【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百三十七話 前篇 修学旅行二日目-夢オチ-

7月10日(火)

朝――ホテル

 

(……なんだ、夢か)

 

 修学旅行二日目の朝、泊まっている部屋のベッドで目を覚ましたゆかりはホッと息を吐いて、汗も掻いていないのに額を腕で拭った。

 いくらなんでも自分が湊と付き合うなどリアリティが無さすぎる。質の悪い冗談にしか思えない夢の内容に、もしかして欲求不満なのかと小さな不安を感じつつベッドを抜け出して身支度を整えた。

 昨日は同室の二人がそれぞれ別の部屋の友人のところに行くからと鍵を預かっていたが、彼女たちはその部屋から食堂に向かうと聞いているので、着替えて貴重品を持ったゆかりは鍵をかけて部屋を出る。

 貸しきっているフロアは二つだが、上から順に女子だけのフロア、男子だけのフロア、さらに一つ下の他の客も泊まっているフロアに一部の男子と引率教師の部屋があり、湊の班は他の客も泊まっているフロアなので食堂に行かなければ顔を合わせることはまずない。

 あれは夢だったので相手には関係ないかもしれないが、最も身近にいる男子と付き合う夢を見てしまったゆかりとしては少々顔を合わせづらいものがある。

 よって、どうかはち合わせたりしませんようにと祈りながら到着したエレベーターに乗り込むと、そのまま部活メンバーにすら会わずに食堂に着けたゆかりは、心の中で小さなガッツポーズを浮かべた。

 朝食は班ごとにテーブルの決まったバイキング形式で、自分の班のテーブルを見ると渡邊以外の男子と高千穂が既に座って食事をしていたので、ゆかりもトレイに乗せた皿に料理を盛り付けると、ホテルオリジナルのシークワーサージュースなるものを取ってテーブルに向かった。

 

「あら、おはよう岳羽さん」

「うん、おはよう。部屋の鍵は閉めてきちゃったから、食べ終わって先に帰るなら鍵渡すから言ってね」

「ええ、ありがとう。そのときは言うわ」

 

 特に組む相手もいなくて席が近かっただけで同じ班になることに決めた相手だが、成績優秀で真面目な性格をしていることもあり、見た目は少し冷たく見えるがゆかりとしてはむしろ付き合い易いタイプだった。

 そのまま今日の予定などについて軽く話しながら朝食を取っていると、急にばたばたと足音が聞こえて、同じ寮や弓道部の友人たち数名がやってくる。

 食事中だというのに騒がしいなと思いながら立っている相手らを見上げれば、そこには何やら噂好きのおばさんのような好奇心の色で染まった少女たちの顔があった。

 だが、相手がなぜそんな顔をしているのか分からず不思議に思っていると、寮で暮らす眼鏡をかけた友人が胡散臭い口調で話しかけてきた。

 

「ゆかり選手ー! 見ましたぞぉ。抜け駆けして昨日は男子と逢引きしておりましたな!」

「うぇっ、ちょっ、はぁっ!?」

 

 突然変な事を言われたゆかりは慌ててしまい返事を上手く返せない。湊とのことは夢だとばかり思っていたが、もしや現実だったのかと考えている間も相手は言葉を続けてくる。

 

「ビーチ側の出入り口のところですれ違って声かけたのに、ゆかりってば乙女な顔してそのまま帰って行っちゃうんだもん。顔も真っ赤だったし。男子と会ってたんでしょー」

「ほれほれ、難攻不落の“桜の王女”のハートを射止めたのは誰だぁ? サッカー部の遠藤君? それとも水泳部の田代君か!」

 

 眼鏡の女子の隣に立つおさげ髪の弓道部仲間が挙げたのは両部活のイケメンエースの名だ。

 蒼の皇子こと湊や赤の女帝こと美鶴のように、人気ランキング上位で桜の王女という異名を持つゆかりと釣り合うとすれば、そういった運動部エースのイケメンくらいしかいないだろうという判断だったようだが、ゆかりはそんな相手とは特に話したこともなかったので必死に否定する。

 

「ち、ちがうから! 本当に、そういうんじゃなくって! てか、その二人とは特に面識ないし!」

「ほっほう、その二人とはねぇ。こりゃ黒ですぜ、姉御」

「ああ、こりゃ絶対に男だわ。あーあ、まさかゆかりが旅行中のカップル第一号になるとはね。旅行マジック恐るべしっすわ」

 

 スキーやスノボーでよく言われるゲレンデマジックのように、学校行事ではカップルの誕生率が普段よりも格段に上がる。さらに修学旅行ともなれば当社比三倍といった具合にブーストがかかり、確実に五組以上のカップルが誕生するのだ。

 ゆかりの友人たちはそういった話題を逃すまいと小まめに情報交換していたので、ゆかりたち以外のカップルが誕生していない事を知っており、まさかゆかりがその第一号になるとは思っていなかったと苦笑する。

 

「まぁ、お祝いは向こうに帰ってからするとして、さぁ、吐きたまえゆかり君。ネタは既にあがっているのだ!」

 

 だが、恋バナ大好きな女子中学生として、カップル誕生を聞きつけたからにはお相手が誰か聞かねばならない。

 実際は一方的にゆかりが情報を吐かされるだけだが、友人らがお互いに隠し事は無しにしようぜと席を囲って逃げられないようにしてくるため、ゆかりは両手でグラスを持ちながらジュースをちびちび飲むことで黙秘を続けた。

 しかし、ゆかりの抵抗も虚しく、少し離れた3-Dの人間たちが集まる席の方から、

 

「会長! 見たっスよぉ、昨日の夜にビーチで岳羽さんとキスしてったっしょ!」

 

 食堂中に聞こえる大音量で副会長・渡邊の声が聞こえてきた。

 

「ブフーッ!?」

 

 そして、聞こえてきた次の瞬間、ゆかりは口に含んでいたジュースを噴き出し、正面に座っている男子二人の顔に思いっきりかけてしまった。

 行儀が悪いことをしてしまい、さらに被害者まで出したゆかりはすぐに男子らに謝るが、二人は「大丈夫だから気にしないで」と言って、おしぼりで顔を拭きながら愛想笑いを浮かべる。

 ゆかりは知らないが、男子たちは密かにゆかりに憧れを抱いていたので、口に含んだジュースをかけられたのはむしろ御褒美だと思っていたのだ。

 そんな変態チックな趣味をしている二人はともかくとして、食堂中に湊と付き合いだしたことをばらされたゆかりは、勢いよく立ち上がるなり駆け出して友人らの包囲網を突破する。目指すは食堂中にばらした馬鹿のいるテーブルだ。

 

***

 

 湊たちの班が全員揃って朝食を食べていると、遅めに食堂にやってきた渡邊が湊を発見するなり寄って来て先ほどの発言をかました。

 話を聞いた他の班員たちは目を丸くしてポカンと口を開け、順平など驚き過ぎて箸を床に落としている。

 そんな中、誰よりも早く再起動を果たした西園寺は、皆が固まっている間も食事を続けていた隣の席に座るマイペースな青年の方へ椅子ごと身体を寄せて、腕を絡ませながら事の真相について尋ねる。

 

「えー、うそぉ! ミッチー、岳羽さんと付き合ってたの? まどか全然聞いてないよ?」

「……何でお前にいちいち報告しないといけないんだ」

「それはそうだけどぉ、まぁ、まどか的には別に愛人っぽいのでもOKだから、今度デートしようね!」

 

 彼氏持ちでも構わずデートに誘うあたり強かな女だ。再起動が遅れていた者たちも、西園寺の言葉に苦笑いを浮かべてようやく気を取り直すと、順平が皆の代表となって変な口調で湊に声をかけた。

 

「あのぉ、有里君? その、いつ頃から交際されてるのか聞いてもよろしいですか?」

「……昨日の夜からだな。もっと言えば渡邊が見たキスの何秒か前だ」

「マジかよ。付き合って数秒でキスまで持っていくとか有里君パネェな」

 

 男子に対して常に壁のようなもの作っていたゆかり相手に、まさかそんな短時間でキスを達成してしまうとは恐るべし。普通なら下心で近付いてきたのかと怒られ、そのまま付き合った時間は僅か三分といった具合に破局してしまうところだ。

 けれど、時には強引さも必要なのかと湊の恋愛テクニックに感心しつつ、集まっていた男子たちは自分に彼女が出来れば様子を見て試してみようと無謀な事を考えていた。

 そんな風に、湊が他の者からの質問に軽く答えていたとき、ゾクリと背筋が寒くなるような一切の感情が籠もらぬ声が耳に届く。

 

「――――湊、ちゃんと説明して」

 

 何事だと一同が視線を向けると、そこには美紀を連れだってやってきたチドリが立っていた。

 渡邊の発言からまさかのビッグカップル誕生が食堂中に知れ渡った訳だが、月光館学園の生徒は同じ食堂で朝食を摂ることになっているため、当然チドリたちも別のテーブルで食事をしていたのだ。

 沖縄の食材を使った郷土料理に舌鼓を打っていたというのに、質の悪い冗談にしか聞こえない話が聞こえてきたとあらば、家族として真相を確かめなければならない。そう、家族として当然のことだ。

 顔から感情が全て消えまるで人形のように見えるというのに、背後に黒いオーラのようなものを幻視してしまうほど、今のチドリは謎の迫力がある。

 一緒にきた美紀は連れて来られたのではなく、チドリの様子を心配していざというときは止めようと思って同行したに違いない。

 そうして、チドリが湊の椅子の真横まで近付いてジッと視線を合わせると、ナプキンで口を拭いてから湊が静かに言葉を返した。

 

「お互いに利害が一致したから、恋人がどんなものか体験するために付き合ってみる事にしただけだ。とりあえずの期限は今年一杯。あとは岳羽の気分で延長も在り得る」

「そう。恋愛感情じゃなくて理由(ワケ)ありで仮の恋人になるだけなのね?」

「まぁ、学生らしいこともしてみようと思っただけだな」

 

 学生らしいことをしてみるのであれば、まず格好から普通にしろというツッコミは誰も入れない。下手をすればビジュアル系一歩手前なのだが、所作の端々に気品を感じる美人さんなので同性からしても眼福だったりするのだ。

 それはともかくとして、湊からゆかりと付き合う事にした理由を聞いたチドリは、一応納得することが出来たのか普段通りの気だるげな表情に戻る。

 場に走っていた張り詰めた空気も霧散したので、チドリが来てからもいつも通りの笑顔を浮かべていた西園寺以外の面々は、安心したように深く息を吐いて食事を再開し始めた。

 

「わかった。そういう事なら何も言わないでおく。桜とかには伝えるけど」

「……一番教えちゃいけない人たちだろ」

 

 桜に情報がいけばママ友状態の英恵にも当然話は伝わる。さらに栗原たちにも伝わる事はほぼ間違いないので、後でゆかりの容姿や性格等の詳しい説明を求められたり、恋人との関係が良好かなどお節介を焼かれそうだと湊はホテルの自家製パンに齧り付きながら嫌そうな顔をする。

 一方の少女は、とりあえずの問題が解決した事で、既に隣のテーブルの班が全員食べ終わって帰っていることを確認してから、そこに移動して食事をしながらより詳細を湊に聞こうとした。

 だが、チドリたちが席に座った頃に、3-Aの席から人垣をかき分けてダッシュで近付いて来る人影があった。そう、交際どころかキスしていたことまでばらされたゆかりだ。

 

「ちょっと、食堂中に聞こえる声で何言ってんのよ!」

「あ、岳羽さんオーッス! いや、昨日の夜に偶然みちゃってさ。岳羽さんは帰ったのに会長はどっか行っちゃって声かけらんなかったから、食堂で会ったら話を聞こうと思ってたんだよね。まぁ、理由はよく分かんないけど、旅行中のカップル第一号おめでとうッス!」

 

 やってきたゆかりに説明し終えると、渡邊はおめでとうと言いながら拍手を送る。それにつられて他の者も拍手をするが、祝福された少女は食堂中の生徒に知られた事に頭を痛めてゲンナリとした表情を浮かべて返す。

 

「いや、拍手とかいらないから。てか、昨日のその……あれは、有里君が不意討ちでやってきて避けられなかっただけで、付き合いだしてすぐにキスとか本当はさせないんだからねっ」

 

 昨日のことを思い出したゆかりは頬を染めながらも、本当はそこまで許した覚えはないと少し怒ったように訂正した。

 もっとも、既にしてしまったことはしょうがないとゆかりも半分諦めてはいる。ファーストキスだったので不意討ちで失った事は少しショックだったが、それはもっとムードが欲しかっただとか、緊張し過ぎて柔らかかった程度の感触しか覚えていないだとか、何でも思い出にしたがる少女特有の心の問題なので別に湊とのキスに嫌悪感を抱いた訳ではない。

 そも、相手は肉体的には男性だが遺伝子異常で両方の性別を持っている。長身と鍛えられた体躯に加え、つまらなそうな表情と影を背負っているせいで近寄りがたい雰囲気の青年に見えるが、顔付き自体は女性も羨むほどに美人なのだ。

 それで男にいきなりキスされたとは思う事が出来ず、キスされたのが既に付き合いだしてからだった事もあり、今後は簡単に許しはしないが昨日の事はもう怒るつもりはなかった。

 ゆかりのそんな反応を見ていた一同は彼女があまり怒っていないことを察し、口では色々と言ったりしているが結構湊に心を許しているのだなと笑っていた渡邊が感想を述べる。

 

「会長、ツンデレ系の彼女っスね」

「ツンドラ? よく分からないが岳羽の心が永久凍土みたいってことか?」

「ミッチー、ツンデレってのは普段はツンツンとした態度だけど二人っきりのときはデレデレしたりとか、とりあえず中々素直になれなくて好きな相手にきつく当たったりもしちゃう面倒くさい子のことなんだよ」

 

 湊は漫画やアニメにゲームと言った所謂サブカルチャーと呼ばれるものを基本的に嗜んだりしない。それは忙しさやあまり興味がないからなのだが、そちら方面の知識がなく渡邊がいった『ツンデレ』という言葉の意味を理解出来ず首を傾げれば、西園寺が若干の毒を吐きつつ説明してくれた。

 すると、ゆかりや家族のとある少女の過去の反応に心当たりがあった事で、どんな物がツンデレなのか理解した湊は納得したように頷いて薄く笑みを浮かべる。

 

「……なるほど、じゃあ今のは照れ隠しか」

「違うっての。一体私がいつ君にデレデレしたっていうのよ」

 

 ツンデレ扱いは納得がいかない。そういってムスッとしながらゆかりが反論すれば、湊はポケットから携帯を取り出すなり、いくつかの操作をしてとある音声ファイルを再生した。

 

《そ、その、好き……だよ?》

「ぎゃーっ!? ちょっ、それ前に携帯奪って消したのになんで残ってるの!?」

「音声データを添付したメールを自分宛てに送っておけば、そこから添付ファイルを何度でも再取得出来るんだぞ。だから、ファイルだけでなく添付元のメールも消さないと無駄だ」

 

 湊が再生した音声ファイルの名は『岳羽ゆかり-告白編-』、再びペルソナ能力を使えるようになってチドリと再会した翌日に録音した通話内容の一部を編集したものだ。

 昼休みにそのファイルが添付されたメールを受け取ったゆかりは、後日、湊から携帯を奪い取ってマスターデータを消すことに成功したのだが、湊がバックアップを取っていないはずもなく、部活メンバー以外にまで恥ずかしい台詞を聞かれたことで顔を真っ赤にしている。

 ゆかりの反応と台詞の内容から、他の者はそれを昨夜の告白時の台詞だと認識したようで、冷たいお茶を飲みながら友近と順平が自分の想像通りだったと笑って言ってきた。

 

「あー、やっぱ岳羽さんの方から告った系だったか」

「告白してない! いまのは今回のとは関係ないやつだから」

「ま、なんにせよクラスメイトが付き合うってんなら、ちょっとくらいお祝いしないとな。ってことで、今日の夜に談話室に集まらね? とりあえずはここにいる面子で」

 

 正確にはゆかりは元クラスメイトだが、西園寺以外からすれば元クラスメイトと現クラスメイトである。生徒会の二人はノリが明るく話し易いので、渡邊とは初対面だが順平としては参加してくれて全然構わないため誘ってみた。

 昨日の夜に湊を遊びに誘えなかったこともあり、友好を深めるべく企画した二人の交際記念祝いに託けたイベントだったが、しかし、順平が皆に参加不参加を問う前に理緒が申し訳なさそうに謝ってきた。

 

「あ、ゴメン。私は部活の子たちと先に約束があるんだ」

「急に決めたことだしそっち優先でいいぜ。んじゃ、岩崎さん以外はOK?」

 

 大事な旅行の夜だ。以前から約束があってもおかしくないと思っていた順平は、それならしょうがないと笑って返す。

 だが、他の者たちは大丈夫かと尋ね直しほとんどの者が頷いたところで、主役であるはずのゆかりが嫌そうな顔をして不参加を表明してきてしまう。

 

「……OKじゃない。全然お祝いとかいらない。だって、悪乗りして皆の前でキスしろとか絶対に言ってくるの分かってるもん」

「大丈夫だろ。誰だって命は惜しいはずだから」

 

 言いながら青年が美しい笑みを浮かべると、実際にキスコールをしようと計画していた男子たちは、首筋にナイフを当てられているかのような悪寒が走り、全身から嫌な汗が噴き出すのを感じた。

 他の女子たちも男子たちほどではないが、下手に触れると自分の身に危険が及ぶと本能で理解する。

 

「……まぁ、夜に談話室でちょっとしたレクリエーションをするのは構わない。入浴等を済ませた後、消灯から十分経ったら男子フロアの談話室に集合で良いだろう。飲食物は好きに持って来ていい。一応、財布や携帯など貴重品は持ち歩いておくようにな」

 

 それだけ告げた湊は席を立ち、本日予定しているイベント等の最終確認があるからと去って行った。後に、悪寒から解放された男子たちはぐったりした様子でキスコールだけは絶対にしないと固く誓うのだった。

 

 

午後――瀬底ビーチ

 

 午前中に紅芋チップス作りや染め物体験などを行った生徒たちは、本日のメインイベントである海水浴に来ていた。

 普段は学校指定の水着しか見る機会はないが、今日は自前の水着を持ってくるように言われているので、男子たちは女子たちの眩しい水着姿に感動の涙を流す。

 しかし、ハイレベルな女子たちが揃っているにもかかわらず、その中で最も注目を集めているのは、3-Aのクラス担任である佐久間文子だった。

 ストレートの長い髪を一つに結んで肩から前に垂らし、桃色のビキニの腰にパレオを捲いて、他の女子よりも全体の露出は少ない様に見えるが、腰のくびれと豊かな胸によって芸能人顔負けの美しさを誇っている。

 芸能事務所に所属する者たちが出ているような、有名大学のミスコンでグランプリに選ばれただけあって、男子生徒だけでなく女子や男性教師らも時折ちらちらと見てきている。

 だが、その本人は何をしているかというと、海に入らずパラソルの下に敷かれたビニールシートで少しだるそうな湊に膝枕をしてやっていた。

 

「こんなときに生理になるなんてタイミング悪いね。冷たい飲み物貰ってこようか?」

「……別にいい。最初から海に入るつもりはなかったから気にしてもいない」

 

 一応、他の者が水着になっているので膝辺りまであるトランクスタイプの水着を穿いてはいるが、上半身はTシャツと防水パーカーで完全にガードしている青年は、ホルモンバランスの調整で月に一度起こる擬似月経でダウンしていた。

 別に本当の生理ではないので少し眠気が強くなったり、全身が倦怠感に包まれる程度なのだが、他の者と同じようにはしゃぎ回る気にはなれないので休んでいたところ、体調不良に気付いた佐久間がやってきて看病しているという訳である。

 佐久間も沖縄の海を楽しみにしてはいたが、別に泳ぎ回ったりするつもりはなかったので、透明度の高い綺麗なエメラルド色の海を眺めているだけで十分楽しめている。それが好きな人と一緒となれば喜びも増すというものだ。

 もっとも、今朝入ってきたゆかりとの交際の報は驚きだった。本当の恋人ではなくお試しの恋人ごっこのようなものらしいので、まぁ、中学生だし妥当かなと広い心で許してやることにはしたが、そういった経験をしたいのなら何故自分に相談しないのかと小一時間問い詰めたい気持ちもあった。

 流石に時間がなかったのでそんな事はしなかったが、紅芋チップスを作っているときに軽く訊いてみたところ、本気の相手に頼むのは残酷だと思ったからゆかりにしたらしい。

 なんだかんだ言っても、湊は湊で佐久間のことも真剣に考えてくれていたのだ。

 

「有里君の身体ってさー。歳とっても今のままなのかな? 歳取ると本人の性別のホルモンが多く分泌されたりするでしょ?」

「……さぁな。未来のことは分からない」

「まぁ、そりゃそっか。大変かもしれないけど、人類の半分は経験してることだし。のんびり付き合っていくといいよ」

 

 貧血がない分だけ女性よりはマシだ。その他に女性にはない問題点や悩みもあるかもしれないが、そのときには相談に乗ってあげる事も出来る。

 サラサラとした青年の髪を指で梳きながら笑いかけると、青年は静かに目を閉じて仮眠に入ろうとした。

 だが、この二人が一緒にいると周囲からはかなり目立つ。パレオを捲いていると言っても、水着という普段以上に薄着な状態で膝枕をしていれば、男子からは彼女持ちになったくせにまだ女を奪うのかと妬みの視線を向けられ、女子からは膝枕なら自分がしてあげるよといった欲望混じりの熱視線が飛んでくる。

 湊の遺伝子異常は部活メンバーと佐久間と櫛名田しか知らないのでしょうがないことだが、体調不良で休んでいるときにそんなモノを向けられると鬱陶しい事この上ない。

 いっそのこと、着替えてバスで待っていようかと思い始めたとき、砂を踏む足音がいくつも近付いてきたことで、湊は瞳を開けて足音の主たちの姿を見た。

 

「……早速浮気とはやるわね」

 

 そう口にしたのは、フリルのスカートが付いたボトムスとホルターネックの薄水色のビキニを着たチドリだ。

 ここ数年で身体もますます女性らしくなり、運動していて身体が絞られていることもあり、赤い髪の映える白い肌が実に眩しい。

 

「……看病される事が浮気になるなら、俺も躊躇い無く浮気をすると断言しよう」

 

 言い切る姿は実に男らしいが、言っている事はそれなりに残念だ。もっとも、今の湊は本当に体調が悪くて休んでいるだけなので、それに教師が付き添っていることを浮気というのはあんまりかもしれない。

 カラフルな花柄のタンキニを着た風花が傍らにしゃがみこめば、湊の頬に触れて体温を確かめながら体調を尋ねてくる。

 

「有里君、体調悪いの? 大丈夫?」

「ただの生理だから大丈夫だよー。有里君のことは先生がバッチリ見ておくから、皆は海で遊んでおいで!」

「……まぁ、そういう事だから気にせず行ってこい」

 

 佐久間が笑顔で生理と言ったとき、ゆかりなどは男がなるかと突っ込みたかったが、前にチドリの誕生会をした際に話を聞いていたので、運悪く時期があたってしまったことを察する。

 同じ女性かどうかともかく、そういったときの苦しみは分かるので、あんまり気を遣って構われても辛いだろうからと荷物をおいて海へと駆けていった。

 他の生徒らと同じように楽しそうにはしゃぐ彼女らを見ながら、佐久間はつい先日まで思っていたことについて湊に話しかけた。

 

「最近ね。岳羽さんがちょっと暗くなってたんだ。まぁ、理由は分かってなかったんだけど、彼女って私と同じ母子家庭だし色々とあるのかなって少し様子を見てたの。そしたら今日は元通りになってて驚いちゃった」

 

 ゆかりが暗かった理由は分からない。しかし、湊が解決してやったのだろうということは何となく分かる。

 本当は担任である自分が聞いてやらなければならなかったのかもしれないが、父親を亡くして母子家庭になったとなれば事情も複雑だ。

 両親が離婚して母子家庭になっていた佐久間でも、母子家庭が何かと問題を抱えやすいのは知っている。

 それだけに動くのが遅れ、湊に解決まで任せてしまったことを申し訳なく思い、謝罪と共に礼をいうと青年からは厳しい言葉が返って来た。

 

「……ただの離婚な上に、就職前に母親を置いて出てきたくせに同じとかいうな」

「おっとぉ、いつの間に先生の個人情報を調べたのかなぁ? そういうのは良くないよー?」

 

 まさか湊が自分と母親の関係についてまで詳しく知っているとは思わなかったので、佐久間は本当に心から驚きつつ、家庭内の不和を知られている恥ずかしさから照れたように笑う。

 もしかすると、ここは勝手に人の家庭事情を調べた事に対して怒っていいのかもしれないが、佐久間は実の両親であっても他者にほとんど興味を持っていなかった。

 湊と出会って世界に色が戻ってからは櫛名田など気の合う友人も出来たが、それ以前に付き合いがあった者には未だに興味や関心を持っていない。

 再会すればそこから改めて関係を築いてゆけるかもしれないけれど、実の娘を自分の夢や望みを叶えるための道具のように思っていた母親とは会うつもりがなかった。

 それ故、過去は過去だと思って個人情報を調べられていたことも特に気にせずにいれば、湊はどうやって佐久間の個人情報に辿り着いたかを教えてくる。

 

「霊感少女の篠田ふみと言えば、昔はそれなりに有名だっただろ」

 

 篠田ふみとは佐久間が霊感少女として売っていたときの芸名だ。篠田は父親の名字、ふみは文子をもじっただけである。

 当時は週に二、三度は姿を目にするほどバラエティ番組や心霊特番に出ていたので、今でも名前で検索すれば小学生だった頃の佐久間の姿を拝める。

 しかし、佐久間が芸能界で仕事をしていたのは小学生の間だけだ。中学に上がる頃には出演依頼もこなくなって田舎に引っ越していた。

 二人は一回り歳が離れているため、自身が中学に上がる頃に君は生まれたはずではと佐久間は首を傾げた。

 

「うーん、けどそれって有里君が生まれる前のはずなんだけどなぁ。やっぱり年齢詐称してる系?」

「年齢詐称はしてない。戸籍はいじってるけどな」

「おおぅ、まさかのカミングアウト……」

 

 現代日本でも結婚などいくつかは戸籍が変更される事はある。ただし、青年の年齢ではほとんどないはずなので、“いじってる”という言葉から察するに真っ当な理由ではないのだろう。

 どうしてそれをばらしてきたのか疑問に思ったが、一方的に個人情報を調べていたことに対する謝罪代わりだと考えればすんなり納得できた。

 戸籍を改竄した理由によっては情報漏洩で自分に危険が及ぶというのに、わざわざ条件をフェアにしようと教えてくれた青年の正直さに佐久間も思わず笑ってしまう。

 彼女は優しい顔で海の方を眺めながら湊の額に手を置くと、安心させるように撫でながら言葉を続けた。

 

「まぁ、詳しくは聞かないけどね。どう考えたってさ。普通の子が極道の家に貰われるってことはないと思うの。おまけに二人ともそれぞれ髪と目が治療の副作用とかで色が違うでしょ? そっから推測したら、人に言えない事情を抱えてるってすぐに分かるもんね」

「……色々と考えてたんだな」

「フフッ、酷いなぁ。これでもちゃんと教師もやってるんだよ?」

 

 その言い方では自分が何考えずに思い付きで行動する脳筋のようではないか。青年の言葉に苦笑した佐久間は、教師の仕事もそれなりにちゃんとこなしていると笑って言い返す。

 彼女は彼女なりに生徒のことを見てはいる。湊と会ってから興味の有無はともかくとして、人を人としてみることが出来るようになったのだ。

 最初は何となくで選んだ職業だったが、色んな生徒と接する内にこの仕事の楽しみ方というのを覚えてきた。

 色々と面倒なことやどうしてそんな事で悩むのかと理解出来ない事もあるけれど、理解出来ないなりに考えてしたアドバイスで生徒が喜んでくれれば、こんな自分でも生徒の悩みを解決する事が出来たと充足感を得ることが出来る。

 最も解決してあげたい生徒については、相手がこの世界をどのように見ているかしか分からないので相談を聞くことすら出来ていないが、彼が弱っているときにはこんな風に少しなら支えてあげることも出来るのだ。

 彼と出会えたことも含めて、佐久間は教師を自分の天職だと思えるようになっていた。

 

「……少し寝る。もう少しだけ、膝を貸しててくれ」

「うん、おやすみなさい」

 

 おやすみと言って佐久間が彼の手を握って、反対側の手で頭を撫でてやると、湊は年相応な可愛らしい顔で寝息を立て始めた。

 以前までの彼であったなら、いくら体調不良でもこんな風に他人の膝の上で寝たりはしなかっただろう。

 余程疲れていたのか、自分のことを信用してくれているから寝られるのかは佐久間には分からない。

 ずっと他者との間に壁を作って踏み込ませないようにしていた青年が、どういう心境の変化か関わりを持とうと歩み寄ってきたのだ。

 もしかすると、それが岳羽ゆかりという少女を救うために必要だったのかもしれないが、佐久間や他の者にとっても彼を“人の()”に居させてやることの出来るまたとないチャンスだと思っている。

 色褪せた世界でゆっくりと心が死んでいくのを感じながら生きていくのはつらい。それを知っているからこそ、少しの間だけでもいいから彼に安らげる時間をくださいと、佐久間は心の底から祈るのだった。

 

 

 

 


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