【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百五十九話 すれちがい

12月15日(土)

放課後――ゆかり自室

 

 二学期の期末試験を終えた日の放課後、普段なら友達とお疲れ様会のような形で食事に出かけたりするところを、今回はパスすると言ってゆかりは湊を自室へ招いていた。

 昼食自体は寮に来る途中にワイルドダックバーガーで済ませていたので、先に部屋に入って私服に着替えてから湊を部屋に入れると、ゆかりは用意した紅茶とお茶菓子をテーブルに運びクッションに座った。

 

「ようやくテストも終わったね。これで中学ではあと一回、三学期の期末でテストからは解放されるよ」

「……エスカレーター式でも高等部のクラス分けも兼ねた実力テストはあるぞ。まぁ、定期考査と変わらない程度でしかないが」

 

 定期試験は一学期と二学期は中間と期末で二回ずつ、三学期は期間が短いので期末のみで、年間で計五回となっている。

 本日で二学期の期末試験を終えたので、残るは三年間の集大成ともいえる三学期の期末だけだとゆかりが楽しそうに言えば、彼女を素の状態に戻す夢も希望もない発言を湊はかました。

 別にゆかりだって実力テストの存在を忘れていた訳ではない。留学していた湊より長く学校にいるのだから、先輩の様子から学年末の動きくらいは把握していた。

 しかし、ようやく期末テストを終えたことで開放感を楽しんでいたゆかりにすれば、実力テストの事など今は考える必要のないものであり。わざわざ現実に引き戻してくる彼氏には、空気読めと冷ややかな視線を向けるしかない。

 

「いいよねー。勉強しなくても点数取れる人はさー。こっちは気持ち切り替えてようやくテスト前に勉強に臨めたりするってのに」

「ちゃんと授業を聞いてその場で理解してれば勉強なんてそもそも必要ない。自分の不真面目さを棚にあげて図々しい事を言うな」

「いや、不真面目さについては君に言われたくないわ。風花から聞いたけど授業中に変わった眼鏡かけてなんか作業とかしてるらしいじゃん。そっちの方がおかしいでしょ」

 

 お皿に並べたクッキーを手に取りかじりながら、ゆかりは湊の悪い噂は聞いているとジトっとした視線で責めるようにみる。

 ゆかりは別に不真面目な訳ではなく、彼女の理解力で必要な勉強量が足りなくてテストで満点を取れていないだけだ。

 湊やチドリのように知識をすぐに吸収して我が物にするタイプにすれば不思議だろうが、一般人は自分の中に情報を落としこんで、それを自分でも使えるように勉強が必要になる。

 スポーツと同じように何度も何度も反復練習して、ようやく情報も効果的に使えるようになるため、出来ていないからといってイコール勉強していないと思われるのは心外だった。

 勉強不足かもしれないが、自分も一応はやっていて、授業を聞く必要がないからと内職している湊に比べれば十分に真面目であるとゆかりが言えば、湊はマフラーをゴソゴソと漁って一枚の紙を取り出した。

 

「俺は成績を落とさない限りある程度の自由が認められてる。広告塔として宣伝してやる対価としてな」

 

 湊が取り出した紙は学校と交わした契約書。定期試験だけでなく全国模試や部活動などで優秀な成績を修め、学外に月光館学園をアピールし続ける事で広告塔のような役割をする代わりに、出席日数の不足や授業態度を他の生徒の迷惑にならない範囲で認めるといったような事が書かれている。

 実際、学校の出資者グループの令嬢である桐条美鶴を広告塔にしていたときよりも、一般の生徒である湊を広告塔にしてからの方が宣伝効果は出ており、彼が籠球皇子としてテレビでも話題になってからはオープンハイスクールなど、受験者向けの学校説明会の参加希望人数は跳ね上がっていた。

 少子化の時代に置いて、いくら都内の有名進学校であっても受験者の確保は大変だ。

 色々な中学校に出向いて合同説明会の開催やパンフレットを置かせて貰ったり、新聞や公共交通機関の車内広告で地道に宣伝するしかない。

 しかし、今年は湊のおかげで受験者の方から集まって来て、このままいくと今年の高等部の倍率は四倍を超えるのではと、学校と桐条グループの方では嬉しい悲鳴を上げている。

 もっとも、全中バスケで優秀選手に選ばれたことで、学校に直接強豪校からスカウトの電話がかかってきたり、取材やテレビ出演をして貰えないかと専用ダイヤルに電話もかかってきているので、無駄なところに金と労力を割かねばならない事だけは少々困りものだった。

 湊本人がそのまま高等部に進学すると公言しているため、他校からのスカウトを断るのは簡単ではある。

 しかし、彼が持っている契約書に書かれている通り、無償で広告塔になる代わりに出席日数や服装に目を瞑り、高等部進学後はバイク通学の許可など、彼個人に対して学校も色々と気を遣わないといけないため、桐条グループから大概の事は許可するように言われている現場の人間としては、他の生徒と平等に扱わないといけないこともあって心労は絶えなかった。

 そうして、現場の人間の尊い犠牲の上に存在する契約書を見た少女は、それを手に取りじっくり読み込むと肩を震わせて叫んだ。

 

「ちょっ、これ絶対におかしいわよ! いくらなんでも有里君ばっかり優遇し過ぎてるじゃん!」

「……俺の宣伝効果はすごいからな。同じだけのことをCMや広告でやろうとすれば一千万じゃきかない。対応に追われたりと一部混乱は見られたが、母体である桐条グループとしては経費を節約しながら、普通にやるよりも大きく宣伝できることで俺を他所にやりたくないわけだ」

 

 湊のCMギャラは一千万ではきかない状態になっている。別にどことも契約していないが、最低二千万からで様々な企業が交渉を持ちかけてきたので、当然学校もそのことは把握している。

 彼を広告塔に使うという事に企業はそれだけの価値を見ているということであり、様々なCMを流している桐条グループも当然彼の価値については分かっていた。

 それ故、学校も桐条グループも、服装やバイク通学を許可する程度で彼を確保出来るのなら、他の生徒よりも優遇していると取られようが安い物だと契約書にサインした。

 

「じゃあ、相手が断れないって分かってて条件付けたの?」

「ああ。元々、義務教育までしか学校に通う気はなかったんだ。別に金にも困ってないから行く意味が薄かったしな。だが、学校側が是非そのまま高等部に進学して欲しいと言ってきたところに、こちらでも通う必要が出た事もあって、丁度良いから条件を付けさせてもらった」

 

 湊がいう進学する必要が出たというのは主にラビリスの事だ。

 それまでは進学するならといった感じで、あまり具体的に条件などについて考えていなかったが、夏休み明けに目覚めた彼女から湊は願いを聞いた。

 彼女を学校に通わせること自体は問題ないが、不慣れな場所にやや常識に疎い彼女を一人で通わせる訳には行かない。

 お隣に住む羽入かすみとは既に仲良くなっているが、ラビリスが高校に通うとき羽入はまだ中等部。これでは知り合いがいないのと一緒なので、少なくとも一年は傍で見守り、彼女のフォローをしてくれる友人が出来るのを待つしかない。

 同性も羨むほどのスタイルとルックスに加え、誰にでも分け隔てなく接する性格、部活メンバーならば誰でもラビリスの友人になってくれそうだが、そうでなくても周囲は彼女を放っては置かないだろう。

 なので、湊は彼女が孤立する事は心配していないが、相手が条件を飲むというのならお言葉に甘えるだけだった。

 

「うっわ、なにそれ。別に相手が何もしなくても進学したくせに詐欺じゃん」

 

 その事を聞いたゆかりは口を尖がらせてずるいと言ってくる。何がどうずるいという具体的な意見はないが、とりあえず人の善意に付けこんでいるのがあくどいと思ったらしい。

 彼女も湊が学校の宣伝の役に立っているのは分かっており、最近では彼と同じ学校に通っていることがステータスの様に思われているようで、制服を見た他校の生徒から羨む声が聞こえてくるので、月光館学園が一種のブランド扱いを受けていることは理解している。

 つい先日、母親からきたメールには、ゆかりが月光館学園に通っていると聞いて名士会主催の婦人会で羨ましがられたと書いてあった。

 別に生徒たちは何も変わっていないのだが、少しの切っ掛けで周囲からの扱いが変わるというのはよくある事だ。

 今回はそれがいい方向に働いたため、恩恵を受けているゆかりも湊には感謝しているのだが、やはり素直に納得する事は出来ないらしく、頬杖を突きながら責めるような瞳を向けてくる。

 

「……別に岳羽がどれだけ不満を言おうが変わらないぞ」

「むー、それは分かってるけどさぁ。なんか納得できないっていうか」

「俺だから……ってことで納得してくれ」

 

 言いながら湊は手を伸ばしてゆかりの頭に手を置く。

 急に触れられたことで少女は驚くが、彼の大きな左手と男子にしては少し高めの体温が心地よく落ち着いた気分になる。

 こんな事をされては子どもっぽくずるいと言い続けることなど出来ず、ゆかりは惚れた弱みかと苦笑しながら話題を切り上げ、本日の本題に移ることにした。

 

「ま、いいけどさ。それよりクリスマスはどうする? 何か予定とか決めてる?」

「別にクリスチャンじゃないから特別な予定はないが」

「そういうんじゃなくて、デートとか食事の話」

 

 彼が特定の神を信仰するはずがないのは分かっているため、何をずれた事を言っとるんだと青年の天然さに呆れながら、ゆかりはクリスマス特集と書かれた雑誌をいくつかテーブルの上に置いた。

 カップルにとって外せないイベントの一つであるため、素敵な思い出作りのためにもノープランは避けたい。

 別にお洒落なレストランで豪華な食事とは思っていないけれど、流石にクリスマスの夜に恋人とラーメンや牛丼は嫌だった。

 なので、ゆかりは育ちの良い相手のセンスを信頼しつつ、雑誌に載っているお勧めスポットを参考にしながらクリスマスデートの予定を立てるつもりでいた。

 

「クリスマスはデート出来るんだよね?」

「まぁ、予定を空けることは出来る」

「空けることはって、また仕事のつもりだったの?」

 

 恋人と過ごす大事なイベントの日なので、大丈夫だと思って尋ねたのだが相手の言葉に引っ掛かるものを感じるゆかり。

 予定を空けるということは、元々入っていた別の用事の時間をずらして休日にするということだ。

 普段のデートならともかく、一年に一度しかないクリスマス、それも恋人になって最初のクリスマスに他の予定を入れていたとはどういうことなのか。

 彼が特定の何かに執着する事がほとんどないことは知っている。しかし、いくらなんでもこれはあんまりだろう。

 前々から言おうと思っていたこともあり、我慢出来なかったゆかりは鋭い視線で湊を睨むと、怒りで早口になりながら彼に問い質した。

 

「あのさ。前から言おうと思ってたんだけど、有里君って別にお金に困ってる訳じゃないよね? それなのにデートに誘ってもその日は仕事がーって断って来て、なんでそんなに仕事ばっかりしてんの?」

「なんでって、大量の仕事があるからに決まってるだろ」

「だから、そんなに大変ならバイトの掛け持ち減らせばいいじゃん。知り合いのやってる骨董品屋さんと中華料理屋のバイトなら、中学生なんだしもっと時間に融通利かせてもらったり出来るでしょ」

 

 デートに誘っても仕事、仕事。ではいつなら空いているかと訊いても、当分は時間を作れそうにないと言われて、大会のあった夏休みが終わってからもあまりデート出来なかった。

 彼が籠球皇子として有名になったことで、一緒に歩いている場面を見られれば一緒にいる女子が危ないからと会わないようにしていた事は分かる。

 幼少期に父親の件でマスコミに追われていた事もあったので、そういった職種の人間のしつこさや厄介さはゆかりも理解しているが、最近はそれも落ち着いてきたはずだった。

 周囲を嗅ぎ回っているパパラッチなど湊はすぐに見つけて、相手の視界から一度消えると背後から近付き名刺を貰ってすらいる。

 そういった人間は興信所と一緒で顔を覚えられる事は致命傷だ。上手く周囲に溶け込んで尾行するには技術が必要で、出版社やテレビ局もそう何人も抱えている訳ではないため、二人もばれれば諦めるところが大半だった。

 故に、そろそろ普通にデートが出来るとばかり思っていたのに、また仕事と言ってクリスマスのことを考えていなかった事が納得いかず、ゆかりが珍しく本気で怒って責めれば、どうして彼女が怒っているのか分かっていなかった湊が納得したように言葉を返した。

 

「……なるほど、山岸たちから仕事も大事だろうが岳羽をもっと優先してやれと言われていたんだが、お前らは俺が眞宵堂と紅花の実家の店のバイトをしてると思ってたのか。それなら珍しく山岸が怒り気味だったのも納得だな」

 

 確かに現在どんな仕事をしているかを伝えていなかったが、まさかバイトでゆかりとのデートを拒否していると思われていたとは考えもせず、湊はこれならもう少し伝えておくべきだったかと苦笑した。

 ただ、仕事の内容がなんであっても、そちらを優先してゆかりとの時間をあまり作れていなかったのは事実。

 その事は素直に反省し、配慮が欠けていて申し訳なかったと謝罪する。

 

「わかった。今後はもう少し時間を作ろう。蔑ろにして悪かった」

「ん、まぁ、気を付けてくれるんならいいけどさ。今からそんなんじゃ、将来結婚してから大変だよ? 生活して行く上で仕事も大事だとは思うけど、仕事ばっかりして家庭を顧みない夫って愛想尽かされても文句言えないし」

「……結婚を意識した事はないな。大人になれても結婚するつもりもない」

 

 謝罪を受けたゆかりは、そんなに素直に謝られると許すしかないではないかと困ったような表情を浮かべる。

 だが、ただ許すのではまた繰り返す可能性があるため、将来の事も少しは考えて反省するべきだと伝えておく。

 それを聞いた青年は自分が結婚する年齢になるところを想像出来ないのか、自分に結婚願望はないと返して来たが、少女としては予想通りなので軽く流して会話を戻した。

 

「まぁ、別に今はそれでもいいけど。それで、クリスマスは結局どうするの? 午前中から遊んだりするの?」

「逆に岳羽はどういったものを見たいんだ? イルミネーションは夜にしか見れないし。買い物は場所によっては人が多くてまともに見て回れないぞ」

「んー、そこなんだよね。結局は買い物とかになるだろうけど、そこら辺は後にして夜だけ先に決めちゃおうか」

 

 午前中から遊ぶにしても、カラオケやボウリングなど普段出来る遊びで時間を使ったりするつもりはない。

 クリスマスにはシーズン限定の店や品が並ぶので、ゆかりとしてはそういった物を覗いて回りたかった。

 けれど、湊が言う事も事実。時期が時期だけにゆかりと同じ発想の者は多数おり、その者たちが同じ場所に群がれば、当然混雑で身動きが取れなくなってしまう。

 イルミネーションを見たり、夜の食事がメインイベントであるため、日中にそんな疲れるような事をするのは正直嫌だ。もう少し情報を整理してからそこは考えるとして、ならば、先に考えておくことの出来る夕食について決めてしまおうとゆかりは提案する。

 

「やっぱりクリスマスだし、普段とはちょっと違うお洒落なレストランとか行ってみたいな」

「……そういった場所は要予約だぞ。時期的にかなりギリギリかもしれない」

 

 雑誌を見れば目が飛び出るほど高額なレストランもあれば、少しお高いだけで中学生でも行けそうな店もある。

 当日に待ち時間なく行くのであれば、湊の言う通り予約をしておくべきで、約一週間前だと中学生でもなんとかいけそうな値段のお洒落な店は予約が出来るか微妙なラインだ。

 ゆかりも母方の実家が裕福なので、そういった店に予約が必要で時期的に一週間前だと難しいことは知っているので、それならいっそ別の方面を攻めてみるかと尋ねた。

 

「クリスマス向けにお金少しは貯めてるし。どっかのホテルのディナーでも予約しちゃう?」

「それくらいは普通に出すから金銭面は気にしなくていい。しかし、ホテルのディナーだと帰りが遅くなるが大丈夫か?」

 

 ホテルのディナーであればコースメニューになるだろう。料理を出すタイミングが決まっているため、二人だけの食事だろうと二時間くらいかかるかもしれない。

 食事より先か後かは分からないが、イルミネーションを見る時間を考えると寮に帰るのは十時を過ぎてしまいそうなので、門限的にその辺りは大丈夫かと湊が聞けば、ゆかりは一瞬視線を逸らしてから照れたように呟いた。

 

「ん、まぁ、そのときはホテルに泊まったりしちゃっても別にいいかな……なんて」

 

 頬を僅かに染めて話すゆかりは、俯き気味に目だけ湊の方へ向ける。

 彼がどういった反応を返すのか心配なようだが、少女の予想とは違った反応を青年は示して来た。

 

「……岳羽?」

「な、なに? 泊まったりするのイヤ?」

「そうじゃない。どうしたんだ、お前」

 

 普段は無表情に近い湊の顔に疑問の色が混じる。先ほどの発言がどうやら気になるようだ。

 しかし、訊かれたゆかりは彼が何の事を言っているのか分からず、何について尋ねているのかを聞き返す。

 

「どうしたんだって何の事?」

「普段の岳羽なら冗談でもそういう事は言わない」

「普段の私って……別にクリスマスなんだもん。特別な日くらい普段と違ったことをしたりもするよ」

 

 確かに平時のゆかりならばこんな事は言わない。今回こんな事を口にしたのは、自分の気持ちを自覚して、丁度良くクリスマスというイベントがあったからだ。

 けれど、そういった普段との違いを、冗談めいた一言で看破されるとは思っていなかった。

 

「岳羽、お前まさか……」

 

 そして、青年は全てを見透かすような金色の瞳を彼女に向けると、理解出来ないとばかりに表情を歪めた。

 

「どうしてだ。他の女子と違って、岳羽は俺にそういった感情を向けることはないと思っていたのに」

 

 隠していた心がばれた。その事にゆかりは動揺するも、それ以上に湊がそういった想い自体を否定する理由が分からず、自分は相手が思っているほど特別な人間ではないと言い返す。

 

「なにそれ。私は別に他の子と違う特別な考え方してる訳じゃないもん。自覚するのに時間が掛かったりとか、そういう面倒な部分はあるかもしれないけど、普通にその……人を好きになったりする事もあるよ」

「違う。お前は何があっても俺にそういった感情を抱いてはいけなかったんだ。お前ならそうはならない。期限が来たら終わると思っていたから、母親のことを冷静に見れるように今の関係になったのに」

「何でダメなの? 私が君を好きになったら迷惑なの? それならそうって、ちゃんと言ってよ……」

 

 付き合えないというのなら、そのときは潔く身を引く。元々はお試しで始まった関係なのだから、湊が本気で付き合うつもりはなかったとしても責めはしない。

 ただ、そうなのであれば正直にそう言って、自分を振る形でこの関係を終わらせて欲しい。

 ゆかりが弱々しい声で頼めば、湊は瞳を閉じてしばらく考える様子を見せ、長考を終えると立ち上がりテーブルから離れた。

 そして、

 

「……分かった。岳羽、ちゃんと見ておけ」

 

 そう口にすると彼は上着を次々に脱ぎ始める。

 一体何のつもりだとゆかりが見ていれば、言葉を失うほど生々しい傷跡が残った上半身が露わになった。

 左肩から腰まで斜めに走る切り傷、胸のほぼ中心にある大きな傷、目を引くそれら以外にも火傷や銃創などいくつも傷として残っているが、何より目立っていたのは上腕から先に着けられた右腕の機械義手だった。

 彼が事故に遭って服の下は酷い傷跡が残っているとはチドリから聞いていたが、まさか片腕を失うほどの怪我を負っていたとは思わず。ゆかりは青い顔をする。

 それをジッと見つめたまま、湊は自分の身体に機械義手で触れて静かに語り出した。

 

「……俺は人を殺した事がある。一人や二人じゃない。直接的には二万人以上、間接的には十万人以上殺している。この身体の傷はそういった活動の中でついた物だ」

「な、何言ってるの?」

 

 言っている意味が分からない。けれど、先ほどまでと違って、テーブルを挟んで少しの距離にいる相手が嫌に遠くに感じる。

 

「最初に人を殺したのは約七年前。俺とチドリがいた施設から脱走する際、邪魔してくる大人を百人以上殺した。その事はとあるグループ傘下の製薬会社のガス管の事故として報道された。それから俺は知人に聞いていた場所に行って、そこで所謂、裏の仕事をしている人間と出会い。俺自身も裏の仕事を始めて何人も殺し続けてきた」

 

 湊とチドリが古い知り合いで病院の様な場所で出会ったとは聞いている。お互いに治療のためそこにいたという話だったが、それがどうすれば脱走して大人たちを殺すことになるのかが分からない。

 ゆかりは相手の言葉は耳に入っているが、内容まではしっかりと落とし込めていないようで、ただ視線を合わせて話を聞いている。

 

「去年留学で海外に行ったのも実際は裏の仕事だ。ある男に目を付けられて、今のままでは勝てないからと力を得るために海外でより危険な仕事をして経験値を積んでいた。まぁ、その途中でさらに厄介なやつに目を付けられたせいで、俺と一緒にいたイリスという女性は殺すことになったが」

 

 その女性の名前は何度か耳にした。空港での見送りの際に湊と一緒にいた綺麗な人だったと記憶している。

 海外にいて何者かから狙われて、それで女性が死ぬことになるのなら分かるが、いま湊は殺すことになったと言った。

 つまり、それは彼が自らの手で大切な人を殺めたということなのだろうか。

 話を聞けば聞くほど訳が分からなくなり、しかし、湊の表情と声が冗談を言っている雰囲気でないため、ゆかりは精一杯内容を理解しようと努める。

 

「イリスが死んでから俺は復讐ばかり考えていた。そいつとその仲間は全員殺す。それが世界中で話題になったEP社の人間が殺されていた事件の裏側だ。殺して、殺して、殺し続けて、復讐に憑かれながら敵のいる場所を見つけて。殺しに行ったところで侵入した建物を崩壊させて殺されかけた。この胸の傷はそのとき鉄筋が貫いた痕だよ」

 

 言いながら青年が浮かべるのは自嘲的な笑み。そんな自嘲だろうが笑える内容ではないはずなのに、どうして彼はそんな顔をしているのか。

 話を聞くにつれてゆかりは青年を遠い存在に感じながらも、相手は黙っているゆかりに話し続ける。

 

「そうなっても俺は何とか生き延びて、相手の元に辿り着き。生かす形になったが復讐を遂げた。一時期お前たちと連絡を取っていなかったのはそういう理由だ。俺はお前たちに会う前からまともな人間じゃない」

 

 話し終えたらしく湊は服を着直すが、代わりにマフラーからナイフと拳銃を取り出してみせてきた。

 普段からそんな物を持ち歩くような一般人はいない。薄ら寒く感じる鈍い光が余計に不安を煽り、彼が語った事が真実であるように思えてくる。

 けれど、ここで全てを信じて頷く事など出来ない。身体の傷も失った腕も、そんな危険な話ではなく事故に巻き込まれただけかもしれないのだから。

 動揺と混乱で青くなった顔色のまま、ゆかりは話を聞いた自分の素直な気持ちを相手に伝えた。

 

「そ、そんな話を急にされたって信じるはずないじゃん」

「……ああ、俺一人から聞いても信じられないだろうな。だから、他の人間に訊いてもらって構わない。日本に戻ってからは俺ももう裏の仕事はしてないが、チドリは最初から裏の仕事に関わってない。施設からの脱走時にも何もしてないから、彼女から話を聞くといい」

 

 急に言われても信じられないのは分かる。影時間に会った荒垣ですらタカヤたちストレガの存在があったからこそ、繋がりを持っている湊も裏の住人だと納得できたのだから。

 別に今すぐに信じて答えを出してもらおうと思っていない湊は、荷物をまとめて立ち上がると部屋から出て行こうとしながら言葉を残していく。

 

「チドリから話を聞いて、それからよく考えてどうするか選べ。連絡し辛いならチドリ経由でもいい。俺はしばらく学校に顔を出さないから安心しろ。それじゃあな」

 

 言って青年は部屋から去って行った。

 一人部屋に残ったゆかりはやけに部屋が静かに思えて、そんな中で先ほど聞いた話の内容を整理しようとする。

 だが、冷静さを取り戻せていないため考えがまとまらず、俯いてカップのお茶に視線を落としながら静かに呟く。

 

「…………訳分かんない」

 

 どうしてこんな事になったのか。訳が分からず少女はしばらく動く事が出来なかった。

 

 

 


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