【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百三十五話 前篇 修学旅行初日-出発-

7月9日(月)

朝――月光館学園

 

 雲一つない青空の下、月光館学園中等部の三年生たちは、それぞれ大きな鞄を持って校舎前に整列していた。

 整列している彼らを見ていけば、ほとんどの者が落ち付きのないそわそわとした態度をしており、顔には期待感の籠った笑みを浮かべていた。

 そんな者たちと相対する形で立っていた湊は、話を終えた校長からマイクを受け取り開会の挨拶のフリをした諸注意を述べる。

 

「無事に帰るまでが旅行らしいのでいくつか注意事項を伝えておく。まず、ホテルの部屋の冷蔵庫は好きに使っていい。普段はジュースや酒が入っているが、追加料金が発生すると支払いで混雑して時間を食うので最初から撤去して貰った」

 

 湊の言葉を聞いた生徒らは苦笑してしょうがないねと笑い合う。

 部屋にジュースが置かれていると買いに行かなくて楽ではあるが、オレンジジュースやコーラなど決まった銘柄しか置かれていないことが多いため、結局は自分の好きな飲み物を買いに出ることの方が多い。

 それならば最初から撤去して貰い、好きな物を入れておけるスペースを確保されている方が生徒らにしてもありがたかった。

 

「ただ、自動販売機はホテル内にいくつもあるし、一階には売店もある。売店の営業時間が過ぎても歩いて七分ほどのところにコンビニがあるから自由に買い物していい。ただし、ジャージ等でコンビニに行くのはいいが、パジャマ等の寝間着でしかないものや部屋に置かれている浴衣やスリッパで行くのは禁止。見つけたら教師だろうと自由行動時間はバスに缶詰めだ」

 

 今度の言葉には教師らの数名がギョッとする。立場的には監督官の教師が上なのだが、最初に公平なルールを敷かれては教師も従わざるを得ない。

 普段、ホテルの浴衣を着たまま近所を少し散策することもあった者も、相手が湊では武力的に勝てないので、ならば大人しく着替えて出掛けるかと僅かに肩を落とした。

 

「ああ、止めても何人かは隠れてやるだろうから先に言っておく。飲酒は別に止めない。年齢確認不要の酒の自販機も置いているしな。ただ、部屋では飲むな。フロアをまるごと貸しきっているので、フロア内にある談話室でなら許可する。それ以外での飲酒は発覚で自由行動時間にバスに缶詰め、さらに戻ってから反省文だ」

 

 こんな事は中学校の修学旅行では前代未聞だ。だが、確かになるべく同じフロアになるようかなり前から予約していた事で、月光館学園御一行だけでホテルのフロアを二つ貸しきっていた。

 貸しきったフロアは宿泊フロアなので宿泊部屋以外は自販機コーナーと談話室くらいしかなく、カラオケやアミューズメントスペースへ行くような他の客も基本的には来ない。

 ならば、隠れて飲まれるよりは、管理し易いよう場所を決めて限定的に許可すれば問題も起こり辛いだろう。

 コンビニでは年齢確認があるので中学生は買えず。酒類の自販機にはビールと日本酒のワンカップくらいしかない。これでは子どもは楽しめないので、結局、ほとんどの者は一口二口飲んで後はジュースに移るという訳だ。

 この事は教師側に事前に話しており、話した当初は反対もあったものの、どうせ何人かはこっそりと飲もうとすることは教師も分かっていたので、最終的には貸しきったフロアの談話室だけでならと渋々認めていた。

 

「消灯時刻は点呼を取るので部屋にいろ。それが終わったら出歩いていいが、ホテルの前にビーチがあると言っても泳ぐのは禁止だ。夜の海は危険な上に、沖縄の海には毒のある生物が多数いる。助けるのは非常に困難なのでビーチを歩くくらいにして波打ち際にも行くな」

 

 これは純粋に生徒の安全確認のための決まりだ。誰かが行方不明になった場合、何時まで所在を把握出来ていたかはとても重要になる。

 それに加え、せっかく沖縄に来たのだから泳がなければ損だと考え、夜になって泳ごうとする馬鹿には事前に釘を刺しておかねばならない。

 日中でも溺れている者を助けるのは大変だというのに、夜の暗い海ではまず見つけようがない。

 また沖縄の海には魚やヒトデなど毒を持つ生物が多数いるため、どの生物の毒を喰らったのか分からなければ対処が遅れて最悪死ぬ。暗い水の中で素人が生き物の種類を判別出来るはずもないので、この決まりは脅しでも何でもなかった。

 

「あとは、そうだな。異性の部屋に行くのはいいが、女子が男子の部屋で寝るのは禁止だ。もし女子が男子の部屋で寝ていれば、不埒な目的で男子が無理矢理に部屋へ連れ込んだものとみなす。その場合は停学や退学もあり得るから覚悟しておけ」

 

 この発言には生徒たちがざわついた。女子が男子の部屋で寝るのは禁止と言ったとき、ほとんどの者は普通は逆ではと考えた。

 だが、その後の発言で、禁止なのに女子が男子の部屋にいれば、確かに無理矢理に連れ込んだ可能性も想像できた。

 もっとも、逆パターンで男子が女子の部屋に無理矢理に押し入ることも考えられるのだが、今年の引率は学校一のマッチョ教師である盛本、トップアスリートクラスの身体能力を持っている佐久間と櫛名田が揃っている。

 さらに、生徒側にも上級生のボクシングチャンプに余裕勝ちした上、生徒の親や兄弟などの情報まで詳しく把握しているという湊がいる。

 これでそのような犯罪行為に走れば、再びこの地へ帰ってこられるか分からないので、男子たちは全員絶対にそんな命を投げ出すようなことはしないと固く心に決めた。

 だがそのとき、A組の列から命知らずな一人のバスケ部員の声が飛んでくる。

 

「会長、そのルールだと個人的に一番会長が危ないと思うんですけど? なんか、会長の部屋って朝になったら普通に女子がいそうなイメージっす」

「……朝までに女子から女になってるから安心しろ」

「はぁっ!? ちょっ、そんな抜け道ありっスか!?」

 

 湊は“女子”は禁止だといったが、確かに“女”が禁止とは言っていない。彼の部屋で一晩過ごし朝を迎えるとすれば、そのときには無垢な少女は快楽の味を知った女になっているだろう。

 大勢の前でそんな宣言をした湊を、男子生徒は嫉妬と羨望の眼差しで見つめ、女子たちは頬を染めてどことなくそわそわしている。

 だが、いくら思い出作りの旅行といっても、子作りまでは駄目だろうと渡邊が抗議すれば、一同を見渡して呆れた表情を浮かべた湊が煙管を咥えながら言葉を返す。

 

「無しに決まってるだろ。お前だけじゃなく他の生徒もだが、俺に勝手なイメージを抱き過ぎだ。旅行効果で異性との距離を縮めるのはいいが、キスの先はもっと大事にとっておけ。何かあったとき泣くのは女だぞ」

 

 言った青年の表情は興味なさげなやる気の感じられないものだが、その声は生徒たちのことを思う優しさが籠もっていた。

 浮かれきって暴走直前になっていた者も、その声で少し冷静になると余裕を取り戻し馬鹿な行動に走ることはないだろう。

 旅行の楽しさでまた夜になったら暴走するかもしれないが、女子の大半は自分の身は自分で守らなければと目が覚めたようなので、いくらムードがあろうと雰囲気に流されたりはすまい。

 男は駄目でも女がしっかりしていれば大丈夫。強い女性を何人も知っている湊は、これで最低限の危険は回避できるだろうと挨拶を締めることにした。

 

「まぁ、注意事項はこれくらいだが、お前ら以外も観光客はいる。ただでさえこの人数で動くのは難しいんだ。馬鹿な事をして迷惑をかけたり、そのことで時間を取らせたりしないでくれ。以上で挨拶を終わる。A組から順にバスへ移動しろ」

 

 話を終えるとマイクを見送りの教師に渡して、湊も生徒の列へと戻ってゆく。言われたA組がバスに移動すると他のクラスも順に移動し、一同は空港へと出発するのだった。

 

――東京国際空港

 

 空港に到着すると大きな荷物を預けてそれぞれ搭乗手続きを済ませてゆく。多数の金属を身に付けている湊は、金属探知機のゲートのセンサーを一時的にカットする事で問題なく通過し、その先で預けた携帯などをポケットにしまってから班員と合流した。

 飛行機に乗り込むまではまだ時間があるが、それでも滑走路を移動する飛行を窓から見ることが出来るので、搭乗までの時間が迫っていることもあり、風花は既に緊張した様なぎこちない笑顔を浮かべる。

 

「なんか飛行機って緊張するね。私はじめてだからちょっと不安なの」

「……乗る前に言っておくが、靴を脱ぐ準備をしておけよ。バスや電車と違って飛行機は搭乗橋までは土足OKだが、機内は衛生面のことを考えて土足を禁止しているからな」

「そ、そうなんだ。やっぱり空を飛ぶから車とかとはルールが違うんだね。スムーズに脱げるか不安だなぁ」

 

 残念ながら土足禁止などまったくの嘘である。純粋な少女は信じてしまったようだが、彼女を騙した悪魔のような青年は気にせず携帯をいじっており訂正する気など微塵も感じられない。

 そのせいで近くで話を聞いていた伊織順平という少年も、初飛行機だったことで湊の嘘を信じてしまい。不安そうにしている風花に自分の思い付いた名案を教えてきた。

 

「それならいっそ早めに脱いでおけば良いんじゃね? 裸足で歩くのって気持ちいいし。オレっち早めに脱いでおく事にするぜ!」

 

 それを聞いた風花は感心したように順平の案に頷いている。

 旅行中は基本的に制服着用だが、歩く事もあるので革靴やローファーではなくスニーカーなど歩き易いもので来るように言われている。

 スニーカーなら型崩れも気にしなくていいので、二人は早めに脱ぐ準備をすることに決めて搭乗時間を待った。

 そして、順に乗り込むように言われチケットを読み取らせた一同が搭乗橋を歩き始めると、飛行機の入り口が見えた時点で順平がやる気に満ちた声を出す。

 

「うっし、そろそろだな」

 

 飛行機までは二十メートルもない。この人数が入り口直前で脱ぎはじめたら混雑するだろう。

 それを避けるため、自分たちは先に脱いでスムーズに乗ろうと靴を脱ぎ始めたとき、順平の後ろにいてニコニコと笑っていた西園寺が声をかけてきた。

 

「一応言っておくと飛行機は土足OKなんだよ。ていうか、裸足で歩いてると不審者扱い受けるパターンもあるから気を付けてね」

『……え?』

 

 衝撃の事実を告げられた途端、順平と風花は西園寺の隣に立っていた湊に視線を向ける。

 すると、ポカンとした表情の二人に見つめられた湊は、結った髪をかき上げながら、シレッと悪びれた様子もなく口だけの謝罪を述べた。

 

「……悪い。お前らがあんな馬鹿な冗談を信じるとは思ってなかった」

「あっぶねー! そのキャラで真顔で冗談言われてもマジ分かんねえから!」

「西園寺さん、その、教えてくれてありがとうございます」

「いいよ、いいよー。私も馬鹿な人を憐れんで教えただけだからさぁ」

 

 湊の横を陣取っている彼女は綺麗な笑みを浮かべている。しかし、その裏にとても黒い物を見た気がした順平たちは、心の平穏のために何も見なかったことにして座席へと移動した。

 席を見つけると荷物を上の棚に仕舞い。チケットに書かれた席へと座る。湊の席は窓際三人席の真ん中だ。

 窓側から順に風花、湊、西園寺となっており、後ろの列には理緒、友近、順平というよく分からない配置になっている。

 もっとも、湊は身体が大きいので背の低い女子に挟まれている方が楽ではあるが、友近に断ってから少しリクライニングを倒していると、隣のクラスであるためすぐ前の列にいたチドリが椅子に膝立ちになって話しかけてきた。

 

「湊、この人信じて靴脱いだわよ。そっちにもいた?」

 

 この人とは誰だろうかと立って確認すれば、そこには耳を赤くして俯いている美紀がいた。この少女も飛行機初体験だったのかと思いつつ、湊は席に座りなおして先ほどの事を話す。

 

「もう少しで二人引っ掛かったんだが、西園寺が先にネタばらしをして未遂で終わった」

「そう。やっぱり常識知らずの馬鹿っているのね。海外発祥の航空事業で土足厳禁とかある訳ないのに」

 

 ニヤリ、と悪どい顔をしてチドリが笑えば、風花は気まずそうに窓の外を眺め続け、後ろの席からは「二人とも似た系統だったか……」と湊とチドリが同じ行動を取っていた事に衝撃を受けたらしい声がぼそりと聞こえた。

 本人たちは別に周囲が思っているほど真面目な性格をしているとは思っていないので、たまにはこういった事もするのだが、先入観と固定概念は覆すのが難しいらしく、こんな風に直接被害に遭わない限りは近寄りがたいイメージのままなのだった。

 だが、今回の旅行を通じてそういった部分も少しは変わるかもしれない。時間が来て飛行機が動き出すと、一同を乗せた飛行機は那覇空港へ向けて飛び立っていった。

 

 

午後―沖縄・美ら海水族館

 

 沖縄についた湊たちは、バスに乗って首里城やガマをまわって昼を挿むと、本日最後の観光場所である水族館へとやってきていた。

 ここはそれぞれ見たい物も違うだろうという計らいから、集合時間にバスに戻っておくようにだけ決めて館内では自由行動となっている。

 湊の班も部活の友達に誘われて理緒が離れ、回るペースが違うだろうからゆっくり見てくれと友近や順平が離れていき。湊の姿を発見したチドリと美紀がやってきて、同じ班だという渡邊と高千穂を連れてゆかりもやってきたので、いつの間にか部活メンバーと生徒会メンバーが集まる形になっていた。

 

「……ジンベイザメって食べれるのかしら?」

「漁はしていないが網に偶然掛かったものが死んでいたりすると、解体して肉として市場に流れる場合がある。基本的にアンモニア臭くてオススメはしないが、全体がそういう訳ではないので食べれない事はないな。ただ、別に旨みがある訳でもないから美味しいとはいえない。今度寿司屋に連れて行くから好きなネタを食べた方がいい」

 

 巨大な水槽を悠々と泳いでいる巨大なジンベイザメを見ながらチドリが呟く。他の者たちはそれを聞いて、一人はこういう味の疑問を持ったりするよなと苦笑していたが、まさか湊が食べた事があるとは思っていなかったので、彼の普段の生活に対する疑問が新たに湧き上がった。

 

「会長、それじゃあマンボウって食ったことあります?」

「……三重県の道の駅で普通に食べられるぞ。食感は鳥肉とイカの中間くらいの不思議な感じで、少し濃いめに味を付ければそれなりにいける」

「すげー、会長って何でも食べた事あるんすね! あ、じゃあ女ってどんな味っスか?」

「……流石に人肉を食べた事はないな。噂では臭くて食べられたもんじゃないとか、逆に雑食で野菜も食べているから美味しいとも聞く。個人的に食べたいとは思わないが、味に関しては興味があるので食べたら感想を聞かせてくれ」

 

 そう話す青年の顔には綺麗な笑みが浮かんでいる。彼の笑顔を見た渡邊は、この男は尋ねた意味を理解していながら、わざと食人という恐ろしい話に持っていったのだと瞬時に悟った。

 この話を続けるのは危険過ぎる。渡邊は愛想笑いを浮かべてお茶を濁すと、あたかも珍しい物を見つけたかのように傍の水槽へと駆けて行った。

 相手が下品な話をしてきたから恐ろしい話題で返した湊も、それ以上相手が話さないのであれば続ける気はない。

 移動していた他の者を追って進み、トンネルゾーンでジッと魚を見つめているゆかりに近付くと声をかけた。

 

「……水族館は嫌いか?」

「え、急に何?」

「いや、少し暗いからな。悩み事か父親との思い出に浸っているのかと思ったんだ」

 

 最近のゆかりはどこか暗いところがあった。母親と色々と複雑な関係のようなので、その方面で何かあったのではないかと思っていたが、改まって聞く事など出来ないので、状況を利用し水族館に父親との思い出でもあるのかと茶化して尋ねたのだ。

 すると、同じ親を失った立ち場であることを明かしている相手には話し易いのか、ゆかりはしょうがないなと苦笑しながら返してくる。

 

「お父さんとの思い出に浸ってるなら、そこは気付かないフリするのが優しさってもんでしょ」

「去年自分で言ってただろ。俺は“いじわる”だって」

「はいはい。君のそういう分かり辛い優しさにも一応感謝しておきますよ」

 

 意地悪な人間が気を遣って声をかけてきたりなどするはずがない。もっといえば、周囲にばれないように普段通り振舞っていたのに、普段と違うことに気付いて声をかけてきたとなれば、相手はしっかり自分を見てくれていたことになる。

 態度は適当で対応はぶっきらぼうだが、そういう細かな心配りが何人もの女子のハートを捕えてきたのだろうと、彼なりの優しさを感じてゆかりは普段通りの笑みを浮かべた。

 

「てか、別に思い出に浸ってた訳じゃないんだよね。どっちかっていうと遊園地とか動物園の方が行ってたし。水族館の思い出はそんなにないの」

「じゃあ、悩み事か。消灯後、ビーチにいれば悩み相談くらい聞いてやるぞ」

「暗い場所で君と二人って身の危険を感じるんですけど。朝までいたら襲われちゃうらしいし」

「その後に言ってただろ。キスより先は取っておくって」

「いや、キスもお断りだから」

 

 軽口を言いながらもゆかりは彼がそんな事を本当にするとは思っていない。この旅行には家族であるチドリもいて、さらに相手は自分に恋愛感情を抱いていないのだから、そんな事をしてくる可能性ははっきりゼロだと言い切れる。

 ならば、一人で生きていくと決めている身として、愚痴も弱音に入るので吐くことは出来ないが、自分の母親の様子を他の人がどう思うのか聞いてみるくらいは良いかもしれないと思った。

 悩み相談に誘ってきた以上、相手はゆかりが行っても行かなくてもビーチで待っていることだろう。悩み相談をしないのなら、相談はないので帰っていいと伝える必要があるので、一応消灯後にビーチに行く事に決めながら、ゆかりは湊と並んで他の者たちを追って水族館エリアを出た。

 建物の外に出ると風花たちがマナティー館へ行こうと手を振ってきている。背が小さい事もあって、楽しそうにはしゃいでいる彼女の姿は自分たちよりも年下のように見える。

 そんな和まされる友人の姿に笑いながらマナティー館に入ると、先に入っていた風花やチドリたちが胸辺りまである柵から五メートルは下にある水槽にいるマナティーを眺めていた。

 

「うわー……反応に困る見た目」

「夢のないやつだな。あんな不細工な動物でも山岸は可愛いと言ってはしゃいでるぞ」

 

 言いながら湊が指をさした先では、風花が美紀らと一緒にデジカメで写真を撮りながら可愛いと何度も言っていた。

 隣にいるチドリも呼吸のために浮上してくるマナティーをジッと見つめているが、その視線は肉の味について考えていそうなので、あえてスルーしながらゆかりは言葉を返す。

 

「いや、君も不細工って言ってるじゃん。まぁ、愛嬌はあるから可愛いって思う人がいても不思議じゃないし。別に風花の反応もおかしくないと思うよ」

「……前から思っていたが、女子の“可愛い”の定義ってよく分からないよな」

「同意求められても、私も別に女捨ててる訳じゃないんですけどね。花の女子中学生ですから、女子のいう“可愛い”の用法くらい分かってますし」

「そうか。ノリと感覚で本人が思えば何にでも使えるとは万能言語だな。底の浅さが素晴らしい」

 

 ゆかりでも分かるという事はそういう事だろう。そう言いたげに湊が薄い笑みを浮かべれば、ゆかりは花の女子中学生がしてはいけないような表情で湊の脇腹を肘で小突いた。

 だが、非力な少女の攻撃などまるで効いていないようで、諦めたゆかりは柵の上に腕を置いて顎を乗せながらのんびりとマナティーを眺める。

 あまり可愛いとは思わないがやはり愛嬌はあり、ゆったりとした動きが見ていて心を落ち着かせた。午前中の観光はあまり集中できていなかったが、湊と話をして少し気が紛れたことでようやく彼女は旅行を楽しむだけの余裕を取り戻したのだ。

 そうして、来た記念だからと後でお土産にマナティーのストラップでも買おうかなと考えていたとき、ばたばたと騒がしい足音が後ろから聞こえて何かが柵に突進してきた。

 

「マナティー! ヘイヘイ、こっち向いてー!」

「ちょっ、七歌、まわりの人に迷惑だからやめなって!」

 

 柵に突進してきたのは他校の制服を着た茶髪の女子だった。後から追いかけてやってきた別の女子に七歌と呼ばれた少女は、連れが止めるのも気にせず柵から身を乗り出してマナティーに手を振り呼んでいる。

 

「ブサカワー! マナティー、お肉さわらせてー! ヘイ、ジャンプ! さぁ、カモっ――うぉあっ!?」

 

 突然やってきた騒がしい嵐のような少女は、身を乗り出して両手を叩いていたままバランスを崩し、そのまま柵の向こうへと落下してゆく。

 連れの少女が驚き足を掴もうとするが間に合わず、マナティーのいる水槽に頭からダイブするかと思ったとき、傍に立っていた青年が飛び降りながらマフラーを解いて投げた勢いだけで柵の手すりに巻きつけると、そのまま少女に追い付き足を掴んで水面まで残り一五〇センチのところで落下を防いだ。

 これらが僅か数秒の内に起こったせいで誰も反応出来なかったが、湊が掴んでいた相手を片手で軽く投げて正面から抱きしめるように持ちかえたところで、全員の意識が再起動を果たす。

 

「ちょっ、有里君大丈夫!?」

「会長、いま引き上げるんで待っててください!」

「やめろ馬鹿。マフラーが解けるから触るな」

 

 マフラーを掴んで渡邊が引き上げようとすると、解ける事を心配した湊がそれを止める。

 だが、そのままでは落ちてしまうのではないかと全員が心配してると、湊は少女に掴まっているように言って両手を空けるなり、足も使わず腕だけでするすると上ってきた。

 柵に手がかかるとそのまま上に飛び上がり、皆のいたフロアに無事に着地してから少女を解放し、巻き付けたマフラーを解いて首に巻き直しながら口を開く。

 

「……馬鹿かお前は。興奮するのは勝手だが、それで周囲に迷惑をかけるな」

「いやぁ、面目ない。というか、助けてもらってありがとうございました!」

 

 注意を受けた相手は冷静になったのか、恥ずかしそうに頭の後ろを掻いて謝罪すると、そのまま丁寧な仕草で頭を下げながら礼を言ってくる。

 一歩間違えれば大事故となり、少女だけでなく水槽のマナティーまで死んでいたかもしれないのだ。これでヘラヘラと笑って謝りもしなければ殴っていたところだが、ちゃんと謝罪とお礼を言ってきたことで湊の中では話が終わったらしく、少女から離れていこうとする。

 だが、湊がチドリたちの方へ一歩踏み出しかけたところで、頭をあげた少女が首を傾げて湊を見てきた。

 

「んんー? ふむー、おお!」

 

 時折目を細めたりしながら変な声を出していたかと思えば、少女は突然納得したように手を叩いて頷きだす。

 傍から見ればただの変人でしかないが、少女は湊に近付いて来ると笑顔のまま手をあげて挨拶をしてきた。

 

「やぁやぁ、久しぶり! こんなところで会うとは奇遇ですな!」

「え、久しぶりって、有里君この子と知り合いなの?」

「有里? いやいや、彼の名前は百鬼八雲だよ? 何を隠そう八年前に行方不明になった私の従弟なのさ!」

 

 久しぶりという挨拶に反応したゆかりが尋ねれば、バラエティ番組ならば“ババンッ!”という効果音が鳴っていそうな、得意げな顔で胸を張って自分と湊の関係を相手は発表してくる。

 だが、高いテンションの少女とは対照的に、従弟と呼ばれた青年は普段と変わらぬ低いテンションのまま学生証を見せて言葉を返す。

 

「……誰と勘違いしているのか知らないが、俺の名前は有里湊。お前とは初対面だ」

「“月光館学園中等部、有里湊”……んー、もしかして記憶喪失なのかな? 八年前に辰巳ポートアイランドってとこのムーンライトブリッジでご両親が亡くなったのは覚えてる?」

 

 月光館学園に通っていて辰巳ポートアイランドとムーンライトブリッジを知らない者はいない。加えて、ここにいる者たちは湊の両親が事故で死んでいる事を知っていた。

 相手が湊の本名を口にした時点で危険だと思っていたチドリは、このままでは湊の素性がばれてしまうと思い。湊と少女の間に立つと相手を睨みつけながら会話に割って入る。

 

「アンタ、ベラベラと訳分かんないこと言ってなんなの?」

「なんなのって私は九頭龍七歌。八雲くんの従姉なんだけど記憶喪失ならしょうがないね。あ、でも、桐条家の英恵おばさまが八雲くんの無事を知りたがってたから、連絡取れたら取ってあげて欲しいな」

 

 百鬼家と九頭龍家の関係を知っていたチドリは、相手が名乗ったことで七歌が本当に湊の従姉であると確信する。

 だが、会話を止める前に桐条家の名前が出てしまったことで、内心では苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 案の定、今まで訳が分からず会話を聞いていたゆかりが、知っている桐条家の名前を拾い上げて湊に質問をぶつけだす。

 

「桐条家って、え、有里君って桐条家と繋がりあったの?」

「もう一度言っておくが、俺は有里湊であってお前のいう八雲という人物ではない。桐条家は知っているが御令嬢に一時期ストーカーされていたくらいで、それ以上の繋がりはないな」

 

 しかし、湊は七歌の方へ向いたまま改めて別人である事を主張し、学校で美鶴との面識はあるが桐条家自体との繋がりを否定した。

 その姿を見ていたチドリは自分が冷静さを欠いていた事を反省し、自分の態度から他の者に湊のことが伝わらぬよう、変な人間に湊が話しかけられて不機嫌になっているように装う事にする。

 幸いな事に学校の者たちはチドリの様子の変化に気付いていなかったようで、湊がいつも通りであることから七歌が湊を誰かと勘違いしていると思ってくれたようだ。

 もっとも、七歌だけはどういう訳か八年ぶりに再会した湊を、従弟の百鬼八雲であると確信しているみたいだが、修学旅行先で偶然出会うだけでも奇跡だというのに、東京に戻ってからまた再会するなどあり得ない。

 よって、この場をやり過ごしさえすれば大丈夫だとチドリが内心安堵すれば、湊と美鶴が出会っていたことを不思議がっていた七歌が何やら一人で納得して頷いていた。

 

「あれ、美鶴さんと会ってたの? ってああ、月光館学園って美鶴さんの通ってる学校か。なるほどなるほど、んー、高校からそっち行くのも楽しそうだね。今日は時間がないからこれでさよならだけど、連絡先教えておくからまた電話とかしてきてね」

 

 そう言うなり、七歌は背負っていたリュックからメモ帳とボールペンを取り出し、自分の名前・携帯番号・メールアドレスを書いたページを破って湊に渡した。

 連絡先を渡した側と受け取った側の性別が逆ならばナンパとしか思えないが、いくら美人であっても湊は男であり、かなりの変人でも七歌は美少女なのでナンパとは思われない。

 そうして、湊に連絡先を渡せたことで満足したのか、ボールペンとメモ帳を片付けてリュックを背負い直した七歌は眩しい笑顔で手を振りながら突然別れを告げてきた。

 

「叔父様と叔母様のお墓は百鬼のお屋敷にあるから、またお盆にでもお墓参りにきてよ。それじゃあ、八雲くんとお友達の皆さん、アデュー!」

「あ、あの、うちのが迷惑かけてすみませんでした。失礼します」

 

 走って去っていく七歌を追いかけるべく、連れの少女も湊たちに謝ってから去っていった。

 登場から退場まで非常に騒がしい者だったが、彼女から受け取った連絡先の紙を湊が握り潰していたのを見たチドリは、とんだ偶然で生存と居場所がばれたことに苛ついているのを察し。ペルソナを召喚せずに先ほど気配の居場所を特定すると、彼女と会わないように気を付けながら湊の手を引いて残りの施設を回るのだった。

 

 

 

 


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