【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百七十二話 旅館でのひととき

夕方――天城屋旅館

 

 バスに乗ってやってきた一同は、歴史を感じさせる大きな和風の建物を見て、これは中々の旅館じゃないかと期待を高めた。

 純和風に一種の憧れを持っているターニャは瞳を輝かせて写真を撮っており、また明日の明るい時間にも撮れるからと言って、なんとか止めてからロビーまで入って行く。

 

「ようこそいらっしゃいました」

「わっ、子どもだ!」

「……失礼だろ」

 

 出迎えてくれたのは着物姿の少女。湊たちよりも年下で中学生だと思われるが、相手を見た佐久間が珍しいと驚いて見せれば、湊が即座に相手の後頭部を叩いてやめさせる。

 叩かれた佐久間は何故か嬉しそうにしながら、旅館では珍しい少女の従業員に続けて話しかけた。

 

「旅館のお家の子なの?」

「はい、繁盛期とかは手伝っているんです」

「えらいね! 皆もちゃんとお家のお手伝いしなきゃダメだよ!」

 

 この周辺では個人商店が多いので、子どもが店の手伝いをするのは一般的だったりする。

 農家でなくとも働かざる者食うべからずという風習が根付いており、実際に子どもにも手伝ってもらわなければ店が回らない事もある。

 そうなると子どもたちも、自分が生きるためだと嫌々ながらも手伝うため、外から来た人間が考えるほど自分たちがすごいことをしているという意識は希薄だった。

 環境の違いによる意識の差はあるものの、しっかりお手伝いしている少女に感動した佐久間が、他のメンバーに君たちもちゃんと手伝いしなよと教師らしい事を言えば、偉そうにするなと湊が冷たい視線を送った。

 

「……母親と縁を切って家を出たやつが偉そうに」

「おっふ、勝手に私の家庭事情を調べるのはやめてってば。有里君のことも色々ばらしちゃうぞ?」

 

 調べ物が得意な湊は佐久間の過去の経歴から現在に至るまでの家庭環境も把握していた。

 それを何も知らない他の生徒に一部とはいえ暴露され、実際はあまり気にしていないものの、教師の威厳に関わるからやめてと苦笑いで返す。

 しかし、佐久間もただやられているばかりではない。湊の過去の経歴や裏稼業のことは知らないが、中等部時代の修学旅行で彼の戸籍が作られた物であることを聞いた。

 つまり、有里湊とは偽りの経歴で、ここにいる青年は別に本当の名前や経歴を持っているという事になる。

 いいのかばらしちまうぜ、と本当にばらす気はないが佐久間が湊を脅せば、青年は場の温度を二度ほど下げる綺麗に作られた笑みを浮かべながら彼女を見た。

 

「まだ海水浴には早い季節だぞ、佐久間文子」

「皆、私が行方不明になったら犯人は有里君だからね!」

 

 保護者が極道である彼が言うと本気で洒落にならない。季節外れの海水浴につれて行かれれば、そのままお魚さんたちと友達になってしまう未来しか見えないのだ。

 湊と海に行くのはいいが、それは燦々と照りつける夏の日差しが眩しい海が良い。

 よって、今ここで死ぬわけにはいかないと、ターニャの背中に隠れながら佐久間が他の者に自分の命を狙う男の情報を伝えていると、少女を待たせている状態で連れがショートコントのような事を始めたことをゆかりが謝罪した。

 

「なんか、連れがゴメンね」

「い、いえ、ブフッ……大丈夫です。で、では、お名前をお伺いします」

「月光館学園という名前で予約している者です」

「月光館学園様ですね。少々お待ちください」

 

 湊と佐久間のやり取りがツボに入ったのか、少女は声と肩を震わせて笑いを我慢しながら、必死に自分の仕事を全うしようとする。

 空気を読めない二人のせいでこうなった事を不憫に思った一同は、笑わせた犯人と旅館の内装を興味深そうに眺めているターニャを除き、全員が何も触れないであげようと何事もないように名前を伝え、少女も名前を聞いてフロントに向かうと部屋の鍵を持って戻ってきた。

 

「お部屋は大部屋と小部屋の二つと伺っておりますがお間違いないですか?」

「はい、大丈夫です」

 

 これまでは湊が自分と他の者で部屋を分けて予約していたが、今回は佐久間に任せたのでどんな部屋を取っているかは佐久間しか知らない。

 故に、少女の言葉には佐久間が返事を返したが、部屋の広さも内装を知らない他の者たちはどんな分け方をするつもりなのかと疑問を抱いた。

 

「では、ご案内させて頂きます。こちらへどうぞ」

 

 案内してくれる少女の後に続いて旅館の中を進んで行く。浴衣を着た人と通り過ぎる際、女性客は湊を見て目を丸くし、男性客は佐久間だけでなくハイレベルなルックスの女子たちをチラリと盗み見てくる。

 慣れていると言えば慣れているが、旅行先でもこうだと本当に休めるのは部屋の中ぐらいだと若干諦め、部屋に着く前に一つ確認しておこうとゆかりが口を開いた。

 

「先生、部屋割りはどうするんですか?」

「ふっふーん、男子と女子を同じ部屋には出来ないからね! 小部屋の方に有里君と“引率教師”である私が泊まって、皆は大部屋の方で楽しくわいわい泊まるんだよ!」

 

 まぁ、素敵。とは流石にならない。

 湊は見た目的には立派な男で、佐久間と並んでも自然なほど大人びている。

 相手の言う事は分かるけれど、そんな二人が同じ部屋で一晩過ごすというスキャンダラスなことを認められるかと、ゆかりは目を細めて佐久間を睨みながら抗議した。

 

「おいこら、職権乱用すんな」

「わぁ、岳羽さんってば口が悪い。でも、普通に考えて学校行事の一環で男子と女子を同じ部屋に泊まらせる訳にはいかないでしょ?」

 

 今回の旅行は九割方プライベートだが、名目としては部活動ということになっていて、部費の方からお金も落としているため学校行事という扱いだ。

 故に、湊が誰かと同じ部屋になるとすれば、それは引率の教師である佐久間しかないのだが、ここで二人の少女が待ったをかけた。

 

「……私は家族だから問題ないけど。旅行のときは同じ部屋で寝てるし」

「ウチはどっちでも構わへんけど、家やと一緒に寝とるからここでも同じ部屋やっても大丈夫やで」

 

 待ったをかけたのはチドリとラビリス。二人は湊と何度も一緒に寝ている上に、同級生ではなく家族や同居人だ。

 ただし、湊が既に家を出ている事や、ラビリスが湊と一緒に暮らしている事を知らなかった佐久間は、書類に書いていた彼女の住所を思い出しながらラビリスも桔梗組で暮らしていたのかと不思議がった。

 

「あれ? 汐見さんも有里君と吉野さんの家で暮らしてるの?」

「ウチはマンション暮らしですよ。元々は実家を出て湊君が一人暮らししてはって、身寄りのなかったウチに一緒に暮らさへんかって誘ってくれたんです。なんで、ウチと湊はマンションで二人暮らしって訳です」

 

 聞かれたラビリスは笑顔で訂正して、自分は湊と一緒にマンション暮らしだと答える。

 二人は一緒に暮らしているとか同居という言葉は使うが、一度として同棲という言葉は使った事がない。

 その辺りが両者が相手を特別な異性として意識していない証なのだが、想い人が美少女と一緒に暮らしていると聞いた佐久間は、目を大きく開いて驚きながら湊に詰め寄った。

 

「先生そんなの聞いてない! ずるいよ有里君!」

「……何がずるいのかさっぱりだ」

「何がって、先生のことは誘ってくれてないじゃん。一緒に暮らすなんて楽しいことに誘わないとかずるいよ!」

 

 一緒に暮らすな、ではなく自分も一緒に暮らしたいという辺り、佐久間も人として守るべきラインは弁えているらしい。

 中心にいる青年がまず訳ありなので、その青年と一緒にいたり、彼が見つけてきたような相手も同じく事情を抱えている者が多い。

 そんな相手を追い出せと言えば青年が怒ることは分かっているので、佐久間が自分もルームシェアしたいと言い続ければ、佐久間を無視していた湊の腕を、弓道で鍛えた少女の手が力の限り掴んだ。

 

「……ねえ、一緒に寝てるとか私も聞いてないんだけど」

 

 彼女として彼氏が他の女子と同じベッドで寝ているなど見過ごせない。目を細めて責めるように睨めば、湊は気にした様子もなく事の経緯を伝える。

 

「元々、寝室にキングサイズのベッドを一つ置いてたからな。二人で寝るだけのスペースは十分あるし、私室が狭くならないようベッドはそのまま使う事にしたんだ」

「かすみちゃんが泊まりに来たら三人で寝たりもするんよ。まぁ、湊君は在宅の仕事してて、夜はほとんど寝ぇへんけどね」

 

 湊に続いて、ラビリスも自分たち以外に隣に住む羽入も一緒に寝る事もあると伝え、明るい笑顔を見せてきたことでやましいことはないと嫌でも理解させられる。

 さらに彼が社長として多忙な事はゆかりも聞いているので、これでは何も言えないと彼の腕を離して肩を落とした。

 そんなゆかりを美紀と風花が苦笑しながら慰めて廊下を進み、かなり奥の方までやってきたところで案内の少女が立ち止まり振り返る。

 

「こちらが大部屋の椿の間になります。そして、建物の構造の関係で少し距離があきますが、隣の葵の間が小部屋になります」

 

 二つの部屋は共に角部屋になっており、大部屋を出て廊下の突き当たりを曲がってすぐに小部屋があった。

 隣り合ってはいないが間に部屋がないので隣ではある。大部屋と小部屋という異なる広さの部屋で近くにしようと思えばこうするしかない。

 佐久間は近い部屋にして欲しいという要望は出していなかったが、相手の厚意で近い部屋にして貰えたので、不満など抱こうはずがなく。案内してくれた少女に礼を言った。

 だが、本番はここからだ。小部屋が確定している湊は除外しても、他の誰が彼と同じ部屋に泊まるかという問題がある。

 佐久間は自分だけが一緒に泊まるつもりでいるようだが、そうはさせないとゆかりが先手を打った。

 

「よし、わかった。小部屋の方は三人にしよう。有里君以外にくじで当たった二人が行けば問題も起きないし」

「ダメだよ、岳羽さん。先生は有里君と同じ部屋なんだもん!」

「あー、きこえなーい」

 

 ゆかりとしては彼と二人きりが良かった。しかし、佐久間が言っていた通り、学校行事で男女の生徒が二人きりで泊まるのはまずい。

 故に、ここは佐久間に限らず、誰も彼と二人きりにならないという選択肢を取ることにした。

 子どものように嫌だと抗議してくる佐久間の意見を聞き流し、ゆかりは他の者に確認も取らず旅館の少女に布団の数の変更を伝える。

 

「すみません、大部屋の方に敷く予定の布団を一つ小部屋の方に変えてください」

「あ、はい。それは構いませんが大丈夫ですか?」

「ええ、問題ないです」

 

 一番の年長者が一番子どもっぽい態度を取っているため、少女は本当に良いのかと確認を取る。

 けれど、よく分かっていないラビリスやターニャは別として、他のメンバーは佐久間を湊と二人きりにするのは倫理的にマズイと考えていたため、ここはゆかりの案に乗っておこうと頷いて返した。

 意見がまとまり少女が布団の数の変更をメモしている間に、一同は鍵を受け取ってとりあえず全員で大部屋の方に入る。

 部屋はとても上等な和室で木や畳の香りが心を落ち着かせる。純和風が大好きなターニャはハラショーと叫んで拍手をしており、他の者は彼女の反応に顔を綻ばせながら部屋の真ん中に置かれたテーブルまで進む。

 皆に続いて少女も部屋に入ってくると、テーブルの上に置かれた施設案内の紙を指しながら、これからの予定について説明した。

 

「夕食は六時から個室のお座敷でお取りしてます。先に入浴して頂いても構いませんが、露天風呂は時間で男湯と女湯が切り替わるのでご注意ください。お布団は皆さんがお食事している間に敷かせて頂くので、貴重品の管理はお客様ご自身か部屋の金庫に預けてください」

 

 一同の泊まる部屋と食事のお座敷は丁度反対に位置する。案内の看板があるので迷いはしないが、距離があるので時間にだけは注意しておこうと全員が時計を確認し、それぞれが了解したと少女に返す。

 一度ですんなりと説明が終わった少女は安心した笑顔を見せ、丁寧な仕草で礼をすると部屋を出ていく。

 

「では、ごゆっくりお過ごしくださいませ。失礼いたします」

 

 子どもと言えど所作の一つ一つが丁寧で、和室の戸を閉めるときも、部屋の扉を閉めるのもほとんど音を立てなかった。

 幼い頃からしっかりと仕込まれているのだろうと感心しながら、夕食まで時間がある一同はくつろぎモードになってお茶などを淹れつつ過ごそうとする。

 だが、いつの間にか手ぶらで歩いていた青年は時計を見ながら、よし、と普段よりやる気があるように見えなくもない顔で立ち上がった。

 

「……夕食まで一時間ちょっとか。じゃあ、風呂に行ってくる」

「はやっ、一息ついてからじゃないの?」

「丁度男湯の時間なんだ。せっかく来たのに露天風呂に入らないと損だろ」

「人多いから目立つし後にした方がええと思うで」

 

 確かに施設案内の紙には六時までは男湯と書かれている。二時間交代で次に男湯になるのは八時からなので、これを逃すと夕食後にしばらくだらけていなくてはならない。

 そんな無駄な時間を過ごしたくない湊だったが、ラビリスの言う通り今は人が多い時間帯だった。

 ただでさえ目立つ容姿をしているというのに、大勢の客のいる露天に行けば籠球皇子効果で話しかけられる可能性が高い。

 それでは休めないし温泉も楽しめないので、湊は渋々ながら座布団に座り直した。

 すると、これまで話を聞いていたターニャが、話が途切れたタイミングで口を開いて来た。

 

「イズヴィニーチェ、ロテンブロとはなんデスか?」

「ああ、露天風呂は屋外にあるお風呂のことやね。雨やと大変やけど晴れてたら星空を見ながら入ったり出来るから、日本の温泉旅館を満喫するならオススメやで」

 

 ラビリスにとって露天風呂初体験は桔梗組の外風呂だった。鵜飼の趣味で小さいとはいえ山の上まで温泉を引いており、水もポンプで井戸水を汲み上げているので機械の維持費だけでかなりの費用となっている。

 だが、こだわっているだけあって湯加減も景色も最高で、そのイメージが強く残っているラビリスは、ターニャに是非とも体験するべきだと話した。

 話を聞いたターニャはとても興味が湧いたようで、早く入りたいとソワソワしていたが、女湯と食事の時間が被っているからとお預けをくらい。次の女湯の時間を確認して肩を落としていた。

 

夜――露天風呂

 

 旅館の料理は最高だった。山の幸を堪能できるコースを選んだが、川魚や牡丹鍋など普段は食べない料理が並び、どれも素朴ながら美味しいと感じる素晴らしい出来に皆が満足した。

 佐久間はさらに滅多に手に入らない“森蘭丸”という名の芋焼酎もいただき、商店街の店でほんの僅かだけ取り扱っていると聞いて、帰りに買って帰ることに決めていた。

 そんな風に非常に楽しい夕食の時間を過ごした訳だが、くじ引きの結果湊と同じ部屋で寝るのはラビリスと風花に決まり、風花は困った顔をしながら恥ずかしそうにしていたが、決まった以上は変更も交換も無しというルールだったことで大人しく諦めていた。

 そして、先に小部屋に荷物を移動させた湊は、露天風呂の時間だからと小部屋の鍵を持って風呂に向かった。

 女子たちは荷物を大部屋に残していたので、これで行き違いになっても湊は小部屋に、女子らは大部屋に行く事が出来る。

 そのように準備をして時間を潰し、ようやく女湯の時間になったことで移動したメンバーたちは、他に誰もいない更衣室で服を脱いでいた。

 

「やったね、これは貸し切りっぽいよ!」

「先生、テンション高いですね……」

「うん! だって、お酒飲んだし、有里君と違う部屋になったんだもん。温泉くらい楽しまないとね!」

 

 湊と別の部屋になったことは引き摺っているようだが、ウジウジしたりせずに佐久間はケラケラと楽しそうに笑う。

 酔うほど酒は飲んでいないが気分は高揚していることもあって、この状態で入浴しても大丈夫かと他の者は不安を抱く。

 しかし、彼女がシャツとスカートを脱いで下着姿になったところで、相手をジッと見ていたチドリがポソリと溢した。

 

「……やっぱり、無駄にスタイルいいわね」

「確かに先生ってよく食べる方なのにスタイルくずれないよね」

 

 チドリの言葉に風花も同意する。

 佐久間はちょこちょこと他の者より動いていることもあって、食べ盛り成長期であるゆかりたちよりも多く食べる。

 流石に湊や羽入ほどは食べられないが、沢山食べて酒も飲んでいながら、スタイル維持のためのトレーニングをせずに全盛期と思われるプロポーションを維持し続けていることもあり、他の者たちは素直にすごいと佐久間を見た。

 すると、自分が注目されていると気付いた彼女は、下着姿のまま振り返って胸の下で腕を組んで持ち上げてみせた。

 

「にゃははー、発展途上の君たちでは出せない大人の魅力ってやつだね!」

『大人はそんな事しないと思います』

 

 大人にしか出来ない技だが、良識ある大人はそんな事はしないと総ツッコミが入る。

 言われても気にせず彼女は鼻歌を歌いながら下着を脱ぎ始め、相手から視線を外し反対側を向いたゆかりは、今回初参加のメンバーであるラビリスをみて、その透き通るような白い肌に思わず声を漏らした。

 

「うわぁ、ラビリスもスタイルいいよね。色白ですっごく綺麗」

「自分ではよぉ分からんけど、まぁ、ウチは日本人ちゃうから肌の色はしゃーないわ。スタイルも自分で決めた訳やないし」

 

 ラビリスの身体の造形を決めたのはEP社の人間だ。人間にしか見えず、誰も彼女がロボットだと認識できないほど精巧に作られている。

 故に、彼女が綺麗だとすれば、それは作った人間のおかげであってラビリス自身の努力によるものではない。

 それでも褒めてもらった事は嬉しいので笑顔で返していると、話している二人を眺めていたチドリが話に入ってきた。

 

「そういう貴女も去年に比べるとやけに成長してるわね。主に胸部が」

「あ、本当だ。ゆかりちゃんなんか身体付きが大人っぽくなってる」

「そ、そんなことないよ。背が伸びて全体のバランスが違って見えるからでしょ」

 

 前に旅行に行ったときも一緒に風呂に入ったが、そのときと比較してゆかりの身体は明らかに大人っぽくなっていた。

 確かに身長が伸びたことも一因ではあるが、それだけでなく胸が成長し、腰のあたりが綺麗にくびれて来ている。

 中学一年生の頃は風花の方が胸が大きかったが、今ではゆかりの方が大きくなっているくらいだ。

 身体が徐々に大人になりつつある証である。と思いたいところだが、チドリはやる気のないような瞳でゆかりを見詰めたまま、成長の理由はやはりあれかと尋ねた。

 

「……やっぱり揉まれると大きくなるの?」

「ぶふっ!? ちょ、急になんの話よ!」

 

 予想外の発言にゆかりは前のめりになり棚に顔をぶつけそうになる。ギリギリでその事態は避けたが、慌ててゆかりが返せば、服を脱ぎ終わりタオルを持ったチドリは、温泉の方へ向かいながら改めて先ほどの質問の意図を伝える。

 

「湊に揉まれて大きくなったんじゃないの?」

「い、いや、それ迷信でしょ。雑誌とかに載ってる豊胸マッサージは、効果はないのに胸を支える筋が伸びる可能性があるからダメだって話もきくし」

 

 その話はよく聞くが医学的には何の根拠もない話で、むしろ、間違った方法で揉んだりすると胸を支える筋が伸び、将来的に垂れて形が崩れてしまうはずだとゆかりは指摘する。

 実際は、好きな相手に触れられることでホルモンが分泌し、それが作用して胸などの肥大化が起こったりもするので、完全に全てが嘘という訳ではない。

 けれど、医学系の知識を持つ青年はここにはいないので、真相は謎のまま扉を開けて外に出た。

 すると、濛々と湯気の立ち昇る立派な温泉が目に入ってくる。これが貸し切り状態とは贅沢だと思いながら、一同は先に身体を洗うためにシャワーへと向かいながら会話を続けた。

 

「……揉まれた事自体は否定しなかったわね。去年はあれだけうだうだ気持ち誤魔化してたくせに、正式に付き合いだしたらちゃっかりやる事はやってるのね」

「岳羽さんの中古! ドスケベ! 先生、不純異性交遊は禁止って言ったのに!」

「う、五月蝿い! 誰が中古か!」

 

 ワシャワシャとシャンプーを泡立て、頭が羊のようになりながらゆかりを責める佐久間。

 彼女は未だ男性経験なしの乙女なので、自分より年下の生徒が肉体関係に及んでいると聞いて、心の中は驚きでいっぱいだ。

 けれど、教師と女の二つの立場から、その歳でそんな事をするなんていけないんだぞと怒った。

 ゆかり自身、指摘されるまでもなく経験するのが早かった事は理解している。未成年というだけでなく、当時はまだ十五歳の中学生だったのだ。これで早くない訳がない。

 それでも仮初の恋人の期間を経て、正式に付き合う事になってゆかりは自分の気持ちに正直に行動した。

 未熟な若者として大人から責められるのは覚悟の上。言い訳をするつもりはなく、言い逃れだってしない。ただ、自分の選択に後悔するつもりもなかった。

 痴女だの行き遅れだの、身体を洗いながら佐久間とゆかりが騒いでいれば、

 

「あの、皆さん、他に人がいないと言っても声が響きますからもう少し静かにしましょう」

『はーい』

 

 あまり綺麗とは言えない言葉を大きな声で口にし過ぎだと美紀からストップがかかった。

 一度言い争いが中断した事でゆかりたちも身体を洗う作業に戻ったが、少しすれば再びチドリが口を開いてゆかりに話しかけた。

 

「……話を戻すけど、どっちが誘ったの?」

「せっかく終わったのにそこ聞くかな……」

 

 年頃の少女として興味があるのは分かる。男の方が相手の家族で、想い人でもあるようなので余計に気になるのだろうが、ゆかりが自分の性体験を話すのは恥ずかしいと思っていれば、反対側に座っていた風花も話題に乗ってきた。

 

「痛いとかって聞くけど、ゆかりちゃんは怖くなかったの?」

「風花まで……。いや、最初はやっぱり恥ずかしいし怖いけどさ。なんていうか、触れたいとか触れて欲しいって気持ちが勝ってくるのよ。精神的だけじゃなく肉体的にも満たされたいって事なんだろうけど」

 

 心と身体は理性と本能だ。そのどちらもが彼を求めたので、ゆかりは勇気を出して進み、彼と繋がる事が出来た。

 改めてそのときの気持ちを言葉にしようとすると難しいが、結局はそういう事でしかないと素直に伝えた。

 風花もそんな説明でなんとなくは理解してくれたらしく、ゆっくりと言葉を自分の中に取り入れるように二回ほど頷いて、最後に大恋愛だねと優しい笑みを浮かべた。

 友人にそう言われると途端に恥ずかしくなるが、本人も似た境遇で自分をちゃんと理解してくれる人物との恋愛など、もう二度とないと思っているだけに一生物の恋だと思っている。

 なので、照れながらも誤魔化さず、「うん」と短く答えれば、再び反対側から雰囲気を台無しに言葉で話しかけられた。

 

「有里君って色々と器用だけど、そっち方面もやっぱり上手なの? 気持ちいい?」

「教師が生徒のそういう話に乗っていいんですか?」

「裸の付き合いで肩書きや上下関係を持ちだすのは無粋だよー」

 

 色々と複雑な気持ちはあるが興味が勝る。佐久間はそう言いたげに頭からお湯を被って泡を流す。

 生徒と同じ目線と言えば聞こえがいいが、単純に子どもっぽいだけだろうと呆れながら、ゆかりは他の者の質問に答えた時点で今日はいじられる運命だと受け入れた。

 

「まぁ、彼しか知らないんで比較は出来ませんけど、たぶん上手なんだと思いますよ」

「ふえー、なるほどぉ。なら初めてでも安心だね! さって、身体も洗ったし、レッツ温泉!」

 

 その初めてとは自分の事ではないだろうなと訝しんでゆかりは目を細める。

 いくら何でも生徒と教師が肉体関係に及ぶのはマズイので、早まった真似はするなよと思いながら、ゆかりたちも身体を洗い終わってタオルを手に持ちながら温泉へと向かう。

 お湯の色は濁った白で、美肌や関節痛に冷え症などにも効くと脱衣所に書かれていた。入る前から楽しみにしていた佐久間が、貸し切りなので早速飛び込もうと助走をつけようとしたとき、

 

「ん? あ、ちょっと待っててな」

 

 何かに気付いたラビリスが制止の声をかけた。

 助走をつけようとした佐久間は危なく転けそうになるが、持ち前の身体能力を駆使してバランスを取って耐える。

 しかし、一体なんなのだとラビリスの方を見れば、ラビリスは先に温泉に入りジャブジャブと進んで、奥のかけ流しのところへ到着するなり前屈みでお湯に手を入れた。

 

「ほら、起きって。何時間沈んどるんよ。お風呂で寝たらアカンってば」

 

 言いながら彼女が身体を起こすと、お湯の中から貞子状態の湊が現れる。

 相手は本気で寝ていたようで座ったまま目を閉じているが、ラビリスが何度も身体を揺らすとようやく目覚めて、何も付けられていない両目を開いた。

 

「ん……、ああ、女湯の時間になってたのか」

「とっくやで。女湯になって二十分くらい経ってるわ」

「……そうか」

 

 まわりを見渡して手にタオルを持ったまま固まる全裸の女子たちを発見し、湊も状況を理解して右腕に巻いていた黒い布から眼帯を取り出して右眼に付ける。

 これで魔眼の意図しない発動を防ぐ事が出来るので、もう大丈夫だと岩の上に置いていたタオルを頭に乗せれば、広がった髪の毛をざっくり纏めながらゆったりとくつろぎ出す。

 しかし、状況を理解しておきながら青年がゆったりし、ラビリスもその傍に腰を降ろして肩までお湯に浸かったところでゆかりが再起動を果たす。

 

「いやいやいや、男湯と女湯が切り替わるまでずっと温泉に沈んでるとかあり得ないってば!」

「息を止めておくのは得意なんだ。まぁ、とりあえずお湯に浸かれ。身体が冷えるぞ」

「なんで平然と混浴しようとしてんのよ。他の客が来るかもしれないんだから、さっさと出て行きなさいよ」

 

 ゆかりに続いてチドリもタオルで身体を隠しながらツッコミをいれる。温泉が好きで何時間も入っていられるのは知っているが、ここは時間で男女が切り替わるので彼がいるとマズイ。

 まだ他の客は来ていないので、騒ぎになる前に出て行けと強く睨めば、それもそうかと湊は頭に乗せていたタオルを腰に巻いて立ち上がった。

 

「……そうだな。じゃあ、先にあがる。そっちはゆっくり温泉を楽しんでくれ」

 

 彼が立ち上がると濁り湯で隠れていた傷跡が露わになる。鳩尾の辺りに出来た何でついたか分からない傷跡や、肩から腰に掛けて斜めに走った刀傷など、どれも重傷だった事は素人でも分かる。

 以前、チドリが彼のシャツの下を見るときは覚悟しろと言っていた理由を理解し、傷跡の衝撃で裸も見られていたことも忘れていた風花や美紀も、彼が脱衣所の扉を閉めたところでようやく再起動した。

 

「あ、有里君ばっちり見てたよね?」

「はい、一切リアクションしていませんが……」

 

 再起動を果たすと見れてしまった事実を思い出す。途端に二人は顔を真っ赤にしながらお湯に浸かり、口まで沈んで恥ずかしそうにブクブクと泡を立てる。

 他の者は二人と同じように恥ずかしさを感じていたが、それはまた上がってから話せばいいので、とりあえずお湯に浸かると一息ついた。

 

***

 

 全員が温泉からあがって髪を乾かし着替えて出ると、湊は自前の黒い着流しを着て、休憩スペースで旅館の少女とジュースを飲みながら周辺の地図を見ていた。

 今回の旅行は染物体験以外はノープラン。移動に時間が掛かる上に、それほど観光できる場所もなさそうだったことで、そんな適当な計画を立てた訳だが、帰る前に巽屋に寄って作品を受け取るのと、その近くにあるという酒屋で芋焼酎を買って帰るくらいしか予定はない。

 故に、彼が地元民の少女に話を聞いて観光できそうな場所を調べるのはいいのだが、裸を見られた方としては犯行現場の近くを彷徨いているようにしか見えなかった。

 

「……犯人は現場に戻ってくるって本当だったのね」

「……ここで涼んでただけだがな」

 

 やってきたチドリがいきなり意味不明な事を言うも、湊は事情を理解して肩を竦める。

 対して、話していた少女は、彼らの間を漂う微妙な空気を感じ取って、もしや旅館のサービスに不備でもあったのだろうかと心配して尋ねた。

 

「あの、何かありましたか?」

「ああ、大したことやないんよ。湊君が長風呂し過ぎて、女湯に切り替わってから入ったウチらと中で会っただけやねん」

「あ、なるほど」

 

 微妙な空気の正体がお風呂場バッタリだと理解し、少女もそれはしょうがないと納得する。

 けれど、すぐにある事に気付いて、少女は不思議そうに首を傾げた。

 

「あれ? でも、切り替える前に従業員が中を確認するので、切り替えたのなら誰も入られてなかったはずですけど」

「有里君は寝ちゃってて底に沈んでたのよ。あのお湯の色だと底までは見えづらいから、それで見逃しちゃったんじゃないかな」

「それは大変失礼いたしました。溺れて体調を崩されたりはしていませんか?」

「少なくとも三十分は沈んでた馬鹿だから気にするだけ無駄よ」

 

 ゆかりとチドリのコンビが少女に答えると、少女はよくそれだけ沈んでて無事だったなと驚いて見せる。

 一歩間違えれば死亡事故で旅館に不穏な噂が立つところだったので、それを回避できてホッと息を吐いていれば、改めて青年の方へと向き直ったチドリが話しかけた。

 

「で、全員の裸を見た感想は?」

 

 雰囲気もスタイルもバラバラだが、全員が整った容姿をしていることは共通している。

 そんな女性陣の裸を一度に見るという幸運に恵まれた彼は、色々と言えば話がややこしくなるので、とても簡潔に素直な感想を口にした。

 

「……綺麗だったな」

「あっそ。じゃあ、私はオレンジジュース」

「先生はコーヒー牛乳にしようかな」

「ワタシはカルピスでお願いしマスね」

「ほんなら、ウチはフルーツ牛乳っての試してみるわ」

 

 聞いておきながらチドリはどうでも良さそうに話を切り、そのまま自販機の方へと歩いてゆく。

 彼女だけでなく佐久間やターニャにラビリスも続いて向かっていくが、袖から財布を出して後を追う青年の背中を見ながら、旅館の少女は裸を見られてそんな簡単に済ませるのかと風花や美紀に尋ねる。

 

「ジュースで許されるんですか?」

「んー、許すのとはちょっと違うかな」

「私たちも複雑ですけど、覗いた訳ではなく寝てしまっていただけですから、落とし所としてジュース一つって感じですね」

 

 故意ではなく不幸が重なって起きた事故だった。だからこそ、恥ずかしさはまだ残っているが、ジュース一本で話を終わらせるのだ。

 彼らのそんな互いを信用しているからこその関係を知って少女は口元を歪ませ。風花たちも後を追うというので、失礼しますと一礼してから去って行った。

 

「さて、明日の事だが町を一望できる高台があるらしい。そこに寄ってから商店街に向かい。染物を受け取り、土産を買って帰ろうと思う」

 

 風花たちも湊に追い付き飲み物を買ってもらうと、全員がジュースを飲みながら再び地図の前に集まる。

 少女から聞いた高台の景色は町だけでなく遠くの山まで見渡せるので、この辺りでは一番の眺めなんだとか。

 それを見てから土産を買いに行っても時間は大丈夫なので、軽いピクニックをしてから買い物をして帰ろうと伝えれば、全員が了解したと頷いて返した。

 翌日の予定が決まれば後は自由行動。卓球をしてみたいというターニャと一緒に卓球場へ向かったり、レトロなゲームの置かれた遊技場をひやかしたり、一同は遅くまで遊び倒した。

 そして、翌日は朝風呂を楽しんでから旅館の朝食を味わい。注文しておいたお弁当を持って高台で景色と共に昼食を楽しむと、商店街で土産を買って自分の染めた作品を受け取って、色々とハプニングもあったが良い旅だったと無事に稲羽市を後にしたのだった。

 

 

 


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