【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百八十七話 運だめし

2009年1月2日(金)

午前――長鳴神社

 

 年が明けて二日目の朝、岳羽ゆかりはコートを着込みマフラーを巻いて女子寮から長鳴神社を目指していた。

 あの日、湊と別れて泣きながら寮に帰った少女は、帰省していなかった寮生たちに心配されながらも、彼氏と別れただけだからと言って部屋に籠もった。

 部活メンバーたちには何も伝えられず、悲しさと寂しさで何度も湊に電話しそうになるも、我儘を言ったのは自分だからと我慢し、食事と風呂のとき以外は部屋に籠もってしばらく過ごしていた。

 けれど、今日は冬休み前から約束していた初詣がある。元日は忙しいだろうからと二日目にずらし、新年最初に部活メンバー+αで集まる予定なのだ。

 正直に言えば行きたくなかった。何せ、行けば湊がいるのだ。相手は気にしていないかもしれないが、別れたばかりでゆかりの方は気まず過ぎる。

 寮を出るときも他の者が心配して隈を隠すように化粧をしてくれたり、ぼさぼさになっていた髪を梳かしてくれてようやく見せられる状態になったくらいだ。

 これなら部活メンバーに心配をかけるだけなので、仮病でも使って休んだ方が良かったかなと思っている間に到着してしまった。

 

「あ、ゆかりちゃん! 明けましておめでとうございます!」

 

 ゆかりが来た事に気付いた風花が笑顔で手を振りながら挨拶をしてくる。彼女の他には真田兄妹、美鶴、メンバーに入っていなかった荒垣がいるのは謎だが、ラビリス、チドリ、そして湊も既に揃っていた。

 部活メンバーの中でターニャだけいないが、彼女は年末年始だけ帰省してカナダにいるので問題ない。

 そういう訳で、最後にやってきたゆかりは風花や美紀と挨拶を交わすと、どうして予定になかった荒垣までやって来ているのかを尋ねた。

 

「荒垣先輩が来るって聞いてなかったんですけど、真田先輩と約束してたんですか?」

「いや、少しは人が減ってるだろうと思って二日に来てみれば、朝から馬鹿に絡まれて拘束されただけだ」

「誰が馬鹿だ。偶然だろうと出会っておきながら年始めの挨拶もせずに去るやつがあるか」

 

 ゆかりは噂で荒垣が休学中だと聞いていたが、真田の様子からすると幼馴染である彼も荒垣に会うのは久しぶりのようだ。

 となれば休学中という噂は真実で、どうして休学しているのか気になるが、体調や経済的な理由など何かしら込み入った理由はある事は容易に想像がつくため、相手が話して来なければ自分から聞きに行ったりはしないでおこうと思った。

 荒垣がここにいる理由が分かれば、ゆかりは残りのメンバーにも挨拶をしていく。気まずくとも避けては通れないので、ゆかりは出来る限り平静を装って湊の前に立つと、自分から彼に挨拶をした。

 

「あ、あの、あけまして、おめでとう」

「ああ。明けましておめでとう、()()()()

 

 彼の言葉を聞いた直後、ゆかりの目からは大粒の涙がこぼれていた。これには湊も珍しく驚きを見せ、二人の様子を見守っていたチドリから先に事情を聞いていた部活メンバーの女子たちが、慌てて二人の間に割って入る。

 

「あ、有里君! なんて事言うんですか!」

「大丈夫? ゆかりちゃん?」

「あ、あれ? やだ、これは、違うの。別に有里君が、悪い訳じゃなくて」

 

 涙を流している本人も自分が泣いている事に驚いているようで、美紀や風花に気遣われれば目を拭って涙を止めようとする。

 けれど、そんな事で感情に起因する涙が止まる訳もなく、風花がハンカチを渡し、美紀が落ち着かせるように背中を擦りながら道の端へと移動する。

 そして、驚いてから女子たちの様子をただ黙って見ていた青年を、チドリとラビリスもゆかりの元へ行く前に呆れた顔をして馬鹿じゃないのかと罵倒した。

 

「何で余計なこと言うのよ」

「湊君、ホンマにデリカシーないな。もう端っこの方行っとき」

 

 端の方へ行っておけと言われても、ゆかりたちが端の方へ行ってしまっているので行ける訳がない。もしかすると逆サイドに行ってろという事かもしれないが、それは少し遠いので湊はその場に残っておく事にした。

 すると、ゆかりの元へ行っていなかった先輩三人も、湊がゆかりを“岳羽さん”と呼んで泣かせたことだけは見ていて理解していたので、腕組みをして立っていた真田が代表するように青年の馬鹿な行動を諌めた。

 

「お前は新年早々なにをしてるんだ」

「いや、別に、ただ別れたから呼び方を変えた方がいいかと思っただけで」

 

 湊はチドリが部活メンバーに根回しをしてくれていた事を知らない。ただ、先輩組はその中に含まれていないので、身近なカップルの破局に驚いた顔を見せてくる。

 

「お前ら別れたのか? いつ?」

「いつってイブですけど」

 

 真田がこういった話題に食いついて来るのは意外だ。だが、さらに続けて今度は荒垣まで傍に来て詳しく尋ねてきた。

 

「どっちから切り出したんだ?」

「切り出したのは岳羽の方です」

 

 イブという事は約一週間前、ゆかりから切り出したという事は振られたのは湊の方だ。

 普段はやる気のない世間を舐めくさった表情や態度を取っている青年が、恋人たちのイベントとも言える日に振られていたと聞いて、これまで何度も辛酸を舐めさせられてきた男たちはざまぁ見ろと勝ち誇った顔をする。

 

「フン、どうせ下心を見せたんだろう」

「色んな女に良い顔してっから振られんだよ」

 

 イブに振られる理由などそれくらいしか考えられない。がっついて身体の関係を求めて拒否されたのだろうと二人は思った。

 ただ、それが真実であろうとなかろうと、後輩が彼女と別れたと聞いて喜ぶなど人間として小さ過ぎる。これが同級生の順平あたりならば見た目通りと思うところだが、ファンクラブまで存在する高校ボクシングチャンプや、休学中とはいえ四月には最高学年になる男までもが揃って言ってくるなど、傍から見れば恋人がいることを羨んで嫉妬していたようにしか見えない。

 そして、先輩二人に言われた青年の方はというと、何で無関係のこいつらが勝ち誇っているんだと僅かに苛立ちを覚え、目線が勝っていることもあり心の底から見下す様に言葉を返す。

 

「……彼女いない歴=年齢×女性経験無しのガキが偉そうに」

「なっ、貴様っ!!」

「なっ、テメェっ!!」

 

 童貞は黙っていろ。湊が小馬鹿にしながら遠回しにそういえば、痛いところを突かれた二人は肩を震わしながら湊を睨む。

 どうして条件が増える際に加算ではなく乗算にしたのかは不明だが、年頃の男子にとって女性経験の有無は男の格付けでとても重要な意味を持つ。以前から湊は女子に手を出しているのではと思われていたが、先ほどの発言で彼が経験者であることは確定したと言っていい。

 相手はゆかりなのか他の者なのかまでは分からない。それでも、一年長く生きていながら、未だに彼女がいたことすらない少年たちは、事実であるため湊の言葉に反論する事が出来ず、けれど、言われっぱなしではいられないとアイコンタクトで伝え合い揃ってファイティングポーズを取った。 

 童貞を指摘されて必死になっているようにしか見えないその光景は、湊にしてみれば恥の上塗りだなと余計に笑えるものなのだが、先輩である真田たちが臨戦態勢に移行したことで、男子三人のやり取りを黙って見ていた美鶴がこれ以上は見過ごせないと話に入ってきた。

 

「少し落ち着け。明彦も荒垣も人のそういった話にあまり口を出すな。事情も知らずに見当違いな事を言って恥をかくのは自分だぞ。それと、有里も女性経験やらの話は外でしない方がいい。大っぴらにする話題ではないからな」

 

 真田たちを諌める際には呆れを含んだ厳しい視線。しかし、湊への注意の際は恥ずかしいのか僅かに頬を染めて話す。親の決めた婚約者はいても美鶴もまだ経験のない乙女なのだ。そういった類いの話に慣れていない事もあってどうしても恥ずかしさが出たらしい。

 臨戦態勢だった男二人は注意されるとばつが悪そうにし、湊は平常運転で美鶴の言葉を無視していれば、離れていたゆかりたちが戻ってきて湊の元までやってきた。

 泣いていたゆかりの目は赤くなり、寮生の友人がしてくれた化粧も僅かに落ちて隈が見えている。それでも彼女は湊の前にやってくると、急に泣いてしまったのは自分のミスだと、被害者であるはずなのに謝罪してきた。

 

「急に泣いてゴメンね。その、呼び方は有里君の好きにしてくれていいから」

「傷付けるつもりはなかったんだ。ただ、変えた方が岳羽も気持ちを切り替えやすいかと思っただけで」

 

 方向性は完全に間違っていたが、他人行儀な呼び方は湊なりに気を遣った結果だった。

 ゆかりが引き摺らないよう距離のある言い方をすれば、自動的に距離が開いて気持ちも離れていくはず。そんな甘い読みでよく女子と付き合えたなと思うところだが、理由を聞いたゆかりは不器用な人だなと苦笑し、自分も悪いから気にしないでと気を遣ってくれたこと自体には感謝した。

 ゆかりは本気で湊を好きだったし、現在もまだ好きなままだ。気持ちはそう簡単に切り替えれず、下手をすれば今後もずっと引き摺りっぱなしかもしれないが、折り合いを付けて普通に接することが出来るくらいには回復させる予定である。

 なので、切り替えるまでもう少しかかるだろうが待っていて欲しいと、周囲に気を遣わせてしまう現状を彼女は反省し、予想以上に引き摺るタイプであった自分に苦い顔をする。

 

「あー、うん。まだもう少し無理かな。ゴメンね、自分から言い出したのに、こんなに引き摺って。重いよね、私」

「気にしなくていいわよ。泣きはしなかったけど、湊も振られた日の夜はかなり引き摺ってたから」

 

 ゆかりが自分を重い女だと溜め息を吐けば、珍しいことにチドリがフォローを入れた。曰く、湊も同じくらい引き摺っていたと。

 

「それ、本当?」

 

 その情報に驚いたゆかりは大きく目を開いた後、悪戯っぽく笑うチドリと嫌そうな顔をしている湊を見つめる。

 彼の反応を見る限り本当の様だが確証が欲しい。ゆかりが返事を待っていれば、チドリはしっかりと頷いて返してきた。

 

「ええ、誰かと一緒にいたくなって急に実家に帰って来たくらいだもの」

 

 意外過ぎる青年の一面に周囲の視線が彼に集まる。

 普段は素っ気ない態度や一匹狼のような孤高の態度を取っているが、それはあくまで雰囲気の話であって、実際は人と一緒にいたいタイプだったのか。

 本当の彼をよく知る者なら意外でも何でもない話なのだが、傷心中の少女には“彼も自分と同じだった”という事実が嬉しいようで、今度は喜びの涙を僅かに目尻に滲ませた。

 

「そうなんだ……。フフッ、なんか、有里君には申し訳ないけどちょっぴり嬉しいな」

 

 青年も自分との関係を惜しんでくれていた。その事実が何よりも支えになる。ここへ来るまでは暗雲がかった重い気分だったが、明かりが灯ったように心が温かくなりゆかりはようやく笑顔を見せた。

 これならば後は時間が解決するだろう。彼女の事を心配していた他の者たちも安堵し、それでは参拝しようと石段を上って行く。

 二日目ともなると元日よりも人は減っており、途中にある屋台に心惹かれつつも賽銭箱に辿り着くのは容易だった。

 それぞれが何を祈ったのかは本人しか分からないが、参拝を終えた者たちはおみくじのところまで移動し、風花やラビリスが早速引こうと楽しそうにする。

 

「初詣のおみくじって特別な感じがしますよね。結果は普通だったりするんだけど、いつも引く前は楽しみで」

「ウチは今回でまだ二回目やから毎年の醍醐味みたいなんは分からんけど、一年の運勢を占うんは面白いと思うわ」

 

 ラビリスは去年初めておみくじを引き、今回のこれで人生二度目のおみくじだった。見た目が外国人であるため、風花たちも勝手に外国暮らしで文化が違ったのだろうと思っており、彼女に最初に引かせてあげている。

 そんな少女らの姦しい様子を後ろで眺めていた真田は、腕組みをしたまま不敵に笑って自分の主義を口にする。

 

「俺はこういった願掛けはしないタイプなんだ」

「たかが遊びでつまんねぇ野郎だな。妹が楽しんでるもんにケチ付けて楽しいのか?」

 

 瞬間、真田の目は妹の姿を捉える。幸いな事に彼の先ほどの台詞は先輩組三人と湊にしか聞こえていなかったようで、他の少女たちは小銭を入れておみくじを引くのに夢中になっていた。

 もしも、彼の台詞が聞こえていれば、彼女たちが楽しんでいるものに水を差すことになり、彼の妹である美紀は友人たちに申し訳ない気持ちになっていただろう。

 偶然にもそれが防がれた事は実に幸運であったと言える。そこからの真田の転身はまさに一瞬だった。

 

「フッ、お前が凶を引かずに済むよう遠回しに止めてやったんだがな」

「言ってろ。テメェは末吉がお似合いだ」

 

 良い笑顔で財布を取り出した真田は荒垣よりも先におみくじを引きに向かった。余りの変わり様に荒垣は呆れ、妹のことになると分かり易いなと美鶴も苦笑しながら後に続いた。

 そうして、全員がくじを引き終えれば、いざ御開帳と風花が自分の結果を口にした。

 

「あ、中吉だ。全体運はいいみたいです。恋愛運は大きな波あり?」

「私、吉だ。恋愛運は……恋人失せる」

 

 続いて開いたゆかりはくじの結果に肩を落とし暗い顔をする。失せるも何も既にフリーになっているのだが、父の事が解決すれば再び告白しようと思っているだけに、新年早々それを挫かれる結果にダメージを負ったようだ。

 そんなゆかりが先に結果を見ていた風花に慰められている横で、ワクワク顔でくじを開いたラビリスは、自身の引いたくじに書かれていた内容に跳ねて喜ぶ。

 

「やった、ウチ大吉や! 皆は恋愛運みとるん? ウチのは……運命の者は傍に居るやて」

 

 他の者が恋愛運を見ていた事で彼女も見てみたが、未だに恋愛というものがよく分かっていない少女は首を傾げる。

 彼女にとって“運命”は自身の持つペルソナのアルカナのイメージが強い。それを思えば傍にいるであっているものの、そういう意味ではないことは理解しているので、全体的に良い事が書いてある中で恋愛運だけよく分からない結果になったと不思議そうにしていた。

 

「私は小吉ですね。健康運がちょっと悪いかもって書いてます。恋愛運はいい出会いありと」

「……私、中吉。金運が望む物が手に入る。恋愛運は……別れあり、悪し」

 

 続けて美紀とチドリも自分の結果を確認する。無難な事が書かれた美紀はホッとしているが、その隣では先日想い人と一夜限りとは言え繋がる事の出来た少女が不満そうにしている。

 彼女のくじの結果を現在の状況と合わせて考えると、即ち湊とお別れすることになってしまうという事だ。

 まだ付き合ってもいないのに別れとは冗談にしても過ぎている。揃って二十五歳まで恋人がいなければ、「結婚したい」「別に良いぞ」のやり取りで済むくらいに絆も育んでいるため、このくじを作った者はヘボだと思う事にしてチドリは恋愛運について書かれている部分が見えないように折り畳んでくじを財布にしまった。

 

「私は吉だな。既に親が決めた婚約者がいるんだが、恋愛運は好転ありと書いてある」

「フッ、俺は中吉だ。健康運が怪我多しなのは気になるが全体的に悪くない。シンジはどうだ? どうせ凶だったんだろう?」

 

 望むほど良い結果ではなかったが悪くはない。これなら十分及第点だと笑う真田が荒垣に声をかければ、

 

「へっ、アキ、お前の負けだ」

 

 荒垣は自信満々に不敵な笑みを浮かべて自分の引いたくじを真田に見せた。そこには輝くは“大吉”の文字。長鳴神社のおみくじで最高位の結果である。

 自分が吉という中途半端な結果だったこともあり、真田は驚愕し信じられないと荒垣の手からくじを奪って改めて確認する。

 

「馬鹿なッ!? お、俺が中吉なのに、お前は大吉だとっ!?」

「金運が悪いらしいが他はまぁまぁだ。ま、新年一発の勝負で勝てたんだから悪くはねぇわな」

 

 新年最初の運だめし勝負は荒垣の圧勝。悔しそうにする真田と余裕のある表情をしている荒垣が勝者と敗者を明確にし、自分の運命を占うくじでも勝負にしてしまう二人を他の女子たちは少し子どもっぽいと思って見ていた。

 そうして、ほぼ全員のくじの結果が判明した訳だが、湊の結果をまだ聞いていなかった事で、自分のくじを財布にしまったラビリスが皆を見ていた青年に話しかけた。

 

「湊君はどないやったん?」

「……普通に大凶だったが?」

 

 何て事はない様にシレッと答える湊。

 他のおみくじは朱い縁取りと文字で書かれているというのに、青年の手にあるくじは黒い縁取りと文字で書かれていた。

 大凶など大吉以上に珍しく、また置いていない神社もあるというのに、ここでは実在してしかも色も他と違っているという特別仕様。彼がくじの結果を気にするような性格とは思えないが、初めて見る大凶に女子たちは非常にレアだと沸く。

 

「え、ウソ!? 私、大凶って初めて見た。すごい本当にあるんだ」

「ていうか、大凶って珍しいから普通じゃないと思うんだけどなぁ」

「本当に全体的に悪い事が書いてますね。健康運なんて命危うし注意されたしって書いてますし。あ、でも、恋愛運は出会い近しで悪くないです」

 

 大凶だけあって内容は悪い事が多かった。ただ、恋愛運だけマシなのは不運でも彼の持つ魅力を消す事は出来ないという事なのかもしれない。

 全体的にばらけた結果になり、大吉や大凶という珍しいくじも引けた一同は、参拝とくじも終わったので屋台を冷やかして帰るかと移動の準備を始めようとする。

 そのとき、奥の社務所の方向から一匹の白い犬がやってきて湊たちの前で止まった。

 

「あ、犬や」

「……なんだこの犬」

 

 初めて見る犬にラビリスと湊は首を傾げる。色は白いが犬種は柴犬のようで、成犬だが人懐っこくラビリスが腰をおろして相手の頭を撫でれば、犬は気持ち良さそうにして一鳴きした。

 

「わんっ!」

「ははっ、首輪付けてへんけど人懐っこいな」

「見た感じ人間に換算したら四十歳くらいのオッサンだぞ。きっと野良でも人にエサを貰えるように学習したんだろ」

 

 可愛らしい犬を前になんとも夢のない事をいう湊。現役女子高生に頭を撫でられて四十歳のオッサンが喜んでいると聞くと犯罪の臭いしかしない。

 二人の後ろでは話を聞いていた女子らが微妙な顔をしているが、以前、この犬を見た事があったことでチドリが初対面の二人に相手を紹介した。

 

「それ、ここの宮司のペットよ。前に見た事ある」

「確か、コロマルだったよね。ねえ、コロマル、今日は宮司さんは一緒じゃないの?」

 

 同じく前に見て覚えていたゆかりが犬の名前を呼んで飼い主はどこかを尋ねる。前に会った頃よりも随分と成長しているが、特徴的な毛色と人に慣れた様子は健在だ。飼い主もきっと愛情を籠めて育てたのだろうと思っていれば、コロマルは何故か立てていた耳を伏せて悲しい声で鳴いた。

 

「くぅーん」

「あ、そうなんや。それは残念やったね。よしよし」

「いや、今ので何を理解したんだよ」

 

 悲しそうにするコロマルを撫でて慰めるラビリスに、ツッコミ所しかないと荒垣が思わず尋ねた。

 相手の様子から他の者も彼の飼い主に何かあった事は察したが、それがどういう内容なのかは分からない。

 怪我をした、死んだ、引っ越した等々、考えられる理由は色々とある。ラビリスが本当にコロマルの言った事を理解したなら説明してくれるはずだが、荒垣の問いに答えたのはラビリスではなく湊だった。

 

「……事故で亡くなったらしいです。だいたい、鳥居の辺りだとか」

 

 ペットを飼っていると鳴き声から、遊びたいや散歩に行きたいという相手の気持ちを理解出来るようになる話はよく聞く。

 しかし、湊の説明はそのレベルを超えており、さらに言えば青年の説明を否定しないラビリスも同じ事を読み取っていたようなので、犬の言葉を理解しているとしか思えない二人に美鶴は半信半疑ながら本当に分かるのかを訊いた。

 

「君たちは犬の言葉が分かるのか?」

「あー、前に知り合いが犬と仲良うしてて、ウチもそんときに相手の言いたい事とかをだいたい分かる様になったんです。まぁ、相手もこっちに伝えようとしてくれへんと難しいけど、コロマルさんは結構はっきりと言ってくれはるから分かり易いかな」

 

 笑いながら理由を話すラビリスは、相手が年上だからか敬称を付けて呼ぶ事にしたらしい。別にその点についてはどうでもいいだろうが、犬と仲良くしていれば言葉も分かる様になるとは驚きで、大変な興味を持った風花もラビリスの隣に腰をおろしてコロマルを撫で始めた。

 犬の言葉が理解できればその能力を活用できる場面は多い。ブリーダーやトリマーだけでなく、犬に諜報を頼んで相手に姿がばれないようにする方法なども取れるのだ。

 そうでなくとも、動物と意思疎通が取れるなど絵本の中の話の様であり、美紀やゆかりも一緒にコロマルと遊んでいれば、コロマルをジッと見つめていたラビリスが顔を上げて湊に話しかけてきた。

 

「なぁなぁ、湊君」

「駄目だ」

「ウチらのマンションはペットOKやん。飼い主さんいなくなってもうてコロマルさん可哀想やろ?」

 

 ファミリー向け高級マンションであるテラ・エメリタは、蛇やクモに大型のトカゲなど周辺住民が恐怖を感じる動物類は流石に駄目だが、犬や猫にウサギや鳥など一般的なペットであれば飼育の許可も必要なく飼っていい事になっている。

 飼い主を亡くしたコロマルを不憫に思ったらしく、ラビリスは自分たちの家で飼おうと提案するが、食用にも出来ない畜生の飼育などゴメンだと湊は却下した。

 

「別に似た境遇のなんてそこらじゅうにいるさ。犬もそう言ってる」

「えー、でもコロマルさんも屋根付きの家のがええやんな?」

「わふっ」

 

 その光景は周囲から見てかなり異様だった。若い男女が犬を交えて二人と一匹で会話しているのだから。

 ペットをウチの子と呼ぶ頭の弱そうな者が、ペットに話しかけている様子はたまに見られるものの、彼らの場合は本当に犬の言葉を理解して喋っている。

 先輩組三人は部活メンバーほど湊やそれに関わる異常に慣れていないため一歩引いて見ており。彼らが見守っている最中も二人と一匹の会話は続く。

 

「なぁ、散歩もエサの用意もウチがするからさぁ」

「だから、犬が自分で今の生活に満足してるんだから余計なお世話だろ」

「むー、てか犬やなくてコロマルさんって呼びぃや。湊君も人間って呼ばれたら嫌やろ?」

「呼ばれる事もあるから気にならないな。それこそ、お前とかあんたっていうのと変わらない。犬も犬と呼ばれて嫌がってないしな」

「わんっ!」

 

 因みに今のコロマルの鳴き声は湊たちには「気にしてないぜ」と聞こえている。ラビリスは機体番号024をはじめとした、彼女と同じ五式のテストベッドシリーズらの記憶とも言えるメモリを引き継いでこの力を得た。

 湊は人間が古代に失ってしまった能力を宿したままの肉体を持っていた事で、名切りとして覚醒後に読心能力と共にそれを使えるようになった。

 過程と強度は異なるものの、どちらも端的に言えばイメージを読み取る力であり、コロマルの様にしっかりと自分の考えを伝えようとしてくれる動物との会話は比較的楽であった。

 

「シロと似てて懐かしい思ったのになぁ。コロマルさん、湊君がケチでゴメンな」

「わふっ」

「嘘を吐け、犬種が違うじゃないか。それと保健所は年中無休なんだ。そこに行けば犬もぐっすり寝れるぞ。他の仲間と一緒にな」

 

 湊はラビリスが話すシロという犬を見た事はないが、コロマルの言葉を読むついでにラビリスの記憶からシロの見た目だけ読みとって、共通点は性別と毛色くらいしかなく思わず呆れる。

 そして、嘘を吐いた相手に適当な事を言うなと返すついでに、そんなに屋根付きの寝床が欲しいなら保健所に連絡して引き取ってもらえばいいことを告げれば、湊の言葉を聞いたラビリスは目を見開いて驚き、コロマルを守る様に抱きしめるとすごい剣幕で怒りを表してきた。

 

「き、鬼畜や。鬼畜がおる! 保健所の人呼んだら絶対に許さんへんよ。そんなんしたらウチは家出て行くからな!」

「……酷い言われようだ。保健所では里親募集事業もしている。それで一時的に保護して貰い、新しい飼い主を見つけてもらえばどうかと言ったつもりだったというのに」

 

 飼い主がいない犬を前に保健所を呼ぶといえば、ほとんどの者が殺処分を想像する。けれど、保健所は別にそれがメインの仕事ではなく、一時的に保護して里親を募集したりもしているのだ。

 

「人に慣れていて言葉を理解出来るくらいに利口だ。柴犬のアルビノという珍しさもある。成犬であることがネックになるかもしれないが、逆にアルビノでここまで育っていれば病気のリスクも他の犬と変わらない。飼い主が亡くなったので新しい飼い主を探していると言えば、引き取り手は見つかり易いと思うがな」

 

 ラビリスはEP社の仕事にほとんど関わっていないので知らないだろうが、会社ではアニマルセラピーとして通院患者にペットの飼育を勧める事があった。

 運動不足になりがちな年配の患者も、一人では外にあまりでないがペットの散歩という理由があればほぼ毎日歩くので運動になり。ペットを通じて他者とコミュニケーションを取る様にもなるので、運動不足の解消だけでなくボケ防止など他の効果も期待できた。

 そういったペットはどこから来るのかと言えば、主に保健所や里親募集のボランティア団体からの紹介であり、里親になる前に会社が金を出して予防接種などを受けさせているので、EP社の負担を除けばそれぞれにメリットのある素晴らしい事業である。

 湊もそれには当然関わっていて、会社の敷地内に新しくペット用の運動公園や動物病院を作り、飼育アドバイザーやブリーダーも雇って初心者でも飼育と躾けが出来るよう手配したのだ。そんな青年がわざわざコロマルを殺処分しろというはずもなく、酷く心外だと溜め息を吐けば、ラビリスは湊が自分以上に真面目に考えていた事に意外そうにした。

 

「ほえー、湊君もちゃんと考えて喋ってはったんや。てっきり殺処分しろって意味やと思ったわ」

「もし本心ではそう思っていても、愛着を持ってるやつの前でわざわざ言う訳ないだろ。興味がないのに、死なせようとするのもおかしな話だしな」

「あははっ、疑ってゴメンて。そやな、湊君って興味無い物はどうでもええってスタンスやもんな」

 

 自分が勝手に勘違いして青年を疑った事を少女は謝罪する。湊は一見冷たいがそれは対象に興味や関心がないためだ。

 敵なら殺す、害があれば消す、極めて冷静にその判断を下して、相手が幼い子供でも手に掛ける事が出来るようになったが、その敵や害というのは湊の大切な者にとっての話なのだ。

 ただ自分を狙ってくるなら見逃したり無視する事もあるので、血に目覚めて殺人衝動が消えた湊が進んで命を奪う事はない。

 改めてその事を理解出来たラビリスは、コロマルを飼ってやれない事実は消えないが、相手は今も神社を寝床として生活している話を聞けたので、たまにエサでも持って来て一緒に遊ぶことにきめた。

 

「じゃあ、コロマルさん。また来るからな。次はゴハン持って来たるから、野良やと勘違いされて捕まったアカンよ」

「……それなら首輪付けとけばいいだろ。住所はここにして」

 

 言うなり湊はマフラーの内側をゴソゴソと漁って、赤い首輪とそれに付けるタグを取り出した。タグは中に紙が入って住所が書けるようになっており、湊はさらさらとボールペンで神社の住所を書くと、タグを取りつけた首輪をコロマルの首に巻いた。

 今まで首輪を付けていなかったコロマルはどこか慣れない様子だが、ラビリスや風花が似合っていると褒めれば誇らしげにしている。

 これで外で見つかっても神社に連れて来られるはずなので、野良と勘違いして捕まる可能性はほぼ無くなるはずだった。

 けれど、男前が上がったコロマルに注目している者たち以外は、どうして湊が首輪を持っていたのかが不思議なようで、もしやアブノーマルな話題かとチドリが疑いの目を向けてくる。

 

「……普段から首輪なんて持ち歩いてるの?」

「会社の備品で余った分を一部だけ仕舞っておいたんだ。逃げたペットの中には首輪を外してるやつもいるから、捕まえたときにリードを付けられるよう首輪も合わせて持ってる」

「そう。マリアやゆかりにも首輪を贈ってたから、てっきりそういう趣味があるのかと思った」

 

 正確に言えば彼女たちが身に付けている物はチョーカーであって、ネックレスやペンダントと同じ首周りの装飾品だ。

 身に付けている者の中には支配されたい願望を持っている者もいるかもしれないけれど、贈った湊はそんな事を考えておらず、むしろ、相手に似合うことしか考えていなかったからこそ、彼自身もマリアとお揃いの黒いチョーカーを首に付けている。

 チドリも湊がマフラーの下にチョーカーを付けている事は知っており、それでも首輪と呼んで言って来たという事は、ちょっとした悪戯心でからかっているだけなのだろう。

 イヴの夜を一緒に過ごしてから、チドリは前より少しだけ甘えてくるようになった。他の者では気付かない微妙な甘え方だったりするが、幼い頃から仕事がないときは遊んでくれとせがまれていた青年はちゃんと気付き、からかってくる少女の頭に左手を置いて小さく苦笑する。

 

「これでも健全な趣味嗜好をしていると自負しているんだがな」

「行いが不健全なら一緒でしょ」

「フッ、それは耳に痛いな」

 

 やってる事が不健全だと言われてしまうと反論できない。真っ当とは程遠い行いもいくつもしてきたので、確かにこの青年は健全とは言い難かった。

 とはいえ、それでもここではコロマルのために首輪を出したくらいで、他に何も言われる筋合いはなく。話が終わったのならそろそろ帰ろうと青年は歩き出す。

 他の者たちもそれに続いて歩き出し、ラビリス達もコロマルに別れを告げると後を追って、出店のいくつかを冷やかしながら帰路についた。

 

 

 


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