【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百七十八話 テスト前日の過ごし方

7月13日(日)

午前――中央区・マンション“テラ・エメリタ”

 

 夏の日差しが眩しい休日の朝、湊の住んでいるマンションの前にある集団が集まっていた。

 現部活メンバー+湊が会長を務めていたときの中等部生徒会役員+順平。ターニャが増えたことを除けばいつぞやの試験勉強のときと同じ面子である。

 彼らが集まった理由はただ一つ。明日から始まる一学期期末テストに向けて、湊の部屋で試験勉強をするためだ。

 

「宇津木ちゃんとチビスケも集まるってめっちゃ久しぶりな感じするよな。ま、中等部と高等部で離れてるからしゃーないけど」

「確かに久しぶりですが、去年から五センチも背が伸びたのでいい加減チビって呼ぶのはやめてくれませんかね。高校生ならそれくらい分かるでしょうに」

 

 身長は伸びて来ているというのに、渡邊が以前と同じ低身長という本人にとっては不名誉なあだ名で呼んできたため、木戸はとても嫌そうな顔をして呆れたように溜め息を吐く。

 中学三年生になった木戸たちも明日から期末テストだ。そのため最初から今日は勉強するつもりだったが、去年の三学期期末テストのときのように、今回も湊の部屋で勉強しないかと渡邊が声をかけたことで彼らも集まった。

 順平が勝手に命名した『有里湊の真剣ゼミ』は、たった一日の勉強で受講生全員の成績を飛躍的にアップさせる。

 前回はテストで満点しか取らない湊の勉強法が気になって一緒に勉強した木戸も、湊の教え方の方が学校の教師よりも分かり易かった事で、今回は三年生の大切な時期だからと湊に勉強を見て貰うつもりで来ていた。

 

「たった五センチ……会長の肩にも届かない背丈で笑わせる」

「なっ、五月蝿いんだよお前は! 背が高けりゃ偉いのか!」

 

 そして、いじめから自分を救ってくれた湊を神として心酔している宇津木は、校舎が別々になって接点が減った事を寂しく思っていた事で、今回の誘いは渡りに船だとばかりに喜んで参加していた。

 しかし、以前から仲があまりよくなかった二人は、湊たちが卒業し中等部の最高学年になってからも不仲なままで、他所様の暮らすマンションの前だというのに言い合いをする二人を見て、生徒会役員時代の二人を知っている元役員メンバーは懐かしい気持ちになった。

 

「木戸君、宇津木さん、まだ九時前なんだからあまり大きな声を出すと近所迷惑よ」

「うんうん、困るのはミッチーだから静かにしないとねー」

 

 彼らが騒いで近所の住人が迷惑に思えば、そのクレームは彼らを招いた湊に向かう事になる。

 湊は勉強しに来た者たちに場所を提供し、勉強を教えるだけでなく食事も与えてくれるので、そんな恩人に迷惑をかける事は出来ないと注意された二人はすぐに口をつぐんだ。

 相性の関係で口喧嘩の多い二人だが、素の性格は真面目で素直なので、自分たちが悪いと分かればすぐに言う事を聞いてくれる。

 その点に関して言えば扱いも楽だと高千穂と西園寺が考えていれば、今回が初参加でさらに学年も一人だけ高校二年生のターニャが、同じ部活メンバーであるゆかりたちに不思議そうに何やら尋ねていた。

 

「ンー、いつもお休みの日でも朝から勉強するのデスか?」

「いやいや、流石にそんな真面目じゃないですよ。明日からテストなんで、しっかり勉強してテストに臨もうって今日は集まっただけで」

「有里君の教え方が上手いので、私たちはそれに甘えさせて貰っているんです」

 

 真面目で勤勉と評価される日本人だが、いくらなんでも全員が全員休日の朝から勉強会を開くほど真面目ではない。

 今回の集まりもテスト前の特別なことだと説明すれば、ターニャも納得したようで笑顔で頷く。

 そんな風に全員が集合して雑談を交えながら、それぞれの顔合わせとざっくりとした自己紹介を済ませば、いつまでもここで話しているもあれだからとマンションに入って行く。

 現在の時刻は午前九時ごろ。前回よりも早くに集まったのは、高校になって授業の内容が難しくなったので、その分勉強時間が多く欲しいと渡邊や順平が望んだからである。

 もっとも、渡邊は今も上位十人に入る成績を維持しているため、どちらかと言えば中間テストで酷い成績だった順平の強い希望であるが、他の者も九時に集まって勉強するくらいは問題なかった。

 そのような経緯があって開催されることになった勉強会だが、全員が大きなエレベーターに乗って最上階まで昇り、最奥にある湊とラビリスの暮らしている部屋の前まで行くと、先頭を歩いていたチドリが代表してインターフォンを鳴らした。

 

「…………出てこないわね」

 

 ボタンを押してインターフォンを鳴らすも返事がない。音は鳴っているので壊れているという事はないが、ならば何故返事がないのかという疑問が浮かぶ。

 今はテスト前なので部活もなく、仮にEP社の仕事があったとしても定時出勤する必要のない二人が九時前に家を出ているとは思えない。

 もしかすると、何か他のことをしていて気付かなかっただけかもしれないので、もう一回鳴らしてみると他の者に伝えてからチドリは再びボタンを押してみた。

 すると、

 

《ふぁーい。ん? ああ、チドリちゃんたちやん。朝早くからどないしたん?》

「どうしたって、湊の家でテスト勉強しに来たのよ」

《あー、そうなん? そんな話は聞いてへんけど、まぁ、とりあえずあがって待っといてや》

 

 再び鳴らしてみると今度は反応があり、ラビリスが出てくれた。しかし、なにやら眠そうな声をしており、もしかしたら起きたばかりなのかもしれない。

 さらにいえば、湊の家で勉強会をするというのに、同居している少女がそんな話を聞いていないと言った事で、今回の勉強会を企画した男に一斉に視線が集まる。

 前回の勉強会も半ば無理矢理に湊に認めさせていたため、今回もそんな風に勝手に決めて押し掛けたのではないだろうなと見ていれば、企画者である渡邊が気まずそうに視線を泳がせながら真相を吐いた。

 

「い、いやぁ、言ったら絶対許可くれないだろうと思ってさ。でも、実際に来ちゃったら会長の事だから入れてくれるかなぁって」

『なにやってるのよ……』

 

 呆れて物も言えない。同時に数名の女子からツッコミが入る。

 湊は嫌そうにしながらも頼めば結構言う事を聞いてくれるのだ。今回のような彼の休日を潰すイベントでも、最終的には許可を出して世話も焼いてくれていたに違いない。

 だというのに、こんな彼の優しさに付け込む形で押しかければ、湊の不快指数は飛躍的に高まり、ふざけた計画を立てた者への信用はかぎりなくゼロに近付く。

 へそを曲げられれば一発でアウトだというのに、どうして余計なことをしてしまったのか理解出来ない。

 女性陣が馬鹿な事をした男に冷たい視線を向けていれば、扉の方からガチャンと鍵を開ける音が鳴り、そのままゆっくりと扉が開いた。

 

「起きたばっかで着替えてへんくてゴメンな。とりあえず、皆あがってリビングで待っといてや」

「おっと、髪降ろしてるパジャマ姿のラビリスちゃんとは何ともレアな」

「順平、あんたやらしい目で見てると有里君に眼球潰されるわよ」

 

 男として女性の普段と違う姿に視線がいくのは分かる。だが、それがとある青年の庇護下にある少女に向けられた場合は話が別だ。

 言い訳も弁明も必要ない。邪まな思いを持って見た時点で罪だと、青年は無慈悲に罪人を罰するに違いない。

 ただ、今ならまだ間に合うかもしれないぞとゆかりが警告すれば、順平も同じように思ったのか急いでラビリスから視線を外していた。

 そして、それから全員が家の中に入るとラビリスは他の者にリビングに行くように案内し、自分は寝室に入ってベッドで寝ている者を起こしにいく。

 

「湊君、かすみちゃん、なんか皆がテスト勉強しに来はったで」

 

 部屋の前を通る際に中の様子が見えた一同は少し驚く。

 湊の家のベッドがキングサイズで、湊とラビリスはそこで一緒に寝ていることは聞いていたが、いま見れば三つ置かれた枕の真ん中の位置で湊が眠り、その左側には着ぐるみパジャマを着て湊に抱きついて寝ている羽入の姿があった。

 順平や渡邊など思春期男子たちは二人暮らしで三つの枕の意味を理解し、美少女二人に挟まれて寝るとか羨まし過ぎると拳を震わせる。

 対して女性陣は、羽入のあまりの無防備さに呆れつつ、湊本人も子どもに懐かれているとしか思っていないのだろうなと嘆息する。

 

「……なんで、またあれがいるのよ」

「試験前だから泊まり込みで勉強してたんじゃないかしら。有里君はともかくとして、羽入さんの方はもう少し警戒心を持つべきだと思うけれど」

 

 湊の染色体のことを知っている部活メンバーだけでなく、高千穂など他の女子からも湊はセーフゾーンとして認識されている。

 紳士的、いやらしさがない、ガツガツしていない、余裕がある等々。評価は人それぞれだが、彼が下心を持って女子と接する事はないという一種の共通認識があるのだ。

 そのため湊が後輩女子に抱きつかれて寝ていようと、羽入の方が安心感を求めて抱きついているだけで、抱きつかれている本人は暑くて寝苦しい程度にしか考えていないことは分かっている。

 ただ、それでも家に来たらいるはずのない他所の家の娘が一緒に寝ていれば、なんで羽入がいて一緒に寝ているのだと突っ込まずにはいられない。

 釈然としないものもありつつ、廊下を進みメンバーがリビングで待っていると、支度を終えたラビリスがやってきてお茶の用意をし、少しすると髪を軽く束ねた着物姿の湊がフード付きパーカーに着替えた羽入をお姫様抱っこして現れた。

 やってきた湊はそのままソファーに座り、羽入を膝枕したまま寝かせて彼女の歯を磨いてやりながら待っていた者たちに話しかける。

 

「……休日の朝から迷惑なやつらめ」

『ツッコミどころしかないんだけど』

 

 迷惑そうな表情をしながらも丁寧に羽入の歯を磨いている湊に総ツッコミが入る。

 歯を磨かれている方は起きているのかどうか微妙な様子で、湊が口を開けろと言ったり歯を閉じろと言えば言う事を聞いているため、とりあえずは話だけは聞こえているようだ。

 両者のそんな様子を観察しつつ、何故湊が寝惚けたような羽入の歯を磨いてやっているのだとチドリは尋ねた。

 

「なんで中三の歯を磨いてやってるのよ」

「……スイッチが入るまで時間がかかるときがあってな。そういうときは食事の準備があるから、ラビリスが用意してる間に俺が羽入の支度をさせてたりする」

「着替えもしてるの?」

「着替えの用意はしてるな。脱いだり着たりは非常に遅いが自分でしてる。一応、これでも起きてはいるからな」

 

 湊の説明した通り、羽入の目覚めには、普通にパチッと目覚めるパターンと今回のように半分寝ているパターンの二種類がある。

 自分の家で寝ているときは時間差でアラームをセットした目覚ましを用意し、二度目のアラームで覚醒状態に持っていくらしいが、湊の家に泊まるときは目覚ましすら用意しておらず。起きるときはラビリスや湊に起こして貰っていた。

 そして、彼女の目覚め方が二種類あると分かっている湊たちは、食事の用意と羽入の準備を進める係りで役割分担し、準備をさせながら食事の用意が終わるのを待つ手法を取っている。

 幼稚園児以下の小さな子どもを持つ親のような連係プレーだが、残念ながら羽入は天然が入ってるだけの中学三年生だ。

 基本的な考え方は幼いが頭の回転が悪いということはなく、身体にいたっては美鶴並みのスタイルをしている。

 年齢と身体に関してはとっくに子どもと言い切れない相手に、ここまで手をかけて世話をするのは甘やかし過ぎとしか言えない。

 話を聞いたゆかりがそれは羽入本人のためにならないと、優しいを超えて甘過ぎる湊を叱る。

 

「着替えや食事の用意をして、歯磨きとか身支度までしてあげるとか甘やかし過ぎでしょ。そういうのは自分でやらないと本人が苦労するんだよ?」

「子どもに甘いとは思ってたけどこれほどとはね。ラビリスも一緒にいて何してるのよ。揃ってダメ人間製造器になってるじゃない」

「んー、そう言われたら反論できひんけど、かすみちゃんが起きられへんのって基本休日やから大丈夫やと思うで」

 

 お茶の準備を終えてキッチンから出てきたラビリスは苦笑し、全員の前にお茶を置きながら答える。

 湊は平日でも起きない時があるが、羽入の場合は休日モードなのか起きれないのはほぼ休日限定となっていた。

 そのため、ラビリスも休みの日は少しくらいゆっくりしてもいいだろうと思って許容しており、歯を磨き終えて羽入を洗面所まで再び運ぶ湊を見送りながら、他の者が心配するほどではない事を伝えた。

 普段から甘やかしているならともかく、休日限定ならば少しはマシに思える。出されたお茶を飲んで待っていた者たちがそう思って待っていれば、目が覚めて自分で歩いている羽入が湊と共にリビングに戻ってくるなり宇津木を見つけて駆け寄った。

 

「あー、香奈ちゃんだー! お休みだから遊びに来てくれたの?」

「いえ、あの、会長にテスト勉強を見て貰いに伺ったの」

「そうなんだぁ。ご飯食べたらお勉強の時間だから一緒にやろうね」

 

 嬉しそうに自分と遊ぶために来てくれたのかと尋ねる羽入に、宇津木は申し訳なさそうにテスト勉強のために来た事を告げるも、羽入は気にした様子もなく食事の件を伝えてテーブルの方へ移動する。

 勉強の前にはまず糖分補給をしなければならない。さらに空腹だと集中力が続かないため、湊たちは先に朝食をとってから勉強する事にしていた。

 自分たちが朝早くから押し掛けたこともあり、やってきたメンバーは湊らが朝食を取る事に何の反対もない。

 彼らが食事をしている間、チドリたちは出されたお茶を飲みつつどの教科を勉強するか話し合い。徐々に勉強へと移って行った。

 

――ラボ

 

 湊たちがテスト勉強をしている頃、美鶴は湊から貰った宝玉の解析結果を聞きにラボを訪れていた。

 宝玉はペルソナのスキルを使うように能力者が念じれば、かなり重度の切り傷や刺し傷も完治させるほど強力な回復スキルが発動できる。

 流石に四肢や臓器の喪失を再生させる事までは出来ないが、湊クラスの回復スキルを持っていない美鶴としては、いざというときの備えとしてタルタロスで拾えるこれを人工的に作る事は出来ないかとラボに解析を依頼していたのだ。

 ラボではペルソナやシャドウの研究がメインになっているものの、こういった影時間に関係する物体の解析も行っている。

 それは様々な方面から影時間の謎を解き明かすためだが、やってきた小太りの男は宝玉を載せたトレーをテーブルに置くと、待っていた美鶴にファイルにとじた書類を見せながら話し始める。

 

「こちらが今回の解析結果です。触れた感じでは石英などありふれた鉱石に近い感触でしたが、電子顕微鏡を使って表面を見てみると正六角形の集まったセル構造になっていました。他の鉱石でも非常に細かく見れば見られますが、拡大の倍率を考えるとあり得ない事です」

 

 掌に乗るくらいのサイズをした宝玉は、触ると表面はツルツルしており、角度を変えると表面だけが虹色に光って見えるが全体としてはスポーツ飲料のような半透明な白色をしていた。

 いくら触ってツルツルしていたとしても、普通の鉱石ならば拡大して見れば木の表面のようにざらついていそうな見た目だったり、デコボコと荒れた大地の様な状態になっていて、どうしてこれがツルツルの手触りを生み出しているのかと不思議に思えたりする。

 しかし、宝玉はそういった一般的な鉱石とは異なり、大した拡大倍率でもない状態で既に正六角形の結晶の集まりだと分かっていた。

 

「内部がどうなっているか様々な方法でスキャンを試みたのですが、そちらは光を屈折させてしまうのか読み取れませんでした。ダイヤなど宝石はカットの仕方で光の反射が変わってきます。それに似てこの宝玉は全ての光を表面で屈折させてしまうのかもしれません」

 

 一見すると子どもの玩具である合成樹脂製の宝石のようにも見える。そんな物が光を全て屈折させてしまう特殊なカットを施されているはずがないので、スキャン出来なかったのは物質自体の性質によるものだと推測された。

 詳しく調べたいが研究員たちではどのようなアプローチを取ればいいか分からず、現状では調べること自体が難しいと聞いて、美鶴はほとんど何も分かっていないのだなと少し困った表情で返した。

 

「つまり、現実世界の物ではないという事だけが分かったという事ですね」

「ええ、そうなります。考古学や地質学に詳しい者がいれば他のアプローチも思い付くのかもしれませんが、現在のラボには適した人材がおりませんので、これ以上の解析は難しいかと」

 

 単に解析と言ってもその方法によって分野は異なってくる。どういった素材で出来ているか、どのような構造をしているかなど、X線で単純に調べる程度ならば慣れた者なら出来るが、その手段が使えないとなると今後は専門家に任せるしかない。

 ただ、影時間やシャドウについて研究している今のラボでは、他の分野に精通している者がおらず、実質これ以上は打つ手なしの状態である。

 効果と入手場所は分かっているので使用自体は問題ないが、人工的に似た物を作って緊急用に配備できないかと考えていた美鶴としては、こうなるだろうと心のどこかで分かってはいたが残念な気持ちが強かった。

 しかし、話を聞き終えて残念そうな顔をした美鶴が調べてくれた研究員に礼を言いかけたとき、分からないなりに調べた結果のファイルを片付けていた相手が口を開いて来た。

 

「ああ、実はエルゴ研時代に在籍していた者にそういった方面の専門家がいるんです。以前回収された武器らしき遺物なども含め、その人物に解析を依頼すればもう少し詳しい事が分かるかもしれません」

「その方は現在も存命なのですか?」

「はい。いまはポロニアンモールで骨董品屋を営んでいると聞いています。事故前に研究から離れていますが、影時間やシャドウについても理解している彼女以上の適任者はいないかと」

 

 ポロニアンモールの骨董品屋と聞いて美鶴の心臓が跳ねる。そこは湊とチドリがバイトをしている店だったはずだ。

 元エルゴ研の職員がペルソナ使いの青年たちと共にいる。そう考えると相手は二人を通じて現在も影時間に関わっているのではないかと思われた。

 専門家の力を借りられるのならありがたいが、その人物に協力を求める事で湊たちの日常を壊してしまう可能性がある。

 影時間を終わらせる使命と被害者の平穏、どちらかを選ばなければならない美鶴としては、しばらく心中穏やかとはいられなかった。

 

昼前――マンション

 

 前回同様、それぞれがいくつものテーブルに分かれて勉強に励む。窓際のテーブルに元生徒会メンバーと順平、部屋の真ん中に置かれたテーブルに湊とラビリスを除く部活メンバー、ダイニングのテーブルに湊とラビリスと羽入といった具合だ。

 留学生であるターニャに勉強を教える際、湊とターニャがロシア語で会話している事に中学生組が驚いたりという一幕も見られたが、元々勤勉な性格もあってターニャも他の者と同じように基本的には自分で進めていた。

 普段は飽きっぽい順平も湊に教わると理解出来るようで、考え方のコツを聞いてからは教科書や資料集を見ながら自分で考えるようにしている。

 優れた教育者というのは、勉強嫌いな生徒に理解出来る事の楽しさを教えるのが上手い。分からないからつまらなくなり勉強もしなくなる訳で、そこを一人一人に合わせて指導できる湊は、メンバー全員が認める優秀な先生だった。

 ただ、彼がそのように指導したのには理由がある。それは自分で考えさせて青年が教える時間を減らすためだ。

 それでも、全員が湊の希望通りに動いてくれる訳ではない。湊と同じテーブルで一生懸命考えていた羽入は、教科書を見て不思議に思ったようで勉強とは関係ない部分について尋ねてきた。

 

「ねえねえ、湊君。分からない事があるんだけど聞いてもいーい?」

「……それが今回のテストに関係ないと分かっていても聞きたいなら好きにしろ」

 

 読心能力が使える湊だが普段は力のスイッチを切っている。けれど、相手の感情のようなものは雰囲気で理解してしまうので、羽入のように幼い精神をしている者の思考は雰囲気で読めた。

 まわりはそれを察しが良いとか勘が鋭いというが、湊に言わせれば声の調子や目の動きに口元の様子など相手が内容を話さなくても得られる情報は多い。

 いまの羽入がテストの内容と関係ない部分で疑問を持って聞いて来ている事も、感情の雰囲気とそういった情報から読んだだけだが、相手は湊の発言を質問の許可と受け取ったらしく嬉しそうに質問をしてくる。

 

「あのね、ここにマスターベーションは赤ちゃんを作る準備って書いてるの。でもね、気持ち良く感じるとかとは書いてるんだけど、全然どうやってやるのか書いてなくてぇ」

 

 羽入が見ていたのは保健体育の教科書。保健と体育の両方について載っているが、今回のテストで出てくるのは保健分野で性教育と同じような内容だった。

 医師免許を持っていない闇医者として働いている湊は、保健で習う内容についても真面目に捉えるため、羽入が純粋な疑問として尋ねて来ていると理解して真面目に考える。

 

「私もいつか赤ちゃんが欲しいんだけど。やり方が分かんないから準備できないの。湊君が知ってたら教えて欲しいなって」

 

 だが、可愛らしく首を傾けて少女が性教育に被る内容を青年に尋ねれば、真面目に勉強していた者たちも手を止めずにはいられない。

 話をあまり理解出来ないターニャやちゃんと真面目な質問だと思っているラビリスは別だが、風花や美紀に宇津木といったメンバーは気まずそうな表情になり、他の女子は無知ゆえに男子にそんな質問をしてしまう羽入に呆れ、男子たちは精一杯興味がないので勉強を続けていますというフリをする。

 内容が内容だけに本来なら答える方も気まずそうにしたりするものだが、一般的な人間とは考え方が異なり、さらに精神的に幼い羽入に正しい知識を色々と教えている湊が教師役だったことで、彼はどう教えれば分かり易いかと煙管を手で遊ばせながら口を開いた。

 

「……まぁ、俺もした事はないんだがまず男女で方法は異なるな。子どもを作る上で男女の役割が違う事は分かるか?」

「男の子はお父さんで、女の子はお母さんだよ?」

「随分とまたざっくりとした認識だな。まぁいい。俺と隣にいるラビリスは身体の構造が違うだろ? ラビリスには胸があって俺にはない。そういった男女の身体の違いを性差、もっと正しく言えば生物学的性差というんだ」

 

 羽入の言う父親と母親というのは子に対する立場であり、子どもを作る上での役割を説明するにはもっと踏み込む必要がある。

 そのため、湊はまず男女の大きな違いとして、隣に座るラビリスと自分を見比べた際の分かり易い部分を例に挙げてから説明してゆく。

 

「この性差というのが子作りや子育てで重要になってくるが、女性でも胸に関して言えば個人差があるので置いておく。それよりも大きな違いがあってそれが生殖器だ。命の素となる精子は男性しか作れないし、精子を受精させる卵子は女性しか作れず、それらはそれぞれの生殖器の中で作られる」

 

 女性の母性の象徴における貧富の差は戦争に発展しかねないので深くは言及せず、湊はあくまで男女の違いについて語る。

 男女の生殖器は形状から役割までが全く異なり、見た目の違いは一緒に入浴したときや教科書などで知っているだろうと暗に告げて確認を取る。

 湊が羽入と一緒に入浴する事は少ないが、相手がしつこくねだって入った事や、同じくしつこくねだってきたのでラビリスも入れて三人で入る事もたまにあった。

 一応、彼女が泊まりに来たときにはラビリスが一緒に入浴しているものの、湊とも一緒に入ったときに生殖器を見ていたなら違いもより分かり易くなるはず。

 そう思って確認を取れば頷いているので、湊は羽入にも分かる様に言葉を簡単にしながら説明を続けた。

 

「さっき言った役割というのは、つまり父親は赤ん坊の素を作る側で、母親はその赤ん坊の素を受け取ってお腹の中で育てるってことだな。ここまでは大丈夫か?」

「うん」

 

 たまにずれた思考を見せるが、羽入は別に理解力がない訳ではない。

 ちゃんと丁寧に教えてやれば一度で理解するほど覚えが良く、今回の説明もしっかりと理解して付いて来ている事で、湊もここまで分かれば後は簡単だと話を最初まで戻す。

 

「男女の役割がそれぞれ分かったら、それに関係してくる話をしよう。話を一番初めに戻すが赤ん坊の作る準備は本来必要ないんだ。羽入もおよそ一ヶ月毎に月経が来ているだろ?」

「月経って、えーっと生理のことだよね? 血がドバーって」

「お前のいう勢いで出血したら一日目で死ぬぞ。まぁ、それであってるが、女性側の準備は月経がくれば終わりなんだ。月経が来たという事は卵子を作れるようになったって事だからな」

 

 月経で何が起こるかというのは教科書にも書いてあるが、読んでもあまり理解出来ないのなら、それが理解出来るように何のために必要な事なのかを教えてやればいい。

 男が月経について女性に説明するのも変だが、彼の場合は正しく少女に教えてやる事が出来るため、耳だけ傾けている他の女子らもストップをかけたりはしない。

 そうして、知識がなく赤ん坊を作る準備が出来ないと不安そうにしていた少女は、自分が知らぬうちに準備が出来ていると知って安堵の表情をしながら、よりはっきり聞いておこうと念のため確認してきた。

 

「じゃあ、私も赤ちゃん産めるの?」

「身体の状態でいえば、な。ただ、母親になるってのは身体が出来てるだけでは不十分だ。お前はまだ結婚出来る年齢ではないし、子育てに関する知識もない。母親として生きていく覚悟は胎児が成長し出産が近付けば出来てくるらしいが、子どもが子どもを産むというのを周りの人間はよく思わない。皆に祝福されたいならちゃんと大人になってからにすべきだ」

 

 母親としての自覚は胎児の成長や、出産の大変さを通じて芽生えていくと言われている。

 英恵のように実子でない子どもを愛してくれる者は少数、桜のように出産経験もなく母として子に愛情を注いでくれる者などさらに希少だ。

 その点で言えば、妊娠すれば自然と自覚や愛情を覚えるようになっていくかもしれないが、未熟な少女が妊娠しただけで周囲は好き勝手に言ってくる。

 新しい命が宿るというめでたい出来事を、そんな嫌な思い出と共に記憶に残したくはないだろう。

 誰からもケチを付けられず、皆から祝福される方が良いに決まっているのだから、ちゃんと大人になって結婚するまでそういう事はするなと湊は少女を諭した。

 既に数名と肉体関係を持っている青年の言葉には欠片の説得力もないが、そういった裏事情を知らなければ大変素晴らしい話なので、少女も分かったとしっかり頷いた。

 

「湊君は何でも知ってるんだね。あ、でも、マスターベーションってどうやるの? 気持ち良いって本当?」

 

 ただし、それはそれ、最初にした質問の中で一部まだ説明されていなかった事で、気になっていた羽入は再び湊に質問をぶつけた。

 途端に場には気まずい空気が戻ってくるが、そういったものを一切気にしていない湊は聞かれた事に答えてしまう。

 

「人によってやり方も快感の度合いも異なるらしいぞ。それを前提としてよく聞く方法をいくつか挙げるとすれば」

『おっほん!!』

 

 だが、湊が具体的な内容を口にする前にゆかりたち女性陣が同時に咳払いをした。

 最初から気まずい思いをしていなかったターニャとラビリスは別だが、その他の女性陣が一斉に咳払いをしたことで湊が話を止めると、勉強の手を止めたゆかりが作った笑みを浮かべて湊に話しかける。

 

「あー、有里君? そういうのは子どもには早いんじゃないかな?」

「いや、男子に比べ女子の方が精神の成長が早く。自慰行為の初体験年齢も平均すると」

『おっほん!!』

 

 女子の方が男子よりも早く二次性徴が来る。それに伴って自慰行為の初体験年齢も色々とあるのだが、彼の持っている医学的な知識は置いといて、精神的に幼い子どもである羽入の前ですべき内容ではないと女性陣が再び待ったをかけた。

 実際の性行為の様子をビデオなどで見せるのならともかく、自慰行為のやり方を聞いたところで別にどうにかなるとは思わない。

 故に、湊は聞かれた事を羽入に教えようと思ったのだが、今度はゆかりだけでなく風花や美紀も一緒になって言いようのないプレッシャーを放ちながら湊に釘を刺して来た。

 

『有里君?』

「……まぁ、デリケートな話は同性の方が的確な判断を下せるか。羽入、それについてはもう少し大人になってからの方がいいらしい。グロテスクなシューティングゲームを子どもにさせてはいけないのと似たような感じでな」

「そうなの? じゃあ、大丈夫になったら教えてね」

「機会があれば、な」

 

 聞きたがりの子どもと違って、まだ話す時期ではないと言えば羽入は引いてくれる。

 その後の部分に一抹の不安を感じるも、とりあえずの問題は回避されたことで女性陣も安堵の息を吐いた。

 同じ空間にいた順平と渡邊はどこか惜しそうな顔をしていたが、同じテーブルで勉強していた宇津木と高千穂から冷たい視線を向けられすぐに真面目な顔でプリントに向き直る。

 男子らのそんな様子に女性陣は呆れているようだが、全員の集中が切れているのなら休憩を入れるべきかと、時計で時刻を確認した湊は昼食の準備をするべく立ちあがった。

 

「さて、いい時間だし昼にでもするか」

「わぁーい。今日はお寿司がいいなぁ」

「また面倒なものを……」

 

 お昼ご飯と聞いて真っ先に喜ぶ羽入のリクエストに湊は表情を歪ませる。

 寿司は立派な和食なので得意ではあるが、自分が作るときには料理で手を抜かない青年にとって、寿司はおまかせ含めて注文が入ってから握るものだ。

 となれば、前回のパーティーメニューと異なり、今回は作り置きが出来ず全員が食べ終わるまで提供に回らなければならない。

 他の者は適当にいっぱい握って好きに取る形式でいいというだろうが、妥協を許さぬ青年がそんな事をする訳がないので、本日の勉強会に参加した者は本格的な江戸前寿司を味わえるだろう。

 ラビリスが手伝えれば少しは負担も減るのだが、残念ながら寿司のときにラビリスが出来る事などお茶を淹れることくらいだ。

 よって、十人以上の食べ盛りの学生を一人で相手することになるものの、大繁盛の中華料理屋で鍛えられた青年ならば何とかするはず。

 仕込みを終えてからマフラーに仕舞っておいたネタを用意し、それらを寿司用ネタケースに入れて青年が準備を整えれば、なんでそんなに本格的なんだとほとんどの者が心の中でツッコミを入れていた。

 

 

 


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