【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百五十七話 女子会

11月25日(日)

午前――教習所

 

 その日、荒垣真次郎は朝から自動車学校にいた。

 

「それじゃあ、とりあえず押していこうか。ゆっくりで良いからね」

「……うっす」

 

 自動車学校と言っても、彼が取りに来たのは車ではなく普通自動二輪のMT免許だ。

 教官に言われてバイクのハンドルをしっかりと握ると、一段階のコースをゆっくり押して歩いて回る。

 学校に休学届を出した彼が、何故急にバイクの免許を取りに来たのか。それは先日、有里湊という青年に急に呼び出されたことが原因だった。

 呼び出された場所に向かうと彼は一人で待っており、少し話をしようと近くの喫茶店に入った。

 彼も初めて入るという店だったが、秘密の多い彼の言葉などどれだけ信じられるか分からない。

 けれど、制御剤を融通して貰っているため、話くらいは聞こうとコーヒーを注文して待っていれば、青年は荒垣にバイクの免許を取るように言ってきた。

 何故、急にバイクなのか。そもそも、荒垣がバイクの免許を取ったところで彼に何の得があるのか。

 訊きたい事は沢山あったが、質問を返す前に湊の方から理由を説明してきて、彼が言うには荒垣が免許を持っていることで湊が動き易くなるのだとか。

 

「よーし、じゃあ発着点に着いたら跨ってみようか。ちゃんと乗る前に安全確認をするようにね」

「……うっす」

 

 荒垣がバイクの免許を持っていることで彼が動き易くなるというからには、きっと湊は荒垣のフリをしてバイクを使った活動をするのだろう。

 勝手に名前や姿を使われる方にすればたまったものではないが、なんとなく、これまでの付き合いから彼は荒垣のことがなくても同じ行動を取る気がしたので、別に荒垣に免許の取得を強制するつもりはないに違いない。

 なので、ちょっとした恩から彼の言う事を聞くのも吝かではなかったのだが、古いアパートの部屋で一人暮らしを始めた荒垣はそれほど金銭的に余裕がある訳ではなかった。

 分割払いが可能と言われても十万近くの出費はでかい。これでは流石に二つ返事で了承する訳にはいかないため、今は金銭的に余裕がないと返せば、驚く事に費用は全て湊が持つと言ってきた。

 

「最初はクラッチをしっかり握ったまま、アクセルを回しつつゆーっくりクラッチを離す様に発進だよ。走り始めたらクラッチを再度握ってすぐに二速にあげてコースを周回して慣れて行こう」

 

 後輩にそんな大金を奢ってもらうことは出来ないと返すも、湊は駒に必要な物を与えるのは当然の事だとのたまった。

 既に自動車学校への申し込みも済んでおり、荒垣は行ける日に住民票と印鑑を持って入学しに行けばいいだけ。

 そこまで用意された上に、最初の制御剤の代金は免許を取得する事だと言われてしまえば、荒垣に拒否する事は出来なかった。

 別にバイク自体には特に興味も何もなかったが、いざ乗ってみると悪くない。美鶴が暇なときに整備していたのを目にしていたため、彼女もこういった不思議な解放感にハマってバイクを好きになったのかもしれないと、バイクを走らせながら荒垣は久しぶりに事故の事を忘れて他の事に取り組めていた。

 

 

昼――ファミレス“Jonny's”

 

 中央区にある全国チェーン店のファミレス“Jonny's”、お昼の混雑時で店の中は客で溢れているが、今日集まった女子四人は注文を終えてドリンクバーを飲みながら雑談をしていた。

 

「……それで、湊とはどこまで進んだの?」

 

 四人掛けのテーブルに、ゆかりと美紀、風花とチドリで分かれて座り、チドリは斜め左に座っていたゆかりに視線を向けるなり、ズバッと他の女子たちも気になっていることを尋ねた。

 訊かれた少女はある程度予想していたらしく、嫌そうな顔を一瞬しつつもすぐに呆れた表情になって言葉を返す。

 

「そういうのって、やっぱりプライバシーとかあるし、あんまり踏み込んで訊かないものだと思うんだけどね」

「芸能人のプライバシーなんてあってないようなものよ」

「本人はまだ一般人のつもりみたいですけど」

 

 全国レベルで籠球皇子ブームを起こした湊は、一般人でありながら世間からは芸能人のような扱いを受けている。

 本日部活メンバーで集まった中に彼がいないのは、純粋に予定が合わなかっただけだが、彼の話によると年末年始の特別バラエティ番組への出演オファーが来て、一回きりなら良いかと十一月の初旬に撮影を行ったのだとか。

 内容については局との約束でまだ秘密らしいが、そうやって一度でもテレビに出演した以上は、周囲の扱いも一般人から芸能人という扱いに変わりだす。

 彼が番組出演について話したのは周囲の人間だけだが、既に話は広まっておりファンクラブがさらに宣伝しているので、周囲の対応の変化についてあまり意識していない本人以外に結構な影響が出ていた。

 もっとも、部活メンバーから見れば湊は周囲が変化しようと我が道を行くタイプ。仮に本当に芸能人として活動を始めようとも、きっと今と同じように人助けを続けつつ人付き合いを面倒がる彼のままでいるに違いない。

 とはいえ、湊が芸能人になりかけているのは事実であるため、チドリは芸能人のスキャンダルは大衆に暴露されるのが常だとゆかりに説明を求めた。

 そんな少女の熱心さに呆れた表情で返しながら、ゆかりは話す事に恥ずかしさを覚えつつ、まぁ、訊かれるのは予想していたと簡単にだけ報告する。

 

「まぁ、どこまでって言っても別にデートとかも特にしてないし。付き合いだしてからとほとんど変わってないんだけどね」

「え、ゆかりちゃんデートしてないの? 有里君から誘われたりとかは?」

「前にテスト期間明けに誕生日祝いも兼ねて寮の部屋に来たけど、それ以外はこの前一回買い物に行ったくらいかな。なんかやたらと仕事がーって言ってて会えないし」

 

 てっきり週に一回くらいはデートをしていると思っていた風花は、諦め気味に苦笑するゆかりを見て可哀想だと暗い表情を浮かべる。

 湊はテレビ出演の仕事は一度きりで、それ以外には雑誌のインタビューすら受けていない。

 ということは、彼のいう仕事は風花たちが知っている眞宵堂のバイトか中華料理屋のバイトということになる。

 実際はEP社や病院の仕事なのだが、知らない彼女たちでは想像しようもないので、金銭的に余裕があるにも関わらず、バイトばかりに力を入れて彼女を放っておいている湊の彼氏としての評価は、風花や美紀の中では落第点ぎりぎりまで下降していた。

 けれど、他の女子がそうやってゆかりに同情し、湊に対して僅かな怒りを感じている中、ただ一人両者の今の状態に何も感じず質問を続ける者がいた。

 

「……部屋に連れ込んで何したの?」

「連れ込んでって、有里君の方から朝っぱらに部屋に行くって電話が来たんだけど」

「結局部屋に入れたんでしょ」

「いや、来たら入れるしかないでしょ。ケーキ屋が開く前だからって手作りケーキ持参だったし」

 

 チドリの口調は普段通りの淡々としたものだが、集まっている女子の中で誰よりも興味津津だということを他の女子は理解する。

 何が彼女をそこまで突き動かすのか。こう見えて恋バナ等に興味があって大好きなのか、それとも自分の家族である青年が他の女子とどういった付き合い方をしているのか知りたいのか。

 相手の表情からは何も読み取る事は出来ないが、多分、後者なんだろうなと本人以外は共通の認識を持っていた。

 故に、彼女ばかりがズバズバと聞いて来ぬよう、ゆかりは反対に他の者に質問してみる事にする。

 

「あー、そういえば他の人に逆に聞きたかったんだけどさ。皆と二人きりのときの有里君ってどんな感じなの?」

「私はそもそも有里君と二人きりになったことがほとんどないので分からないですね。一応、普段と変わらないように見えましたが」

「私もあんまりないけど、学校にいるときより親切っていうか優しい気はしたかな。といっても、普段周りの人に気を遣ってるのが、二人だから集中してるのかもって程度の違いだけど」

 

 聞いて成程とゆかりも納得したように頷く。確かに普段の湊の優しさは一緒にいる者だけでなく、そばを歩いているような他人にも発揮されたりしている。

 それが自分の周囲の全方位に対して気を配っており、何か気付いたら反応しているのだと考えれば、二人のときは全方位までは気を配っていないことで、共にいる者に優しさが集中し易くなっているのかもしれない。

 人助け中の彼も、二人きりのときと同じように、助け終わるまでや切りのいいところまでは親身に接しているため、困ったときにとても良くしてくれたという補整が掛かり、今もファンを増やし続けているのだろう。

 ゆかり自身、部活メンバーでいるときよりも、デートなど二人でいるときの方が湊が甘い気がするので、てっきり恋人効果によるものだとばかり思っていたのだが、実際は意識を割く比率によるものだったかと少しがっかりした。

 

「はぁ……やっぱ、有里君って恋人には不向きな性格してるんだよね。人助けを当然のように行うのは格好良いけど、優先順位を付けるときに他人の比重が大きくて、知り合いの比重が普通の人より小さいっていうか」

 

 普通の人間であれば『知り合い8:他人2』といった具合に、困った状況に陥っているのを見ても、知り合いを優先して見て見ぬふりをしたりする。

 人助けとは自ら余計なトラブルに首を突っ込みに行く行為なので、知り合いが一緒にいるのであれば、自分だけの問題では済まなくなる可能性がある以上、知り合いを優先して他人を見捨てるのは別におかしくはなかった。

 けれど、有里湊という人物は『知り合い6:他人4』くらいの割合で意識を割いているようで、デート中に会話をしていても、急に少し待っててくれと迷子の元に向かったりしていた。

 小さい子が泣いていたので、湊がすぐ行動に移ったのも分からなくはない。だが、相手が若い男だろうと湊は普通に助けるため、他の人よりも特別に見て欲しいと思ってしまう彼女にすれば、湊の性格はやきもきさせられる悩みのタネであった。

 良い事をしてるだけに怒るのも変で、どうしたものかと溜め息を吐いてからゆかりがストローでジュースを飲めば、彼女の言葉を聞いたチドリが淡々と湊について話してくる。

 

「……あれは精神疾患だから、治療自体は可能よ」

「精神疾患て、心の病気であんな風に人助けしてるってこと?」

「ええ、昔よりはマシになってきてるけどね」

 

 他の者は湊が医者の診断書を貰っていることは知っているが、それがどういった病気に関する物なのかは知らない。

 医者から診断書を貰う程のことなど気安く訊いていいものではなく、チドリも過去に病気を治療した経歴があると聞いているため、もしトラウマや過去の辛い気持ちを思い出してしまった場合の事を思えばチドリにも迂闊に聞く事は出来なかった。

 そうして、話が一度途切れたところで店員がやってきて、彼女たちの前に料理を並べていく。風花はエビとトマトのクリームパスタ、美紀は和風おろしカツ、チドリはきのこハンバーグ、ゆかりはシチューの煮込みハンバーグ。全員がばらばらの物を注文したけれど、別に仲が悪いということではなく、自分が食べたい物を好きに頼んだだけだ。

 料理が並べられると、美紀が食器の入ったカゴからフォークなどを取り出して全員に配っていく。受け取った少女らはお礼を言ってから手を合わせて行儀よく挨拶をする。

 

『いただきます』

 

 自宅などではしっかりとやるが、外で友人たちと食べるときなどには忘れがちになる挨拶も、真面目であったり、家でしっかりと躾けられているこの少女たちには関係なく、当然の事として行う。

 そして、挨拶を終えれば、鼻孔をくすぐり食欲を刺激する香りを楽しみながら、フォークを伸ばして一口大にした料理を口へと運ぶ。

 チェーン店であっても、調理する人物の腕で味は結構変わるもの。今日の料理は特に問題がないことから、調理を担当したのは新人ではなくベテランなのだろう。

 そんな風に料理を作っている人物のことを考えつつ、出来たての料理に舌鼓を打っていると、会話を再開するべくゆかりは全員に話しかけた。

 

「あのさ、皆ってキスしたことある?」

「と、突然だね。私はないよ。男の子と付き合ったことないし」

 

 ゆかりの唐突な質問に動揺しながらも、一回水を飲むことで落ち着いた風花が答えを返す。

 舞台で行った劇の中で婚約や結婚の話は出たけれど、風花の身の安全を考えてキスシーンは存在しなかった。

 劇の一環だということになってしまえば、いくら彼女がいようとキスをするのが湊という青年だ。

 よく分からないがクラスのほぼ全員がその共通認識を持っていた事で、女子たちはお互いを牽制し合って、最終的に誰がヒロインになろうと大丈夫なように脚本からキスシーンは削除された。

 故に、良くも悪くもキスシーンを体験せずに済んだ風花は、自分はまだファーストキスも済ませていないと照れたように笑う。

 

「美紀ちゃんも、お兄さんが厳しい方だからまだだよね?」

「はい。付き合っていない方とするつもりもありませんし、そういった事はしっかりと順序立ててと考えています」

 

 一人の少女として恋愛に憧れの様なものは抱いているが、残念ながら風花も美紀も恋というものがどんなものか分かっていない。

 映画やドラマで俳優を見て格好良いなと思ったりはするが、それを言えば身近にぶっ飛んでイケメンな青年がいるため、同年代のイケメン少年らを見ても顔は整っているなくらいにしか思わなくなっている。

 恋をする様なドキドキも、同じく青年からちょっとした親切を受けた際に感じられるので、それでも青年に惚れていないということは彼女らの恋はまだ当分先なのだろう。

 実際は青年と親しくしているうちに感覚がおかしくなっているのだが、その事に誰も気付かずに笑っていれば、残った赤髪の少女が口に運んだライスを飲み込みながら答えた。

 

「……私はあるわよ。小学校五年生くらいのときに湊としただけだけど」

「家族なのに?」

 

 以前、湊が部屋に来たときにゆかりが質問すれば、彼はチドリのことを女性とは認識しているが扱いは家族だと言っていた。

 家族でも親愛のキスなどをする者はいるが、小学校五年生の男子と女子がするのは親愛のそれとは違っているように思える。

 家族なのに異性としてキスするのは問題があるのではと、ゆかりが不思議そうに尋ねれば、チドリは淡々とした調子で返して来た。

 

「別に血は繋がってないもの。結婚だって出来るんだし、キスしようが一線を越えようが倫理的にも問題ないわ」

 

 聞いて他の者はなるほどと思った。『家族』と『同年代』という二つの単語で二人を結びつけて考えていたが、無意識に『兄妹』という関係を連想していたようで、そこを『他人』に置き換えれば先ほどの話もスッと入ってくる。

 真田と美紀がキスや一線を越えようとすれば、近親ということでタブーに抵触するが、同じ家族であっても湊とチドリは問題なく結婚出来るため、二人さえ良ければ周りに反対されようが問題ないのだ。

 ただし、問題がないこととキスしたことへの興味は別で、過去の二人の行動になんら問題はなくとも、どうして家族であった二人がキスするに至ったのかゆかりは知りたがった。

 

「なんでしたのか訊いても大丈夫?」

「別にいいけど、半分くらいその場のノリよ。最初にお酒で少し酔った桜が湊にキスして、なんで湊にキスしたのかって思って、とりあえず上書きしておいたって感じ」

「ゴメン、意味分かんない……」

 

 母親であり姉でもある保護者の女性が、お酒に酔って可愛い湊にキスをしたのは分かる。留学前の湊は格好良さと綺麗さと可愛さの三種を備えていたので、もっと幼い頃は可愛さの比率が高かったに違いない。

 ならば、大人へと変わりつつある少年を愛おしく思い、お酒で感情が表に出やすくなった状態であれば、ついキスしてしまう者もいるだろう。

 だが、幼い少女では相手が少年にキスした理由を理解出来なかったにしろ。次に取った行動が斜め上の発想でゆかりたちは意味が分からなかった。

 少年にキスした相手を諌めたり、感情を爆発させて怒りをぶつけたりするなら分かった。幼い少女の可愛い嫉妬だ。それを見た周りもきっと生温かい視線で怒れる少女を見るに違いない。

 しかし、何が起これば、不思議に思って自分のキスで上書きを敢行するという発想になるのだろうか。

 普段から青年のことを自分の所有物と見なしており、他人が勝手にマーキングしてはならないとでも考えていたのか。それとも自分も同じ事をすれば相手の気持ちを理解できると思ったのか。

 何にせよ自分たちでは答えは分からないので、本人に行動の理由を尋ねてみれば、チドリは口を紙ナプキンで拭きながら当時何を思ってそんな行動を取ったのかを語った。

 

「……特に理由なんてないわ。家族でもそういう事をしていいんだって思って、桜がいいなら私も良いわよねって感じでキスしたの」

「ああ、ノリってそういうことなんだ」

「ええ、長く一緒にいるから今さら急に男を感じてキスしたりってのはないわよ。雰囲気に流されてキスするにはお互い冷めてるし」

 

 話を聞いた他の者たちは、少女の言葉に納得し過ぎて苦笑する。

 湊もチドリも入学当初から他の生徒よりも大人びて冷めていた。孤立しなかったのは二人が一緒にいたからであり、話しかければ答えてくれる程度に反応を返してもいたからだ。

 入学時点でそんな反応を見せていたなら、二人がそういった性格なのは幼少期からということになり、子どものくせに子どもらしく感情的に動くことは少なかったに違いない。

 そんな二人が雰囲気に流されてキスする場面は確かに想像出来ないので、当時のチドリは家族の新しいコミュニケーションを試した程度の認識だったようだ。

 ゆかりたちがチドリと湊の関係に改めて納得した事で、料理を食べ終わっていた少女らは追加でデザートを注文し、それらがやってくるのを待つ間もさらに会話を続ける、

 

「それで、どうしてキスについて訊いてきたの? 湊のキスに何か不満でもあった?」

「え、いや、そういう訳じゃないけど。ってか、キスに不満ってどんなのよ」

「下手だとか場所を選ばずにしてくるとかあるでしょ?」

 

 急にキスについて尋ねてきたからには、彼氏である湊と何かしらキスでトラブルか悩みがあるはず。そう予想してチドリが質問すれば、ゆかりはアイスティーをストローで混ぜながらポツリと呟いた。

 

「なんていうか、嫌じゃないんだけど駄目なのよ。その、キスされると、その間だけ思考力が落ちていくっていうか」

 

 言いながら思い出されるのは誕生日祝いのときのキス。

 いつもキスは湊からだが、繰り返すうち次第に考えられなくなりながら自分からも求めて、最後は頭が真っ白になって身体中の力が抜けてしまった。

 あれが何であるかはゆかりも理解しているが、どうしてあんな状態になっていったかを自分ははっきりと知っておかなければならない。

 そんな決意を瞳に宿しながらゆかりが皆から意見を求めれば、雑誌の懸賞クイズを解くくらいの気軽さで考えていた風花が、思い付いた様子で自分の推測を口にする。

 

「それって有里君とのキスに夢中になってるだけじゃないのかな?」

「上手な人が相手ですと没頭してしまうとも聞きますから、ゆかりさんもそういったパターンな気がしますね」

 

 二人の少女が言った通り、キスして思考力が低下するなど究極的にはそこに落ち着いてしまう。

 もっと論理的に別の理由を求めるのなら、キスを繰り返すうちに酸欠になって判断力等が低下するなど、少しくらいはそれらしい理由もある。

 だが、風花たちの言った事に比べると説得力が欠けているため、やはり理由はそれしかないのだろうかと、ゆかりは彼のキスを知っているもう一人の少女にキスの感想を尋ねた。

 

「え、えっと、チドリは有里君とキスしたときどうだったの?」

「どうって……別に。普通に小慣れてて上手かったけど?」

 

 訊かれた少女は珍しく一度視線を逸らして答えた。昔の事とはいえ、流石に友人たちも知っている青年とのキス事情など、改めて詳しく話すのは恥ずかしかったらしい。

 とはいえ、彼とのキス自体は何の問題もなく、むしろ安心感やら幸福感やら色々な物に包まれる素晴らしい体験だったと、記憶を掘り起こした少女は頬を朱に染めながら告げれば、質問した少女がずっと気になっていたんだとばかりに質問を続ける。

 

「あ、そうだ! それだよ。有里君ってなんであんなに慣れた風なの?」

「……知り合いに習ったからって言ってたわ。イリスとロゼッタと紅花あたりから、一線は越えてないけど女性の悦ばし方をみっちり教わったって。だから、湊に性交渉の経験があるかはともかく、仮に今日これから処女の女性を抱く事になっても、問題なくリード出来るでしょうね」

 

 相手が一般人であるため裏の仕事について説明する事は出来ない。保護者が極道であったり、湊の実家が暗殺者の一族であることも秘密にしているが、彼が裏稼業をしている事の方が重要度は高いのだ。

 ただし、裏稼業をするために身に付けた技術であるため、一番重要な部分を隠して話そうとすると、色々と不自然になってしまい当然周りからは突っ込まれる。

 

「え、あの、チドリちゃん。なんで有里君はそんなの習ったの?」

「……さぁ? 覚えておくと便利だからって話だったと思うけど、本人がそういった男女のあれこれに興味を持っていないから、別にファンの子たちを食い散らかすとかは心配しなくていいわよ」

 

 別に風花はそんなところは心配していない。彼がそのつもりならば、月光館学園の女子は半数以上が純潔を散らすことになるのだ。

 そんな状態になれば、いくらなんでも学校側も気付いて、擁護しきれず彼を転校させているはず。

 まぁ、女子たちが気にしていないと嘆願書を学校に出せば転校まではさせられないかもしれないが、どちらにせよそんな話は聞いていないので、風花も湊の人となりは信用していた。

 しかし、だからこそ意味が分からない。確かに覚えておけば後々役立つだろうが、中学生が入学前から大人の女性たちに性の手解きを受けるなど普通ではない。

 一線を越えていなくとも、お互いの裸を見せ合ったり、性器に触れるなどはあったに違いない。

 風花にすればそれだけで十分に爛れていると思え、話を聞いていた美紀も同じように感じていた。

 

「浮気の心配はともかく、技術習得のために大人の女性からそういった事を教わっている男子も、正直あまり信用出来ないと思うのですが……」

「出来ないより出来た方がいいじゃない」

 

 青年の事を悪くいわれて怒っているのか、チドリはムスッとした表情で正論を言うが、決定的に何か間違っている。

 事故で両親を失ってから色々と苦労して過ごして来た彼が、同年代の者たちとは違った人生を歩んできた事はなんとなく察しているが、流石にそういった方面の技術は必要ないはずなのだ。

 仮に生きるために必要だったなら、湊は子どもの頃から如何わしい店で働かされていたことになってしまう。

 幼少期から非常に美しい顔立ちをしていたので、そんな少年で遊べるのならと歪んだ性癖を持った大人が、奪い合うように彼との時間を買おうとしたはずだ。

 だが、いくらなんでもそんなはずない。以前、部室でチドリに見せて貰った写メで、小学校低学年の頃には既に現在の保護者の元で二人とも暮らす様になっていたと把握している。

 ゆかりたちが会った女性はとても上品で優しい人物だったので、彼女の元にいて湊がそんな過酷な仕事についていたはずがなく。だとすれば、湊がそんな技術を習得する理由など丸っきり存在しないはずだった。

 

「ねえ、なんで有里君はそういう技術を身に付けようと思ったの? 便利って言っても使う場面て限られてるし、彼の性格を考えるとそっち系の行為とかって興味無さそうなんだけど」

「……私に訊かれても知らないわよ。ただ、昔の湊は一人で何でも出来るようにしようとしてたから、そういう技術も使う場面があるかもしれないって考えたんじゃないの」

 

 チドリだってその話は後から聞いたのだ。彼がどんな技術を習得しているかなどほとんど聞かされていないため、どうして習得しようと思ったのかなど、過程の部分をチドリは一切知らない。

 それでも、湊は日常生活で習得した技術を悪用しないでいるので、他の者が不安に思うのは分かるが、あまり踏み込んで聞いてやるなと釘を刺した。

 すると、少女たちは完全には納得していないようだが、本人がいないところで訊いても答えは出ないため、話題をゆかりと湊についてのことに戻した。

 

「ねえ、ゆかりちゃん。ゆかりちゃんは今も仮の恋人だと思って有里君に接してるの?」

「え? そりゃまぁ、そういう設定だし」

「ですが、仮の恋人に対してでしたら、簡単にキスを許したりはしないと思いますし。そうやってキスのこと一つで真剣に悩んだりもしないと思いますよ?」

 

 言われたゆかりは他の者たちの言葉について考えてみる。自分と湊は仮の恋人。期間が定められていて、それが過ぎればゆかりの意志で自由に解消する事が出来る関係だ。

 そんな相手に真剣に悩むなどおかしいと言われ、ゆかりは心の中で何やら複雑な思いが渦巻くのを感じながら、表情は素っ気なくを意識して返す。

 

「ふーむ、そう言われてもね」

「……誤魔化してると、後で気付いたときに後悔するわよ。最短であと一ヶ月なんだし。それくらいはちゃんと湊を見てみれば?」

 

 青年の事を大切に思っている少女が、二人の関係についてアドバイスをしてくるなど意外だった。

 彼女なら別れるように仕向けてきて、大切な青年に悪い虫がつかないよう頑張るとばかり思っていたのだ。

 けれど、そんな少女からちゃんと相手を見ろと言われてしまえば、ゆかりも自分の中で渦巻いている不思議な感情をしっかりと見つめ直さなければと思えてくる。

 

「うん、まぁ、やってみる」

 

 自信はない。だが、残り約一ヶ月。それくらいはちゃんと相手を見て、逆に相手にも自分を見て貰うのも良いかもしれない。

 友人らのアドバイスを素直に受け取ったゆかりは、やってきたデザートを食べながら、今後の彼との接し方について真剣に考え出すのだった。

 

 

 


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