【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百四十話 最も死から遠い存在

――???

 

 物が燃える臭いと埃っぽい淀んだ空気の流れる荒廃した街の中を、黒いマフラーをはためかせながら青年は走っていた。

 ひび割れたアスファルトの路面、周囲にはひしゃげて倒れた鉄塔や瓦礫と化したビルが横たわっている。まるで人の気配のしないこの場所も、かつては大都会として栄えていたに違いない。

 もっとも、走っている青年にそんな事を考えている余裕などなく、上空から彼を中心とした広範囲に雷が降り注いでくる。

 グレーの地面を黒く焦げ付かせ、倒れながらも形を保っていたビルを完全に瓦礫へと変貌させながら、雷は目を焼くような眩い閃光となって青年を襲う。

 だが、青年は己に直撃する雷を蒼い瞳で睨むと、両手にナイフを持って切りつけてゆく。ナイフで切りつける度に雷はまるで弾けるように消え、一条、二条と消していき、果ては両手足の指を使っても数えきれないほどを切りつければ、辺りには濛々と砂埃が舞い上がりながらも静寂が戻っていた。

 今まで雷を迎撃していた青年は、この攻撃が止んだ隙を逃すまいとナイフを仕舞って、“戦車”のカードを握り砕く。

 

「アタランテ、イノセントタック!」

 

 呼び出された深緑の衣に身を包んだ女性は、地面に降り立つなり鋭い視線で黒い弓を引き絞り。上空から青年を狙っていた大天使に向かって、白い光と化した矢を射ち放つ。

 舞った砂埃の中を抜け、空気を切り裂きながら速度を上げ続ける矢は、高い場所から偉そうに見下ろしていた大天使の左肩と翼を射抜き。強大な力を持った大天使を人と同じ地へと落として見せた。

 けれど、あれはただの使い魔のようなものだ。使役していた本人には多少のフィードバックダメージがあるだけで、行動不能に陥るどころか足を止める程度の効果も期待できない。

 青年は呼び出した女性を消すと、マフラーから中華剣を取り出しながら、真横から高速で飛来してきた数枚のカードを素早く切り落としてゆく。

 

「ハァっ!!」

 

 先ほどアタランテが放った矢には劣るが、飛来したカードは砂埃を切り裂いていた。その分、視界が開けてカードを投げてきたベルボーイの姿も六十メートルほど離れた廃ビルの影に確認できたのだが、ここから召喚して攻撃していたのでは間に合わない。

 途中から剣を左手に持ち替えて片手でカードを切り伏せてゆくと、青年は義手のセーフティーシャッターを解除し、指先からベルボーイ目がけて銃弾の雨を降らす。

 赤い炎の尾を引き放たれた弾丸は、相手の隠れていたビルの壁の表面を削ってゆく。しかし、居場所がばれた以上は移動するはずなので、敵の攻撃が止むなり青年もセーフティーシャッターを戻し、剣をマフラーに仕舞うと敵に狙われぬよう移動を再開した。

 先ほどのエリアは崩れた建物や瓦礫が多かったが、五分も移動すればいくらか形の残った廃墟が並ぶ場所に辿り着く。

 道路を馬鹿正直に走っていれば、高台にいる敵からはすぐ見つかってしまうため、青年は一つの廃墟に入るとそのまま屋上を目指して駆けあがった。

 

(……テオドアは逆方向に行ったか)

 

 入り口には『世――ラジ―――葉原』と所々文字が欠けた看板のようなものがあったが、昔は商業ビルだったらしい建物の屋上にやってくると、青年はペルソナの索敵によって敵の位置を把握する。

 廃ビルエリアとでも呼べばいいのか、まだ数多くの建物が建物としての形を保っているエリアへと青年はやってきた。先ほど攻撃をしかけてきた相手は逆方向へ移動したようで、当面の警戒は必要なくなったと呼吸を整えながら他の敵の位置を探ろうとする。

 敵の数は全部で三人。まだ誰一人として全力を見せていないが、ただの一撃で街の一部を灼く攻撃を放つ末弟が一番弱いというのだから嫌になる。

 彼は姉たちの様子を見てタイミングが被りそうなら攻撃を控えたりもするため、オーバーキルになる攻撃をしかけてこない分だけマシだが、他の二人は片方が攻めていればついでに自分もとメギドラオンをブチ込んでくるから質が悪い。

 相手の居場所を探りながら青年がそんな事を考えていると、遠くに見える赤い電波塔の頂きが眩く輝き、間に高層ビルが建っていようと無視して途轍もなく太い極光が全て融解させながら真っ直ぐ青年の元へと迫ってきた。

 直径にすれば二十メートルは優にあるのではないかと思われる万能属性の光など、スキルで防ぐことも避けることも出来ない。

 よって、青年は信じられるのは自分の力のみだと、マフラーから刀身に光の紋様が浮かび上がった長大な西洋剣を取り出し、迫りくる極光に向けてそれを構えた。

 

「ぐっ――ォォォォォォォオオオオッ!!」

 

 正面に構えた金属の塊たる名切りの剣が、到達した極光とついに衝突する。

 先ほどテオドアがミカエルに放たせた雷のような攻撃ならば、弱所を切りつければそれぞれを殺して消し去れる。

 しかし、電波塔の天辺から笑顔で攻撃を放ってきているエレベーターガールは、何本もの光が束ねられて一条に見える攻撃を撃って来ているため、束ねている部位を殺して自身に迫るもののみを力技で防ぎながら残りを全て受け流すことしか出来ないのだ。

 魔眼によって視えた赤白い傷のような線に刃をぶつけ、剣とぶつかり線を切られた部分から消滅しても、如何せん相手の放った攻撃のエネルギーが膨大過ぎたため一撃全てを消し去ることが出来ず。剣を中心に真っ二つに分かれた光が青年の後に広がる景色を更地へと変えていった。

 防いでいる青年からすれば永遠に続くのではないかと思われた攻撃も、実際の時間にして十数秒経ってようやく治まりを見せ始める。

 建物は既に青年の足元と背後に僅かな幅のみしか残っていなかったが、それでもあの力の奔流を正面から防ぎ切ったのだから称賛に値する。

 だが、攻撃が完全に止んで青年が剣を下ろしたそのとき、

 

「――――がはっ」

 

 青年は背後から貫かれ、血を吐きながら自分の腹部から突き出た槍の持ち主を見やった。

 そこにいたのは銀槍を手に持ち、白い鎧を身に纏った長髪の美男子。ケルト神話の英雄、クー・フーリンだった。

 青年が先ほどの攻撃を防いだことで残った床を足場に、わざわざ剣を下げるタイミングを狙って上って来たらしい。

 随分と厭らしい手だが命の奪い合いに卑怯も何もない。敵が三人いると言うのに、正面からの攻撃に手一杯で他の者のことを頭から消していた青年が悪いのだ。

 本人もそのことは当然分かっている。心の中で悪態を吐こうと負けたときの言い訳にしようとは思っていない。

 けれど、貫かれた事への怒りは無論あった。腹から血が流れ出ているというのに、沸騰したように熱を持った血が頭まで上って一時的に痛みを忘れさせた。

 青年は即座に剣を右手に持ち替え、腹から生えた槍を生身である左腕で掴んで抜けないようにする。相手も人間を遥かに越えた力を持ったペルソナだが、足場のほとんどない場所では無茶な動きも出来まい。

 

「グッ――――ォォォォォオッ!!」

 

 敵を逃さぬよう左手で槍を掴んだまま剣をマフラーに仕舞い、代わりに青い縁取りのされた白銀の銃(ファルファッラ)を引き抜き、そのまま腕だけを後ろに向けて相手の顔前で引き金を引いた。

 文字通り銃口から火を噴き放たれた弾丸は、美男子の鼻っ柱にぶち当たり、頭部をまるごと吹き飛ばす。首から上がなくなってしまえば流石に立っていられず、槍から手を離して倒れると相手は徐々に透明になって最後には消えていった。

 

「ぐっ……はぁ、はぁ……」

 

 ペルソナが消えれば相手の持っていた武器も同じように消えてしまうため、今まで血が流れるのを防いでくれていた槍が消え、青年の腹部から大量の血が流れ出る。

 一般人ならば致死量の失血でも彼は死なないが、流石に血を失い過ぎれば激しい戦闘は続けられない。

 額に脂汗を滲ませながら傷口を押さえ、具現化したカードを握り砕くと青年は月“赫夜比売”を呼び出した。

 

「カグヤ、治療を頼む。傷を塞ぐだけでいい」

《分かりました。ですが八雲、敵が迫っています。早々にこの場から離脱を》

 

 回復魔法で傷を塞ぎながら、赫夜比売は索敵も同時に行って敵の接近に気付く。先ほどのクー・フーリンはマーガレットのペルソナなので、三人がそれぞれ直前にいた場所を考えれば、迫っているのは最も近くにいたマーガレットだと思われる。

 しかし、彼女は直接格闘戦を挑む様なタイプではないため、仮にマーガレットが迫っているにしても戦闘自体はペルソナで来るはずだった。

 

《八雲、来ますっ!!》

 

 青年が敵の出方を予想していれば、赫夜比売が居場所を感知して報せてくる。

 そちらに視線を向ければ、四百メートルほど離れた場所の上空にインド神話の両性の神、審判“アルダー”がその手に極光を収束させ、いつでも放てるぞとばかりに不敵な笑みを浮かべて狙ってきていた。

 先ほど遥か遠方から放たれた同じ攻撃を防いだばかりだというのに、たった四百メートルしか離れていない位置から攻撃されれば足場も崩壊し防ぎきる事は敵わないだろう。

 事前に話し合ってこの展開に持っていったのなら、姉妹揃ってなんと性格の悪いことだと青年は愚痴を吐きたい気持ちに駆られる。

 とはいえ、今にも攻撃が放たれようとしている状況でそんな事は言っていられない。青年は“死神(若藻)”と“運命(鈴鹿御前)”のカードを呼び出し同時に握り砕いた。

 

「ミックスレイド“幽玄回廊”」

 

 青年が呟くと同時、彼を中心に謎の力が広がってその場に奈落の塔“タルタロス”が現れる。アルダーの放った攻撃は出現したタルタロスの外壁に衝突し、一部を破壊するのみに終わる。

 相手を逃してしまった両性の神はどこか不満げにしているが、現れたのが本物のタルタロスならば相手がどのエリアにいるのかも分からないため、攻撃しようと一部しか破壊出来ないのであれば無駄撃ちは出来ないと諦めるしかなかった。

 

***

 

 赤い電波塔の頂からタルタロスの出現を見ていたエリザベスは、自分の立つ場所よりも高い塔が現れたことで僅かにムッとした顔をする。

 直後にその塔へ向けてマーガレットのアルダーがメギドラオンを放っているが、一部しか破壊できていないため、あれは現実に存在するものであると同時に強度も本物に近いのだと察する。

 

(先日手に入れたばかりの妖孤の力を使った幻術だとばかり思っていましたが、物理的防御力を有した実体を持ったものでしたか。となると、あれはミックスレイドを用いて創り出したか呼び出したと思っていいようですね)

 

 力が衰えていると言っても、大妖の九尾である若藻の幻術は力の管理者すら欺く一種の魔法である。自我持ちは詳細な能力がペルソナ全書に記載されないので、そのことも手伝って留学で強くなって帰って来た湊の鍛錬の相手がより一層大変になっていた。

 

(詳細をつきとめるため少し近付く必要がありますね)

 

 心の中でそう思いながらエリザベスは塔から飛び降りつつ、ペルソナ“ピクシー”を呼び出してタルタロス目がけてメギドラオンを撃たせる。

 近距離で放ったアルダーでも破壊出来なかったのだから、離れた位置から撃ったところで効果が薄いのは分かっている。

 しかし、もしかすると片面のみ実体で反対側は幻術で作ったハリボテかもしれないため、それを確かめるためにエリザベスは攻撃を試みたのであった。

 ただし、結果は先ほどのアルダーと大して変わらず。むしろ距離が遠い分だけ破壊規模は小さい。

 

(両側から攻撃を加えても結果はほぼ同じ。ということは、高い確率で実体を持ったものという訳ですね)

 

 地上三百メートルを超える高さから飛び降りてもすんなりと近くのビルの屋上に着地してみせ、分厚い本を小脇に抱えながらエリザベスはビルの屋上や信号機に飛び移りながらタルタロスを目指す。

 近付けば近付くほど本物そっくりだが、不思議なことにそのタルタロスからはベルベットルームの扉の気配を感じなかった。

 出入り口の場所はどこであろうと分かるはずなので、それがないということは本物を呼び出したのではなく、よく似た偽物を創り出した可能性が高いと思われる。

 

「姉上!」

 

 タルタロスまで残り二キロほどのところまでくると、弟のテオドアが別の方向からやってきて声をかけてきた。

 相手もエリザベスと同じように偽タルタロスの調査に来たのだろうが、ここで二人揃ったなら一つ試したい事があると、彼女は弟を少し高めのビルの屋上へ誘った。

 

「テオ、あのタルタロスに同時に攻撃をしかけてみましょう。せっかくの鍛錬だというのに引き籠もられても困りますから」

「それは構いませんが、たまには三人一度に相手をしてみましょう、と姉上たちが無茶を仰ったのが守りに入られた原因ではないでしょうか?」

 

 留学から帰って来てから湊は再びベルベットルームの住人と戦闘訓練を行っていたが、それは基本的に一対一で行われ、極稀に二対一でスパルタ訓練をするのが通常のパターンだった。

 けれど、二人の女性は思い付きで無茶な条件での鍛錬を発案し、実際にそれをさせるのだから青年には同情を禁じ得ない。

 今日も本来ならば荒野のような何もないフィールドでテオドアとの実戦訓練だったところを、突然、別世界の“トーキョー”と呼ばれる場所のコピーフィールドで三対一でやってみようと言ってきたのだ。

 いくら湊が通常のペルソナ使いを遥かに超えた力を有していると言っても、鍛錬中は時流操作を禁じられていることもあって、インファイトでの速度や攻撃手段の多さを除けば、攻撃の威力や火力では力の管理者にはまだまだ及ばない。

 だというのに、自身よりも圧倒的に強い者らをまとめて相手にしろと言われれば、誰だって守りに徹して隙あらば攻める戦法を取りたくなる。

 テオドアですら姉二人を同時に相手するのは嫌なのだ。一対一ならばもしかすればラッキーで勝ちを拾えることもあるが、二人まとめてならば絶対に勝てないと断言できる。

 同じ力の管理者でこうなのだから、テオドアは相手が引き籠もろうが誰も責められないと返して、ペルソナ全書からベルゼブブを呼び出す。

 

「来なさい、ベルゼブブ!」

「マサカド、メギドラオン」

 

 呼び出された二体のペルソナが同時にメギドラオンを放つ。遠くに聳え立つ塔へと目がけ、二体の攻撃が融合した光が大気を灼きながら迫った。

 しかし、後少しで到達とすると思ったとき、突如タルタロスは姿を消してしまう。

 

『……あ』

 

 気付いたとしても既に放ってしまった攻撃は止められない。タルタロスがあった場所を通過した極光は、そのまま更に向こう側に広がる街を焼き尽くして瓦礫も残らぬ更地へ変えてゆく。

 記憶が正しければあちら側にはマーガレットがいたはずだが、もしもこれを狙ってタルタロスを呼び出してタイミングよく消したのなら中々の策士だ。

 自分では火力が不足していても、同じ力の管理者の攻撃ならば十分に通る。それが二人分となることまでは予想していなかっただろうが、一人は確実に接近してから再び攻撃をすると睨んで可能性に賭けてきたに違いない。

 姉には悪いが今回は湊の方が一枚上手だった、とペルソナを消した二人は自分たちが鍛えている客人の策を心の中で素直に褒めた。

 とはいえ、現実問題として姉を攻撃してしまったという事実は消えない。戦闘訓練のノリであれば互いに攻撃しようと問題ないが、今回は不意討ち気味に二人の合体攻撃を喰らわせてしまったことになる。

 いくら湊の策が素晴らしかったと説明しても、実際に攻撃を喰らったマーガレットには理由など関係なく、単純に自分を思いっきり攻撃してきた者が敵だという判断になるはず。

 それなら先に責任の所在を決めておくべきだと、エリザベスは本を持っていない空いていた手を頬に当て、どこか芝居がかった口調で言葉を発した。

 

「テオ、貴方は姉上に対してなんということを」

「え、ええっ!? 攻撃を放とうと仰ったのは姉上の方ではないですかっ」

「私はタルタロスに攻撃をしかけてみましょうと言ったのです。姉上に攻撃をしなさいとは一言も言った覚えがありません」

 

 言っていることは確かにそうだ。しかし、言われてタルタロスを狙った結果、それがマーガレットを巻き込むことになったのなら、エリザベスにもいくらかの責任はあるだろう。というより、エリザベスも攻撃しているのだから最初から同罪のはずだ。

 しかし、二人はどちらかが責任を取るという考えしか頭にないようで、お互いに罪を擦り付け合うという見苦しい行いを続けていた。

 

「揃っていつまで言い合いを続けているの」

 

 すると、突然頭上から声が聞こえてくる。その声は攻撃に呑まれて街と共に消えたはずの姉のものだったので、二人は少々驚いた様子で見上げる。

 そこにはタナトスで飛んでいる湊に抱きあげられた無傷のマーガレットが共にいた。

 降下してきてエリザベスたちのいたビルの屋上に着地すれば、湊はマーガレットを下ろして立たせている。

 湊の隣に立った彼女はペルソナ全書もしっかりと持っていて、街の中を駆けていたことによる服の汚れはあるが、それ以外には傷らしい傷もなく健康そのものだ。

 一緒にやってきたということは、湊が彼女を救出したのだろうが、詳しいことを知らないエリザベスは姉の無事を喜びつつ何があったのかを尋ねた。

 

「姉上、御無事で何よりです。先ほどのテオの攻撃は当たらなかったのですか?」

「射線上にいたから“貴女たちが”放った攻撃は本来直撃だったわ。まぁ、その前に時流操作で駆けつけたこの子に助けて貰ったから無事というわけ」

 

 同士討ちを狙った湊もまさか二人一緒に攻撃するとは思わず、マーガレットの命に関わると思って禁じ手の時流操作を使用して救出に向かった。

 その点について湊が謝罪すると、攻撃や回避に使用した訳ではないので、助けてもらったこともあり罰則を課すつもりはないと彼女は答えた。

 ただし、責任を押し付け合っていた妹弟については少しばかり説教する必要がある。今日の鍛錬はここまでなので、湊はその説教に付き合わなくともよいが、別れる前に先ほど見せたタルタロスについて訊いておかねばならないので、他の者が揃っているうちにマーガレットは湊に質問をぶつけた。

 

「それで、先ほどのタルタロスはどういった物なのかしら? てっきり目眩ましの立体映像のようなものだとばかり思っていたのだけど、私たちのペルソナの攻撃を防いでいたわよね?」

「幽玄回廊は若藻と鈴鹿御前で発動するミックスレイドだ。鈴鹿御前に関しては同名の別人だが、伝承では二人とも幻術や変化の法が使えたらしい。だから、二人のミックスレイドは虚実入り乱れた状態で風景を描き出すことが出来る」

 

 説明を聞いた力の管理者たちは素直に驚嘆する。虚実入り乱れたという部分の程度は分からないが、言ってしまえば実体を持った幻を創り出してしまえるという事なのだろう。

 マーガレットたちはベルベットルームの入り口の気配の有無で偽物と気付けたが、それがなければ攻撃を受けた部分が崩れていたこともあって、本物だと信じて簡単に消す事の出来る幻だとは欠片も思わなかったに違いない。

 もっとも、彼女たちは本気で攻撃していたが、全力で撃った訳ではないので、あれが破壊可能だと分かれば全力攻撃によって物理的に突破し、今後は篭城すらさせるつもりはなかった。

 

「ワイルドの奥義であるミックスレイドだけあって面白い能力だけど、タネが分かれば攻略のしようがあるわ。次回はまた一対一に戻るけれど能力を過信しない方がいいわよ」

「……流石にあんな不意討ちが何度も通じるとは思ってない。今日は同士討ち狙いが上手く嵌まっただけだ」

「それならいいけど。まだ全力は見せていないようだし、そろそろお互いに全力でやってみるのもありかもしれないわね」

 

 万能を求めた人類の一つの答えである青年は、持てる力を駆使して力の管理者らにその刃を届かせようとしていた。

 彼女らよりも強い存在はいるけれど、下から這い上がってきた者がようやく追い付いて、全力を出して戦えるときが迫っているとなれば感慨深いものがある。

 全力を出すにはまだ足りないが、欠片も勝負になっていなかった最初よりはずっといい。次はどんな策を見せてくるのだろうと心躍らせてくれる青年の成長を、力の管理者たちは戦いを通じて実感しながら来たるべき日に想いを馳せた。

 

 

7月26日(木)

午後――EP社工場・研究室

 

 七月の下旬、学校は既に夏休みに入り。たまに部活や生徒会の仕事で学校に行かねばならないときはあるが、基本的には休みなので湊もEP社の仕事に少し集中する事が出来ていた。

 午前中は病院の方で事務処理を済まし、午後はシャロンからちょっとばかし来て欲しいと言われていたので水智恵を連れて工場の地下にある研究室へとやってきた。

 本来は病院勤務である恵を連れてきた理由は、彼女が純粋な病院の職員ではないからである。

 影時間関係の研究は内容が極秘だけあって担当する一部の職員にしか教えていない。研究は忙しいというのに人員は限られているとなれば、当然、最初から影時間に関わっていた恵も手伝いとして働いて貰う必要があった。

 彼女にそのことを話すと、研究成果の一部は一般人が使える義肢などの開発に活かされるのだから、湊に治療して貰った人間として病気や怪我で苦しむ者たちのために是非手伝いたいと言ってくれた。

 その一般人向けの義肢は見た目も性能もまだまだ生身には程遠いレベルだが、医療と軍事で世界シェアトップの企業だけあり、製品の性能は現時点でも桐条グループすら抑えて数世代先をいっている。

 アイギスらを開発した桐条の技術が世界一だと思っていた恵は純粋に驚いていたが、開発者のシャロンによれば義肢には桐条の技術を一部流用しており、あとは向こうが専門に作っていないから勝っているだけらしい。

 とはいえ、若くして義肢製作に置いて世界一と呼ばれるシャロンがEP社側にいるので、桐条グループが全社をあげて取り組んでも今から追い付くのは中々に難しいとも彼女は言っていたため、両社の純粋な技術力を詳しく知らない恵にすれば、どちらもとんでもない科学力を持っていることしか理解できなかった。

 

「こんにちはー」

「いらっしゃーい。待ってたわよぉ」

 

 そんな極めて一般人に近い恵と共に研究室を訪れれば、ソフィアと話していたシャロンが笑顔で二人を迎えてくれた。

 普段は海外の本社で仕事をしているソフィアがいるのは意外だったが、EP社の持つ工場で最も技術の進んでいる工場や研究室の視察も業務に含まれるため、彼女がここへ来ていても不思議ではない。

 

「……ソフィアも来ていたのか」

「はい。好条件の立地などの影響もありますが、こちらでの業績が恐ろしく素晴らしいので、今後の新地開拓の際のモデルケースの一つとしてデータ収集に来たのです。まぁ、整地込みで半年ほどしか経っていませんから、ほとんどはそのデータを流用できるのですが」

「ここは前幹部の私財を使って馬鹿みたいな好待遇を職員に用意出来ているし。条件としては非常に特殊だろ」

 

 いくら優良企業と言えど最初から採算度外視な条件で施設を作ったりはしない。それが出来たのはソフィアに殺させた前幹部たちの私財で建設費から何からを賄ったからだ。

 元手に必要な額がゼロならいくら無茶な条件だろうと資金回収しなくて済むので、余程の失態を犯して社会的信用を失わない限りは黒字経営のままでいける。

 こんな事は普通ではあり得ないだろうと湊が苦笑すれば、ソフィアは涼しい表情で笑いながら首を横に振った。

 

「そうでもありません。確かに施設の充実という点では突出していますが、一種のアミューズメントパークのような複合商業施設として固めて作った際の有用なデータを取れましたから、もっと土地を用意することが出来て、客が車での移動をメインにしている海外の方が条件的に向いていると社の分析チームも言っていました」

 

 湊が日本に作らせたEP社の施設は、近所に作らせたショッピングモールや遊戯施設なども全てを含めると、東京デスティニーランドとデスティニーシーを足したよりも広くなる。

 中には宿泊施設もあるため、テーマパークでないだけでアミューズメントパークと呼べる部分も確かにあった。

 休日だけでなく平日だろうと家族連れが大勢利用してくれるのであれば、駐車場や交通整理は大変そうだが、ソフィアのいうように海外の方が向いている造りではあるだろう。企業経営や新店舗拡大などは専門外でまだ詳しくない湊も、素人考えながら必要と思う施設を作らせただけで企業に有益に働いたのならばよかったと安堵する。

 

「なるほど、そういった知識は不足しているから詳しい事は分からないが、素人の考えた極端なサンプルとしていいデータを提供出来たのならよかった」

「逆に消費者のニーズに最も近いからこそ収益に繋がったのだと思います。企業規模が大きくなり過ぎますと、サービスの安定供給と効率化という点に置いてどうしても最低限の規格の統一が図られますから、湊様の提案はマンネリになりかけていた体制を打破するいい起爆剤となりました」

 

 湊が用意させた施設は、そこに行くだけで基本的に何でも楽しめるといった具合に、本当に何でもありだったことで消費者からは絶大な人気を誇っている。

 逆に何でもありすぎてブランド価値を下げるからと一部有名ブランドからは出店を避けられたが、EP社も色々なジャンルに手を出しているので、出店する店がなければ日本初上陸と銘打って同じ市場を扱っている傘下企業の店を出せばよかった。

 今までは他ブランドに出店させ契約料を貰い。自分たちの懐が痛まないローリスク方針を取っていたが、今回のことで傘下企業をメインで回しても十分に旨味が出ると判明した。この結果は新しい物好きの日本人相手だけが理由ではないと専門家も考えているため、今後は、多少のリスクを背負ってもハイリターンが期待できる、“小狼方式”の出店方法を先進国向けに優先展開していくのだと、ソフィアは今の多忙さをどこか楽しんでいるように話してきた。

 そうして、しばらく企業の経営方針や改善案などについて二人が意見を交えていると、湊たちのコーヒーを武多に用意させたシャロンが話しかけてきた。

 

「お話中ごめんねぇ。ちょっとボウヤの身体のことで検査結果が出たから話をしておきたくてさ。結構急ぎだから先に話していい?」

「ええ、湊様の健康に関わる事なのでしょう? 構いませんわ」

 

 二人が重要な話をしていることは理解していたが、シャロンもこれは早期に伝えねばならないと思っていたことで、割り込む様ですまないと謝ってから湊らを隣の会議室に移動させる。

 他の研究員らは続けて作業をしていたが、エマと武多は検査に関わっていたことで一緒に移動し。その二人が検査結果の書類をファイルから取り出すなり、上座のシャロンの後ろにあるホワイトボードに貼り付けてゆく。

 全て貼り終わったのを確認したシャロンは、並んで座っている湊たちに視線を向け、普段の飄々とした態度を一切なくした医者としての顔で口を開いて来た。

 

「まず最初に言わせて貰うけど、ボウヤが持ってる治癒っていうか自己蘇生能力と時流操作はもう使わない方がいいよ。アンタ、いつ死んでもおかしくない状態だから」

 

 その言葉を聞いたソフィアと恵が目を見開く。すぐ隣にいて健康そうにしか見えない彼が、いつ死んでもおかしくないとはどういう事なのか。細胞に傷が付いていて短命だとは聞いているが、もしや既に劣化が始まっているのかと不安に思いながら恵は尋ねた。

 

「いつ死んでもおかしくないって、湊さん、どこか悪いんですか?」

「んー、悪いっていうか全身の細胞が異常起こしちゃってるのよ。単刀直入にいえば採取した細胞全てが不死化してたわ」

 

 湊の健康状態を調べる際、顔や腕に足など全身数十ヶ所から細胞を採取し、最後に血液を提出して調べさせた。

 それで調べて“全身の細胞が”と言ったからには、採取した細胞全てが同じように異常を起こしていたのだろう。

 けれど、病院ではまだ手伝いしかしてないため、“不死化”という単語に聞き覚えのなかった恵はそれがどのような物なのか聞き返した。

 

「不死化? って、湊さんは死なない身体ってことですか?」

「言葉だけ聞くと勘違いするッスけど、不死と細胞の不死化は完全に別物ッス。細胞ってのはテロメアの長さの分だけって感じに分裂回数が決まってるんですけど、細胞の不死化はその分裂回数の制限が取っ払われた状態のこと言うんス」

 

 今度の質問にはエマが答えたが、彼女はホワイトボードに『テロメア=残機・リトライ回数』と書いてゲーム的な考え方で説明してきた。

 テロメアは細胞分裂するたびに短くなるが、完全に使いきれば細胞分裂を出来なくなってただ朽ちて終わる。

 一部の細胞がそうなっても他の細胞があるので突然死んだりはしないが、かなり単純に言えば発想は似たようなものだと、シャロンや武多も否定してこない。

 しかし、不死化が不死とは別だということは分かったが、分裂回数の制限がなくなれば長生きできそうなので特に問題はないように思える。

 そう思ったソフィアは素人からは問題なく見えても、専門家から見れば問題があるのかと首を傾げた。

 

「分裂回数の制限がないのなら良い事ではなくて? わたくしも遺伝子の異常で短命と言われていますが、細胞が元気に分裂している間は大丈夫でしょう?」

「まぁ長生きするにはいいかもね。ただ、それって癌細胞と酷似した状態なのよ。っていうか、通常の細胞が癌細胞に変異する条件の中に不死化も入ってるっていうか」

「じゃあ、湊さんは全身が癌に蝕まれているってことですか?」

「そうじゃないから困ってるのよねぇ。不死化してるけど癌細胞みたいな異常増殖はしてないのよ。というか、老化すらしてないし」

 

 シャロンの言葉に、質問した二人の少女はポカンと口を半開きにして目を点にする。

 人に限らず生物は時間経過で老化する。その中には成長も含まれているので、老化が全て悪い事ではないが、人の身で老化しないなどあり得ないと彼女たちはシャロンの言葉を信じられなかった。

 すると、言った本人もそれはそうだと苦笑してから、再び真面目な顔になると検査で判明した湊の身体の異常について語る。

 

「ボウヤの身体は七歳児くらいの細胞のままどういう訳か現状で固定されているの。これがどれだけ異常か分かる? DNAの中には本人の設計図があるんだけど、怪我したりしてもそれを基に細胞が勝手に治してくれる訳なの。けど、それって細胞も歳を取ったからそれを使って歳を取った状態で治してくれるのに、ボウヤは細胞が若いまま歳を取った状態で治されている」

 

 七歳児というとペルソナに目覚めた歳ということになる。つまり、戦闘を経験し名切りの血が覚醒を始めた頃だ。

 湊は恵だけでなくチドリらにも自分がクローンの可能性があることを話していないが、湊は目覚めて割とすぐにタルタロスでの戦闘を経験しているので、戦闘が血に目覚めるきっかけであれば、ムーライトブリッジでのデス戦を経験していないクローンでも、同じ七歳児で固定されていておかしくはない。

 別に細胞が若くても別段便利さなど感じない湊にすれば、そういえば母親たちや知り合いの女性陣にやたらと肌が綺麗と褒められていたが実際に若かったのかと思ったくらいだ。

 

「でね、今の状態で治されているのは良いんだけど、逆を言えば設計図が更新されて姿が現状で固定化されてしまっているとも言えるの。それで細胞が不死化を起こしているとなれば何が起こるか分かる?」

「……今のまま歳を取らないし、細胞分裂に制限もないから寿命じゃ死ねないってことですか?」

「だいせいかーい」

 

 かつて時の支配者たちが夢想し求めてきた不老。誰よりも強靭な肉体に、誰よりも賢しい頭脳を持てるように造られて生まれた青年がそれを手に入れた。

 死を理解している青年が、死から最も遠いとは何とも皮肉な話である。

 湊が二十歳まで生きられないと聞いていた恵は、彼が細胞の変異によって常に死ぬ可能性を孕みながらも、二十歳を越えて生き続けられる可能性もあると分かって素直に嬉しかった。

 しかし、他の者たちが老いて死んでも彼だけは生き残る。大切な少女たちを死なせないと言っても流石に寿命には勝てない。故に、彼がどれだけ頑張ろうと最後には二人の死を見なければならないと考えたとき、世界はどれだけ残酷な仕打ちを彼に与えるのだろうと神を恨みたくなった。

 

「まぁ、寿命以外なら死ねるからその点は個人的には流せるんだけど、不死化まで起こしてる細胞がいつ癌細胞に変異するか分からない方が問題なのよね。一ヶ所でも変異を起こせば多分全身への転移はすぐよ。頭の天辺から足の先までぜーんぶが癌になったら流石に治療できる訳ないし。ボウヤは投薬が効かないから切除できない部位に回れば終わりだし」

 

 死ぬ方法は残っている。これは彼にとってはむしろ救いだろう。老いることも死ぬことも出来ないのでは苦し過ぎる。

 死が救いなど本来ならばあってはならないことだが、今回ばかりはここにいる全員が認めるしかないと思っていた。ただし、青年を除いての話だが。

 

「……話は分かった。傷の回復はスキルがあるし、治癒能力と時流操作は控える事にしよう」

「随分とあっさりというか素直ねぇ。っていうか、あんまり驚いてないみたいだし」

「俺は死を理解しているからな。人とは死生観が違うんだ」

 

 生きていながら死を理解するなど本来は不可能だ。現象として発現する死を見ることは出来るが、それは死からどういった現象が起こるのかを理解するだけであって、どういった概念であるかを理解することとは異なる。

 前者はナイフで刺したり首を絞めることで結果的に死を起こすが、後者は存在に干渉し死を直接発現させられるのだ。

 万物は生まれた瞬間から概念的な死を内包しており、生物でなくとも朽ちるという意味では寿命が存在する。それらを視ることの出来る眼を持っている者にすれば、地面は今にも崩れそうで天井がいつ降ってくるかも分からぬ恐怖と常に付き合っていかねばならない。

 そんな者が一般人と同じような死生観を持つ訳もなく、自分が不老と聞かされても湊は気にした様子もなく肩を竦めるだけだった。

 本人がこれではまわりが気にしてもしょうがないため、シャロンは改めて湊に治癒能力と時流操作の使用を控えるように念押しすると、その後は現在開発中の義手についての話に移り、他の者たちも自分たちの仕事へと戻っていった。

 

 

 


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