9月10日(月)
夜――EP社・救護室
公安など外部の者にばれぬよう秘密裏に作られた工場区画地下にある救護室。
そこは窓もろくにない閉鎖的な空間だったが、静かさという点においては優秀で、目を覚ました湊は左肩から腰までに激しい痛みを感じながら瞼を開け、自分の状況を確認するため目だけを動かし辺りを見た。
すると、ベッドのすぐ横でパイプ椅子に座った銀髪ポニーテールの少女を発見する。
少女は膝の上に置いた手をギュッと握りしめて俯いているが、何故だか泣いている様に見えたので、湊は生身である左手を伸ばすと相手の頭に優しく手を置いた。
急に触れられた相手は驚いたようだが、湊が目を覚ましたことに気付くなり、立ち上がって心配そうに調子を尋ねてくる。
「目、覚ましはったん? 痛いところない? 気分はどうやろか?」
「……一度に色々と訊かれても困る。とりあえず、左肩から腰辺りにかけてが痛い。それ以外は気分も含めて別に悪くない」
こんな風に永い眠りから目を覚ますのは初めてではないので、湊は順に身体の調子を確かめていけば、左肩から腰にかけて出来た傷以外には特に不調はなさそうだと答えた。
戦いたくないと叫んだ相手の要求を聞き入れ、戦いの中で最も威力の乗った攻撃を受けて骨まで切られてしまったが、ファルロスが最低限の治癒をかけて既に骨はくっついている。
肉の方はシャロンが縫合し、上から特殊なフィルムを貼って傷を塞いでから包帯で覆われており。一応の出血は抑えられているが、これでは痛みで思考にノイズが入るかもしれない。
湊が内側に意識を向けてファルロスに呼びかけ、肉だけをくっつけてくれるように頼めば、すぐに反応が返ってきて傷口は塞がった。
時流操作と同じく治癒も使用を控える様に言われているため、最低限に留めたことで傷跡は残っただろうが、別に今さら傷跡が一つ二つ残ったところで気にしたりはしない。
そうして、傷を治し終えたことで湊が身体を起こそうとすれば、ラビリスが慌てた様子で肩を掴んで制止してくる。
「まだ、起きたらアカンて。ウチが斧で斬り付けた傷がまだ塞がってないんやから、あんま無理すると開いてまうよ」
「いや、もう塞いだから大丈夫だ」
心配してくれるのはありがたいが、本当に傷はもう大丈夫なのでそこまでして貰う必要はない。
それを証明するために入院着の上を脱ぎ、巻かれた包帯を解いて傷口を相手に見せる。特殊なフィルムも剥がし、治癒でくっつけたことで肉に埋まりかけた糸は爪を使って抜いた。
糸を抜いた事で少しだけ血が出てしまったが、それ以外は大きな傷跡が残ったくらいで傷自体は既に塞がっている。
ラビリスはあれだけの重傷が昨日の今日でほぼ完治していることに驚いているが、とりあえず身体を起こしても問題ないと分かって貰えたはずなので、湊は改めて起き上がりベッドに座ると状況を把握するため質問を口にした。
「……今はいつだ。俺はどれくらい寝てた?」
「今は九月十日の午後十時を過ぎたくらいやね。丸一日以上寝てはったけど、本当に、もう目覚まさへんかと思って、ウチずっと怖かってん……ホンマに良かった……」
入院着を着直しながら尋ねた湊に、ラビリスは心の底から安堵の表情を浮かべて笑いかけてくる。
別に死んでもファルロスが蘇生してくれるため、そもそも完全な死などあり得ないのだが、彼女はその事を他の者から聞いておらず知らなかったのだろう。
心配をかけたのは申し訳なかったと思い。湊は怪我も含めて自分の落ち度だとして相手に気に病む必要はないと告げる。
「ずっと寝てたのは疲れてたからだ。作業に没頭してて何日も寝るのを忘れていた。別に君の攻撃が原因じゃないから気にしなくていい」
「多分、そういうやろうってシャロンさんたちが話してたわ。あ、そういえば、挨拶まだやったね。ウチは対シャドウ特別制圧兵装五式“ラビリス”いいます。君のことは手術終わってからシャロンさん達に聞いててん。今がいつかっていうのも合わせてな」
「そうか。俺は飛騨製人型戦略兵装二式“有里湊”、本名なら百鬼八雲で、戸籍名は有里湊だ。面倒だから名前で呼んでくれていい」
「あ、うん。ほんなら、湊君でええかな? 人前やと八雲君って呼んだらマズいんやろ? 水智さんにちょっとだけ事情とか聞いたわ」
彼女たちがどういった説明をしたのか、眠っていた湊には分からない。
しかし、最低限の状況説明は行ってくれていたようなので、実際にこうやって普通に話せる状態になっていることもあり、湊は彼女たちの働きに感謝した。
お互いに自己紹介を終えたことで話せるようになり、湊は部屋の中を見渡してベッドの脇のテーブルにお見舞いの果物セットを発見すると、そこからリンゴを一つ取って齧りついて食べ始める。
大量の血液を失ったことで空腹を感じたのだが、健康的な歯でシャクシャクと食べ続けていれば、何やら暗い雰囲気になっていたラビリスが目を伏せながらポツリと呟いてくる。
「……ゴメンな。ウチ、勘違いして湊君のこと殺してまうところやった。湊君はなんも悪ないのに、勝手に敵やと思って、また実験させられる思って人に武器を向けてしもた。ウチは兵器失格や。人を守るためのものが、守るべき相手を殺そうとするなんて欠陥品にもほどがあるわ」
自嘲的に笑う彼女は自分のしてしまった事を後悔しているようだった。
彼女たち対シャドウ兵器はシャドウを倒すことを目的として作られたが、そこには“人を守る”という条件も織り込まれている。
自分が破壊されるような状況にでもならなければ、基本的には無抵抗原則が適応されてラビリスの方から手を出す事は出来ない。
それを、黄昏の羽根の共鳴と右腕部が機械義手だったことで勘違いし、彼女は湊を殺しかけてしまった。仮にエラーやバグによって引き起こされた行動であったとしても、これでは安全面に疑問が浮かび流石に運用していく事は出来ない。
「湊君が目を覚ますまで居させて貰ったんは、ただ謝りたかったからやねん。湊君の無事を確認して、謝ることも出来たから思い残すことはないわ。もう遠慮せずにスクラップにしてもうて構いません。我儘聞いてもろてありがとうございました」
椅子に座ったラビリスはどこか吹っ切れた顔で頭を下げて礼を言う。
本来ならばすぐに機能を停止させられ、そのまま直前の行動を取った原因の検証が行われる。それが済めば分解するなり、そのままスクラップにされるため、こんな風に怪我を負わせた相手が目を覚ますまで自由にさせて貰えるなどありえない。
お願いしてここに居させてもらったラビリスも、まさか許可されるとは思っていなかっただけに、目覚めるのを確認して謝罪まで出来てよかったと満足気だった。
しかし、謝罪と礼を受けた青年は、笑顔の彼女とは対照的に視線を鋭くしてラビリスに質問をぶつける。
「……誰かが俺が目を覚まし次第、君をスクラップにすると言ったのか?」
「ううん、誰も言うてへんよ。でも、こんな事してしもたら廃棄しかないやん。ウチもちゃんと納得済みやし。すぐにしてくれて構わへんよ」
どこか諦観の混じった苦笑でラビリスがその言葉を口にした途端、湊はやや乱暴に相手の腕を掴んで引き寄せ、ベッドの上に仰向けに倒した。
「きゃっ」
突然のことに驚きラビリスが反応出来ずにいれば、瞳が蒼くなった湊が彼女を組み伏せて、言葉に怒気を孕みながら今のは本気で言ったのかと尋ねる。
「スクラップにされる事に納得済みだなんて本気で言ってるのか? 会いたい人がいるって言ってたのに、君はそれを諦められるのか?」
「あ、会いたい気持ちはまだあるけど、自分がしたことの責任は取らなあかんやろ。ウチは湊君を殺そうとした。生きてたんは結果論でしかないやん」
湊は確かに生きていたが、それはシャロンたちのような腕の良い医者がいたことに加え、患者である彼自身の生命力が人よりも強かったためだ。
もしも、どちらかの条件が欠けていれば、患者は絶対に助からずに死んでいた。
客観的に見てそういった検証結果がある以上、ラビリスが相手を殺そうとしたという事実は変わらない。犯した罪を償うのは当然で、機械である自分には廃棄処分が妥当であるとラビリスも納得している。
自分たちの人格モデルとなった母親に会いたい気持ちはあるが、罪を犯した自分に被害者へ謝罪する機会をくれただけでも十分過ぎる配慮だ。それ以上を望むのは我儘でしかない。
だから、もういい。彼女が言外にその事を告げれば、覆いかぶさる形になっていた湊が身体を起こし。馬乗り状態になるなり着直した上着を脱ぎ捨て、そのまま左手で勢いよく自分の胸を貫いた。
「な、なにしてはるのっ!?」
驚愕に顔を染めるラビリスの目の前で、手首まで完全に突き刺さった彼の胸から鮮血が吹き出す。
顔や身体中に血を浴びながらも、ラビリスは身体を起こして慌てた様子で彼の傷口を手で押さえて、少しでも出血を抑えようとする。
彼が一体何をしようと思ったのかは不明だが、彼女にとって湊の身体から血が出るというのは一種のトラウマだった。
「ああ、もうっ」
流れ出る温かな鮮血に、ラビリスはどうすればいいと思考を巡らせる。
機械でも温度を感じる事は出来る。人のような主観で変動するものではなく、搭載された温度センサーによる結果として認識するだけだが、戦斧で切りつけたときも今も顔や身体にかかった血液の温度がデータとして表示されるのだ。
表示されている数字は“36.8”、これが彼の体温であり血液の温度でもある。鮮やかな赤と共にこの数字が表示されるだけで、ラビリスの身体は切りつけたときの感触を思い出し震えてしまう。
だが、自分が震えていれば彼が死ぬ。そう思ってラビリスが彼の胸に刺さった腕の脇を両手で押さえていれば、彼はブチブチと嫌な音をさせながら手を引き抜いた。
「あ、ああ……っ!?」
引き抜かれた手には綺麗な紅緋色をした脈動するものが握られていた。
ラビリスは一目でそれが心臓だと理解し、脈動しなくなったそれを慌てて彼の手から奪い取り胸に戻そうとする。
しかし、胸に戻したところで元通りになる訳ではなく、かといって自分では血管を繋ぎ直す事も彼女には出来ない。
助けたいがどうすればいいか分からず焦っている様子がおかしかったのか、青年が少女を見ながらくすりと笑うと、彼女の手から心臓を取ってそれを握り潰した。
助けようと思っていたラビリスは当然驚くが、直後、彼の胸の傷口が自然に塞がるのを目にして、どういう事か尋ねたそうにしている。
その意思を読み取った湊は、傷が完全に塞がった胸に彼女の耳にあたる集音マイクの搭載された部位を密着させ、自分の心音を聞かせながら理由を説明した。
「……俺はこうやって心臓を破壊しても死なない。四肢は失えば治らないが、臓器系は完全に抜き出しても体組織から新たに作り出せるんだ。つまり、俺の生存は確定事項だった。君は俺を傷付けはしたが、殺そうとしたわけじゃない」
シャドウの王であり死を司るデスを内包した恩恵、それは生物の治癒能力を超えた蘇生能力だ。
一般人ならば生命力が足りずここまでのことは出来ないが、青年はそれを可能とするだけの生命力を持っていた事で、ラビリスとの戦闘でも死ぬことは絶対になかった。
彼の身体の特殊性を知らずに困惑していた彼女にそれを伝えれば、胸から耳を離してラビリスは瞳を揺らしたまま見上げてくる。
「な、なんでなん? ウチ、話も聞かんと切りつけたんよ? 普通やったら怒るとこやろ。せやのに、なんでウチのこと庇うんよ」
「君に罪を背負わせたくないし、死なせたくないからだ」
「……訳が分からへん」
会ったばかりで怪我まで負わされながら、どうして彼が自分にここまでしてくれるのか分からない。
ラビリスが難しい表情でベッドに身体を倒せば、湊もその横に寝転がり、話が出来る様になれば聞きたかった事を尋ね始めた。
「君について調べる中で、当時の実験について少しだけ知った。ペルソナの獲得だなんてくだらない事のために、心を持った姉妹同士を殺し合わせていた。これは、本当にあったことなんだろ?」
「……うん」
「当時のことを君の口から直接聞きたい。思い出したくなかったり、話したくないなら構わないから、少しだけでも教えて貰えないか?」
興味本位という訳ではなく、ラビリス達が受けていた仕打ちなど、当時のことをちゃんと知っておきたいという意思が彼の瞳には籠められていた。
話して楽しい話題ではなく、ラビリス自身も自分のしてきたことを知られて拒絶されるのは怖いが、シャロンや恵たちからこの青年は何があろうと自分の味方だと聞いていたため、意を決すると静かに話し始めた。
目覚めてすぐに大量の姉妹機と戦った事、戦った相手の黄昏の羽根を回収してデータのフィードバックを受けた事、自我の発達を促すため施設の外で自由時間が設けられていた事、そのときに出会った“機体番号024”と仲良くなった事、自我の発達が進むにつれて姉妹機の破壊が嫌になっていった事、正式に自分が五式に選ばれてすぐに最も仲の良かった“機体番号024”と戦って操られる彼女を破壊した事、そして彼女や他の姉妹機たちの“記憶”を不要だと切り捨てて簡単に消そうとした研究者に怒りを感じて脱走しようとした事など全てを話した。
封印されていたラビリスにすればつい先日のことであるため、話している途中で悲しさから涙を流していたが、それを見た湊は優しく頭を撫でて、彼女が話し終えるまで黙って聞いていた。
「とまぁ、そんな感じやね。あはは、なんか自分のこと話すって恥ずかしいな」
話し終えた彼女は自分の方が設定年齢的にお姉さんなのに、年下の男の子に慰められて優しくしてもらったことが恥ずかしかったのか、自分の過去を話して照れた振りをしながら笑う。
だが、青年は彼女のそんな態度を気にせず、頭を撫でていた手を彼女の後頭部に回して、反対の手を彼女の腰に回すなり自分の胸へと抱き寄せた。
「うわっ、ちょ、湊君?」
「済まない、人間の勝手な都合で君たちを傷付けて」
「そんな、湊君のせいちゃうやん」
「俺は君の妹である七式アイギスに命を救われた。彼女は君たちの犠牲がなければ生まれていなかった。逆を言えば俺は君たちの犠牲によって生かされたと言える。だから、ありがとう。そして、済まなかった」
ラビリスが受けた実験と彼は何の関係もない。研究者たちには怒りを覚えたが、それで全ての人間に復讐してやろうとは彼女も考えていなかったのだ。
故に、彼が人間を代表するように謝ってきたときには驚いたが、続けて語られた言葉によって、自分や犠牲になった姉妹機たちの命にも意味があったと感じられた。
データ以外に何も得られるもののないと思われた実験が、時を超えて妹に繋がり、目の前の青年を助けていた。ちゃんと、人々を守る役に立てたのだ。
その事実が何よりも嬉しい。無駄な犠牲ではなく、繋がる形で命に意味があったと気付けたことで、ラビリスは喜びの涙を流しながら彼の胸に顔を埋める。
「ウチらも、役に立ててんな。あんな実験でも、しただけの意味があってんな……」
「ああ、そのおかげで俺は生きてる。君たちの命を貰ったようなものだ」
「そっか。うん、それは良かったわ。きっと024や他の姉妹たちも喜んでるはずや。ホンマにありがとう――――ッ」
そのとき、ラビリスは自分の中で何かの力が目覚めるのを感じた。屋久島の実験施設を脱走したときに目覚めかけていたような曖昧な形ではなく、確かな一つの存在として大きな力が目覚めたのだ。
突然の力の発現に驚いて二人が顔を上げれば、そこには、鎧にも機械にも見える身体を持った銀髪の女神がいた。
「これ、ウチのペルソナ?」
「……運命“アリアドネ”か。強いな。きっと君が他の姉妹から受け継いだ想いも籠められているんだろう」
「あはは、せやったら責任重大やね。多分、皆は湊君を助けたりっていうてるんやと思うわ」
彼の言葉によって自分たちは報われた。相手は妹に助けられたことで、その元になった五式のテストベッド機体たちにも恩を感じているようだが、彼が恩を感じるべきなのは助けた妹本人だけに対してであって、自分や他の姉妹機は関係ない。
だから、自分は自分たちを認めてくれた青年の助けになろうと思う。きっと他の姉妹機たちも同じ想いのはずだから。
そんな風に考えたラビリスから目覚めた力の使い道を聞いた青年は、大切な二人の少女と同じく守るべき対象が、またしても自分の助けになろうと言いだしたことで微妙な表情を浮かべる。
せっかく自由の身になったのだから、旅行でも何でも好きな事をすればいいというのに、ペルソナに目覚めた女性は皆構いたがりにでもなるのだろうか。青年はペルソナ覚醒者のパーソナリティーの変異や共通項について改めて考えることにしつつ、ラビリスに伝えなければならない事があったので、今の内にそれを伝えておく事にした。
「……ラビリス、君が当時受けていた実験の情報などはあまり手に入らなかったが、人格モデルとなった少女については情報を得ている。だが、申し訳ない事に彼女と会わせる事は出来ないんだ」
「あ……やっぱ、脱走しようとしたから危険や思われとるんかな? その、ウチを無力化出来る湊君が一緒でも全然構わへんのやけど、ちょっとだけでも会わせてもらわれへんやろか?」
「そうじゃない。君の人格モデルとなった少女はもう……死んでるんだ」
影時間を終わらせる以外に個人的な目的のためにも動いていた湊は、ラビリス自身の情報と同じくらい人格モデルになった人物についても調べていた。
その結果、相手が既に死んでいるという事実に行きあたった訳だが、ラビリスの願いがその少女と会いたい事だったと知り、願いを叶えてやれない湊は申し訳なさそうに暗い表情を浮かべる。
「……それ、ホンマなん? って、湊君がうそつく理由ないもんな。そっか、ウチ、遅かってんな」
最初の脱走時に自分が孤島にいると知り、姉妹たちから受け継いだ想いと自分自身で決めた願いを叶えることは出来ないと一度は諦めた。だが、再び目覚めたことで希望が見えたというのに、悲しい事実を告げられたラビリスは落ち込んだように目を伏せる。
封印されていなければ会えたという訳ではないが、もしかしたら、というIFについて考えるとどうしても割り切れない物があった。
自分たち五式シリーズの母である少女にもう会えないと知り、哀しみや悔しさが入り混じった複雑な感情をどう処理すればいいのか分からず、ラビリスが暗い表情で黙っていると突然顎に手をあてられ強引に顔を上げさせられる。
顎に手を当てて上を向かせるという今の行動もそうだが、ベッドに連れ込むときも抱きしめてくるときも、この青年は女性に対して随分と強引な感じにグイグイと引っ張って行くタイプなのだなと、真っ直ぐ視線をぶつけて見つめ合う形になったラビリスは彼について新たな情報を得た。
この情報を使うときが来るかどうかは不明だが、彼がこんな風に行動を起こして来たときには何かしらの意味がある。そう考え、彼の次のアクションを待っていれば、湊はしっかりとラビリスの目を見ながら話しかけてくる。
「……会って話をさせてやる事は出来ないが、一緒に墓参りに行かないか? ちゃんと調べてあるんだ。生家は関西のようだが、こっちの病院に入院していて家族もこっちで暮らしていたから、そのまま墓もこっちに作ったらしい。気休めにしかならないかもしれないが、それじゃあ駄目だろうか?」
「ううん、十分嬉しいわ。フフッ、湊君は優しいなぁ」
墓参り。それがどんなものかは知識としてはインストールされているが、少女が既に死んでいると聞いた時点で、ラビリスは自分の願いは叶わなくなったと思っていた。
だからこそ、そういった会い方もあると教えて貰えたことで、言葉は交わせないが伝えたいことを墓前で話す事は出来ると、彼女は別の方法で願いが叶えられることを嬉しく思い笑った。
その後、意識を取り戻さない湊の様子を見に来たシャロンたちが、血塗れでベッドに寝ながら会話している二人を発見し。何があればそんなカオスな状態になり、そのまま普通に会話していられるのかと二人の精神構造を本気で心配して検査を受ける事を勧めるという一幕があった。
もっとも、二人は色々あって自分たちが血塗れだと忘れていただけで、別に血塗れでも平気などという変わった思考をしている訳ではない。
馬鹿な事をいうなと返した湊は他の者に掃除を任せ、ラビリスと共にシャワールームに向かうと、別々の個室で汚れた身体を綺麗にしてから、合流してラビリスの新型ボディの置かれた開発室へと向かった。
――開発室
湊が目を覚ましたことで、研究員らは忙しそうに動き回ってラビリスの新型ボディの最終調整などを行っていた。
スパコンの準備を終えて戻ってきたエマも、こちらでの作業を手伝おうと部屋にやってくれば、全員が忙しそうにしている中、ラビリスと並んでパイプ椅子に座っている青年が、見舞い品の果物セットを膝の上に乗せてメロンを手に持ち齧っているのが目に入った。
ある意味で開発責任者であるはずなのに、作業を眺めるだけで女子と駄弁って一個一万円以上するメロンを食べているとは何事か。そんな事を思いつつも、相手の変な食べ方の方が気になり近付いたエマは思わず尋ねていた。
「……湊さん、それどんな食べ方っすか」
「剥くのが面倒だったんだ」
「いや、だからって皮ごとメロン食べるとかワイルド過ぎっすよ」
呆れながらエマが言った通り、青年はリンゴを齧るようにメロンを皮ごと食べていた。
健康な歯をしていれば確かに食べれるだろうが、メロンの皮など青臭いだけで美味しくないだろう。
血を大量に失った上に、ラビリスの新型ボディを作っていたときには、時流操作で総時間数にして一ヶ月以上をほぼ不眠不休で過ごしていたため、身体が栄養を求めて食べているのだろうが、もっと他にあったのではないかとエマは突っ込みたい衝動に駆られる。
けれど、これからラビリスに色々と説明して新型ボディへ移ってもらうため、ここで変に疲れたくなかった彼女は、突っ込みを放棄して他の研究員の手伝いに去って行った。
「なぁ、新型ボディになったら何が変わるん?」
去っていくエマの後ろ姿を見ていたラビリスは、自分の新型ボディが用意されている事を聞いていた。
最初は廃棄にされると思っていたので半分聞き流していたのだが、このまま活動を続けていくのならあまり整備されずに封印されっぱなしだった現在のボディよりも、最新の技術が組み込まれた新型ボディにした方が色々と都合がいいことは分かる。
しかし、詳しい仕様などはまだ説明を受けていないため、隣で洋梨を食べだした青年に話を聞いておく事にしたらしい。
「外見は基本的に同じだが、腕や関節などが今よりも人間に近い見た目になる。擬装用スキンもあるからより人間社会に溶け込みやすくなるはずだ」
「そうなんや。あ、でもウチらって擬装用の機能が搭載されてるんよ。なんや潜入用とかって話やねんけど」
言いながら彼女が目を閉じて何かを稼働させれば、ラビリスの身体がノイズに包まれ、次の瞬間には見た目が人間そのものになっていた。
耳も腕も完全に人のそれで、服装が元々着ていたレオタード姿という際どさなので男性陣にすれば目の毒だが、その機能について知らなかった湊は驚きながらも感心したように彼女の手や耳に触れていた。
「これは……対象に認識を誤認させる能力か。ホログラフィではなく一種の催眠術だから、かかっている相手は感触も含めて気付かないみたいだ」
「詳しい理論はウチも知らんけど、これも搭載してもうたら便利やと思うんよ。けどまぁ、やっぱり難しいんかな?」
「いや、設計図がなかったから積んでる装置は君の身体をベースにしてあるんだ。そこに火器制御やオルギアモード用のものを加えただけだから、新しい身体でも多分使えるはずだ」
桐条グループの技術は一部が未来的過ぎて、工学系の知識を持っているEP社の研究員でも何の装置か判断するには設計図と解説が必要だった。
アイギスのボディについては飛騨のデータがあったので良かったが、ラビリスに関しては湊が書き起こした純粋な設計図しか存在しない。
そうなると、ラビリスにしか搭載されていない装置は用途が分からないので、下手にいじっては拙いと判断した研究員らは、近年開発された部品での各部の改良と機能追加以外はノータッチでいるしかなく。現行ボディで出来ていることは基本的に新型ボディでも出来るはずだった。
現在のボディと同じように使えるのなら安心だと思い、説明を受けたラビリスが小さく笑みを浮かべる。すると、幻惑機能により人間の見た目になったのが不思議なのか、ぺたぺたと顔や胸を触っていた湊が急にラビリスのポニーテールに近い何もない空間に拳を放ってきた。
「アイタッ、ちょ、実体部分が消えた訳やないんやから、もうちょい気を付けて触ってくれはる?」
「ああ、いや、というか君の幻惑機能は半分くらいしか効いてなくてな。実体の方を叩いたらどうなるのか気になったんだ」
幻惑機能は誤認識させる機能なので、何もないように見えても実体はそのままで、その部分に攻撃を受ければ当然当たり判定がある。
相手がそれを理解せずに叩いたと思ったラビリスが、幻惑機能を解除して恨めしそうに説明すれば、返ってきたのは分かっていて殴ったという衝撃の言葉だった。
確かにラビリス自身も自分にも作用するように幻惑機能を使えるので、使っている間は自分の姿は人間そのものであり、肌に触れれば人間の生身と同じように感じたりしている。
だが、やはり目に見えなくなっていても実体はそこに存在するので、確かめるなら普通に触れて確かめて欲しかったと少々呆れた様子で青年を見た。
「いや、そんなわざわざ叩かんでも……。ていうか、半分しか効いてないって故障しとるいうこと?」
「そうじゃない。俺が幻術や催眠術に耐性があるだけだ。俺のペルソナに専門家がいるのと、本来の魔眼が似た能力だったんだ」
「へぇ、幻術タイプのペルソナって凶悪な能力やね。けど、マガンってなんなん?」
彼女が装置の故障を疑い心配そうにすれば、湊は所持しているペルソナなどの関係から、自分が他の者よりも耐性があって幻術にかかり辛く、薄らと実体の方も見えているだけだと説明してくる。
幻惑機能という便利な機能を搭載しているため、それの悪用方法などを理解しているラビリスは、幻術タイプのペルソナは下手な戦闘タイプよりも厄介だと、まだ見ぬ青年のペルソナの力に密かに感心した。
しかし、そちらよりも彼が口にした“マガン”という言葉が気になり、データベースを参照しても該当する単語がなかったことで首を傾げれば、湊はバナナを房から千切ってラビリスにも一本渡して食べながら魔眼について話す。
「別名だとイーヴィルアイとも言うんだが、神の血を引いてる九頭龍家の一部の者に現れる特異体質で、透視や魅了など人によって能力は異なるが眼に異能が宿るんだ」
「神様が実際におったとか初めて知ったわ。あ、それで湊君は催眠術が使える眼なん?」
「正確に言えば対象の脳に干渉する能力だな」
そういって青年は右眼に付けていた半月状の眼帯を外して、少女に自分の右眼を見せた。
てっきり怪我をして隠しているのだとばかり思われたそこには、
湊が手で一瞬隠せば右眼も左眼と同じ金色になったが、すぐに紫水晶色に戻ってしまったため、本来は金色の眼が魔眼状態のときは紫水晶色になっているようだ。
「こっちの眼は一回抉り取られたんだが、体力が回復したら臓器と同じように再生させられたんだ。でも、肉体の最適化が行われたときに本来の魔眼だった“暗示の魔眼”が目覚めた。原理等は分からないが、多分、視覚を通じて信号を送り受け取った相手の脳に干渉するんだと思う」
「干渉したらどうなるん?」
「脳に直接命令を送って相手を操ったり、認識を歪めて幻術を見せたりも出来ると思う。目の前に実際は何もなくても、脳がリンゴがあるって錯覚すればリンゴがあるように見えるだろ? 幻術の見せ方はそんな感じだが、まぁ、悪用し易い能力だな」
湊が自身に備わった本来の魔眼の能力について説明する間、受け取ったバナナをどうすればいいか悩みながら話を聞いていたラビリスは、とりあえず湊と同じようにしてみようと皮を剥いて頬張ってみる。
テストベッドの機体だった彼女にも、成分分析が出来る様に食べ物を口から取りこむという食事にも似たオプション機能は搭載されていたらしく、租借した物を飲み込むと初めての体験にちょっとした感動を覚えているようだ。
そうして、自分が物を食べられると知った彼女は、初めて自分が食べた物は“湊のバナナ”だと記念の記録をメモリに残して貰ったバナナを食べながら話を続ける。
「はむっ、ん、じゃあ、湊君が眼帯してはるのって暗示の魔眼を使えんようにってことなんや?」
「ああ。先に直死の魔眼っていう物の死を視る魔眼が目覚めてたんだ。なのに、最適化で急にこっちが本来の魔眼ですって感じに目覚めて、しかも、強力で中々制御出来ないから、しょうがなく目が治った後も眼帯を付けたままにしてる」
魔眼というのは徐々に使い方を覚えて練度を上げていくものだ。しかし、強力な力を持った魔眼の中には、最初はオンオフの切り替えすら制御出来ない物も存在する。
湊が先に手に入れた“直死の魔眼”も、どちらかといえば明確なオンオフのない切り替え不可能なタイプなのだが、そちらは死を視ない様に意識を強く持つことで擬似的にオフにする事が出来る。
けれど、暗示の魔眼は能力が複雑な上に強く、まだ手に入れて日が浅いために制御が出来ていない状態だった。
切り替えが可能になれば眼帯も外せるが、それまではふと考えただけのことが命令となって、周囲の人間を巻き込んでしまうことが危惧されるため、湊は制御出来ない右眼を眼帯で覆ったままにしている。
「なぁ、それってウチにも掛けられるん?」
「……秘密だ」
「そこで秘密とかずるいわ。実は使えるけど、ここぞって時にウチに変な事させるとかやないよね?」
「新ボディは外部からの遠隔操作機能を排除しているのに、そうした本人が君らを操るはずないだろ。というか、暗示の魔眼について教えたのは君が初めてだ。まぁ、羽入っていう後輩の女子には、眼帯を取られた際に右眼があることがばれてるが、そいつ以外はここの研究員でも俺の右眼が治ってることは知らないんだ」
以前、湊が階段の近くで宇津木と話している際、羽入は生徒会長として紹介された湊を自分の知る湊本人だと認識出来ず、しかし、どこか見た事があるようなと違和感を持った事で、湊の眼帯を外してその下を見ていた。
もっとも、湊の眼帯の下を見た事が無い状態で何故そんな行動を取ったかは不明だが、噂通り本当に怪我の跡があれば彼女は驚いて謝っていただろう。しかし、眼帯の下に紫水晶色の瞳があったことで、それを見た彼女は綺麗な色の目だと褒めていた。
そういったイレギュラーな行動で湊の右眼を見た羽入は例外として、以前、ヒストリアの屋敷で湊の怪我の治療を行ったシャロンですら知らない右眼の秘密を、会ったばかりで教えて貰った事は光栄だとは思うが、他の者もいるこの場で見せたら意味がないのではとラビリスは首を捻った。
「でも、いまさっき眼帯取ってはったやん。それでばれてもうたと思うけど?」
「取るときには能力を使ってたさ。こういうのは奥の手だからな。一部の人間にしか教えないようにしてる。それに直死の方は他に知っている者もいるが、暗示の方はまだラビリスにしか教えてない。ベルベットルームの住人は覚醒後の俺の様子を見れなくなったから、知ってるのは本当にラビリスだけだ」
「ベルベル? よう分からんけど、じゃあ二人だけの秘密やね。フフッ、秘密作ってもうた」
機械である彼女には本来報告義務があるため、研究員に対して秘密を持つという事は出来ない。
ただし、それは桐条グループで兵器として扱われていた時の話で、他の者から一個人として扱われ、記憶データの閲覧等はラビリスの許可がなければ認めないと公言している湊がいるこちらでは、話したくなければ素直にそう返していいと言われている。
故に、今までの自分では考えられない秘密を作るという行為を、彼女は悪戯をしているような気分で楽しんでいた。
「ラビリスちゃーん、準備出来たわよぉ」
「はーい、すぐ行きます」
二人がお喋りを続けていると、ボディの移行準備を終えたシャロンが手招きしてラビリスを呼んだ。
呼ばれた彼女は素直に椅子から立ち上がって向かい。メンテナンス装置に座って寝ているようにしか見えない新型ボディと対面する。
ルックスという意味での外見はソックリだが、頭部のユニット等が排除されて代わりに耳などが付いている。腕や関節も同じように人ソックリだが、擬装用スキンを施してあるため、それを外せば機械的な部分も少しはあるのだろう。
火器制御系を搭載済みではあるが、初期の仕様は現行ボディと同じで、腕はチェーンナックルを改良した強化ワイヤーによる有線式ロケットアームとなっている。ただ、人と同じ見た目を目指す上でナックル部分の強度が課題として挙がり、人に近付ければどうしても強度が落ちることは避けられなかった。
強度が落ちた状態でロケットアームを放てば、チェーンナックルほどの威力は見込めず逆に自壊も考えられる。それを解決するため名切りの特殊製法で製作されたのが、指先から肘辺りまでを覆う現在の腕と同じ色をした深紅のガントレットだった。
手首から肘にかけては完全に覆っているが、手首より先は手の甲側のみを装甲で覆い、掌側は防刃繊維の特殊布で保護するようにしているので、強度及び威力の向上だけでなく装備した状態でも細かな作業を可能としている。
「流れを説明するけど、最初にするのは記憶データの転送。それが終わったらラビリスちゃんのコアである黄昏の羽根を積み替えるわ。記憶データはコピーじゃなくて完全に移し替えるだけだから、作業が始まる前にラビリスちゃんには眠って貰うけど、破損データとか断片ファイルも全部しっかりと移すから安心してねぇ」
「はい、どうもありがとうございます」
今よりも性能が上がりながら見た目は人間により近付いている新型ボディに感動を覚えつつ、説明を聞いていたラビリスはシャロンらの気遣いにも感謝した。
パソコンであれば破損データや断片ファイルなど、容量を無駄に消費するだけなので空き容量を増やすために削除されるが、ラビリスのメモリに入ったそれらは全て記憶の欠片だ。後で修復や補完がなされて“思い出す”ことがあるかもしれないため、改めて言わずともそういったデータもきちんと移して貰えるのは嬉しかった。
データをコピーするのではなく移し替える理由も、個人の記憶だから同じ物を別の何かに残すなどあり得ないといった考えからに違いない。ボディの交換は機械なので仕方がないが、そういった作業の中での細かな部分に心配りが感じられたラビリスは、研究員にもちゃんと優しい人がいると分かって今後の作業に何の不安も抱いていなかった。
しかし、相手はラビリスの仕様を完全に把握出来ていないため、気になる点を先に解決してから作業に移りたいらしく、質問を口にしてくる。
「ただ、どういう訳かラビリスちゃんって記憶領域が二つあるのよ。片方はサブっぽい感じなんだけど、アイギスちゃんモデルには無かったのよねぇ。ラビリスちゃんはどうして自分に二つあるか分かる?」
「えと、多分、ウチがテストベッドとして開発されたからやと思います。五式“ラビリス”っていうのは元々ウチのことやなくて、五式モデルの中で最も優秀やった子が選ばれるものやったんです。その正式機を選ぶまでに、同系機を戦わせて負けた方のデータを勝った方にインストールして、戦術とかの学習と精神の成長を目指してたんで、片方はその姉妹機のデータの受け皿やと思います」
「なるほど、それなら正式機として作られたアイギスちゃんに無いのも頷けるわね。でも、だとすると、貴女ってもしかすると二重OSってことになるかも。もしも自分の中に別の存在を感じたり、思考等で違和感を覚えたりしたらちゃんと相談してねぇ」
最大の謎だった記憶領域が二つある理由が解決し、シャロンはスッキリした顔を浮かべるとラビリスをメンテナンス装置に座る様に言ってくる。
桐条製とは少し異なるようだが、基本的な仕様は同じみたいで不思議な懐かしさを感じた。
メイン電源を落とせば、後は全てシャロンや湊たちがやってくれるため、次に眼を覚ましたときには新ボディになっている。
複雑で容量も多い記憶データはスパコンを使って移し、黄昏の羽根は扱いに慣れてる湊が移し替えるらしい。新ボディでの目覚めはどんな気分か興味を抱きながら、ラビリスは他の者に「よろしくお願いします」と告げてゆっくり意識を手放していった。
原作設定の変更点
P3Pの女主人公での夏祭りでアイギスがタコ焼きを食べているため、食べれるか不明なラビリスも同じことが可能な設定に変更。
さらに、外部からの操作が出来ないEP社製の新ボディになったことで、擬装用スキンを付けていれば幻惑機能を使った状態のような人間そっくりな見た目になっていると設定。戦闘等で擬装用スキンが破れれば、白い装甲が露出するようになっている。