【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百二十三話 中等部三年、開始

4月9日(月)

朝――月光館学園

 

 今日は月光館学園の始業式。新一年生らの入学式を週末の内に終えて、全学年が初めて揃う記念すべき日だ。

 三月に真田たちが卒業したことで、二年生だった湊たちも今日から晴れて最高学年である。

 普段はばらばらに登校してくる部活メンバーも、今日はクラス発表もあるということで時間を合わせて集まった。

 中等部は各学年六クラス。部活メンバーは担任になる可能性のある佐久間を入れて六人なので、余程のことがなければ全員バラバラになったりはせず、誰かしらは同じクラスになるはずだ。

 ただ、同じクラスになれた者同士はいいかもしれないが、運悪く一人だけ別れてしまう事も十分に考えられるので、生徒玄関で靴を履き替えた一同は少しばかり緊張した顔でクラス表の貼られた掲示板の前に進んだ。

 そして、約二四〇人分の名前の中から自分の名を探そうとしたとき、誰もまだ見つけていない内に青年が自分のクラスを言ってしまう。

 

「……俺は3-Dだな」

「はやっ……ってそうか、有里君はア行だから各クラスの最初らへん見てけば良いんだもんね」

 

 出席番号は男女混合の五十音順なので、名字が『ア』で始まる湊は出席番号一番から五番辺りを見ればすぐに見つかる。

 同じように名字が『ヤ行』であるチドリと風花も、末尾の方を見ていけばすぐに自分の名前を見つけることが出来た。

 

「……私、3-Cだってさ」

「あ、私は3-Dだ。これで有里君とは三年間同じクラスだね」

 

 湊と別のクラスになったのが不満なのか、不貞腐れたように自分のクラスを他の者に伝えるチドリに対し、風花は部活メンバーが同じクラスにいることが嬉しい様で満面の笑みを浮かべる。

 だが、すぐ隣にいたチドリが別のクラスになってしまったことを言った直後に、彼女が本来なりたかったクラスであることを笑顔で報告してくるのは如何なものか。

 無論、単なる八つ当たりでしかない訳だが、それでも胸中のもやもやをぶつける先がなかったチドリは、とりあえず風花の頬を摘まんで横に引っ張る事にした。

 

「い、いひゃいよヒドリひゃんっ」

「……気のせいよ」

 

 被害者が痛いと言っているのに加害者がそれを否定するのも変な話だ。けれど、チドリがそんな行動を取った理由を理解している他の二人は苦笑いを浮かべる程度で、止めもせずに自分のクラスの確認を続けた。

 ゆかりも美紀もその年によって出席番号が五、六個変わったりするので、各クラスの頭から順番に見てゆくしかない。

 この探す作業も楽しみの一つと言えばそうなのだが、六クラス中三人で二クラスにメンバーが分かれているので、同じクラスになれない可能性の方が高い事を思えば不安も膨らんだ。

 

「あ、あった! けど、私だけ3-Aってクラス離れてるし……」

「私はチドリさんと同じ3-Cでした。でも、ゆかりさんのクラスの担任は佐久間先生ですから、先生も含めれば均等に分かれただけマシですよ」

 

 自分のクラスを発見するも一人だけクラスが離れており、ゆかりが肩を落としてガッカリしていれば、チドリと同じクラスだった美紀が担任は佐久間であることを指摘する。

 クラス表は生徒の名前が書いているのだが、その一番上には担任と副担任の名前も書かれていた。

 それによればゆかりのA組の担任は佐久間、チドリたちC組の担任はおじいちゃん先生と呼ばれている理科教師で、湊たちD組は一年生のときに湊が殴り飛ばした体育教師の盛本だった。

 あの一件以来、盛本は素行の悪い生徒に対して高圧的な態度を取らなくなり、まずは相手の話を聞いてから自分の考えや規則について説明するようになった。

 顧問をしている男子バスケットボール部の指導の方にもその影響が出て、生徒たちと意見をやり取りしてより良いメニューの考案にも取り組んでいるらしい。

 部活の成績の方は残念ながら県には届かない地区大会上位レベルだが、力は徐々に付けてきているので今年こそはと言った感じのようだ。

 まぁ、それはそれとして、いくら佐久間が担任であろうと、ゆかりが一人だけ部活メンバーの誰とも同じクラスになれなかった事実は変わらない。

 彼女には彼女のコミュニティがあるので、弓道部の知り合いや同じ寮で生活している友人もいるにはいる。

 だが、一番深く付き合っているのはここにいる美術工芸部のメンバーであるため、三年目にして離れたことにショックを隠せないようだった。

 落ち込んでいるゆかりのそんな姿を見かねたのか、今までコートのポケットに手を入れて立っていた湊が、マフラーから取り出した煙管を咥えながら淡々と話しかける。

 

「……俺と別のクラスになったくらいで泣くなよ」

「仮に泣いてもそんな理由じゃないっつの。君は私にどんなキャラを求めてるのよ?」

 

 話しかけられたゆかりはすぐに相手の言葉を切り捨て、呆れた顔で湊に尋ね返す。傍らで見ていた者たちにとっては湊の発言は衝撃だったが、声をかけられたゆかりの様子を見れば、落ち込んでいたときの暗い雰囲気が霧散していたので、とんだ特効薬だと逆に感心した。

 しかし、落ち込んでいた本人は湊がわざと変なことを言ったと気付いていないらしく、軟派な男はお断りと冷めた目を向けている。

 湊はそれを正面から受け止め、少しばかり考える素振りを見せてからゆっくり口を開く。

 

「家に帰ったら子どもを抱きながら笑顔で迎えてくれるような良妻賢母キャラかな」

「……有里君って家族愛にでも飢えてるの? ちゃんとチドリらと家で喋ってる?」

 

 普段の湊からは考えられないような台詞は当然冗談だ。けれど、ゆかりは真面目に捉えたらしく、真顔で湊を気遣っていた。

 学校の男子たちにアンケートを取れば、仕事からの帰宅時に子どもを抱いたゆかりに笑顔で出迎えて欲しいと答える者は大勢いる。

 深い理由などなく、仕事で疲れて帰ったときに美人の嫁と可愛い子どもが出迎えてくれれば、それだけでまた頑張れるほどの幸せだという話だ。

 湊もそういった男子らの夢を知識としては知っていたので口にしてみたのだが、残念ながら冗談にしても湊のキャラからズレ過ぎており。さらに彼には両親や親戚がいないという条件も重なったことで、ゆかりは先ほどの発言が湊の本心から出た物と考え、寂しいのではないかと心の方を真剣に心配していた。

 

「前に言ったでしょ。いま、湊はマンションに部屋を買って一人でそこに住んでるって。私らに相談もなしに勝手に一人暮らし始めておいて家族愛に飢えてるとか言われても困るわよ」

 

 そんなゆかりに答えたのは青年ではなく彼の家族の少女の方で、勝手に一人暮らしを始めた事にまだ納得していないのか不機嫌な表情をしている。

 場所は港区ではなく中央区だと聞いている。ただし、正確な住所は知らされておらず、合鍵も渡されていない。

 変なところで適当な湊は鍵をそもそも掛けていないので、家に行きさえすれば誰でも簡単に部屋に侵入できるのだが、それを知っているのは本人と彼の中にいる者たちくらいなものだった。

 話を聞いていた風花も勿論そんな事は知らないので、単純に疑問に思ったことを口に出して尋ねていた。

 

「部屋を買ってって、有里君はそんなお金どこから持ってきたの?」

「女に買わせたのよ」

「誤解を招くような言い方はやめてくれ。俺が自分で出そうとしたらホテル代を払ってたお返しにって相手が払ったんだ」

 

 ここで否定しなければ、また女に貢がせたと勘違いされる。そう思った湊は即座に否定するも、今度は別の方向に勘違いされたようで、美紀と風花は顔を赤くし、ゆかりは驚いた表情のまま問い詰めてくる。

 

「ちょっ、ホテル代って、私らに無事も知らせずにいたくせして、裏ではいかがわしいことしてたの!?」

「……お前らの心は穢れてるな。都心にある高級ホテルだ。一泊で数百万飛ぶようなとこもあったからな。払った以上に奢って貰う形になったが、同じ部屋に泊まった以上の事はしていない」

 

 馬鹿ばっかりだ。そう言いたげに嘆息して湊は煙管の煙を無意味に吐き出す。

 本人の目の前で勝手に勘違いしていた少女たちは、確かに自分たちの早とちりだったと反省し、やらしい想像をしていたとばれている恥ずかしさに耳まで真っ赤に染めて俯く。

 本来はそんな方面に発想が行く事などないのだが、湊が女性とホテルに行ったと聞けば、中学生に見えない見た目と大人びた雰囲気のせいでアダルトな想像をしてしまうのだ。

 顔の熱が中々引かず、いつまでも話が進まないと茹ってしまいそうだと考えた美紀は、少し強引な話題転換かもしれないと思いつつ、本心でも気になっていた女性について聞いてみる。

 

「ちなみに相手の方はおいくつか訊いてもいいですか?」

「俺の一つ上だが?」

「そ、そうですか。随分と裕福な生まれのようですね」

 

 彼がいくらのマンションに住んでいるのかは分からない。だが、マンションなどの値段に詳しくない美紀でも数千万はすることを流石に知っていた。

 自分たちより一つ年上がそんな大金を出せるなど異常だ。一般家庭で育った庶民の感覚ではない。表情をやや引き攣らせながらも、どうにか返事で笑顔を崩さなかっただけ美紀は頑張った方だ。

 もっとも、それに対する青年は親しい者らと一緒にいるにしては冷たい表情で淡々と返す。

 

「まぁ、年収は日本円で百億じゃきかないだろうからな。待ち時間にファッション雑誌を読んでいたが、ゴスドレスと寝間着以外を着ている姿を見たことがない。似たようなのがもう一人いるが、流石に冬には普通の洋服にコートを着ていたし。あいつは俺以上に世間からずれていると思う」

 

 ソフィアは湊が思っている通り、私服がすべてドレスになっている。色は暗色が多く、所謂ゴスドレスに分類される物ばかりだ。

 値段はそこらの物とは比較にならないほど高価ではあるものの、一般人の私服と同じような感覚で着ているので、外に出るときにはストールを羽織ったり、上からコートを着て普通に街中を歩いている。

 同じレベルの富裕層であるヒストリアも家の中ではドレスを着ているが、流石に外では動き辛いことや保温性の関係から普通の洋服に着替えているため、外でもドレスを着ているソフィアは金持ちの中でもかなり特殊な存在だろう。

 そんな相手とパーソナリティーが似ているのは非常に不服だが、一般人ばかりの学校でも普通に過ごせていることで、あれに比べれば自分の方がマシだと湊は考えることにした。

 

「……君って世間からずれてる自覚あったんだね」

 

 彼のそんな胸中など知らずに、言葉を聞いて苦笑いを浮かべたゆかりが僅かに意外そうに話しかけてくる。

 風花は湊と美術館に行ったときに聞いていたが、他の者はチドリを除いて湊が異端者である自覚を持っている事を知らなかった。

 とはいえ、本人が奇行や怪言を繰り返して異端に走るという訳ではなく、当たり前のように人助けやらしていれば、周囲から浮いているという意味で異端に見られていると言った方が正しい。

 皇子という扱いも、性別を越えた美しいルックスによるところが大きいが、ちょっとした人助けを繰り返してきたことで弱者の味方や聖者のように思われ、人々が勝手に作りあげた偶像を彼に投影して見てしまっているところがある。

 湊は自分が異端であり異常であることの自覚はあるが、それは決して聖者のような善性のものだとは思っていない。復讐のために万を超える人間を殺す聖者がどこにいるというのか。

 

「これだけ周囲から騒がれていて、自分を一般的と認識していたら頭の病気だぞ」

 

 一部の人間からは聖者と思われながらも、血を流す野蛮な手段を行使し続ける己を愚者だと思っている青年は、それだけ答えるとそろそろ移動すべきだと言って各クラスの教室へ向かい歩き出した。

 教室についた湊らは荷物を置くと講堂へと移動し。始業式を受けてから本年度初めてのホームルームを受けたのだった。

 

 

夜――中央区・マンション“テラ・エメリタ”

 

 始業式やホームルームを受けた湊は、今日の部活が休みだったこともあり、今まで忙しくて行けていなかった日用品やらの買い出しをしてから帰って来た。

 新しいクラスには風花の他にも、去年同じクラスだったらしい伊織順平や友近健二に岩崎理緒などもいたが、湊は彼らと話したことはないし。そもそも誰だお前らといった認識だった。

 実際は去年の夏祭りで会って挨拶や言葉を交わしているのだが、興味無い相手のことなど街中ですれ違った人間程度にしか考えていない。

 すぐ後ろの席になった順平に「今年も一年よろしくな」と言われたときには、少々素っ気なくも返事をしておきながら、買い物から帰って来た時点で既に頭の片隅へと記憶を追いやってろくに覚えていなかった。

 荷物は全てマフラーに入れているので基本的には手ぶらだが、部屋のあるフロアにエレベーターが到着したことで降りた湊は、顔を上げて部屋の方を見るなり深い溜め息を吐いた。

 

「……はぁ」

「あ、湊君。にゃっちー」

 

 湊が部屋の方を見ると自分の家の扉の前に一人の少女がいた。扉に背を預けるように座って携帯ゲームをして遊んでいた相手は、湊がやってきた事に気付くと独特な挨拶をしてくる。

 ただし、視線はゲーム画面に固定されたままで、湊がすぐそばまで来れば扉の前からどいたが、去っていくつもりはないようで湊が扉を開けるのを待っているようだ。

 鍵は掛けていないのでいつでも入れるのだが、そこで勝手に入らない程度の常識や良識は持ち合わせている事が唯一の救いか。

 そんな風に考えて、ドアノブに手を掛けた湊は待っている少女・羽入かすみに話しかけた。

 

「……一応聞いておくが何で待っているんだ?」

「あのね、湊君とあそぼうと思って。あと、ご飯も一緒に食べた方がおいしいんだよ」

 

 この少女は隣の部屋の住人で、親が仕事で一時的にアメリカに行っていて現在は一人暮らしをしており、風邪の看病をしてくれた湊にやけに懐いていた。

 年齢は湊の一つ下で同じ月光館学園に通う後輩。身長は美紀や佐久間には及ばないが、ゆかりたちよりも高く、母性の象徴たる双丘は中学二年生にして制服のブラウスをピンと突っ張らせるほどの存在感を放っている。若干ずれたような人と違った独自のテンポを持っているものの、頭はそれほど悪くはないようで、あまりに純粋すぎることを除けば付き合い易い人間だろう。

 とはいえ、湊は人付き合いがそれほど好きではない。まるで子犬や子猫のように懐いて来る後輩を冷たく突き放す気はないが、こんな時間でも遊ぼうとして家の前で待っているのはどうなのだと色々と突っ込みたくなった。

 

「……遊ぶって何をしてだ?」

「何が良いかな? えっとねー、ゲームは沢山持ってるから何でもいいよ?」

「ゲームである事は確定なんだな」

「湊君のお家のテレビおっきぃから楽しいよね。うーんと、マリオカート持ってくるね」

 

 話し始めてようやくゲーム機から視線を上げた彼女は、専用のポーチに入れてからリュックに仕舞い直している。

 彼女の使っているリュックは薄ピンクの卵型で、デフォルメされたような金色の翼が側面から生えており、彼女がいうには『天使のたまご』という海外の女児向けブランドの限定品らしい。

 同じように履いている黒のエナメルシューズにも外側に金色の翼のイラストが描かれており、そちらは別の『エンジェル・ロリータ』というブランドの品らしいが、女子のファッションなど知らない湊にすれば、そうか、としか返しようがなかった。

 ゲーム機をリュックに仕舞い直したかすみは、今度はポケットから鍵を取り出して自分の部屋に向かおうとする。どうやら湊の部屋にゲームを本体ごと持ってくるつもりのようだが、それはさせないと後ろから彼女のリュック上部にある引っかける紐を掴んで止めた。

 

「……待て。食事は一緒にしてやるから、七時になろうとしてる今から人の家にゲームを持ってくるな」

「ご飯? 何がいいかなぁ。焼き肉かなぁ?」

「……焼き肉が食べたいのか?」

 

 別に相手の好みを否定する気はないが、明日も学校だというのに平日から焼き肉を所望する女子がいるとは驚きだった。

 食事のお金は相手も親から沢山貰っているようで、今までも何回か自分で払ってくれている。さらにアイスを食べようとコンビニに連れて行かれたときには奢ってくれたので、学校での立場的には先輩後輩の間柄ではあるが、一方ばかりが負担を強いられるような関係ではない。

 別に金など普段は使わないので全て払ってもいいと思っている湊も、奢って貰うことが当たり前という間違った感性を相手が持っていない事には好感を覚えていた。

 

***

 

 かすみが焼き肉を食べたいと言ったことで、湊は彼女を連れて自分の知っている高級焼き肉店へと訪れていた。

 チドリや桜とも何度も来ており、いくら食べても胃がもたれない上質な国産牛と、それだけで店を開けそうなスープやご飯物と言った美味しいサイドメニューの数々が置かれていることから、湊は桔梗組で暮らすようになってから焼き肉はほとんどこの店でしか食べていなかった。

 

「わぁ、七輪だよね? これで焼くの?」

 

 テーブルごとに仕切られた席に通されたかすみは、炭火焼用の七輪を見て珍しそうにしている。この店は提携している農家から肉を直接買っているが、同じように上質な肉を独自のルートで買っている店は他にもあるだろう。

 だが、そういった食材の条件が同じであれば、鉄板やガス火で焼く肉よりも炭火で焼いた方が絶対に美味い。

 遠赤外線が強い炭火は短時間で中まで火が通るので、うま味である肉汁をほとんど逃すことなく焼き上げることが出来る。さらに肉汁が焼いている内に網の下に落ちても、炭にかかって発生した煙で燻され香ばしくなる。

 湊だけでなくかすみもかなりの健啖家なので、焼き上がりが速いのは非常にありがたく、また待っている間も炭火で焼ける肉のいい香りが食欲を増進させるため、ここなら相手も満足するだろうと湊は思っていた。

 店員からおしぼりと水を受け取り、手を拭きながら湊は塩タンとカルビを三人前ずつ頼む。後は来るまでに決めればいいので、とりあえず注文を一度済ますとかすみにもメニューを渡してやった。

 

「……それで、何を食べるんだ?」

「ウインナーが食べたいなぁ。あとね、ハラミとハツとセンマイとご飯」

「レバーとかはいらないのか?」

「レバーはね……オエッてなるからいらないの」

 

 普段はぼんやりとした表情をしているかすみは、レバーの話をするときだけ眉を寄せて真剣な表情で話す。どうやら独特の味が苦手らしい。

 別に湊も進んで食べている訳ではないので、いらないのなら構わないと店員を呼んで彼女が食べたがっている物の他にサラダとスープも追加注文をした。

 少し待てば最初に注文した分とご飯が一緒にやってきたので、湊はトングで肉を網にのせながら会話を続ける。

 

「そういえば、お前は何組になったんだ?」

「わたしはね、2-Dだよ。湊君は?」

「俺は3-Dだ」

「そっかぁ。えへへ、一緒だねぇ」

 

 クラスのアルファベットが同じなだけで嬉しいのか、かすみは割りばしを手に持ちながら頬を緩ませ笑みを浮かべる。

 二年と三年ではフロアがそもそも異なっているので、そこまで学内で会う事はない。さらにいえば、かすみは休み時間には寝ているかゲームをしているので、トイレに行くときやジュースなどを買いに行くときしか教室から出ない。

 湊が復学して一ヶ月以上が経ったけれど、今まで学内では一度も出会っておらず。変則設定で上から順に一年、三年、二年、文化部部室という構造の校舎で、例えかすみらの教室の真上に湊のクラスがあったとして、学内での生活スタイルが変わらない限りは今後もほぼ会うことはないだろう。

 まぁ、普段よく遊ぼうと言って家に訪ねてきているので、学校でくらい離れていてもいいはずだ。そんな事を考えながら、湊は焼き上がった肉をかすみの取り皿に置くと自分の皿にも置いて箸を取った。

 

「おいしそぉ。それじゃあ、いただきまーす」

 

 箸で肉を摘まんだかすみは、透き通ったレモン汁に厚切りタンを半分ほど潜らせる。ここで全てを潜らせてしまえば肉にふられた塩を落とすことになり、ただのレモン味になってしまう。

 せっかくの美味い肉がそれでは台無しだ。シンプルであるが故に素材の味を引き出す塩、それを殺さず僅かなアクセントを付けながら支えるためにレモン汁はある。

 どこぞのモニュメントにも刻まれていたはずだ。“調和する二つは、完全なる一つに優る”と。

 塩とレモン汁、二つの味が調和した最初の一切れを、少女はゆっくりと口に運んだ。

 

「んー、おいひー!」

 

 噛んでまず驚いたのはその弾力だ。食べ放題の店ではほとんど置かれる事がない厚切りのタンは、ホルモン系にも似たコリコリとした食感と確かな弾力があった。

 だが、噛み切れないほどではなく、噛むたびに肉汁を溢れさせながら徐々に(ほど)けてゆく。溢れた肉汁もレモン汁の爽やかさで中和され、飲み込んだときには一切のくどさを残さず、食べた余韻と空腹が次の肉への欲求をさらに高めさせた。

 その様子を眺めながら自分も食べつつ肉を焼いている湊は、どうやら気に入って貰えたようだと僅かに安堵しながら彼女の取り皿へ次々と肉をのせてゆく。

 

「おいしいねー。どんどん焼けるから待たなくてよくて嬉しいなぁ」

「……炭火の火力はすごいからな。燻す効果もあってより美味くなる。個人的には霜降りのような脂の多い肉よりも赤身の方が好きだ。俺は肉を食べに来ているのであって、別に脂を食べに来ている訳ではない。肉をより美味しく食べるために米や野菜を挿むのは分かるが、脂を有り難がるのは未だに理解できない」

「そうなの? じゃあ、マグロは?」

「赤身がやはり一番いい。脂がのっているにしてもトロで十分だ。中トロや大トロはくどい」

「なるほどぉ。でも、大トロもおいしいよね?」

「……まぁな。嫌いじゃない。ただ、赤身の方が好きなだけだ」

 

 好き嫌いがなく何でも食べられる湊も、別に好みがない訳ではない。裕福な家庭で本物の味を知りながら育ってきたので、審美眼同様に舌もかなり肥えている。

 そして、そんな湊が好んで食べるのは一般的な赤身の部位で、霜降りや脂がのっている部分はあまり食べていなかった。

 別に肉が不味い訳でも、食べたら胃がもたれるという訳でもない。そも、トリカブトをふんだんに使ったシェフの気紛れスープを出されて飲んだところで死なないのだ。普通の動物性の脂を接種したところで体調に異変が出る訳がない。

 湊が赤身ばかりを食べるのは、単純に本人の嗜好の問題なのでそれ以外の理由はなかった。

 かすみと雑談しながら塩タンを焼き終え、今度はカルビを焼いていると、店員が盆に料理をのせてやってくる。

 

「こちら、サラダとテールスープになります。スープの器が熱くなってますのでお気を付けください」

 

 新たに運ばれてきたのは細切りの大根や水菜等の生野菜を使ったサラダと、もう一つは濛々と湯気を立たせている器の中央に骨付きの大きな肉が入ったスープ。

 かすみは両親と焼き肉に行くときは、いつもたまごスープかわかめスープしか頼んだ事がなかったので、見慣れぬ料理を興味津々に覗きこんだ。

 

「テールスープ? 尻尾なの?」

「ああ、煮込むといい出汁が出る。肉も柔らかくなっているから、スペアリブのようにかぶり付いて食べるといい。熱いから持つときは気を付けろ」

 

 言いながら湊はテールを別の器に移して、その上からスープをかける。スープに入っている肉は大きなこの一つだけだが、湊は別に気にしていないのか全てをかすみに譲った。

 肉の入った器を受け取ったかすみは、おしぼりで手をもう一度拭いてから肉にそっと触れる。今までずっとスープに入っていたのだ。かなり熱いが、何度か掴めそうな場所を探している内に慣れてきて、どうにか安定して持つ事が出来た。

 パッと見では少しゴツゴツしたスペアリブのような印象。スペアリブとの違いはこちらの肉は煮込まれた以上の色がついていない事だろうか。

 スープ自体は様々な具材や調味料が入って色が付いているが、それは肉を染めるほどではない。

 では、味もそんなについていないのかと言えば、かぶり付いた瞬間にそんな事は全くないと否定出来た。

 長時間煮込まれてほろほろと柔らかくなった肉は、出汁の利いたスープがよく染み込んでおり、口の中を濃厚なスープの味で満たす。続けてスープも飲んでみると、塩と黒胡椒ベースの味に生姜と鷹の爪のピリッとした辛さがアクセントとなり、肉から溢れるものとは別の味わいを楽しませてくれる。

 様々な調味料が使われていると思っていたが、味付けは塩と黒胡椒、さらにスパイスとして摩り下ろした生姜と細く切られた鷹の爪とネギくらいなもので、あとは主役であるテールから染み出した濃厚な出汁でこのスープの風味は作れているようだ。

 シンプルだからこそ最大限に素材の旨味を感じさせてくる見事な逸品を楽しみ、肉と同じく熱々の少し辛いスープを飲んだかすみは、身体の内側からぽかぽかとしてきて、顔や背中に汗を掻き始めていた。

 テールを全て食べ終えた彼女は、新しいおしぼりで手を綺麗にすると、制服の上着を脱いでリボンを外し、さらにシャツのボタンもいくつか外して手で顔を扇いでいる。

 

「あついねぇ。身体ぽかぽかだけど汗かいちゃった」

「……タオルを貸そうか?」

「いいの? ありがとー」

 

 マフラーからこっそり出したフェイスタオルを渡してやる湊。冷たい水を飲んで身体を冷やしつつ汗を拭こうとするかすみは、異性である湊が目の前にいるにもかかわらずシャツを捲くって下着を見せながら身体を拭き始めた。

 席自体はテーブルごとに仕切られているので、通路を移動している人間を除けば見えないかもしれない。

 だが、流石に下着を見せて平気でいるというのは年頃の娘として如何なものか。初めて会った日に全裸を見て、洗うためとはいえ大事なところも触っているので、それを考えれば今さらかもしれないけれど、一般常識として彼女のためにも湊は言っておくことにした。

 

「羽入。流石に男の前で服を捲くって下着や腹を見せるのはやめろ。お前だって身体はほとんど大人なんだ。よからぬ事を考えるやつがいない訳じゃない」

「んー、でもね。そうしないと身体を拭けないし。湊君はいい人だから大丈夫なんだよ?」

「……俺だから気にしていないのか?」

「そうだよ? あのね。流石にわたしも男の子におっぱいを見せたりしちゃダメなのは知ってるんだよ? でも、湊君はお医者さんだし優しくていい人だから心配してないの」

 

 常識の欠如を指摘されたかすみは、馬鹿にし過ぎだと抗議の視線を湊に送る。だが、すぐにそんな物は消して彼女は別の話題に変えてきた。

 

「そう言えばね。廊下とか歩いてると他の男の子がよくわたしのおっぱいらへんを見てるの。ダメなんだよーって教えてあげたいんだけど、どうしたら良いのかな?」

「……あまりに露骨で酷い場合は女性教師に相談しろ。そうでなければ、武士の情けで許してやれ。一般的な男子が女性のそういった部位を見てしまうのは遺伝子に刻まれた本能で、ある種の病気みたいなものだ」

「湊君は別に見てないよ?」

「別に興味ないからな。身長も含めて平均的な同年代よりも発育がいいとは思ったが、それくらいなもので劣情を催したりはしない」

 

 湊から見れば同年代など全員が子どもだ。それは肉体的な話ではなく主に精神的な意味でだが、見たくもない人間の汚さを何ヶ月も見続けてきたことで、湊はさらに他人との関わりに距離を開けており、劣情を催すどころか存在の認識すらも拒絶していた。

 そんな状態で渋々でもかすみには構ってやっているのは、彼女が純粋な善性存在だからだろう。

 人間の汚さを知っている湊にすれば、世間知らずで危うさすら見せている相手を放ってはおけない。精神は子どもでも身体は立派に成長してきている。他の下衆な男たちがかすみに劣情を催して近付いてきても何ら不思議ではないのだ。

 

「発育かぁ。身体測定のときに他の子から大きいねって言われるの。でも、平均とかそういうの分からないから、ご飯いっぱい食べたら背も伸びて大きくなるよって教えてあげたんだぁ」

「普通に食べてもお前ほどになるには遺伝的なものが関係しそうだがな。ただ、そいつらも高校生や大学生になれば今より胸も大きくなってくるさ」

「んー、でも最近なんか下着がきついんだぁ。今は“E65”っていうの付けてるんだけど、もう少し大きいのにしたい。いつもはママと一緒に買いに行くんだけど、まだもうちょっと帰れないって言ってたから、湊君と一緒に買いに行きたいな」

「……知っていたか? 俺も戸籍上は男であって、下着のサイズを言われても反応に困る。さらに言えば、一般的な女子は知り合いでしかない男子と下着を買いに行ったりはしないんだ」

 

 現在付けている下着のサイズを聞いて立派な物だとは思う。それがきついとなれば尚更だ。

 けれど、それを友人ですらない自分に言われても困ると湊は微妙な表情を浮かべる。相手は湊をとっくに友人としてカウントしているようだが、どちらにせよ異性の友人と一緒に下着を買いに行く者などほとんどいない。

 相手にその事を教えてやるも、微妙に会話が噛み合っていないらしく、肉を食べながらかすみはぽやっとした笑顔を見せた。

 

「大丈夫だよ? たまにね、女の人と一緒に買いに来てる男の人もいるから、一緒なら問題ないんだよ」

「そうか、俺の話をちゃんと聞いていないようだな。いい事を教えてやるがその女と男は恋人か夫婦だ。だが、俺とお前は先輩と後輩でしかない。互いの関係という条件が違うのであれば、当然、お前のいった“大丈夫”とやらも変わってくる」

 

 湊は子どもが苦手だった。自分の内面も大概幼稚だと思っているが、それ以上に人の話を聞かずにすぐに感情でものを言ってくる。

 感情論を別に全否定する気はないが、湊からすればそれは全体像を見ていない極狭い視野で物事を語っているようにしか思えない。それよりも一ランク程度の低い感情だけでものを言うなど、聞くに値しない単なる我儘だ。

 それを考えればまだ感情でものを言ってきていない相手はマシだが、その精神が子どものそれであることに変わりはなく、もぐもぐと口をさせながらかすみは眉を寄らせて困った顔で返して来た。

 

「湊君って難しそうな話し方だよね。よく分からないけど、買いに行くお店の行き方は知ってるから、今週の日曜日に一緒にいこうね」

「……なるほど、話し方のせいで言葉が伝わっていなかったのか。では、分かり易く言ってやる。俺は一緒にはいかない」

「でも、湊君が一緒じゃないと遠くにお出かけ出来ないし。小さい下着だと苦しいから一緒に行って欲しいな」

 

 かすみは現在中学二年生。親に溺愛して育てられたみたいで、色々と世間知らずなところが目立つ分だけ、両親に頼れない状況に時折不安を覚えているようだった。

 そんなときに出会った優しい青年にやや依存するのも当然で、心を読まずとも湊は相手が自分を完全に味方として認識していることを理解していた。

 

「ダメかな?」

 

 しょんぼりと落ち込んだ様子で尋ねてくる様子は、心細そうにしている捨てられた子猫のようだ。

 動物の言葉が副音声のように自動で変換され理解出来る湊は、かすみの声にも副音声のように自分の名前を呼ぶ声が重なって聞こえた気がした。

 そうして、弱者にはどこまでも甘い青年は不安そうな少女の頼みを断り切れず、憮然とした態度を取りながらも折れて聞きいれた。

 

「……俺は店には入らないぞ」

「やったぁ、ありがとー。ねぇねぇ、湊君は何色が好きかな? わたしはピンクが好きなんだけど、湊君にも可愛いの選んで欲しいな」

「……おい、店には入らないって言っただろ。少しは俺の話を聞け」

 

 一緒に行ってもらえる事になったかすみは満面の笑みを浮かべる。だが、そこから自分も一緒に店内まで来てくれると思っている事が分かった湊は、話を聞かない少女に分からせるよう何度も説明をするのだった。

 

 

 




三年生クラス割

 3-A:ゆかり、佐久間
 3-C:美紀、チドリ
 3-D:湊、伊織、友近、岩崎、風花

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