【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百五十三話 罪の重さ

10月11日(木)

夜――巌戸台分寮・作戦室

 

 あの日から一週間が過ぎた。影時間に起きたことは記憶に補整がかかるため、女性の死亡原因は飲酒運転の車が突っ込んだ事故として処理された。

 母子家庭だったらしく、月光館学園に通う小学三年生の一人息子“天田 乾(あまだ けん)”という少年は、親戚に貰われるか、母の保険金と親戚からの援助で寮に入って学校に通い続けるか、現在はそのことで色々と揉めているらしい。

 最終的には少年の判断に委ねられるだろうが、美鶴にとってはあの日からほとんど部屋に籠もりきっている荒垣のことが心配だった。

 

「彼とはまだ話せていないのかい?」

「ええ、事故……と言ってしまっていいのか分かりませんが、自分の引き起こした件についてまだ心の整理が付いていないようです」

 

 作戦室のソファーに座り、コーヒーを飲みながら先日の報告書に目を通した幾月が美鶴に尋ねる。

 荒垣は自然適合型の天然ペルソナ獲得者ではあるが、その適性に関しては美鶴や真田ほど安定しておらず、弱点を持たない強力なペルソナを彼は完全には制御しきれていなかった。

 今までの活動中は問題なく召喚して制御出来ていたが、実戦を積んで力が増すにつれて抑えるのが難しくなり、あの日の戦いを経てついにキャパシティを超えてしまったらしい。

 幾月に答える美鶴自身も、自分たちの活動が原因で犠牲者を出してしまった事を激しく悔いている。危険だと思いつつもペルソナで攻撃を仕掛けて止めておけば、あの女性が逃げるくらいの時間は稼げたのではないか。

 既に事が起こってしまった以上、考えても不毛なことかもしれないが、それでも防げる可能性があったことは確かだ。

 突然の事態に冷静さを欠いて動けなかったのも、起こるべくして起こったペルソナの暴走を事前に予想出来ていなかったのも、全ては自分の見通しの甘さが起こした事だったと美鶴は猛省した。

 紅茶のカップに視線を落として黙る美鶴を見て、幾月は思い悩むのも無理はないと同情的な視線を送り、気を遣うように言葉を選びながら話しかける。

 

「今回の件で桐条グループが君たちに処罰を与えることはない。元々、君たちにしか出来ない事だからね。巻き込んでしまっている私たちにそんな事をする権限はないんだ」

「ええ、その事は聞いています。むしろ、カウンセリング等で心のケアをするので必要ならいつでも言うようにと」

 

 学校の部活という体面を取っているS.E.E.S.は、桐条グループ内の私設組織ではあるが軍隊という訳ではない。

 ペルソナという強大な力を私的に利用したり、余計な混乱を招くような行動を取れば謹慎や拘束なりを課したりする事もあるが、明確に規約を設けて規約違反は処罰するといったような事はしていない。

 そも、この活動は全て大人たちの尻拭いなのだ。サポートしか出来ない大人に代わって、美鶴や真田たちが戦ってやっているというのに、それで大人が偉そうに命令や罰則を課してくる方がおかしい。

 無論、美鶴たちにも個々人で戦う理由は存在する。大切な人をシャドウの脅威から守りたい、どんな困難も覆すだけの力が欲しいなど戦う理由は様々だ。

 そんな者たちにすれば、代わりに戦ってやっているという意識はないかもしれないが、大人たちとしては巻き込んでしまっている負い目からか、今回のことでショックを受けている子どもたちのケアをするため、辰巳記念病院の精神科にくればカウンセリングをすると言ってきていた。

 

「ペルソナは心の力だ。君や真田君のように安定した適性を持っていても、精神的に不安定な状態であれば、力を発揮出来なかったり、制御できなくなったりもする。何より多感な時期だからね。心に負った傷というのは治りにくい。私たち大人としては君たちのそんな姿は見ていて辛いのさ」

「お気遣いありがとうございます。荒垣にもまた伝えておきます」

 

 教師ではないが、幾月は理事長として子どもたちを見守る立場にある。しかし、前線という目の届かない場所で今回の事故が起きてしまっただけに、子どもたちには申し訳なく思って色々と気を遣っているのだろう。

 美鶴も相手のそういった思いやりを理解して微笑み、今は心の整理が付かず引き籠もっている荒垣にもちゃんと伝えておく事を約束した。

 

――荒垣自室

 

 目を閉じれば瞼の裏に鮮やかな血の色と少年の絶望に染まった表情が映り込み、耳を塞げば人の潰れるグチャリという音と少年の絶叫が聞こえてくる。

 壁に背中を預けてベッドに座りこんでいた荒垣は、苛立った様子で舌打ちをして枕を乱暴に殴りつけた。

 

「ああっ、クソがっ!!」

 

 八つ当たりで枕を殴ったところで気持ちなど一切晴れない。

 自分が殺した、殺してしまった、幼い少年から母親を奪ってしまったのだ。ペルソナの制御が危うくなっていることを伝えていれば避けられた事故だった。

 それを制御剤の服用を勧められるかもしれないと恐れた事で、無関係の人間の命を奪って人生を滅茶苦茶にしてしまった。

 ペルソナは心の力であり自分自身だ。自分のこともまともに制御出来ない半端な人間が、我儘で恐いことから逃げた結果がこの様だ。

 どれだけ謝罪しても赦されることではなく、また償う方法など一つも思い付かない。

 幼馴染が心配で、特別な存在というものに少年として僅かな憧れを覚え、そうして力を手に入れたというのに、力を持ったことで発生する責任についてまるで理解していなかった。

 

「どこまで図々しいんだ、テメェは!」

 

 そして、あれだけの事故を起こしていながら、荒垣はまだ制御剤の服用を恐れて踏ん切りがつかないでいた。

 死を恐れるのは生物として当然だ。恐れない者がいるとすれば、それはどこか壊れてしまった者だけだろう。

 だが、荒垣はもう二度と暴走を起こさないよう、制御剤を服用するのが自分の義務だと考えていた。

 死を恐れて服用しなければ、またいつか暴走を起こして誰か犠牲者を出してしまう。女性を殺して、少年の人生を滅茶苦茶にしておきながら、自分の命惜しさに人々を危険に晒すなど、そんな甘えたことは許されない。

 力を捨てることが出来たならそうしたが、制御剤を服用し続けることでの封印しか出来ないのなら、彼はこの力を封印して捨てた事にしようと思った。

 仲間たちには止められるだろう。そんな薬に頼らずとも、次に暴走が起きれば自分たちが止めてやると。

 けれど、暴走したペルソナはリミッターが外れているようなものだ。さほど強さの変わらない彼らのペルソナでは、リミッターが外れた状態で暴れるペルソナを、完璧には押さえられないかもしれない。

 何より、今回は自分の事もまともに制御出来なかったことで起きたのだ。それで他人の力に頼っても何の解決にもなっていない。

 暴走しても大丈夫なように対策するのではなく、そもそも暴走しないようにする必要がある。

 だから荒垣は、自分の力を制御剤で封印し、近いうちにこの寮を去ろうと考えていた。

 

――中央区・湊自宅

 

 中央区にある高級マンションの最上階、その最奥の角部屋である湊の家の広いバスルームでラビリスはお風呂に入っていた。

 アイカメラのレンズ洗浄液である涙は出るが、人間と違って汗などの代謝物の出ない彼女は、別に数日お風呂に入らなくとも臭くなったりはしない。

 しかし、外に出れば空気中に存在する塵や埃が付着するので、身体を清潔に保つにはちゃんと毎日お風呂に入る必要があった。

 何より、彼女はお風呂に浸かってゆったり過ごす時間が好きで、バスタブのないEP社のシャワールームにはがっかりしたが、一緒に暮らす事になった湊の部屋のお風呂は二人で入っても足を伸ばせるほどの広さがあった事で、彼女は一日の終わりのお風呂を楽しみにするようになっていた。

 普段はポニーテールにしている長い髪を解き、バスチェアに座りながらよく泡立てた花の香りのシャンプーで丁寧に頭を洗っていた彼女は、バスタブの方へ振り向くと少々呆れた顔で口を開いた。

 

「……なぁ、それやっぱ間違っとる思うんやけど?」

 

 ラビリスの視線の先、とても大きく広いバスタブの底には、全裸の湊が目を開けたまま寝転がって沈んでいた。

 普段は沢山付けているアクセサリー類はマフラーに収納され、そのマフラーをフェイスタオルサイズにしてバスルームに持ちこみ、今はバスタブの縁に引っ掛けて置いている。

 いつ敵がやってこようと戦えるように武器を傍に置いておくための癖だが、別にラビリスはサイズ変更したマフラーをお風呂に持ちこんでいる事を変だと言っているのではない。

 普通お湯に浸かるときは、座って肩や首辺りまでをお湯に浸からせ、顔や頭は水上に出しておくはずなのだ。

 だというのに、青年はぼーっと中空を見つめる様にお湯の中で目を開けて、ラビリスがシャワーで身体を洗い始めたときから、既に十分近くは沈んだままでいる。

 一緒にお風呂に入るようになったのは使い方を教えた初日からで、幻惑機能で胸や性器まで人間そっくりの見た目になっている身体を湊に見られようと、相手が同性でもあると教えてもらったラビリスは気にしていない。

 だが、その変な入浴スタイルは色々と心配になるので、もっと普通に座って入ってくれといった視線を送れば、湊はぷくぷくと口から空気の泡を吐きながら上体を起こした。

 

「あーあ、貞子みたいになっとるよ?」

「……誰にそんなの聞いたんだ」

 

 入浴中は湊も髪を解いているため、お湯の中で揺らめていた長い髪が顔に張り付いて、お湯から出た彼はホラー映画の登場人物のような姿になっていた。

 ラビリスからそんな指摘を受け、顔に張り付いた邪魔な髪を整えて背中側に送っていた湊は、一体どこの誰がそんな俗っぽい知識を彼女に与えたのだと嘆息しながら尋ねる。

 すると、リンスとコンディショナーを洗い流し終えたラビリスが、湯船に入って湊と正面から向き合うようにお湯に浸かってから答えた。

 

「シャロンさんが教えてくれはってん。貞子っていう湊君に似たようなのがおるって」

「普段は髪を結ってるし、髪が顔にかかってることなんて滅多にないぞ」

「なんやよう分からんけど、貞子ってのも湊君みたいに男で女らしいわ。あ、湊君に似てるっていうのは、湊君が準中性やって話のときに出てきてん」

「……見た目と登場作品しか知らなかったから、プロフィール含めてそこまで突っ込んで言われたのは初めてだ」

 

 湊は本をよく読む方だが、映像作品や話題になった小説などは余り目を通していなかった。そのため、貞子の姿や出てくる作品のタイトルとジャンルは知っていたが、女性だとばかり思っていた相手が男でもあると聞いて少々驚く。

 ラビリスも同意するように頷いているため、彼女もきっと話を聞いてから姿を見て驚いたりしたのだろう。

 とはいえ、そんなホラー作品の登場人物と共通点があったところで別に嬉しくはない。変な事をラビリスに教えたシャロンに今度文句を言おうと心に決めつつ、足を伸ばした状態で背中を壁側に付ければ、足の間に入る様にラビリスが座って背中を預けてきた。

 昔、イリスと一緒に入浴するときは体格差で男女のポジションは反対だったが、身体が大きくなった湊とそれほど身長の高くないラビリスでは、湊が椅子役になって後ろから腕を回すのが最も安定したスタイルになっている。

 お尻を置くポジションも定まり、ベストと思われる体勢になったラビリスは足の先まで伸ばし、少し熱めのお湯の中リラックスして全身の力を抜いてだらしない表情を浮かべた。

 

「ほわぁ……一日の疲れが取れていくわぁ」

「昼まで寝てただろ」

「湊君はな。ウチはちゃんと朝に起きて部屋の換気してから、洗濯物を干したり、ベランダの花のプランターにお水あげたりしとったよ」

 

 失礼なことを言ってくる青年に、少女はジトっと責めるような視線を送り、そんなだらしない生活をしているのはお前だけだと告げる。

 両親の命日に事故現場で桐条と遭遇した事で、湊は感情が昂り阿眞根を呼び出しかけた。完全な召喚はやってきたラビリスが湊を海に放り込んだことで防がれたが、あの日から湊は学校に行かないで部屋でゴロゴロしたり、EP社で研究を進めたりと自由な毎日を送っていた。

 捜索に出た桐条グループに発見されず、水没で壊れた学校用の携帯は買い換えてデータを移したっきり電源も付けていないので、学校側にすれば突然の長期無断欠席に驚いている事だろう。

 ちゃんと学校に行かなければ駄目だとラビリスも言っているのだが、学校に行かなくても成績で困ることはなく、EP社での研究や難病患者の治療を行う方が人の役に立っているため、彼女としてはあまり強く言う事が出来ていない。

 学校に行かなくなった理由がはっきりとは分からず、ペルソナという心の化生を通じて起こった感応現象であの場にいた人間に記憶を見られたことが原因かと推測するも、湊は別に自分が人殺しであることを隠していないので、心配しているラビリスとしてはよく分からなくなってくる。

 一応、ラビリスが動作チェックやメンテナンスという研究協力のために出社するときには、湊も起きて準備して会社か病院に顔を出して仕事をしている。

 今日のように昼まで寝ているのはラビリスが休みの日くらいなもので、起きてからは在宅で仕事をしつつ、ラビリスに高校入試に向けた勉強を教えたり。料理や掃除に裁縫といった家事を教えていることもあって、別に何もせず家でゴロゴロしているようなプー太郎という訳ではない。

 だが、やはり本業は学生のはずなので、ラビリスとしてはちゃんと学校をメインに考えた生活を送って欲しいのが本音だった。

 

「あ、そういえば、ニュースでやってたポートアイランド駅近くの路地裏であった事件やけど、あれって変やなかった? 車が突っ込んだいう話やったけど、映った事故現場の様子が車がぶつかった程度じゃ無理っぽい壊れ方してたように思うんよ」

「……まぁ、影時間に発生した案件だからな。桐条側のペルソナ使いが暴走を起こしてしまったらしい」

 

 バスタブの傍に置いていた洗面器に入れていたアヒル隊長とアヒル隊員たちを湯船に浮かべ、手で波を作って遊びながら尋ねるラビリスに湊がすんなり答えを告げる。

 学校に行かなくなっていると言っても、シャドウ狩りは続けており、影時間にはタルタロスへ訪れてシャドウを狩る合間にラビリスにペルソナを使った戦闘指導をしたりしている。

 そして、事故発生時刻もタルタロスに籠もって戦闘を行っていて、感知型のペルソナを所持している湊は、不自然なペルソナの波長を感知して何があったのか一部始終を能力の目で視ていた。

 時流操作はチドリやアイギスたちの事以外では基本的に使わなくなったため、飛んでも間に合わないと思った湊は被害者の女性を見捨てる選択をしたが、久遠の安寧との戦争中に人間の汚い部分を視続けていた事で、彼は“人類は本当に救うに値する存在か?”という疑問を今も持っている。

 そんな疑問を持っている状態でも、手の届く範囲で人を救い続けているのだから、自分の寿命を縮める可能性のある異能の使用を拒んで、自分とは無関係な事故の被害者を見殺しにしたところで、誰からも文句を言われる筋合いはないだろう。

 そう、その事故の加害者が自分の知り合いであったとしても。

 

「桐条側のペルソナ使いって湊君の学校の先輩ちゃうの?」

「ああ、ただの先輩だ」

「ああ、うん、その人らに興味無いんやね……」

 

 目の前で困っている人がいれば助けるくせに、この青年は基本的に他者に関心がない。例えば、同じクラスになって名前やプロフィール等を把握しても、関心がない相手なら別に転校しようが事故で死のうが気にしないのだ。

 部活メンバーと集まるときに一緒に遊んだり、お互いに連絡先を交換していたりしている相手であっても、極端な青年の感性にすれば分類上はただの知り合いでしかないらしく、ラビリスとしては乾いた笑いで返すしかない。

 一応、街中で遭遇する事もあるだろうからと、ラビリスは湊から確認されているペルソナ使いの情報を聞いている。

 桐条側が美鶴たち三人、ストレガ側がタカヤたち六人、仮面舞踏会側がアイギスも含めて五人。そして、ベルベットルームの住人は正確にはペルソナ全書使いでペルソナ使いではないが、イゴールも含めて四人といった具合だ。

 もっとも、ベルベットルームの住人である力の管理者三人は、湊に案内されて出てくることはあれど、影時間だろうと彼女たちが現実世界で戦う事などまずなく。客人である湊と思想の違いから敵対することもない。

 彼女たちはあくまで客人のサポートをしながら、どういった道を進んでいくのかを見守るのが仕事だ。観測者が盤面に降りてきてはゲームは正常に進行しなくなる。湊の行き着く先を見たがっている彼女たちがそんな事をするはずがないので、彼女たちのことは勢力としては考えなくていいだろう。

 そうすると、仮面舞踏会側に属してはいても基本的に海外にいるソフィアや、湊にペルソナを盗られたまま屋久島で眠っているアイギスも戦力には数え辛いため、仮面舞踏会側は湊・ラビリス・チドリの実質三人で、この街の周辺にいるペルソナ使いは十二人となっていた。

 

「暴走を起こしたってことは、適性が足りてなかったんかな?」

「暴走は精神が不安定な状態でも起こり得るが、今回の場合はそうだな。荒垣先輩のペルソナは弱点を持たないタイプで、力と耐久に優れている強いペルソナだったんだ。もっと適性が高ければ強引に押さえつけられただろうが、ギリギリの適性で目覚めてこの様って感じだな」

「人が亡くなってはるのに、そういう言い方はアカンやろ」

 

 最後に嘲る様に口元を歪める湊をラビリスが注意する。

 彼が桐条グループを嫌っている事は知っているが、それでも無関係の人間が死んでいて、加害者も桐条側に属しているだけの元々は関係のない少年である。

 相手のことを心配してやれとまでは言わないけれど、馬鹿にするのは人として駄目だと諌めれば、湊は後ろから回した手でラビリスのお腹を撫でて遊びながら興味なさげに返して来た。

 

「……しっかりと駒の健康管理でもしてれば防げた事故だろ。それを怠って実際に犠牲者を出す事故が起きて落ち込んでるのを見れば、誰だって莫迦だと嗤いもするさ」

「そんなん湊君だけや。普通は亡くなった人が可哀想やなって思ったり、ちゃんとしてたら事故は起きんかったのにって加害者側に憤りを感じたりするくらいやろ」

「個人の感じ方に対して、数が多いだけの大衆の意見で諭そうなんて不毛だ」

「……屁理屈捏ねる湊君に口で勝つのは諦めるけど、言いながら人のお腹とか胸触って遊ぶのやめてくれはるかな?」

 

 知識が豊富で知能も高いのに捻くれている青年に口で勝つには、人生経験によって培われた強かさが必要になる。

 イリスや英恵に桜といった大人の女性たちは、彼の優しさと身内への甘さを利用して言いくるめる事も出来るが、残念ながら少女には女性たちほどの策はないので、諦めて皮肉で返しつつ、胸とお腹を撫でている彼の腕を掴んだ。

 変質者のような厭らしい手つきで触れていた訳ではなく、子どもが変わった感触の物を触るような感じで、一切下心がないことを理解していたラビリスも別に不快には思っていなかった。

 ただ、それはそれ、これはこれはということで、身体を離して正面から向き合う形になって、ラビリスはどう言ったものかと考えながら、とりあえず相手が胸が好きなのかどうかを確かめることにする。

 

「胸触って楽しいん?」

「別に……手持無沙汰だっただけだ」

「まぁ、この身体を作ったんは湊君やし、触れた事のない場所なんて無いやろうから今さらかもしれんけどさ。ウチの体型データが微妙に変わってるんは湊君の趣味なんかな?」

 

 ラビリスの現在のボディは八割以上湊が一人で作った物である。外身のフレームだけでなく、中身やコアである黄昏の羽根まで、湊が触れていない場所などないと言ってもいい。

 それを思えば暇だからと胸で遊んできたところで、自分の方が設定年齢的に年上である事も手伝い、“まぁ、変な子だしな”と寛容な心で赦そうと思える。

 けれど、元の五式ボディと現在の新ボディで体型に差異があるのは、やっぱり青年も男の子で自分の理想を反映してきたのかと彼女は考えた。

 だが、言われた方にすれば初めて聞いた情報であり、どういう事かを詳しく尋ねた。

 

「体型データが変わっているとは?」

「胸とお尻が少し大きなってて、腰辺りが細なってくびれて見えるようになっててん。まぁ、数センチ程度の違いやけど、湊君が作ったんやから湊君が数値変えたんやろ?」

 

 確かに作ったのは湊だが、外装のリメイクを担当して型を作ったのは武多である。趣味でフィギュアを自作するだけあって、彼の造形センスは優れており、五式とほとんど変わらないまま、より美人に見えるように五式ボディでは造りの甘かった部分に修正を加えていた。

 よって、数値が変わっているとすれば自分のせいではない。その事を湊ははっきりと告げた。

 

「……俺はちゃんとミリ単位で正確に設計図に書き起こしたぞ? 数値に変更があったとすれば、シャロンか武多あたりが五式の設計図をEP03タイプにするときに、より人間らしく見えるように全体のバランスを調整したんだと思う」

「あ、そうなんや。てっきり湊君は胸が大きい方が好きなんやと思ってたわ」

「……前に他のやつにも同じような事を言われたんだが、何をもって豊かな胸の方が好きだと判断しているんだ? 俺は一度としてそんな性的志向について口にしたことはないんだが」

 

 チドリや佐久間からも言われた事があるが、湊は一度として大きな胸が好きだと言った事はない。本人に似合っているかが重要だと思っているため、彼好みな女性になろうと思っている女性たちが可哀想だが、逆をいえば誰でも自分磨きをすればチャンスはあるのでラッキーとも言える。

 それはともかくとして、部活で関わりのあるチドリたちが別のタイミングで言ってきたのなら、多分、集まっているときに話題が出たのだろうと考えることが出来る。

 しかし、彼女たちと会った事のないラビリスまで同じことを言ってくれば、周囲の人間からそのように思われる理由があるはずだ。

 勝手に胸の大きい女性が好きなどと不名誉な噂を流されると困るので、ここでそう考えた理由を聞いて、改善できるのなら改善して二度と言われないようにしようと湊は考える。

 尋ねられたラビリスも湊が不思議そうにしている事から、そう思った理由をしっかり答えるべく、自分の判断した理由を整理しながら話を進める。

 

「んー、何をもってって聞かれると難しいけど、湊君って人に触れたりすることを避けてるんは自分で気付いとる?」

 

 訊かれた湊は首を横に振る。面倒な他人との関わりは避けているが、他者と触れ合う事を意識的に避けていた覚えはない。

 それを聞いたラビリスは、やはり自分では気付いていなかったかと笑って続ける。

 

「まぁ、ポケットに手を入れてたり、誰かが触ろうとすると避けたりで、人との接触を無意識にしろ避けてるみたいなんよ。やけど、シャロンさんとかが触れても気にしてへんし。お隣のかすみちゃんが抱きついても放っておいてるやろ? で、お風呂に入ったらウチの胸とかお腹を触って遊んでるから、割と胸がある人やったら気にせんのかなって思ててん」

 

 シャロンは全体的に細めで長身のモデル体型だが胸は大きめでスタイル抜群だ。そして、ここで暮らす様になってからラビリスも出会って遊んだりしている羽入かすみは、湊の一年後輩にも関わらず美鶴よりも胸が大きく、ニーソックスが軽く食い込む魅力的な太腿をしている少女である。

 さらにそこへ中々のスタイルを誇るラビリスも加えれば、湊はスタイルがいい女性との接触は拒まないと考えることが出来、逆説的に湊は大きな胸好きだと判断出来るとラビリスは結論付けた。

 ラビリスが知っている範囲でそれで、彼女がまだ知らない英恵や桜に佐久間といった大人の女性陣を見れば、彼女はきっと自分の考えはやはり正しかったと思う事だろう。

 しかし、湊は自分の周囲の女性のスタイルがいいことは認めるが、別にそんなところを基準に関わりを持っている訳ではないと、相手の考えを否定した。

 

「シャロンは俺の主治医だし、羽入は子犬みたいにじゃれついてくるから放っておいてるだけだ。君の胸や腹部を触ってるのは、君が俺の足の間にいるから他に遊べるものがないだけだ」

「隊長はアカンけど隊員やったら貸したげるよ?」

「……それは羽入が持って来て置いてるんだが、浮かべて何が楽しいんだ?」

 

 ラビリスとの同居が始まるよりも前、湊がまだ一人で暮らしていた頃、寂しいのか遊びたいのか知らないが、たまに羽入が勝手に泊まりに来ていた。

 すぐ隣なのでお泊まりセットを置いておくような事はしなかったが、お風呂での遊び道具だけは現在も残ったままになっており、それが大小二種類のサイズがあるアヒルの玩具だった。

 ゲーム会社に勤める羽入の両親は、メインの仕事は海外で行っているらしく、製作が一段落して夏に帰ってきたが、今もよくアメリカに戻っているので、その間に羽入が泊まりにくることもある。

 泊まりに来て湊の家でお風呂に入るときは、今のラビリスと同じようにお湯にアヒルを浮かべているので、それが正しい遊び方だと思われるのだが、湊としてはその遊びで何が得られるのか分からなかった。

 

「荒波の中でも泳いでる隊長の雄姿を想像したり、遭難した隊員らが隊長の元を必死に目指すのとか想像したり、そういうドラマを楽しむ物やと思うけど?」

「……そうか」

 

 訳が分からない。だが、羽入も「頑張れ隊員一号、もうちょっとだよぉ」というような事をよく口にしていたため、彼女もそういったドラマを妄想して楽しんでいたに違いない。

 求める理想を思う事はあっても、娯楽的な夢想や妄想はしない湊は、彼女たちのような遊びは自分は出来ないと理解し、貸してくれるという彼女の申し出を断ると、いい時間だったのでお風呂から上がり。少し涼むと寝室に向かって休んだのだった。

 

 

 


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