湊から二人にって手紙預かってる」

「なんだ、参列できないからってわざわざ手紙を寄越すとは変なところで律義なやつだな」

 

 二人がやってきた事で鞄をごそごそとしていたチドリが、手紙の入った封筒を真田に渡した。そこには『卒業されるお二人へ』と書かれており、無駄に達筆なこともあって後輩からそんな物を貰った真田らは不思議な気分になる。

 けれど、チドリに預けてまで届けられた手紙であるため、せっかくだから読んでみようと封を開けて中身を取り出した。

 

 ――――荒垣先輩、真田先輩、御卒業おめでとうございます。お二人の新たな門出の日に、このような手紙での見送りとなることを先ずはお詫びさせて頂きます。

 お二人との出会いは四月初旬の昼休みでしたね。“敗北記念日”と呼ばれるようになったあの日の事は、今もまるで昨日の事のように覚えています。つい先日まで小学生だった後輩に喧嘩を売ったくせに、全く歯が立たずに無様に負けた真田先輩の茫然とした表情はいい思い出です。

 それから時が経ってからした試合のことは覚えていますでしょうか? “惨敗記念日”との呼び名で親しまれておりますが、あの日の真田先輩は自分が知る中でも最もいい表情を浮かべていました。口からだらしなく涎を垂らし、白目を剥いてリングに寝そべっていたときの先輩は、これぞ負け犬という姿を私たち後輩の脳裏に刻んでくださいましたね。自分ならあんな姿を晒せば恥ずかしさに人前に出ることなど出来ませんが、常人とは異なる胆力を持つ先輩はいまも堂々とされていて素直に尊敬します。

 あれからしばらくの間、私たちの学年では密かにビッグマウス真田と呼ばれていたのですが、そのあだ名を広めたのは自分です。先輩もリングネームが欲しいだろうと思って親切心から行ったのですが、残念なことにシスコンボクサーが先に定着しつつあったようなので、潔く身を引いておきました。どうか後輩たちの考えたリングネームを大切にしてあげてください。

 荒垣先輩との思い出は、正直それほどありません。呼べば来る犬のような根っからのパシリストである先輩は、自分よりも女子たちに呼ばれていいように使われていた姿がとても印象的でした。

 ああ、この人は恋人や妻の尻に敷かれる運命にあるんだな、と明るい未来を思わず幻視してしまうほど板についた小間使い姿は流石の一言です。

 その姿を見た男子の何名かは、自分たちも先輩のように女子らに使って貰いたいと鼻息を荒くしていました。彼らはまだまだ未熟ですので、先輩の手が空いているときには、一流パシリストとしての心得などをご指導していただければと思っております。後進の成長のためどうか御一考ください。

 話が長くなりましたが、瞼を閉じれば思い出す先輩たちの雄姿を一生忘れません。先輩方の逸話を今後も後輩たちに伝えてゆくとともに、私自身もそれを反面教師として己を高めて行きたいと思います。

 お二人のこれまでのお導きに心から感謝し、両名の安らかなご冥福をお祈りいたします――――

 

 読んでいる途中で肩をわなわなと震わせていた二人は、律義に最後まで読み終えると湊からの手紙を握り潰して地面に叩きつける。本当は破り捨てたかったが、ゴミを出すのはどうかと思い耐えたのだ。

 男たち二人のそんな行動に女子らは驚きつつ、クシャクシャになった手紙を美紀が拾い上げると他の女子も一緒になって目を通す。

 そして、彼らが手紙を捨てた理由が分かったようで、困ったような苦笑を浮かべると手紙を送られた二人に同情的な視線を向けた。

 別に荒垣も真田も湊の手の込んだ悪戯には慣れているので電話で怒鳴りこんだりはしないが、わざわざ全てに目を通して無駄にした時間を返せと疲れた表情で溜め息を漏らす。

 

「祝電のふりして弔辞を送ってくるとか悪質にもほどがあんだろ。ってか、暇人かあいつは」

「吉野。あいつ、面倒くさがって来てないだけで実は家で寝てるだろ」

「……湊はいま一人暮らししてるから普段の行動は把握してないけど、手紙の他にプレゼントも預かってるわよ」

 

 言いながらチドリはごそごそと鞄から預かっていたプレゼントを取り出す。真田には両手で軽く抱えるほどの大きな箱を、荒垣には週刊漫画雑誌ほどの箱を、それぞれにしっかりと手渡す。先ほどの手紙のことがあって警戒しているようだが、包装されている事で紙を破いてみなければ分からないため、二人は視線を交わすと同時に開けた。

 

「これはっ!?」

 

 袋を破いてパッケージとなっていた箱を見た瞬間、真田が目を見開き驚きの声をあげる。彼の方は荒垣と比べて大きな箱だったが、そこにはボディビルダーらしき外国人の写真と派手な色とポップな書体の英文が書かれている。

 他の者はそれが何か分からないが、真田は箱を地面に下ろすと真剣な表情で箱を開けて中身を確認し、中に入っていた六つの袋を全てじっくりと見終わると納得したように頷き口を開いた。

 

「このパッケージは間違いない。その日の気分に合わせて選べる六種の味、冷たい水だろうとサラッと解け、極めて高い吸収性から飲んですぐにウォーミングアップを始められるという、現ライト級世界チャンプも愛飲しているという高級プロテイン。その名も“ディーププロテイン・サード”!」

 

 商品名を声高に宣言する際、真田は拳をぎゅっと握りいい笑顔(グッドスマイル)を浮かべる。

 それを見ていたゆかりは、お前は深夜のテレビ通販の人間か、と突っ込みをいれたい衝動に駆られたが、今の真田を下手に刺激すると延々とプロテインの素晴らしさを語りかねないので、面倒を嫌ったゆかりはぐっと堪える。

 そして、今度はその隣の荒垣に視線を送れば、彼は彼で出てきた箱の中身を確認して何やら驚きを見せていた。

 

「こいつは、ダイヤモンドシャープナーにペティナイフとキッチンバサミのセットか。っておい、“芳貞(よしさだ)”のじゃねえか!? 一体いくらしたんだこれ……」

 

 荒垣の言った“芳貞”とは、高級料亭の板前も愛用するほど優れた品質を持つ包丁ブランドの事だ。

 専門の職人たちが一本一本作っており、今では海外のシェフたちもわざわざ買い求めに日本へ訪れるほどだと言われている。

 箱に入っていたペティナイフは全長二十五センチほどの物だが、キッチンバサミとダイヤモンドシャープナーまでセットになっているので、同メーカーの和包丁を一本買うのと変わらないのではと思ってしまう。

 以前から湊の金銭感覚は庶民と若干ずれているとは思っていたが、今回は卒業祝いだとしても貰い過ぎな気がした。荒垣がその点について悩みながら品物の良さを眺めていると、プレゼントを渡して軽くなった鞄を持ち直していたチドリが湊から聞いていた事を荒垣に伝える。

 

「……値段は同じくらいになるようにしたって言ってたけど?」

「贈り物でこういうのを聞くのは野暮かもしれねえけど、流石に知っとかねえとマズイだろ。アキ、そのプロテインっていくらくらいするんだ?」

「これは各一キロで六種一セットになっているが高いぞ。税込みで九万近くする。俺もどれか一つでも試してみたかったんだが、セット売りしかしてないせいで諦めていた」

「きゅ、九万ってマジかよ。あいつ、知り合いの卒業祝いにポンとそれだけ出すとか、中学生のくせにどんな経済力してたんだ……」

 

 プロテインを貰ってホクホク顔の真田に対して、荒垣は後輩から貰うにしては高額過ぎるプレゼントに少々動揺している。だが、傍で話を聞いていた女子メンバーは多少の驚きを見せた程度で荒垣ほど気にしてはいなかった。

 というのも、湊とチドリが極道の家の子どもという事は学校側の人間しか知らないが、それでも女子たちは二人がお年玉で数百万貰っている事を知っている。加えて古美術“眞宵堂”と中華料理店“南斗星君”のバイトもあるため、学費全額免除も合わせて考えればこれぐらいの経済力はそれほど不思議ではないのだ。

 卒業する男子二人は、湊にバイト以外の収入源がある事を知らないからこそ驚いていた訳だが、ずっと袋や箱の説明書きを読んでいた真田が顔を上げたかと思えば、急に何やらスッキリした表情を他の者に話しかけてきた。

 

「まさか有里のやつがこれを知っているとは思わなかったが、なるほど、やつのあの見事な肉体はこれによって作られたらしいな」

 

 突然何の話かと他の者は頭の上に疑問符を浮かべる。どうやら真田は湊がこの高級プロテインを知っていた事で、自分よりも二回りほど逞しい体躯はこれで作られたと考えたようだ。

 真田は湊のことを妹に近付く害虫のように思って警戒しているが、その鍛えられた肉体については見事だと認めている。

 復学した後の身体は見ていないものの、線は少し細くなった気がするけれどリーチが格段に伸びている事は確かだ。身体を後ろに倒してブリッジ状態から足を振りあげ、自分の背後に蹴りを放てるほどの柔軟性にリーチが加われば、鞭のように敵を寄せ付けぬ鋭い攻撃を繰り出す事も可能だろう。

 柔軟性を活かした湊のスタイルは自分ものとは異なるが、そういった自分の肉体の長所を活かしたワンランク上の強さを求めていた真田は、悔しくても認めざるを得ない湊の強さにこのプロテインで近付けそうだと不敵な笑みを浮かべた。

 だが、湊がそんな汗臭い男たちが飲んでいそうな代物を愛飲していた事実がない事を知っている少女が、ばっさりと真田の発言を切り捨てる。

 

「湊の筋肉は天然よ。プロテインとかサプリメントは全く摂取していないわ。栄養は純粋に食材に含まれているものだけで、あとは飲んでも市販のスポーツドリンクくらいね」

「なに? いや、しかし、やつの食べる量を考えれば可能かもしれんな。人間が一日に必要なビタミンを摂取するにはカゴいっぱいの野菜を食べる必要があるという。常人ならそれだけで腹が膨れてしまうが、有里は毎食常人の三倍以上食べていた。あれだけ食えるなら後はバランスを気にするだけで摂取量は十分になるという訳か」

 

 真田はボクサーとして減量に関わってくる食材に含まれる栄養の知識を持っていた。お腹いっぱいに好き放題食べることはあるが、他の日には炭水化物を控えめにするなどして調整しており、湊の大食いを見ていた彼は羨むよりもそのエネルギーが何に使われているか不思議に思ったものだ。

 結果としては、全て肉体の成長に使われたようだが、真田は湊のように大食いになって身長を伸ばそうとは考えていない。

 二次性徴の一年差というのは大きい物で、湊と同じ二年生のときならば大食いで身長を伸ばすことも考えたけれど、身長の伸びが緩やかになってきた中学三年生の終わりから同じ方法で伸ばせるとは思っていなかった。

 故に、身長というリーチで相手が上を行くなら、自分はスタミナやアクセルを伸ばす事で打倒湊を目指すと真田は一人で燃えていた。

 

「あー、あとでこっちからもメールなり電話なりをしとくが、吉野の方からも俺らが感謝してたって伝えといてくれ」

 

 幼馴染がそんな風に一人で何か考えていた事で、荒垣が代表して代理人の少女に伝言を頼む。荒垣たちも一応湊の連絡先は聞いているので、勿論、自分でも礼を言うつもりではいる。

 しかし、実際に届けてくれた少女にも伝言を頼んでおけばより安心だ。受け取ったキッチン用品セットを鞄に仕舞い。未だに何度もプロテインのパッケージに視線を送っている幼馴染を見ながら、伝言を頼み終えた荒垣は今後の予定について一同に尋ねることにした。

 

「んで、この後はどうすんだ? アキの方はボクシング部で送別会でもあんのか?」

「いや、卒業式の当日は保護者と過ごす者もいるからと先週に済ましている。夜は美紀と両親と一緒に食事へ行く事になっているが、それまでは昼食も含めて予定は空いているぞ」

「そうか。俺んとこは夜も含めてフリーだ。んじゃ、とりあえず昼でも食いに行こうぜ。お前も早速そいつを試したくてしょうがねえんだろ?」

 

 長い付き合いでなくとも今の真田を見ていれば彼の考えなど簡単に分かる。湊から貰ったばかりのプロテインを飲んでみたくてしょうがないのだ。

 図星を突かれた方は面白くない表情をするも、それを見た女子たちもおかしそうに笑っているので、この場は分かり易い態度を取っていた真田の負けだろう。

 そうして、卒業式を終えた面々は夕方まで二人の卒業祝いに遊び倒すため、まずは腹を満たそうと街へと繰り出すのだった。

 

 

夜――港区赤坂・ホテル“モルゲンレーテ”

 

 卒業式を終えた後、美鶴は両親と合流して久しぶりに家族で過ごしていた。母親の英恵の体調を考えればあまり無理はさせられないが、デパートに行けばVIPルームに通され、ふかふかのソファーに座りながら商品を持って来てもらえるので、英恵に無理をさせずに買い物をすることが出来た。

 娘や夫と一緒に買い物をすることなどほとんどない英恵はとても楽しそうにしていて、それを見ていた美鶴も朝に感じていた不安が吹き飛び、純粋に両親との時間を楽しめていた。

 その時に買った物の内、私服は巌戸台分寮に送って貰い。ドレスは今日の夜に着るからと一着だけ包んで貰って、他は全て宗家の屋敷に送って貰うように手配した。

 買い物を終えたときにはいい時間になっていたことで、美鶴たちはリムジンを走らせると予約していたホテルのレストランへ来て。ドレスルームを借りて着替えた美鶴は母に髪を整えて貰うと、先に席についていた父の元へ少し恥ずかしそうにしながら近付いた。

 

「お、お父様、お待たせしました」

「武治さん、どうかしら?」

 

 新しいドレスを着た娘はどうだと隣に並んでいた英恵が桐条に尋ねる。本当は美鶴が自分で尋ねたかった事なのだが、そういった親子のコミュニケーションに慣れていない彼女は訊けずにいたので、事情を察した英恵がフォローした。

 すると、ゆっくりと視線を上げて娘を見た桐条は、二拍ほど置いて静かだがよく通る声で答えてきた。

 

「ああ、よく似合っている。やはり、男児に比べて女児の成長は早いな。会う度に大人びて成長している美鶴を見ていると、自分が老いてゆくことを実感する」

「あら、それは私もおばさんになっているということですか?」

「い、いや、そういう意味ではない。しかし、美鶴も中学校を卒業する歳になったのだ。あまり傍に居てやることは出来ていないが、十数年の年月を思えば感慨深い物がある」

 

 英恵が悪戯っぽい笑みで尋ねれば、桐条は少し慌てたように否定する。随分と珍しい父の姿に美鶴が目を丸くしていれば、やってきたボーイが椅子を引いてくれたので二人は着席した。

 予約しているのはコースメニューなので、桐条は二人分の食前酒と美鶴にはノンアルコールカクテルのシャーリー・テンプルを注文する。

 今日は娘の卒業祝いという事をレストラン側にも伝えてあったことで、食前酒とカクテルはすぐに届けられた。

 

「では、美鶴の卒業を祝して、乾杯」

『乾杯』

 

 窓に近い東京の夜景を一望できる席で桐条が音頭を取り、三人は手に持ったグラスを掲げてから口を付ける。

 中学を卒業したとて、社会的に見れば美鶴はまだまだ子どもだ。けれど、大人に一歩近づいたということで、大人が酒を飲むとき子どもが共に飲めるよう作られたカクテルを頼んだのは、桐条なりの心遣いだった。

 ノンアルコールと言えどカクテルに明るくない美鶴はそれに気付いていないが、こっそりと意味を理解している英恵は、夫の可愛らしい行動に小さく笑みを漏らしている。

 それを見た桐条は妻に自分の考えがばれている事に気付くも、丁度いいタイミングで料理が運ばれてきたことで、そちらに手を付けつつ会話をすることで誤魔化した。

 

「美鶴、寮での生活で困っている事はないか? 菊乃君が身の回りの世話をするため寮母として住み込みで働くべきかと心配していたぞ」

「いえ、それほど困っている事はありません。寮の掃除に関しても他の男子二人と当番制にして分担していますし。二週に一度は業者がハウスクリーニングを行ってくれていますから」

 

 食事は料理した事がないので外食に頼っていたりするが、元ホテルである大きな寮の掃除は当番制でしっかりと出来ている。自分たちでは気付かないところも、桐条グループの掃除業者に頼んで二週に一度の頻度でやっているので、風呂場やトイレにカビは生えておらず、窓も壁も綺麗なものだ。

 洗濯に関しては自分の他が男子しかいないので、下着などを干すときには気を遣ったりもするが、面倒なときにはクリーニングに出すことで済ましている。

 よって、幼馴染の斉川菊乃が住み込みで働く事を希望しても、現状では仕事もほとんどないと思われた。

 勿論、普段は一緒に学校に通って、放課後は寮母として掃除等々を行ってくれるというのであれば拒むつもりはないが、彼女の性格を考えると学校には通わず寮母としてだけ傍にいようとする気がする。

 今でも学校から帰ればすぐに女中としての仕事をしていて、年頃の女の子らしいことなどほとんどしていないのだ。自分の傍にいるのなら、幼馴染にそんな事はさせられないので、美鶴は父に先に伝えておく事にした。

 

「お父様、菊乃が住み込みの寮母になる事には反対しませんが、そのときには彼女も月光館学園に生徒として通う事を条件として付けてください。私が言うのもなんですが、彼女はあまりに年頃の女子としての思い出作りを放棄しすぎています」

「ふむ、確かに学校から帰ればすぐに仕事に取りかかり、彼女は他の誰よりもよく働いてくれている。お前が彼女を案ずるのも無理はないな」

 

 海藻の使われたサラダをフォークで上品に口に運びながら考え込み、桐条も菊乃の仕事ぶりを認めると共に彼女自身の少女としての幸せについて悩む。

 本人は好きで女中をしているらしいが、それは親にほとんど捨てられるような形で桐条家に来たことで他の生き方を知らないからだ。学校で他の子と同じようによく学び、よく遊べば、もっと自分の幸せを願うようになるだろう。

 娘を心配して菊乃を仕わせようとしていた桐条も、美鶴の言葉で思い留まると、菊乃の申し出はもう少し慎重に答えを出すべきかと考えた。

 

「菊乃君についてはもうしばらく考えるとしよう。では、特別課外活動部の方では何か困ってはいないか? 装備や機材で入用ならば幾月かラボに言えばすぐに手配させるが」

「そうですね……。ああ、通信機材についてなのですが、もう少し小型化は出来ないでしょうか? もしくは、持ち運びが出来るように車やバイクなど移動させられる物に積むことが出来ればいいのですが」

 

 問われた美鶴は、最近の活動で不便に感じていた能力補助の通信機材の新型を用意できないかと尋ねた。

 美鶴は元々戦闘型のペルソナ持ちだが、索敵能力に応用出来る力を備えていたことで、訓練を経て後天的に索敵能力を手に入れている。

 とはいえ、その能力も美鶴本人は知らない事だが、他の索敵能力持ちに比べれば索敵可能範囲も読み取る強さも半分以下でそのままではまるで話にならない。それを何とか実戦で使えるレベルに引き上げるのが能力補助も兼ねた通信機材だ。

 そもそも、彼女のペルソナの能力は攻撃の効果範囲を精密に予測する能力であり、それはざっくり言えばこれから攻撃しようとしている先を把握するだけの能力と言える。故に、情報を知覚出来る範囲はそれほど広くはないし、テレパシーのような通信機能などないので仲間に伝えるには通信機が必須であった。

 だが、通信機材は能力補助になると同時に美鶴やメンバーを縛る枷にもなっている。

 まず、美鶴が使う本体がとにかく大きいのだ。送受信のためのアンテナでもあるので大きくのなるのは分かるが、外で使おうとする度に台車や分担して運ぶ方の身にもなって欲しいと思わずにはいられない。

 次に、前線メンバーの持つ子機だが、戦闘で激しく動くときには邪魔になる。なくせば美鶴からのバックアップが受けられなくなるが、激しい動きをしているときに気にしてなどいられないし。ちょっとした重さが戦闘では感覚を微妙に狂わせたりするのだ。

 それらを解消するために、移動可能な物に自然な形で積めるようにして、本体も子機も今より小型化して欲しいというのが美鶴の願いだった。

 

「高校生、というより、十六歳になればバイクの免許を取る事が出来ます。バイクは現場急行時の足にも使えますから、通信機材と子機を小型化し、尚且つバイクに積めるようになれば我々の活動も楽になると思うのですが」

「むぅ……しかし、バイクとは危険な乗り物だ。ただでさえ、シャドウとの危険な戦いを強いているというのに、さらに日常でもお前に危険なことをさせるのはな」

 

 一人娘の父親として、バイクという危険な乗り物に自分の娘が乗ると言えば素直に賛成する事は出来ない。

 車と違ってバイクは安定性の悪い二輪であるし、運転者は生身で時速数十キロから百キロを味わうことになるのだ。

 ちょっとした事故で一生物の傷を負う可能性を考えれば、やはり桐条は美鶴にバイクに乗って欲しくなかった。

 それは英恵も同じ考えのようで、彼女は湊が無免許でバイクに乗っていることは知っているが、流石に娘と息子では危険な事をさせるにも同じように考えることは出来ず、心配そうな表情で会話に参加してくる。

 

「お友達で免許を取ろうとしている子はいないの?」

「うちの学校はバイク通学が禁止されていますし。まだ誰も十六歳になっていませんから、そういった話は聞いていないです。ただ、男子の中にはバイクや車が好きで雑誌を読んでいる者もいました」

 

 勉強に関係ないものではあるが、生徒の趣味を制限するのもおかしいという事で、授業中に読みさえしなければ学校に雑誌を持ってくる事は何も禁止されていない。

 美鶴のクラスメイトだった男子の中にも、高校生になったらバイトして免許を取ればバイクを買いたいと言って、バイク専門誌を持ってきて友人らと見ている者がいた。

 ただ、そういった話をしている者がいたくらいで、実際に免許を取ってバイクを買うと美鶴に話した者は知り合いにはいなかった。

 元々、学校中に顔を覚えられてはいるが、美鶴は桐条グループの御令嬢という事で一般の生徒との間には壁や距離がある。

 そのため、親しくしている者など特別課外活動部の二人を除けば、生徒会の人間やフェンシング部の者くらいで、彼らの中にバイクに興味がありそうな人間がいないので、そういったバイクなどの乗り物が話題に出ることすらなかった。

 

「そうなの。でも、バイクと言っても色々と種類があるのでしょ? 十六歳で取れる免許だと原付、小型、普通二輪だったかしら。貴女はどれを取ろうと思っているの?」

「出来れば普通二輪を取って、十八になってから車と大型二輪も取りたいと思っています」

「だけど、貴女ってヒールのない靴を持っていたかしら? 私は車の免許も持っていないけど、ヒールのある靴じゃ危ないから運転してはいけないのよ?」

 

 通学靴に指定はない。だが、ほとんどの生徒は革靴やローファー、もしくは運動靴などスニーカー系を履いている。

 そんな中でヒールのあるブーツを履いているのは美鶴くらいなもので、同類として校内でただ一人編み上げブーツを履いている青年もいるが、ヒールのある靴しかないのにどうやって運転するのかと英恵は尋ねた。

 

「……ライダーブーツという物があるらしいので、そちらを買おうと思います。雑誌を読んでいた男子が話していたのを聞いたのですが、有里が履いているブーツも似たような物らしいので、日常使い出来るデザインの物もあるようです」

 

 湊のブーツは外からは分からないが鉄板入りな事を除けば普通のブーツだ。別にライダー用という訳ではないが、制服にも合わせることが出来るデザインなので、そういった物があるのなら美鶴も頑張って探してみようと考えていた。

 

「有里って、あの有里君? 彼ってブーツで登校しているの? 随分とお洒落な子ね」

「校則違反ですがピアスやチョーカーも身に付けていて、少しばかり装飾過多ではありますが女子からはお洒落だと言われ人気は高いです。ただ、夏でも黒いマフラーを巻いていて、その点はファンの女子たちも少し不思議がっていました」

「寒がりなのかしらね。もしくは、首の辺りに傷があってマフラーで隠しているとか」

 

 そんな傷がない事を英恵は知っている。傷があるのは腕や胸に背中の辺りだ。右眼の傷は眼帯で隠れているので誰も見た事はないが、身体の方は屋敷で匿っていたときに着替えで服を脱いだときに確認している。

 あれはあれで痛々しいと思ったけれど、首のマフラーについては無限収納以外の意味を知らなかった。

 大切な息子の話であるため、視界の端で夫が僅かに緊張した顔をしているのをあえてスルーし、英恵は自分の知らない事を美鶴が知っているのなら聞きたいと思って相手が話すのを待った。

 

「一年生の頃に当時二年だった真田と格闘技の試合をしたようですが、首や身体に傷跡があったという話は聞いていません。一説では女性からの贈り物だから手放さないとも言われていますが」

「……女性? 有里君は吉野さんと一緒に暮らしているのだから、その吉野さんからの贈り物ではないの?」

「どうやら違うようです。彼には学外の交友関係もあるらしく、吉野も全体は把握できていないみたいですので。ああ、そういえば、有里はアドルフ・ベレスフォード氏と個人的な付き合いがあるようです。なんでも、攫われた御令嬢を偶然助けたとか」

「偶然で助けるってすごいわね。それにベレスフォードさんと付き合いのある中学生というのも」

 

 攫われた相手は貿易王と呼ばれる者の娘であり、現代まで続くイギリス貴族の人間だ。それを誘拐しようとしたからには、かなり綿密な計画を立てて実行したに違いない。普通の中学生が阻むなど不可能で、武装していても一人で解決するのは難しいだろうと思ってしまう。

 だが、ヒストリアはいまも社交界に出ており、実際に誘拐があったのだとすれば湊が救ったという話を信じることが出来た。

 彼が裏の仕事している事はグループ総帥の桐条ですら知らず、ペルソナ使いであることや桐条家とも交流のあった百鬼家の生き残りであることを美鶴は知らない。

 よって、全ての事情を知る英恵は純粋な体術で解決したと思い。夫の桐条はペルソナ能力で解決を図ったのだろうと推測したところで、逸れていた話題を戻してゆく。

 

「ふむ、それで通信機材の話だったな。私の方からラボに小型化を急がせるようにしよう。子機の小型化と軽量化も技術的には可能なはずだ。ただ、バイクに乗ることに関してはもう少し考えてみなさい。最後にはお前の考えを尊重しようと思うが十六になるまでまだ時間がある。お前の身を案じる者の事をしっかりと考えた上でまた結論を聞かせてくれ」

「はい、わかりました」

 

 桐条とて娘の言う通りにした方が活動しやすくなる事は分かる。だが、それには危険も伴うので、結論はしっかりと考えてから出すべきだとこの場では保留にしておいた。

 美鶴も両親やグループの者たちが自分の身を案じてくれている事は理解している。故に、父に言われた通り十六歳になるまでしっかりと考え、そのときになってから改めてバイクについて頼むかどうかを決めようと思った。

 そうして、特別課外活動部に関する話が終わると、運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら、三人は久しぶりの家族の時間を楽しみ過ごすのだった。

 

 

 




補足説明
 美鶴のペルソナには元々攻撃の効果範囲を精密に予測する力があり、その応用でこれからいく先の地形や敵の有無を感知できる。
 しかし、攻撃の効果範囲の精密な予測が本来の能力であるため、テレパシーのような他者との通信機能は持っておらず、索敵係をするときには探索結果を伝えるために通信機を必要とする。
 劇場版ではテレパシーのように順平らの頭に直接声が響くようになっていたが、それは分かり易さや見栄えを重視した設定の変更であるため、本作では原作の設定通りに美鶴が探索班のメンバーと通信するときには通信機が必須と設定する。

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