【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百七十四話 少女の適性

5月26日(月)

朝――月光館学園

 

 湊がテニスの大会で優勝した翌日、久しぶりにバイクではなく電車に乗って登校すると、それなりに人の多い車内で痴漢を働いている者がいたので相手を締め上げ。携帯に登録してある駅直通の番号に電話をかけて、駅に着くなり待って貰っていた駅員に痴漢を任せて湊はそのまま電車に乗り続けた。

 湊が通学で電車を利用するようになってから区間内の痴漢発生率が減少しており、湊が何人も痴漢逮捕に協力していることもあって、駅員たちも彼の活躍を喜びながら「ご苦労様です」と顔なじみになっている。

 おかげで発生場所や発生時の状況に被害者の連絡先などの必要事項を指定の用紙に書いておけば、痴漢と一緒にそれを渡すことでいちいち電車から降りる必要がなく、聞きたい事があればまた連絡するという形を取ることで学校に遅れずに済んでいた。

 テニスの大会で優勝したからか、朝のニュースで再び皇子として取り上げられ、また騒がれるようになってしまい。湊は朝からまわりの声を五月蝿く感じていた。

 そんなときに痴漢などという下衆な行為を行っている者をみて、大変不快な思いになった湊は八つ当たり気味に腕を捻ってサブミッションを決めたため、駅について電車を降りた頃には気分はいくらかマシになっていた。

 電車を降りて改札に向かう途中、チドリと遭遇し、学校の生徒玄関に向かう途中に朝練を終えたゆかりと出会って、湊たちが共に靴箱に向かうと正面から朝練を終えた男子バスケ部がやってくる。

 そして、湊の姿を発見した瞬間に、数名の男子がはっきりと「みつけた!」という顔をした。

 

「有里ぉぉぉぉ!!」

「……朝から元気だな、宮下」

「宮本だ!」

 

 湊にとって顔見知りだろうと基本的には興味のない他人だ。故に、名前もざっくりとしか覚えておらず、間違えられた方はちゃんと覚えろとツッコミを入れる。

 もっとも、宮本はただ挨拶をしにやってきた訳ではない。昨日の今日で既に朝のニュースで取り上げられていた湊の話題を知って、ずっとバスケ部に勧誘していたのにどうしてだと文句を言いに来たのだ。

 

「なんでバスケじゃなくてテニスやってんだよ! しかも、ちゃっかり優勝したらしいじゃねぇか」

「そうッスよ、会長。オレ、会長とまたバスケするの楽しみにしてたのに、テニスで優勝したせいで籠球皇子から万能皇子に改名されてたじゃないッスか」

 

 宮本と同じく渡邊も湊の話題を今朝のニュースで知ったようで、優勝は素直に祝うがバスケを一緒に出来ないことには不満げな顔をする。

 今まで湊は公認ファンクラブのプリンス・ミナトが決めた“籠球皇子”という呼称を利用していたが、そこそこ大きなテニスの大会で優勝する実力となれば、彼の才能はバスケットボールだけには留まらないことになる。

 そこで新たに考案されたのが直球な“万能皇子”というネーミングだ。テニスの大会にエントリーすると事前に情報を仕入れていたプリミナは、マスコミに嗅ぎ付けられる前に登録商標として申請しており、試合二日目から“万能皇子”と書かれた横断幕を広げていたので、マスコミも呼称を“万能皇子”に改めていた。

 幹部が全て学生だというのに大人顔負けの手際の良さには舌を巻くが、現在、プリミナは勢力を拡大したことで大人も組織に入っており、その中には法の専門家やマスコミもいる。

 何より、湊本人にこうしたいのだがどうだろうかと許可を取る際、多方面の知識を有している湊からアドバイスを受けていたので、彼女たちの躍進の裏には強力な助っ人の活躍による部分も大きかった。

 それはともかくとして、万能皇子などという微妙な名を付けられた青年は、今の名前も変だが前の名前もおかしかった事を指摘する。

 

「なんでと言われてもな。バスケなんて中三の夏しかしてないのに、籠球皇子と呼ばれる方がおかしかったんだぞ」

「じゃあ、テニスは前からやってたのか?」

「小学校に入る前にな。ブランクはあったがバスケよりも慣れてる分強いぞ」

 

 湊のテニス歴は一年強。プロ入りを期待されるも断った母に、実戦的なテニスを幼少期の遊びの中で教わっていた。

 少年は母の打った球を夢中で追いかけて返していただけだろうが、その経験が今の彼の中に生きている事は先の大会で証明された。

 どちらの手でも優劣なく強いフォアハンドを打てる選手は稀だと、元プロテニスプレイヤーがテレビ局の取材に電話で答えていたため、マスコミやテニス業界はバスケに続いてテニスでも皇子ブームを作ろうと動き出している。

 バスケの大会のときにチドリも言っていたように、湊は本来チームプレーには向かない選手だ。

 どうやっても運動能力に差が出るので、彼の能力を十全に活かすにはチームをトッププレイヤーで固めるしかない。

 そんなことは高校の部活では不可能なので、経験もあり個人技を活かせるテニスの方が向いているのだろうかと、頭では理解しつつも心では納得できない渡邊が溜め息を漏らす。

 

「はぁ……いや、会長がテニスのが好きってなら文句言えないんスけど。やっぱ一緒にやりたかったんで残念だっていうか」

「別に特定のスポーツに思い入れはないな。テニスをしたのは自分も参加出来る大会だったからだ。今後もするかは決めてない」

「あ、そうなんスか? じゃあ、まだ可能性はあるってことか。ならまた気が向いたらバスケしましょうよ。テニスより面白いッスから」

 

 また一緒にプレーできる可能性が残っていると聞いて、渡邊や宮本も安心した顔を見せる。

 テニス一本に絞るのなら必死に止めていたが、まだ色々と試す気なら彼は元々気分屋で助っ人として参加していたので、近いうちに一緒に楽しもうと誘うだけに止めた。

 しかし、そのとき渡邊の言葉に聞き捨てならない部分があったと、背後から待ったがかかった。

 

「その意見には賛成しかねるわね。あれだけ打てるのだから、私としてはテニスを続けるべきだと思うけど」

 

 言いながら現れたのは朝練が終わってやってきた高千穂やラビリス達女子テニス部。湊の試合は二日とも見ていたので、強豪も参加していた大会で優勝を決めるほどの実力があるなら、高千穂としては彼にテニスを選んで貰いたいらしい。

 そんな部活仲間の言葉を聞きながら、やってきたラビリスは上履きに履き替えながら集まっていた一同と笑顔で挨拶を交わす。

 

「皆、おはよーさん」

「おはよう。そっちも朝練終わったんだ?」

「試験と大会の時期が重なって忙しかったから、今日の朝練はホンマに基礎練って感じやったけどね。たまにはサーブ&ラリーでのんびりするのもええわ」

 

 月光館学園のテニス部員らは初日に敗退してしまったが、まだ試合の疲れが残っている者もいる。

 なので、今日は試合形式に近いサーブで始まるラリーで身体を動かす程度のメニューをこなし、ラビリス達はテニス本来の楽しさをあじわった。

 そのようにラビリスがゆかりらと話す傍らで、湊と渡邊のもとに来た高千穂は昨日の大会の事を思い出しながら、改めて素晴らしいプレーだったと彼の優勝を祝う。

 

「改めて昨日は優勝おめでとう。ウチの学生としての参加じゃなかったにしろ、同じ学校に通う人間として素直に誇らしいわ」

「応援のためだけに二日目も来てくれたやつがいたからな。少しくらいサービスしないとって思ったんだ」

「来年こそ二日目も選手として参加するわよ。汐見さんも高校から始めたのにすごく上達が速いし、ウチの女子はきっと強くなるわ」

 

 実際のところ湊は他の者の事など考えてプレーしていなかった。自分の記憶に残る母のプレーを思い出し、それを自分の動きに取り入れるイメージをしながら相手の動きを観察し、相手の次の動きを予測して実行に移していただけだ。

 試合をした相手にすれば不気味だったに違いない。どれだけ自分が厳しいコースに打とうと揺らがず、ただジッと金色の瞳で見つめてボールを返してくるのだから。

 もっとも、外から見ていた高千穂はそんな事に気付いていなかったため、湊の皮肉混じりの言葉に次こそ自分も同じ立場だと笑って返した。

 そうして、メンバーが多くなったことで全員が徐々に移動し、四階の一年生のフロアに到着すれば、

 

「有里君……」

 

 先に学校に来ていた美紀が湊の姿を見つけるなり、不安げな表情を浮かべて駆け寄ってきた。

 友人に挨拶をしようとした他の者も、どこか泣きそうな顔で湊を見つめる美紀に戸惑い声をかけられない。

 昨日の試合が終わってからは別れて帰ったので、二人の間に何があったのか分からず、一同が二人を見ていれば、湊が何も持っていなかった左手を伸ばして美紀の頭に置いた。

 

「大丈夫だ。何も怖くない」

「……はい」

 

 彼の手から伝わってくる温もりに安心感を覚え、美紀の表情が少しだけ落ち着いた物になる。

 最初の泣きそうな顔を見て心配になっていた女子らは、魔法の手だなと置いただけで相手を安心させる青年に思わず感心する。

 美紀の様子がマシになったのなら、今度は事情を聞かねばならない。そう思った二人の少女が口を開いたのは同時だった。

 

『どういうこと?』

 

 何か悩みがあって、それが湊によって解決するなら構わない。ただ、事情だけは話せとチドリとゆかりが湊に説明を求める。

 美紀は自分の能力で出来る事を見極め、出来ない事なら出来ない事と認識するために必要以上に心を乱す事が少ない。

 そんな彼女があんな様子になっていたのだから、相応の事情が絡んでいることは容易に想像がつく。

 青年の家族と彼女、少女の友人、その二つの立場から放っておく事が出来ない二人が、すぐに説明できるであろう青年に尋ねるも、青年は二人の質問を聞き流して美紀に話しかけた。

 

「真田、泊まる用意は持ってきたか?」

「……はい、両親にもちゃんと伝えておきました」

「チドリ、今日真田がそっちに泊まる。俺も後で行くから連れて帰ってやってくれ」

 

 巌戸台から桔梗組の最寄り駅までの交通費が入ったICカードを渡され、美紀はそれを自分の定期入れに仕舞うが、傍から聞いていれば話の内容が何やら不穏なものになる。

 両親に何かを伝えて青年の現在の実家の方に泊まるなど、これでは二人が一線を越えて子どもが出来てしまった様に思えなくもない。

 勿論、そんな事はないと信じてはいるが、少女は幼い頃に青年に命を救われて無自覚ながら初恋だったかもしれないと言っていたのだ。可能性はゼロではない。

 青年が声をかけてきた今がチャンスだと、チドリは改めて二人の間に何があったのかを問いかけた。

 

「何かあったの?」

「昨日の夜に少しな。寝惚けていたらしく、零時頃に外に出てて怖い目に遭ったんだ。まぁ、通りがかった俺が直前で助けたから何もなかったが」

「……そう」

 

 二人の関係を心配していたチドリは、“零時頃”という単語を聞いたことで事情を察した。

 ただ説明するなら“夜中に”と言えばいい。正確に伝えるなら時間を口にするかもしれないが、青年が目で伝えてきたのでチドリだけでなくラビリスも影時間絡みだと気付き、ここでは必要以上に騒ぎにならないようにすべきだと即座に判断した。

 他の者も美紀が男に乱暴されそうになったと勘違いしたに違いないので、チドリとラビリスが意図を汲んで傍にいた男子の前に移動してくれたことで、湊はそのまま美紀がショックで男性不信になっているという周りの勘違いを利用する。

 

「岳羽、チドリと一緒に真田のことを見ててやってくれ。まだ昨日のショックが抜けてなくて精神的に不安定になってるんだ。男はダメだから先輩には伝えなくていい。いま構うと逆効果になる」

「あ、うん。わかった。有里君は大丈夫なの?」

「助けた側だからな。他の男よりはマシだ」

 

 言われてすぐにゆかりは心配しながら美紀に寄り添ってやる。周りにいるメンバーは高千穂とラビリスを除いて全員が美紀やチドリと同じクラスなので、美紀本人のフォローはゆかりとチドリが担当し、男子など周りのフォローは渡邊や宮本がそれとなくしてくれるだろう。

 自分たちがペルソナ使いだと隠しているため、妹を大切に想っている真田は邪魔になる。なので、“男はダメ”という条件を付けたことで誰も彼には伝えないはずだ。

 湊はそう考えながら、話は家ですると言ってラビリスと共に自分の教室へと去って行った。

 

夜――桔梗組

 

 学校が終わると美紀はチドリに案内されながら桔梗組へ来ていた。駅についた時点で黒塗りの高級車が迎えに来ている事には驚いたが、家に着くと先日泊まった旅館並みに趣のある豪邸にさらに目を丸くした。

 もっとも、昨夜のことを思い出すと楽しい気分ではいられない。

 湊に救われた美紀は、泣き止んでから彼に自宅まで送ってもらい、彼をそのまま自室へと招いた。

 影時間なので電気は点かないはずだったが、湊が腕を振れば家電が復活したので、明るい場所で知り合いといる事でいくらか気分がマシになり、湊に色々と事情を尋ねた。

 これはなんなのか、先ほどのお化けはなんなのか、湊と一緒にいた天使はなんなのか、どうして湊以外の人間が消えてしまったのか。分からない事だらけで泣きそうな美紀に、湊は明日ちゃんと話してやるので今日は寝ろと返して来た。

 親には、高校最初のテストなので、今後の勉強で躓かないために友人の家ですぐ反省会をすることになったと伝えるように言い。湊のマンションではなくチドリが暮らしている実家に実際に泊まりに来るように伝え、美紀も今は湊しか頼れる者がいなかったことで、寝付くまで彼に手を握ってもらいながら頷いた事で今朝の出来事に繋がる。

 

「ちーちゃんがお友達を連れてくるなんて初めてだから、とっても新鮮な気分だわ。真田さんも自分の家だと思ってゆっくりしてね」

「は、はい。あの、有里君から何か連絡は?」

「みーくん? 来るとは聞いてるけど何時になるかはちょっと分からないわ」

 

 美紀が家にやってきた事で一番喜んだのは桜だ。家が極道なので子どもたちが友人を家に招く事はまずない。

 湊は水智恵やらラビリスやらソフィアやらを連れてきた事もあるが、彼女たちは友人ではないし、湊も自分の友達はファルロスだけと言っているので友人を連れてくる事は期待できない。

 そんなときにチドリが美紀を連れてきた事もあり、桜はちょっとしたお祝いとして豪華な料理を用意しかけたが、チドリが普通で良いとばっさり言い切った事で、普段より少しだけグレードの高い家庭料理が提供されるに留まった。

 そうして、チドリと美紀が本日返却されたテストで本当に反省会をしていれば、玄関の戸が開く音がして、女性のものと思われる軽めの足音が一人分だけ聞こえたというのに、湊とラビリスが姿を現した。

 

「こんばんは」

「すまない、仕事を終わらせてきたんだ」

 

 美紀にすれば足音の数と人数が合わないと疑問符を浮かべるところだが、チドリが湊は足音を消して歩く癖があると教えた事で、ようやく納得した顔になる。

 そんな変な癖を一般人が持っている事に突っ込まないのは、彼女が既に湊に毒されている証だが、やってきた二人がテーブルについて桜がお茶を用意したところで、勉強道具を片付けた美紀が頭を下げて改めて礼をした。

 

「あの、昨日は助けていただいてありがとうございました。有里君が来てくれなければ死んでいたと思います。昔の火事と合わせて二度も助けて貰って。本当に感謝しかありません。ですが、昨日のあれは夢ではないんですよね。そうじゃなければ、私はここでこうやって話していないでしょうけど」

「ああ、現実だ。毎夜零時に世界は塗り潰され一変する」

 

 話をしながら湊はマフラーからチョコレートやクッキーを次々と出し、テーブルの上はちょっとしたティーパーティー状態になる。

 美紀以外の少女は話を聞きながらそれを摘まんでいるが、青年も含めて事態を深刻には考えていないので、こういった温度差はしょうがないのかもしれない。

 

「影時間っていうんだ。発生時間は多少の変動はあるがおよそ一時間。その間は生物は棺桶のモニュメントになり、機械は一切稼働しなくなる」

「あのお化けみたいな存在はなんですか?」

「それはシャドウだ。色々な種類がいるが影時間でも活動できる人間を襲ったりする。まぁ、対抗するための力を持っていれば大丈夫なんだが、真田はその力を得るほど適性を持っていない。数値の上昇率から見ても真田がそれを手に入れる事はないだろう」

 

 他者の適性値を把握出来る湊は、美紀が適性を得る事も、ゆかりや風花が将来的に適性を得るだろうことも分かっている。

 ただ、美紀と他の二人の上昇率には大きな差があり、美紀の場合は既に頭打ちのようなので、兄と違ってペルソナ使いになる可能性はゼロだと言い切る事が出来た。

 

「有里君と一緒にいた青い天使もシャドウなんですか?」

「いや、あれはペルソナというシャドウに対抗できる力だ。両方とも人の心から生まれた存在だが、人の制御を完全に離れたのがシャドウで、持ち主が制御下に置いて使役できるようにしたのがペルソナになる」

 

 美紀のいう青い天使とはアザゼルの事だ。現在はネガティブマインドの期間なので、湊がアザゼルを使って移動している途中に生体反応とシャドウの反応を感知し現場に急行した。

 その際、距離があったので間に合わないと判断し、時流操作で加速して割り込んだおかげで美紀は無事だった。本人はそんな事は分かっていないだろうが、シャドウの説明を聞いて疑問に思った部分を彼女はすぐに聞き返す。

 

「人の心から生まれるって、私もあんなシャドウを生み出してしまったりするんですか?」

「説明が悪かった。正確にはシャドウもペルソナも人の心の一部だ。心が弱るなどして抜け出るとシャドウになり、シャドウが抜け出てしまった人間は巷で話題になっている無気力症になる。心が一部でも欠けると正常に動かなくなるんだ。まぁ、倒せばシャドウは持ち主に還るから無気力症も治るがな」

 

 もしも、知らないうちにシャドウを生み出し、それが人を襲ってしまっていたらと思うと怖くなる。

 けれど、湊がその可能性はないとはっきり告げれば、美紀は少しだけ安心した顔になって一口お茶を飲んでから真っ直ぐ湊を見つめ、今度はどうして湊がそんな事を知っているのだと問うてくる。

 

「……有里君はなんで色々と知っているんですか。危険だと知りながら影時間に活動していたってことは、普段からシャドウと戦っているんですよね?」

「まぁな。知っているのは昔から関わっているからだ」

 

 彼女の言葉を湊は否定しない。実際に目の前でシャドウを倒しておきながら、否定したところで相手は信じないだろう。

 なら、ここは全てを正直に教えてやり、それから相手に今後はどうするか尋ねた方がいいと判断し、湊はマフラーから取り出した煙管を手で遊ばせながら事を始まりから話し出した。

 

「影時間は元々この世界の裏側に存在したんだ。俺たちが普段過ごしている現実世界とシャドウたち心の化生の跋扈する影時間。それらはカードの裏と表のように接していても基本的に交わる事はなかった。だが、ある実験のせいで状況が変わった」

 

 隣り合わせではなく背中合わせ。二つの世界を説明するなら、そちらの方が正しい。

 簡単に行き来出来ず、どちらの世界も見えないだけで同時に存在はしていた。

 

「交わる事はないと言ったが偶発的に二つの世界の境界に穴が開いて行き来出来る事があり。偶然が重なって向こうの性質を宿した物がこちらに来て、それを先代の桐条が手に入れて研究を始めたんだ」

 

 月の満ち欠けや局地的な磁場の乱れなど、その時々によって理由は異なるが二つの世界が繋がることがあった。

 向こう側の住人が現実世界にくれば幽霊や化け物として噂になり、反対に現実世界の住人が影時間側に行ってしまうと神隠しと言われたりもした。

 もっとも、そんな事は本当に稀で、もう一つの世界の存在は一部の人間が存在するだろうと話す程度で、真面目に論議される事のないオカルトの分野でしかなかった。

 それが一変したのは、シャドウのような不安定な存在ではなく、単体で現実世界でも存在しえた黄昏の羽根が現実世界に紛れこみ、先代桐条がその不思議な羽根を手にしてしまってからだ。

 

「影時間側の物を使えば小規模の影時間を展開する事が出来る。それにより桐条グループはシャドウを集めて、その力を利用し“時を操る神器”を作ろうとした」

「時を操る神器?」

「過去と未来の事象を観測し、そこに干渉することが出来るようになる道具だ。まぁ、分かり易くいえばタイムマシンだな」

 

 今も桐条の研究所跡にその装置は残っているが、桐条グループは施設一つ分という世界から見れば狭い範囲に影時間を展開する装置を開発していた。

 それを使って現実世界に影時間を展開し、向こうの住人であるシャドウを集めて、シャドウたちの不可思議な力を利用することで人智を超えた力を手に入れようとした。

 先代や当時の研究員たちは、影時間を展開する装置を開発できてしまったばっかりに、その先である時の支配にまで可能性を見てしまったに違いない。それが異なる分野であるとも分からずに。

 

「しかし、あいつらは時間を概念として理解出来なかった。理解出来ない物にはアプローチの方法も分からず干渉しようがない。そうして、研究が進まなくなると先代は研究を別の方向へと進めて行った。集めたシャドウの力を使って世界に滅びを齎そうとしたんだ」

 

 人は時が存在する事は理解出来る。月の満ち欠けや肉体の成長に四季の移ろいなど、自分だけでなく周りの変化からも理解出来る。

 ただ、それでどのような概念か理解できるかは別の話だ。

 流れる時を止める事はおろか、進める事も遅らせる事も人間には出来ない。なにせ具体的にどういった物か分からず、それに干渉する術がないのだから。

 そして、壁にぶち当たった先代は目的を見失い。最後は血迷ったとしか思えない行動に出た。

 その事を伝えれば、今まで黙って聞いていた美紀が、あまりに不可解で先代桐条の行動の意味が分からないと首を傾げる。

 

「滅びって地球が滅亡するって意味ですか? それだと先代の方も亡くなってしまうんじゃ……」

「ボケてたのか終末思想に取り憑かれたのかは知らない。だが、晩年の先代は正常な判断力を失っていた。もっとも、シャドウの研究自体が未知の分野であるため、先代が何をしようとしているのかは、ほとんどの研究者たちも分かっていなかったはずだ」

 

 この際、理由など関係ない。ボケた老人がおかしな行動を取ったにしろ、壁にぶち当たり心が折れた末に自殺しようとしたにしろ、周りまで巻き込んだ傍迷惑な行動を取った事実は変わらないのだ。

 さらに質が悪いのは、シャドウの力を利用して何かをしようとしている事は分かっても、それで実際に何が起こるかまでは起こってみないと分からないため、先代が時を操る神器の作成と言ってしまえば周囲が気付き辛かった事にある。

 影時間の研究において桐条は多様なアプローチを試みるため、考古学や生物学など様々な分野の研究員を集めたのであって、未知の存在であるシャドウや影時間のエキスパートは一人として存在しなかった。

 それで先代の凶行に気付けという方が無理な話で、彼の研究は滅びを招く最終段階まで進んでいた。

 ある一人の研究員がそれを阻むまでは。

 

「ただ、それに気付いた者もいた。そいつは最後の実験を途中で無理矢理に中断し、世界が滅びるのを防いだ。代わりに行き場を失ったエネルギーと集めたシャドウが飛び散ったがな」

「途中とは言え世界を滅ぼすエネルギーが飛び散ったって、それに桐条グループが行っていた実験ってことは、もしかして九年前の爆発事故は……」

「ああ、実験の中断で起きた事故だ。そして、中断した者の名前は岳羽詠一朗。岳羽の父親だな」

 

 まさかここで友人の名が出てくるとは思わず、美紀は目を大きく開いて驚いた顔をする。

 他の少女二人が一切驚いていないことで、チドリとラビリスがこの事を知っていたと気付き、美紀はさらに驚いているようだが、彼女の珍しい顔に湊は小さく笑いお茶に口を付けてから続きを話す。

 

「おじさんのおかげで滅びは免れた。ただ、あの事故から毎夜零時に影時間が発生するようになったんだ。俺はあの事故の日に既に適性とペルソナを手に入れていた。まぁ、シャドウが傍にいたから戦うしかなかったんだが、一時期いた施設を抜けてからはシャドウ狩りをしているんだ。無気力症の拡大を防ぐためと、偶然迷い込んだやつがいても昨日みたいな事にならないようにな」

 

 これが影時間の始まりと青年が関わるようになった理由。

 理解を超えた内容に彼女は自分の中でまだ情報を整理できていないようだが、最低限の情報を知った事で少しは考える余裕が出来たのか、何故自分がそんな物に関わる事になったのかを尋ねる。

 

「なんで、私は適性を手に入れてしまったんですか?」

「いや、適性は本来誰でも持ってるんだ。ただ、それが影時間でも活動可能なレベルやペルソナ獲得レベルまで上昇するかは個人差がある。真田の場合は運悪く適性持ち程度の素質を持っていただけだな」

 

 生物ならば適性がゼロになる事はあり得ない。なぜなら、誰しもがその精神にシャドウを宿らせているから。

 人が適性を完全に失う事があるとすれば、それは死んで肉体から魂が離れたときだろう。

 正確に言えばそれは既に生物でも人でもなくモノになっているが、そういった話は置いといてと言いながら、湊はここでさらに驚きの情報を彼女に伝える。

 

「お前の兄と荒垣先輩はペルソナ能力者だ。巌戸台分寮はそういった人間を集めてシャドウと戦う桐条グループの特殊な組織でな。相手は俺のことを知らないだろうが、特別課外活動部以外にもペルソナ使いはいる」

「ど、どうして兄さんやシンジさんが戦うんですか?! シャドウと戦うなんて、死んでしまうかもしれないんですよ!」

「承知の上で真田や他の人がシャドウに襲われないために戦ってるんだろ。他に出来る人間がいないから」

 

 自分の兄や親しい人物が恐ろしいシャドウと戦っていると聞き、美紀は思わず立ち上がって何故そんな事になっているのだと問うた。

 そんな事を聞かれても湊にすれば自分の知った事ではないと返したくなるが、一応、本人たちも自分の意志や目的を持って活動していた事だけは説明しておく。

 昨夜シャドウの脅威に晒された美紀にすれば、自分や他の者が危険な目に遭わないため、力を持った者が戦っていると言われると黙るしかない。

 ただ、男子である兄や湊が戦うのは分かるが、ここで一緒に話を聞いている友人ら自分と同じ女子だ。それでまさか戦っているのかと不安に思いながら、実際は聞く前から理解しつつ尋ねる。

 

「チドリさんとラビリスさんもペルソナを持っているんですか?」

「ええ、私は桐条グループの被験体だった人工ペルソナ使い。湊と会ったのは桐条の研究施設よ」

「ウチは対シャドウ用に作られたロボットやねん。ペルソナも持っとるけど、手に入れたんは湊君と会ってからやね」

 

 湊が正直に話していた事で、訊かれた二人も素直に自分たちの事を答える。だが、関西弁の少女の方は訊かれた以上の事をばらしてしまい。湊が即座に彼女の目に手刀をいれる。

 ツッコミにしてはハード過ぎる目潰しを喰らったラビリスは、本気で痛がり床を転がった後に涙目になって湊を睨むが、一連の流れを見ていたチドリは二人のコントに呆れた顔をしている。

 対して、これまでの話とは別のベクトルで衝撃の事実を知った美紀は、信じられないと目をぱちくりさせながらラビリスを見た。

 

「え、え? ラビリスさんがロボット? でも、だって、人にしか見えませんし食事だって……」

「ははっ、やっぱ驚くやんな。でもホンマやで。人にしか見えへんのは湊君がそういうボディを作ってくれたからなんよ。今も研究を進めとって最終的には人間になる予定なんやけどね。てか、目ぇメッチャ痛いし……」

「人間になるって、そんなこと出来るんですか?」

 

 以前のボディなら幻惑機能を解けばすぐにロボットである事を証明する事が出来た。けれど、新ボディに移った今は擬装用スキンを破らなければ白い装甲が見えない。

 擬装用スキンは意外と着け直すのが面倒なので、ここでは見せてやる事が出来ないが、涙を滲じませて目が痛いとぐしぐし擦っている少女について、現在では筆頭研究者となっている青年が解説する。

 

「彼女たちには黄昏の羽根という核がある。ラビリスの心や魂はそこに宿っているんだ。魂が物質に定着しているなら、それを人の肉体に移し替えれば人間としか言えないだろ?」

「でも、そんな現代科学の域を超えた研究をしているって、有里君は何者なんですか?」

「……正式名称は飛騨製人型戦略兵装二式“有里湊”。製作者は影時間の脅威を消して欲しいって願いを持って俺を作った。分かり易く言えば改造人間だけど、血に目覚めたから羽根の搭載以外意味なくなったけどな」

 

 黄昏の羽根の搭載によって得た機械制御を奪う力だけは今も現役で、血に目覚めるまでは改造にもしっかり意味があったので無駄だとは思わない。

 ただ、飛騨の施した改造は血に目覚める以前ならば効果があったが、覚醒後の最適化まで終えて現在も細胞レベルの自立進化を続けている青年は、既にそれらの能力を向上させて所持していた。

 

「ああ、俺の事は人間だと思わなくていい。基本的には人間よりもシャドウ側の存在だから」

 

 ただ、改造が無意味になったと言えど、改造を受けたという事実は残っているし、それがなくても一般的なペルソナ使いとも異なる部分も多い。

 その代表がこれだと湊は桜を別の部屋に退避させてから、心臓を包むように内蔵されたエールクロイツに力を送りこみ、部屋の中に影時間を展開してみせた。

 部屋の明かりが突然消え、具体的には説明し辛いが空気が変わった事だけは理解している美紀は、時計を見て九時前にどうして影時間になったのかと怯えた表情になる。

 

「っ、零時じゃないのにどうして……」

「これが出来るからシャドウ側の存在なんだ。試した事はないがリミッターを外して力を使えば大陸まで覆えるぞ」

 

 悪党のような薄い笑みを浮かべて語る青年の適性値は一般的なペルソナ使いの限界値である十万を優に超えている。

 そんな彼が力の全てを籠めれば日本全土を覆うだけでなく、ユーラシア大陸のアジア圏まで届かせる事も可能だった。

 もっとも、そんな事をしても意味はないので、彼がそこまでの力を発揮する機会は未来永劫無いと思われる。

 湊が影時間の展開を終えると桜も戻ってきて、湊の湯飲みにお茶のお代わりを注ぎ。それを横目で見ながらチドリは先ほど美紀が象徴化していなかったことで、彼女の適性は既に定着しているようだと改めて納得した顔を見せた。

 

「……まぁ、非常識な馬鹿の話は置いといて、象徴化しないって事は完全に適性持ちみたいね」

「シャドウは月の満ち欠けで活性化するんよ。せやから、満月の前後は危ないから外に出えへん方がええで。なんやったらそのときだけ保護も出来るし」

「保護するなら俺の部屋やEP社よりここの方がいい。シャドウは巌戸台周辺に現れるからな。チドリもいるし、ここなら基本的には安全だ」

 

 湊が少し大きな事をいうときは、一応事実ではあるのだが相手を脅す意味も込めている。

 異常なほど自己評価が低く自分を蔑ろにするため、今回は美紀が自分から離れて行くように異常さを伝えてきたのだろうと推測し、それらを理解している少女らは湊の話は半分だけ聞いておくように美紀に伝えて話を進める。

 少女たちが自分のために小さくフォローに回っていることに気付いていない青年は、Eデヴァイスを起動して巌戸台周辺の立体映像をテーブルの上に表示し、少し操作をしてエリアごとのイレギュラーシャドウの出現危険度を色分けして見せる。

 一番危険なレッドゾーンはタルタロスのあるポートアイランドと、そこから駅一つ分しか離れていない辺り。次点で危険なオレンジーゾーンは残りの巌戸台全域。それらを除いた港区は稀に遭遇するイエローゾーン。それを越えるとほぼ安全なグリーンゾーンとなる。

 建物の細かい部分まで再現された立体映像に美紀は驚いているようだが、ここに来てからは驚きっぱなしだったことで慣れたのか、意外と早くに復帰して保護場所について一つ尋ねてきた。

 

「あの、兄さんたちのところへ行ってはダメなんですか? 兄さんもペルソナ使いなんですよね?」

「ええ、そうね。でも、大して強くないというか弱いわよ」

 

 最初は相手に気を遣おうとしたが、チドリは隠しても無駄だからとすぐに率直な事実を告げる。

 ボクシングの高校チャンプとして名を馳せているが、そういった白兵戦での強さとペルソナの強さは全く別だ。

 親子ほどの歳の差がある大人と子どもで、子どもの方が強いペルソナを持つ事だって十分にあり得る。

 なので、将来的な強さはともかく、いますぐに守ってくれる存在の強さを当てにするなら、特別課外活動部よりも湊側の方が安全な事は確かだった。

 

「どちらへ行くかは真田の判断でいい。ただ、向こうに行くならこちら側の情報を話せない様にするし、お前は多分保護名目で寮に入れられるだろう。さらにお前一人を寮に置いておけないからと、現在二人しかいない駒の一つである真田先輩は戦いに出なくなるだろうな」

「さっき湊も言ったけどシャドウが出るのは巌戸台周辺なのよ。だから、巌戸台分寮じゃ他よりマシなだけで安全とは言い難いわね。向こうのペルソナ使いは貴女の兄と桐条美鶴しかいないし。二人を合わせても私たち一人分の適性にも満たないから、全員の安全を考えるならここで保護された方がいいとおもう」

 

 人を守りながら戦うのは大変だ。敵の数が増えれば飛躍的に負担が増えていく。

 当時、圧倒的な力を持っていた青年も、チドリや他の被験体を守りながら戦って研究員の撃った下手な鉄砲で負傷していた。

 まだまだ弱い美鶴や真田が同じように美紀を守りきれるとは思えず、彼らの安全も考えるのなら負担になるべきではないとチドリは小さく諭す。

 美紀とチドリは中学からずっと同じクラスなのだ。感情をあまり表に出さない少女も、それなりに相手のことを気に入り信頼もしている。

 保護されるときはここへ来いと勧めるのは、安全面での客観的事実も含まれているが、ほとんどは純粋に友達のことを想っての彼女の優しさだった。

 言葉に含まれたチドリの気持ちを理解した美紀は、相手の優しさを嬉しく感じつつも、基本的に相手に気を遣う性分なこともあって、そんなにおんぶに抱っこでいいのだろうかと遠慮がちに尋ねる。

 

「……あの、お言葉に甘えていいんでしょうか? どれくらいの期間お世話になるのかも分からないのに」

「真田さんがご両親にちゃんと連絡して泊まりに来るなら、部屋もいっぱいあるし家は大丈夫よ」

「とりあえず、保護は満月の日くらいでいいだろ。それ以外は影時間に起きても家から出なければいい」

 

 美紀が聞けば桜と湊がすぐに答える。

 昨夜、美紀が襲われたのは外に出ていた事が原因で、例えシャドウが家の前を彷徨こうと発見されなければ中に入ってくる事はなかった。

 高レベルなシャドウならば探知能力を有して見つかっていたかもしれないが、そんな敵がイレギュラーシャドウとして現れた事は今までない。彼らがいるのはタルタロスの深層モナドや一六五階以上の高層フロアになる。

 ただ、満月は低級シャドウたちも凶暴化しているので、そのときは何が起こるか分からないため巌戸台を離れた方が良いとアドバイスをする。

 シャドウに関しては他の者より湊の方が詳しい事もあり、誰からも反論がなく話がまとまれば、昨日から驚いてばかりだった美紀もようやくいつもの表情を見せて湊たちに礼を言った。

 

「あの本当に色々とありがとうございます。その、よろしくお願いします。お世話になります」

 

 他の者はそれに頷いて返し。今後保護する事が決定すると、桜が後からきた湊とラビリスに食事を提供しながら、湊が美紀に桐条側に自分たちのことや美紀が適性持ちになった事を秘密にしておくように告げる。

 ばれたときはばれたときだが、基本的にお互いに不干渉の方がやり易い事もあるのだ。

 美紀自身も兄にこの事がばれれば過保護が加速すると分かっているようで、言う通りにすると了承で返した。

 

 

 


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