【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百五十一話 八年の月日を経て

9月25日(火)

午前――霊園

 

 秋らしい気候になりつつある九月の下旬。本日は平日で学校の授業もあるが、岳羽ゆかりは父の命日ということもあって休んで墓参りに来ていた。

 傍らには母親もいるが彼女は紹介したいと言っていた恋人を連れてきておらず、そのくらいの分別はあったかとゆかりを安心させた。

 掃除用の道具を借りて整備された霊園の石畳を歩いて、母親と並んで父の眠る墓の前まで進む。

 ゆかりが母の今の状態を快く思わず、一方的に関係をギクシャクさせているが、この日は亡くなった父を悼んで普通でいられる。

 母が供える花と線香などを持ち、ゆかりが水の入った桶や供えるお菓子などを持って到着すれば、どういう訳か既に墓は綺麗に掃除され、真新しい花まで供えられていた。

 

「あれ、もう誰かが掃除してくれてる。一体誰が来たんだろ?」

「分からないけど、それなら、お花とお供えをしてからお線香をあげちゃいましょうか」

 

 掃除が既に終わっているのなら、確かに母の言う通りにするしかないため、ゆかりは母から花を半分貰って挿してゆく。

 墓の掃除をしてくれた人物も花を供えているが、挿すスペースは残っているので、ゆかりたちが持ってきた花も一緒に挿せば随分と立派な物になった。

 花を供えたら続けて持ってきたお菓子類を置いていき、それらも終わると取り出した線香に火を点けてあげていく。

 屈んで静かに目を閉じて手を合わせながら、ゆかりは心の中で父に久しぶりと挨拶をして近況報告などを語った。少々照れくさかったが彼氏が出来た事も報告したときには、線香の煙が変に揺れた気もするが風が吹いただけだろう。

 そうして、長いこと父に話をしてようやく彼女が立ち上がれば、母も同じように立ちあがって持ってきた荷物をまとめて帰る準備を始めた。

 

「ゆかりはこの後はどうするの? お母さんとお昼食べて行く? それとも午後から学校に行くなら寮まで送っていくけど」

「ん、今日は学校はいいや。まぁ、お昼食べたら寮に帰るけど」

「そう。何か食べたい物はある? ここの近くだとお蕎麦屋さんとかならあるわよ?」

 

 都心から離れた場所にあるので、近所には個人でやっている小さなお店ならあるが、若い子が好きそうなお洒落なお店やファミレスは二十分ほど車を走らせたところにしかない。

 例年の流れでゆかりもその事は知っているため、それほどお腹が減っている訳でもないし丁度いいと母の言葉に同意で返す。

 

「じゃあ、そこでいいよ」

「ええ。なら、借りた物を返したら行きましょうか」

 

 持ってきた物を入れていた袋と借りた道具を母が持って歩き出す。ゆかりも隣に並んで進んでいくが、途中で母が隣にいるゆかりを見てきたかと思えば、彼女の首元に視線をやって興味を持ったように口を開いてきた。

 

「そういえば、そのチョーカーはどうしたの?」

「これ? えと、前に買ったの。うん、買ったの」

 

 今日は大人しめの私服でいる彼女の首に巻かれたハートチョーカーは湊からの贈り物だ。

 だが、前に買ったという情報は嘘ではない。支払いは湊だったにせよ、一緒に買い物をして“買った”のだから。

 素っ気なくも自然に返したつもりのゆかりは、この話は終わりだとばかりに前を向いたまま歩く。

 けれど、娘の態度に不自然なものを感じた母は、彼女の態度にピンと来る物があったのか、ニッコリと笑みを浮かべて一つの単語を口にした。

 

「……彼氏さん?」

「うぇっ!? ちょ、ちが……わなくもないけど、別に好きとかそういうんじゃないからっ」

 

 母は彼氏からの贈り物かどうかを聞いただけだ。誰も踏み込んだ話などしていないというのに、ゆかりは一人で慌てて恋愛感情など持っていないと否定する。

 大人からすれば彼女のそれは照れ隠しにしか見えない。寮生活になってからは年に数えるほどしか会わなくなり、電話やメールもあまりしないので寂しく思っていたが、意外なところで成長と青春を謳歌している証を見ることが出来て、母は娘の態度を微笑ましく思っていた。

 

「ゆかりも恋愛に興味を持つ歳になったのねぇ。可愛いのにそういう話を聞かないから心配してたんだけど、ちゃんと男の子とも仲良くやっているみたいで良かったわ」

「ぐ、うぐぐ……」

 

 管理所に借りていた物を返しながら笑いかけてくる母に、ゆかりは頬を赤らめたまま何も言えず悔しそうにする。

 これでも彼女は花の女子中学生だ。恋愛に興味がなかったなどと枯れた事を言うつもりはないが、貴女を否定するために付き合う事になりましたなどと真相を話す事も出来ない。

 それを照れていると判断したのか、駐車場に向かう途中、母はさらに踏み込んで訊いてきた。

 

「彼氏さんはどういう人なの? お名前は?」

「な、なんで、そんなに訊いて来るの?」

「初めてお付き合いする相手なんでしょう? やっぱり、娘がどういう人を好きになったのかなって気になるの。相手は同級生かしら?」

 

 突然発覚した娘の恋愛話だけに、相手が初彼なのは間違いない。親子では男の趣味は似るか正反対かのほぼ二択であるため、興味津津とばかりに瞳を輝かせて待っていれば、ゆかりは頑なに視線を合わせようとせずにポツリと呟いた。

 

「……同級生だけどクラスは違う。部活仲間の有里君って人」

「へぇ、有里くん。あら、有里? あなたの学校に有里くんっていっぱいいる?」

「よくいる名字でもないし、月光館学園全体で一人しかいないけど?」

 

 珍しい名字ではないが、それほど多い名字という訳でもない。よって、生徒だけでなく教師や警備員も含めて、有里という人物は一人しかいないはずだった。

 訊かれたゆかりがそんな風に答えれば、母はその人物に心当たりがあったらしく、頬に手を当てて緩んだ笑顔を見せた。

 

「あら、あらあらあら。へぇ、籠球皇子とあなたがねぇ。お母さんもテレビで見たけど綺麗な子よね。そうなんだぁ、ゆかりはああいう感じのちょっとミステリアスな子がタイプなのね」

「ちょっ、彼に迷惑が掛かるから絶対に誰にも言わないでよ? 今でも登下校中にマスコミとかが来てたりするんだから」

 

 言われてからゆかりは自分の失言を悟った。

 相手は今もテレビで特集を組まれ、超有名所の芸能事務所からもスカウトがくるほど人気の人物。月光館学園中等部の生徒会長で全国模試一位、助っ人として入った部活では初めて出た全国大会で三連覇を目指していた早瀬たちを苦しめ、個人成績でも優秀選手に選ばれたと話題に事欠かないまさに時の人である。

 娘の通っている学校の生徒が話題になっていれば、保護者も当然それを目にしているため、名前を言ったくらいでは姿までは分からないだろうと思っていたゆかりは、何でタイミング悪く有名になっているんだと心の中で湊に八つ当たりをした。

 そんな複雑な胸中の娘とは対照的に、母は娘が父とは全く異なるタイプの男子を好きになったことを少々意外に思いつつ、一度くらい会って話がしてみたいなと楽しそうな表情で口外しない事を約束する。

 

「フフッ、はいはい。けど、そっかぁ、へぇ」

「ああ、もう、この人ってば面倒臭いっ!!」

 

 こんな風に絡まれるのなら、今日はチョーカーを付けて来なければよかったと後悔するゆかり。

 しかし、既に付き合っている相手までばれてしまっているため、昼食を食べている間にさらに詳しく訊かれることを思い気分が重くなるのを感じながら、彼女は断固として話さないぞと心に決めながら車に乗り込むのだった。

 

昼――ムーンライトブリッジ

 

 ゆかりたちがそんな風に話をしているのとほぼ同じ頃、一台のリムジンが都心から離れ人工島の方へ向かっていた。

 乗っているのは桐条武治と娘の美鶴。そして、運転手と二人のSP。

 朝からポートアイランドインパクトの追悼行事に参加し、午後からは桐条鴻悦や被害者の墓参りに向かう予定である。

 美鶴に関しては学校があるので参加しなくていいと言われていたのだが、祖父の墓参りには確実に行くので、どうせなら一緒に行きたいと結局追悼行事から参加していた。

 しかし、昼食を終えて墓参りに行く前に、寄りたい場所があると桐条が言ったことで、車は霊園とは反対のムーンライトブリッジに向かっている。

 車が目的地に近付いてくると供えるための花束を持ち、桐条は何も話さず窓の外を見つめている。

 普段以上にどこか思いつめた顔をする父に美鶴は声をかけようとするが、その前に目的地についたようで車が橋の中頃で停車した。

 

「ん、あれは……?」

 

 停車した車の外を見ると、美鶴は歩道に誰かがいることに気付く。相手は橋の欄干を掴んで海を眺めながら電話しているようだが、その足元には仏花と思われる花束が置かれており、今日が何の日かを考えれば、ここが何の場所であるかすぐに分かった。

 

「美鶴、お前は乗っておきなさい。他の者も降りる必要はない」

 

 窓から外にいる人物を眺めていた美鶴に桐条が声をかける。用心のために一緒に降りようとしていたSPたちにも車に残れと言って、彼は花束を持って一人車を降りて扉を閉めた。

 

「ああ、ちゃんと待っておく。道に迷わないようにな」

 

 車を降りると既に声変わりを終えた青年の声が耳に届く。電話は終わったようで、相手がズボンのポケットに携帯をしまっているのを眺めながら、桐条はゆっくりと近付いた。

 すると、電話を終えた青年は近付く者の存在に気付いていたらしく、酷く冷たい声色で話しかけてきた。

 

「……何のつもりだ」

 

 声をかけられた時点で立ち止まった桐条の方へ青年は静かに振り返る。右眼に半月型の眼帯を付け、首には黒いマフラーを巻いた青年・有里湊だった。

 右手を上着のポケットに入れながら振り向いた彼は、近付く事を拒むように寒さすら感じる瞳で桐条を見つめ、ここへ来た理由について尋ねてくる。

 彼ら家族にした仕打ちによって恨まれている事を理解していた桐条は、その場に立ったまま真っ直ぐ見つめて返した。

 

「君のご両親に、花を手向けさせて貰おうと思ってきた」

「いらない、帰れ」

 

 相手がはっきりと拒絶の言葉を吐いてきた事で、桐条は僅かに目を伏せて花を手向ける事を諦める。

 今日、英恵は使用人数人を連れて百鬼の実家に墓参りに行っているが、仲の良かった彼女ならここでも花を手向けさせて貰えたのだろうか、と意味のないことを考えながら桐条は顔を上げて青年に話しかけた。

 

「……君は、今も影時間に関わっているのか?」

「聞いてどうする? 身体測定に託けて候補者を探し、適性があれば娘に勧誘させておいて白々しい事を抜かすな」

 

 身体測定での候補者探しを気付かれていた事に対する驚きはない。

 エルゴ研時代、青年は探知型のペルソナを持っていた。カグヤというウサギのようなペルソナとの報告だったが、補助機材を使わなければならない美鶴よりも能力は上だ。

 同じくチドリという少女も、彼に匹敵する被験体トップクラスの索敵能力を持ったペルソナの使い手だったので、美鶴がペルソナ使いであることは入学時点で気付いていただろうし、身体測定で自分たちの力が計測されていることにも気付いていたに違いない。

 気付かれていた事には驚かないが、しかし、隠れて候補者を探していたことで探られていると感じ、相手が不快に思っていたのなら申し訳ないと桐条は謝罪を口にする。

 

「子どもたちを騙すような真似をしていることは詫びよう。だが、シャドウの脅威から人々を守るため、我々にはどうしてもペルソナ使いの協力が必要なのだ」

「その結果が人工ペルソナ使いという人柱か。あれだけの事故を起こしておきながら、世界や人々のためと謳って、平気で無関係な子どもたちを生贄に出来る神経が俺には分からない」

 

 瞳の色が蒼へと変わった青年は、激しい憎悪を宿しながら桐条を睨みつけてくる。

 アイギスを連れて屋久島に現れたあのときに比べればマシだが、桐条は嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、自分が許可して行われた実験という罪過を想って彼の言葉を素直に受け止める。

 

「……ああ、言い逃れはしない。あれは責められて当然の愚かな選択だった。償いきれぬ桐条の罪だ」

 

 召喚器の開発に制御剤の研究、ペルソナの多様性に加えて特定の能力の伸ばし方など、人工ペルソナ使いのおかげで進んだ事や分かった事は沢山ある。

 だが、影時間を消す方法は未だ判明しておらず、タルタロスについての調査も途中から上階に上がれなくなっていることしか分かっていない。

 ポートアイランドインパクトという大事故で多数の犠牲者を出しておきながら、さらに無関係な子どもたち約百名を犠牲にして得た成果として、これで釣り合っているとはとても言えず。シャドウの脅威から人々を守るためという大義名分を掲げようと、自分たちがした行いは決して赦される事ではない。

 そんな風に桐条が言い訳もせず、悔いる様に己の罪を認めれば、

 

「そうやって、お前は……殉教者にでもなったつもりかっ!!」

 

 色が変わるほど拳を強く握りしめていた青年が、堪えられなくなったように叫んだ。

 

「罪だ責任だと言いながら、お前は被害者を見捨てたじゃないかっ。主任は確かに岳羽詠一朗だった。だが、研究を進めさせていたのはお前の父親だろ。どうしておじさんの責任のままにして、世間の悪意に晒される岳羽たちを守らなかった?!」

 

 主任として自身も研究に関わっていた岳羽詠一朗にも罪はある。それを桐条個人に押し付けるほど湊も愚かではないが、当時の報道では主任だった岳羽と桐条グループにバッシングが二分しており、岳羽は“成功に目が眩んだ男”や“成功を焦って大事故を起こした人間”として批難された。

 代表を引き継いだ桐条も事故で怪我を負い、父の死を悼む暇もなく対応に追われて大変だっただろう。グループは日本の就労人口の二パーセントを担っているのだから、その者たちを路頭に迷わせぬよう殆ど休まず働き続けたに違いない。

 だが、グループの力を使えばゆかりたち親子を守るくらいは出来たのではないか。逃げるように各地を転々とするという生活を送らなくてもいいよう、桐条鴻悦が主導していたと公表し、岳羽個人へのバッシングを少しでも緩和することも出来たのではないかと、過ぎた事ながら思わずにはいられない。

 

「お前たちのせいで岳羽たち家族はメチャクチャだ。おじさんの死を悼んでいる暇もなく誹謗中傷を受け、心に傷を負った母親は他者に依存するようになり、娘はその母親を忌避するようになった。それだけ他人の人生を踏み躙っておきながら、いつまで可哀想な自分に酔っているつもりだっ」

 

 湊は岳羽詠一朗と約束を交わしていた。ゆかりのことを守ってあげて欲しいと言われていたのに、最も辛い時期に傍にいて守ってあげられなかった事を悔いてもいる。

 幼い頃にしたものとは言え、約束を忘れて過ごしていた自身の愚かさに怒りを感じている湊は、過去を変えることは出来ないと分かっているからこそ、相手が罪を背負ってばかりで、死に場所を求める様に贖罪に人生を費やそうとしているのを見て苛立ちを覚えた。

 子どもたちを死なせた研究は間違っていたと思っているし、許可を出した者を赦すことは当然出来ないが、相手は父親の犯した罪まで背負って今も人々を守るために尽力しているはず。

 それなのに、何故そうまで自分を責め続けて、当時の状況や苦労も知らぬこんな子どもの言葉すら黙って受け止めているのか。湊はそれが“背負い過ぎる者”への同族嫌悪だと気付かぬまま、黙って聞いている相手へ八つ当たり染みた言葉をぶつけ続ける。

 

「お前は償うと言ったが、どうやってだ? 失われた大切な物は帰って来ない。プラスからマイナスにまで落ちた以上、お前がどうやって償おうとも、ゼロに近付きはすれどプラスになることは絶対にないっ」

「……済まない」

「お前のそんな安い言葉なんていらないんだよ! 済まないと思うなら、今すぐに奪った物を返せ! 両親を、被害者を、子どもたちを、チドリの寿命を返せっ!!」

 

 嘘でもいいから、「犠牲となった者に報いるために影時間を終わらせてみせる」と、それくらいは言って欲しかった。

 だが、青年から両親を奪い、大切な少女の寿命を削り、仮初の恋人の父親と家族の平穏を奪った加害者でしかない桐条は、そんな事を言えるほど図々しく楽観的な性格ではなかった。

 無責任な事は言わないというのは、大人としては誠実で正しい対応だろう。けれど、それが余計に青年を苛つかせて、蓋をしていた思いまで言葉にして出してしまう。

 そう、それは閉じていた扉を再び開くほどの感情の発露だった。

 

「…………ぐ……がっ」

「一体どうした? 大丈夫か?」

 

 突然、胸と右眼の眼帯を押さえて苦しそうに膝をつく湊。桐条は相手が急に倒れた事で近付きかけるが、苦しそうにしながらも湊が睨むことで制してきたので立ち止まる。

 相手の出自を知っている桐条も、百鬼がどのような一族か知っているだけで、その詳しい生態については聞いていない。

 だからこそ、学校に提出されていた医師の診断書は本物だったのではないかと考え、救急車を呼ぶべきかと携帯を取り出す。

 すると、

 

「がっ…………あ、出て……くるなっ」

 

 苦しそうにしていた湊が、何かを抑え込むようにしていたとき、彼を中心として何かの力が広がり始める。

 目に見えないが、空気の密度が増したような感覚を覚え、桐条がふと空を見上げればそこには街の上空を覆い尽くすほど巨大なナニカがいた。

 

「これは……」

 

 太陽が雲で隠れたかのように街全体が薄らと暗くなる。上空にいるソレは半透明な身体をしていてはっきりとは見えないが、長い胴体を持った龍に似た存在のように見える。

 もしや、これが彼のペルソナかと考えたが、そのとき道路に止めていた車のドアが開き、心配した様子の美鶴が降りてきて湊に駆け寄ってきた。

 

「有里!」

 

 相手が湊だと気付いた時点で心配でずっと見ていたのだろう。青年が急に苦しそうに蹲ったことは予想外だっただろうが、ずっと見ていただけあって反応は速かった。

 今の危険な湊に近づこうとする娘を桐条が止めようとするも、彼のことしか目に入っていない美鶴は横を走り抜けて傍にいこうとする。

 けれど、心配して駆け寄ってくる少女を、青年は銀色になりかけた瞳で睨みつけ声を荒げて拒んだ。

 

「俺に近付くな!」

「しかしっ」

 

 怒鳴られたことで五メートルほどの距離で立ち止まる美鶴は、明らかに様子のおかしい相手が心配だった。

 荒い呼吸で額に脂汗を滲ませ、苦しそうに眼帯と胸を押さえたまま何かに耐えている。これで大丈夫だと思う方がおかしい。

 だが、彼がそうやって何かに耐えている間も何かの力は拡がり続けていた。

 そして、その力を通じて、突然覚えのない光景が映像として美鶴たちの頭の中に無理矢理に流れ込んできた。

 

「これは、何かが流れ込んでくるっ」

 

 影時間に横転して炎上している車、見た事もない髑髏のシャドウと戦う二体のペルソナ、建物の中で次々と切り殺されていく大人たち、頭を銃で撃ち抜いた女性。場面は飛び飛びのようだがいくつもの恐ろしい光景が“自分の視点”で流れていく。

 どうしてそんな物が見えたのかは分からないが、状況を考えれば先ほどの光景がなんであるかは美鶴にも想像がついた。

 

「有里、君は一体……」

「湊君っ!!」

 

 先ほどの光景が彼に繋がるのが信じられず、美鶴が呆然としながら青年に近付こうとしたとき、急に背後から声が聞こえて銀髪の少女が駆けこんできた。

 少女は苦しそうな湊の隣にしゃがみ込んで様子を確かめるなり、顔を上げ険しい表情を向けて激しい怒りをぶつけてくる。

 

「アンタ、湊君に何しはったんよ!」

「違う、私は何もっ」

 

 状況から見れば一番近い位置にいた美鶴が、湊をこんな目に遭わせたようにしか見えない。

 けれど、相手は父と話していたら苦しみ出したので、自分は何もしていないと首を横に振って否定した。

 相手は青年が心配でそれを最後まで見ていなかったが、横にしゃがんだまま背中に手を回して不安な表情で声をかけている。

 

「湊君、マズイて、このままやとっ」

「俺を、海に捨てろ……阿眞根が…………出てくる前に、早くっ」

 

 湊の様子から察するに時間は残されていないのだろう。胸と眼帯を押さえたまま、青年がほとんど銀色になった瞳を少女に向けて叫べば、少女はとても辛そうな顔で一度下を向いて、

 

「……ゴメン、湊君っ」

 

 そう言うなり、何を思ったのかその細腕で湊を抱えるように立ち上がると、一気に飛びあがって欄干の向こう側へ一緒に飛び降りていった。

 ここから海面までは数十メートルある。おまけに陸にぶつかって戻る海流と沖から入ってくる海流がぶつかり、橋の下は激しい海流が流れるポイントとなっていてまともに泳ぐ事など出来ない。

 少女と湊が飛び降りるのを見て慌てて欄干に駆け寄った美鶴は、小さくなっていく二人が最後は白い泡を立てながら海の中へと沈んでいくのを見ているしかなかった。

 だが、二人が海に消えていったおかげか、先ほどまで一帯を覆っていた何かの力は霧散し、上空にいた見えない龍のような存在も消えていた。

 太陽の光に照らされた海面を見ていた美鶴は、父がグループの者に電話をかけて飛び込んだ二人の捜索の指示を出し終えるのを待ってから声をかけた。

 

「お父様、今のは?」

「……分からない。だが、今の事は忘れろ美鶴。彼には関わるな」

「しかし、彼は……」

 

 問われた桐条は車に向かいながら淡々と返して来た。しかし、忘れろと言われても安否不明な状態でそう簡単に忘れられるはずがない。

 なにより、銀髪の少女は初めて見る顔だったので分からないが、今日という日とこの場所の事を思えば、流石の美鶴も過去のデータが存在しない青年の正体に気付けてしまう。

 

「あの日、ムーンライトブリッジで亡くなられたのはある家族だけです。そして、その家族の件以外にムーンライトブリッジでは事故は起きていません。つまり彼の、有里湊の本当の名は…………百鬼八雲ではないのですか?」

「お前も調査部の報告には目を通したのだろう? 彼は有里湊だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「ですが、お父様っ」

 

 八年前、ムーンライトブリッジの事故で親友家族を失った母の姿を今でも覚えている。英恵にとって八雲という少年は実の娘である美鶴と同等、血の繋がりなど関係なく大切な息子として可愛がっていた。

 自分の母親が他の子どもに愛情を注いでいることに嫉妬を覚えなかった訳ではないが、宗家にいて自分と会えない母を元気付けてくれていると思えば、ほとんど会った事のない少年にも感謝できた。

 その息子と親友を一度に亡くしてしまった英恵は、絶望に染まって本当に死んでしまうのではないかと不安だった。

 今でこそ自然な笑顔を見せてくれるようになったが、数年前まではまだどこか無理をして笑っているようで、彼女の時計はあの日から止まっていたのかもしれない。

 一昨年の誕生日パーティーで、七歌から八雲がきっと生きていると聞いたときは狂気の片鱗を見たが、もし今生存していたことを知ったらどうなるか。

 危険な賭けではあるが、父が真実を話そうとしないなら外堀から埋めていくしかない。話すのは海に落ちた二人の安否が判明してからにするが、美鶴は母親のためと真実を知りたい自分の気持ちを優先し、車に乗り込んでシートベルトを締めるなり父に自分の考えを伝えた。

 

「……お母様には報告させて頂きます。八雲が見つかったと」

「……好きにしろ」

 

 帰ってきた言葉は美鶴の主張を否定する物ではなかった。つまり、遠回しに湊の正体が八雲であると認めたことになる。

 父が何を隠しているのかは分からないが、先ほど流れ込んできた恐ろしい光景が青年の記憶であるなら、自分は初のペルソナ自然獲得者ではなく、百鬼一家を襲った事故はただの事故ではなかったという事だ。

 そんな事を考えながら美鶴は、ショッキングな光景を見た衝撃と、予想だにしなかった有里湊の正体に胸中複雑な思いを抱えながら、発進する車の外を眺めて心を落ち着かせようとするのだった。

 

 

――海岸

 

 苦しんでいた湊と共に海に飛び込んだラビリス。海に入ったことで状態が沈静化した湊を抱えながら、彼女は潜水でムーンライトブリッジから五キロほど離れた場所にある海岸に辿り着いていた。

 

「ごほっ、ごほっ」

「苦しい思いさせてゴメンな。けど、見つかったらマズイ思たから気付かれんように移動してん」

 

 まだ日が落ちていないため、ほとんど人の寄りつかないような場所を選んだが、その分距離が伸びてしまい。呼吸を必要とする湊にはきつかったようで、苦しそうに咳き込んで水を吐いている。

 しかし、潜水で長距離を移動したおかげで、遠くに見えるムーンライトブリッジの下に今頃到着した捜索隊と思われる桐条グループの船に見つからずに済んだ。

 流石にあの場に留まっていればソナーに引っ掛かっていたので、海に潜ってすぐに海流に逆らうよう泳いで移動して正解だったと、ラビリスは湊の背中を擦ってやりながら考えていた。

 湊は湊で飲んでいた海水を吐き出し、呼吸できるようになって少し落ち着いたのか、砂浜で片膝を立てて俯いているため、情報を整理したいラビリスは彼の背中を擦りながら先ほどの事を尋ねる。

 

「なぁ、さっきの変な力はなんやったん?」

「あれは……阿眞根、俺と繋がってる異界の神が顕現する予兆だ。感情の昂りに呼応して顕現し、俺を“望みを叶える存在”に変える」

 

 研究所で魔眼の話を聞いたとき、神が実在していた事はラビリスも聞いていた。

 なので、異界の神とやらがいると聞いても特別驚きはしないが、湊を別の存在に変えるという部分の意味は分からず、首を傾げつつも気になっていたもう一つの事柄について訊く事を優先することにして話を続けた。

 

「あのとき力を通じて映像が見えてんけど、影時間に横転した車とか研究所みたいなとこで沢山の人が死んでたのって……」

「俺の記憶だろうな。君は命令されて姉妹機を殺してきたと言ったけど、俺は自分の意志でそれよりも大勢の人間を殺して来たんだ」

 

 少々躊躇いがちに尋ねるラビリスに、湊は顔を上げずに俯いたまま答える。

 彼女は湊の過去については事故で両親を失っているなど、簡単なことしか聞いていなかったため、その手が血で汚れていると聞かされ驚く。

 

「事故では両親を見殺しにして、研究所では脱走に巻き込んで被験体たちを殺した。脱走を阻もうとしてきた桐条グループの人間たちを一晩で一六〇人以上殺して、それからは人を殺して金を得る仕事を始めた。だけど、外国に行ったときにもう一人の母親を巻き込んで殺して、それから憎しみだけでテロリストと久遠の安寧のやつらを殺し続けたんだ」

 

 だが、少女のそんな様子に構わず、青年は俯き前髪で目が隠れたまま、弱々しくも言葉を続けて話すのを止めなかった。

 そこでラビリスは彼が自分にこの事を知られたくなかったのだと察する。いや、もっと言えば、自分だけでなく、あの力に包まれた場所にいた他の者たちに見せたくなかったのだろう。

 感情の昂りを引き起こしてトリガーを引いたのは、あの場所にいた男性と少女のどちらかに違いない。

 少女の方は誰か知らないが、ラビリスは男性の方はデータとして知っていた。あの男の名は桐条武治。現在の桐条グループ総帥にして、ラビリスの実験と湊の両親の死亡事故にも僅かに関わっている者だ。

 あの男が一緒にいたのなら、桐条グループを恨んでいる湊が、憎しみと怒りで感情を昂らせるのはある意味当然。

 仕事が終わって街を散策しながら合流場所を目指していたが、こんな事になるならタクシーで真っ直ぐムーンライトブリッジに向かっていれば良かったと後悔する。

 しかし、起こってしまった事は変えられない。だからせめて、話したくないなら話さなくていいと青年に告げた。

 

「……もうええよ」

「ははっ、驚いただろ? 俺は既に二万人以上殺してる化け物だ。君たちを人間にしようとするのも、チドリの世界を守ろうとするのも、他者を幸福にする事できっと無自覚にそういった罪から逃げようとしてるんだ」

 

 長い前髪の隙間から見えた彼の瞳は蒼く輝き揺れていた。自嘲的に口の端を吊り上げ、乾いた嗤いを漏らす青年はとても小さく見える。

 対シャドウ兵器を圧倒するほどの戦闘力を持ち、自分の望む未来のために進み続ける姿を見ているせいで忘れそうになるが、彼も一人の人間であり、まだまだ子どもと言える年齢だ。

 だというのに、この青年は全部背負い込みながら弱音も吐かず、ずっと独りで我慢して心の痛みに耐え続けている。

 

「ゴメン、ゴメンな湊君っ」

 

 その事に気付いたラビリスは、助けを求める事も知らない青年に憐れみを覚え、しっかりと正面から抱きしめると、彼の頭の後ろと背中に腕を回しながら気付いてやれなくて済まなかったと謝罪した。

 この青年は誰よりも強い。だがその強さの奥に誰よりも危うい脆さが隠れていた。

 彼は誰にも弱さを見せないため、阿眞根が顕現しかけて衰弱していなければ、ラビリス自身彼の脆さに気付けなかったと断言できる。

 よくこんな繊細な心で対シャドウ兵器を上回るほどの強さを手に入れられたものだと思ったが、その考えはむしろ逆で、心の痛みを無視してでも進み続けなければ目的を果たせなかったのだろうと彼女は察した。

 目的を果たした彼は、自分がどれだけ傷付いていようと得られた結果を見て満足するに違いない。

 しかし、一人の青年だけに代償を払わせ、彼という犠牲の上に成り立つ平和など、本当に守っていかなければならないのかラビリスには分からなかった。

 

 

深夜――巌戸台分寮

 

 影時間を過ぎた深夜、二階のとある一室で少年が一人、額に脂汗を滲ませながら苦しそうに発作に耐えていた。

 

「ぐっ……出てくるんじゃ、ねえっ」

 

 歯を食いしばりながらベッドの上に蹲り、勝手に出てこようと半透明な状態で現れている自身のペルソナを抑え込む。

 力に目覚めたばかりのころはそれほど問題にならなかったが、戦闘を続けて力を付けてくると、徐々にコントロールが利き辛くなり、たまに暴走が起きて勝手にペルソナが出ようとしてくるようになった。

 今のまま力を付けていけば、近いうちに完全に暴走して制御できなくなる事態に陥るだろう。

 けれど、まだ大丈夫のはず。ペルソナは心の力だ。屈服しなければ、まだもうしばらくは抑え込んでおける。

 

「おわった、か……はぁ、はぁ……」

 

 ようやくペルソナが落ち着いたことで、荒垣真次郎はうつ伏せでベッドに倒れ込み、乱れた呼吸を整える。

 このままペルソナが強くなり制御を離れるようになれば、暴走したペルソナに取り殺されぬよう、桐条グループが開発したという制御剤の世話になる必要が出てくるだろう。

 だが、制御剤は劇薬であるため、内臓の機能や自律神経に影響が出て寿命を削るという怖ろしい副作用がある。

 死を意識してペルソナを召喚しているだけあって、荒垣は普通の高校生よりは死の恐ろしさについて知っているつもりだ。

 だからこそ、ペルソナが暴走する危険があっても、寿命を削る薬を服用する気にはなれない。ペルソナの暴走はまだ起きない可能性もあるが、制御剤は飲めば確実に寿命が縮まってしまうのだ。

 呼吸が落ち着いた荒垣は用意していたタオルで汗を拭きとるなり、消耗した体力を回復させようと目を閉じて眠りに落ちていった。

 

 

 




原作設定の変更点

 ムーンライトブリッジには車道だけでなく外側両方に歩道もあると変更。

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