【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百三十話 それぞれの放課後

6月9日(土)

放課後――月光館学園

 

 土曜日は四時限目までしか授業がないため、平日ならば昼休みにあたる時間から生徒たちはそれぞれの放課後を過ごしている。

 三年生は修学旅行に向けて実行委員が話し合いをしていたりもするが、実行委員でない者や他の学年の者たちには関係のない事だ。

 生徒会長などという面倒な役職に就いている湊もそれは同様であり、各自が夏休み中に締め切りのある別々のコンクールに作品を応募するという事で、六月に入ってから分かれて活動している美術工芸部への出席をさぼり帰ろうとしていた。

 普段部活をさぼろうとすると佐久間やゆかりにチドリといったメンバーが五月蝿いのだが、幸いなことに今年は風花以外別のクラスなので顔を合わせずに帰ることが出来る。

 さぼる理由も「ちょっとアイデアにつまったから街の風景を見てくる」と風花に伝えれば、彼女は笑顔で「いいアイデアが浮かぶといいね」と見送ってくれるので、高等部にあがってからも彼女とだけ同じクラスになるようにクラス分けに細工をしようかと考えたりしていた。

 そうして、コートのポケットに手を入れたまま階段を下りて一階までやってくると、階段を下りて直ぐの壁際にいた生徒会会計で後輩の宇津木が、湊がいることに気付いたようで顔を輝かせて挨拶をしてきた。

 

「会長、お疲れ様です」

「……ああ、お疲れ。宇津木も今から帰るところか?」

「いえ、あの、最近友達が一人出来て……その子とお昼を食べにいく約束をしているんです」

 

 いじめの件が解決してから目を覆っていた前髪を少し切った彼女は、友人が出来て一緒に遊べるのが嬉しいのかはにかむような小さな笑顔を浮かべている。

 一年の頃から友人が一人もおらずいじめを受けていた彼女にとって、いじめから解放されて新たに友人まで出来た今が幸せなのだろう。

 以前よりも少しだけ明るくなって歳相応の笑顔を見せる彼女に、湊もよかったなと心の中で祝福しながら優しい表情で返した。

 

「そうか。今日は一日晴れる予報だったから楽しんでくるといい」

「はい。あ、でも、その友達を会長に紹介したいのですがお時間宜しいでしょうか?」

 

 どこか照れくさそうに尋ねてきた彼女は、友達を湊に紹介したい気持ちと、友達に湊を紹介したい気持ちの二つを持っているらしい。

 湊としては後輩が楽しい学校生活を送れるようになって良かったとは思うが、正直、相手の交友関係までは別に気にならない。

 流石にポートアイランド駅の路地裏にたむろっているような相手と知り合いになっていれば気にしたりもするが、彼女の様子を見る限りでは学校で出来た友達に違いない。

 それならば紹介して貰う必要はないと言いかけたのだが、湊が口を開くよりも先に宇津木の友人とやらが湊たちの許へ到着してしまった。

 

「香奈ちゃん、おまたせぇ。お掃除おわってきたよー」

「会長、この子がさっき話していた子です。羽入さん、この方が以前話した会長よ」

 

 ぱたぱたと走ってやってきたのは、中学二年生にして美紀を除く部活メンバーより身長が高く、胸に関しては美鶴と同等か僅かに勝るほど豊かな羽入かすみだった。

 確かに二人は同じクラスだったが、タイプの異なるこの二人の組み合わせは中々に珍しいと思って眺めていれば、宇津木に言われて不思議そうに湊を見ていたかすみが口を開いてきた。

 

「はじめまして会長さん。羽入かすみって言います。えっとぉ、よろしくね」

「……ああ、よろしく」

 

 住んでいる部屋が隣で、何度も家に遊び来たり食事にでかけたりしているというのに、どうして相手がはじめましてと挨拶してきたのか湊には分からない。

 しかし、目の前にいる人とずれた思考の持ち主は、宇津木から“会長”として紹介された事で、ここにいる湊を“会長”という人物として認識している可能性があった。

 “会長”と“有里湊”をイコールで結ぶ事は可能だというのに、どうしてそんな偏った認識になるのかは分からないが、とりあえず挨拶した後も不思議そうに首をかしげているので、顔に見覚えがあるとは思っているようだ。

 この後はどのような反応を見せるのか湊が黙って観察していれば、急に「うんうん」と何かに納得したように頷いた相手が、湊を見上げながら手招きを始めた。

 

「ねえねえ、ちょっとしゃがんで」

「……こうか?」

 

 何をするつもりか分からないけれど、しゃがんで欲しいのなら言う通りにしてやるかと、湊は腰を屈めて相手と目線を合わせる。

 傍らで見ている宇津木もかすみが何をしたがっているのか分からないようだが、屈んだ高さはそれで丁度良かったらしく。「ありがとぉ」と笑ってお礼を言った彼女は、おもむろに湊の顔へ両手を伸ばすと、そのまま頭の後ろまで手をやり突然眼帯の留め具を外して解いてきた。

 今いるのは階段を下りてすぐの廊下の壁際で、湊の左側に宇津木が立っており、正面には階段を背にしたかすみが立っている。

 よって、階段を下りてきた生徒はかすみが壁となり、本人の左側にいる宇津木も位置の関係から右眼を見る事は出来ない。

 しかし、留学中に怪我を負って眼帯をつけている話は有名なので、その傷を隠すための眼帯を外すという奇行に宇津木は顔面を蒼白にして叫び声をあげた。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!? だ、ダメ! 羽入さん、会長にそれを返して! 申し訳ありません、会長! この子少し変わっていて本人に悪気はないんです。ですから、どうか、どうか重い処罰だけはっ」

「……お前、俺が誰にでも罰を与える人間だと思ってるだろ。別に気にしてないからいい」

 

 ぶるぶると震えながら土下座で懇願してくる宇津木に言いながら、湊はかすみの手から眼帯を取り返すと髪を挟まないように付け直す。そして、長い前髪で眼帯を軽く隠すと宇津木に手を貸して立たせた。

 立ち上がった彼女の顔色はまだ青いが、騒ぎを起こした本人は状況を理解していないのか、にっこりと笑って湊に話しかけてくる。

 

「会長さんのお目々の色って綺麗だね。あのね、わたしのお友達に湊君って人がいるんだけど、湊君も黒い眼帯でお目々を隠してるの。予想ではあれは多分隠された力を封印してるんだと思うんだけど、会長さんも同じなのかな?」

「別に力は隠してない。というか、お前と友達になった覚えもない。ただの近所の住人だろ」

「え? わたしと会長さんの家ってご近所さんなの? あのね、さっき言った湊君もご近所さんなんだよ」

「……そうか。俺がその有里湊本人だと説明しているつもりだったんだが、お前ははっきり言わないと理解しないタイプだったな。いいか、羽入。俺はお前の知っている有里湊だ。そして、月光館学園の生徒会長でもある。ちゃんと覚えておけ」

 

 確かに湊の話し方は少し回りくどい物があるが、要点も押さえているので基本的な意味は伝わるはずだ。

 だが、受け取り手が全員同じように意味を理解出来る訳ではなく、ここにいる羽入という少女ははっきり説明しないと湊の言葉を理解しないタイプだった。

 頭は悪くないはずなのに理解出来ない理由は、湊と話すときには“会話をしている事”が楽しいという風に意識の何割かが裂かれているようで、話の内容にいまいち集中していないかららしい。

 要するに親しい者と一緒にいてはしゃいでいる子どもという訳だが、その子どもの相手をしている方は疲れるばかりである。はっきりと告げた事で湊が本人だと認識したかすみは、感心したように頷いて宇津木に話しかけた。

 

「そうなんだぁ。ねぇねぇ、香奈ちゃん。湊君って会長さんなんだって、すごいね」

「会長がすごい方なのは常識だけど、会長は羽入さんとお知り合いだったのですか?」

「家が近所なんだ」

「仲良しだからよく遊ぶんだよ。この前はね。下着を買いに連れて行ってもらったの。どれがいいかなぁって思って、湊君にも選んでーってお店に入って黄色い猫さんのを買ったんだぁ」

 

 かすみが楽しそうに先日二人で行った買い物の話をすると、宇津木は制服のジャケットの内ポケットからメモ帳と筆記具を取り出し、なにやら熱心にメモを取り始める。

 チラッと湊が見たところ、メモ帳には『会長は黄色い猫柄の下着が好き』と書かれていた。話を聞いていればそう勘違いするのも無理はないが、実際のところ別に湊に好きな下着の色や柄などはない。

 身に付けている者に似合っていれば、別に風花が布地の少ない大人びた黒い下着をつけてようが構わないし。逆に美鶴がファンシーなクマがプリントされたパンツを穿いていようと気にしない。何せ脱がす機会どころか見る機会もないのだから、勝手に好きな物を身に付けろとしか言いようがないのだ。

 故に、後々に変な誤解を生みそうだと思った湊は、しっかりとこの場で誤解を解いておくため、マフラーから取り出した煙管を咥えながらうんざりした表情で間違いを指摘する。

 

「……言葉の順序がおかしいぞ。俺の腕を引っ張り無理矢理に店へと入らせ、どれがいいか考えた末に自分で選んだ下着を買ったんだろ。お前の言い方では俺が選んだようじゃないか」

「一緒にお買い物して楽しかったね。また行こうね」

「……暇だったらな」

 

 素っ気なく返す湊は、EP社の仕事があるので基本的に暇なときなどないが、それでも時間を作って付き合ったりする甘さを持っている。

 そんな青年だからこそかすみも信頼して懐いている訳で、また一緒に遊べる事に嬉しそうに頷いた。

 傍らにいる宇津木はそんな二人の会話を少し羨ましそうにしており、気付いている湊としては別に二人を相手にしようが一緒なので、遊んで欲しいなら素直に言ってくればいいものをと考える。

 だが、性格的にそこまでまだ踏み込めないようなので、機会があれば自分の方から声をかけてやるかと考えつつ、そろそろいい時間だったので学校を出ようと二人に声をかけた。

 

「二人は昼を食べに行くんだろ。俺も用事があって学校を出ないといけないから、そろそろ帰ろう」

「そっかぁ。それじゃあ、湊君またね」

「はい、それでは失礼します」

 

 廊下から生徒玄関まで移動して靴を履き替えると、宇津木とかすみはモノレールに乗るらしく駅に向かって去っていった。その後ろ姿を見送った湊も、学校の近くにいると探知能力でチドリが探そうとしてくるため、早々に立ち去ろうと歩いてムーンライトブリッジの方へと向かうのだった。

 

 

――巌戸台分寮

 

 その日、学校を終えて早々に寮に帰って来た美鶴は、制服から私服に着替えると落ち着かない様子でラウンジにいた。

 同じように学校から帰って来た荒垣はその様子にトイレでも我慢しているのかと考えたが、そんなデリカシーのない事を尋ねられるのは真田くらいなものなので、キッチンに近いテーブルで一人昼食を取りつつ今も時折眺めている。

 お互いに会話のないまま時間だけが過ぎていき、昼食を取り終えて荒垣が洗い物まで終わらせた頃、寮に車の整備士のようなつなぎ姿の男が一人はいってきた。

 

「失礼します。“桐条美鶴様”へ単車のお届けにまいりました」

「ご苦労様です。桐条美鶴は私です」

「あ、本日はよろしくお願いします。早速確認をお願いしたいのですが、駐車場所はどちらでしょうか? そちらまで私どもの方でお運びします」

「どうもありがとうございます。それでは案内しますので一度外へ」

 

 やってきた男にそういうと、美鶴は玄関から出て行って回り込むように別館の方へ歩いて行ってしまった。

 男は単車のお届けと言っていたので、ここへはバイクを運んできたのだろう。けれど、話を聞いていた荒垣は、美鶴が二輪免許を持っていると知らなかったので、最近のお嬢様はバイクも乗るんだなと純粋に感心していた。

 

***

 

 巌戸台分寮は各自の私室や作戦室のある本館と、風呂やオープンキッチンのある別館に分かれている。寮の駐車場もその別館側にあるので、運送屋には車ごとぐるっとまわって貰ってそちらでバイクを受け取ることになった。

 駐車場まで入ってきたトラックが止まり、先ほどの男ともう一人が運転席から降りてきてコンテナの扉を開けている。

 そして、一人がコンテナの中に入ってスロープを取り付ければ、下にいた男がサポートしながらバイクが現れた。

 

(……美しい)

 

 コンテナから現れた白いバイクを見つめ、美鶴は心の中で拍手を送る。このバイクは情報誌やパンフレットを眺めて美鶴が自分で決めたものだ。

 ボディはイタリアの名門ドゥカティ社のドゥカティ900ssのものだが、所持している免許の関係からエンジンを同社ドゥカティ400ssの物に乗せ換えて排気量を下げており、彼女の持っている普通二輪免許でも乗ることが出来る。

 エンジンを乗せ換えるという面倒な事をするくらいならば、最初から400cc未満の車種に乗ればいいのではないかとも周りからは言われたが、美鶴はドゥカティ900ssのデザインに一目惚れしてしまったのだ。

 それ故、自分でも我儘を言っていると自覚しながら、基本ボディはそのままにエンジンを乗せ換え、マフラーをセンターアップマフラーにし、細々とした各部のパーツなども好みの物に換えて貰ったのである。

 ただでさえ高級なバイクのエンジンを乗せ換え、それに合うようにパーツを交換した事で総額五百万近くかかっている。

 彼女が選んだセンターアップマフラーというのは、一般的に車体の左右どちらかから出ているマフラーが、車体の真後ろから出ているため空気抵抗などは少ないのだが、その分車体の下を通るように伸ばしてマフラーが長くなるので重量も増すし、何よりタンデムで乗った者の足のすぐ近くにマフラーが来るので熱くて二人乗りに向かないといったデメリットがあった。

 タンデムに関しては後ろには通信補助機材を積むという話なので、そちらは無視しても構わないかもしれないが、車体重量の増加は宗家御令嬢の安全のために何としても防がねばならないと、桐条グループの総力をあげて軽量パーツを使うなどしてクリアしていた。

 そうして、そんな特注も特注なカスタムバイクが車から下ろされると、美鶴の前まで運ばれスタンドで止められた。

 

「えー、工場の方で操作や各部の扱いなどについて説明を受けておられると聞いていますが、もう一度説明しておいた方がよろしいでしょうか?」

「いえ、結構です」

「かしこまりました。それではガソリンは満タンまで入れております。キーはこちらに一本と、予備にもう一本ありますので、別々に保管するなどしてなくさないようにご注意ください」

「ええ、ありがとうございます」

 

 革製のキーホルダーがついたメインキーと何もついてない予備のキーを受け取り、美鶴は喜びを我慢しきれず僅かに口元を歪める。操作などは男が言っていた通りカスタムを請け負った桐条系の工場の方で聞いていたが、工場で跨ったりするよりも、こうやって自分の生活拠点で愛車の鍵を手にした方が実感も湧いてくるものだ。

 説明をちゃんと聞いておかなければならないのは分かっているが、早く実物に触りたいという気持ちが急かしてくる。こんな事では事故を起こすぞと叱咤しても、やはり自分が待ち望んでいた物を手にするときには美鶴でも自分をコントロールしきれない。

 しかし、そんな心の内を悟られるのは流石に恥ずかしいため、なんとか笑顔以外は普段通りを装う事で男の話を乗りきった。

 

「それでは自分たちはこれで帰らせていただきます。何かありましたらお電話ください」

「どうもありがとうございました」

「いえ、こちらこそありがとうございます。失礼します」

 

 それだけ言うと男たちはトラックに乗って駐車場を出ていった。そして、相手が完全にいなくなった事を確認するなり、美鶴はやってきた愛車に近付き美しいボディを手で撫でる。

 普通は車用ワックスなどがついているので触れない方がいいのだが、あまりの美しさについ手が伸びてしまったのだ。

 どことなく古い新幹線を想起させるような全体的に丸みを帯びた可愛らしいデザイン。同型機だけあって400ssとよく似ているが、ライトの形など細かい点が異なっているため、やはり無理を言って900ssのボディにして貰って良かったと改めてその出来にうっとりする。

 シートからハンドルまで距離があるので、乗るときにはきつめの前傾姿勢になるが、美鶴は女性にしてはそれなりに身長がある方であり、多少上半身を寝かす形になろうとバイクと一体になれるような気がするのでむしろプラスだと思っている。

 普段は大人びた表情ばかりしている美鶴も、こういったときには歳相応の顔で喜んだりする。ニコニコと傍から見れば珍しい表情でバイクを様々な角度から見続け、十分ほど経ってようやく満足したのか、フフッ、と笑って顔をあげたとき、

 

「きゃっ!?」

 

 美鶴はすぐ傍に荒垣が立っていること気付き、驚きの声をあげて飛び退いた。

 ジャケットだけ脱いだ制服姿で立っていた相手は、美鶴が驚いて可愛らしい声をあげるのを初めて聞いたため驚いた様子だが、一方の美鶴はずっと見られていた事と変な声を出してしまった羞恥で顔を赤くしている。

 だが、ここで感情に任せて行動すればバイクに傷がついてしまうので、何とか踏みとどまると怒りを抑えながら口を開いた。

 

「……いつから居た?」

「オッサン達がお前に色々と説明してるときからだ。バイクなんて乗るんだなと思って見に来たんだが、どうやら邪魔したらしいな。俺は寮に戻るから好きなだけ続けてくれ」

 

 つまり、相手はほぼ最初からいて、バイクを眺める美鶴を十分以上も黙って見ていた訳だ。好きに続けてくれといって荒垣は背を向けて本館に帰ろうとするが、どう見ても笑いを堪えて肩を震わせており、しっかりと気付いていた美鶴は相手を呼び止める。

 

「……おい、肩が震えているぞ。笑いたければ素直に笑ったらどうだ?」

「ぶふっ……いや、これは思い出し笑いだから気にしないでくれ」

「そんな見え透いた嘘が通じるか!」

 

 そんなにタイミングよく思い出し笑いなどするはずがない。美鶴がそう指摘する間も荒垣は笑いを堪えており、美鶴がした何らかの行動が彼のツボにはまったようだ。

 

「どっちだ。バイクを見ていた事と驚いた事、どっちで笑っている?」

 

 自分では判断できないなら本人に尋ねるしかない。腕を組んでやや睨むように質問をぶつければ、ようやく笑いが治まったらしい荒垣は素直に答えてくる。

 

「バイクを見ていたのは別になんともねえ。アキが新しいプロテインを買ったときも似たような感じだからな。欲しかったモンを手にしたら誰だって似たようなもんだ」

「なら、驚いたのを見て笑ったということか。しかし、それはずっと黙って見ていた君のせいだろう。見ていたのなら声をかければいいじゃないか」

 

 正直、新しいプロテインを買った真田と似たようなものだと言われ、そんなにも落ち付きのない姿を自分は晒していたのかと美鶴は若干のショックを受けた。

 新しいプロテインを買ったばかりの真田は、筋肉をつけたいのかプロテインを飲みたいのか、はっきり言ってどちらが目的なのか分からない状態になっている。

 それよりも目的が明確な分だけ美鶴の方がマシだが、傍から見れば似たような反応に映るといわれればやはり内心のショックを隠しきれなかった。

 驚かされた事や侮辱に等しい評価を受けたことで頭に血が上っていた美鶴は、腹いせでしかない棘のある言い方で嫌味八割の質問をぶつける。

 

「君はあれか。女子を影ながら眺めるような陰湿で下衆な趣味でも持っているのか? 文字通り、悪趣味な事この上ないな」

「は、はぁっ!?」

 

 急にそんな事を言われた荒垣は当然驚き、それと同時に何故そんな事を言われなければならないのだと憤りを感じた。

 何せ異性を影ながら眺めるという一種のストーキング行為は、目の前にいる相手の専売特許だったはずなのだから。

 冗談にしてもお前にだけは言われたくないと思った荒垣は、普段真田と口喧嘩するときのように声を荒げて言い返す。

 

「そりゃ、オメーの趣味だろうが一緒にすんな!」

「ば、馬鹿を言うな! 有里の件は誤解だと言ったはずだ!」

「残念だったな。加害者がどう言おうが被害者がそう感じたら犯行成立なんだよ!」

「異議あり! それならばお前の行動も、私の主観でストーキングやピーピングと判断していいはずだ!」

「執行猶予期間中のお前の言葉なんざ何の信憑性もねぇよ! 人を覗き魔呼ばわりする前にテメェの行動を顧みてから言いやがれ!」

 

 お互いに不名誉なレッテルを貼られまいとして声を荒げて反論し合う。ここに真田がいれば呆れたように二人とも馬鹿だろと言っていただろうが、言い合っている二人は真剣そのものだ。

 それから小半刻ほど言い合って息を乱し肩を上下させながら睨み合う二人。

 さらに一分ほど睨み合っていると、突然美鶴がフッと力を抜いて静かに口を開いてきた。

 

「……やめよう。言い争っても疲れるだけで何の得にもならない」

「ん、ああ。まぁ、黙って見てて悪かったな。お前が免許を持ってるって知らなかったから、ちょっと興味があって見に来ただけなんだ」

 

 急に冷静になった美鶴に荒垣も面食らうが、確かにこんな不毛な言い争いを続けたところで疲れるだけだ。

 話し合うだけの冷静さを取り戻したのなら、自分も謝っておくべきかと謝罪を口にし、それを聞いた美鶴は普段通りの綺麗な笑みを浮かべた。

 

「そうか。実はこれは通信補助機材を運ぶためのバイクなんだ。結構な大きさがあるものを運んで歩くのは効率が悪いだろう? だから、いっそ移動手段も兼ねてバイクに積めるようにして貰ったんだ。当然黄昏の羽根も積んでいるので影時間でも動かせる」

 

 このバイクは以前美鶴が父に話していた通り、通信補助機材を運ぶための役割を担っているため影時間でも稼働するよう黄昏の羽根を積んでいる。

 現場に急行する移動手段にもなるので、美鶴としてはイレギュラーシャドウの出現を今から心待ちにしていたりもするのだが、実際のところバイクに乗れる美鶴はいいが他の二人は走るか自転車で追いかけるしかない。

 美鶴一人が行ったところで戦いを始める事は出来ないが、負けず嫌いな真田のことだから、きっとバイクの速度に勝てる訳がないと思いつつも、全力で追いかけて戦いにも参加するだろう。

 しかし、そんな事を繰り返せば戦う前に体力が切れて真田たちが潰れてしまう。その事に気付かないまま、通信補助機材の運搬手段と聞いて荒垣の方も納得したように頷く。

 

「なるほどな。しかし、御令嬢がバイクに乗るなんて言って周りは反対しなかったのか?」

「フフッ、当然今も大反対さ。だが、我々の活動には“必要な物”だろう?」

「へっ、確かにそうだな。荷物を抱えてシャドウから逃げる訳にもいかねえし。御令嬢の安全を考えたらバイクのがマシだ」

 

 今まで敵から逃げるような事はほとんどなかったが、通信補助機材にも大切な黄昏の羽根を積んであるため、逃げるときには機械を置いていったりは出来ない。

 本当に死にそうなときには道路脇に置いて影時間が終わってから回収する事になるだろうが、それでも抱えて逃げるという間抜けな姿を晒すよりは、バイクで逃げる方が安全ではあるだろうと荒垣も同意した。

 

「それで、今からちょっとしたツーリングにでも行ってくるのか? 流石に初めて公道走るのが影時間って訳にもいかねえだろ?」

「そうなんだがな。あまり道も知らないので、正直どこへ行こうか悩んでいる。近場で比較的交通量も少なく楽しめそうな場所はないか?」

 

 美鶴がいつ免許を取ったのかは分からないが、見たところ公道を二輪で走った経験はないと思われる。そんな状態で影時間に初走行など危険過ぎてさせられないので、荒垣が試しにどこかへ出かけて来るのか尋ねれば、美鶴は地元民である荒垣に良い場所はないかと聞き返してくる。

 巌戸台は都会の湾岸部にあるので、交通量が少ない場所というと住宅街寄りになってしまう。けれど、そんな場所を初心者がバイクで走ればどんな事故を起こすか分からないので迂闊には勧められなかった。

 

「公共の交通機関除けば徒歩かチャリでしか移動しないやつになに聞いてんだ。だがまぁ、タルタロスに行く事を考えれば、やっぱ学校を目指すのが一番なんじゃねえか? 知らない道よりも知ってる方が落ち着いて運転出来るだろ」

「確かにその通りだ。いいアドバイスをありがとう。では、準備して学校へ向かってみるとしよう。荒垣も後ろに乗るか?」

 

 学校までのツーリングに誘う美鶴の顔には笑顔が浮かんでいる。彼女の私服は乗馬するときのような格好なので、これからすぐに行ってくるつもりなのだろう。

 今日はこれと言って用事もないし、名家の御令嬢の初ツーリングに同乗させて貰えるのは非常に名誉な事だが、荒垣は小さく笑うと首を横に振った。

 

「遠慮しとく。初めての公道運転で二人乗りとかあぶねえだろ。何より、お前と二人乗りしたらどんな噂がたつか分かったもんじゃねえ」

「フフッ、それは困るな。では、君も出掛けるなら戸締り等は頼む」

「おう。こっちは気にしねえで楽しんでこいよ」

 

 そういって話しながら二人は一度寮に戻ると、自室からグローブとヘルメットを持ってきた美鶴は出てゆき。すぐ後に別館の方から聞こえたバイクの音が遠ざかるのを荒垣は静かに感じていたのだった。

 

 

 




原作設定の変更点

 美鶴のバイクの車種は原作で言及されていないため、美鶴の所持している免許で乗れることを条件に含み似た物を選んで設定している。
 ただし、ヘルメットはキャラクターデザインを務めた副島氏がルイ・ヴィトンのものをモチーフにしているとインタビューで語っているため、本作ではその設定をそのまま使用することとする。


本作内の設定

 実際の道路交通法ではバイクの二人乗りに禁止期間がある。公道は免許取得から一年、高速道路は三年経たなければ二人乗りする事が出来ない。
 しかし、本作中ではその法律がないものとして、二人乗り出来る排気量のバイクであれば免許取得当日から二人乗り出来るものとする。また、首都高など二人乗りが禁止されている道路についても設定変更し、基本的にどこでも二人乗りは可能と設定する。

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